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No.23719の一覧
[0] The Parallel Story of Regios (鋼殻のレギオス 二次創作)[嘘吐き](2010/11/04 23:26)
[1] 1. 入学式と出会い[嘘吐き](2010/11/04 23:45)
[2] 2. バイトと機関部[嘘吐き](2010/11/05 03:00)
[3] 3. 試合観戦[嘘吐き](2010/11/06 22:51)
[4] 4. 戦う理由[嘘吐き](2010/11/09 17:20)
[5] 5. 束の間の日常 (あるいは嵐の前の静けさ)[嘘吐き](2010/11/13 22:02)
[6] 6. 地の底から出でし捕食者達[嘘吐き](2010/11/14 16:50)
[7] 7. 葛藤と決断[嘘吐き](2010/11/20 21:12)
[8] 8. 参戦 そして戦いの終結[嘘吐き](2010/11/24 22:46)
[9] 9. 勧誘と要請[嘘吐き](2010/12/02 22:26)
[10] 10. ツェルニ武芸科 No.1 決定戦[嘘吐き](2010/12/09 21:47)
[11] 11. ツェルニ武闘会 予選[嘘吐き](2010/12/15 18:55)
[12] 12. 武闘会 予選終了[嘘吐き](2010/12/21 01:59)
[13] 13. 本戦進出[嘘吐き](2010/12/31 01:25)
[14] 14. 決勝戦、そして武闘会終了[嘘吐き](2011/01/26 18:51)
[15] 15. 訓練と目標[嘘吐き](2011/02/20 03:26)
[16] 16. 都市警察[嘘吐き](2011/03/04 02:28)
[17] 17. 迫り来る脅威[嘘吐き](2011/03/20 02:12)
[18] 18. 戦闘準備[嘘吐き](2011/04/03 03:11)
[19] 19. Silent Talk - former[嘘吐き](2011/05/06 02:47)
[20] 20. Silent Talk - latter[嘘吐き](2011/06/05 04:14)
[21] 21. 死線と戦場[嘘吐き](2011/07/03 03:53)
[22] 22. 再び現れる不穏な気配[嘘吐き](2011/07/30 22:37)
[23] 23. 新たな繋がり[嘘吐き](2011/08/19 04:49)
[24] 24. 廃都市接近[嘘吐き](2011/09/19 04:00)
[25] 25. 滅びた都市と突き付けられた過去[嘘吐き](2011/09/25 02:17)
[26] 26. 僕達は生きるために戦ってきた[嘘吐き](2011/11/15 04:28)
[27] 27. 正しさよりも、ただ己の心に従って[嘘吐き](2012/01/05 05:48)
[28] 28. 襲撃[嘘吐き](2012/01/30 05:55)
[29] 29. 火の激情と氷の意志[嘘吐き](2012/03/10 17:44)
[30] 30. ぼくらが生きるために死んでくれ[嘘吐き](2012/04/05 13:43)
[31] 31. 慟哭[嘘吐き](2012/05/04 18:04)
[32] 00. Sentimental Voice  (番外編)[嘘吐き](2012/07/04 02:22)
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[23719] 7. 葛藤と決断
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/11/20 21:12

赤く煤けた大地に、ツェルニを支える無数の脚の一部が突き刺さっていた。
そしてそのツェルニが割った大地の隙間から這い出て来るものがある。
日が落ち暗くなった世界に、赤い光が小さく灯る。その光は次々と数を増していき、やがてツェルニの下を赤い光で満たした。

突如周囲に異様な音が響き渡る。それはまるで巨大な羽虫が飛んでいるかのような、羽音のような音に聞こえた。
そしてその光の集団は飛び上がった。無数にも思える赤い光点の群れが都市の上へと飛翔してきたのだ。
やがてそれらは都市の外端、外縁部へと降り立った。
外縁部を照らす灯りが、その集団の姿を浮かび上がらせる。

それは錆びた血のような色をした甲殻を身に纏っていた。全身が丸みを帯びた殻に包まれており、背中には半透明の筋の通った翅がついている。そして体の下には昆虫のような節足が何対もついていた。それらをせわしなく動かし、ギチギチと異様な音を立てながらこちらに近づいてくる。
そして赤い光。胴体に不釣り合いに小さい頭部にある2つの複眼は、闇夜に浮かびあがる赤い光を零していた。

見るからにおぞましく、その様相より恐怖を与える異形たち。
先程生まれたばかりの汚染獣の幼生だ。
彼らは今、非常に餓えていた。
そして目の前には、餓えを満たす餌がある。
ただその食欲を満たすために、すぐ近くにある餌たち、人間どもを捕食しようとしている。
千を超えるのではないかと思わせるほどの群れが、餓えに任せて襲いかかって来ようとしていた。


目の前の地面を、異様な音を鳴らしながら這って進んでくる集団の他にも、多くの汚染獣たちが騒々しい羽音を響かせつつ視界一杯に次々と飛び上がってくる。それはまるで古い書物に写真付きで記述されていた津波のようであった。
彼らは外縁部に降り立つことなく、その翅を使って直接都市内部に乗り込もうとしてきた。
そこに、


「射撃部隊、撃てぇぇぇ!!」

通信機を押さえて叫ぶ指揮官の声が響き渡る。

それと同時に後方に控えた射撃隊が、外縁部に設置された汚染獣迎撃用の剄羅砲に剄を送り、巨大な砲弾を撃ちだす。
増幅され、凝縮された剄の塊は、空を飛んで向かってくる幼生の先頭に命中し、弾ける。
群れのあちこちで爆発が起こり、幼生たちの甲殻が弾け飛び、殻につつまれた細い足がばらばらと周囲に落ちる。
勢いを殺された幼生たちは、その場に次々と着地もしくは落下した。
外縁部に着地した汚染獣たちは、翅を萎れるようにくしゃくしゃにすると、甲殻の下にしまいこむ。

「長くは飛べんか。好都合だ。シャーニッド、飛んでいる奴らを重点的に狙え。都市部に行かせるわけにはいかん」

指揮官――この戦闘区域における指揮を任された第十七小隊の隊長であるニーナが、射撃部隊を指揮するシャーニッドへと告げる。

「了解だ。明日はデートの約束があるんでね。こんなところで死ぬわけにはいかんのよ」

シャーニッドが冗談めかしたように言う。これほどの脅威を目の前にしても変わらない彼の軽薄さに、少しだけ気が楽になった。隣に立つハイネも、やや苦笑している。
それからニーナとハイネは緊張に強張る手のひらをほぐすように、握ったり開いたりを繰り返す。
そしてそれぞれ剣帯に差した錬金鋼を抜き、その手に復元した。
ニーナは手の中に現れた重量と感触を確かめる。安全装置の外された二振りの鉄鞭は、普段よりもすがすがしいまでに剄を通した。

「さて、と。フェリの奴がいないが、いない人間のこと考えても仕方ないしな。いよいよ戦闘開始と行くか」

ハイネが両手の剣を軽く振り回しながら言う。

「ああ、そうだな。……まったく。この非常時にどこへ行ったのだ」

汚染獣の襲来が告げられ小隊員の非常招集がかかった時、フェリはその召集に応じもしなかった。シェルターにその姿は確認されていないという。ではどこにいるのか……? もともとやる気の無い様子ではあったが、こんな非常時にまで来ないとは、一体どういうつもりなのか……?
疑問はある。が、ハイネの言う通り、今はいない者のことを考えていても仕方がない。その余裕も無い。敵はすぐそこまで迫っているのだから。

目の前には、腹を空かせた汚染獣たちがこちらに向かって這ってきている。
群れをなした汚染獣たちは我先にとこちらへ迫ってくる。
胴体に比べてあまりにも小さな頭部。複眼を赤く光らせたその下で、小さな口が開かれる。
顎が伸びて、四つに分かれた牙のようなものが蠢いている。もしあれに喰らいつかれたら、体を少しずつ削るようにして生きたまま食われることになるだろう。
そんな想像に対する恐怖を振り払い、ニーナは叫ぶ。

「あんなものに食われてなるか! 突撃!!」

後ろに部隊を引き連れ、ニーナはハイネと共に先頭に立って走り出し、汚染獣の群れへと飛び込んだ。

































レイフォンはメイシェンと共にシェルターの中で、区分けされた空間の1つにいた。
都震と緊急事態を知らせるサイレンから汚染獣が来たのだと悟り、すぐさまメイシェンを連れて避難したのだ。
シェルター内には、大勢の生徒たちがいる。周囲の生徒たちは、全員が突然の事態に怯えきっていた。

休日だったためか、私服の者が多い。が、制服姿の者もいる。なかには武芸科の制服を着ている者もいた。剣帯をしていないことから、1年生であるのだとわかる。1年生の武芸科生徒は、都市警などの例外を除き錬金鋼を所持していないため、戦いには参加せずシェルターに避難している。そんな彼らもまた、その多くが不安を表情に湛えていた。

ふと、その中の1人に目を向ける。透き通るような水色という、あまり見た事の無い髪の色をした少年だ。男にしては髪が長く、男子の制服を着ていなければ女の子にも見えたかもしれない。顔のつくりは精緻に整っており、まるで人形のような印象を受ける。表情からは感情が読み取りにくく、どことなくフェリに似たところがある。

彼は今、両手を側頭部に当て、まるで耳を澄ませるように目を閉じていた。
と、彼の色素の薄い髪が、わずかに光る。髪のところどころに、光の粒子が生まれた。

(念威繰者だ)

それも、かなりの才能を持った。
腰まで届く長い髪全体を光らせるフェリほどではない。むしろ遠く及ばない。フェリの才能は桁外れだ。だが、普通の基準で見れば、十分瞠目に値する才能の持ち主。
彼は今、念威を使っているのだ。おそらくは、外の様子を窺っているのだろう。
錬金鋼による念威端子があった方が探査精度ははるかに高いが、念威自体は端子が無くても使える。彼ほどの才能があれば、錬金鋼なしでもそれなりに外の様子を知ることができるのだろう。

「外はどうなってるの?」

「戦況はやや劣勢です。個体ずつ倒すことはできていますが、数が多すぎる。すでに負傷者も出ている模様。しかし、いちおう現在は膠着状態が続いています。相手の動きが単調で鈍いことが幸いしているようですね」

初対面だったが、外の様子が気になったレイフォンは思い切って訊いてみた。それに対し、彼は特に気にすることなく簡潔に事実を告げる。その表情と声からは、どんな感情を抱いているのかはわからない。
レイフォンは礼を言い、彼から視線を外す。
それから壁に寄りかかり、天井を仰ぐ。

(劣勢、か)

心中で独りごちる。
当然だろう。この都市には汚染獣と戦った経験のある熟練の武芸者などいない。個々の実力もそうだが、それ以上に心構えが足りない。
この都市の武芸者たちは、命懸けの戦闘というものを経験したことが無いのだ。
彼らがやっているのは、極端に言えばお遊びのような戦争ごっこだ。どれだけ真剣にやっていようと、遊びと同レベルなのは変わらない。
そんなものに慣れ切ってしまった彼らが、いざ本当の戦場に放り出されて冷静に対処できるはずがない。
そして戦場で冷静さを失えば、本来の実力を十全に発揮できるはずがない。

冷静に対処すれば…最低でも、各々が自分の実力を最大限発揮できさえすれば、ツェルニの武芸者たちの技量でも幼生体くらい倒せるだろう。被害は出るだろうし、死者も出るだろうが、勝つことはできる。
だがそれができない。できたとしても、とても素直に勝ったとは言えないほどの多数の犠牲者を出すことになるだろう。

でも……レイフォンには関係ない。そう、自分に言い聞かせる。
自分はもう武芸を捨てたのだ。戦うことに絶望し、戦う理由を失った。その時点で、彼はすでに武芸者ではなくなったのだ。
そんな彼が戦う必要などない。戦う義務も義理も存在しない。
繰り返し、そう言い聞かせる。


ふと、すぐ傍にいる少女に目を向けた。メイシェンだ。

メイシェンは膝を抱えるようにして床に座り、俯きながら震えていた。
おそらくは不安なのだろう。汚染獣が攻めてきていることもそうだが、いつも一緒にいる2人がいないことが彼女の精神を圧迫しているのだ。その目には、すでに涙が浮かんでいる。
レイフォンは少しでも元気づけようと声をかけた。

「大丈夫。きっとすぐにいつも通りになるよ」

薄っぺらい、何の根拠も説得力も無く、本心から言っているとは到底思えないような声音だった。意識したわけではないが、自然とそうなってしまった。
当たり前だ。レイフォン自身、自分の言ったことを欠片も信じていないのだから。
汚染獣の恐ろしさはよく知っている。そしてだからこそ、ツェルニの武芸者にどうこうできるとは思えないのだ。
しかしそれでも、メイシェンは頷いてくれた。泣きそうな顔のままだったが、否定することもなく、疑問や不安を述べるでもなく、レイフォンの薄っぺらな言葉に頷いた。

優しい子だ。レイフォンはそう思う。
メイシェンは、レイフォンに戦場に行けとは言わなかった。
レイフォンが強いことも、汚染獣と幾度も戦った経験のある熟練の武芸者だということも知っているはずなのに、レイフォンに戦えとは言わなかった。シェルターに避難したレイフォンを責めることは無かった。
それは、武芸を捨てたがっているレイフォンの、戦いたくないという気持ちを慮ってくれたからか。それとも、近しい者に危険な目に遭ってほしくないと思っているからか。どちらでも、彼女らしいといえばらしい。
どちらにせよ、それは彼女の優しさだと思う。
この状況で他者の身を案じ、気遣うことができる。今も戦場で命を落としているかもしれない武芸者たちをまるで気にも掛けず、どこか突き放して考えているレイフォンとは違う。

レイフォンは戦場で戦っている者たちのことを全く心配していない。だからこそ、これほどの緊急事態でありながら、未だに平然と座っていられるのだ。
汚染獣との戦いは常に死と隣り合わせである。武芸者が戦場で命を落とす瞬間など、グレンダンにいたころにいくらでも見てきた。
レイフォンにとって、戦場で武芸者が死ぬことは、何ということもない当たり前のことだ。何人死のうと、さして興味は無い。若年であろうと未熟な学生であろうと、戦場に立った時点でそんなことは関係ない。
しいて言えば、フェリやニーナといった顔見知りが死んでしまうのは、あまりいい気はしない。特に念威繰者であることを嫌っていたフェリが、戦場に引っ張り出されて死ぬようなことは理不尽だと思うし、間違っていると思う。

しかし、それだけである。
戦場とはそういうものだ。残酷で、理不尽で、不条理に満ちている。汚染獣という脅威は、都市に住まう者たちに容赦なく牙を剥き、それらを突き付けてくる。
そして武芸者とは、力無き者を守るために、そういったものに立ち向かっていかなければならない存在である。
自身の生き死になど、最初から勘定に入ってなどいない。己の意思で戦場に立ったからには、その結果にある死は自身の責任である。弱いからこそ戦場で命を落とす。そして弱い武芸者に価値は無い。
強さこそが、武芸者の存在価値。
それは戦場の冷たい倫理。そしてレイフォンは、幼いころからその倫理の中に自ら飛び込んだ。そしてその過酷な世界で、ずっと命懸けで戦ってきたのだ。
ゆえに、レイフォンは他者の生死に対して冷酷でさえある。
戦いに対するレイフォンの考え方には、常にその冷たい倫理が根底にあるのだ。

だが、別にその倫理に心から納得していたわけではない。自分の命がいらなかったわけでも、死への恐怖が無かったわけでもない。命を懸けてでもやらなければならないことがあっただけだ。
むしろレイフォンは何があっても生きていたかった。絶対に死にたくなどなかった。死ぬわけにはいかなかった。
だからこそ、生きるために、生きていてもらうために、罪をも犯した。
何があろうと生き残る。それがレイフォンの学んだ武芸の流派が持つ精神性だったからだ。
たとえ武芸者であることに何の誇りも無いとしても、その流派の信念だけは捨てるつもりは無かった。

何とはなく、自分の懐を探る。そしてその感触に眉を顰めた。そこには何も無い。
すぐ近くで戦いが起きているのに、手元に武器が無い。その不安もあるが、それだけではない。
大切な物を寮に置いてきてしまった。グレンダンを出る前、養父から渡された物。鋼鉄錬金鋼製の刀である。

レイフォンは、かつてグレンダンで武芸者として戦っていた時、剣を使っていた。
だが、本来学んでいたのは剣術ではない。レイフォンが武芸者として最初に学んでいたのは刀術だ。
レイフォンはもともと刀を使う流派だった。同じ斬撃武器でありながら、決定的なところで剣とは異なる物。剣以上に斬るという機能に特化した武器。それが刀だ。
幼少のころより、レイフォンは一武門の主である父から刀術の手ほどきを受けていた。

サイハーデン刀争術。それがレイフォンの学んだ武術。戦場の刀技にして、生き残るための闘技。
その極意とは、過酷な戦場で生き残ること。対人、対汚染獣を問わず、戦いに勝利し生き残ることだ。
戦場で生き残ること。それを至上の目的として創意工夫を凝らし、生み出された流派。
武芸者としてのレイフォンの、根幹を成すもの。

しかしレイフォンは、十歳の時に刀を捨て、剣を取った。
生きるために、そして生きていてもらうために、罪を犯すことを、武芸者の律を犯すことを、その時点で決めていたからだ。
別に罪の意識からではない。むしろ罪の意識などまるでなかった。
ただ、父の技を汚したくなかった。武芸者としての律を犯すような行為に、尊敬する父の技を使いたくなかった。
たとえレイフォンがどれほど汚れようと、サイハーデンの刀術までが汚れてはならない。そう思ったのだ。

レイフォンに武芸の技を伝えた養父は清貧を旨とする武芸者だった。良く言えば潔癖、悪く言えばお金に無頓着な人物だった。そしてそのせいで孤児院の経営は常に苦しく、孤児たちは貧しい暮らしを強いられていた。
だがそんな父を、レイフォンは深く愛し、尊敬していたのだ。血は繋がっていなくとも、本当の父親のように思っていた。レイフォンだけでなく、院に暮らす多くの孤児たちがそうだった。

しかしレイフォンが行おうとしていたことは、そんな父を裏切るような行為だった。
少なくとも、武芸者として潔癖に徹していた父の目には、それは裏切りに映るに違いないとレイフォンは感じていた。
だからこそ、刀を、サイハーデンの技を捨てた。
犯した罪の償いではなく、父を裏切ることへの代償として、2度と刀を振るわないと決めていた。

だが、たとえ刀を捨てても、サイハーデンに学んだ戦場の極意までもを捨てるつもりは無かった。たとえ剣を握っていても、サイハーデンの教えはレイフォンの中に常に生きていた。
それくらい、レイフォンにとって養父は大切な存在だった。尊敬する人だった。
だからこそ、父の武門に泥を塗るような事をしたくなかった。


レイフォンの罪が露呈し、グレンダン中に知れ渡った時、それまでレイフォンを英雄のように見ていた孤児院の弟や妹たちは、レイフォンを罵倒し、石を投げ、憎しみの目を向けてきた。
そして養父もまた、驚き、失望した。罪が発覚したのち、王宮で罰として女王に直々に痛めつけられ、打ちのめされるレイフォンを、父は冷たい目で見ていた。

他にも方法はあったかもしれない。尊敬する父を裏切るような真似をする必要は無かったのかもしれない。
しかし、あの時はそれ以外に方法は無いと思っていた。
そして家族を守るためには、どのようなことでもすると心に決めていた。
だからこそ、金を稼ぐためにあえて罪を犯した。そして人を傷つけもした。それは後悔していない。
しかしその結果、養父を失望させてしまったこと、悲しませてしまったことは辛かった。悲しかった。
決して許されることはないだろうと思っていた。
父に見放されること。失望されること。それは悲しかったが、仕方ないとも思った。自分はそれだけのことをしたのだ。露呈すればどうなるかわかった上でやったことだ。当然、最初から覚悟はできていた。
どのような罵倒も、どのような罰も、甘んじて受けるつもりだった。

だがそれでも、父は……





















グレンダンを発つ前日の夜、レイフォンは養父であるデルク・サイハーデンに道場に呼び出されていた。

全てが終わったあの時以来、養父とは長いことまともに顔を合わせていない。
養父だけではない。孤児院にいる孤児たちとも、長いこと会っていなかった。
たとえ会うことがあっても、こちらを冷たい目で見てくるか、こちらを避けるようにして離れていくだけだった。
だから、養父に呼ばれた時、とても驚いた。
そして恐怖した。これから起こるであろうことに不安になり、とても緊張した。

養父はレイフォンの罪を知った時、何も言わなかった。
孤児たちに責められ、項垂れたレイフォンを慰めるでもなく、かといって罵倒することも叱責することもなかった。
ただ黙って、厳しい目をレイフォンに向けていた。

だからこそ、何らかの罰か、あるいは叱責があると思っていたのだ。
グレンダンを出る前に、師として愚かな弟子を罰するつもりなのだろうと思っていた。
あるいは、絶縁状でも突き付けられるか。師弟の縁、親子の縁を切られるか。そう思っていた。
だが、どのようなこと仕打ちであろうと、甘んじて受けるつもりだった。
それが、大切な人を守るために大切な人を裏切った、そのことに対する自分なりのけじめだったから。


道場の中央で向かい合って座り、お互いしばらく無言が続いてから、やがて養父が口を開いた。

「ここを発つ前にお前に渡しておきたいものがある」

そう言うと、デルクは布に包まれた一つの箱を取り出した。
それを見てレイフォンははっとする。

デルクは丁寧に布を解き、箱を開けて中身を見せた。

中にあったのは、一つの基礎状態の錬金鋼だった。

「これをお前に渡しておきたい」

「これはっ……、でも……」

「できればもっと早くに渡しておきたかったがな。生憎と、その機会は一度失ってしまった」

レイフォンが刀を捨て、剣を取った時のことだ。

「だから改めてお前に渡しておきたい。これを、サイハーデン流免許皆伝の証であるこれを、息子であり弟子であるお前に受け取ってほしい」

レイフォンはひどく狼狽した。それから苦しそうな顔をし、絞り出すように声を出した。

「無理だよ…、受け取れないよ」

言って、レイフォンは断ろうとした。あんなことをした自分に、武芸を汚した自分に、尊敬する父の流派を継ぐ
資格なんてあるわけがない。だからこそ、レイフォンは刀を捨てたのだ。
それに、この時レイフォンは武芸を捨てることをすでに決めていた。

「僕は、武芸を捨てるつもりで……、それに僕には、これを受け取る資格なんて……」

「お前にあんなことをさせてしまったのは私だ」

弱々しく養父を見上げるレイフォンを、デルクはまっすぐ見て言った。

「お前が罪を犯したのは、私が不甲斐なかったからだ。そしてあそこまで追い詰められていたお前に、私が気付いてやれなかったからだ」

「そんなことない! 父さんは立派だった! 僕がっ、父さんやみんなを裏切って……」

父は幼いレイフォン達をずっと守ってくれたのだ。レイフォンは、そんな父に憧れて武芸者となった。父のように、他の兄弟たちを守っていきたいと思った。それが武芸者としてのレイフォンの始まりだったのだ。
たとえ道を踏み外しても、自らの手を汚すことになっても、その気持ちだけは捨てるつもりは無かった。

「私は戦場を離れすぎた」

声を上げるレイフォンに対し、デルクは穏やかな調子を崩さず話し続けた。

「戦場を離れ、道場で人に教えるようになって、いつのまにか武芸者として潔癖さに囚われてしまった。そしてサイハーデンの教えのなんたるかを忘れてしまっていた。そのせいで、お前達に苦労をかけることになってしまった。サイハーデン流は生き残るための刀技であり、闘技。お前は私などよりも、はるかにサイハーデンの意思を継いだ武芸者だ」

言葉の出なくなったレイフォンに、デルクは穏やかに、しかし言い聞かせるように話し続ける。

「お前が刀を捨てた時、最初私はお前に見限られたと思った。天剣授受者となった自分に最早刀は必要ないと、そう言われたように感じた。名誉と称号を得て、増長したのかとも思った。
しかしそれを責めることはできなかった。すでにあの時点で、お前は私よりも遥かに強くなっていたからな。そんなお前が私の武門を継ぐことを拒んだとしても、仕方が無いことだとも思った。お前が一人の武芸者として私の刀術を見限り、捨てたのならば、私がそれに口出しすべきではないと思った。
だが違った。お前は、私に対する贖罪のつもりで継がなかったのだろう?」

言って、愁いを帯びつつも優しい笑みを浮かべる。

「そのことに気付くのに、こんなにも時間がかかった。気付いた時、私はひどく後悔したよ。お前にどれほどの重荷を背負わせてしまったのかとな。しかし気付いたところで、今更取り返すことはできん。すでに全てが決してしまっているからな。
だが、完全に手遅れというわけではない。お前がここを離れる前に気付くことができたのは、せめてもの救いだ」

デルクは箱をレイフォンの目の前に置いた。
そして改めて、レイフォンと視線を合わせる。

「お前が武芸を捨てるというのなら、それでも構わん。とことん悩んで考え抜いた末にそう決めたのなら、それでいい。だが、私への罪の意識から進む道を狭めてしまうのはやめてほしい。お前が選ぶこれからの未来に、武芸者という一つの生き方を残しておいてほしい。そしてできるなら……」

まっすぐに目を向けてくるレイフォンの頭に手を置き、デルクは、あくまで優しい声で言う。

「もし、お前がこれからも武芸者としての道を進むのなら、その時は私の教えた技を、サイハーデンの技を持って進んでほしい。このようなことになってはしまったが、お前にサイハーデンの技を伝えたことを、私は少しも後悔してはいない。お前という1人の弟子を、お前という才能を育てることができたのは、一武門の主として最高の誉れだ」

デルクは手を離し、佇まいを正した。

「これは私からの、許しであると同時に謝罪の印だ。お前に重荷を背負わせ、一番助けが必要な時に助けてやれなかった私の、お前に対するせめてもの償いだ。……すまなかった」

そう言ってデルクは、床に両手をついてレイフォンに頭を下げた。

すでにレイフォンは涙で前が見えなくなっていた。

二度と握らないと決めた刀を、他の誰でもない父が握るように言ってくれている。
許されるはずのない罪を犯した自分を、父が許してくれている。
まだ武芸を続けると決めたわけではない。武芸者として生きると決めたわけではない。
しかしそれでも、レイフォンはうれしくて仕方がなかった。

誰よりも尊敬し、慕っていた師であり親である養父が、罪を犯した自分を、なおもサイハーデンの武芸者として認めてくれたのだ。
嬉しくないはずが無い。これほど嬉しいことはない。

レイフォンは泣きながら、それでも養父に向かって頭を下げて、震える声を絞り出した。

「今まで育ててくれて…、僕に武芸の技を教えてくれて…、ありがとうございました……。 それと………、ごめんなさい…」

そのあとは言葉はなかった。ただひたすら泣き続けていた。

そして養父の目にもまた、涙が浮かんでいた。





















レイフォンが犯した罪を、許されることはないだろうと思っていたレイフォンを、養父は許してくれた。
一度は捨てた刀を、再び持つように言ってくれた。
それはとてもうれしいことだ。これほど嬉しいことは無い。

だがそれでも、レイフォンは武芸を続ける気にはなれない。
目の前にある選択肢の中から、武芸者という生き方を選び取る気にはなれない。
戦う理由が、自分にとって戦うに値するだけの理由が見当たらないからだ。

レイフォンが刀を捨てたのは、父に対する贖罪であり、代償のためだった。
だが武芸を捨てたのは、罪の意識からではない。ただ単純に、戦う理由が無かったからだ。
レイフォンは、ずっと理由を持って戦ってきた。
それゆえに、普通の武芸者とは考え方が違う。

大概の武芸者は、武芸ありきの理由で戦うものだ。
武芸者だから、武芸者として生まれ育ったから、だから都市を守るために戦うというように。
武芸者として生まれたがゆえに、そして武芸者として育てられ、教育されたがゆえに、大抵の者は武芸者として生きることに疑問を持たない。
ただ武芸者であるからという理由だけで、戦うことを当然のこととして考えられる。

レイフォンは違う。レイフォンは戦う理由ありきの武芸者だ。いや、武芸者だった。
武芸者として教育される前に、武芸者としての技を身につける前に、家族を、孤児たちを守りたいと思うようになった。
家族を守りたい。大切な者、愛する者を守りたい。そう思うようになった。
その気持ちがレイフォンの原点だ。

そして守るためには戦うのが、武芸を利用するのが有効だと考えた。
だから武芸者になった。
家族を守るため、養うために、武芸者として生きることを選んだ。戦うことを選んだ。
理由があったからこそ、戦いの道を選んだ。そしてそのために、武芸を覚えた。

武芸者となる前に、戦う理由ができてしまった。
そしてずっとその理由のために戦ってきた。
武芸者だから守りたいと思ったわけではない。守りたいと思ったから武芸者になったのだ。
意志が、目的が、理由があったからこそ、レイフォンは武芸者として生きてこれたのだ。

だからこそレイフォンは、理由が無くては戦えない。理由が無ければ、戦う意志も覚悟も生まれない。
そして戦うことのできない武芸者など、何の意味も無い。そんな者が、武芸者を名乗るべきではない。レイフォンは、そう思う。
思うからこそ、グレンダンで戦う理由を失ったレイフォンは、武芸者として生きることができなくなっている。
どれほど他を圧倒する力があったところで、心が戦いに向かおうとしない。

しかしその一方で、レイフォンは今、戦うかどうか迷っている。
戦いたくない、戦えない。その気持ちも本心だ。だがそれと同時に、レイフォンは心の奥底に戦おうとする意志があるのを感じていた。
汚染獣が迫っているのに戦場にいない。そんな今の自分に違和感を感じる。
体がうずく。心が落ち着かない。

(戦場にいる間に……戦うことが習慣になってたのかな……)

自分の心の中にあるモヤモヤとした物に対して、苦笑する。

(それに、結局は決断しきれてないんだよな)

武芸を捨てることをだ。
ここに来てから、すでに二度戦った。戦いといえるほどの物ではなかったかもしれないが、自分の実力を他者の前で発揮してしまった。
そしてそのどちらにも、メイシェンが絡んでいた。
彼女が目の前で危険に晒されるのを見て、咄嗟に助けようとしてしまった。

それを後悔している訳ではない。武芸に対してはっきりとしない自分自身の態度に呆れてはいるが、入学式のとき、そして公園のときに、危ない目に遭っていた彼女を助けることができてよかったと思っている。
だがそんな自分が無様にも感じる。
いざとなると、体が勝手に動いてしまう。捨てようと思っているのに、咄嗟に力を使ってしまう。
力を使わないことに違和感を感じる。
武芸者としての力を使うことが、当たり前のようになっている。

何度も捨てようと思っていた。捨てたつもりになっていた。
だが本心のところでは、捨てきれていないのだ。
それは、心の底では武芸に対して未練があるからか。
それとも、父からの許しを得たからか。
もしくはその両方か。
自分自身のことなのにわからない。己の本心が見えない。
なぜ、武芸に対してここまで悩むのか。

戦うか、否か。
その答えは、未だに出ていない。


その時、突然その場に焦りと恐怖の滲む声が響いた。



















どれくらい時間が経っただろうか。長引く戦いに、ニーナはすでに時間の感覚を失っていた。
額に流れる汗を袖で拭う。しかし着ている戦闘服はすでに汗を大量に吸っており、まるで拭えた気がしない。そのことを苛立たしく思いながら、全身に活剄を走らせて強化し、ニーナは目の前で動けなくなっている汚染獣に2本の鉄鞭を叩きつけた。
その結果に舌打ちする。
内力系活剄によって肉体強化し、さらに外力系衝剄による衝撃波を乗せた鉄鞭の一撃は、幼生の殻をわずかに歪ませただけで終わってしまった。

「くそっ、なんて硬さだ」

つい呟きが漏れる。


汚染獣との戦いに、ツェルニの武芸者たちは苦戦していた。
その要因の1つは、汚染獣たちの甲殻の硬さである。そのあまりの硬さに攻撃はまともに通らず、ろくにダメージを与えられない。
幸いなのは、相手の動きが鈍重で単調なことか。基本的に直進しかしてこないし、相手を押さえつけてからしか、あの凶悪そうな顎は使えないらしい。
注意すべきは胴体部や額から伸びた角だ。個体によって形は違うが、幼生達はその角でこちらを突き刺そうとしてくる。それがわかっているから、他の武芸科生徒たちもなんとか対処できている。

今のところは、殻の上から頭部に打撃を撃ちこむことで、何とか衝撃を通して倒すことはできている。
周囲では、汚染獣1体に対し武芸科生徒複数人でかかり、陽動と攻撃を繰り返すことで、1体ずつ確実に潰す戦法が取られている。
またニーナの近くでは、ハイネが一体の汚染獣を相手に1人で戦っていた。二本の剣を振るい、果敢に立ち向かっている。
ハイネの攻撃は一撃の威力は低いものの、一体に対し連続で何度も攻撃を加えることでダメージを蓄積させ、一体ずつ確実に倒していた。
無理にとどめを刺そうとはせず、脚の関節などにある甲殻の隙間を攻撃することで動きを封じようとしている。

戦えている。それは確かだ。
自分でも初めての実戦に緊張しているのがわかる。今まで人間相手の戦闘を想定した訓練しかしてこなかったため、初めて相手取る人間外の敵との戦いに、戸惑いと無用なほどの緊張を強いられている。そしてそのせいで、必要以上に疲労している。
しかしそれでも戦えている。戦場には、決して少なくない数の汚染獣の死体が転がっている。

だが、

「きりがないな。まったく……」

苦戦しているもう1つの要因は敵の数だ。倒しても倒しても、次から次へと都市の下から飛び上がってくる。
空を飛んで都市部に入り込もうとする幼生を、シャーニッドたち射撃部隊が撃ち落とし、それをニーナたち地上部隊が迎え撃つ。今のところはそれでなんとか汚染獣を都市部に行かせずに済んでいるが、現状では撃破数よりも増加数のほうが多いため、この状態もいつまでもつかわからない。
このまま、いつか呑みこまれてしまうのでは。
そんな絶望的な気持ちに陥りそうになるのを、自身に喝を入れることでなんとか振り払う。

(指揮官である私が倒れたら、この戦線は一瞬にして崩れてしまう)

戦線を保てなくなれば、汚染獣たちは一気に都市部へと雪崩れ込むだろう。それだけは避けねばならない。
そう自分に言い聞かせ、再び敵に向き直る。

その時、

『大変です。C-3で戦線の最終防衛ラインが破られました。汚染獣二十体近くが都市内に侵入。第十三小隊は隊員の半数以上が負傷。隊長は意識不明の重体です』

「なっ」

第一小隊の念威繰者からの通信に、ニーナは絶句する。
だが動きを止める余裕は無い。すぐ傍まで汚染獣が迫っているからだ。
一体の突進をかわし、もう一体の脚に鉄鞭をたたき込む。脚を砕かれた汚染獣はバランスを崩し、突進の勢いを殺すこともできずに侵入防止柵に受け止められる。柵に流された高圧電流が周囲を青く輝かせ、汚染獣は殻の隙間から煙を出して動きを止める。

(都市内に入りこまれただと!?)

突然もたらされた情報に焦りが浮かぶ。
すぐにも都市部へと向かわなくては。そう思うが、できない。
この場の司令官であるニーナがここから離れるわけにはいかない。かといって討伐隊を編成しようにも、ここの部隊はすでに総力戦となっており予備戦力は残っていない。

(他の部隊で対処できるのか?)

そうであってほしいと願う。でなければ、守るべき一般人たちが汚染獣に食い殺されてしまう。
都市の危機に何もできない、自身の無力に歯噛みする。

「くそっ」

こちらにできること、やるべきことがあれば、本部にいるヴァンゼの方から指示があるはずだ。
今は目の前の敵に、自分の戦場に集中する。
そう自分に言い聞かせるが、心の内で焦りが膨らんでいくのを抑えられなかった。














「最終防衛ラインが破られただと!?」

司令部の部屋にヴァンゼの怒号が響き渡る。

「追撃は!?」

「現在、前線にいる武芸科生徒たちは戦線維持に手一杯で追撃に回す余裕がありません!!」

「くそっ!」

ヴァンゼが壁を殴る。
最終防衛ラインが破られた。つまり、都市内部に汚染獣が入り込んだということだ。
そして前線にいる武芸者たちには、すでにそれを追いかける余力さえ無い。

戦闘が始まって数時間が経っている。負傷者は次々と増え、疲労によって動きの鈍ってきた者たちも多い。すでに何人か死傷者すら出ている状態だ。
とてもじゃないが、いつまでも戦闘が続行できる状態ではない。
今はまだ持ち堪えられるだろう。持ち堪えるだけならば、もうしばらくは大丈夫だ。
だが、それは時間稼ぎにしかならない。このままでは、いずれは持ち崩すだろう。

いや、すでに持ち堪えきれなくなっているのだ。戦線に穴があき始めた。
だから、防衛線が突破された。そして都市内への侵入を許してしまったのだ。
汚染獣たちは、今もなおその数を増やし続けているという。倒しても倒しても、次々と地中から這い上がってきているのだ。このままでは、拮抗が保てなくなった途端に呑みこまれてしまう。

戦線がそんな状態なのだ。とてもそれ以外に戦力を回す余裕は無い。
だがこのままでは、シェルターは破られ一般人に被害が出る。武芸者として、そして武芸長として、そんなことを許すわけにはいかない。一般人に1人でも死者が出れば、それは武芸者達の敗北だ。

(俺自身が行くか? いや、最高司令官が本部を離れて指示が滞れば、前線に悪影響が出る。そうなれば、同じ事の繰り返しになる)

もともと第一小隊を含む三つの小隊は、いざという時のために都市内に待機していた。防衛線の維持が難しくなった所を援護するためだ。
すでにその三小隊はいない。ヴァンゼ以外の第一小隊のメンバーも、指揮を副隊長に任せて前線に向かわせている。
そしてヴァンゼはここで、念威や通信機を通して全体の指揮を行っていた。今まで膠着状態を保っていられたのは、たとえ前線で不慮の事態が起こっても、ヴァンゼが適確な指示を出すことでなんとか対処できていたからだ。

(くそっ、自分自身が動けないということがこれほど歯痒いとは)

何とかこの場を打開しなくてはと思うが、いい案は浮かばない。ただ時間だけが過ぎていく。そして時間が過ぎれば過ぎるほど、一般人たちの危険は増していく。



カリアンも焦っていた。
突破された防衛線は、応援として向かわせた第一小隊によってなんとか持ち直すことができている。
だが、すでに都市内に入り込んだ汚染獣に対しては、何の対策もとれていない。
ツェルニに最早予備戦力は無く、討伐隊を編成する余力は無い。
かといってもしこのまま都市内に入り込んだ幼生たちを見過ごせば、一般人に多くの犠牲が出る。そしてその事実は、前線にいる武芸者たちの士気をも低下させるだろう。
それはさらなる戦線の崩壊に繋がりかねない。

目の前に迫った事態だけではない。
先程、小隊員たちをそれぞれの持ち場に送り出した時だ。他の者たちが部屋を出るのを見計らってから、ゴルネオはカリアンとヴァンゼに汚染獣に関するさらなる情報をもたらしたのだ。

『敵は幼生体だけではない』

彼の話では、敵は目の前の幼生体だけではなく、地下にいる汚染獣の母体である雌性体も倒さねばならぬという。
なぜなら、もしも幼生体たちが全滅すれば、地下にいる母体が付近の汚染獣を救援に呼ぶからだ。そして救援にやってくる汚染獣が幼生体とは限らない。
生まれたての幼生体相手でもこれほど苦戦しているのだ。もしも成体の汚染獣が攻めてくれば、都市は間違いなく滅ぶだろう。いや。今の状況を見れば、救援を呼ぶまでもなく幼生体達に滅ぼされかねない。

そんな事態だ。目の前のことの対処に手一杯で、当然、地下の母体を潰す余力などツェルニには無い。
だからこそ、ゴルネオは皆の前でこの話をしなかったのだ。してしまえば、さらなる焦りと絶望を与えるだけだと判断した。そうなれば武芸者たちの士気は下がり、余計に勝ち目がなくなると。
その判断は賢明だったろう。だが、現状でそれを打開する術が無いのであれば意味が無い。

(何とかせねばなるまい)

そうは思うが、方策は思いつかない。
普段から色々と策を練ることは多いが、どれも所詮は人間を相手にしたものだ。化物相手ではまるで役に立たない。
表面上は冷静を装ってはいるが、カリアンの胸の内はこれまでにないほどに焦っていた。

(彼の協力を得られれば)

切実にそう思う。しかし、現状それはほぼ不可能と思われる。そんなことを今更考えても無為だ。
それに来る保障の無い助けを当てにして作戦を立てるわけにはいかない。
なんとか、今ある戦力だけでこの事態を打開しなくては。

今、司令部には生徒会役員と各科の代表である幹部たちがいる。彼らの意見が部屋中を飛び交っているが、この場を打開できそうな名案は出てこない。
刻一刻と近づいてくる最悪の事態を前に、カリアンはただ手をこまねいているしかなかった。























「最終防衛ラインが突破された!?」

先程の念威繰者の少年が悲壮な声で叫んだ。普段ならば感情に乏しいであろう表情と声に、うっすらと恐怖が浮かんでいる。

「汚染獣の群れが十体以上も、こっちに向かって近づいてきます!」

少年の言葉に、その空間にいた者たちは騒然としだす。そこかしこで死の恐怖に怯える声が聞こえ、絶望に泣き喚く声がする。誰の顔にも拭えぬ恐怖が浮かぶ。

「どうしよう? このままじゃ……」

メイシェンはあまりの恐怖に涙を浮かべている。
レイフォンの顔にも焦りが浮かぶ。これほど早く戦線が崩れるなんて。まさかツェルニの武芸者のレベルがここまで低いとは。

(どうする? どうすれば)

レイフォンは心の中で逡巡する。戦うか、否か。

戦えば、再び失うかもしれない。離れていってしまうかもしれない。
でも戦わなければ、彼女たちが命を落としかねない。
いや、確実に死んでしまう。

すぐに応援が来るか? その保証は無い。おそらくは目の前の敵で手一杯のはずだ。都市内に入った汚染獣を追う余裕があるとは思えない。そしてシェルターの壁が破られれば、ここにいる生徒たちの命は無い。

目の前には、震えながら自分の身体を抱きしめるメイシェンがいる。
そして汚染獣は、レイフォン達がいるシェルターを目指している。

(このままでは、メイシェンが……)

その時レイフォンの脳裏に、出会った時の彼女たちの姿が浮かび上がった。楽しそうに夢を語る、眩しい姿が。
このままでは、彼女たちは夢も命も、あらゆるものを失ってしまう。

(ダメだ)

想像してしまう。彼女たちが汚染獣に無惨に喰い殺されていく姿を。
血に染まる、彼女たちの姿を。

(ダメだ、ダメだ。それだけは、絶対に嫌だ)

大切な存在になっているのだ。失いたくないと思える存在なのだ。
グレンダンで一度は失い、そしてツェルニに来てもう一度手に入れた物なのだ。
そんな彼女たちが、命を落としてしまう。

その様子を頭に浮かべた時、レイフォンの中で何かが切れた。

いや、それは頭の中でギアが噛み合ったようにも感じた。
とにかくその時、レイフォンの心の中で何かが決した。


かつてレイフォンは、武芸のせいで、己の強さのせいで大切な者を失った。
愛していた者たちに、憎まれることになった。
そして戦う理由を失った。

だからこそ武芸を捨てた。たとえ女王に禁じられなくとも、捨てていただろう。
同じことを繰り返さないために。あの悲しみと絶望を再び味わいたくないがゆえに。
罪の意識ではなく、失うことの、憎まれることへの恐怖から、武芸を捨てた。

そして理由を失ったからこそ、戦うことを止めた。
理由が無ければ戦えなくなってしまっていたレイフォンは、家族を守るという理由を失った。
だから戦い以外の道を探していた。武芸者以外の生き方を見つけようとしていた。
もう戦いたくないと思ったし、戦えないだろうと思った。

だが、戦ったことを後悔したことは無かった。
武芸の道を歩んだことを後悔したことは無かった。
罪を犯したことを後悔したことは無かった。
たとえみんなから憎まれても、責められても、己のしたことを間違いだとは思わなかった。

大切な者を守るためならば、己の手がどれほど汚れようと構わない。誰に憎まれようとも構わない。そう思ったからだ。
武芸者として生きると決めた時に、すでにそう心に決めていた。

大切な人に、愛する人に、憎まれるのも失望されるのも悲しかった。辛かった。
だが、それでも生きていてほしかった。彼らが生きていてくれるなら、憎まれたって構わなかった。
たとえ憎まれようとも、死んでほしくなかった。
愛されたまま死なれるより、生きて憎まれた方が遥かにマシだった。

だからこそ、己の手を汚してでも彼らを守ろうとしたのではないのか。
愛する者を守るためなら、愛する者に憎まれたって構わない。己一人の悲しみで大切な者が救えるのなら、それ以上は求めない。
あの時、そう決めたはずだ。
いや、それ以前から、武芸に出会うよりも遥か前からそう心に決めていた。


それこそが、レイフォンの本質であるはずなのだ。


ならば戦おう。

立ち上がり、武器を取り、戦場に向かおう。
メイシェンを、彼女たちを守るために、戦おう。
その結果、同じことを繰り返すことになるかもしれない。彼女たちを失うことになるかもしれない。
憎まれ、嫌われ、失望されるかもしれない。
だがそれでも構わない。
たとえ失うことになったとしても、憎まれることになったとしても、彼女たちに生きていてほしい。
そして彼女たちに、夢を失ってほしくない。レイフォンには無い物を持っている彼女たちに、それを失わせたくない。
心の底から、そう思う。

そのためならば……たとえ一度は捨てた武芸であろうと、それを使おう。
レイフォンが戦うことで彼女たちを守れるのなら、今一度、武芸者となろう。
そして彼女たちとの時間を守るためならば、これから先も戦い続けよう。

戦う理由は、生まれた。







心を決め、レイフォンは立ち上がった。

それに気付いたメイシェンが、怯えつつも怪訝な顔をする。

「レイ…とん……?」

「ごめん。ちょっと外出てくるね」

レイフォンはできるだけ軽い調子で言った。

「外出るって……」

「うん。汚染獣、片づけてくる」

「そんな!?」

メイシェンが驚きに目を見開く。

「駄目だよ! 危ないよ! レイとん、武器も持ってないのに」

「心配いらないよ。たいしたことないから」

珍しく大きな声を上げるメイシェンに背を向け、その場を離れようとする。

が、後ろから服の裾を掴まれ、足を止めた。

「イヤだよ……レイとんが……危ない目に遭うなんて……」

メイシェンは先程よりもさらに泣きそうな顔で、行かないでくれと懇願する。

「お願い……危険なことしないで……きっとすぐ助けも来るから……」

自分の身を案じてくれる彼女に、レイフォンは胸が痛くなるのを感じた。
だがそれでも、行かなくてはならない。このままでは、みんなが死ぬ。たとえ応援が来たとしても、ツェルニのレベルでは解決にはならない。いずれは同じことになる。
ここは、レイフォンが動くしかない。

「大丈夫だよ」

裾を掴む手のひらをはずし、レイフォンはメイシェンに向き直る。そして自らの左手でその手を優しく握り、右手はメイシェンの肩に置いた。
肩に手を置いたまま、優しい口調を意識しながら口を開き、言葉を紡ぐ。

「絶対に生きて帰るから。だから安心して。僕が、みんな守ってみせるから」

言って、安心させるように、できる限り明るく優しい笑みを浮かべて見せる。
それでも、メイシェンはいやいやをするように首を振る。近しい人間を失うことへの恐怖からか、その体は震えている。肩に置いた手からも、その震えが伝わってくる。

レイフォンは着ていた上着を脱ぎ、メイシェンの肩から羽織らせた。
再び怪訝な顔をするメイシェンに、優しく、それでいて軽い調子で話しかける。

「悪いんだけど、これ預かっててもらえる? 外に出たら多分汚れると思うんだけど、代えがないからそれは困るんだよね。僕が戻ってくるまでの間預かってくれると助かるんだけど」

これから命懸けの戦場に向かおうというのに、あまりにも軽い言葉。自分が死ぬ可能性など微塵も考えてはいないのではないかと思わせるほど、その声は普段と変わりなかった。
まるで、ちょっと外に出かけてくると言っているような、そんな何気ない調子で。
まるで、戻ってくることが当然であるかのように自然な声で。

「約束する。必ず帰ってくる。だから、僕を信じて」

掛けた上着の上からメイシェンの両肩に手を置き、まっすぐに目を見て言う。メイシェンは、呆然としたようにレイフォンを見上げる。

「じゃ、行ってきます」

少しだけ冗談めかして出発の挨拶を告げる。

そしてメイシェンに背を向け、シェルターの出入口へと向かった。

メイシェンは一瞬引き留めようと手を伸ばしかけたものの、思い直したように手を降ろした。
そして肩に掛けられたレイフォンの服を握りしめながら、離れていくレイフォンの背中を心配そうに見送った。













「待ってください」

シェルターの出口に向かって通路を歩いていると、後ろから声がかかった。
振り向くと、先程の念威繰者の少年がレイフォンの後を付いてきていた。

「僕も行きます。手伝わせてください」

顔を若干青ざめさせながらも、はっきりとした口調で言う。

「錬金鋼が無いので戦闘中の補助まではできませんが、索敵くらいならできます」

「……汚染獣はかなり危険なんだけど……わかってる?」

「もちろんです。念威で見ていましたから」

少年は即答する。
レイフォンはほんのわずかに思案するが、すぐに頷いた。
彼は己の意思で戦場に向かおうとしている。ならば身を案じる必要も思い直させる必要も無い。
危険だとわかっていても何かがしたいのだろう。

「わかった。行こう」

言って、踵を返し出口を目指す。
少年は黙って付いてきた。





















司令部は揉めていた。差し迫った事態にどう対処するかでだ。
役員や幹部たちはそれぞれ自分の意見を述べていくが、どれも打開策としては不十分だ。
かといって何もしないままでは、大勢の生徒を見殺しにすることになる。

ただ無為に時間は過ぎていく。
そして時間がたてばたつほど、汚染獣は生徒たちのいるシェルターへと近づいて行く。

「仕方ない。ここは、負傷して一旦後方に退がった者たちの中から、比較的軽傷の者を選んで討伐隊を編成するしかあるまい」

カリアンがそう結論付けた。
はっきり言って苦渋の選択だ。確実性の無い、危険な作戦といえる。この作戦の結果、武芸科生徒にさらなる被害が出かねない。
しかし他に良案は思いつかない。

「ヴァンゼ、後方の医療科のテントにいる武芸科生徒の中から、動ける者を……」

と、そこまで言った時、司令部にいた第一小隊の念威操者が声を上げた。

「えっ? 嘘?」

それを聞き、ヴァンゼが焦りを浮かべていた顔を怪訝そうにする。

「どうした?」

彼女はもともと戦場全体の通信の統括を任されており、前線からの情報を司令部に伝えたり、司令部からの指示を各戦域にいる部隊に伝える仕事をしていたのだが、汚染獣が都市内に入り込んだために、その汚染獣たちの捕捉も行っていたのだ。

「都市内に入り込んだ汚染獣たちの生命反応が、次々と消えていきます」

「何っ!?」

突然もたらされた情報に、ヴァンゼだけでなくその場にいた者たちすべてが驚きに固まる。

「どういうことかね?」

「視認状態にしていなかったので詳しくは分かりません。ただ、おそらくは誰かが汚染獣たちと戦っているのではないかと」

カリアンの問いに、躊躇うように報告する。念威で拾った情報を自分でも信じられないのだろう。
だがカリアンには、一つの予感があった。予感というより、他に考えられなかった。

その時、司令部に1つの念威端子が入り込んできた。













あとがき

長かった。自分で書いておきながら「レイフォン、お前悩みすぎなんだよ!」と言いたくなってしまいました。結局戦闘パート入らないし。
レイフォンの葛藤シーンは、なかなか納得いかず何度も書き直したので大変でした。ホント、ここ書き終えるだけでどれだけ時間かかったか。心理描写って大変です。

とはいえ、レイフォンは悩みまくる割に決断すればまっすぐなので、今後はレイフォンの心理描写は減っていくと思いますけど。代わりにバトルパートを増やしていきたいです。


レイフォンの性格には、作者の好きなマンガ「サイレン」の主人公、夜科アゲハの影響があります。彼は、なんだかんだで殺人行為を忌避し避けようとする少年ジャンプの主人公の中で、数少ない己の意思で人を殺そうとする人物です。
「大切なものを守るためなら、己の手がどれほど汚れようとかまわない」という考え方は、彼と重なるところがあります。
「“守る”だの“救う”だの叫んで、何もしない奴よりは、手を汚せるだけいくらかマシだ」という敵キャラの台詞には強く共感しました。


さて、次回はやっとレイフォン参戦です。いちおうここで一巻分が終了する予定。
文字でどこまで伝わるのかわかりませんが、迫力のあるバトルが書ければいいなと思います。


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