レイフォンとメイシェンは、食堂を出たところでナルキやミィフィと別れて別行動となった。
多くの生徒は会場か、もしくはモニターのあるところに試合を見に行っているのだろう。人気の少ない通りを、2人で並んで歩く。
(さて、と。)
どうしたものかとレイフォンは考える。
はっきり言って、これからどうすればいいのか皆目見当がつかない。
女の子と2人きりで行動した経験なんて数えるくらいしかないし、それだってずっと幼いころであり、まだ異性を異性として意識するような年齢ではなかった。
おまけにメイシェンは人見知りで気弱なため、先程からずっと緊張しているのが伝わってきて、レイフォンもあまり落ち着かない。
「とりあえず……、メイはどこか行きたいところある?」
「う、ううん……わたしは…どこでも……」
いちおうメイシェンの意向を尊重しようと思って訊いてみたのだが、メイシェンは遠慮してか、レイフォンに判断を任せようとする。
少々困った。
女の子と2人きり。いわゆるデート。
しかしデートと言えばどこに行けばいいのか、レイフォンにそんな知識は無い。
(う~ん。どうすればいいんだろう)
正直、やりづらい。
レイフォンもメイシェンも、それほど社交的な方ではないし、あまり積極的な方でもない。
おまけに基本的に2人とも受身な性格であるため、どちらかが主導権を握るということもない。
とはいえ、お互いに遠慮してばかりでは何も進まない。
ここは男であるレイフォンの方が何とかするべきなのだろうと思い、デートと言えばどこだろうかと、いろいろと考えてみる。
カラオケ? いや、行ったことないうえに僕はあんまり歌は知らないし。
ゲームセンター? やっぱり行ったことないうえに、メイシェンもそういうのは苦手なイメージがある。
ボーリング? 彼女あまり運動は得意じゃなさそうな…。
頭の中に候補を挙げては自分で却下していく。
そもそも昔からあまり遊興施設などに縁が無かったうえに、今でもそれほど関心は無い。ゆえに、女の子と一緒ならどこに行けばいいのか、まったくもってわからない。
(仕方ない)
「それじゃあ、どこか甘いものでも食べに行こうか? さっきの食堂じゃデザートは食べなかったし」
女の子は甘いものが好きだろうし、彼女はお菓子作りが趣味なくらいだ。食べるのが嫌いということは無いだろう。
「う、うん。…いいよ」
「メイはどこかいいところ知ってる? 僕はあんまり知らないんだけど」
「えと、その、この辺だと……前にミィちゃんに教えてもらったお店が……」
言いながら、メイシェンはレイフォンを誘導していく。
メイシェンが選んだ店は、野戦グラウンドから比較的近いところにある繁華街の、入り口のそばの喫茶店だった。静かで落ち着いた雰囲気の、小規模な店だ。
すでに昼食時を過ぎており、人が試合会場に集まっているのもあって、店内は空いていた。
飲食店によっては店内にモニターが設置されており、試合の様子が見れるのだが、この店にはそういったものが無く、だからこそ人も集まらないのだろう、とても静かだ。
奥の方にある窓際の席を選び、向かい合って座る。
メイシェンはショートケーキと紅茶、レイフォンはチーズケーキとコーヒーを、それぞれ注文する。
「あの、えっと…今日は……つき合わせちゃってごめんなさい」
ケーキを待つ間、メイシェンが申し訳なさそうに言った。
「いや、いいよ。どうせ今日は暇だったし」
これくらい大したことは無いと、レイフォンは答える。
しかし、メイシェンはひたすら恐縮して、俯いている。
「でもわたし、レイとんに迷惑かけちゃってるし…」
つき合わせたことだけでなく、行く所などもこちら任せにしてしまったことを言っているのだろう。申し訳なさそうにする彼女に、レイフォンは気にしないようにという気持ちを込めて言う。
「そんな、迷惑だなんて思ってないから」
実際、何かとやりづらいし、困ってはいるが、それを迷惑だとは思っていない。
故郷でもあまり同年代の友達がいなかったレイフォンにとっても、こうして休日に友達と出かけるというのは、新鮮であると同時に、単純に楽しいとも思う。
そう説明すると、メイシェンも多少は気を緩めたようだ。
そこで飲み物とケーキが運ばれてきたので、2人してそちらに取り掛かる。
ケーキを食べながら雑談をしていると、自然、話題は先程の対抗試合へと移っていく。
「第十七小隊の試合、すごかったよね」
「そうだね。どっちも少人数だったのに、今日見た試合の中じゃ一番いい試合だったし」
「あ、そういえば……レイとんは残りの試合見なくてよかったんですか? わたしにつき合わせちゃったけど」
「ん? ああ、大丈夫だよ。別にそこまで見たいわけでもないから」
再び恐縮しそうになったので、慌てて否定する。
「あんまり、試合とか興味無いんですか?」
「うん、まあ。今日だって誘われたから来ただけで、そうでもなきゃ観に来なかったと思うし」
「…それは……武芸はもう……捨てたから?」
メイシェンが少々気まずそうに問う。
「いや、それとは関係ないんだけど…」
言いつつ、レイフォンは頭の中で言葉を探す。
「正直に言って、あまり見る意味が無いって言うか…グレンダンで、もっとすごい試合をたくさん見てきたからね。今更学生武芸者の試合をわざわざ自分から見ようとは思えないっていうか…」
要領を得ない言葉に、メイシェンが首を傾げる。
「つまり……レベルが低すぎて見る価値が無いってことですか?」
「うーん。極端に言っちゃうとそうなるのかな…。正直僕にとってこの都市の武芸者は、全員が全員、すごく生温く感じちゃうんだよね」
確かに、試合に出ていた武芸科の生徒たちはそれなりに強そうではあったが、それもあくまで学生武芸者としてはというレベルだ。熟練の武芸者と比べれば、はるかに未熟であるとわかる。
そして生温いのは何も実力だけの話ではない。その考え方もだ。
彼らは、おそらく全員が戦場というものを知らない。本当の命懸けの戦いというものを一度も経験したことがないのではないだろうか。
だからこそ、あんな試合に勝つことに必死になれる。
命の危険も無い試合に勝つことに一生懸命で、そのために訓練し、戦術を練り、作戦を立てる。
そして本番でも相手の命を気遣うような戦いをする。そんなものは戦場ではない。
彼らは本当の戦いも、本当の勝利も、それがどんなものであるか知らないのではないだろうか。
カリアンが言っていた学園都市同士の戦争そのものにも疑問を感じる。
武器には安全性が求められ、さまざまなルールが人を縛る。武芸大会とは、悲惨で過酷なはずの戦争を、死者の存在しない遊技へと変化させたものだ。
別に死者がいないことを悪いことだというつもりはない。むしろそれはいいことだと思う。被害は少ない方がいいに決まっている。
だが現実には、そんなことありえないはずなのだ。死者の存在せぬ戦場、そんなものがあるはずがない。
そしてそんなものに慣れてしまえば、いざ本当の、命懸けの戦場に立った時、まともに対応することはできないだろう。
そのうえ、多くの規則を定めて安全性を求めておきながら、都市間戦争の絶対条件は揺るがない。
すなわち、勝敗によって鉱山の取り合いが行われるということだ。人死には出ないくせに、都市の生き死にには関わってくる。
戦いに緊張感や悲壮感は無いくせに、そういったところだけは差し迫った気分を押しつけてくる。
それが疑問なのだ。
もっとも、これはレイフォンがカリアンにこの戦争を押しつけられそうになっているからこそ、それに対する抵抗からそう感じているのかもしれないが。
「やっぱり、レイとんはすごく強いんですね。 小隊員の人たちの試合でさえ低レベルに感じるくらいですし」
「あ、いや、それは……」
「あ、……ごめんなさい」
武芸を捨てたレイフォンが、強いと言われて喜ぶはずがないと思ったのだろう。答えに詰まるレイフォンに、気を悪くしたと思ったのか、慌ててメイシェンが謝ってくる。
「そんな、謝る必要はないよ。……うん。……そうだね。確かに、僕は武芸者としては強い方だよ。多分、小隊員の人たちにだって、そうそう負けないと思うし。
そもそも、この都市の武芸科の人たちって、僕から見たら武芸者ですらないんだよね。僕から見てっていうか、グレンダンの基準ではって意味だけど」
「……そうなんですか?」
「うん。なんていうか……グレンダンだと、武芸者でいるのはすごく大変なんだ」
「……大変…って?」
「知ってるかな? グレンダンは汚染獣との遭遇戦が異常に多いって」
「……うん」
「汚染獣と戦うことが多いだけに、グレンダンではそれだけ武芸者に質が求められるんだ。だから武芸者同士の交流試合もすごい多いし、小隊対抗戦みたいな、政府公認の汚染獣撃退要因を選定する試合もあるんだ。グレンダンだと、まずはその試合でいい成績を取って、政府から実力を認められて初めて武芸者として名乗ってもいいみたいな空気もあるから」
だからこそ、実戦経験も無く技量も未熟なのに堂々と武芸者を名乗るツェルニの武芸科生徒たちには違和感を感じる。
そのうえ武芸科の中には、武芸者であることを殊更強調し、実力を笠に着てやたらと偉そうな態度を取る輩もいて、はっきりいってバカバカしく思う。
「じゃあ、レイとんもその試合に出てたんですか?」
「うん。出てたよ」
そして、それだけではない。レイフォンはそのさらに上に進んでいた。
だがそれ以上は、話す勇気がない。
「……じゃあ、汚染獣と戦ったことも?」
「うん。あるよ」
あまりにも簡単に答えすぎたのか、メイシェンが驚いた表情のままで固まってしまった。
「……怖くなかったんですか?」
「え?」
「わたし、ツェルニに来る途中で、1度汚染獣を見ました。とても……とても怖かったです。遠くからだったけど、生まれて初めて本物の汚染獣を見て……もしかしたらここで死んじゃうかもしれないって思って……。人間があんなのと戦って勝てるわけがないって、そう思いました。
でも、レイとんはあんな怖ろしいものと戦ったんですよね? ……それって、怖くなかったんですか?」
レイフォンを傷つけるかもしれないと思ったのか、メイシェンはやや俯きながら、躊躇いがちに訊いてくる。
それに対しレイフォンは、少しだけ昔を思い出しながら、やや儚さのにじむ声で答える。
「……あのころは……戦う理由があったから…」
「え?」
「グレンダンにいたころは、どうしても戦う必要があった。戦わなくちゃ、もっと辛い思いをすることになるから。死の危険よりも、遥かに怖ろしいものがあったから……。だから、戦った。ひたすら、ひたすら戦った。恐怖なんて、感じる余裕なかった。戦っていて、怖いと感じたことなんて、なかった」
レイフォンは若干空虚な目をして、呟くように言葉を続ける。
メイシェンは、何も言えなくなったのか、黙ってレイフォンを見つめている。
実際、戦場で恐怖を感じたことは無い。
いや、もしかしたら初めて戦場に出た時などは感じていたのかもしれない。
だが、そんな感覚はとっくの昔に忘れてしまった。少なくとも覚えている限りでは、恐怖を感じた記憶は無い。
グレンダンでは、頻繁に汚染獣との戦闘が起こる。それだけ多くの戦場が生まれる。
そしてレイフォンは、幼いころから何度もその戦場に参加した。数えきれないくらい、汚染獣とも戦った。
度重なる戦いの中で、レイフォンのそういった感情は摩耗しきってしまったのかもしれない。
しかし、決して恐怖を感じることがないというわけではない。
むしろ何よりも怖ろしいものがあったからこそ、戦場に恐怖を感じなかったのだ。
レイフォンの意識が、過去へと沈んでいく。
次々と衰弱し、倒れていく子供たち。
ベッドの上で熱にうなされ、苦しそうにしながらレイフォンを見上げる瞳。
少しずつ熱を失い、冷たくなっていく身体。
それを見て、共に涙を流す者たち。
そして彼らのすすり泣く声……
「レイとん? レイとん!」
突然意識が現実に戻った。
ふと我に返って目を上げると、メイシェンが心配そうにこちらを見ていた。
「ん? あ、ああ。ごめん。ボーっとしてた。………そろそろお店出ようか? ケーキも食べ終わったし」
「う……うん」
2人ともすでにケーキの皿は空になっている。
メイシェンは余計なことを質問してしまったことに後悔しながら、気まずそうに、残った紅茶を喉に流し込んだ。
レイフォンとメイシェンは、喫茶店を出てから繁華街に入り、ウィンドウショッピングをすることにした。
さまざまな商店が立ち並ぶ通りを、2人並んで歩く。
今日は多くの生徒が対抗戦を見に行っているはずだが、繁華街であるこの通りは今もそれなりに人通りが多い。
大勢の人の中を歩きながら色々と見て回っていると、先程までの気まずさが薄れていくような気がした。レイフォンの表情にも、暗い影は残っていない。
繁華街には、出身都市では見たことがないような品物が数多く見られる。学園都市はその性質上、数多くの都市から人が集まり、その結果さまざまな文化が入り乱れている。そういった特徴は、このように多数の商店が並ぶ繁華街などでは特に顕著だ。
2人ともこの繁華街に来たのは初めてで、故郷では見たことのないものが数多く売られており、見ているだけで飽きさせない。
いろんな人とすれ違いながら、2人はショーウィンドウに並んだ商品を眺めて回ったり、食品店の試食をつまんだりしながら歩く。
それらの感想を言い合ったり、他愛無いことで談笑したりしていると、それだけで楽しい気分になってくる。
しばらく歩いてから、服飾品やら家庭用品やらが売っている、他より大型の店舗に入り、そこに飾られた多様な衣服を見て回る。
ふと、メイシェンが立ち止まった。その視線は、ある可愛らしいデザインのワンピースに注がれている。
なんとなくレイフォンも立ち止まり、彼女の様子を見守る。
メイシェンはしばらくその服を凝視し、何かしら迷うようなそぶりを見せた後小さく溜息をつき、それから未練の残る顔で渋々その場から離れる。
「買わなくていいの?」
いちおう訊いてみる。ファッションについてはよくわからないが、そんなレイフォンから見ても彼女に似合いそうな服だなと思ったのだ。
「うん……。まだバイト始めたばかりで、貯金少ないし……」
いかにも未練が滲む声色でメイシェンが言った。
「そっ…か…。じゃあ、また次に来たときに買おうか」
確かに、その服はなかなかいい物のようで、値段が結構高い。
本当ならば、少し出そうか? と言いたいところだが、あいにくとレイフォンもバイトを始めて間もなく、手持ちは少ない。
見るからに無念そうなメイシェンを連れてその場を離れる。
それから2人は装飾品売場に移動した。宝石を使った豪華なアクセサリー類から実用本位の簡素な装身具まで、さまざまな品が陳列棚に並んでいる。
2人でそれらを見て回るが、未だにメイシェンは残念そうな顔のままだ。先程の服がよほど気に入っていたらしい。
せめてもと思い、レイフォンはそこにあった髪留め(バレッタ)の中から、控えめなデザインの、それでいてできるだけ可愛らしく、彼女に似合いそうなものを選んで買い、その場でメイシェンにあげた。
驚いたメイシェンはしきりに遠慮していたが、せっかく買ったんだしとレイフォンが言うと、非常に恐縮しながらも、とても嬉しそうにそれを受け取った。大事そうに手の中に抱え、幸せそうな笑みを浮かべる。
(安物だけど、気に入ったみたいでよかった)
機嫌の直った彼女を見て、レイフォンはそう思った。
その後、店を出て再び繁華街の通りを歩き、食品から生活雑貨までいろんなものを見て回り、和やかに時間を過ごす。
しばらくしてふと空を見ると、日が随分と傾いていた。
「そろそろ帰ろうか?」
「はい」
少しだけ名残惜しそうではあるが、それでも十分楽しんだのか、笑顔でメイシェンは答える。
レイフォンも随分と楽しんだ。最初こそどうなるかと不安だったが、今はそんな気持ちは微塵も無い。
2人連れだって出口に向かい歩き出す。
レイフォンとメイシェンは繁華街を抜け、居住区へ向かう途中で休憩として公園に立ち寄った。
空いているベンチを見つけ、荷物を置く。
「ふう」
メイシェンは長時間歩いて疲れたのか、息をつくと脱力するようにベンチに座り込んだ。
武芸者であるレイフォンからすれば全然大した距離ではないのだが、やはり一般人の、特に運動の苦手なメイシェンには辛いのだろう。
時刻はそろそろ夕刻で、公園内にはすでに人気は無い。
「僕、何か飲み物を買ってくるよ」
「あ、わたしも…」
「いいから、メイは休んでて」
言って、レイフォンは公園の入口近くにある自販機へと向かった。
自販機の前でしばし考え、メイシェンにジュースを、自分用にコーヒーを買う。
缶を両手に持ってメイシェンのいるベンチに向かおうとする。
と、
「まて!」
突然鋭い声が聞こえた。
声の方を見ると、3人の男が公園に向かって走ってくる。彼らの後ろからは都市警の制服を着た6人の男女が追いかけている。
走る速さから考えて、男達は3人とも武芸者であり、それを追う都市警の者たちも武芸者のようだ。その都市警の中にはナルキもいた。
おそらく、都市外から来た武芸者の犯罪者を都市警が追っているのだろう。
どうするか。レイフォンがそう考えていると、男たちはベンチで座るメイシェンを見つけ、そちらに向かって方向を変える。
まずい。
そう思った時には遅かった。
男たちは、メイシェンの腕を掴み引っ張って立たせると、そのうちの1人が左腕でメイシェンを後ろから抱えるように拘束し、右手に錬金鋼の剣を復元させる。
「てめぇら! それ以上近寄んじゃねぇ!」
「メイ!」
「メイシェン!」
ナルキが叫ぶ。レイフォンも叫びながらその場に駆けつける。
「ナッキ…、レイとん…」
メイシェンがいつも以上に泣きそうな表情でこちらを呼ぶ。
「何だ? お前ら友達か? ちょうどいい。おい、動くな。おとなしくこっちの要求に従ってもらうぞ」
「くっ」
ナルキが悔しそうに歯を噛みしめる。
レイフォンも焦っていた。このままではメイシェンが危ない。
どうする。どうすれば。
見れば、メイシェンを捕まえている男の後ろで、もう2人の男たちもそれぞれ槍と短剣を復元している。
「どの道放浪バスは無い。そんなことをしても無駄だ。どうせ逃げられん。おとなしく人質を放せ」
この場の責任者らしき、年配の都市警の1人が言う。
しかし男たちは忠告に耳を貸す様子は無い。
「うるせぇ! てめぇらこそこっちの言うことをおとなしく聞きやがれ! この女ぶっ殺すぞ!」
「一般人を人質に取るなど、貴様らそれでも武芸者か!」
「はっ、知るか! 俺たちが自分の力をどう使おうと俺たちの勝手だ。グダグダ言ってねぇで、武器を捨てやがれ!」
都市警の面々は悔しそうにしながらも、言われた通り打棒を捨てる。
「よーしよし。最初からそうしてりゃいいんだ」
都市警が錬金鋼を捨てたのを見て、男たちに余裕が出てきた。
その余裕ゆえか、剣を持った男は人質であるメイシェンのことをじろじろ見だす。
「しっかしコイツ、ガキのくせに結構いい身体してんなぁ。顔もなかなかだしよ。せっかくだし、今晩は楽しませてもらうかな」
「おっ、そいつぁいいな」
男の言葉に、その仲間たちも便乗し、下卑た声を出す。
レイフォンはその言葉に怒りを感じ、声を出そうとした。
が、ナルキの方が早かった。
「ふざけるな貴様ら! そんなこと許さんぞ!」
しかし男たちは、ナルキの怒声にもまるで堪えない。
「ああ? 許さないからどうだってんだよ? 何ならテメェも混ぜてやろうか?」
「なっ!」
ナルキは怒りに絶句し、憤然と近づこうとするが、メイシェンに剣を近づけられ、足を止めざるを得ない。
「勝手なことすんじゃねぇよ。この子の可愛い顔が血みどろになるのはイヤだろ?」
ナルキはその場で立ちつくし、怒りに震える。
レイフォンはこの場をなんとか収めようと考えるが、いい案は浮かばない。
力ずくという手もあるが、それは人前で武芸を使うということである。
メイシェンを助けなければと思うが、それでも躊躇してしまう。
人気が無い公園とはいえ、少なくともメイシェンやナルキ、都市警の連中に見られることになる。
人前で力を発揮してどうする? また武芸を始めるのか?
戦う意志も無いのに、武芸者となるのか?
そしてグレンダンのときのような失敗を繰り返すのか?
そう考えると、身体が強張り、動かなくなる。
だがこのままじゃメイシェンが……。
どうする。どうすれば。
考えるが、いい手は思い浮かばない。
「とにかくこっちの要求に従え。まずは宿を用意してもらおう。次の放浪バスが来るまでそこを使う。それまでこの女は預かる。下手な真似したらコイツの身体を切り刻むぞ」
「くっ」
都市警の面々は悔しがる。しかし、この状況では立場的にも実力的にも逆らえない。下手に手を出すと、人質がどうなるかわからない。
「次に金だ。今回はいろいろと出費が嵩んだからな。帰りの旅費として、いくらかもらおうか」
男の顔にはひどく下卑た表情が浮かんでいる。
さらに、自分たちが優位にいると思って、男たちの要求がエスカレートする。
「それからテメェらが俺たちから奪いやがったデータも渡せ」
「ばかな! あれはもともとツェルニの……」
「るっせぇ! 口ごたえすんな!」
男は気が短く、すぐさま声を荒げる。
状況が全く好転しない中、レイフォンは未だに力を使うべきか否か悩んでいる。
レイフォンが頭の中でごちゃごちゃ考えていると、事態が動いた。
レイフォンたちが望まない方向へ。
「いちいち口ごたえしやがって。いい加減うるせぇな。こうなりゃ見せしめにちっとばかり遊んでやらぁ!」
そう言って、男は右手に持った剣でメイシェンの衣服の前部分を縦に切り裂く。
「きゃあっ!」
メイシェンが悲鳴を上げる。
縦に裂けた衣服が左右に開き、白い下着が露わになる。
それを見て、男の仲間たちが下卑た声をあげて笑う。
晒しものにして、弄び、辱めるつもりだ。
そう思った時、レイフォンの頭に血が上った。
そしてレイフォンの顔から一切の表情が消える。
能面のような無表情になり、その実、心の内では荒れ狂うような怒りが渦巻いていた。
先程まで悩んでいたものが完全に頭から消え去り、ただ目の前のことに集中する。
刹那、レイフォンがその場から消えた。
そして次の瞬間には、メイシェンを捕えている男のすぐ目の前にいた。
「えっ? なっ!」
男は突然のことに驚愕しながらも、とっさにレイフォンに向かって右手の剣を振り下ろす。
レイフォンはその剣を迎撃するように、斜め上に向かって左手の手刀を振り上げた。
そして、
「なにっ、ばかなっ」
剣がレイフォンの手刀で砕け散る。
外力系衝剄の変化 蝕壊
相手の錬金鋼に剄を流し込んで破壊する、武器破壊用の技だ。
敵の錬金鋼が砕けると同時に、レイフォンは右手で相手の左腕、メイシェンを押さえている方の腕を掴み、膨大な剄による活剄で強化した握力で、思いきり握りつぶす。
グシャリ
骨の折れる鈍い音と一緒に、何か湿ったような、肉のつぶれる音がした。
相手の左腕が力を失う。
「ぎっ、いっ、あ、あああああああああぁぁああ!!」
苦悶に喚く男から、メイシェンを引き離す。
男の手から離れたメイシェンの背と膝裏に手を回し、抱え上げ、その場からすばやく離れる。
いや、離れる前に男の膝を足刀で蹴り砕いておく。
レイフォンが離れると同時に、その男は崩れ落ちた。
倒れる男のことなど一顧だにせず、レイフォンはナルキ達都市警のいるところまで退く。
その場にいた者は、全員が驚きに動きを止めていた。
ナルキは咄嗟にメイシェンに近寄ろうと、一歩踏み出したところで足を止め、レイフォンを凝視している。
都市警たちも、突然のことに口を開けて固まっている。
残る2人の犯人も、目の前で起こったことがうまく認識できていない。
動きを止めたその場の者たちのことなど気にもせず、レイフォンはメイシェンを優しくその場に降ろす。
メイシェンもまた、言葉もなく、少しボーっとした様子でレイフォンを見ている。
見たところ怪我は無い。それに少し安堵する。
腕と膝を砕かれた男の呻き声だけが聞こえる中、再びレイフォンの姿が掻き消えた。
一瞬で距離を詰め、レイフォンは残る2人のうちの1人、槍を持った男へと肉迫した。
そして凄まじい速度の蹴りを放つ。
男は咄嗟に反応し、槍を掲げて蹴りを防御しようとした。
だが、
ボギィ!
「っぐ!」
活剄によって強化した足から繰り出す神速の足刀は、その名の通り刀のごとき鋭さを持って男を襲う。
衝剄を纏ったレイフォンの足刀は、相手の槍を一撃でへし折り、なおもその勢いを殺すことはなく、男の肋骨を蹴り砕いた。
後ろに向かって吹き飛ぶ仲間を見て、残る1人、短剣を持った男は、再び驚愕に固まる。
レイフォンは吹き飛んだ男から視線を外し、硬直した最後の1人に目を向けると、再度地を蹴り、凄まじい速度で接近する。
一気に至近距離まで寄り、相手の懐に入った。
男ははっと我に返ると、右手の短剣を、懐に入ってきたレイフォンの左わき腹に突き入れる。
!
しかし何か、固い、鋼鉄の壁を突いたような固い抵抗を受け、刃が弾き返される。
至近距離まで近づいたレイフォンは、その男の腹に手を当てる。
次の瞬間、男は背を仰け反らせて全身を硬直させ、白目をむいて泡を吹く。
何をしたのか、男は体中から血が吹き出す。
そして最後の1人も地に沈んだ。
後には、驚愕と沈黙が残った。
レイフォンは犯人たちがすでに抵抗できないとわかると、それに背を向け、ナルキとメイシェンに体を向ける。
あまりに突然起きた事態に、2人は何を言えばいいかわからない。
そんな沈黙する2人に、レイフォンはゆっくりと歩み寄る。
そして、どこかしら呆然とした様子で歩きながら、その場で………………転んだ。
「左手と左わき腹の裂傷、それに右脚の脛の打撲だそうだ」
ここは病院のホール。
連絡を受けて駆けつけたミィフィを迎えたナルキが、レイフォンの容態について説明する。
「それで、大丈夫なの?」
「怪我そのものは大したことないそうだ。傷口はすでに塞がっているし、打撲も1日2日で治るだろうって。第一、レイとんは武芸者だしな」
先程レイフォンが転んだのは、脚の怪我が痛くてバランスを崩したようだ。怒りで痛みを感じなくなっていたのが、気分が落ち着くと同時に痛みを思い出したらしい。
「メイっちは?」
「外傷は一切ない。今は病室でレイとんについてる。レイとんも、検査が済んだら帰れるそうだ」
「そっか……よかった~」
ミィフィはやっと安心したのか、ホールの椅子に座り込んだ。
「メイっちが犯罪者に襲われたうえに、レイとんが怪我したって聞いた時はホントに驚いたよ。でも、無事でよかった~」
ミィフィはふ~っと大きく息を吐く。
それから気持ちを切り替えて、知りたいことを訊ねる。
「それで? 一体何があったの?」
ナルキは都市警から逃げた外部の犯罪者達を追いかけていたこと、逃げた先に運悪くメイシェンがいて、巻き込まれて人質にされたこと、それをレイフォンが助けて、さらに犯罪者たちを捕えたことを順序を追って説明した。
「ふ~ん。やっぱりレイとんってすごく強かったんだね。相手は都市外から来た熟練の武芸者だったんでしょ? それを1人で3人も倒すなんて」
「ああ、確かにあれは凄かった。本人は、火事場の馬鹿力だとか何とか言っていたが」
レイフォンの怪我は、犯人たちを捕まえる際に負った物だ。手刀で剣を砕いた時、槍を蹴りでへし折った時、短剣でわき腹を突かれた時。
「錬金鋼を素手で破壊するなんてな。もしかするとレイとんは、あたしたちが思っているよりも遥かに強いのかもしれない」
素手で錬金鋼を砕くなど、ナルキではとても無理だ。小隊員でも無理かもしれない。わき腹を思いきり突かれたのに、軽傷で済んでいるのも驚いた。火事場の馬鹿力という言葉だけで済む話だろうか。
そして、それだけではない。
最後に倒された犯人は、体中から血を吹いていた。
それを診た医者の話では、どうも全身の剄路がずたずたになっていたそうだ。
おまけに、剄脈が過負荷によって機能不全を起こしていた。いわゆる剄脈疲労だ。
どうも体内に剄を流し込んで剄脈を刺激、それによって剄脈を急激に暴走させられたらしい。剄脈は過剰稼働によって故障。その際に生じた大量の剄の過剰供給により、体中の剄路が耐えきれず、破裂したのだそうだ。そして噴出したエネルギーが肉体を傷つけ、全身から血を吹いたのだろうという。
相手の体内に剄を放って内部にダメージを与える技を徹し剄という。
レイフォンが使ったのはその一種だろう。
徹し剄はそれなりに有名な技で、大抵の都市の武芸者なら知ってはいるが、その会得難易度はかなり高く、実際に扱える者は少ない。
それもこれほどの効果を発揮する技を使える者は、ナルキも聞いたことが無い。
とても、火事場の馬鹿力で片づけられる話ではない。
レイフォンは、武芸者としてただ単に強いだけでなく、その技量も並はずれているのかもしれない。
それこそ達人と呼べるほどの腕前を持っているのだろうと思う。
「へぇ~。一体何者なんだろうね、レイとんって」
「さあな。あたしにもわからん」
よくよく考えてみれば、自分たちはレイフォンのことを何も知らない。
どんな人物で、どんな過去を歩んできたのか。
(ホントに、一体何者なんだ?)
心の中で独りごち、ナルキは嘆息した。
気にはなる。だが、あまり詮索してほしくない事情など、誰にだってある。
ならば訊かない方がお互いのためなのかもしれない。
「まあ、悪いやつではないだろうがな」
それだけは確かだろう。
「あの、大丈夫?」
ベッドの上に腰掛けているレイフォンに、脇の椅子に座ったメイシェンが訊ねる。
その目はいつも以上に涙ぐんでいて、今にも泣きそうだ。
「うん、大丈夫。大したことないよ」
そう答えるが、メイシェンは心配そうな顔をしたままだ。
何を言えば彼女を安心させられるか、それを考えながら今いる場所を見渡す。
ここは病室だ。
すでに傷の処置はほぼ終わり、最後に検査をするため、その係の人が来るのを待っているところだ。
ナルキは先程ミィフィに連絡していた。そしてこちらに向かう彼女を迎えて事情の説明をするために、今はホールにいる。
そのため、この部屋にはレイフォンと付添いのメイシェンしかいない。
そしてメイシェンは、怪我をしたレイフォンと病院に来てからずっと泣きそうな顔をしている。
何を言おうかレイフォン悩んでいると、メイシェンの方から口を開いた。
「えと…さっきは……助けてくれて……、ありがとう、ございます」
礼を言って、頭を下げる。
「そんな、気にしないでいいよ」
レイフォンはそう言って手を左右に振る。
「それよりごめんね、恐い思いさせて。もっと早く助ければよかったのに、僕が戦うのを躊躇ったせいで、メイが酷い目に遭って」
メイシェンは今レイフォンの上着を着ている。さっき犯人たちに服を切られたせいだ。レイフォンが人前で力を使うのを躊躇ったがために、メイシェンが辱められることになった。
しかしメイシェンは勢いよく首を振ってそれを否定する。
「ううん、そんなことない。レイとんがいたお陰でわたしは助かったんだし…。あれくらい、何でもないから…。
それより、わたしの方こそごめんなさい。わたしのせいで、武芸を捨てたがってたレイとんが戦う羽目になっちゃって……」
「そんなこと……」
否定しようとするが、メイシェンの目を見て、出かかった言葉が消える。ただ否定するだけでは効果が無いような気がした。
「迷惑掛けて……本当に……ごめんなさい……。でも……」
そこで、少しだけ嬉しそうな顔をした。
悲しそうな顔をほんの少しだけでも収めたことに、レイフォンは内心ほっとする。
「恐かったけど……でも、レイとんが助けてくれて……入学式のときみたいな、かっこいいレイとんが見れて……少し……嬉しかった……。」
言いながら、頬をわずかに赤く染める。
「レイとんは……本当に……すごいです。あんな年上の……大人の武芸者を…3人も倒しちゃって………。けど……そんなに強いのに…なんで……」
そこまで言って、はっとしたように口をつぐむ。
つい疑問に思っていたことを訊こうとしてしまったのだろう。
それでも、レイフォンの気持ちに配慮して訊くのを止めたのは、彼女の心遣いだろう。
メイシェンのその気遣いに、レイフォンは少し申し訳ないような気持ちになる。彼女たちに対して隠し事をしているのが、なんとなく心苦しいのだ。
それでも、どうしても話す気になれない。彼女たちに自分の過去を、グレンダンでレイフォンがしたことを知られるのが、怖くて仕方が無い。
知られることで、彼女たちが自分から離れていくかもしれないから。
そうなることを、レイフォンは怖れている。
そこまで考えて、レイフォンは、メイシェン達がすでに、自分にとって失いたくない存在になり始めていることに気付いた。まだ付き合いは短いが、それでも彼女たちと共に過ごす時間を大切に思っているのだと。
(いつかは、話すべきなのかもしれない)
彼女たちとこれからも共に過ごしていくつもりなら、いつかは話すべきなのかもしれない。
隠し事をしたまま、距離をとったまま、彼女たちに接し続けるのは不誠実なのかもしれない。
そしてレイフォン自身、知られるのが怖いと感じると同時に、知ってほしいという気持ちもある。
知って、それでも彼女たちが傍にいてくれるのか、確かめたいとも感じる。
(今は無理でも、いつかは……)
メイシェンは再び何かを言おうとして、また口を閉じる。
それでもやや迷った後、口を開いた。
「訊いてもいいですか? レイとんの戦う理由って何なのか…」
言って、また口をつぐむ。
戦う理由。レイフォンが、グレンダンで失敗したときに失ってしまったもの。
「ごめんなさい…。ただ…、グレンダンにいた時、レイとんがどんな気持ちで戦ってたのか……知りたくなって…」
つっかえながら、それでもメイシェンは声を絞り出す。
「もし、話したくないなら……無理に訊きません……。レイとんに……嫌な思い、してほしくないから…。
ただわたしは……レイとんのことを……もっとよく知りたいです…。もっと…お互いのことを解り合えたらいいなって…そう、思うから……」
それだけ言うと、メイシェンは真っ赤になって俯いてしまった。
グレンダンでの失敗について話すのはやはり怖い。
だが、少しだけなら、グレンダンにいた時の自分のことを話してもいいのではないか。
自分がどんな人間か、少しでもわかってもらうためにも…。
「戦う理由……か…」
嘆息するように言う、レイフォンの言葉に、メイシェンがビクッと肩を震わせる。
「はっきりと言ってしまえば、お金のため……だね」
「……お金?」
メイシェンが首を傾げる。
「僕が孤児だって、話はしたよね?」
メイシェンが少し気まずげに瞳を揺らして頷いた。
「うちの孤児院の園長は金策が下手でね。いつもお金に困ってた。食事がどんどん粗末になっていくのを見て、いつか何も食べられなくなる日が来るんじゃないかって、脅えてた……。そんなときに、剣に出会ったんだ……」
孤児院の暮らしは貧しかった。全ての孤児が満足な衣食を得、人並の教育を受けることもできないほどに。
普通の人として生きることすら、困難なほどに。
孤児たちはみな、とてもみじめな暮らしを強いられていた。
そして孤児の中には、貧しさの中で命を失う者もいた。それを見るたび、レイフォンの心は砕けそうなほど痛んだ。
もう二度と失いたくない。そんな感情を何度も抱いた。だがそれでもなお、失い続けた。
失うたびに、心は痛んだ。己の無力を嘆いた。目の前で失われる家族の命に、何もできない自分が許せなかった。
そんなとき、武芸を知った。
失いたくないものを失わずに済むための方法を見つけた。
「才能があるって言われて、僕は、じゃあこれでお金を稼ごうって決めた。お金さえあれば、みんな辛い思いしなくて済むと思ったんだ。貧しさに苦しむことなんてないって。だから、色んな試合や大会に出て、汚染獣とも戦って……」
そして僕は……天剣を……手に入れて……。
そして……。
「そうやって、お金をたくさん稼いだんだ。賞金とか戦場手当とか、とにかく、武芸でお金を稼げるところには全て出向いて、ひたすら戦ったんだ。戦って戦って、戦いに明け暮れた。ただお金を稼ぐためだけに…。お金を稼いで、孤児院のみんなを養うためだけに、僕は、自分の持てる力全てを武芸に費やしたんだ」
おそらく、レイフォンほど幼い頃から戦場にいた武芸者は、歴史的に見てもほとんどいないだろう。武芸の本場グレンダンといえども、レイフォンは異例の存在だった。
だが、それでも戦わなければならなかった。
生きるために、生きていてもらうために、命懸けで戦わなくてはならなかった。
そして戦うために、強くならなければならなかった。
命懸けといえど、死ぬわけにはいかない。もしもレイフォンが死ねば、孤児院の仲間たちが飢えることになる。それだけは許せない。
だから強くなるためには、一切の努力を惜しまなかった。
戦場で生き残るために、血の滲む様な努力を重ねた。どれ程辛い鍛錬であろうと、耐えきってみせた。
そしてその結果、レイフォンは強くなった。余人の及ばぬほどに、強くなった。
子供が戦場で戦い、生き残る。普通の人間ならばできないことを、レイフォンの境遇と才能が可能にした。
そして己の持つ力全てを、武芸に注いできたのだ。
「お陰で園は潤ったよ。みんなが僕に感謝してくれた……」
レイフォンの戦う理由。戦う目的。それは生きること、生き抜くことだった。
そして大切な者達に、生きていてもらうことだった。
失いたくない者たちを、愛する者たちを守り抜くこと。それこそがレイフォンが武芸をしていた目的であり、戦う理由なのだ。
そしてそれ以外は、どうでもよかった。
「それで、武芸をする理由が無くなったんですか?」
「うん。孤児たちを養うのに十分なお金は稼いだからね。もうあれほど必死になって稼ぐ必要は無い。自分ひとり養うのに、わざわざ武芸をする必要は無いし」
すでにグレンダンを出た、そして戻ることのできなくなったレイフォンに、これから先も孤児のために戦うことなどできない。ここで、この都市で戦ったところで意味が無い。
それに孤児院は女王がなんとかしてくれると言っていた。もはやレイフォンの助けは必要ない。
ゆえに、戦う理由など、ツェルニで武芸を続ける理由など、何1つ無い。
「それに僕は、どうも理由が無いと戦えない武芸者みたいでね。そういうふうに育ってしまったから。今更、変われるとは思えないし、変わりたいわけでもない。もともと戦いにも武芸にも、それほど深い思い入れも無いしね」
だから、武芸科には入らない。
戦う理由も、意志も、覚悟も、目的も無い。それゆえに、戦うことができない。そんな状態で、そんな者が、武芸者を名乗るべきじゃない。
レイフォンは、そう思う。
「……じゃあ…さっきはどうして戦ってくれたんですか?」
「え?」
「わたしは、助けてもらって、感謝してるけど……でも、武芸は捨てたのに、戦うのを嫌がっているのに…どうして、戦ってくれたのかなって……」
メイシェンの言葉はだんだん小さくなっていき、聞こえなくなっていったが、何が言いたいのかは伝わった。
「さっきは、戦う理由があったから」
「え?」
メイシェンが虚を突かれた顔をする。
「メイが傷つけられそうになって、すごく頭にきて……同時に、メイを助けたいって、確かにそう思ったんだ。それは紛れも無く僕の意思で、本心からの気持ちで……僕にとっては戦うのに十分な理由だった…。
だから、迷惑をかけたなんて思わないでほしい。僕自身が、1度は捨てた武芸を使ってでも絶対に助けたいって思っただけだから。メイに対して迷惑なんて、少しも感じてないから……」
とっさに戦った時は、頭の中は真っ白だった。あるいは怒りで真っ赤に染まっていたのか。
1度は捨てた武芸だとか、今後とか、秘密の露呈とか、そんなことは一切考えてはいなかった。
でも、こうして冷静になってみても、先程の自分自身に苦笑はしても後悔は感じない。
間違ったことをしてしまったとか、失敗したとか、そんなふうには感じない。
ならそれは、少なくともレイフォンにとっては正しいことだったのだろう。あの時、レイフォンには戦う理由が確かに生まれていた。
メイシェンが謝罪する必要など、どこにもない。
「メイもナッキもミィも、僕にとってはもう大切な人だから……。
あの時、僕はメイを失いたくないって心から思った。だから、メイを助けるために武芸を使ったこと、少しも後悔してないよ。本当に、無事でよかった…」
レイフォンは淡く微笑みながら、自分の本心からの気持ちを、正直に伝える。
途端、それを聞いたメイシェンの顔が沸騰したように真っ赤に染まった。今にも湯気を吹きそうだ。
目尻に涙を浮かべながら、口をパクパクさせ、あうあうと唸っている。何か言おうとするが、言葉にならないようだ。
レイフォンは、そんなメイシェンの反応に驚いた。何かまずいことを言ってしまったのだろうか。
何と声をかけていいか分からず、レイフォンは言葉を探す。
お互いに声を出せず、場に微妙な沈黙が流れていた時、突然、病室のドアが開いて、賑やかな声が飛び込んできた。
「やっほ~レイとん! 怪我大丈夫?」
仕切られていたカーテンを開けて、ミィフィが現れた。
と、レイフォンとメイシェンの間に流れる微妙な空気を、ミィフィは敏感に感じ取った。
しばし黙考すること数秒。
「ごめ~ん。邪魔しちゃった~」
言いつつカーテンを閉めながら後ろに下がる。
「どうぞ、ごゆっくり~」
「「ミィ(ちゃん)!!」」
わざとなのかそうでないのか、何やら誤解しそうになっている彼女に向かって、レイフォンとメイシェンが大声を上げ
る。
ミィフィの後ろにいたナルキが、呆れたように溜息をついた。
その後、検査をするための医師が来て、レイフォン以外は追い出された。すでに時間も遅かったため、しかたなく3人は帰路に着いた。
あとがき
レイフォンの実力が入学式以来改めて明らかに&レイフォンの身の上話の回です。
デートは今後の展開上、レイフォンとメイシェンの仲を深めておくために入れました。
レイフォンが使った技は封心突の応用かな。
そろそろ(というか早くも)書きためておいた話のストックが切れそうです。リアルも忙しくなってきたので、今後は更新速度がどんどん遅くなっていくかもしれませんが、飽きずにお付き合いいただければ幸いです。