ランドローラーを走らせて半日、目的地には何の問題も無くたどり着けた。
「こいつは、よくもまぁ……」
シャーニッドが驚きの声を漏らす。
現在、第十七小隊は第五小隊と分かれて、無数の脚に支えられた都市の土台を見上げながら、上に上がる手段を探していた。
それにしても……下から見上げるだけでもその崩壊具合がある程度分かる。 写真で見てもひどかったが、実際に目にするとさらに無惨だ。
「汚染獣に襲われて、ここまでやって来たって言ってたか?」
「推測だがな」
「会長様の推測か………まっ、外れちゃいないんだろうが」
都市の外部周辺をあらかた調べ終わると、念威端子を都市内に送り込んで調査していたフェリが第五小隊との通信に入った。
「外縁部西側の探査終わりました。 停留所は完全に破壊されています。 係留索は使えません」
「こちら第五小隊。 東側の探査終了。 こちら側には停留所はなし。 外部ゲートはロックされたままです」
向こうの念威繰者の声が通信機を通して聞こえてきた。
「あーらら」
「上がる手段はなしか」
「自力で上がるしかないようだな」
「そのようだ……レイフォン」
ニーナはハイネの言葉に頷くと、レイフォンの方を見やった。
「頼めるか?」
「了解」
錬金鋼を抜き出し、起動鍵語を呟く。
一瞬、手の中で青い光が弾けて消えるとともに、柄だけの奇妙な形状の武器が復元される――鋼糸だ。
レイフォンは中に舞った無数の鋼糸に剄を走らせ、都市へと繋げた。
さらに、分化した他の鋼糸を第十七小隊の面々の体にも巻きつけていく。
「先行します」
言って、レイフォンは鋼糸の補助を使い都市へと上がる。
一気に都市の上まで跳び上がると、エアフィルターを抜けて土台の上へと降り立った。
もしもの事態に備え鋼糸の一部を周囲に飛ばして防御陣を張っておき、それから下に残した第十七小隊の面々の引き上げにかかる。
まずは、念威繰者であり警戒や索敵を担当するフェリを先に上げた。
それから隊長のニーナ、シャーニッド、ハイネと、鋼糸を使い順番に引き上げていく。
「どうだ?」
「今のところ人影は、死者も含めて見つかっていません」
都市に入る前から念威端子で調査を行っていたフェリがニーナの問いに答える。
「そうか……よし、では近くの重要施設から順に調べていこう」
「都市の半分くらいなら一時間ほどで済みますが?」
「そうだぜ。 楽に済まそうや」
「フェリの能力を疑うわけではないが、それでは納得できない者もいるだろう」
「……はい」
フェリが不承不承頷く。
今までずっと実力を隠してきたため、彼女が念威繰者として類稀な才能を持っていることを知っているのは、カリアンやレイフォン、アルマを除けば第十七小隊の面々だけだ。
これまでさして目立った活躍をしていたわけでもないフェリが念威で調べたと主張したところで、第五小隊の面々が納得するとは思えない。
フェリの念威の能力は、並の念威繰者では想像も及ばぬほどの域にあるのだ。 その探索可能範囲も精度も速度も、学生どころか熟練の念威繰者をも遥かに凌駕する。
だからこそ、他者に納得させるのは難しい。
「……機関部の入り口は見つかったか?」
「いえ。 どうやらこの近辺には無いようです」
「そうか」
「ですが、シェルターの入口は見つけてあります」
「では、まずはそこからだ。 生存者がいればありがたいが」
「期待は薄そうだがな」
シャーニッドの呟きにニーナは人睨みし、第十七小隊はフェリの案内で都市の奥へと歩き出す。
しかし、バスの停留所があったところからほんの数メルトル歩いたところで再び足を止めた。
「これは……」
ハイネが息を呑み、ニーナは呆然と立ちつくす。 シャーニッドも目の前の光景に唖然としていた。
その光景を見て、レイフォンも目を細める。
フェリは無反応だ。 当然、すでに気付いていたのだろう。
「汚染獣……」
そこに横たわっていたのは、雄性体の汚染獣の亡骸だった。
巨大な死体に近付きつつ、冷静な口調でレイフォンが呟く。
「大きさから見て雄性三期……といったところですか」
その死体は異様だった。
汚染獣の巨大な体が頭から尾の先まで縦に分断されている。
死体はすでに乾燥し干からびていたが、その切り口が尋常でないくらいに鋭いものであったことは容易に想像できた。
しかも外から見て見当たる外傷はその切り口だけ。 すなわちこの汚染獣を倒した武芸者は、ただの一撃、一刀で雄性体汚染獣を両断し、屠ってみせたということだ。
この都市には、少なくとも一人以上はそれだけの腕を持つ強者がいたということでもある。
「まるでレイフォンみてぇな強さだな」
レイフォンの見解を聞いたシャーニッドが驚きの滲む声で呟きながら死体に近付く。
「やはり汚染獣に襲われたというのは本当だったか」
ニーナが悔しげに唇を噛む。
いかな強者がいたとしても、この都市がすでに滅んだのは事実だ。
この都市を襲った汚染獣が一体だけということはまず無いだろう。 おそらくは群れで襲われたのだ。
だからこそ、これほどの強者ですら都市を守り切れなかった。 どんな強者であっても、汚染獣に群れで襲われれば一たまりも無い。
その事実に、自分たちの無力さ、人間の世界の脆さを、痛いほど実感させられる。
「とにかく、都市部に入ってもっと良く調べてみましょう」
レイフォンの言葉に頷き、ニーナたちは再び歩き出した。
「ねぇ、ゴル」
「ん?」
肩からの呼び掛けに声だけを返し、ゴルネオは周囲の観察を続ける。
都市の東側から侵入した第五小隊は隊を三つに分け、念威繰者を含む三人を後方に待機し、残る四人が二手に分かれて都市内を調査していた。
現在、隊長のゴルネオと副隊長のシャンテの組は多数の建物が並ぶ商店街を歩いている。
「ここで仕掛けたら事故で済ませられるんじゃない?」
肩に乗ったシャンテの呟きで、ゴルネオは足を止めた。
周囲に人気は無い。 通りに並んだ店舗はまばらに打ち壊され、破片が散らばっている。
中には火災が起きたと思しき焼け落ちた痕跡のある建物もあった。
「そう簡単なことではない。 性根が腐っていようと、実力は確かだ。 武闘会での戦いぶりはお前も見ただろう」
「確かに見たけどさ……不意を打っちゃえばいけるんじゃない?」
ゴルネオが鼻で笑う。 彼女は勘違いしているのだ。
「天剣授受者に隙などあるものか」
「そんなの、やってみなくちゃ分からないじゃん」
シャンテがぶらぶらさせていた足でゴルネオの胸を叩く。
分厚い胸板は、それくらいではびくともしない。
「やってみなくちゃわからないのは、お前が未熟だからだ。 あの試合で見せたのは、奴の実力のほんの一端に過ぎん」
「むう……」
納得いかなそうなシャンテには構わず、ゴルネオは周りを見渡した。
鼻で空気を吸い込み、その匂いに顔を顰める。 腐臭と……血の臭いだ。
飲食店や食糧店を覗くと、腐った食材が床に散らばり蠅にたかられているのが見える。 腐臭の正体はこれだろう。
そして血の臭いは……
「……激しい戦闘だったようだな」
通りの地面には砕かれた痕があり、周囲には乾いて黒くなった血痕が残されていた。
血痕は一つだけではない。 そこかしこに夥しい量の血糊が付着した痕がある。
そしてさらに……
「汚染獣………」
通りを曲がったところで、倒壊した建物の瓦礫に埋もれる様にして横たわる汚染獣の死体が目に入った。
見たところ雄性体の一期か二期といったところだろうか。 巨大な体のいたるところに傷を負っている。、
死んですでに日が経っているのか、死体は完全に乾燥して干からびており、絶命しているのは傍目にも明らかだ。
「これが? この間ツェルニに来たやつとは随分違うね」
「この前のは生まれたばかりの幼生体だ。 こいつは雄性体、成長して成体となった汚染獣だ」
やや遠くを見ると、他にも汚染獣らしき姿がいくつか見える。
やはりこの都市は汚染獣に、それも雄性体の群れに襲われたようだ。
これだけの規模の都市、質はともかく武芸者の数はそれなりに揃っていただろう。
それでも、滅んだ。
「手強いの?」
「当然だ。 群れで襲われたら、並の武芸者が束になってもそうそう勝てる相手じゃない」
しかし、疑問もある。 なぜ、汚染獣の死体はあるのに人間の死体はどこにも無いのか?
武芸者によってつけられたと思しき傷を負った汚染獣の死体がいくつもあるということは、少なくとも、この都市にはこれだけの数の汚染獣を倒せるだけの戦力があったということである。
ここで起きたのはあくまで戦闘であり、決して一方的な虐殺ではない。 武芸者側にもある程度敵に抗しうる力があった。
人間全てがあまさず食われてしまったとは考えにくいのだが……
「まさかこれだけの被害で死者がゼロ、ということもないとは思うが」
都市は滅んだが犠牲者は一人も出さず、全員が脱出したというのか。
ありえない、とゴルネオは自分で自分の考えを否定する。
通りに付着した血液の量を見れば、死者が一人も出なかったなどとは考えにくい。
逃げ惑う市民の中にも、戦っていた武芸者の中にも、少なくない数の死者が出ていてもおかしくないはずだ。
ではいったい何が……
「でさぁ、ゴル」
考えに沈んでいたゴルネオをシャンテが引き戻す。
「ん?」
「だからって、あいつをほっとくつもりはないんでしょ?」
話は最初に戻ったらしい。
「当然だ」
腹の奥で唸りながら、ゴルネオは答えた。
「あいつは、許せない」
一年前、ゴルネオがツェルニにいる間にグレンダンで起きたとある事件。
事の顛末を手紙で知った時の衝撃は忘れられない。
「あいつが、ガハルドさんを殺したんだ。 武芸者としてのガハルドさんを」
それがただの事故だったのなら、嘆きながらもゴルネオは怒りを飲み込んだだろう。
だが、そうではない。
奴は……レイフォン・アルセイフは、最初から殺すつもりだったのだ。
「あいつは武芸者の恥だ。 許しておくわけにはいかん」
あれだけの罪を犯しておきながら、今度はツェルニで武芸者面をしている。
自身の悪行を忘れたのか、人前で実力をひけらかし、臆面も無く指導者面して他の生徒に教えたりなどしている、厚顔無恥の恥知らず。
「グレンダンから追い出すだけなどと、陛下は生温い」
今はまだ大人しくしているようだが、それがいつまでも続くとは思えない。
奴がいざ本性を現した時、ツェルニには対抗するすべは無いというのに。
「あいつの息の根は、俺が止める」
潰されたガハルドのためにも、ツェルニを守るためにも、奴はこの手で始末しなければならない。
「ゴル、あたしも手伝うからね」
それにはゴルネオも首を横に振った。
「これは俺とあいつの問題だ。 それに天剣授受者のことはよく知っている。 お前まで危険な目に合わせるつもりは無い」
「馬鹿!!」
断固とした拒絶に、シャンテはゴルネオの頭に拳骨を落とした。
シェルターの天井には大穴が開いていた。
天井から落ちた瓦礫が放射状に広がっている。
その瓦礫の縁を、赤黒く染まった血が彩っていた。
「こいつはひでぇ」
シェルター全体に漂う腐敗の臭気に、シャーニッドが口と鼻を手で押さえた。
下に降りた他の面々も、同じく口元を手で覆っている。
フェリだけはシェルターに入るのを断固拒否して、念威端子だけを送り込んでいた。
「生存者はいるか?」
「今のところ都市内のどこにも人間の生命反応は見つかりません」
「そうか……くそっ」
苛立ちに、ニーナが床を蹴る。
エアフィルターが生きている以上生存者がいる可能性もあるが、今のところフェリの念威には人間レベルの生命反応は見つかっていないという。
生命反応があったとしても、食用の家畜や魚ばかりだ。
「おかしいですね」
シェルターの内部を歩き回りながら冷静に観察していたレイフォンがふと呟いた。
左手でライトをかざしながら、右手の指で何か白いものを摘まんでいる。
「何がだ?」
「人の死体が無いんですよ」
端的にレイフォンが言う。
「ここもそうですけど、僕らが通ってきた道にも建物にも、血の痕や破壊の痕跡は残っているのに、人の死体だけが見当たらないんです。 それこそこの都市の被害状況を考えれば不自然なくらいに」
レイフォンの言葉に、他の面々が首をひねる。
「そんなにおかしいか? 汚染獣は群れだったんだろ。 全員残らず喰われちまったんじゃねぇの?」
「それにしては汚染獣の死体が残り過ぎています。 連中に人間のような仲間意識や情はありません。 傷ついた個体や弱い個体は他の強い個体に食われてしまいます。 汚染獣は共食いを忌避する習慣はありませんしね」
少なくともこれまでに見た汚染獣の死体には、人間によって負わされたと思しき傷跡しか見当たらなかった。
これまで数多くの汚染獣と戦ってきたレイフォンの鑑定に、ニーナたちが異論を挟めるはずも無い。 黙って説明を聞く。
「人間を残らず食べてしまうくらい数がいれば、当然死んだ個体や深い傷を負った個体も喰われていたでしょう。 しかし、都市の上には干からびた汚染獣の死体が無数にあります。 共食いの痕跡は無く、汚染獣同士で共倒れという可能性も低い。 明らかに人間による攻撃で絶命した死体ばかりですし……。 共食いが起こったとしても、真っ先に食われるのは傷ついたものです」
つまり、犠牲者の数はともかく、戦いそのものは人間側の勝利だったということだ。
「先程の停留所にも、あまり放浪バスは残っていませんでした。 おそらく、生き残りの都市民たちは崩壊した都市から脱出したんでしょう」
「んじゃあ、生き残った連中が死体を片づけたんじゃねぇの?」
「いえ、その可能性も低いと思います。 この都市の惨状を見る限り、都市民たちにそんな余裕があったとは思えません。 ここまで破壊された都市に悠長にとどまって後始末をするような物好きがいるわけもないですし」
この都市はすでに滅んでいる。
たとえ生き残りがいたとしても、ここまで崩壊した都市にいつまでも居座ろうとはしないだろう。
戦いに勝利したのなら、可能な限り速やかに都市を離れたはずである。
当然、犠牲者の亡骸はそのままにして脱出するほかなかったはずだ。
「かといってこれほどの被害の中、死者が一人も出なかったとも考えにくい」
ここに来るまで通った道でもそうだったが、あちこちに黒く変色した血痕が残っていた。
そんな惨状で人が一人も死ななかったなどと考えるのは、あまり現実的ではない。
汚染獣に食い殺された者もいただろうし、倒壊した建物に巻き込まれた者、火災に遭って命を落とした者、あるいは逃げ惑う市民たちの人波に飲み込まれ、踏み殺された者もいただろう。
にもかかわらず、形をとどめた人間の死体が一つも無い。
「いちおう乾燥して血と一緒に壁にへばりついた肉片とか、肉が腐りきってなくなった骨の欠片は見つかりましたけど、指先以上のサイズの残骸がまったく見当たらないんですよ。 でも、それはおかしい。 もっとまとまった大きさや数の死体があっても不思議は無いはずなんです」
言って、レイフォンは先程拾った白い欠片を皆に見せる。
それはよく見ると人間の指先の骨だった。 すでに皮膚や肉は腐り落ちたのか、完全に白骨化している。
ただし臭いは残っているのか、つまみ上げたレイフォンも顔を顰めていた。 ニーナたちも嫌そうな顔をする。
「つまりあれか? もっと大きい……腕やら足やら頭やらが転がってないのが不自然だってことか?」
「率直に言えばそうです。 先輩も見たでしょう? あれだけの巨体で人間を喰おうとすれば、一片残らず喰い尽くすなんてことは不可能です」
人間が汚染獣に食われる瞬間は過去の戦場で数えきれないくらい見てきた。
手足を食いちぎられたり、あるいは手足しか残らなかったり。 胴体を半分にされた武芸者の姿も見たことがある。
だからこそ、この不自然な状況に猛烈な違和感を感じてしまう。
実戦経験に裏打ちされたレイフォンの見解に、ニーナたちも納得せざるを得ない。
それに先日、実際に成体の汚染獣をこの目で見たのだ。 確かにレイフォンの言う通り、あの巨体で食べ残しが全くと言っていいほど無いのはおかしい気がする。
「それだけじゃない。 都市の崩壊に巻き込まれて死んだ者もいたはずです。 実際、倒壊した建物の瓦礫の裏にも血痕が残っていました。 押しつぶされて死んだ人もいたということです」
なのに、そこにも死体が無かった。
破壊や死の痕跡は残っているというのに、そこにあるはずの死体だけが無いのだ。
それに一般市民はともかく、戦っていた武芸者の死体すら無いのは明らかにおかしい。
腕や足もそうだが、本来ならもっと人間の形をとどめた死体が残っていても不思議ではないのだ。
ようやくニーナたちもレイフォンの言う不自然な点がわかってきた。
同時に得体の知れない恐怖を感じ、薄気味悪さに身震いする。
「……とにかく、私たちの任務はこの都市の安全を確かめることだ。 謎解きは二の次で良い。 安全さえ確保できれば、そちらは他の人材……警察や生徒会に頼んでもいいわけだしな」
「……そうですね。 この謎がツェルニの危険と直結しているとは限りませんし……ひとまずは任務に集中しましょう」
「ああ」
レイフォン達四人は、一応シェルター内部を隅々まで調べてから地上に上がり、入口に待機していたフェリと合流した。
「フェリ、他に何処か人がいそうな場所、あるいは不自然な場所は無いか?」
「都市のこちら側半分の調査は一通り終わらせました。 特に危険要素は見つかりません。 ただ……」
「ただ?」
「……一つだけ……念威では上手く調べられない場所があります」
「なに? どういうことだ?」
怪訝な顔をしてニーナが訊ねる。
「都市の中央部にある建物なんですが、念威が通じにくくて内部が上手く調べられません。 どうも何かしらの力で念威が阻害されているような感じです」
フェリの報告に、レイフォンは驚いた。
彼女の実力はよく知っている。 その彼女の念威が通用しないとは、一体何が……
「……もしかすると、この都市全体の不自然な状況と何か関係があるのかもな」
「それで、どうしますか?」
フェリが指示を仰ぐ。 最終的に決めるのは隊長であるニーナの役目だ。
「第五小隊の念威繰者とも連絡を取りましたが、むこうも中央の建物については上手く調べられずにいるようです。 どうやらあの建物には念威の力を阻害する力場が働いているようですね」
「そうだな……」
ニーナは腕組みをして考え込む。
得体の知れない力が働いている以上、そこを調査しないわけにはいかない。
かといって、ろくに情報が無いまま現場に向かうのも危険が伴う。
どうすべきかと迷っていると、それまで黙っていたレイフォンが口を開いた。
「調べるにしても、そこは明日に回した方がいいと思いますよ。 今から調査を始めたら、途中で夜になってしまいますし、念威が上手く働かない場所で夜間に行動するのは危険です。 下手をすると、念威による通信や視界の補助も出来なくなる可能性がありますし」
「ふむ、それもそうか……。 フェリ、向こうにもそう伝えてくれ」
「了解」
そう言って、フェリはしばらく第五小隊との通信に入った。
「第五小隊から連絡です。 向こうも今日の調査活動は終わりにするそうです。 それと合流地点の指示が来ました」
「そうだな。 では、今から向かうと伝えてくれ。 ……移動するぞ」
フェリが指示された座標を告げ、十七小隊の面々とレイフォンが移動を開始した。
第五小隊が見つけた泊まる場所は都市の中央にほど近い武芸者たちの待機所だった。
「電気はまだ生きていたんだな」
ニーナが感心した様子で、入り口前の廊下から駐留所内を見回した。
建物内は空調が効いており、都市中を侵蝕していた腐敗臭も、すでに建物内には残っていなかった。
フェリが第五小隊からの通信を受け取る。
「隊長、ルッケンス隊長から部屋割のことで話があると」
「わかった、行ってくる」
ニーナが建物の奥へと入っていく。
レイフォンと隊員たちは、何とはなしにその場で待っていた。
フェリは天井から流れる空調の風を浴び、シャーニッドは廊下の革張りベンチで寝転がっている。
その様子に苦笑しつつ、ハイネもベンチに腰をおろして手荷物の整理をしていた。
手持無沙汰だったレイフォンも、腰のポーチの中身や錬金鋼の調子を確かめる。
十七小隊の面々がそうやってニーナを待っていると、廊下の奥から燃えるように赤い髪が現れた。 第五小隊のシャンテだ。
シャンテは廊下に立っていたレイフォンに目をとめると、途端に顔を怒りで歪めて歩いてくる。
そのまま間近まで近寄ると、突然レイフォンに向かって声を上げた。
「おい、お前! あんな恥知らずなことしておいて、何でまだ武芸者を続けてる!?」
それを聞いて、レイフォンは一瞬で自分の心が冷たく、冷えていくのを感じた。
顔からも表情が消えていくのがわかる。
普段の温厚な顔はなりを潜め、もう一つの、武芸者としての顔が現れる。
シャンテは目を吊り上げながらなおも喚く。
「聞いているのか? 武芸を使って犯罪まで犯して、ゴルの兄弟子も傷つけて! あれだけ武芸を汚すようなことしてきて、なんでまだ武芸者を続けてるんだ!? 卑劣漢の犯罪者、恥晒しの外道の癖に!
会長も会長だ! なんでこんな奴を、わざわざ武芸科に入れたりなんか……」
ハイネ達はシャンテの突然の剣幕に驚き、口を挟めずにいる。
ただ黙ってレイフォンの方を窺っていた。
そのレイフォンはというと……しばしシャンテの罵倒に無反応を貫いていたが、やがて大きく嘆息した。
「なんとか言ったらどうなんだ? お前みたいな恥知らずの卑怯者が、どうしてまたツェルニで武芸者面してんのかって聞いてんの!」
「あなた達が弱いからですよ」
レイフォンは冷え冷えとした声で、辛辣に言い放った。
あまりにも冷たい声に、ハイネやシャーニッドがぎょっとした顔をする。
「何っ!」
「あなた達が都市の守護者としての役割を果たせないほどに弱いから、仕方なく一度は捨てようとした武芸をもう一度拾って、あなた達の代わりに戦っているんじゃないですか」
否定したり、誤魔化したりなどという選択肢は即座に消えた。 おそらくゴルネオから聞いたのだろう。 彼女は全てを知っている。 少なくとも、表沙汰になっている事情については全て……。
ならば今更否定しても意味は無い。 言い訳するつもりは、端から無い。
レイフォンは決して、自分の行いを後悔してはいないのだから……
「なっ、てっ、てめえ!」
「会長から聞いてますよ。 あなた達の二年前の無様については。 恥知らず? どの口で言ってるんですか? 自分たちのことを棚に上げて、他人にどうこう言うのはやめてほしいですね」
シャンテはさらに激昂するが、レイフォンはただひたすら冷たい態度で返す。
普段とはまるで違うレイフォンの様子に、十七小隊の面々も驚き、言葉を失っていた。
「そっ、そんなこと言って、また同じようなことを繰り返すつもりか!」
「今のところ特にそんなつもりはありませんが、場合によっては繰り返すことになるかもしれませんね」
「なっ」
平然と答えたレイフォンの言葉に、シャンテは絶句する。
「あなた達が僕の邪魔をするというのなら、僕の目的の妨げとなるなら、また同じ方法をとることもありえるかもしれませんね。 そして今度は……しくじらない」
レイフォンの凍るような冷たい瞳と冷えた声に、シャンテは言葉を無くす。
十七小隊の面々も言葉が出てこない。
と、突然脇から冷たい沈黙を破る声が聞こえた。
「成程な。 あれだけのことをしておいて、何も悪びれないどころか反省もしていないということか」
「ゴルっ!」
そこにゴルネオがやってきた。 後ろにニーナも続いている。
「武芸を冒涜し、天剣の名を汚し、都市を追放されてなお、貴様は同じことを繰り返そうというのか……」
ゴルネオが怒りのにじむ声で言う。
「……やはりあなたはグレンダンの、しかもルッケンスの出身でしたか」
「そうだ。 ゴルネオ・ルッケンス。 天剣授受者、サヴァリス・ルッケンスの弟だ」
なるほど。 見ためや性格、雰囲気の印象はだいぶ違うが、確かに顔立ちに含まれる甘さには少し面影がある。
弟がいたなどとは知らなかったが、別にいても不思議ではない。
まさかその弟に、追放されて向かった先のツェルニで出会うことになるとは思いもしなかったが……。
鋭く睨みつけてくるゴルネオに対し、レイフォンはやはり冷たい声のまま言う。
「生憎ですが、僕にとっては武芸など、所詮はただの手段にすぎません。 武芸も、剄の力も、僕にとっては自分の目的を達成するための単なる道具です」
レイフォンの言葉に、ゴルネオの表情にさらなる怒りがにじむ。
少し下がって話を聞いていたニーナの目も鋭くなる。 ニーナもまた、レイフォンの武芸を軽視する言葉に対し怒りを感じているようだ。
だがレイフォンは発言を止めない。 あくまで淡々と言葉を紡ぐ。
「天剣も同じです。 天剣もまた僕にとっては、目的を達するまでの過程であり手段の一つにすぎません。 利用価値があったから武芸を覚えた。 目的を達するために便利だったから天剣を手に入れた。 あの男を斬ったのも、目的のための過程の一つ。 それ以上でも、以下でもない。 僕にとって重要なのは、あくまで目的であって手段ではありません。 そしてその目的のために必要となれば……」
ゴルネオの目をまっすぐ見て、言う。
「相手が誰であろうと、容赦はしません」
自分の邪魔をする者は全て排除する。
言外に含まれた意味に気付かなかった者たちも、レイフォンの放つ異様な迫力に身を震わせた。
「……成程な。 そんな考え方だから、ツェルニに来ても図々しく武芸者面ができたというわけか……。
天剣授受者でありながら神聖な武芸を汚し、ガハルドさんにあんなことをしておいて、よくも……」
ゴルネオの声が怒りに震える。
その様子を心配げに見ながら、ニーナが疑問の声をかけた。
「天剣授受者だと? それに、武芸を汚したって……?」
「そうだ!」
ニーナの言葉が引き金になったかのように、ゴルネオが声を張り上げた。
「この男は……グレンダンで最高の栄誉である天剣授受者の称号を受けておきながら、金儲けのために非合法な闇の賭け試合に出場し……あまつさえ、それを突き止めた俺の兄弟子を口封じのために、それも神聖な公式試合を利用して合法的に殺そうとした! それがこの男……レイフォン・アルセイフだ!!」
全員が驚愕に声を失くした。
それからレイフォンの方を窺うように見る。
レイフォンの顔には………やはり、何の感情も浮かんではいなかった。
「俺の兄弟子は……ガハルドさんは、一命を取り留めたが……片腕を失い…剄脈を壊し……武芸者として完全に再起不能になってしまった……」
ゴルネオの声は熱が引いたように、小さく、悲痛になっていた。
「本当なのか? レイフォン」
ニーナが苦しそうな声で確かめるように訊いてくる。
全員が、レイフォンの答を聞こうと、目を向け、耳を傾けている。
「どうなんだ!? レイフォン!」
「本当ですよ」
レイフォンは疑いようもないくらいにはっきりと、ゴルネオの言葉を肯定した。
その場の全員がレイフォンを見ている。
ニーナはショックでよろめきながら。
ハイネは驚きつつ鋭い目をこちらに向けて。
シャーニッドは自然体ながらも、いつになく真剣な顔で。
フェリは、表情が乏しく内心は読み取れない。 しかし、少なからず驚いているのは確かだ。
「間違っているんだ……お前なんかが、のうのうと武芸者面しているのは……。 貴様のような恥知らずが、武芸を続けていることそのものが…」
ゴルネオからかすれた声が漏れる。
レイフォンは無表情の下で、わずかに苛立ちを感じた。 誰のせいで自分が武芸科に入ったと思っているのか、何故レイフォンが武芸を再び始めなくてはならなかったのか、この人はわかっているのか。
今ではもう武芸に対してさほど拒否感はない。 だが、それでもこの言いようは気に入らない。
レイフォンは冷たい瞳に僅かに侮蔑するような光を浮かべて、辛辣に返す。
「武芸者ですらないあなたに、そんなこと言われたくありませんね」
「何っ、どういう意味だ!?」
途端、ゴルネオの声に熱と力が戻る。
「幼生体ごときを相手に都市を守ることもできないような弱いあなたに、まだ武芸者とは呼べないくらい未熟なあなたに、武芸の何たるかを語ってほしくはないと言ってるんですよ」
「なっ、貴様……」
「あなたの兄が言ってましたよ。 汚染獣と戦えない武芸者などゴミ以下だ。 クソの役にも立ちはしない。 守護者たりえぬ武芸者など、社会には不要。 何の価値もないと」
「くっ……」
「僕は会長に頼まれて、仕方なくあなた達の尻拭いをしているんです。 もちろん私的な事情が無いわけではありませんが、少なくともそのことについて責められるいわれはありません。 他でもない、あなたちツェルニの武芸者にはね」
ゴルネオは一瞬悔しそうな顔をし……しかし何かを言い返すことなく踵を返した。
「シャンテ、行くぞ」
「えっ、ゴルっ? でもっ」
「いいから、行くぞ」
シャンテはゴルネオとレイフォンを交互に見て、最後にレイフォンに凄まじい睨みをくれてから、ゴルネオについて行った。
しかし苛立ちの収まらないレイフォンはその背になおも言葉を投げかける。
「そもそもあなたがたルッケンスの人間には、恨まれる筋合いはあっても非難される云われはありません。 武芸者の律とやらを犯したというのなら、それはお互い様です」
その言葉に、思わずゴルネオが振り返る。
「何だと!? どういう意味だ?」
レイフォンはゴルネオに軽蔑するような視線を向けて平然と返す。
「あなたは知らないんですか? ガハルドが何をしたのか。 あのとき、本当は何があったのか」
「だからどういう意味かと訊いている! 答えろ!」
「いやですね」
にべも無くレイフォンは拒絶する。
「本当のことを話したところで、どうせ今のあなたは信じないでしょうし、話すだけ無駄です。
ただ一つ言えるのは、ガハルドが片腕を失ったのは秘密を知ったからでも、それを告発しようとしたからでもありません。 ただ単に、弱かったからです。
天剣授受者はただ強ければいい、強くなくてはいけない……これは陛下の言葉です。 弱き者に天剣を握る資格などありはしない。 それすらもわからずに、天剣に相応しい実力も無くその座を得ようなどと、己の分をわきまえない過ぎた望みを抱くから、大怪我をするはめになるんですよ」
「何を言う!? あれは、あの試合は貴様が……!」
「試合に出るからには、場合によっては怪我をすることも、最悪死ぬこともあるということくらい覚悟しているはずです。 だいたい端から殺すつもりだったとはいえ、試合自体は不正なしの正々堂々、真っ向から戦ったんです。 別に自己弁護をするつもりはありませんが、そんな的外れな文句を言われたところで、あまり納得はできませんね」
公式試合である以上、戦いはお互いの合意の上で行われたものだ。 たとえ本心は違っていたとしても、試合に出た以上、結果がどうなろうと自己責任のはずである。
そしてガハルドが片腕を失ったのは、決して秘密を知ったからではない。 彼の実力がレイフォンよりも圧倒的に低かったから、レイフォンの攻撃にまったく反応できない程度のレベルでしかなかったからだ。
「とはいえ、まったく後悔も反省もしていない……というわけではありませんよ」
「なんだと? 何を今更……」
「未だに悔やんでも悔やみきれません。 あの時……ガハルドを殺し損ねたことを」
「なっ!」
一瞬ゴルネオが激昂しそうになる。
しかしレイフォンはなおも凍てつく様な瞳でゴルネオを見据えていた。
どこまでも冷たい声で話すレイフォンにゴルネオは歯噛みし、それから再び背を向けると、今度こそ廊下の奥へと去って行った。 シャンテが慌てたように後に続く。
ニーナは一瞬レイフォンとゴルネオを見比べた後、歩き去ったゴルネオの後を追った。
十七小隊の隊員たちは言葉が出ない。 ただ黙ってレイフォンの方を窺っている。
そのレイフォンは……依然として感情の抜け落ちた表情のまま静かに佇んでいた。
あとがき
この作品の中ではようやくレイフォンの過去が明らかになる回でしたね。
実は天剣授受者という単語も、1話でカリアンと話してる時に一度出てきたきりだったりします(多分)。
地の文などでも、あえてその名前を出さないように気をつけていた記憶がありますね。
それと今回はレイフォンの冷徹な一面が再び現れた回でした。
シャンテ、ゴルネオの怒りに対するレイフォンの反応は、まぁ、読んでの通り。 なんだかんだでレイフォンのここまで辛辣な台詞は久しぶりな気がします。(幼生体戦の時のヴァンゼとのやり取り以来?)
ちょっと悪役っぽいですけど、私はこれくらい冷酷な方がキャラクターとして好きですね。
さて、原作通りだと次の回では廃貴族が出てきたりするんですが、この作品ではそうはなりません。
読んでいて気付いたと思いますが、原作の廃都市とは色々と状況が違いますし、そもそもここはメルニスクですらないという設定だったりしますので。 まぁその辺の話はまた後ほど。
汚染獣の死体が残されているのは、アニメ版の方の影響を若干受けているからですね。(とはいえガンドウェリアでもありませんが)
次回、レイフォンの過去を知ったニーナ達十七小隊の反応は!? そして廃都市に潜む謎とは!? (次回予告風)
今後も楽しんでいただけると嬉しいです。