生徒会長室で、カリアンは1人、思案に暮れていた。
目の前には、1人の生徒に関する調査結果がある。
レイフォン・アルセイフの人となりを知るために、彼がツェルニに来てからの普段の様子や生活態度などを、さまざまなツテを使って調べていたのだ。
「ふむ、やはり最初に予想していた人物像とはかなり異なるようだね」
カリアンは他に誰もいない部屋で独りごちる。
調査によれば、レイフォン・アルセイフは基本的に善良な人物であるらしい。
人付き合いが苦手であまり社交的とは言えないが、話し方や普段の態度はやわらかく優しげで、人当たりは良いという。
また、性格的に押しが弱く、頼まれたことをあまりイヤとは言えないタイプであるとか。
しかしこれらは、カリアンの知る彼のグレンダンでの様子とは大いに異なるように思う。
己の目的のためならば手段を選ばず、自らの手を汚すことすらも厭わない。それでいて、金銭にとても強い執着があり、金のためならどんなことでもする。
それがグレンダン時代の彼の行動から与えられる印象だ。
だが実際には、その人物像から随分とかけ離れている。性格もそうだが、それだけではない。
彼はさほど金銭に執着していないのだ。
カリアンの調べた限り、彼はお金の使い方に対して、とても質素だという話だ
彼は今、機関掃除のバイトだけでなく、さまざまなバイトを掛け持ちしているらしい。そのおかげで、仕送りが無くともそれなりの生活を送れるはずである。
にもかかわらず、私服はいつもくたびれた古着ばかり着ており、食事もできる限り安く済ませようとする。
若者向けの娯楽や遊興施設などにも興味はなく、遊びに金を使うこともない。
クラスには仲のいい女生徒が何人かいるそうだが、女遊びが派手なわけでもないし、貢いでいるわけでもない。
稼いだバイト代は、学費と生活費以外はほとんど貯金しているとか。
やたらと働いてバイトに精を出しているところなどは金銭に執着しているようにも見えるが、稼いだ金をほとんど使っていないので、なぜグレンダンであれほど金を稼ぐことに固執したのかがわからない。
それに本当に金が欲しいのならば、素直にカリアンの提案を受け入れているはずである。
これだけの情報では、彼の真実の姿は見えてこない。
とはいえ、わかったことはある。
彼は人に頼まれると断れない性格だという。クラスでは、周囲からお人好しとみなされているらしい。
にもかかわらず、カリアンの申し出には頑として首を縦に振らなかった。つまりはそれだけ、武芸に何らかの強い感情があるということではないだろうか。
それは彼が故郷で犯した罪に対するものなのか、それとも他に何かがあったのか。
そしてもう一つ。彼はグレンダンにいた時、確かに金銭に執着していた。金のために、法を破り罪まで犯した。
それは何故なのか……。何が彼をそこまで金に執着させたのか。
そして、それほど固執していたにも関わらず、何故今は金銭に執着しないのか。
彼にとっての、戦う理由とは何なのか。
それを知ることさえできたら、彼を武芸に向かわせることができるかもしれない。
と、そこまで考えて、少しだけカリアンの視線から力が失われた。
(残酷かな……私は……)
カリアンは、おそらくは彼が他者から触れられたくないと思っているであろう過去を掘り出そうとしている。
そして彼を無理やりに望まぬ道へと押し込めようとしている。
全ては己の目的を果たさんがために。
そこに罪悪感が無いと言えば嘘になる。
レイフォンだけではない。妹にも、できるならば望むとおりの生き方をさせてやりたい。
だが、状況がそれを許さない。この都市を守るためには、何としても2人の協力が必要なのだ。
2年前の敗北を繰り返さぬために。
(たとえどれほど残酷な仕打ちであろうと、私はツェルニを……)
守る。そしてそのためには、手段を選ばない。
どれほど汚れた剣であろうと、それを振るおう。
どれほど邪悪な者であろうと、その手を借りよう。
たとえ恥知らずと罵られようと、卑怯者と責められようと。
ありとあらゆる手段を持ってツェルニを守る。
再びカリアンの目に力が戻る。あらためて、気持ちを入れ替える。
カリアンは今後についてさらなる思案に暮れていった。
周囲では騒々しい音が常に響いている。工事の音だ。
ここら一帯では、ひっきりなしに建物が建てられたり壊されたりしている。
「おい君、それはこっちに運んでくれるか?」
「あ、はい。わかりました」
言われ、レイフォンは肩に担いだ建材の束をそこまで運ぶ。
ここは建築科の建設実習区域である。レイフォンはそこで、バイトとして休日の朝から建材の運搬を行っていた。
山のように建材が積み上げてある一角から、建物を建設中の現場まで運ぶ仕事だ。力仕事であり、かなりの重労働だ。
一般人では、余程体力があっても運べなさそうな多数の建材を、レイフォンは一人で担いでいる。もう何往復もしているというのに、まるで息が切れていない。多少汗をかいているくらいで、さほど疲れているようには見えなかった。
現場まで着くと、レイフォンは肩から建材を丁寧に下ろす。
着ている作業着の袖で額の汗を拭き、再び次を持ってこようとその場を離れようとする。
「待った。一旦休憩だ。そろそろ昼だしな。弁当が配達されて来るから、一息つこう」
声をかけてきたのは、この現場を取り仕切る建築科の生徒だ。実質ここの責任者ではあるが、まだ4年生だ。名前は確かストラットと名乗っていた。
それぞれ作業をしていた者たちも手を止め、配達されてきた弁当を受け取る。
みなで近くの建材に腰掛け、弁当を食べ始めた。
「しっかし、君が来てくれて助かったよ。お陰で費用も時間も随分浮いた」
ストラットがレイフォンに向かって言う。
レイフォンのクラスメイトに彼と同じ都市出身の生徒がおり、そのクラスメイトの紹介でこのバイトを知ったのだ。レイフォンが一般教養科でありながら実は武芸者であるということは、入学式の一件のせいで多くの人が知っているし、クラスメイトなら全員が知っている。
「ああ、そうだな。お陰で運搬用の機械を借りずに済んだ。ホント、助かるよ」
「はあ、どうも」
他の建築科の上級生も言う。
本来なら運搬用の機械を機械科から借りてきて建材の運搬をするのだが、それには金がかかる。リーダーが建築科に入ったばかりの4年生である彼らのチームでは、その出費は痛い。かといって、人力で運搬しては時間がかかる。あまり時間をかけていては工事を打ち切られかねないので、それは避けたい。
そこで、一般人をはるかに凌駕する膂力、体力を持つ武芸者の出番というわけだ。
だがそこで問題なのは、武芸者は基本的にプライドが高く、あまりこういった雑用染みたことや泥臭い仕事を好まないことだ。人員を募集しても、なかなか集まらない。
そこで、ちょうどいろんなバイトに手を出していたレイフォンに声がかかったのだ。レイフォンは基本的に仕事を選り好みせず、それでいて体力があり、力仕事に向いている。
実際、何時間も重労働をしていたにもかかわらず、未だ平然とした顔をしている。顔に出ていないだけかもしれないが。
レイフォンも、武芸者であることはすでに知られているので、さほど力を出し惜しみすることもせず多数の建材をいっぺんに運んだりしていた。
最初こそ、何故一般教養科に入ったかなどと訊かれたが、一度それに答え辛そうな態度をとってしまって以来、再度質問されることは無かった。
ここのメンバーは皆が皆、なかなか気のいい者たちばかりらしい。レイフォンの、並の武芸科生徒を遥かに上回るのではないかと思わせるほどの膂力や体力を目にしても、彼らは何も問わない。
「どうかな? これからも建設実習がある時はちょくちょく仕事頼みたいんだけど」
「機関掃除とかもしてますから、協力できるかわかりませんけど、他のバイトと被らない範囲でなら構いませんよ」
「そうか、助かるよ。しかし、君もすごいな。機関掃除は都市でも一番辛い仕事の1つだっていうのに、他のバイトにも手を出すなんて。よく体が持つもんだ」
「掃除とか、単純作業は慣れてますから。体力にも自身ありますし。……というか他に取り柄がないんですけど」
「いやいや……」
談笑しながら、弁当を食べる。
労働をして、仲間と一緒に昼を食べて、再び働く。美味い弁当は疲労した体によく沁みる。
こういうのもいいな、とレイフォンは思った。
休憩が終わると、それぞれ持ち場に戻って仕事を再開した。レイフォンも建材置き場に向かう。
今日は建材運び以外にも、地面を掘ったり、逆に均したりもした。
仕事が終わったのは夕方だった。
「今日はお疲れさん。給料は後で振り込んどくから」
「どうも。ではまた」
仕事仲間たちと別れ、帰路に着く。
歩きながら、明日も休日なので一日中寝ようかなどと考えていると、見覚えのある人影が見えた。
「ニーナ先輩?」
「む?」
こちらの声に、ニーナが反応する。
「レイフォンではないか。どうしたんだ? こんなところで」
「僕はバイトで…。というか先輩こそどうしたんですか?」
「どうしたも何も、私の寮はこの近くだからな」
「え?」
このあたりは建築科の実習区域で、ほとんどの建物は建てられては壊されているはずだが。
「私が住んでいるのはいわゆる記念寮でな。設計者が故郷でかなり有名な建築デザイナーになったそうだ。だから、本来なら壊されるはずだったのだが記念に残すことにしたらしい」
「へえ…」
「広くて内装も豪華だが、なにより家賃が安い。ただ、校舎から遠いうえに騒音がひどくてな。人気は今一つだが…」
「ああ、成程」
確かに、この辺はひっきりなしに工事の音が聞こえていて、あまり快適とはいえない。それに近くにほとんど商店も無く、遊べるような施設も無い。若者が好む様な場所ではないのかもしれない。
とはいえ家賃が安いというのは、貧乏人であるというニーナにとっては好条件なのだろう。若者向けの遊興施設などにも、彼女はあまり興味なさそうだ。
「お前の方はバイトと言ったな。何をしてたんだ?」
「建築実習の手伝いですよ。建材を運んだりとか、諸々。要は力仕事ですね」
「そうか。機関掃除もしているというのに、大変そうだな」
ふと、ニーナが時計を見る。
「おっと、そろそろ帰らねばな。お前も仕事のしすぎで体を壊すなよ」
言って、歩き出す。
まっすぐ歩くその背中に、「そういえば」とレイフォンは声をかけた。
「この間の試合、初勝利おめでとうございます」
「む、見に来てたのか。ありがとう」
ニーナが振り返って礼を述べる。
「まあ試合結果はともかく、隊の実力自体はまだまだだがな。これからも精進するつもりだ」
「そうですか。先輩も、無理しないでくださいね」
「ああ、わかっているさ」
そこで、ニーナは力強く微笑む。
「ツェルニは、私が守って見せる」
その言葉と瞳に宿った力強さに、レイフォンは眩しい物を見るように目を細める。
己の信念を、これほどまでに迷いなく、純粋に口にできる者がいるだろうか。
ではな、とニーナは再び背を向けて去っていく。
その迷いのない背中を、レイフォンは眩しそうに見つめていた。
家に帰り、夕飯も食べ終わり、シャワーも浴びたので、することもなくベッドで仰向けになりながら天井を見つめる。
ツェルニに来てからの、これまでのことを考えてみる。
今のところ、うまくいっていると思う。最初こそ躓いたけれど、現時点では割と良い線いっているのではないだろうかと思う。
友達もできたし、自分で生計も立てている。勉強は今一つだけど、なんとか付いていけている。
全てが全てうまくいっている訳ではないが、取り立てて問題も無く過ごせている。
だが、これでいいのか?
何度もそう考えることがある。
考えるたびに、答えを出せず諦める。
うまくいっている。問題は無い。
だが、それだけだ。何かが大きく進展したわけではない。
未だに自分の夢も目標も見つけられていない。武芸以外の道、戦い以外の生き方を。
それでいいのか。いいとは思えない。
まだ1年目だし。そう自分に言い訳することはできる。
だが、誰よりも自分自身がそれに納得できない。このままではいつまで経っても先へ進めない。そんな気がする。
自分の中に常に焦りがあるのも事実だ。少しでも早く先へ進みたい。
……いや、違う。
おそらく自分は、未だに迷っているのだ。武芸を捨てることを。それ以外の道を選ぶことを。
メイシェン達にはいかにも未練は無いように言ったけれど、本心では武芸を捨て切れていないのだ。
何年もの間、己と共にあったものを、そう簡単に捨てられるはずが無い。
だからこそ、焦りがあるのだ。
自分の中の迷いを断ち切らなければ。そう考えてしまう。
新たな何かを見つけることで、己の過去を、迷いを捨てたいのだ。いつまでも迷いを持っていては、一生何もできないような、そんな気分に陥りそうになる。
だからこそ、自分の中の気持ちに、早くけりをつけたい。
それはレイフォンにとって、強迫観念のように重くのしかかる感情だ。
何かがしたい。何かを見つけたい。常にそう思っている。
職種の統一性も無く、さまざまなバイトに手を出しているのもそのためだ。
何かを成したことを、自分自身で確認したい。
先へ進めたと、自身で感じたい。
「友達ができたのは嬉しいけど……」
他に誰もいない部屋で、独りごちる。
進展があったとすれば、それくらいか。
友達。
今のレイフォンにとって、失いたくないと願うものだ。
自分にとっての、大切な存在。愛する人たち。
グレンダンで、1度は失ったもの。
ツェルニに来て、再び手に入れたもの。
そして二度と、失いたくないと思うものだ。
だからこそ、武芸は捨てなければならない。
武芸を続ければ、再び失うかもしれないから。
グレンダンでそうなったように、みんな自分から離れていってしまうかもしれないからだ。
過ぎた力が、自らにとって分不相応な力が、人を傷つけ、苦しめ、そして多くの人を悲しませた。
自分の大切な人をも、悲しませてしまった。失望させてしまった。
己のしたことに後悔は無かった。あのときは、どうしてもそうする必要があったのだ。
だが、彼らが自分から離れていったとき、とても悲しかった。こんなこと、もう嫌だと思った。
大切な人たちに憎まれることが、辛かった。
そして戦うことが、武芸を続けることが、とても馬鹿馬鹿しくなった。
彼らを恨む気は無い。憎む気も無い。今でも彼らを愛していると、心から言える。
だがそれでも、戦う気にはなれない。
レイフォンが戦えば、また同じことになるかもしれない。
武芸を続ける限り、その可能性は付いて回るものだ。
レイフォンが強者である以上、再び起こりえることだ。
戦う理由が無い。だから戦わない。それも確かにレイフォンの本音だ。
だがそれと同時に、自分はもう戦うべきではないとも思う。同じ失敗を繰り返さぬためにも。
すでに戦う必要性は失われてしまったのだ。それなのに、わざわざ再度の失敗を恐れながら再び武芸を続けることに意味は無い。
だからこそ、他の何かを探さなければならない。そう、思う。
「とりあえず……何か趣味でも作ろうかな……」
必要最低限の家具以外何も無い、がらんとした部屋を見渡して、レイフォンは呟いた。
(ミィフィに相談してみようかな)
そんなことを思いながら、瞼を閉じる。
眠りはすぐに訪れた。
「そういやレイとん今日もバイトだったんだって。休日なのによくやるよね~」
椅子に逆向きに座ったミィフィが、ふと思い出したように言った。
「何か欲しいものでもあるのかな? いろんなバイトをいくつも掛け持ちしてるらしいし」
その言葉に、同じ部屋にいたナルキも反応する。
ここはとある女子寮の一室だ。ルームシェアが条件の、3LDKの部屋である。
同じ都市出身であり幼馴染でもあるメイシェンとナルキとミィフィは、この部屋に3人一緒に住んでいた。
今は3人そろって一つの部屋に集まり、駄弁っていたところだ。
「あんまりそういうことに興味なさそうだけどね~」
ミィフィの言葉に、ベッドに座るメイシェンも心中で同意する。
メイシェンの知る限り、レイフォンにはそういった人並の欲求があまりないようなのだ。これといった趣味も聞いたことが無い。
だからこそ、躍起になってお金を稼ごうとする理由が分からないのだが。
「それとも彼女でもできたのかな? その彼女がお金のかかるタイプだとか」
「え……」
ミィフィのセリフに、メイシェンは凍りつく。まさか、そんな……。
「あ、嘘ウソ! 冗談だから! 本気にしないでメイっち! 大丈夫! レイとんにそんな人いないよ」
つい想像してしまい、メイシェンの目にうっすらと涙が浮かぶ。慌てて慰めるミィフィに、ナルキが呆れて溜息を吐いた。
しかし、安心はできない。メイシェンが見る限り、レイフォンは他の女の子からモテていてもおかしくないからだ。
顔立ちは整っているし、性格もおだやかで優しい。
それに、とても強い武芸者だということで話題にもなっている。入学式の一件では、多くの1年生がその場を見ていた。
さらにはこの間の公園での騒動だ。あの時、公園に人気はほとんど無かったが、騒ぎを聞きつけて来た野次馬がいなかったわけではない。
本人の前でこそしないが、色々と噂が飛び交っているらしいし、周囲からの関心も多く集まっている。
(もしその興味が好意に転じたら……。)
そう考えると、不安で仕方なくなる。
それにレイフォンは性格的に押しが弱い。もしも、気の強い女の子に迫られたりしたら、そのまま流されるようにして付き合ってしまうかもしれない。
そんなのはイヤだ。そうなる前に、自分がもっと距離を縮めておきたいと思う。
しかし、どうすればいいかわからない。
今まで恋愛など経験したことのないメイシェンは、心中で苦悩する。
あまりにも不安そうにしているメイシェンを見て、ミィフィは内心驚いた。
(レイとんのこと、本気で好きになっちゃったんだなぁ……)
入学式の一件から、メイシェンがレイフォンに並々ならぬ関心を持っていたのも、彼のことを憎からず思っていたのも気付いていたが、ここまで本気とは思わなかった。
もちろん気付いていたからこそ、メイシェンとレイフォンの間を取り持って仲良くなるように仕向けたのだが。
ミィフィやナルキにしてみれば、今まで2人以外の人間関係を拒絶するように怖れていたメイシェンが他の人間、それも異性に興味を持つなんて思ったことも無かった。だが、この様子を見る限りでは、もはや完全にレイフォンに熱を上げているようだ。そしてすでに、そんな自分の感情を自覚している。レイフォンと仲良くなりたいと望んでいる。
だからこそミィフィは、それが嬉しくて、よろこんで彼女の恋に協力したいと思う。
(メイっちのせっかくの初恋だもんね。絶対成就させなきゃ!)
と、ミィフィは心の中で決意する。大切な幼馴染には、幸せになってもらいたい。
(結構面白くなりそうだしね)
………若干邪悪な感情も抱いているが。
「よし、それじゃあレイとんにメイっちの可愛さアピールといきますか」
「え?」
突然のミィフィの発言に、メイシェンは再び動きを止める。
「な~に。このミィちゃんに任せておきなさいって! ちゃあんとレイとんとメイっちの仲を取り持ってあげるから」
ミィフィは胸を張って請け負う。
「……あんまり無茶なことはするなよ」
「ダーイジョブ、ダイジョブ! 無茶なんて一切しないって」
ナルキの忠告にも適当に答える。ナルキは不信感の滲む顔つきをする。
「えっと…何するつもりなの?」
「それはその時のお楽しみってヤツで♪」
ニヤニヤ笑いを浮かべたミィフィに不安になるメイシェンだった。
「そういえば、何だかんだで訊きそびれてたけど、この間のデートは上手くいったの?」
そろそろ解散して寝るか、というところでミィフィがメイシェンに訊ねる。
「え?…えっと…」
「夕方まで2人っきりで色々と回ってたんだよね? 何か進展あった? それに病院でも密室に2人っきりだったし」
「へ、変な言い方しないで……」
好奇心というか野次馬根性をみなぎらせながらミィフィが詰め寄ってくる。それに対し、メイシェンは色々思い出して真っ赤になりながら必死に懇願する。
思い出す。2人でいろんなお店を回ったこと。いろんな話をしたこと。レイフォンが、メイシェンに気を遣って髪留めを買ってくれたこと。
どれもそれほど特別なことではないのかもしれないが、異性と接した経験のほとんど無いメイシェンにとっては、どれもが新鮮で、かつ気恥ずかしい体験だった。
思い出すだけで、顔が赤らむ。
それに都市外から来た犯罪者たちに襲われた時、助けてくれた。
あの時のレイフォンは、とてもかっこよかった。それまで感じていた恐怖が、吹き飛んでしまうほど。
そして病室でした会話。
メイシェンを大切だと、失いたくないと言ってくれた。
メイシェンのために戦ったのだと、それを後悔などしていないと言ってくれた。
それがとても、嬉しかった。
そして……そして病院で見たレイフォンを思い出す。
ちょうど治療を終えたところで、上半身に何も纏っていない時の姿。
あの時はそれどころではなかったため、あまり意識しなかったが、今になって思い出すと、いろいろと込み上げてくるものがある。
痩せてはいるが、貧弱さをまるで感じさせない、鍛えられた体。
贅肉のない、一切の無駄をそぎ落としたような筋肉。
手足の均整のとれた、バランスのいい肢体。
思い出した途端、恥ずかしさに顔中が真っ赤に染まる。
「あうぅ……」
「やっぱり何かあったんだ! 何々!? 何があったの!?」
それを見て何を思ったのか、ミィフィはより勢い込んで訊いてくる。
その夜は、ミィフィが眠気に負けるまで延々と質問攻めにされた。
数日後。
随分と日が傾き、空が赤みを帯び始めている。昼と夕方の境目くらいの時刻。
「レイとん~。バイト終わってこの後暇でしょ? せっかくだからこれからお茶しようよ」
レイフォンがとある商店での商品の搬入のバイトを終え、店から出て帰ろうとしていると、後ろから声がかかった。
振り向くと、案の定ミィフィがいた。
「ミィ? どうしてここに?」
「今日はここでバイトだって聞いてたからね。そろそろ終わったころだと思って」
この仕事を紹介してくれたのは彼女なので、知っていても不思議ではない。
見ると、ミィフィの隣にはナルキもいる。
「お茶ってどこで? というかメイシェンは? 見当たらないけど」
「メイっちはまだバイト中。心配しなくてもあとで合流するから。とりあえず行こう。すぐそこの喫茶店だから」
言って、ミィフィは率先して歩き始める。彼女たちと知り合ってから、すでに何度か同じような経験はしているので、とくに警戒することも無く付いて行く。
「いや~それにしても、レイとんって一体いくつバイトしてるわけ? ほとんど毎日働いてない?」
「いや、毎日って訳じゃないけど……働けるうちにできるだけ働いて貯蓄しておきたいんだよね。今後何があるか分からないし」
もしもお金に困った時、あの生徒会長に頼る羽目になったらどうなるかわからない。だからこそ、今の内に稼げるだけ稼いでおく。体力だけが取り柄だし。
こういう時だけは、自分の武芸者としての力に感謝したくなる。
「ナッキもそうだけど、みんな働き過ぎじゃない? 体壊すよ?」
「心配いらないよ。これでも自分の身体のことは自分でわかってるから」
「あたしも心配ない。自己管理はできてるからな」
話しつつ、歩いていた通りの角の喫茶店に入る。
この店はケーキが売りのようで、店内の大きなショーケースにさまざまなケーキが並んでいる。
3人で窓際の席に座り、メニューを開く。
メニューには、目移りしそうなほど多くの種類のケーキが載っている。
その中から、レイフォンはビターなチョコケーキとコーヒーを選ぶ。
ミィフィとナルキも決まったので、注文を頼もうとする。
鈴を鳴らすと、奥からウェイトレスが出てきて、こちらに近づいてきた。
「ご注文はお決まりで……って、え? うそ? なんで?」
「え?」
「ん?」
「おっと」
レイフォンが驚き、ナルキもそれに気づく。ミィフィは楽しそうに口元を緩ませる。
注文を取りに来たのはメイシェンだった。
3人を目にしたメイシェンは、あからさまに顔を青くし、硬直する。
次に顔を赤くし、恥ずかしそうに震えだした。
「な、なんで……みんながここに……?」
「なんでって、ケーキ食べに来たに決まってるじゃん♪ ささ、早く注文とって」
「う、うぅ……」
メイシェンは小動物のように震えながら、恨めしそうな目でミィフィを見る。
それから仕方なく、注文を取り始めた。
「メイはここで働いてるの?」
「そ。ケーキが美味しいお店らしくてね。ここでケーキ作りの勉強をしてるんだって」
メイシェンが奥に入って行くのを見送ってから、レイフォンはミィフィに訊ねた。
ミィフィの答えに、へぇ、とレイフォンは相槌を打つ。
「で、さっきのは?」
「うん。メイっちの仕事っぷりを見学してやろうっていう嫌がらせ企画」
「嫌がらせって……」
「あのメイっちがウェイトレスしてるとこなんて想像もつかなかったからね。バイトしてるとこ見られるの恥ずかしかったみたいだから、これはもう見に行かなくちゃって思って。で、せっかくだからレイとんも誘ってみたわけ。眼福だったでしょ?」
成程。恥ずかしがるメイシェンを見て楽しもうという魂胆だったのか。だからメイシェンには内緒で来たわけだ。おまけにメイシェンがより恥ずかしがるように男であるレイフォンまで巻き込んだと。
悪だくみをするミィフィの顔は、生き生きとしていて、実に楽しそうだ。
レイフォンは呆れて溜息を吐く。
「ま、それだけじゃなくて、メイっちがちゃんと人と接する仕事できてるのか心配だったからでもあるんだけどね。だから、ナッキと様子を見に行こうって」
ミィフィの話し方を見る限り、それも本心なのだろう。やや疑わしいが。
「あの子に積極性が出てきたのは良い傾向だと思うしな。少し寂しくも感じるけど」
ナルキも苦笑しつつ同意する。
「……3人って、結構古い知り合い?」
「だね、ちっちゃーい頃からのご近所付き合いだよね」
「親同士の付き合いの延長だな。生まれた頃からだ」
「……それはすごいな」
よくもまあ、15年間もこれほど良好な関係が続いたものだと感心する。
「よく一緒にここまで来たね」
「まあね。知らない場所でも3人いれば寂しくないかなって。うちの親達もそれで納得してくれたんだ」
「へぇ」
話していると、ケーキが運ばれてきた。ケーキを運んできたのは、またもやメイシェンだ。
未だに緊張で震えながらも、それぞれの前に皿を並べていく。
「あれ? 1つ多いよ?」
ミィフィが疑問の声を上げる。テーブルには4種類のケーキが並んでいた。
「あ、店長が…今暇だから、わたしも休んでいていいって……」
自分の姿を見られるのが恥ずかしいのか、メイシェンはトレイで赤くなった顔を半ば隠すように覆っている。
びくびくしながら、彼女も同じテーブルの空いた席に座った。「はぁ…」と溜息をつき、ミィフィを恨みがましい目で見る。
「うぅ……ひどい、ミィちゃん。いきなり来るなんて……」
「いいじゃん、いいじゃん。減るもんじゃなし。それに可愛いし」
「確かにな。見ていて悔しくなってくるぞ。あたしではそんな格好できないというのに」
ナルキは実際に悔しそうだ。確かに、可愛いというより格好いいといった趣のある彼女の容姿には、メイシェンの着ているメイド風のウェイトレス衣装のような服は似合いそうにない。
「ねっ、レイとんもそう思うでしょ? メイっちのウェイトレス姿、可愛いよね?」
「うあ?」
いきなり話を振られ答えに詰まるも、自分の正直な感想を口にする。
「まあ、特別その衣装が可愛いとは思わないけど、確かにウェイトレス服を着たメイシェンは可愛いよね。すごく似合ってるし」
実際、トレイに顔を隠すようにして恥ずかしがっているメイシェンの姿は、まるで愛玩用の小動物のようでもあり、とても可愛らしいと思った。
脅えるようなその様子に、ちょっと申し訳なくも思ったが。
レイフォンの言葉に、メイシェンは耳まで赤くなり、俯いてしまう。ナルキは意外そうな顔をしながらもやや楽しげに見える。ミィフィは、「ほほーう」と、いかにも面白いネタを見つけたと言わんばかりの顔を浮かべる。
……正直に答えすぎたかな? レイフォンとしては、自分に制服マニアの気は無いという意味で言ったのだが。
「可愛いってさ。よかったね~、メイっち。高感度アップだよ~」
「ミィちゃん、怒るよ」
メイシェンが赤い顔で頬を膨らませる。
あははは~とミィフィが笑い声を上げる。
「それで? どうなのメイっち? ケーキの作り方、教えてもらえそう?」
「……まだ、あんまり厨房は任せてもらえない……。泡立てとか、生地づくりの手伝いはさせてもらえるけど……」
「やっぱりまだ、ケーキ丸ごと一個作らせてもらうのは難しいか~。調理実習の単位とってからだと考えると……半年後くらいになるのかな? それまではウェイトレスだね」
「うう……半年……」
メイシェンががっかりしたように肩を落とす。
「まぁ、お店的にはその方が売り上げ上がりそうだから助かるかもしれないけど。可愛い店員さんってそれだけで武器だし」
「……ミィちゃん……」
メイシェンが再び恨みがましそうにミィフィを見る。
「仕事大変そうだね、メイ」
レイフォンが、現状に不満そうなメイシェンの様子を見て言う。
声を掛けられて、メイシェンは若干慌てたようなそぶりを見せた。
「は、はい。……あ、け、けど…ここのケーキ、すごく美味しいんです。ここの味を知って、いつかこんなケーキが作れるようになりたいなって思ったから……だから、ここで働いてるんです。確かに、まだケーキ作れないのは残念ですけど、でも、ここで働けてすごくうれしいんです」
メイシェンが珍しく熱を込めて自分の気持ちを語っている。その姿は、いつになく生き生きとして見える。それくらい、ケーキ作りというものが、彼女にとって特別なものなのだろう。
当然だ。自分の夢の実現に繋がることなのだから。
「そっか……頑張ってね」
「は……はい」
メイシェンは顔を赤くしながらも、笑顔で頷いた。
ナルキとミィフィは、それぞれ微笑ましそうに、あるいは楽しそうにニヤニヤとその様子を眺めている。
と、そこでミィフィが口を開く。
「あ、ところでさ。今後の予定立てておきたいから、それぞれバイトとかの予定教えてもらえる?」
「ん? また遊びに行くの?」
「当然。これからどんどん忙しくなってくんだから、今の内にたっくさん遊んでおかないと」
「前もそんなこと言ってなかったか? お前は一体いつ忙しくなるんだ? 勉強は良いのか? 家で教科書開いてるところ見たことないが」
「うっ、い、いいから! 大丈夫! それよりほら! 予定教えて」
「まったく……」
呆れながらも、ナルキは自分の予定を述べていく。ただし、急に予定外の仕事が来る時もあるとも言っていた。
レイフォンとメイシェンも、それぞれ自分の予定について教えておく。
「オッケー。これをもとにして遊びの予定作っとくね」
ミィフィが満足した顔で言う。
それからは、他愛も無い話が続いた。
ミィフィがメイシェンをからかい、ナルキがそれを窘め、あるいはそれに乗り、メイシェンがそれに顔を赤くしたり頬を膨らませたりするのを、レイフォンは何とはなしに見ていた。
しばらくして、メイシェンが仕事に戻らなくてはならなくなり、この日は解散した。
店の前でミィフィとナルキと別れ、レイフォンは帰路に着く。
帰り道、1人で歩いていると、前方に見覚えのある後ろ姿が見えた。
「あれ……? フェリ先輩?」
つい声が出る。
すると、前方にいた人物が振り返った。
「……レイフォンさんですか。お久しぶりです」
「はあ、どうも……」
何となく既視感を感じる。
確か入学式の日も、メイシェン達3人と別れた後の帰り道でフェリと出会ったのだ。
特に話すことも無かったが、どの道方向は同じなので、そのまま連れだって歩く。
しばし、互いに無言で歩く。
と、唐突にフェリが口を開いた。
「……あれから……兄が何かしら接触してきませんでしたか?」
「いえ。あれ以来、特に何か言ってくることもありませんでしたけど」
「そうですか」
それだけ言って、また少し沈黙が続く。
そして再び口を開く。
「とはいえ、油断はしない方がいいでしょう。何も言ってこないということは、それだけ外堀を埋めるのに苦心している証拠です。何としてでも貴方の協力を取り付けるために、用意周到に準備している最中だと思われます」
「そうなんですか?」
「おそらくは」
それを聞いて、レイフォンはげんなりする。ここ最近は比較的楽しくて平和な時間が続いていたので、カリアンのことをすっかり忘れていた。このままでは、足元をすくわれかねない。
「忠告、ありがとうございます」
「いえ、当然のことです。これ以上、あの最低の兄の犠牲者を出すわけにはいきませんから」
その声には、兄に対する嫌悪と侮蔑が感じられた。フェリのカリアンに対する感情は、レイフォンがカリアンに抱く物よりも、随分と厳しい物のようだ。
「嫌いなんですか? お兄さんのこと」
「嫌いです。私を見てくれませんから」
冷たい声で言う。感情を感じさせない淡々とした声なのに、吐き捨てるような響きがあった。
「恨んですらいます。自分の目的を遂げるために、私の意思も都合も無視して、私の、自分で望んだわけでもない力を利用しようとする。そんな兄、好きになれるはずがありません。……昔は……あんな人ではなかったのに……」
淡々とした口調の中で、最後の方だけ、湿った様な、悲しむ様な響きがあった。
「あの人は、己の目的のためなら手段を選ばないような人です。今年の武芸大会に勝つためなら、どんな卑怯なことでもするでしょう。そんな人のために、私やあなたが何かしなければならないなんて、馬鹿げています」
フェリの声には、先程までのわずかな感情の残滓は感じられなかった。まるで感情を感じさせない口調で、自分の兄を糾弾する。
「少なくとも私は、あんな人のために武芸をするつもりはありません。兄が生徒会長である以上、その意思を無視して一般教養科に戻ることはできないでしょう。だから私は自分にできる範囲で抵抗しています。それに、したくもないことに全力を出すなんて、間違っています」
武芸で本気を出していないことを言っているのだろう。対抗試合を見た時、フェリはあえて手を抜いているようにレイフォンには見えた。それがフェリなりの、自分を不本意な道へと追いやる兄への意思表示なのだ。
「この学園にいる以上、私は兄から逃げることはできません。だとしたら後は、兄に私を諦めてもらうほかありませんから。戦いたくないのに結果を見せていたら、下手に期待させてしまいます」
あのカリアンが、手を抜いているだけで諦めてくれるとは思えない。
だが、たとえそれがほんのわずかな抵抗にしかならないとしても、根本的な解決にならないのだとしても、反発せずにはいれない。
無駄とわかっていても、抵抗してしまう。それだけ彼女は兄の仕打ちに怒りを感じているのだろう。
あるいは、すでに半ば諦めている中で、わずかな可能性にでも縋っていたいのか。
掛ける言葉が見つからず、しばらく沈黙が続く。
お互いに無言のまま、並んで歩く。
「では、とにかく気を付けてください」
分かれ道に差し掛かかったところで、フェリは口を開いた。
そしてレイフォンに背を向け、去って行く。
その後ろ姿を見送りながら、レイフォンは溜息をつき、再び自分の住む寮に向けて足を動かし始めた。
あとがき
ちょっと長くなりすぎたかな? どれも日常をメインにしたパートなので、1つにまとめたのですが。
いよいよ汚染獣戦か と予想していた方々、期待を裏切ってしまいすみません。作者的にどうしてもここでワンクッション入れておきたかったので。
汚染獣襲来は次になります。とはいえ、色々とエピソードを入れたいので、レイフォン参戦はさらにその次になりそうですけど。物語の前後で整合性を図るのって難しい。
とりあえずここで書きたかったのは、暗躍するカリアンとメイド風ウェイトレスのメイシェンですね。それと機関掃除以外のバイトをしているレイフォン。フェリとニーナも、汚染獣戦前に一度絡めておきたかった。
何かと心理描写が多くなるのは聖戦の影響かもしれません。おかげで文章が長くなる長くなる。
読んで下さりありがとうございました。今後も頑張りたいと思います。