戦闘後、調査隊の一行は怪我人を連れて落ち着ける場所まで移動し、怪我の手当てといくつかの確認作業を行っていた。 その一つが、都市内に見当たらなかった死体の行方である。
「隊長。 二人の報告通り、講堂の演台横音響室に汚染獣によるものと思しき異様な繭がありました。 それとリアンが念威で調べたのですが、アルセイフの予想通り、ここ以外にも大きな食糧室のある施設の冷凍室に人間の死体が詰め込まれていたそうです」
「そうか……ご苦労だった」
確認に向かっていた第五小隊の狙撃手バレルに労いの言葉をかけ、ゴルネオは息を深く吐いた。
レイフォンが報告した通り、中枢施設の地下食料庫には確かに死体があった。 だが、そこにあった死体の数は、この都市の規模を考えればどう見ても少な過ぎたのだ。
無論、戦闘の中で他の汚染獣に喰われた者もいただろうし、そもそも脱出して死を免れた者もいるはずである。 都市民の全てが冷凍保存されていた、ということはありえないだろう。
だが、それを踏まえた上でなお、死体の数が少ないのではないかとレイフォンが言ったのだ。
そこで念威繰者たちが改めて捜索した結果、他の死体も見つかった。 別の施設内――レストランのような大型の冷凍庫が備え付けられている建物――で、同じく冷凍保存されていたのだ。
昨日の段階では食料庫や冷凍室にまで気を配っていなかったことや、あくまで生者を探していたということもあり、念威繰者の二人も調査隊の面々も気付かなかった。
「それにしても随分変わった個体でしたね。 今までいろんな個体を見てきたけど、まさか汚染獣が電化製品やら人間の生活設備を利用するなんて、考えたことも無かった」
ふと、ゴルネオの手当てをしていた者が顔を上げて口を開く。
汚染獣の角で貫かれたその肩に包帯を巻いていたのはレイフォンだ。 正直、ゴルネオとしてはあまり良い気分ではなかったが、人手が足りないので贅沢も言っていられない。 何せまともに動ける者が限られている。
ここは先程の講堂から移動し、同じ建物内にある大きなホールのような空間だ。 壁際にはベンチもあり、落ち着いて手当てをするのに丁度良かった。
すでに汚染獣による妨害は納まっているため、現在は念威繰者二人が都市内の安全を改めて確かめている。 今のところ、新たな脅威や他の生物ぼ気配は無い。 油断はできないが、ひとまずの危機は去ったと見ていいだろう。
「それと、先程僕も鋼糸で繭を確かめました。 あくまで想像の域を出ませんけど、あの汚染獣はつい最近、おそらくはここ数日のうちに変異……というか脱皮したんだと思います。 さすがに繭で変体する汚染獣は見た事ありませんけどね。 ま、汚染獣の生態にこちらの常識なんて通じませんし、どこまでが限界なのかもわかりませんが。 冷凍室に死体を保存しておいたのは、長い眠りから覚めた時のために栄養を確保していたんでしょう。 脱皮の後は特に腹が減るようですから。 そういえば、獲った獲物を木の枝に刺して冬の備えにする鳥がいるって、昔図鑑で読んだことあったかな」
「……“はやにえ”とかいうやつか……」
死者を悼むように目を瞑りながらゴルネオが独りごちる。
ツェルニが到着したら人手を送ってもらって丁重に弔ってやらねば、そう胸のうちで考えながら、ゴルネオは周囲で横たわる面々の様子を確認した。
彼の近くでは、第五小隊の女性隊員であるイルメナがもっとも大怪我をしたシャンテを介抱している。 ニールとアルスランも怪我をしていたが、重傷というほどではなかったため、簡単な応急処置を終えたところでベンチに寝かせてあった。
少し離れたところでは、両肩を脱臼し膝をねん挫したニーナをハイネが手当てしており、さらにその横のベンチでは、両目を濡れたタオルで覆ったシャーニッドがだるそうに横たわっている。
彼らも命に別条はなく、とりあえずはツェルニの到着まで安静にしていることを決めていた。
「ところでシャーニッド先輩、さっきのは何だったんですか?」
「ああ? さっきの?」
ハイネの問いに、目元を隠したままシャーニッドが胡乱げな声で訊き返す。
「ほら。 戦ってた時、急激に剄力が上昇してたやつですよ」
「ああ。 あれは……まぁ、簡単にいえば緊急避難用の奥の手、ってところだ」
珍しく、シャーニッドが若干言い辛そうに答えた。
「そんなすごい技あったんですね。 なんで今まで黙ってたんですか?」
「そうそう使い勝手の良いもんじゃないんだよ。 剄息をコントロールして剄脈を無理やり活性化、一時的に剄量を爆発的に増加させるって技なんだが、一度使っただけでこの通りの体たらくだ。 使い過ぎればどうなるか……考えたくもねぇよ」
「ああ、成程。 それはそうですよね」
「そもそも本来は逃げる時用に教わった技だしな。 ま、今回はあそこで敵を倒しておかねぇと危なかったから使ったが」
普通に動いている心臓を鷲掴みにして、もっと早く動けとポンプのように無理やり動かしているようなものである。 普段そんな剄量に慣れていない肉体がどうなるかは自明の理だ。
もっとも、今回ばかりは仕方ない。 逃げたところでツェルニまで追ってくればどの道喰われてしまっただろうし、レイフォンがいるうちに敵を倒せたのは、むしろ上等と言える。
とはいえシャーニッドとしては、倍力法のことを極力他者には知られたくなかったのだが。
そんな会話をする二人を横目に見ながら、ゴルネオはふと周りを見渡した。
シャンテを介抱していたイルメナは、水を汲みにこの場を離れている。 他の第五小隊や第十七小隊の面々ともいくらか距離が開いており、普通に会話する分には聞き耳でも立てない限りは聞こえない。
それらを確認し、ゴルネオは目の前にいるレイフォンに低い声で問いかけた。
「訊いてもいいか?」
「――? 何ですか?」
「グレンダンで起こったことの、真実についてだ」
ゴルネオが重々しく言う。 それを聞いたレイフォンが少しだけ目を細めた。
「お前は言っていたな。 武芸者の律を犯したというのならガハルドさんも同じだと……。 それはどういう意味だ? 一体、ガハルドさんに何があった?」
「………言ってもあなたは信じないと思いますけど」
声には微かに突き放すような響きがあった。
しかしゴルネオは引き下がらない。 ただ真っ直ぐにレイフォンの目を見据え、言葉を紡ぐ。
「それでも聞きたい。 信じるかどうかは別として、ただ、何故お前がガハルドさんを斬ったのか、その理由をお前の口から聞いておきたい。 それを聞かずして、一方的にお前を責めるのは筋違いだ」
顔を歪めているのは、昨日の己の態度を戒めているのかもしれない。
レイフォンはほんの僅かに瞑目し、それから感情を感じさせない声で語った。
「あの時……天剣争奪戦の前日、僕の闇試合の秘密を知ったガハルド・バレーンは、それをネタに僕を脅迫したんですよ。 犯罪を暴露されたくなければ、試合でわざと負けろと」
レイフォンの告白に、ゴルネオは一瞬言葉を失った。
自分の尊敬していた人物が……自身が、それこそ本当の兄よりも兄のように慕っていた男が、そんなことをするとは……
信じられない。 信じたくない。 そう叫びたい気持ちが湧き上がる。 しかしその感情は、レイフォンの乾いた瞳を前にして吐き出される前に勢いを失った。
「僕の罪が明るみになれば天剣は剥奪。 ならば同じ天剣を失うにしても、せめて名誉だけは守れる方法をとった方が良いのではないか。 そう言って、あの男は僕に八百長試合を持ちかけた。 それがあの時の、天剣争奪戦の真相です」
だが、レイフォンに必要なのは名誉などではなかった。
ただ金が必要で……そして、そのためには天剣という立場がどうしても不可欠だったのだ。
だから、殺すことにした。 殺そうと、した。
「そんな……まさか、ガハルドさんが……」
「信じるかどうかはあなたの勝手です。 あなたがどう思おうと、僕には興味ありませんから」
突き放すように、レイフォンは言う。
しかし返す言葉を、ゴルネオは持たなかった。
「…………ああ……」
噛みしめた唇から、小さく言葉が漏れる。
信じるしかなかった。 レイフォンが嘘を吐くような人間だと、最早ゴルネオは思っていない。 なぜならレイフォンには嘘を吐く理由が無いからだ。
この男は、ゴルネオのことをなんとも思っていない。 敵だとも、警戒すべき相手とも、和解し調和するべき相手とも……。 それこそ、同じ人間として見ていない。 だからこそ、シャンテに襲われても尚、こちらに殺気の欠片も見せることが無かったのだ。
この男にとって、ゴルネオとは路傍の石ころとなんら変わらない存在でしかない。 足元にあっても全く興味を示さない。 自分に向かって転がってくるようなら蹴飛ばす、その程度の存在。
ゆえに、嘘を吐いてまでゴルネオの怒りを躱そうとするはずがない。 自分にとって都合の良いように事実を捏造する必要も無いのだ。
ゴルネオがその言葉を信じようと信じまいと……その結果、彼がどのように行動しようと、レイフォンにとってはどうでもいいことだから……
そして何より……ゴルネオはガハルドが、一種狂的なまでに天剣という地位に……自分の兄であるサヴァリスに憧れていることを知っていた。
そんな兄と同じ地位に僅か十歳で辿り着いたレイフォンのことを、ガハルドが快く思っていないこともゴルネオは知っていた。 彼が天剣を得た時、試合を見ていたガハルドは、それこそ親の仇を見るような目で闘技場に立つ少年を見据えていたから。
ゆえにこそ、ガハルドの天剣に対する憧れは、最早執着を超えて妄執と言えるほどに強くなっていたのだろう。 武芸者の律を犯してでも、手に入れたいと望むほどに。
ガハルドが武芸者の掟を破り、レイフォンを卑劣な手段で失脚させようとしていたことを否定する材料が、ゴルネオには見つからない。 そのことが一層、ゴルネオの胸を締めつける。
もはやレイフォンの言葉は、疑いようもなかった。
「ぐ………お、おぉ……あぁ…………」
だから、ゴルネオは泣いた。
ぶつける場所を失くした怒りと、それでも尚、失望することも嫌うこともできない兄弟子に対する悲しみとで、ゴルネオは声を殺して泣きじゃくった。
レイフォンはそれを、やはり感情を映さない瞳で見つめていた。
どれくらい時間が流れたか。
「そう言えば……昨日は済みませんでした」
「――?」
すでに泣きやみ、どこか憑き物が落ちたような顔をしていたゴルネオは、レイフォンの言葉に怪訝そうな顔をした。 これまでまるで悪びれた様子の無かったレイフォンの今更な謝罪に、腑に落ちない気分になる。
いや、そもそも天剣争奪戦に関しては、レイフォンだけが悪かったとは言えない。 少なくともガハルドにも非はあったし、今までの態度から考えてもレイフォンが謝るのはどこか不自然に思える。
しかし、それは勘違いだった。
「あなた達を無能の役立たず呼ばわりしたことです」
「………ああ」
そっちか……、と思いながらも苦い顔でゴルネオは応える。
「それは……確かに腹も立ったが、決して間違いではないだろう。 事実、俺たちだけではツェルニを守れなかった。 前回も……そして今回も……」
僅かに、自嘲を込めて言う。
しかしレイフォンは首を横に振って続けた。
「いえ。 少なくとも今回は、先輩たちのお陰で助かりました。 あの人型の汚染獣は確かに強敵でしたから。 僕一人では、勝てたかどうか微妙なところです。 あなたや先輩たちの援護は、僕にとって十分助けになりましたよ」
レイフォンの真面目くさった言葉を聞き、
「……はっ」
ゴルネオは口の中で小さく笑った。
レイフォンの言葉を鵜呑みにしたわけではない。 この男なら、たとえ援護がなかったとしても十分に対処できていた可能性が高いとゴルネオは思う。
それでも、レイフォンは言うのだ。 助かったと。
そして、この男は嘘を吐くような人間ではない。 独力で切り抜けることも不可能ではなかったかもしれないが、危なかったのも事実なのだろう。
自分のような未熟者が、天剣授受者の手助けをした。 自分がいなければ、元とはいえ天剣授受者のレイフォンが命を落としていたかもしれない。
そのようなことを実家に話せばどんな反応をするか。
驚くだろうか? それとも信じないだろうか?
そんなことを考えて、ゴルネオは少しだけ笑う。
「ゴル………?」
その様子を、隣のベンチに横たわったシャンテが不思議なものを見るような目で見ていた。
怪我人の手当てや大まかな事後処理が終わり、動ける者たちがようやく一息ついた頃。
「レイフォン! 少し来てくれ」
いつの間にかホールの出口の所に立っていたニーナが、何かを決意したかのような顔でレイフォンを呼んだ。
正直意外だった。 ほんの数時間前まで、あからさまにレイフォンを避けていたというのに。
しかしそんな内心を表に出さず、レイフォンは黙って立ち上がると出口の方へ向かった。 ニーナはレイフォンが自分の方へ向かって来るのを確認すると、踵を返して先に外へ出る。
ホールを出る直前、念威で周囲の探索を行っていたフェリがこちらを見ているのに気が付いた。
その目は、少しだけ心配そうだった。
「レイフォン。 私と戦ってくれないか」
ニーナの後を追って建物から出たところで、振り返った彼女は開口一番にそう言った。
「……どうしてまた?」
少々面食らいつつも、レイフォンは平静を保ちながら、それでいて怪訝そうに訊ねる。
「お前は言ったな。 己の正しさを証明したいのなら、力で示してみせろと」
「言いましたけど……まさか、その状態で戦うつもりですか? 結果を見るまでもないと思いますけど」
無謀な、とは言わない。 言うまでもない。 だが、何よりもその視線がレイフォンの心情を表していた。
脱臼した肩はすでに嵌め終わっているが、未だに鈍い痛みが残る。 包帯で覆われた膝も同じ。 壁に叩きつけられた背中には打僕もできているだろう。
控えめに言っても、満身創痍だった。
「そんなことは自分が一番よく分かっている」
こんな状態で勝負になるわけがない。 いや、仮に万全の状態で戦ったところで、レイフォンに勝てはしない。
そんなこと、戦うまでもなく分かっている。 今回の戦いを見て、その考えはより一層確信を強めた。
だが、
「これはけじめだ」
そう言うと、ニーナは両手に鉄鞭を復元し、体の前で交差するように構えた。
瞳には、既に見慣れた滾る様な闘志。
「本気ですか?」
「当然だ」
その言葉を受けて、レイフォンも気持ちを入れ替えた。
剣帯から最後の一本である青石錬金鋼を抜き、刀形態に復元してから正眼に構える。 それと同時に、レイフォンの瞳から感情の色が見えなくなった。
先程、念威の復活したフェリが都市中の索敵を済ませていた。 この滅びた都市で生き残っていた汚染獣は、あの老成体が一体だけ。 それを撃破した時点で、すでに脅威は去っている。
レイフォンは無言で青石錬金鋼の刀を構えた。
対するニーナは腰を落とし、両脚を曲げた状態で引き絞る様に体を捻る。 武闘会で見た覚えのある、二振りの鉄鞭を体の後ろで揃えた構え。
張り詰めたような緊迫に、二人の間で僅かに空気が軋む。
瞬間、ニーナは活剄で限界まで強化した脚力で地を蹴り、レイフォンへと突貫した。
旋剄による高速移動で一直線に突っ込み、衝剄を纏った両の鉄鞭を同時に叩きつける。
己の持てる技と力全てをその一撃に乗せて――、
活剄衝剄金剛変化 剛鎚旋
交錯は一瞬。
鋭く澄んだ金属音と共に、レイフォンがニーナの横を駆け抜けた。
少しの間を置き、重い物が床に落ちる音――
そして、
「ふぅ……」
自分の手の中の錬金鋼を見て、ニーナが溜息を吐く。
硬度と頑丈さに優れた黒鋼錬金鋼製の鉄鞭が、真ん中で断ち切られていた。
切り口はぞっとするほどに滑らかで、その斬撃の速度と鋭さが一目で窺える。
考えるまでもない。 いや、最初から予想できた結果ではあった。
「私の……負けか……」
小さく呟き、ニーナはそのまま床に倒れ込んだ。
「先輩?」
一瞬、両腕と右脚の怪我が痛んだのかと思ったが、違った。
ニーナは仰向けのまま両腕で顔を覆い、嗚咽を漏らしていた。
「くそっ……私は……弱いなぁ……」
ツェルニを守ると誓ったはずなのに。
結局、いつも最後はレイフォンに守ってもらっていた。
幼生体が襲ってきた時も、雄性体の群れと衝突しそうになった時も、そして今回の変異体との戦いでも。
自分は足手纏いにしかなっていない。 目の前の脅威に対し為すすべもなく、ツェルニを脅かそうとしている敵に一矢を報いることもできず、ただ這い蹲って助けられるのを待つだけ。
惨めで、悔しくて、情けなくて。
口ばかりで何もできない自分が、許せなくて。
「畜生………畜生………」
しばらくの間、ニーナは顔を隠したまま泣き続けた。
「昨日は感情的になってすまなかった」
ようやく泣きやんだニーナは、視線を空に向けたままレイフォンの方を見ず、囁くように口を開いた。
どう応えるべきか分からず、レイフォンは口を噤んでニーナの言葉に耳を傾ける。 端から答えは期待していないのか、ニーナはさらに続けて自分の気持ちを述べた。
「私は、武芸者として己の正しさを示せなかった。 だから、これ以上自分の価値観を押しつけるような真似はしない」
小さく、しかしレイフォンの耳にはっきりと届く声で、ニーナは言う。
その顔には昨夜のような激情は見られず、むしろ清々しさを感じさせた。
「自分の理念と矜持を捨てるつもりはない。 やはり私にとって武芸とは神聖なものだし、戦いとは誇りを以って臨むものだからな。 これからも、私はツェルニを守るために全力を尽くす。 ……だが、お前にまでそれを強要はしない。 お前に、強くあること以上を求めはしない。 私自身が己の理想を体現できていない状態では、何を語ったところで相手の心には響かないだろうからな」
それでも、今後も互いの方針が衝突することはあるかもしれんが、と苦笑する。
「私は正しさを貫きたい。 常に人として、武芸者として規範となるべき行動を心掛けていきたいと思う。 そしてどんな時も自分の正しさを貫けるくらい強くなりたい。 もう二度と、力無き正義なんて言わせたくない。 己の無力を嘆くのは、もうたくさんだ」
「………そうですか」
レイフォンはニーナの言葉を否定も肯定もせず、ただ小さく頷いた。
「私はこれ以上、お前に何かを偉そうに説くような真似はしない。 できるはずもない。 だから、お前はお前の信じるもののために戦ってくれればいい。 それでも……もしもいつか、私も強くなれる時がきたら……私の力に、何かしらの感銘を受けることがあったなら……」
――その時は、志を同じくして戦ってほしい。
そんな内心の思いを込めて、ニーナは微笑んだ。
対するレイフォンは苦笑気味に、しかしどこか重荷が降りたような顔で、それに応える。
「心配しなくても、僕だってツェルニの存続のために尽力しますよ。 少なくとも、それが今の僕の戦う目的ですからね。 先輩と違って、そのための手段を選ぶつもりはありませんけど」
「……そうか」
少しだけ寂しげに笑い、ニーナはレイフォンから顔を逸らした。
しばらくは身体の痛みも取れそうにないので、仕方なく倒れた地面から上体だけを起こした体勢で、時間が経つのを待つ。その姿勢のまま、眼下の風景に目を落とした。
視線の先では、既に沈みかけた太陽が赤く染まっている。 そろそろ夕方、ツェルニが到着する頃合いだ。
レイフォンと並んで夕日を眺めながら、ニーナは今回の任務で起きたこと、知ったこと、そして……自身の行いや言動について考えていた。
昨夜の、感情的になった言葉のやり取りが脳裏に甦る。
自分はレイフォンを言葉で説得しようとした。
だが、自身が実現できていないものを、他人に納得させることなどできようはずもない。
ニーナは確かに武芸者として潔癖であり、品行方正と言えるだろう。 だが、その正しいやり方で何もかもを上手くやり遂げてきたとはお世辞にも言えない。
武芸者の誇りにかけてツェルニを守る。 それが今の、この二年と数カ月の日々の中で抱くようになったニーナの信念だ。
だが実際にツェルニを守り抜いたのは、常に武芸者として正しくあろうとするニーナではなく、どこまでも己の都合と感情で戦うレイフォンだった。
ニーナには、レイフォンを非難する資格も、軽蔑する資格もない。
役目を果たせなかった自分が、本心や動機がどうあれ、代わりに役目を果たしてくれた相手をとやかく言うなど、それこそ許されることではない。
正しいだけで力の無い武芸者など、それこそ害悪にすらなりうるだろう。
武芸者の世界は実力主義。
それは何も、強ければ何をしてもいいというわけではない。 だが同時に、武芸者が何かを成すには力が無くてはならないのも確かなのだ。
力が無ければ何一つ守れず、力が無ければ何一つ得られない。 あるいは得られる物があったとしても、己の力で得たものでなければ、いとも容易く失われてしまう。
ゆえに、武芸者にとって自らの在り方や信念を示す最良の手段……武芸者としてのあるべき姿を示すために、もっとも物を言うのが力なのだ。
力無き武芸者の掲げる理想や理念に、心の底から賛同できる者などいるはずもない。
あるべき姿を体現できていない者が、どんな理想を語ったところで、それは虚しく響くだけ。
――だからこそ、私は強くならなければならない!
音の絶えた都市で、ツェルニの近付く足音に耳を澄ませながら、ニーナは心のうちで強く叫ぶ。
そして、その瞳に強い意志を込めて決意を新たにするニーナの姿を、隣に立ったレイフォンは、どこか優しく見守るような顔で横目に見ていた。
あとがき
と、短いですが廃都市編のエピローグ的な回。
廃都市に来て以来大荒れだった人間関係のもつれもようやく終息に。 とことんまで敵対させるとこれからの学園生活がギスギスしてしまいますので、適当なところで和解となりました。
ゴルネオは和解というより、事実を知って憎み切ることができなくなった、ってところでしょうか。
ニーナに関しては、お互いが相手の考えに対し妥協するのではなく、どちらも自分の信じる道を行く、といった感じで。
さて、そろそろさ~坊の登場です。
加えて、フェイランやアルマ達オリキャラ一年生も徐々に出番が増えていくと思いますので。
次回は番外編というか短編的な話を挟んでから、4巻のストーリーに入っていく予定です。