第五小隊のニールとアルスランが周囲を警戒しながら廊下を進み、一階には二人分の足音が響く。
探索を始めてそれなりに時間が経ったが、今のところめぼしい物は見つかっていない。
実りの無い調査に辟易しつつ、ニールが眉を顰めながらアルスランへと話しかけた。
「それにしても薄気味悪い場所だ」
「汚染獣によって人の絶えた都市だしな。 大勢の死者が出たかもしれない場所を踏み荒らすんだ。 あまり良い気持ちしないのは確かだろうよ」
恐る恐る床を踏みしめながら、二人はより奥の部屋を目指す。 歩きながらも二人の会話は続いていた。
「ところでよ、ゴルネオ隊長のことなんだが……」
「ああ、いつもと様子が違うって話か?」
「まぁな。 なんていうか、口には出さないけどどこか苛付いてるというか、何かを耐えているというか……そのくせ、たまに上の空で物思いに沈んだりとかさ。 ……あのレイフォン・アルセイフとなんかあったのかな?」
武闘会で優勝したレイフォンのことはツェルニの誰もが知っている。
その彼に対し、第五小隊の隊長であるゴルネオが良い感情を抱いていないことにも、隊員たちは気付いていた。
「副隊長もなんか敵視してたよな。 まぁ、あの人は隊長にべったりな人だから、その理由も想像つくけど」
「やっぱりゴルネオ隊長にしては珍しいよな。 確かに、そこまで人当たりの良い方じゃないけど、だからって普段はあんなに人を寄せ付けないほど刺々しくはないし」
二人して首を捻りながらも、はっきりとした答えは分からない。
いっそのこと本人に訊いてみればと思いもしたが、流石にあそこまで不機嫌なところに不躾な質問をする気にはなれなかった。
それ以上は話すことも無く、お互い無言で探索を続行する。 しばらくして、二人は大きく開けた部屋に行き着いた。
「ここは……講堂、かな」
「みたいだな。 少し狭いが」
そこは他の部屋よりもいくらか広い空間だった。
講堂としてはそこまで大きくもないが、部屋の奥には床より高くなったステージがあり、その両脇に物置や音響室と思しき扉がある。
「いちおう、あの中も調べてみた方が良いかな」
「まぁ隈なく調べた方が良いだろうよ」
そう言うと二人は講堂の奥へと進み、ステージ横の部屋へと踏み込んだ。
「ん? なんだ、この臭い?」
「生臭いというか何というか……何かしら獣か生き物がいたような臭いだな」
若干不快な臭いに顔を顰めながら、ニールとアルスランはさらに小部屋の奥へと進む。
すると入口からは死角になっている隙間に、今まで見たことも無いものが嵌り込んだように鎮座していた。
「な……なんだ、これ?」
「わかんねぇよ。 こんなもん、見たこと無い」
そこにあったのは、異様な外観を持った物体だった。
全体的に球状の形体をしている何らかの塊が、束になった粘性のある糸のようなもので隙間の壁に張り付いている。 大きさは縦横2・3メルトルくらいか。
その球体には人間が簡単に出入りできそうなくらいの穴……というよりも裂け目ができており、中は空洞になっている。
見る限り人工物や無機物には見えない。 どこか有機的な、もっと言えば生物的なものを感じさせる外観だ。
色は毒々しく、爬虫類や両生類の体組織や細胞が無数に入り混じり寄り集まって形を成しているようにも見える。
まるで中にあったモノを覆うために無数の生物の細胞を貼り付けたような、そしてそこから中にあったモノが外へと出ていったような、そんな印象を二人は受けた。
強いて言うなら昆虫の蛹……いや、繭と言った方がより近いか。 もっとも、彼らの知識の中にこんなグロテスクな繭を作る昆虫はいないが。
「こ……こんなデカイ虫いるわけねぇし……いや、そもそもこれ虫か? 何かぶよぶよしてそうで気持ち悪ぃんだけど」
「同感だ。 なんなんだこれ。 こんな生物……かどうかはわかんないけど、とにかく人工物じゃなさそうだ」
「やっぱり何かの繭……かな……。 昆虫とかにはあんまり詳しくないが……見た感じ、すでに中の生き物は出た後みてぇだ」
その繭らしき球体はすでにほぼ乾いていたが、完全に干からびてはいない。 加えて、表面の裂け目から床に掛けて、何かしら粘性のある液体が付着して乾いた様な痕跡ができていた。
まるで、そう……ほんの数日前に、あるいは昨日か一昨日にでも膜を破って中身が出てきたような………
「と、とにかく、このことを他の皆にも伝えないと」
「あ、ああ。 そうだな」
震える足を無理やり動かしながら、二人はなんとか音響室から転がり出た。
講堂に出たところでようやく落ち着き、扉の前で大きく息を吐く。
と、そこで目の前の異常に気が付いた。 いつの間にか扉の前の床が濡れている。 それもただの水ではなく、泡の混じった粘性のありそうな液体だ。
そしてその粘液は天井から滴っているらしい。 それどころか、今尚粘り気のある滴がしたたり落ちている。
嫌な予感がし、二人揃って上を見上げると、
「「う……う……」」
天井に、見たことも無い“何か”が張り付いていた。
「「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」」
「ニール! アルスラン! 無事か!」
ゴルネオが講堂らしき広間に駆け込んだ時、そこには異様な光景が広がっていた。
先に到着し、こちらに背中を向けながら油断なく刀を構えるレイフォン。
そしてその肩越しに見えるのは……
「なんだ……これは……」
ゴルネオの口からかすれた声が漏れ出た。
部屋の中にいるのは、レイフォンと第五小隊の二人。
臨戦態勢をとるレイフォンと、床に倒れ伏したゴルネオの部下たち。
そして部屋にはもう一人………いや、もう一体か。
そこにいた“もの”は人のような形をしていた。
そのシルエットは二本の脚で立ち、二本の腕を持っていた。
腕の先には、五指の付いた人のような手のひらがあった。
胴体の上に頭があった。
だが“それ”は、とても人とは呼べない姿をしていた。
3メルトル近くある身の丈に、異様に長い手足。
全身を覆う、鎧のような甲殻。
その鎧の隙間から見える、皮膚のない、むき出しの筋肉。
仮面のようであり、兜のようでもある、丸い甲殻に覆われた頭部。
感情の光が見えない、落ちくぼんだ眼窩の丸い両目。
仮面が割れたかのように開いた、ひび割れのような口。
その口に並ぶ、鋭く、危険を感じさせる牙。
そして片手には………剣を持っていた。
人間の持つような鋼でできた剣――錬金鋼では、ない。
まるで骨を固めた角のような、甲殻を剣の形に押し固めたような、武骨で歪な大剣だった。
鎧に覆われた右腕から鎧の延長、あるいは角のように直接剣が生えている。
それは……そこにいたものは……、
「汚染獣……?」
レイフォンは思わず呟いた。
「汚染獣だと? まさか……老成体か!?」
ゴルネオは叫び、心の底からせり上がってきた恐怖でとっさに身構えた。 レイフォンも刀を握る手に力を込める。
目の前にいるそれは、とても人間だとは思えない。
さすがにレイフォンもこんな汚染獣は過去に見たことがないが、それ以外にないと思った。
老成体、それも二期以上の個体は決まった形を持たない。 中には単純な膂力や質量を捨てた代わりに、特殊な能力や性質、生態を持つことがある。
さらに老成体の変異体の中には、人間と同程度のサイズのものや、さらに小さいきわめて小型の個体も存在するという。 目の前の汚染獣も、そういったものの一つなのだろう。
汚染獣の足元にはんニールとアルスランが倒れている。 すでに戦ったのか二人とも血を流し、痛みに呻いていた。
とにもかくにも、まずはあの二人を避難させないと……
「炎剄衝弾閃!!」
いきなりシャンテが先制した。
跳躍して飛びかかりながら、汚染獣に向かって火球をまとった槍の穂先を突き出す。
巨大な火球が汚染獣の上半身を呑み込み、その身を焼いたかに見えた――――が、
「なっ!」
打ち出された火球を汚染獣は左手を振るだけでかき消した。
鎧で覆われたその身には――――火傷一つない。
驚くシャンテに向かって汚染獣は右手の剣を横薙ぎにふるう。
すさまじい速度と重量の乗ったその一撃をシャンテは咄嗟に槍で受け止めた。
いや、受け止めようとした。
「うぎっ!」
汚染獣の一撃のあまりの威力に、シャンテは吹き飛ばされ、壁にたたきつけられる。
「シャンテ!!」
ゴルネオは思わず叫びながら床に崩れ落ちたシャンテに駆け寄った。
「シャンテ!大丈夫か!」
抱き起したシャンテの状態を見て、ゴルネオは絶句する。
槍は一撃でへし折れ、腕が両方ともおかしな方向に曲がっていた。
驚きで固まるゴルネオに、汚染獣が凄まじい速度で迫る。 落ちくぼんだ眼窩の感情の無い両目がゴルネオを見据えた。
剣を振りかぶった汚染獣を前に、ゴルネオは思わずシャンテをかばう。
その時、汚染獣の横から刀を持ったレイフォンが斬りかかった。
機敏に反応した汚染獣がレイフォンの斬撃を剣で受け止める。
「ゴルネオ・ルッケンス!!」
レイフォンの叫ぶ声に反応し、ゴルネオはシャンテを抱き上げてその場から飛びのいた。
それを横目で見ながらレイフォンも後ろに跳び退る。 予想以上の斬撃の鋭さに警戒したのか、汚染獣は深追いせず、その場に留まりじっとレイフォンを見据えていた。
「隊長!」
「レイフォン!」
通信機越しに先程の悲鳴を聞いたのか、ニーナとシャーニッドが階下から上がってきた。
次いで、ここが一階であるためにはっきりと声が聞こえたのか、外で待機していた他の第五小隊の面々やフェリ、ハイネ達も集まってくる。
「な、なんだこいつは!」
「ば、化物!!」
そこにいた異形を見て隊員たちが固まった。
「気を付けてください! これはおそらく汚染獣の変異体です!」
「汚染獣だと!?」
「こ、これが!?」
前回見たやつとはあまりにも姿かたちが異なるため、そう簡単には信じられない。
だがそれでも、目の前にいる“それ”が自分たちにとって脅威であることはわかるのだろう。 ニーナやハイネは慄きながらも武器を抜いて身構え、シャーニッドも二丁の拳銃を復元した状態で油断なく敵を見据える。
第五小隊のメンバーも講堂内に散開しながら各々の武器を構えた。
「先程、食糧貯蔵庫の冷凍室内に無数の死体が詰め込まれているのを確認しました。 おそらくはこの都市の住人……“人間の死体”です」
その異様な姿の汚染獣と真正面から対峙しながら、レイフォンが静かな声で自分の見たことについて話す。
シャンテに襲われる前、食糧貯蔵庫を調べたレイフォンは冷凍室の中で確かに見た。
豚肉や牛肉の代わりに吊るされていた、凍った人間の死体。 吊るされた者だけでなく床にも多くの死体が横たわり、大勢の亡骸が折り重なるようにして積み上げられていた。
「冷凍室に死体だと? ………まさか、こいつがやったというのか!?」
信じられない話だが、事実、そうとしか考えられない。 この都市にいるのは、目の前の汚染獣を除けばそれこそ死人だけだ。
汚染獣が人間の死体を冷凍室に詰め込んでいた。 理由は簡単。 食糧貯蔵庫の名の通り、自分の食料を腐らせないように保存していたのだろう。
街中に残っていたのが血痕やごく小さな骨の欠片だけだったのも、おそらくはこいつの仕業だ。 異形の怪物が都市内をうろつき回って死体漁りをしているというのもシュールな絵面だが、この汚染獣の姿を見る限りありえないとは言い切れない。 どうやら五体の揃った死体はこの汚染獣が拾い集めて冷凍保存し、それ以外……すなわち千切れた手足などは、拾ったその場で食っていたようだ。 だからこそ、都市内に人の死んだ痕跡はあっても、まとまった死体が無かったのだろう。
「姿もそうですけど、どうやら行動まで人間を模倣しているようです。 食べた人間の知識を吸収できるのか、ただ単に知能が高いのかは分かりませんが……いえ、少なくとも並の汚染獣よりも遥かに優れた知性を持っているのは確かです。 奴にとっては幸いなことに、都市内には電源がまだ生きてますし。 何カ月も、あるいは何年も電源を入れっぱなしにしておくことを前提に作られた冷凍庫や冷凍室が、そう簡単に停止するとは思えません」
「わざわざ人間を腐らせずに保存してチマチマと食ってたってのか? 美食家の汚染獣とは恐れ入るぜ、くそったれ!」
顔を顰めたシャーニッドが吐き捨てるように声を上げる。 汚染獣が街中の死体を片づけて回っていたなどと、全くもって笑えない。 ニーナたちも、あまりに非現実的で信じがたい事実に口元を押さえる。
その時、痺れを切らしたのか汚染獣が咆哮と共に走り出した。 そのまま正面に対峙するレイフォンへと凄まじい勢いで斬りかかる。
レイフォンは脳天に振り下ろされるその一撃を躱し、次いで、霞むような速度で反撃の一閃を放った。
汚染獣はそれを危ういところで受け止める。 しかしレイフォンは動きを止めない。 素早く刀を引き戻し、さらなる追撃を繰り出していく。
「はぁっ!」
短く叫びながらレイフォンはなおも苛烈に斬りかかる。
相手もまた手に持った、いや、手から直接生えた剣をふるって迎撃する。
汚染獣の動きはとても洗練されているとは言い難いが、その速度と膂力、反射速度は凄まじい。
尋常ならざる頑丈さの剣を振るい、敵は神速で繰り出されるレイフォンの斬撃をことごとく防いでいた。
「イルメナ! シャンテを頼む!」
後から来た隊員の一人、細剣を持った女性にシャンテを預けると、ゴルネオは再び構える。
自分に倒せるような敵とは思えないが、もしも途中で標的を変えてこちらに向かってきたなら、なんとかして食らい付き時間を稼がなくてはならない。
「――っ!? つぅっ!」
と、背後で急にフェリが頭を押さえて呻いた。
ゴルネオと同じく武器を構えていたニーナが思わず振り返る。
「どうした!? フェリっ!」
「………あの汚染獣を念威で調べようとすると、何らかの力で阻害されます」
見ると、第五小隊の念威操者も頭を押さえていた。
おそらくは、それがあの汚染獣の特殊な能力なのだろう。 念威の働きを妨害する力。 そしてその力はこの建物全体に及んでいる。 かなり厄介だ。
(多くの武芸者や念威繰者と戦ってきたのかもしれん)
そして戦った相手を喰ってきたのだろう。 あの形体、そしてこの能力はその末に発現したものであるとゴルネオは予測した。
数え切れぬほどの武芸者を、念威繰者を喰らい、取り込み、その能力を己が身に還元した。
人を模したかのような五体や、あの右手に生えた剣なども、都市で戦う武芸者たちの姿と力、戦い方を体現しているのかもしれない。
(よりにもよって、滅びた都市にこれほど厄介な敵がいるとは!)
おそらく危険はないだろうという予測を前提にここへ来たのが悔やまれる。 しかし彼らを送り込んだカリアンを責めることはできないだろう。 誰がこんな無人の都市にここまでの強敵が現れると予測できる?
いや、レイフォンだけは予測していた。 正確には、何か危険なことが起こるという可能性を捨てなかった。 だからこそ、これほど異様な光景を前に取り乱すこともなく対処できる。 グレンダンでの日常が、レイフォンに常在戦場の心構えを刻み込んでいたのだ。
しかし疑問は残る。
何故、これほど危険な汚染獣がいるというのに、彼らの住まう都市は――、
――ツェルニはこの場を回避しなかったのか……。
ふと、先日のヴァンゼのセリフが思い出される。
『餓えは都市さえも狂わせる』
まさにその通りなのだろう。
これから戦争期に入ろうとしているツェルニとしては、どうしてもこのタイミングで補給を行う必要があったのだ。
そしてツェルニの保有している鉱山はここ一つしかない。
だから、危険だと分かっていても来るしかなかったのだ。
あるいは……この汚染獣には都市の感知すらもくぐり抜ける何かしらの能力があるのだろうか。
念威繰者の索敵を潜り抜けるような個体だ。 こちらの常識は通用しない。
どちらにせよ、
(こいつは……なんとしてもここで倒さなくては、ツェルニが危ない!)
ゴルネオはそう感じながらも、レイフォンに頼るしかないこの現状に歯噛みする。
小型とはいえ汚染獣の、それも老成体を敵に回して、自分などが相手になるわけがない。
「ぐっ!」
その時、汚染獣のふるう反撃の剣に、レイフォンが弾き飛ばされた。 レイフォンは部屋の隅まで吹き飛び、そこに積み重ねられていたパイプ椅子にぶち当たる。 そしてそのまま崩れてきた椅子の下敷きになった。
レイフォンが力で圧倒される姿に、ゴルネオは信じられない気持になる。
まさか元天剣授受者であるレイフォンが、あの兄と同格の存在であるはずの男が、敵の攻撃に耐えきれず吹き飛ばされるとは――!
と、邪魔者を撥ね退けた汚染獣の眼が新たに現れた闖入者達に向けられる。
獲物を見定めた汚染獣は、ニーナ達に向かって走り出した。
シャーニッドが咄嗟に両手に持った拳銃から剄弾を連射する。
しかし汚染獣の装甲はまるでびくともしない。 体を撃つ剄弾など意にも介さず、まっすぐに突っ込んでくる。
第五小隊の狙撃手バレルも銃を撃つがダメージを受けている様子はまるでなく、そのまま汚染獣は最も前に出ていたニーナに迫り襲いかかった。
ふるわれた一撃に、とっさにニーナは鉄鞭を交差し防御しようとする。 受けた両腕に凄まじい衝撃が走った。
しかし、踏ん張りきれずにニーナもまた吹き飛ばされる。
「ニーナ!」
シャーニッドが走り寄って様子を見ると、ニーナの両腕が肩で脱臼していた。 完全に外れている。
踏ん張ろうとして無理な力がかかったのか、膝の関節も捻挫したようになっていた。
これでは戦うことも逃げることも不可能だ。 それを見て、シャーニッドは驚愕する。
あの怪物は、ツェルニでも屈指の防御力を誇るニーナの鉄壁の防御をやすやすと打ち砕いたのだ。
いや、そもそもレイフォンが押された時点で、すでに自分たちの敵う相手ではない。 次元が違う!
汚染獣がこちらを向き直る。
剣を構え、再び突進しようとした時、
「ふっ!」
降り重なった椅子を撥ね飛ばして立ち上がったレイフォンが一瞬で汚染獣の背中へと肉薄し、閃光のような斬撃を放った。
汚染獣は己の肩に刃が振り下ろされる寸前で振り返り、その一撃を自らの剣で受ける。
そして再び剣戟の嵐が吹き荒れた。
レイフォンが縦横無尽に神速の斬撃を繰り出し、それを神懸かり的な反射速度で汚染獣が防御する。 そして強烈な一撃の後の隙とも言えぬ攻勢の空白に汚染獣の強烈な反撃が放たれる。 しかしレイフォンは焦らない。 一度突かれた隙を何度も突かれるほど間抜けではなく、無駄の無い動きでその一撃を躱し、再び降り注ぐ雨のような高速連撃を繰り出した。
レイフォンの怒涛の攻撃を汚染獣が防ぎ、攻撃から攻撃へと繋ぐ僅かな間隙を抜いて汚染獣が反撃する、そしてそれを躱したレイフォンが再度攻撃の嵐を生む。 そんな攻防が何度も繰り返された。
だが、やがて――――
「レイフォンが押され始めている?」
汚染獣が徐々に、しかし確実に先程よりも強くなっている。
それを証明するかのように、少しずつ汚染獣の反撃する間隔が短くなってきていた。
学習しているのだ。 と、その戦いを見守っていたゴルネオは内心で独りごちた。
汚染獣はレイフォンと刃を交わすたびにその動きをさらに鋭くし、剣捌きは徐々にその技量を増していく。
体捌きからは無駄が削がれ、繰り出される剣筋は理にかなった最も切れ味の発揮できる角度に。
強者と戦うことでその動きを模倣し、同時に自らの動きをより効率的な形へと改善させる。 戦いの中で急激に成長しているのだ。
この個体が武芸者を喰らうことでその力を己が身に反映させたとするのなら、それは何も不思議なことではない。
殺せば殺すほど、喰らえば喰らうほど、戦えば戦うほど、この汚染獣は強くなる。
レイフォンという達人と剣を交える中で洗練されたその動きと技は、すでに一流のそれとなっていた。
長引けばそれだけレイフォンが不利だ。
技量が徐々に互角へと近付いている。 だが、身体能力の差は如何ともしがたい。
敏捷性では小柄なレイフォンの方が上。 しかし膂力は汚染獣側に絶対の利がある。 加えて、持久力や耐久力においては比べるのも馬鹿馬鹿しくなるほど相手が上回るだろう。
レイフォンの武器と腕力では汚染獣の一撃を受け止めることはできないし、相手の反射速度を完全に上回れるほどの身体速度があるわけでもない。 何より体力や生命力で汚染獣に、それも老成体相手に敵うわけがない。 並の武芸者をはるかに上回る剄力を持つ天剣授受者であろうと、それは同様である。
そしてレイフォンの技量を身に付けた汚染獣を倒せる者は、ツェルニには存在しない。
だが、だからといって剣を退くことも既に不可能なのだ。
今はまだ、レイフォンの猛攻によって相手を防戦に押し込めることができている。
しかし攻勢を緩めれば、それだけであっという間にひっくり返されジリ貧になってしまうだろう。
このまま状況が膠着すれば、いずれレイフォンは命を落とすことになる。
その時、ゴルネオの心の中で小さな声が響いた。
わざわざ自分が復讐などせずとも、レイフォンは……ガハルドの仇は死ぬ。 ゴルネオでは一生敵わないであろう相手が。
わかっているのだ。 自分では、たとえ何年かかろうともこの男に追い着くことなどできはしない。 だが――、
――このまま傍観すれば、自ら手を下すことなく仇を死に追いやれるかもしれない……。
それは心を揺らす甘い囁き。
しかしそんな内心の声を、ゴルネオは全力で振り払った。
そして同時に、一瞬とはいえ自らの心に浮かんだ醜さに嫌悪し、怒りを覚える。
――ふざけるな!
仇敵が死ねば他はどうでもいいのか? 違う!
確かにゴルネオは復讐を望んでいる。 だが、こんな形での死など望んではいない。
何よりここでレイフォンが敗北すれば、ツェルニの武芸者でこの汚染獣を倒せる者は誰もいなくなる。
そうなれば、この場にいる者たちは皆殺しにされるだろう。 第十七小隊の面々はもちろん、ゴルネオやシャンテ、その部下たちも例外なく喰い殺される。 そして、何も危険を知らないツェルニがここに到着し、汚染獣が向こうへと渡れば、その上に住まう者たちは為すすべなく蹂躙されることになるのだ。
ここで逃せば、この狡猾で強大な捕食者はツェルニに住まう人々を次々と喰らい、恐怖のどん底へと叩き込むだろう。
ゴルネオは横目で他の隊員に介抱されるシャンテを見やる。
――ここで死ぬわけには、いかない!
それからゴルネオは少し離れた所に落ちている折れた槍の穂先を見た。
汚染獣の強烈な一撃でへし折られた、紅玉錬金鋼製のシャンテの槍だ。
ゴルネオは無言でそれを拾い上げ、手の中でその感触を確かめる。
(何とかなるか……? いや、何とかするしかない)
ゴルネオは静かにその場から離れると、レイフォンと激しい攻防を繰り広げている汚染獣の背後へゆっくりと回った。
汚染獣はこちらに気付いていない。 それだけレイフォンの攻勢が激しいのだろう。 いかに老成体と言えど、他に気を逸らしている余裕がないのだ。 だが、それも何時まで持つかはわからない。
周囲に展開した調査隊の隊員たちは、目の前で行われている人知を超えた戦闘の光景に目を奪われていた。 いや、むしろ言葉を失っている。
その場の全員の意識が汚染獣とレイフォンの戦いに向いている中、ゴルネオは静かに、しかしできる限り迅速に汚染獣へと接近した。
そのまま真っ直ぐに汚染獣の背中を見据える。
常に立ち位置を変えながら敏捷に動き回るレイフォンとは対照的に、汚染獣はその場からほとんど動かない。 冷静に相手の動きを見極めながら、適確に対処していく。
しかしその分、汚染獣の注意はレイフォン一人に向けられている。 とはいえ、現状この人外を相手にまともにダメージを与えられるのはレイフォンだけであり、そういう意味では、汚染獣がレイフォンを集中的に殺そうとしていることは正解と言えるだろう。 彼さえ倒せば、汚染獣にとってこの場での脅威は取り除かれるのだから。
しかしだからこそ、そこには隙がある。
両足に力を込め、ゴルネオは一足飛びに汚染獣へと飛びかかり、その背中にしがみついた。
そのまま槍の穂先を振り上げ……、
「ぐっ!」
突如、汚染獣の背中側の甲殻が盛り上がり、その隙間から角のように無数の棘が飛び出しゴルネオを襲う。 直後、体に走る鋭い痛み。
急所は外していたが、長く太い槍のような棘が脇腹と肩に深く突き刺さっていた。
「う……おおおぉ!」
それでも、穂先を振り下ろす。
首筋の、甲殻の存在しない筋肉が露出した部分へと――!
「ギィアァァァァァァ!」
穂先が深々と突き刺さり、汚染獣が悲鳴を上げる。
ゴルネオはさらにその槍に化錬剄で変化した剄を流し込んだ。
外力系衝剄の化錬変化 紫電
電流へと変化した剄が汚染獣の首筋から流れ込む。
いくら人外の化物とはいえ、体の形状が人間と似ている以上、その構造もある程度似通っているはずだ。 急所に電撃を受ければ、流石の汚染獣も平気ではいられないだろう。
狙い通り、汚染獣は全身を走る痺れに、僅かに動きが鈍る。 そしてレイフォンはその隙を逃さない。
振り抜いた刃が翻り、すくいあげるような斬撃が汚染獣の防御を掻い潜ってその右腕を斬り飛ばした。
歪な剣の生えた腕が宙を舞い、汚染獣の苦鳴が上がる。
レイフォンはそのまま右脚を引いて左半身に。 汚染獣の背中からゴルネオが離脱するのを見届けながら、返す刀を引き戻して刺突の構えを取る。
そして汚染獣の胴体――胸当てのような甲殻の鎧をめがけて鋭い突きを放った。
サイハーデン刀争術 刃紋抜き
まるで水に刃を突き立てたかのごとく、刀はするりと吸い込まれるように突き刺さった。
そして同時に、刀から放たれた衝剄が細胞レベルで汚染獣の肉体を破壊する。 武器破壊技を応用した浸透攻撃だ。
突き込まれた切っ先はその胸を深々と貫き、体内へと流れ込んだ剄は、汚染獣の甲殻だけでなく内側の体組織までもを次々と破壊した。
「グオォォォォォォォォォ!」
汚染獣が苦悶の叫びを上げる。
確かな手応えを感じ、レイフォンは刀を引きぬこうとした。
「くっ!」
その時、痛みにもがいた汚染獣が強固な鎧で覆われた腕を振り回して、胸元にいたレイフォンを弾き飛ばした。
レイフォンは咄嗟に引き抜こうとしていた刀の柄から手を離し、自ら後へ跳んで衝撃を緩和する。 そのまま空中で体勢を立て直すと、綺麗に床に着地した。
中途半端に引き抜かれた鋼鉄錬金鋼の刀が、汚染獣の体から抜け落ち床に突き刺さる。 それを視認しながらレイフォンは青石錬金鋼を抜いて復元、鋼糸を展開した。
無数の鋼糸が宙を走り、汚染獣の体に絡みつく。 全身を縛り上げられ、汚染獣は碌に身動きが取れなくなった。
とはいえ拘束は長く持たない。
いくら汚染獣として小型であろうと、その身に宿る膂力は老成体のそれだ。
筋肉の強度や外皮の硬度は並の汚染獣を遥かに凌ぐだろう。
事実、その膂力はレイフォンをして受け止めきれないものだった。
先程攻撃を受けたシャンテが怪我で済んだのはただの偶然だ。 槍を楯にしたこと、そして体重が非常に軽く、空中で打撃を受けたお陰で衝撃をまともに食らわなかっただけ。
ニーナに関しても、頑丈な黒鋼錬金鋼やレイフォンの教えた金剛剄が無ければ、まったく防御できなかっただろう。
一歩違っていれば、二人とも最初の一撃で胴体真っ二つになるか、ぺちゃんこに潰されて死んでいたかもしれない。
時間をかければ身体能力の差が響く。 だからこそ、少しでも早く決着をつけなくてはならない。
レイフォンは鋼糸で汚染獣の身動きを封じながら素早く接近し、大きく息を吸う。
「かぁっ!」
外力系衝剄の変化 ルッケンス秘奥 咆剄殺
瞬間、レイフォンの口から凄まじい振動波が発せられた。
物体の分子結合を破壊する振動が響き、波動となって汚染獣に襲いかかる。
これはゴルネオの先祖でもある初代ルッケンスが考案した、ルッケンス流格闘術奥義の一つ。 グレンダンの長い歴史の中で、初代を除けば現天剣授受者であるサヴァリスだけが使えたという秘奥中の秘奥。
手足を失っても尚戦い続けることを目的に編み出された、文字通りルッケンス最後の切り札である。
実際には習得が困難であるがゆえに秘奥とされているだけであり、使い手から見ればさほど勝手の良い技ではないが、それでも至近距離で食らわせれば十分な殺傷力を持っている。 人間の肉体ならば粉々になっていただろう。
だが――、
「くっ!?」
しかしまだ……倒れない!
すでに鋼糸による拘束は解けていた。 それでも、かなりのダメージを受けたはずなのだ。
なのに、
「まだ、なのか……」
全身の甲殻に罅が入り、すでにボロボロの体でありながら、汚染獣は尚も残った左腕を振り上げる。
その一撃をレイフォンは躱せない。 すでにかなり消耗していたところに慣れないルッケンスの秘奥を使ったせいで体に力が入らないのだ。
動きが鈍っていたのはほんの数秒。 しかし老成体の汚染獣を前にして、それは致命的な隙だった。
甲殻に覆われた歪で武骨な手のひらが、レイフォンの体を打ち砕かんと振り下ろされる。
その時、
「お、あぁぁぁぁぁぁ!」
数メルトル離れた先で、突如巨大な剄が膨れ上がった。
そこにいたのは両手に銃を構えたシャーニッドだ。 今、彼の剄脈は普段の何倍も活性化し、体内を凄まじい剄の奔流が荒れ狂っている。
その状態で、シャーニッドは両手に構えた拳銃を――――撃った。
「ギィッ!?」
撃ち込まれた剄弾に汚染獣がよろめく。
それで勢い付いたかのように、シャーニッドは雄叫びをあげて両手の拳銃を連射した。
「うおおおおおおおおお!」
先程までまるでダメージを与えられなかったことが嘘のように、シャーニッドの放つ弾丸は汚染獣の体を殴りつけ、罅が入っていた甲殻を打ち砕いていく。 剄弾で砕かれた甲殻の鎧は破片となって汚染獣の体から剥がれ落ちた。
彼が使っているのは剄の伝導率の低い黒鋼錬金鋼製の拳銃だ。 剄弾一つ一つの密度や威力はさほどでもない。
その剄弾が、確かに強力な汚染獣の肉体にダメージを蓄積していく。
内力系活剄の変化 照星眼
その時、シャーニッドの右眼とその周辺が、一点に集中した剄で光っていた。
正確な遠距離射撃のために視力を選別強化する。 それは、狙撃武器を扱う全ての武芸者が最初に覚えるべき活剄の基本技、照星。
今シャーニッドが使っているのは、そこからさらに一歩先へと進んだ技だ。
遠くの相手を鮮明に見据えるだけでなく、標的の致命的な部分を確実に見抜く。 その目は標的を捕えると同時に、瞬時に相手の表面上の打撃的弱点部位を精査するのだ。
老成体が相手では、流石にこれだけで絶命させることはできない。 だが、レイフォンの猛攻によって全身に傷を負い、甲殻の鎧の至る所がひび割れて、防御に綻びが生じた状態ならば話は別だ。
最も大きな打撃を効率的に与えられる一点を狙い、シャーニッドは雨のように弾丸を撃ち込んでいく。 罅割れた甲殻を無理やり剥ぎ取られ、体中の傷痕をさらに抉られた汚染獣は、たまらず腕で体を庇いながらレイフォンから離れた。
もちろん、敵の弱点が分かったからといって、そこを正確に射抜く技量がなければ意味がない。 剄力を一時的に高めたシャーニッドは、普段から使っていたこの技の精度を高めると同時に、その場所を正確に撃ち抜くために活剄で肉体も強化していた。
「ハアァァァァァァァァ!」
シャーニッドの横では、双剣を抜いたハイネもまたレイフォンを援護するように技を繰り出した。
両手に持った巨鋼錬金鋼(チタンダイト)の剣を霞むような速度で振り回し、動作に遭わせて無数の衝剄を連続で放つ。
外力系衝剄の変化 連槍剄(れんそうけい)
レイフォンの浸透剄技や分子結合を破壊する振動波ですでにボロボロになっていた鎧は、シャーニッドの射撃による追い打ちでさらに剥ぎ取られていた。
そうして剥き出しになった肉体に、鏃の形へと固く凝縮された衝剄の塊が立て続けに撃ち込まれる。
巨鋼錬金鋼の武器はその軽さであり、取り回し易さだ。 その真価は、連続攻撃の速さにおいて最も発揮される。 しかし武芸者の技はただ速く振り回せれば良いというものではない。 重要なのは、自らの動作の速度に合わせて正確に剄を練る技術だ。 凝縮された衝剄を一定の技の形で連射する。 言うほど簡単なことではない。 その動作それ自体を機能としている銃ならばともかく、衝剄を撃つたびに次々と体内で剄を練り上げ一つの形に固めるというのは、それだけで一つの技である。 その点において、ハイネはツェルニ武芸科の誰よりも優れていた。 だからこその高速連続攻撃であり、そのための巨鋼錬金鋼だ。
「おおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
さらに、一旦汚染獣と距離を取ったゴルネオが、好機とばかりに剄を練り上げる。
一矢は報いた。 だが、それだけでは足りない。 一つは腕を折られたシャンテの分。 そしてもう一つは――――、
(小隊員として、そしてグレンダンの武芸者としての、俺自身の誇りと矜持のために。 ガハルドさんの名誉を傷つけたレイフォン・アルセイフの記憶に、俺の存在を焼きつけるために)
視力を上げていたシャーニッドは気付いただろう。 いつの間にか、汚染獣の体に無数の剄の糸が絡み付いていたことに。 先程汚染獣の背中に組み付いた際、化錬剄を使って剄糸を貼り付けておいたのだ。
とはいえ、それ自体にレイフォンの鋼糸のような攻撃力や拘束力があるわけではない。 だがそれでも、敵はもはやこちらの攻撃から逃れることはできない。
「はぁっ!」
外力系衝剄の化錬変化 爆導炎鎖(ばくどうえんさ)
ゴルネオの両拳から化錬剄で変化した剄弾が無数に放出され、糸を通して汚染獣の体に着弾する。
剄弾は炎を伴う爆発を起こし、汚染獣の体表を火炎の奔流が舐めた。 すでにボロボロになっていた汚染獣の肉体に次々と剄弾が叩き込まれる。 傷んだ体を殴りつける衝撃と外皮を焼く炎に、苦悶の鳴き声を上げながら汚染獣がさらに後退した。
次の瞬間、ゴルネオの脇腹と肩口から派手に血が吹き出る。 先程の傷口が開いたのだ。
文字通り体を貫く痛みにゴルネオが呻く。 もはやまともに戦える余力は残っていない。 それでも、その顔には満足げな笑みが浮かんでいた。
(ここまでか……一学生としては上等、だな)
三人の攻撃が汚染獣の動きを止めたのはほんの数秒。
だが、それだけあればレイフォンが次の攻撃態勢を整えるには十分だ。
床から拾い上げた刀を体の左側で腰だめにし、左手で刀身を掴んだ右半身の構えを取る。 抜き打ちの構え。
次の瞬間、居合抜きの要領で放たれた神速の一閃が焔を纏いながら逆袈裟に走った。
サイハーデン刀争術 焔切り
三人の連続攻撃で損傷した胴体に斬線が走り、汚染獣が苦悶の叫びを上げる。
サイハーデン刀争術 焔返し
レイフォンはすぐさま返す刀でやや低めに逆方向の袈裟斬を放ち汚染獣の左足を斬り飛ばした。
右手と左足を失った汚染獣は体勢を支えきれなくなり、這い蹲るように左手を床に突く。
こちらを見上げるように持ち上がった顔は、仮面のような甲殻の左顔面部分が剥がれ、生皮を剥がれた人間のように筋肉がむき出しになっていた。
落ちくぼんだ眼窩に見える白濁した眼球は、人間性どころか生物性すらも感じさせない。 ガラスのような……いや、まるで陶器のような瞳だ。
差し出されるように前に出た頭部を狙い、レイフォンは再び突きの構えを取る。 同時に両の手から個別に衝剄を放ち、その手に握る刀へと流し込んだ。 それぞれ別個の流れを持った二つの衝剄は、刀身を軸にして二重螺旋を描きながら切っ先へと収束される。
その時、不意に目の前の汚染獣からザラザラとかすれた声が聞こえた。
「ナゼ………オ前たちは……我々を殺ソウとする………。 あたかモ我々が悪しき存在デあるカのように………」
聞き取りづらい声だが、確かにその言葉は汚染獣の口から聞こえていた。 汚染獣が言葉を話すという事実に、僅かにレイフォンの目が見開かれる。
相手は言葉の意味を分かって言っているのか、それともただ単に人間の声帯を模しているだけなのか……それは自分にはわからない。
だが、それでもレイフォンは言葉を返した。
「僕がお前を殺すのは、お前が悪だからじゃない。 お前が人を食うからだ」
今ここで殺しておかなければ、この汚染獣はツェルニへと渡って生徒たちを食い殺すだろう。
学生武芸者では手も足も出ない凄まじい戦闘力に、獣とは思えぬほどの高い知能、念威繰者の探査をも掻い潜る特異な能力。
その全てを駆使して、こいつは多くの人間を喰らうのだ。 年齢も男女も一切区別せず、全て等しく喰らうだろう。
当然、レイフォンの大切な人たちでさえも――――――、
「デは……お前は人を食うことが悪シキことダというのか……。 お前たち人間モ、他の生物を喰ってイるのだろう……。 なのニなぜ、我々ダケが殺されなけレバならない。 なぜお前たちハ自分たち人間ダケを特別扱いスル……」
「二度言わせるな」
聞く必要は無いのかもしれない。
答える必要は無いのかもしれない。
それでもレイフォンは言葉を返す。
自分の意志を示すために。
自分の生き方を現すために。
「善悪じゃない………ただの感情だよ」
掲げるべき大義も、抱くべき矜持も、レイフォンには無い。
心にあるのはただ一つ。
大切な者たちを失いたくないという、単純で利己的で、それでいて決して褪せることなき感情だけだ。
それだけを胸に、レイフォンは戦い続ける。 それだけを思い、レイフォンは殺し続ける。
今までも………そして、これからも。
邪悪だから? 違う。 敵だから殺すのだ。
「許せとは言わない。 憎むなとも言わない」
詫びるつもりも、悔やむつもりも一切無い。
そんな資格は、自分に無い。
「僕がお前に望むのはただ一つ」
―――― 僕たちが生きるために、
「今ここで………死ね!」
叫びと共に突きを放つ。
切っ先は真っ直ぐに突き進み、怒りの咆哮を上げる汚染獣の口内へと突きこまれた。
刀身が呑み込まれるように口から入り喉を通る。 そしてそのまま汚染獣の胴体の胸の辺りまで貫いた。
サイハーデン刀争術 逆螺子 (さかねじ)
瞬間、切っ先に収束された二つの衝剄が解き放たれる。 肉体内部で解放された衝剄の刃は、汚染獣の体を内側から容赦なく切り刻んだ。
二重螺旋状に走る衝剄の猛威は、回転の輪を広げながらより深く体内へと突き進み、思うさまに破壊の牙を振るう。
口内に刀を突き込まれたまま、汚染獣が凄まじい叫び声を上げた。
「――っ!? くっ!」
と、限界を察知したレイフォンが咄嗟に鋼鉄錬金鋼の柄から手を放す。
直後、剄の過負荷に耐え切れなくなった錬金鋼が、汚染獣に突き立てられたまま内部から自壊し、爆発した。 さらに体内からの圧力で汚染獣の肉体が大きく膨張する。 耐え切れず、全身の皮膚と筋繊維が悲鳴を上げて断裂した。
それまでの攻撃ですでにズタズタになっていた汚染獣の肉体は、爆風と錬金鋼の破片によってさらに破壊され、上半身が粉々になって四散する。
レイフォンの攻撃の余波によって、周囲には汚染獣の体液が飛び散り、バラバラになった肉片が無惨に散乱した。
「はぁーっ……はぁーっ……」
素早く跳び退ったレイフォンはそこで大きく息を吐き、自身の技の結果を見やる。
後に残ったのは、肉体の上半分を破壊されて失った、汚染獣の死体だけだった。
あとがき
と、いうわけでバトル回でした。
廃都市で人型の汚染獣と戦闘というこの展開は、私がこのss作品を書き始めた時から必ず書こうと思っていたシーンの1つでした。 なのでより一層感慨深かったです。
廃貴族を出さないからといって、何にも起こらずに帰還するのも味気ないし、敵がシャンテとゴルネオだけというのも物足りない。 そこで、アニメでもレイフォンが危惧していたように、汚染獣の変異体が潜んでいたという展開へと相成りました。
人型汚染獣の発想は11巻でデルクと戦った奴ですが、シチュエーションとして私がイメージしていたのは『エイリアン』などのようなSF・モンスターパニック映画ですね。 「無人の宇宙船やら建物、都市の中に探索のため乗り込んだら、目にしたものは不可解な痕跡と人を喰らう人外の化物」という感じでしょうか。 まぁ基本がレギオスなので、パニックやホラーよりはアクション寄りでしたけど。
さて、次話は廃都市編のエピローグ。 おそらくかなり短くなると思いますが、今回の話の纏めをするつもりです。
人間関係にケリを付けて、再びレイフォンは歩み始めます。