汚染獣との戦いから数日。戦闘の事後処理に追われ、学校が再開されてから2日目。
レイフォンは汚染物質による怪我で入院していたが、昨日の夕方には退院することができた。よって今日から再び学校に通い始めることになる。
休んでいた時間は1週間にも満たなかったが、随分と久しぶりに登校する気分だ。
朝の日差しが差し込む教室に入ると、明るい声が出迎えた。
「おっ、レイとん! おっはよ~」
声のする方を見ると、ミィフィがこちらに向かって手を振っている。
「おはよう、レイとん」
「お、おはようございます」
ミィフィのそばにいるナルキとメイシェンも、こちらに向かって挨拶する。
レイフォンはそちらへ足を向けながら口を開いた。
「おはよう、3人とも」
言って、笑顔を浮かべる。
レイフォンに周囲の生徒から好奇の視線が向けられた。
しかしそんなことはお構いなしに、3人のもとへと歩いて行く。
「無事退院できたようで何よりだ」
「そうそう。よかったね~、長引かなくて」
「もともと大した怪我じゃなかったから」
「そうなんだ。それはそうと、武芸科の制服も似合ってるね」
「ん、ありがと」
「でも、ホントに転科してよかったの? 無理しない方がいいんじゃ」
「大丈夫だよ。 自分で決めた事だから。決めたからには、真面目にやるよ」
「ふ~ん。でも、ほどほどにね」
「うん、心配してくれてありがと」
「いえいえ」
そう、今レイフォンが着ている制服は以前までの一般教養科のものではなく、武芸科の制服だった。
汚染獣によってツェルニが危機に陥った時、レイフォンは目の前にいる彼女たちの命とその夢を守るために、再び戦うことを決めた。
そして彼女たちと少しでも長く共に過ごせるように、カリアンの求めるツェルニの存続に力を貸すことを決めた。
ゆえに、今年の武芸大会に参加できるよう、武芸科に転科したのだ。
「あ、そうだ。今日はお昼一緒に食べない?」
「お昼? いいよ。どこで?」
「中庭で」
「中庭?」
「そ、今日はメイっちがお弁当作ってきてくれたから、一緒に食べようってこと」
そう言いながら、ミィフィはメイシェンの方に視線を向ける。
レイフォンがメイシェンの方を見ると、彼女は湯気が出そうなほどに顔を赤くし、それからこくこくと頷いた。
あからさまに緊張しているのが伝わり、少々心配になる。
「えっと……いいの?」
「は……はい」
「メイっちは料理が趣味なんだから、ありがたく受けときなさい」
「う、うん。 それじゃあ、ありがとう」
メイシェンの挙動があまりにぎこちないのでやや恐縮してしまうが、嬉しいのは確かだ。
礼を言って、笑いかける。
すると、メイシェンは赤い顔をしたまま、硬直するように動きを止めた。
「あ、あれ? メイ? 大丈夫?」
心配して声をかけつつ近づくが、余計に顔が赤くなり、今度は立ち眩みでもしたかのようにふらふらしだす。
するとミィフィが視界を遮るように2人の間に立った。
「あはは。大丈夫、大丈夫。ちょっとのぼせただけだから」
「でも……」
「ホラ、授業始るよ。 後はわたしたちに任せて席に着きなよ」
「う、うん」
気になったが、ミィフィに促されて自分の席に着く。
3人の方を見ると、ようやくメイシェンは正気に戻ったようだった。彼女に向かって2人が何かを言っている。メイシェンは申し訳なさそうで、ミィフィとナルキはどこか呆れているような顔をしていた。
やがてチャイムが鳴り、教師役の上級生が教室に入ってくる。
授業を行う上級生の言葉に耳を傾けながら、レイフォンは自身の今後について思案をめぐらせた。
武芸科に転科したこと。それは自分の意思で決めた事であるし、レイフォンがこの都市の存続を望んでいるのも確かだ。そのことに後悔は無い。少なくとも、今年一年は武芸科の生徒として過ごすことを決めている。
しかし、だからといってこの先ずっと武芸者として生きると決めたわけではない。今まで通り、武芸以外の道を模索していくつもりではある。
だが、こうして実際に武芸科に転科してみると、武芸に対する抵抗がすでに随分と薄れていると感じるのも確かだ。父の許しを得たのも関係あるだろう。このまま武芸者として生きていくのも悪くはないとも思う。
この先どうするか。ここ最近あまり考えなかったことが、再びレイフォンの脳裏に浮かぶようになった。
しかし、答えは出ない。答えは出ないまま、時間は流れていく。
(ま、今は武芸大会に勝つことだけを考えよう)
やがてレイフォンは自分の思考を打ち切った。
午前中最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、周囲に慌ただしい空気が満ちる。昼食を持参してこなかった生徒たちがそれぞれ購買部へと買い出しに行ったり、食堂へと移動を始めるからだ。
レイフォンは、普段のようにそんな人の流れに混ざらず、メイシェン達と連れだって中庭へと移動する。
中庭の一角にある丸いテーブルを囲むように設置された円形のベンチに腰掛け、4人でメイシェンの持ってきた大きな弁当箱を囲む。
弁当箱の中には様々な食材が並んでいた。いちおうそれなりに料理ができるレイフォンには、随分と手の込んだ作りであることが一目でわかった。
量も多く種類も多彩、傍目にも色鮮やかで食欲をそそった。
「へぇ、すごく美味しそうだね」
「でしょ、でしょ。今日はレイとんの退院祝いにメイっちが腕によりをかけて作ったからね。 しっかり味わって食べるように」
「あ、あの、たくさん作りましたから、遠慮せず食べてください」
「そう? じゃ、お言葉に甘えて」
さっきまで気持ち遠慮していたが、こうして一度目にしてしまうと、自身の根源的な欲求に抗えなくなってしまった。
(このお礼はいつか必ずするということで)
そう自分を納得させ、弁当に手を伸ばした。一つ取り、口に入れる。
美味い。
彼女はお菓子作りが趣味だとは知っていたが、お菓子以外の料理もかなり美味しかった。
自然と、顔に笑みが浮かぶ。
「美味しい。こんなに美味しい料理が作れるなんて、すごいね」
こちらが食べるのを固唾をのんで見守っていたメイシェンは、レイフォンの言葉に顔を真っ赤にし、それから安堵するように息を吐いた。
ミィフィとナルキもそれぞれ料理をつまむ。
「うん。相変わらず美味しいねぇ」
「そうだな。むしろどんどん美味くなっているくらいだ」
3人が口々に褒めるのを、メイシェンは照れたように、しかし嬉しそうに聞いている。
弁当を食べつつ、雑談に興じる。
「そういやレイとんって都市戦で勝つために転科したんだよね?」
「うん、ツェルニはただでさえ後が無いのに、今回の戦いでさらに戦力が低下しちゃったからね。武芸者は一人でも多くいた方がいいだろうし」
「ふ~ん。ま、レイとんなら強いし活躍できるかもしれないね。もしかしたら小隊員に選ばれるかも」
「あんまりそういうのには興味無いけどね」
「え、何で? 小隊員に選ばれるのってエリートとして認められるってことだよ?」
「僕はあくまで自分の目的のために戦うだけだから。他人にどう思われてもあんまり関係ないかな」
「そうなんだ。変わってるね。武芸者って基本的に自己顕示欲が強くてプライドが高いものなのに」
確かに、レイフォンの価値観は普通の武芸者と大きく違っているのだろう。
誇りやプライドに重きを置かないレイフォンは、武芸者として異端にすら見えるかもしれない。
周囲からの評判だって、目の前にいる彼女たちさえ自分の傍にいてくれるのなら、他の者にどう思われようと知ったことではないと思っている。
と、ここでミィフィが話題を変えた。
「ところでさ、レイとんってバイトとかはどうするの? 武芸科は体力使うはずだし、今までみたいにいくつも掛け持ちするのは無理なんじゃない?」
「確かにな。いくらレイとんでも体を壊しかねないと思うぞ」
「大変……だよ?」
3人に口々に言われ、レイフォンは苦笑する。
「わかってるよ。奨学金の額も増えたことだし、バイトの数は減らすつもりだから」
「ああ、その方がいいだろうな」
「そうそう。バイト減らして、その分たくさん遊んだほうがいいよ。若者なんだし」
「お前は遊び過ぎだ」
「そう言うナッキは仕事のしすぎだよ。もっと青春を謳歌しないと! あ、ところでレイとん、今晩は機関掃除だって聞いてるけど、明日は暇?」
何故教えてもいない機関掃除のシフトを知っているのか疑問ではあったが、それには触れず、明日の予定を思い出そうとする。
「あ、明日は無理だ。予定がある」
「え、何? バイト?」
「いや、バイトじゃなくって、引っ越しの手続きとか、諸々」
それを聞いて、ミィフィだけでなくメイシェンとナルキも怪訝な顔をする。
「引っ越し? レイとん、家引っ越すの?」
「うん。この前の汚染獣戦の時、僕の寮、壁とか水道管とか色々壊れちゃってさ。僕の部屋も壁に大穴空いてるし」
「そういえば、防衛線が突破されて都市内に汚染獣の侵入を許したとか言っていたな」
「そうだったんだ。大丈夫なの?」
「うん。もともとあんまりたくさん物は置いてなかったからね。引っ越し先も決まってるし、メンテナンスが終わったらその部屋に移るつもり。今はまだ都市全体が忙しいからもう少し時間かかるらしいけど、これといって問題は無いよ。引っ越しについては生徒会長が色々と手伝ってくれてるしね」
「生徒会長がわざわざ?」
ナルキが驚いた声を出す。
「ま、レイとん、汚染獣戦で活躍したんでしょ? 一般教養科だったのに、都市を守るために命懸けで戦ったんだもん。おまけに武芸科に転科までしてくれたんだし。生徒会長としても何かしら礼をしないと示しがつかないんじゃない? むしろこれくらい当然でしょ」
「……はは」
レイフォンの口からやや乾いた笑い声が漏れる。
………寮を破壊したのは汚染獣ではなくレイフォンの技の余波であることは黙っていた方がよさそうだった。
「……それじゃ、レイとん今どこに住んでるの? まだ引っ越し済んでないんだよね?」
「ああ、それは……」
レイフォンは若干苦い顔をしながらメイシェンの疑問に答えた。
自立型移動都市、レギオスの心臓部、機関部。
時刻はすでに深夜という頃、レイフォンはそこでひたすらブラシを動かしていた。
「そういえばレイフォン、お前武芸科に転科したのか?」
同じく隣に並んでブラシを動かしていたニーナがふとこちらを向いて訊いてくる。
「ええ、まあ。けど、なんで知ってるんですか?」
答えつつ、疑問に思って訊いてみる。レイフォンが武芸科の制服を着て登校したのは今日が最初だ。基本的にバイト以外で顔を合わせることが無いニーナが、何故レイフォンが転科したことを知っているのか。
「いや、ヴァンゼ武芸長からその話を聞いてな…」
「武芸長から?」
「ああ、入学式で騒ぎを収めた1年生が一般教養科から武芸科に転科したと聞いた。確か汚染獣戦で協力してくれたとか何とか」
「確かに汚染獣を倒すのを手伝いましたけど……」
言いつつ、レイフォンはニーナの言葉を訝しがる。武芸長とは汚染獣戦の時に揉めた記憶がある。あの時の様子を見る限り、彼は少なくともレイフォンのことを快くは思っていないはずだ。
それなのに、何故わざわざニーナにレイフォンのことを話したのか?
まさか……。
「他には何か言ってましたか?」
「いや、特に聞いてないが」
「そう……ですか……」
秘密をばらしたというわけではなないようだ。
しかもニーナの態度を見る限り、レイフォンのことを悪く言っていたということもなさそうだ。ニーナからは、レイフォンに対する敵意や嫌悪は感じられない。
ニーナが本心を隠しているということも無いだろう。彼女はあまり演技の得意な方ではない。
不思議に思っていると、再びニーナが口を開いた。
「しかし、武芸科の生徒としてお前が転科してくれたのは素直にうれしいが、どうして転科しようと思ったんだ?」
「どうして、って……」
「いやな、確かにお前が都市戦に参加してくれればかなりの戦力になるとは思うが……もしかして、私たちのせいでお前に無理をさせてしまったのではないかと思ってな……」
ニーナはレイフォンをちらちらと見つつも、こちらに顔を向けることはしない。
その様子は、やや気まずげな、申し訳なさそうなものだった。
「ただでさえ前二回の都市戦で連敗して後が無いというのに、今回の汚染獣戦でさらに戦力が減ってしまったからな。私たちが頼り無いせいで、お前に心配をかけてしまったんじゃないかと思ったんだ。それで、自分の気持ちや目的を曲げさせてしまったんじゃないかと、少し気になってな」
「ああ、成程」
自分の力でツェルニを守りたいと願っている彼女だ。それなのに自分たちが不甲斐無いせいで、レイフォンに望まぬ道を強いてしまったことが申し訳ないのだろう。
「確かにそういう気持ちが全く無いわけではありませんけど、でも、最終的には自分で決めましたから」
「そうなのか?」
「はい。ただ僕自身に、戦う理由ができたんです。武芸者の誇りとか、そういう立派なものじゃないんですけど……ただ、この都市で守りたいものができたから、それを守るために、都市を守ろうと思ったんです」
レイフォンにとっては、所詮は都市を守ることすらも目的のための過程にすぎない。
しかしそれでも、メイシェン達を、その生活を、そして彼女たちと共に過ごす時間を守りたいというのは、レイフォンにとって本心からの気持ちだ。
そしてそのためにも、何としてでもツェルニを守り抜かねばならないと思っているのも確かなのだ。
「そうか。それはよかった」
ニーナが安心したように言った。
「それより、先輩、怪我とかは大丈夫なんですか? 確かあの戦いじゃかなりの負傷者が出たって聞いてますけど」
これ以上自分を責められても気まずいので、レイフォンは話題を変えることにする。
幸い、ニーナはそれに乗ってきた。
「ああ、確かに大勢の武芸科生徒が負傷していたな。かくいう私も、一昨日までは病院のベッドの上だった。活剄のおかげで怪我の治りは早いが、今もまだ完治したとはいえない。
とはいえ日常生活に支障は無いがな。だからこうして機関掃除にも参加している」
「そうですか。それは何よりです」
「お前の方はどうなんだ? 怪我とかはしなかったのか?」
「少しだけ。僕も昨日退院したところなんです」
「そうなのか。退院できて何よりだ。とはいえ病み上がりなんだ。あまり無理するなよ」
「わかってます。先輩の方こそ気を付けてください」
言い合いながら、並んで通路のブラシがけを行う。
しばらくして、2人は休憩に入った。
いつものように並んでパイプに腰掛け、夜食の弁当を食べる。
ちょうど食べ終わろうかという頃に、ニーナがやや躊躇うように口を開いた。
「ところでな、レイフォン。折り入ってお前に頼みがあんだが」
いつもはきはきと喋るニーナが口ごもるのは珍しい。
怪訝に思いつつも先を促した。
「お前も知ってるだろうが、私は第十七小隊の隊長をやっていてな。しかし今、うちの隊はメンバーが小隊最低限の数しかいないんだ。それで、できればお前に第十七小隊に入ってもらいたいと思っている。入学式での身のこなしを見る限り、お前なら小隊員として十分にやっていけると思うのだが……」
どうだろうか? ニーナがそう訊いてくる。
それに対し、レイフォンはやや申し訳なさそうにしながらも、自分の思いをはっきりと口に出した。
「折角ですけど、僕は小隊に入るつもりはありません。申し訳ありませんけど、他を当たってください」
「む……何故だ? 小隊員に選ばれるということは武芸科生徒にとってかなり名誉なことなんだが……」
ニーナはレイフォンの言葉に残念そうにしながらも、未練を感じる声で訊いてくる。
「生憎ですけど、僕は名誉とか栄光とか、そういうものに興味はありません。エリート意識もプライドも特にありませんし、わざわざ自己顕示するつもりもないですから」
「そうなのか?」
「ええ。それに、これから六年間ずっと武芸者として生きていくと決めたわけではありません。確かに、大切なものを守るために戦うことを決めましたし、今年いっぱいは都市戦のためにも武芸科にいようと決めましたけど、最初の目的を捨てたわけではありません。これからも僕は、自分のやりたいこと、進みたい道を探していくつもりです。
そんな中途半端な気持ちで小隊員などになるべきではないと思いますし、後々にあまりしがらみを作りたくもないですから。だから、お断りします」
小隊員とはツェルニの武芸科の規範となるべき存在のはずだ。レイフォンのような半端な気持ちでなるべきものではないし、武芸大会が終わった後にしがらみを作りたくない。
一度小隊に入ってから途中で抜ければ、他の者に迷惑をかけてしまうかもしれないからだ。
「そうか……それは、残念だ」
言葉の通り、ニーナは見るからに残念そうな表情で肩を落とした。
それを見て、やや申し訳なくなる。
「すみません」
「いや、私がなかなか隊員を集められないのは、私自身が隊長として未熟だからだ。お前を責めるつもりは無い」
ニーナは気を取り直したのか、すぐさまいつも通りの態度に戻る。
「お前の気持ちはわかった。突然こんなことを言い出してすまなかったな。では、掃除に戻ろう」
言うと、ニーナは立ち上がり再び仕事に戻る。
レイフォンは黙ってそのあとに続いた。
3日後の夜。
アルバイトの数こそ減らしたが、未だに複数のバイトを掛け持ちしているレイフォンは、とある飲食店の材料搬入のバイトを終えて、生徒会棟へと赴いた。
「やあ、おかえりレイフォン君」
そのレイフォンを出迎えたのは、いつも通り遅くまで仕事のために残っていた、いつも通りの白々しいほど爽やかな笑顔を浮かべた生徒会長のカリアン・ロスだった。
「……どうも」
レイフォンは眉間に皺が寄るのを自覚しつつ、短く言葉を返す。
正直この人は苦手だった。何を考えているのかまるで読めないからだ。笑顔の裏にどんな毒を持っているのか予想もつかない。
レイフォン自身はあまり本心を隠すのが得意ではないことも理由の1つだ。
レイフォンからすれば、まだしも汚染獣の方が与しやすい。
と、カリアンが手元の書類に目を通しつつ、口を開いた。
「それにしても、引っ越し先、ほんとにあそこで良かったのかい? 君ならもっと条件のいい部屋を取れそうなものだが」
「僕にはあれで十分です。部屋は広くて家賃は安い。これ以上ないってくらいの好物件ですよ」
レイフォンが引っ越し先に決めたのは、学園都市のはずれ、倉庫区の近くにある古いアパートだった。
周辺には様々な倉庫と何かの工場くらいしかなく、わずかにある住居なども、おそらくはほとんど住人がいないであろうことが予想される。
しかしその間取りと広さが他の物件とは大きく違う。一人暮らしには分不相応な物件かもしれないが、レイフォンはその広い居住空間に惹かれた。
また、外観こそ古いが内装や住居設備などは存外しっかりしている。それでいて家賃が安いのも、レイフォンにとっては魅力的だった。
案内してくれた先輩は安さと広さ以外に見るべきものが無いと言っていたが、その2つを最も重視するレイフォンにとってはこれ以上ないくらいに良い部屋だった。
「確かにそうだけれど……周囲にはめぼしい商店街や遊学施設なんてほとんど無い上に、校舎からも遠い。あまり良い立地であるとは思えないがね」
「買い物は学校帰りに済ませれば事足りますし、遊学施設にはそれほど興味ありませんから」
「君はあまり若者らしくないね」
「……あなたにだけは言われたくありません」
嘆息しつつレイフォンは言う。
引っ越し先が決まったとはいえ、すぐさまそちらに移れるわけではなく、掃除やメンテナンス、その他諸々の手続きが終わるまで、レイフォンは仮宿を探さねばならなかった。
それを知ったカリアンは、快く(?)宿を提供してくれた。
生徒会棟では役員が泊まり込みで執務を行うために、仮眠室やシャワー室など最低限の宿泊設備があるため、一時的にそこを宿代わりとして使うことを許してくれたのだ。
他に行くあても無く、レイフォンは渋々カリアンの厚意(?)に甘えることにした。
たまにそれを後悔しそうになるが。
「そういえばレイフォン君。小隊入り、断ったそうだね」
カリアンが唐突に話題を変える。レイフォンは内心虚を突かれた。
なぜそれを知っているのか、そうも思ったが、訊くだけ無駄だと思い直す。油断の知れないこの人のことだ。グレンダンでのことのように、こちらの素行を調べたのだろう。
「ええ、まあ」
内心を悟られないよう、レイフォンは努めてぶっきらぼうに返す。
「どうしてだね? 武芸科の生徒にとって小隊員に選ばれるというのは非常に名誉なことなのだが」
「別に興味ありませんから。名誉なんてどうでもいいです」
「それに小隊員になれば小隊補助金が出るし、対抗戦に勝てば報奨金も出るよ?」
「Aランク奨学金があれば十分です。贅沢な暮しがしたいわけでもありませんし、これといってお金のかかる趣味もありませんから」
「ふむ、私としては、できれば君に小隊に入ってもらいたいと思っているのだがね」
「あなたの望みを叶える義理はありません」
「しかし君は私の望むツェルニの存続に協力してくれるのではなかったかな? 武芸大会に勝つためにも、君には小隊員として活躍してほしいんだが」
「確かに協力するとは言いましたが、それはあくまで僕の目的のためです。ツェルニ存続というあなたの望みが僕の目的と合致しているから手を貸すだけですよ。逆に言えば、それ以外のところであなたの希望に従うつもりはありません。それに、わざわざ小隊員にならなくても武芸大会でツェルニを勝たせることはできます」
「君が小隊員になってくれれば、都市戦の際に、こちらの裁量で君を個別に動かすことができるのだがね。基本、潜入部隊などは小隊単位で編成するものだし」
「別に小隊員にならなくても僕を個人で動かせばいいでしょう」
「私やヴァンゼは君の力量を知っているからそれでもいいが、他の者が納得しないだろう。武芸大会の作戦会議は各小隊長たちを集めて行う。そこで君のことを持ちだしたところで、他の小隊長たちがそれを認めるとは思えない」
カリアンはあくまで穏やかな調子を崩さない。
レイフォンは眉をひそめる。
「最終決定権はあなたと武芸長にあるのでしょう? なら特に問題は無いと思いますけど」
「しかし上からの意見をゴリ押しすれば小隊員たちの反感を買うことになる。できればそれは避けたい」
「小隊員っていったって、ほとんどは前回の大会で大敗した人たちでしょう? そんな人の意見なんて僕には知ったことじゃありませんし、わざわざそんなものに従って不自由な思いはしたくはありません。あなたがそれを嫌だというのなら、僕が勝手に動きましょうか? ようは相手の都市旗を奪えばいいのでしょう。都市戦に勝つことだけを考えるなら、僕が一人で突貫して旗を奪って来れば済む話です。それなら、僕一人の命令無視の独断行動として処理できるでしょうし」
「ふうむ。しかしそれだと他の武芸科生徒たちに悪影響が出かねない。プライドの高い小隊員たちはいい気持ちしないだろうし、一般武芸科の生徒たちは君を当てにして努力を怠るかもしれない。君さえいれば負けることは無いと高をくくってしまう。しかしここが学園都市である以上、そんな事態は看過できない。人々の成長を促すのが学園都市の役割なんだ。一人の戦力に依存するようになってしまっては意味が無い」
「……それをあなたが言いますか? しかも僕に向かって」
そもそも都市戦に勝つためにレイフォンを利用しようとしているのは他ならぬカリアン自身である。
そんなカリアンが一人の武芸者に依存するべきではないとは、どの口が言うのか。
カリアンは苦笑しながら言葉を紡ぐ。
「確かに私はツェルニ存続のために君の助けを得ようとした。それは確かだ。しかし、それはあくまで私自身の、いわば個人的な願いからだ。私は何があってもツェルニを守りたいと思っているからね。
しかし生徒会長としては、この都市に住まう者たちの成長を妨げるようなことをしたくはないのさ」
「いずれにしろそれはあなたや武芸長が解決すべき問題であり、僕には関係ありません。仮に都市戦に勝つために僕のしたことが他の武芸科生徒に悪影響を及ぼすというなら、そうならないようにあなたたちで対策を打てばいいでしょう。他人を利用しようとするからには、それくらい当然です。僕に何でもかんでも押し付けないでください」
「対策と言っても、そう簡単なことではないんだがね」
「だったら僕に頼らなくてもツェルニが都市戦で勝てるように努力するのが、あなた方の義務であり責任だと思いますが? 僕をどう使うかの前に、他の武芸科生徒たちを育てて、全体的な実力を底上げするべきでしょう。あなたは口では色々言ってますけど、結局は僕に頼ることが前提になってるじゃないですか」
そもそも本気で他の武芸科生徒の成長を促したいのなら、レイフォンのような、武芸者として例外的な存在を参加させるべきではない。
それでもカリアンがレイフォンを使おうとしているのは、それだけなりふり構っていられないからだ。勝てる可能性を最大限上げるために、レイフォンを戦力として投入しようとしている。
別にそれだけなら構わない。だが、カリアンの都合に合わせて余計な面倒に巻き込まれるのはごめんだ。
レイフォンからすれば、自分はあくまで保険として存在すべきだと思っている。
「成程、確かに。君の力をどう使うかばかり考えていたかもしれないな……。
しかし現状この都市で最大の戦力が君であるのは確かだ。いくら奥の手とは言っても、それを使わないまま負けてしまっては元も子もない。いざという時のためにも、やはり君の強さをある程度他の武芸科生徒たちに知っておいてもらう必要がある。ではどうするか……」
ふうむ、とカリアンは口元に手を当ててしばし黙考する。
レイフォンはそれを見て、悪い予感がした。
よし、と頷き、カリアンがレイフォンの方を見た。
「つまり小隊には入らず、それでいて君の実力を他の武芸科生徒たちに認めさせられればいいわけだね? そうすれば都市戦で君を個別で動かすことも可能になるかもしれないな。まあ反対意見も出るかもしれないが、君に実績さえあれば上から無理に意見を通すことも不可能ではない。
たった今、そのための良い方法を思いついた。おまけに今回の汚染獣戦の影響で、最近都市全体にやや陰りがあったからね。それに関しても丁度いい」
にこやかな顔をしたカリアンの言葉に、レイフォンは嫌な予感しか感じない。
一体何を思いついたのか。不安になりながらレイフォンはカリアンの次なる言葉を聞いた。
あとがき
今回は気持ち会話多め。
今までは状況説明やら行動描写、レイフォンの心理描写などのためにどちらかというと地の文が多かったのですが、今回はテンポよく進めるため、あえて会話を多く入れてます。何となく、その方がラノベっぽいかなと思いました。
今後はレイフォンが悩んだりするシーンも減ってくると思うので、会話主体でストーリーを進められればいいかなって思います。その方が作者的にも楽ですし。
とはいえ会話だけに頼るというのも見栄えが悪いので、その辺のさじ加減に気をつけていこうと思います。今後の課題の1つ。
しかし、3人娘との会話は、油断するとセリフのほとんどがミィフィになってしまいますね。
もう少しメイシェンを前に出したいんですけど、なかなか上手くいきません。
レイフォンの引っ越しイベント。
今後の展開を考えると、レイフォンが広い部屋に住んでいた方が何かと都合がいいので、引っ越しイベントを前倒しにすることにしました。
新居は当然、15巻で出ていたあのアパート。
カリアンvsレイフォン。
舌戦でレイフォンがカリアンを押している!? とはいえ、レイフォンは本心を正直に吐き出しているだけですけど。少し喋りすぎだったかな?
カリアンに対してはあまり言葉に容赦がないのも、押しているように見える要因でしょうか。
さて、カリアンの提案とはいったい?
次回、ヴァンゼvsレイフォン。(別に戦いません)