「せいっ」
「はぁっ」
裂帛の気合と共に、金属同士の打ち合う音がそこかしこで響く。
現在、体育館の中では数十人の武芸科生徒たちが集まり、各々が練習用武器の中から選んだ得物で打ち合っていた。
「ふっ!」
眼前に振り下ろされた打棒の一撃をレイフォンが手にした刀で受け止める。
そこから間髪入れずに振るわれた反撃の一閃を、ナルキは上体を逸らすことで躱した。
が、
「足元がお留守だよ」
「うわっ」
刀を振る動作から、踏み込んだ足を軸にして、そのまま旋回したレイフォンの蹴り足がナルキの両足を払い、あっさりと転倒させる。
ナルキは勢いよく尻餅をつき、痛みに呻いた。
悔しそうな目で見上げるナルキに、レイフォンは苦笑しながら手を差し伸べる。
「まったく……相変わらず強いなレイとんは」
「ナッキも動きが良くなってると思うよ。 ただ、戦闘中に相手の武器の切っ先だけを見るのは危ないかな。 他への注意が散漫になるし」
「ああ。 わかってはいるんだがな……どうしても目が行ってしまう」
レイフォンの刀技は変幻自在だ。
振り下ろされたと思ったら、次の瞬間には下から切り上げられ、相手が反応するよりも早く横薙ぎの一閃へと変化する。
その速度と鋭さは凄まじく、めまぐるしく変化する攻撃のパターンに対処しきるのは至難の技だ。
自然、速度と攻撃力がもっとも高い切っ先に意識が向かってしまう。
速すぎて完全に視認することは不可能だと頭ではわかっているのだが、つい目で追おうとしてしまうのだ。
「まずは相手の目を見て戦えるようになることだよ。 目を見れば相手の攻撃の狙いやタイミングが読めるからね。 といっても、熟練者になると視線をフェイクに使ったり、相手を見ないで攻撃してきたりするようにもなるから、目だけに意識を集中し過ぎるのも危ないけど。
やっぱり相手の動きを俯瞰で捉えられるようになるか、剄を見て戦えるようになるのが一番良いかな。 どんなにフェイントを入れても、剄の流れは嘘を吐かない…いや、嘘を吐けないからね」
「むぅ……難しいことをあっさりと言う」
不満げなナルキに、レイフォンは苦笑を返す。
レイフォン自身、そう簡単にできるとことだとは思っていない。
この戦闘方法は第十七小隊の面々にも教えたが、結局、完全に習得できた者はいなかった。
やはり、自分のように剄を視認し、鋭敏に感じ取ることができるという人間は稀なのだろう。
ツェルニのトップ集団である小隊員ですらできなかったことを、一年生のナルキができなくても不思議ではない。
「まぁその辺は追々かな。 それにしても、思ったより打棒の取り回しが様になってるね。 構えも打ち方もちゃんと基本を押えてるみたいだし」
「それはまぁ、な。 実は武芸科の授業以外でも練習してるんだ。 警察の訓練とか、空いた時間とかに」
「へぇ、頑張ってるんだね」
「もちろんだ。 打棒は警察官の誇りだからな。
それにちゃんと使えるようになっておかないと、いざという時に困る」
言葉を交わしながら、何とはなしに周囲の様子を観察する。
今日の授業は武器を使った戦闘訓練だ。 周りでも、それぞれの得意武器を手に武芸科の生徒同士が切り結んでいる。
本来、武芸科生徒の錬金鋼携帯許可が下りるのは入学から半年後になっており、一年生の前半は体術や剄術の基礎を徹底的に叩きこむのが通例だ。
実際、少し前まで体育の授業では格闘技をやっていた。 しかし汚染獣との遭遇を経て、早急に一年生の育成に着手すべきと判断され、武器の扱いを例年よりも早めに教えることに決まったのだ。
まだ決定ではないが、一年生の錬金鋼携帯許可が降りるのも早まるかもしれないと言われている。
現在、この体育館内には一年生と三年生が合同で授業を行っていた。
一年生は支給された模擬戦用の簡易型錬金鋼の中から自分の得意な武器、あるいは習得したい武器を選んで、極力同じ武器を持った三年生とペアを組み、試合形式で打ち合いながら三年生が一つ一つ指導する、という形をとっている。
ただ、武器を使った訓練ゆえか、授業全体の監督役として数人の五年生の姿も見えた。
基本的に一年生を指導しているのは三年生であり、五年生は生徒たちの間を歩いて指導風景を見て回りながら、ときどき一年生と三年生両方にアドバイスをしたりしている。
しかしここにミィフィがいれば、監督にあたっている五年生のほとんどが小隊員であることに気付いただろう。
彼らは教師として新人にアドバイスを与えつつ、一・三年生の中から芽が出るかもしれない人材を見つけようと目を光らせているのだ。
素質がありそうなら、小隊に勧誘しようというのだろう。 たとえ即戦力にはならなくても、才能のある生徒に小隊員向けの訓練を施すことで、次代の戦力として育てるつもりなのだ。
そんな上級生の視線を意に介することも無く、レイフォンは先程からナルキに訓練を付けている。
基本的に一年生は三年生と組んでいる中、一人実力の飛び抜けたレイフォンだけは、格闘技の授業の時と同じく、ナルキとペアを組んでいた。
レイフォンの刀術はすでに達人の域にあるし、ナルキも打棒の取り扱いは素人ではないので、わざわざ同じ武器を持った上級生と組んで懇切丁寧に教わる必要は無い。
その気になればレイフォンも打棒を使うことはできるが、より実践的な訓練を積んだ方がナルキの成長も速いだろうと考え、レイフォンも己の得意武器を選んでいた。
「それにしても……」
レイフォンは困った顔で手に持った模擬刀を持ち上げる。
「これ……手に馴染まないなぁ」
呟きながら、刀を軽く振ってみる。
普段使っている鋼鉄錬金鋼の刀よりも刀身がやや短く、体感的にはかなり軽量だ。
一年生用の模擬刀であるため、誰にでも扱いやすいように癖の無い形体・性能を持っているのだろうが、すでにある程度武芸を修めている使い手にとっては、むしろ自分用の武器との間に差があり過ぎて使いにくい。
おまけに強度といい性能といい、キリクの鍛えた刀と比べたらまるでオモチャだ。 正直に言って、非常に頼りない。
まぁ訓練だし仕方ないか、と溜息を吐いていると、不意に背中に声がかけられた。
「すみません。 少し、よろしいでしょうか?」
微妙にデジャビュのようなものを感じながら、後ろを振り返る。
前回と違い、声をかけてきたのは同じ一年生の武芸科生徒だ。
やや小柄で華奢な体型に、頭の後ろで一纏めに結んだ長い黒髪、細面に整った顔立ち。
レイフォンはその相手に見覚えがあった。
「えっと、君は確か……フェイランだったっけ?」
「覚えていてくれましたか。 光栄です」
先日の武闘会でレイフォンと戦った相手だ。 見ためによらず、一年生の割にはなかなか強かったのを覚えている。
何の用かと首を傾げるレイフォンに対し、フェイランは恭しく頭を下げてから再び口を開いた。
「いきなりで申し訳ないとは思いますが、折角の合同授業です。 もしよろしければ、手合わせしてもらえないでしょうか?」
「え?」
レイフォンは思わず戸惑うような声を上げ、次いで窺うようにフェイランの目を見た。
武闘会で敗北した時のリベンジのつもりかとも思ったが、その目に怒りや嫉妬の様な色は窺えない。
レイフォンは決して相手の心情を読むのが得意とは言えないが、そういった負の感情はこれまでにも数えきれないくらいに向けられてきた。 だからこそ、嫉妬や敵意といった感情はある程度感じ取ることができる。
フェイランの目には純粋な闘志、あるいはより強くなりたいという武芸者として当然の感情が窺えた。
「いいよ。 やろうか」
言って、レイフォンはフェイランに向き直り模擬刀を下段気味に構える。
それからやや申し訳なさそうな顔でナルキの方を見やると、彼女は『気にするな』という風に微笑んでみせ、二人から若干距離を取って傍観の姿勢に入った。 その顔には興味深そうな表情が浮かんでいる。
対峙した二人の様子に気付いた周囲の生徒たちも、心持ち距離を空けた。
向かいに立つフェイランは小さく礼をすると、レイフォンと同じく自らの持つ武器を構えた。
授業中であるためか、その得物は武闘会の時の蛇矛ではない。 前に使っていた蛇矛と同じくらいの長さの槍を、フェイランは腰だめに構えた。
一瞬、二人の視線が絡み合う。
「はっ!」
鋭い叱声と共に、フェイランが素早く踏み込んだ。 同時に一瞬で槍の持ち方を変えて刺突の構えをとる。
そのまま滑るような体移動で前進し、風を切り裂くような神速の突きを繰り出した。
対するレイフォンは半歩だけ後退する。 槍の穂先はその鼻先数ミリのところで止まった。 ほんの僅か届かない。
しかしその結果に歯噛みすることなく、フェイランはさらに一歩踏み込みながら短く槍を引き戻し、再度刺突を放った。
体軸を狙ったその一撃を、レイフォンは最小限のステップで体を開いて躱す。
「ふっ!」
なおもフェイランは立て続けに突きを繰り出すが、その尽くをレイフォンは僅かな動作のみで回避してのけた。
全ての攻撃を紙一重で躱しながら、レイフォンは冷静に相手の動きを観察する。
やがて痺れを切らした相手が大きく踏み込み、間合いの長い突きを放ったところでレイフォンが動いた。
「シッ!」
相手が槍を引き戻すタイミングに合わせて、今度はレイフォンの方から斬撃を放つ。
フェイランは咄嗟に槍の持ち手を変え、横薙ぎの一閃を縦に構えた槍の柄で受け止めた。
激しい金属音が響く……重い。 両腕が砕けるのではないかと錯覚するほどの威力に、冷や汗が流れる。
武器越しにフェイランを見つめるレイフォンの視線には先程までの温かみは無く、今は凍るように冷たかった。
それからしばし力押しの鍔迫り合いが続く。
だが、この力比べはフェイランに不利だ。 体格もそうだが、筋力的にもレイフォンの方が大きく上回る。
武器を組み合ったまま徐々に押されていき、フェイランは少しずつではあるが後退を余儀なくされる。
と、いきなりレイフォンの左手が刀の柄から離れ、そこから真っ直ぐに伸びてフェイランの胸倉を掴んだ。
そのまま左手一本でフェイランの体を上空へ投げ飛ばす。 見ために似合わぬ凄まじい金剛力。
それだけにとどまらず、レイフォンは即座に落下点へと走り、落ちて来るフェイランを迎え撃とうとする。
しかし、フェイランもただ重力に身を任せていたわけではない。
自由を制限された空中にありながら、槍を振り回すことで体勢を立て直し、眼下に走り込んでくる相手に向かって槍を突き下ろした。
刺突と同時に穂先で衝剄が爆発し、レイフォンが足を止める。 ダメージを与えることはできなかったが、牽制には成功したようだ。
無事に着地してから、一旦距離を取って仕切り直す。
(へぇ)
レイフォンは内心で感嘆していた。
(前に戦った時よりも、随分と強くなっている)
武闘会からそれほど日が開いているわけではないが、フェイランの実力はかなり向上している。
僅か数回手を合わせただけで、この一月ほどの間に彼が想像以上の鍛錬を積んできたことがわかった。
最初に突きを放った際の鋭い踏み込みと槍捌きといい、先程の空中での反応といい、どれも適確で無駄が無い。
加えて、動きの一つ一つが精錬されている。
肉体的には成長途上であり、身体能力や剄力などの地力はやや低いが、技巧や体捌きだけなら既に練熟の域にある。
単純な戦闘力では、平均的な小隊員を上回っているだろう。 おそらく隊長陣にも引けを取らない。
むしろ実戦経験から考えて、一対一で戦えばニーナやハイネにも勝てるかもしれない。
レイフォンは無意識のうちに小さな笑みが浮かべていた。
と、それを余裕と受け取ったのか、フェイランは表情を引き締めると再び自分から仕掛けた。
見る者を惹きつけるような流麗な足捌きで肉薄すると、今度は刺突ではなく穂先の刃による斬撃を繰り出す。
弧を描いて振り下ろされる諸刃を、レイフォンは素早く刀を振るって打ち払った。
しかしフェイランの動きは停滞することなく、再び旋回した穂先が今度は反対側から袈裟気味に振り下ろされる。
レイフォンは慌てない。 視線で相手の目の動きを追いながら、矢継ぎ早に繰り出される攻撃に対し冷静に対処する。
フェイランの激しい攻めに対してレイフォンが冷静に防御する、そんな攻防がしばらく続いた。
フェイランの立ち回りは、まるで一種の舞いを見ているかのようだった。
穂先による刺突や斬撃だけでなく石突や柄をも利用した攻撃は変則的。 しかしその動きの中には共通して確かな芯が通っており、繰り出される技の全てが一連の舞踊のように見える。 さらに洗練された動きは流麗ですらあった。
しかし傍目の美しさに反して、その攻撃はまさに実戦的であり、斬撃・打撃の一つ一つが鋭く、重い。
武芸とはそういうものだ。
戦うための技術でありながら、究めれば究めるほど、その技はより美しさを増していく。
フェイランの実力そのものは、いまだ強者という域には及ばない。
だが、少なくとも技巧のみについて言えば、彼のそれはすでに達人の域に差し掛かっていると言えた。
ふと、相手の攻撃を防ぐ中で、レイフォンは不自然な剄の動きに気付いた。
いつの間にか二人の周囲で規則的な剄の流れが形成されていたのだ。
衝剄を絡めながら繰り出される槍の一振り一振りが、フェイランの体から周囲に漏れ出し漂っていた剄の流れに一定の方向性を与え、それらが寄り集まって一つの形を成していく。
やがて風車のように旋回する槍の穂先で、大きな風の渦が巻き起こった。
散り散りに吹き乱れ、暴れ出そうとする無数の剄の嵐をさらに収束させ、球体を形成しながら一つに束ねていく。
外力系衝剄の変化 渦蓮百華 (かれんひゃっか)
それはまるで、渦を巻く衝剄の嵐。
槍を振るう一連の動作と、その際の剄の流れによって生み出された、巨大な衝剄の渦の集合体だ。
縦横無尽に吹き荒れる無数の竜巻が一つに収束し、球体を描くように乱回転する剄の渦風の中に、無数の剄弾が内包されている。
その嵐に呑み込まれた者は、全身を強烈な風と剄弾に打ち据えられるだろう。
フェイランは全身で衝剄を放ちながら、最後の槍の一振りと共に破壊の渦と化した巨大な衝剄をレイフォンに向かって撃ち出した。
それを見たレイフォンは、右半身を相手に向け、刀を腰だめに構える。
刀身を体の左側に回し、刀身の鍔元を左手で掴む……居合の構え。
間髪入れず、レイフォンは抜き打ちの形で神速の斬撃を放った。
サイハーデン刀争術 焔切り
瞬間、刀身が焔を纏う。 刃を走る衝剄と発射台の役割を担う左手を包む剄との衝突と摩擦が生んだ、一瞬の焔だ。
その幻想のごとき焔を切り裂いて、逆袈裟に斬線が走る。
フェイランの剄技はその一閃に断ち切られ、刀身から放たれた衝剄がその余波をも吹き飛ばした。
「なっ」
技を完全に無効化され、フェイランが驚愕に目を見開く。
対するレイフォンは一瞬の停滞も無く刀を翻し、二の太刀を振るった。
先程の居合による斬線を逆になぞるようにして放たれる、袈裟斬の一撃。
その一閃がフェイランの左肩に振り下ろされる―――と見えたところで、その斬撃が止まっていた。
驚きに動きを止めたフェイランの肩に、刀身が押し当てられている。
「引き分け……かな」
「え?」
困惑しながら目を動かすと、レイフォンの握る刀の刀身がボロボロになっているのがわかった。
刃はそこらじゅう刃こぼれしており、さらにそこかしこに無数のひびが入っている。
激しい打ち合いとレイフォンの技の威力に耐え切れなかったのだろう。 これでは戦闘の続行は不可能だ。
レイフォンは刀を引くと、一歩下がって軽く礼をする。
我に返ったフェイランも武器を下ろして頭を下げた。
「ありがとうございました」
勿論フェイランは気付いている。
たとえ刀が酷く損耗していたところで、あのまま戦えば自分敗れていただろうことに。
すでに武器が限界を迎えていたとはいえ、レイフォンが最後の一撃を止めなければ、自分は倒れていただろう。
フェイランは、そんなレイフォンの実力に似合わない人の良さに苦笑した。
「できれば、またいつかお相手願いたいのですが」
「もちろん。 僕でよければいつでも相手するよ」
レイフォンは快諾しながら相手が差し出してきた手を握った。
再び礼儀正しく頭を下げてから離れていくフェイランの背中を見送っていると、終わりを察して近付いてきたナルキが声をかけてきた。
「お疲れ様。 武闘会の時にも見たけど、随分と強い奴だな。 レイとんほどじゃないにしても」
「まぁね。 前から一年生の割には強かったけど、あの時よりもさらに強くなってたし。 あれは、まだまだ伸びそうだね」
弟子の成長を喜ぶ師匠の様な顔をして言うレイフォンに、ナルキはやや驚いたように口を開く。
「それはそうと……最近のレイとんは武芸に積極的だな」
「え? そうかな?」
「ああ。 大勢が観戦してる武闘会で優勝したり、知り合いに頼まれたからとはいえ、わざわざ十七小隊の人達に頻繁に訓練を付けてあげたりとかしてるしな。 今だって、大して面識の無い同級生に指導してやったり……この間の汚染獣はやむを得なかったにしても、入学したころより積極的に武芸に携わっているように思うぞ」
「えっと………まずいかな?」
「いや、あたしは別に構わないんだが、レイとんはそれでいいのかと思ってな。 もともと武芸を捨てるつもりでツェルニへ来て……武芸科に入ったのだって仕方なかったからで、本当は不本意だったんじゃないのか?」
「それは……」
どうなのだろうか?
正直なところ、自分でも分からないというのが本音だ。
確かに、初めは武芸科への転科を勧めるカリアンに反発していたし、武芸に対する拒否感もあった。
しかし今は、進んで武芸者としての生き方を選んでいるように思うことがある。
そしてそのことに、最近ではあまり疑問を抱かなくなっていた。
以前は言い訳のように嘯いていた「止むをえない」という言葉にも、かつてほどの重みを感じなくなっている。
戦う理由を失ったから武芸を捨てようと思った。
けれどツェルニへ来て、再び戦う理由が生まれて武器を取った。
そしてそのまま惰性のように戦い続けている。
戦いに関して自分の中で一線を保ってはいるものの、武芸そのものに対しては既に一切の拒否感は無い。
レイフォンは今も、武芸を捨てたいと思っているのだろうか?
考え込むレイフォンに、気遣わしげにナルキが声をかけてきた。
「すまない。 困らせるつもりはなかったんだが」
「ううん、大丈夫。 何でも無いよ」
心配要らないと、レイフォンは手を振って見せる。
こんなところで深く考え込んでいたところで、答えが出るようなものでもない。
ツェルニでの生活は長いのだ。 今すぐに明確な結論を出す必要も無い。
とはいえ、今まではなんとなくこのままでもいいかと思っていたが、いつかしっかりと考えなくてはいけないだろう。
そんなことを思いながら、ナルキとの訓練を再開しようと武器を構えた、その時……、
ふと、レイフォンは視線を感じて振り向く。
するとそこには監督役の五年生の一人が立っており、レイフォンを射抜くような目で睨みつけていた。
(あの人は確か……)
長身で肉厚な体躯に、短く刈り上げた銀髪。
フェイランと同じく、以前、武闘会で戦った覚えのある武芸者だ。
名前ははっきりとは覚えていないが、姓がルッケンスであったことだけは覚えている。
男はしばらくの間、鋭い目でレイフォンを睨みつけていたものの、やがてはっとしたように視線を逸らすと、その場を離れて行った。
昼休み。
ここ数日、ツェルニでは天気のいい日が続いており、建物の外では暖かい陽気が満ちている。
今日もまた雲一つ無い快晴で、レイフォンたちは自然と外で昼食を食べる流れになっていた。
「それはいいんだけど……」
中庭にいくつかあるテーブルを円形に囲んだベンチに座ってメイシェン手製の弁当をつまみながら、疑問符を浮かべたレイフォンが隣に座った人物に視線を向けた。
「なんでアルマがここにいるの?」
目を向けられたアルマは苦笑しながらミィフィの方を見やる。
そのやり取りを見ていたミィフィが首を傾げて答えた。
「ん? わたしが誘ったからだよ。 迷惑だった?」
「いや、迷惑ではないけど……なんでまた?」
というかそもそも知り合いだったのだろうか?
「実は色々と訊いてみたいことがあってさ」
「訊いてみたいこと? ていうかいつの間にミィは知り合ってたの?」
レイフォンの問いに、ミィフィはふふん、と得意げに胸を逸らした。
「この間の汚染獣騒ぎの時に第十七小隊の人達を現場まで案内したのがアルみんだって聞いてね。 隣のクラスってことも聞いてたし、折角だから声かけたんだ。 色々と話を伺いたいなぁって。 会長から直々に仕事頼まれるくらいなんだから、やっぱり優秀なんだろうし。
そ・れ・に、その前の幼生体戦の時もレイとんの手伝いしてたんでしょ?」
すでにあだ名まで決まっているらしい。
て言うか、
「なんで知ってるの?」
あの時のことはまだ詳しく話したことはなかったはずだが……
「あ、やっぱりそうなんだ」
呆気にとられるレイフォンを見てミィフィが笑う。
どうやら鎌を掛けられていたようだ。
「最初の汚染獣戦でレイとんが入院した時、汚染物質で怪我したレイとんをアルみんが外縁部から病院まで運んだって聞いてたからね。 ていうかレイとんの入院をわたしたちに教えてくれたのもアルみんだったし」
確かに、汚染物質に蝕まれ、倒れそうになっていたレイフォンに肩を貸して病院まで運んだのは、直前までレイフォンの戦いを念威で捕捉していたアルマだった。
また、そのあと見舞いに来た時に『シェルターで一緒だった女の子に君が入院したことを伝えておいた』とも言ってはいたが……
「それだけでわかったの?」
「分かったのは二度目の汚染獣戦の後だけどね。 前の戦いの時、メチャクチャ強いはずのレイとんの活躍がわたしの耳に届かなかったのは、レイとんが実力を秘密にしてたからだって思ったの。 都市の外に出る時も誰にも言わなかったみたいだし……。 それなのに、人目を避けて戦ってたはずのレイとんを外縁部で発見して病院まで連れて行った、しかもそれが戦いに参加してないはずの一年生ってことになれば、何があったのかは大体想像できるよ。 アルみんが念威繰者としてレイとんの手助けをしてたんだろうな、って」
それもこれもこないだの汚染獣騒ぎで分かったことだけど、とミィフィは続けた。
どうやら断片的な情報をつなぎ合わせて答えを導いたらしい。
勉強は苦手のはずだが、こういうことに関してのミィフィの洞察力はかなり高いようだ。
「あ、あの……あの時はありがとうございました。 レイとんを助けてくれたこととか、入院してる病室を教えてくれたこととか……」
メイシェンが改めておずおずと礼を述べる。
「いや、そんなこと別に気にしなくてもいいですよ。 僕自身のためにもやったことですし……。 それにレイフォン君と比べたら、全然大したことはしてないですから。 それよりも……」
「あ、心配しなくても記事にするつもりは無いよ、今のところ。 ただの好奇心で訊いてるだけで」
少し不安そうな顔でミィフィに視線を向けていたアルマが、安堵したように小さく息を吐く。
「まぁ心配するな。 こいつの手綱はあたしがちゃんと握っておくから。 アルみんやレイとんに迷惑がかかるような記事は書かせないさ」
「あ、ナッキその言い方酷い! 失礼だよ!」
憤慨して抗議の声を上げ始めたミィフィをナルキが軽い調子で躱している。
随分と賑やかで、周囲の視線を集めているような気がしたレイフォンは、つい周囲を見回した。
すると、
「ん?」
「あ」
すると、たまたま近くを通りかかった武芸科の制服を着た生徒と目がかち合った。
「これは奇遇……ってほどでもありませんね。 同じ校舎の隣クラスですし」
「まぁ確かに。 とはいえ、二つ前の授業で会った人と昼休みにもう一度会うとは思わなかったけど」
そこには先程レイフォンと手合わせした武芸科生徒、フェイランが通りかかったところだった。
この中庭はレイフォン達が普段授業を受けている校舎のすぐ近くなので、ここで昼を食べているのもほとんどがその校舎で学んでいる生徒だ。
隣クラス(ちなみにアルマのクラスとは逆隣)のフェイランが通りかかっても不思議ではない。
「それにしても随分と賑やかな食事ですね」
「そうだね。 流石に少し恥ずかしいけど」
言いながらミィフィに目を向けると、すでに彼女は口を噤んでおり、フェイランの方をまじまじと見つめていた。
「ミィ?」
「あの~、ちょっといいかな?」
レイフォンの呼び掛けには応えず、ミィフィはフェイランに向かって口を開いた。
「前に武闘会でレイとんと戦ってた人だよね? それに今日の実技授業でも大活躍だったとか。 君にも訊いてみたいことがたくさんあったんだ。 こんなところで出会うなんてすごい偶然」
それからミィフィがフェイランの手の中にある開封前の弁当を見て声をかけた。
「お昼まだなんだよね? だったらあなたも一緒にどう?」
その勢いにややたじろいでいたものの、フェイランは二つ返事で了承した。
それぞれの名前とお互いの関係を一通り紹介し合ったところで、早速ミィフィが質問に入った。
「それでさ、フェイたんって出身どこ? 一年生であんなに強い武芸者がいるところだし、結構有名なところなんじゃない?」
興味津々といった態度を隠すことも無く、しかし、さしあたっては他愛も無いことから聞き出しにかかる。
「残念ながら、出身都市の名前は覚えていません。 幼い頃に都市を出て、旅人だった育て親に引き取られたものですから」
だが予想外の答えに、ミィフィは思わず口をつぐんだ。 ナルキとメイシェンの間でも緊張が走る。
レイフォンの前例があったためか、育て親という言葉がすぐさま孤児という単語に繋がったのだ。
しかし本人はいたって気にした風も無く言葉を続ける。 アルマとレイフォンも別段顔色は変わらなかった。
「武芸の師でもある養父は香街都市シネアスの出身だったそうなので、ボクの技はシネアスの流派ということになるのかもしれませんね。 実際にシネアスに立ち寄ったことは無いので断言はできませんが」
「義理の父親が師匠なんだ。 僕と一緒だね」
レイフォンはちょっとした親近感を覚えた。
「養父……もしかしてレイフォンも孤児なのですか?」
「うん。 僕は槍殻都市グレンダンの孤児院で育ったんだ。 そこの園長が練達の武芸者でね。 刀術とか武芸の基礎は父さんに教わったよ」
「それは奇遇ですね。 ボクも小さい頃に自都市を出る羽目になって……行き場を失くして帰ることもできずに、どうすればいいか分からなくなっていたところを父に引き取られたんです。 武芸の技も父から教わりましたし、何度か実戦も経験しました」
「やっぱりそうなんだ。 ツェルニの他の武芸科生徒と比べて、どうも場馴れしてると思ってたんだよ」
「レイとんと同じ孤児ってことは、もしかしてフェイたんも仕送り無いの?」
と、ようやく気を遣う必要は無いと悟ったのか、ミィフィが再び質問した。
「ええ、まぁ。 父は基本的には優しいですけど、厳しくもあって……在学中に必要な金は自分で稼ぐように言われているんです。 入学資金と数週間分の生活費だけは出してくれましたけど、他は自腹ですね。 とはいえ、今のところ生活はさほど問題ありませんが。 奨学金はBランクですし」
「そういえば、ぼくもこの間生徒会長に奨学金を上げてもらったんですよ。 有事の際に、一般生徒に実力を明かさない範囲で力を貸すことが条件ですけど。 お陰でバイトに余裕ができて助かりました」
「ああそっか、入試の時はまだ手を抜いていたはずだもんね。 それにアルマも仕送りが無いって言ってたっけ……。 でも、いいの? 実力は隠してたんじゃ?」
「ぼくはフェリ先輩と違って、自分の力が嫌いなわけではないんですよ。 少なくとも今は、実力をあまり多くの人に知られたくないだけで、念威の力を使うこと自体には特に忌避感もありませんから。 だからこそ最初から武芸科に入ったわけですし」
授業中に全力を出したことはありませんけど、と付け加える。
力を隠しているという点では同じでも、レイフォンやフェリとはまた事情が違うのだろう。
その会話を聞いていたフェイランが困惑したように口を開いた。
「そんな秘密をボクにも明かしてしまって良いのですか? あなたとは今日が初対面だと思いますが……」
フェイランの問いに、アルマは微笑を浮かべて応える。
「問題無いです。 レイフォン君とのやり取りを見る限り、きみは人の秘密をベラベラ喋るような人には見えないですし……それに、きみのような人には無理に隠す必要は無いですから」
「……そうですか……なら良いんですけど」
「それにしてもさ……レイとんもそうだけど、アルみんといいフェイたんといい、今年の一年生の有望株は訳ありな人ばっかりだね。 三人とも実力は高いのに、孤児だったり仕送りが無かったり実力を隠してたり……。 普通、どの都市でも武芸者っていったら自尊心とか自己顕示欲が強くて、おまけに家もお金持ちのはずなんだけどね。 特に強い人とか、先祖代々武芸者の家系の人とかは、何かにつけて名誉とか誇りとか掲げるし……」
ミィフィの言葉に、隣のメイシェンも頷く。
「ナッキも……自尊心とか自己顕示はともかく、武芸者としての誇りとか使命感はあるしね」
「それは当然だぞメイ。 力を持って生まれた以上、都市を守るために尽力するのは当たり前のことだ。 少なくともあたしはそう教えられたし、そのことに関しては特に疑問は無い。 ……まぁ確かに、レイとんたちが武芸者として色々と例外的だってのはあたしも思ってるが」
武芸をそっちのけてでもバイトに精を出す武芸者なんて聞いたことも無い、とナルキは苦笑気味に漏らした。
まぁ確かに、武芸科全体を見渡してみてもレイフォンのようなタイプはいないだろう。
ふと、アルマが訂正するように口を開く。
「いえ、一応ぼくの家はそれなりに裕福ではありますよ。 あくまで家は、ですけど」
「え? でも仕送り無いんでしょ?」
「これでも家出した身の上ですから。 おまけに家の者にはツェルニに入学したことも伝えてないんで、仕送りが無いのも当然ですね」
「そうなのか? それじゃあ、家の者が心配してるんじゃないのか? 親御さんとか」
驚いたナルキも心配そうに問いかける。
対するアルマは苦笑気味にそれに答えた。
「いえ、親はいません。 両親とも、三年くらい前に病で他界しましたから」
ナルキ達がまずい事を訊いたと顔を曇らせるのも気にせず、アルマはマイペースに言葉を続ける。
「家は歳の離れた兄が継いだんですが、兄弟仲はあまり良くなくて……というより憎まれてたくらいです。 ぼくがいなくなって、多分兄も清々してると思いますよ」
「憎まれてたって………でも、兄弟なんだよね?」
レイフォンがやや納得のいかなそうな顔で言う。
兄弟同士が憎み合うということに対しての実感が湧かないのだ。
孤児であるレイフォンには血の繋がった家族がいない。 レイフォンにとっての家族とは、孤児院の園長であり、そして孤児たちだ。
たとえ血の繋がりは無くとも、彼らはレイフォンにとってかけがえの無い家族であり、愛すべき、そして守るべき存在だった。
レイフォン達孤児は、血の繋がりというただそれだけの絆で無条件に愛してくれる存在を持たない。 何らかの事情で、その存在から引き離されているからこそ孤児なのだ。
しかしだからこそ、家族というものがそれだけ大切なものか、レイフォンは誰よりも理解している。 理解しているつもりだ。
その存在を失うことがどれほどの痛みを伴うものか、身を持って理解している。
「ぼく自身は、別に兄に対して怒りや憎しみは無いんですけどね」
そう言ってアルマは僅かに哀しげな笑みを浮かべた。
「けれど……兄弟だからこそ、家族だからこそ許せないこともあれば、憎まずにはいられないこともあると思いますよ」
「……そっか……そうかもね」
思うところがあるのか、躊躇いながらもレイフォンは納得した。
一瞬、何か辛いことを思い出したように苦しそうな顔を浮かべたが、その表情もすぐに消える。
「そ、それでさ、フェイたんやアルみんは小隊に入ったりする気は無いの? 二人なら勧誘されてもおかしくないと思うんだけど」
と、沈みかけた雰囲気を嫌ったミィフィが、敢えて明るい声を上げる。
「うーん……実はカリアン会長から勧められてはいるんですけどね……。 ぼくは今のところ、その気は無いかな」
「ボクはまだ勧誘されたことはありませんが、もしもそういう話が来たら、入ってみたいとは思います」
「およ、意外。 そういうのには興味無いのかと思った」
「自分から訊いたのにか?」
「フェイたんも小隊員とかに憧れてたりするの?」
ナルキの呆れた声を無視してなおもミィフィが問いかける。
「肩書そのものにはあまり興味ありませんけど、小隊に入れば今の授業よりもレベルの高い訓練が受けられるかもしれませんし、対抗試合とかで経験を積むこともできそうですから」
「ああ、成程。 フェイたん、指導役の上級生よりも強いんだもんね。 もっとレベルの高い人に教わった方が有意義だろうし」
「まぁそんなところです。 できれば自分よりも上手の人に訓練を付けてもらいたいところなんですが……さすがに、毎日レイフォンに訓練を付けてもらうわけにも行きませんし……。 その点、小隊に入れば定期的に強い人と訓練できますし、武芸大会や汚染獣戦で不可欠になる集団戦の訓練もできますから。
……ところでその……さっきから気になっていたんですが、フェイたんというのは?」
「ん? あだ名だよ? 友達同士なら普通でしょ?」
「………そうですか」
色々と思うところはありそうだが、言及は避けたようだ。
「さて、と。 フェイたんもそうだけど、アルみんとも折角友達になったんだし、この機会にお互いの趣味とか好きなものの話とかもしちゃおっか。 あ、恋バナも大歓迎だよ?」
ミィフィが意味ありげな目でメイシェンを見、視線を受けてメイシェンが頬を赤く染めた。
ナルキがミィフィを窘めながら、そんな二人を優しい目で見守っている。
レイフォンはそんな三人の様子を穏やかな気持ちで眺めていた。
こういった何気ない日常の空気は好きだ。 一度は失われてしまったからこそ、ツェルニへと来て再び手に入れたこの日常を大切にしたいと思う。
こんな時間がずっと続けばいいのに。 そう思いながら、レイフォンは笑みを浮かべて会話に参加する。
それからも和やかな雰囲気で談笑が続いた。
やがて昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り、六人は広げていた弁当箱を片づけ始める。
「次の時間に授業があるのでボクはこれで」
「ああ、また体育の授業でな。 あたしたちのクラスも次は一般教養系の授業だ」
フェイランが立ち上がって一礼し、その場を離れていく。
それに倣ってナルキやミィフィも立ち上がった。
レイフォンもメイシェンに弁当の礼を言ってから席を立つ。
ふと、去り際に同じく立ち去ろうとしていたアルマがレイフォンの耳元に顔を寄せて口を開いた。
「近々、また面倒事が起こりそうです」
「え?」
思わず訊き返したが、その時には既にアルマはこちらに背を向けて歩き出していた。 特に振り返る様子も無い。
何となく気になったものの、結局は深く追求することもなく、レイフォンもその場を後にした。
「そういえば、キリク先輩って昨日の打ち上げには来なかったんですか?」
放課後、レイフォンは錬金科棟の研究室の一つに来ていた。
「行っていない。 そもそも行く理由が無いからな。 俺は十七小隊でもなければ、その友人でもない」
キリクは錬金鋼につなげた機器を操作しながら、いつも通りの無愛想な態度で応じた。 手元から目も離さない。
「あれ? でも、ハーレイ先輩は?」
「あいつは十七小隊のバックアップを担当してはいるが、別に小隊員ってわけでもないだろう。 試合に出場していたのはあくまで隊員達だ。 その祝い事に俺まで参加する必要は無い。
まぁ、仮にあいつが誘ってきたとしても、参加はしなかっただろうがな」
あけすけな物言いに、レイフォンは苦笑する。 別にあいつは友達じゃないと言わないだけマシなのだろう。
それから何とはなしに室内を見渡した。
そこいら中に書類や計器が散らばっており、非常に雑然としている。
というか最後に来た時よりも随分と散らかっていた。
「なんか……物が増えてます?」
「最近、色々と新しいことに手を出していてな。 必要な資料やデータを片っ端から集めている」
そう言って傍にあった用紙を一枚レイフォンに放って寄こした。
咄嗟に受け取り、何となく目を通してみる。 細かい文字でびっしりと文章が並んでいるが、当然、書いてある内容はちんぷんかんぷんだ。
「また新型の錬金鋼ですか?」
「ああ。 お前が以前持ち帰った複合錬金鋼の残骸から色々と発見があったからな。 その技術を利用して、応用型を創ろうとしている所だ」
「応用型?」
「応用というより簡易型か? 要は現在の性能を維持したまま、複合錬金鋼の小型化と軽量化を試みているわけだ。
……あれは対汚染獣用に開発したものだが、対人戦では逆に使いにくいだろう?」
「ええ、まぁ」
もともと複合錬金鋼は、汚染獣戦に際してその強靭な外皮を切り裂くために、頑丈さと切れ味、さらに剄の伝導率を両立させた武器を作ろうという考えから生まれたものだ。
しかし本来、人間が扱うには巨大すぎるそのサイズゆえに、対人戦では過剰戦力となってしまう。
規定が厳しく、死者を出さないように行われている学生武芸者同士の戦いでは、なおさらに使い勝手が悪い。
「今開発しているのは対人戦用、と言ったところか。 形状の設定値そのものはお前の鋼鉄錬金鋼とほぼ同じだが、上手くいけば耐久力や剄の許容量ははるかに向上する。 ……今のところバグだらけで、とても実用には程遠いがな」
「すみません、僕のために……」
「別にお前のためだけというわけではない。 もともと錬金鋼の研究は、俺たちがツェルニに来た目的でもあるからな。 むしろお前の協力を得られたのは、俺たちにとっても好都合だった。 使い手にある程度の実力が無ければ、性能のテストも満足にできない」
「そうですか……まぁ迷惑になっていないのなら、僕としても気が楽ですけど。
それで、忙しいのはその簡易型? を作るのに手間取っているからなんですか?」
「そういうことだ。 お前の持ち帰ったデータからかなりの発見があったのは確かだが、それらを統合して新たな形にするのはまた骨が折れるんでな」
「大変そうですね」
二人の周囲にはびっしりと文章の書きこまれた書類が無数に散らばっている。
これだけの膨大な情報一つ一つを理解し、さらにそれを包括的、統合的に見て新しいものを創り出すなど、自分のような脳筋にはとても不可能だろう。
「とはいえ、開発しているのはそれだけではないがな。 他にも、いくつか新しい性能を持った錬金鋼を作ろうとしているところでもある。 近いうち試作品ができあがるかもしれないが、その時はまたテストに協力してもらうぞ」
「もちろん。 喜んで」
キリクには世話になっている。
前回の汚染獣戦も、彼の作った錬金鋼が無ければ殲滅は難しかった。
たとえ倒すこと自体は可能だったとしても、ツェルニに多大な被害が出ていたのは確かだ。
研究の手伝いくらいはお安い御用だし、レイフォンにとっても決してマイナスにはならないだろう。
その答えに満足したのか、キリクは視線を逸らして手元の作業に集中する。
それからしばらくは無言だったが、やがて手元を見つめたままぽつりと呟いた。
「そう言えばだが……お前が以前言っていたことは本当だったようだな」
「え?」
「全力で剄を込めると錬金鋼が自壊してしまうという話だ」
「……ああ」
思い出した。
汚染獣用の錬金鋼の開発を頼んだ時、確かにそんな話もしていた。
「正直、半信半疑ではあったが……お前が持ち帰った複合錬金鋼を見る限り、どうやら本当のようだな……。 確かに、複合錬金鋼は内側から崩壊していた」
無愛想な顔に、今は僅かに悔しそうな色を浮かべていた。
「……次は、もっと役に立つ武器を作る。 錬金鋼技師として、少しでもお前が力を発揮できるように尽力しよう。 だから、お前もそれを活かせるように、もっと強くなれ」
それだけ言うと、あとは黙々と作業を続けた。
「短い銀髪に大柄な体格の五年生? もしかしてルッケンス隊長のことか?」
「そう、その人です」
その日の深夜、機関部清掃のバイトに来ていたレイフォンは、休憩時間中、ペアを組んでいたニーナに今日の授業で気になった武芸科生徒について訊ねていた。
名前はよく覚えていない。 小隊員であること、学生武芸者としてはそれなりの強さであること、格闘術を使うことなどをヒントにニーナに訊いてみたのだが、やはり知っているようだった。
「第五小隊隊長、ゴルネオ・ルッケンスだろう? ツェルニの武芸科でもかなり有名な人だぞ。 というかお前も武闘会の試合で戦っていただろう」
「いや、まぁ、そうなんですが……」
確かに以前武闘会では戦った相手であり、おそらくはグレンダン出身らしいということで、何やら因縁のありそうな相手ではあったが……武闘会の直後はともかく、その後特に身の回りで何も無かったため、いつの間にかレイフォンの記憶から消えていたのだ。
せいぜいルッケンス所縁の者かもしれない、ということくらいしか覚えていない。
そんなレイフォンを、ニーナは呆れたような目で見やる。
「一年生とはいえ、武芸科に所属しているのなら小隊員の……それも隊長の顔くらいは覚えておくべきだと思うが? 確かに、実力そのものはお前に及ばないが、いちおうこれでも武芸科の上位組織のうえに、武芸大会の時には中心になる部隊なのだからな。 いくら小隊や対抗戦には興味がないとはいえ……」
「あ、あはは……」
ジトっとした目で見てくるニーナに、誤魔化すように乾いた笑いを洩らす。
「そ、それで、ルッケンス隊長ってどんな人なんですか?」
「どんなと言っても、そうだな………対抗戦くらいでしか顔を合わせる機会も無いから、プライベートなこととか性格的なことはそこまで詳しくはないが、基本的に真面目で温厚な人柄だったと思うぞ。 あまり愛想のいい方ではないが、特別気難しいというわけでもない。 小隊の隊長という役職に相応しいだけの実力と人望もある。 戦闘スタイルは化錬剄を使ったやや変則的なものだが、戦略的にはヴァンゼ武芸長やシン先輩と同じ、堅実派で緻密性を好むタイプだな」
真面目なニーナらしく、他小隊についてしっかり研究しているのだろう。
なんだかんだでそれなりに詳しく知っているようだ。
「結構詳しいんですね」
「一応、対抗戦に備えてそれなりに戦術面での調査はしているからな。 特に、第五小隊は対抗戦の成績も上位で、隊員の練度も非常に高い。 他の隊よりも戦術研究に力を入れるのは当然だろう。 しかし……どうしてまたルッケンス隊長のことなど訊いたんだ?」
「いえ、ちょっと今日の授業で見かけた時にふと武闘会の試合を思い出して、少し気になったもので……。
それに、あの人もどうやら僕と同じグレンダンの出身みたいですし」
「そうなのか?」
ニーナが驚いた様な声を上げる。 どうやら全く知らなかったらしい。
「はい。 ゴルネオ先輩とは直接会ったことはありませんけど、あの家名と格闘術の型には見覚えがあります。 それにルッケンスと言えば、グレンダンでは知らぬ者なしってくらい高名な武芸流派ですから」
「成程、ルッケンス隊長が……道理で強いはずだ」
それに勝ったお前はもっと得体が知れないが、とやや苦笑交じりに言う。
言外に先日の汚染獣戦についてほのめかしているように感じて、思わずレイフォンは目を逸らした。
そのまましばらく無言が続く。 その沈黙に耐え切れずレイフォンがニーナの方を窺い見ると、至近距離でこちらの顔を覗き込むニーナの目と視線がぶつかった。
咄嗟にレイフォンが仰け反ると、それに気付いたニーナもたじろいだように上体を引く。
それからわずかの間視線をさ迷わせ、何か訊きたそうにこちらを窺い見たものの、結局は何も言わず口を閉ざした。
「……先輩?」
「ああ、いや……なんでもない。 それはそうと体育の授業と言えば……お前、今日は強そうな一年生と戦っていたな」
レイフォンはすぐに思い至り、フェイランの顔を頭に浮かべる。
「ええ、まぁ」
「お前とは知り合いか?」
「武闘会でも対戦していたので、知り合いと言えば知り合いでしたけど……友達になったのは今日ですね」
「それは丁度良かった」
ニーナが今度は嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「丁度良いって?」
「実はな……いや、その前に……お前の目から見て、彼の実力はどうだ?」
「フェイランの実力ですか? そうですね……」
レイフォンは僅かに思案してから、今日彼と戦ってみて思ったことを正直に話した。
「一年生としてはかなりの腕だと思いますよ。 戦闘中の剄の流れも安定していますし、反応速度や身のこなしも学生武芸者としてはトップクラスです。 それに武闘会の時よりも随分と成長していましたし、これからもまだまだ伸び代はありそうですね。 肉体的に成長途上なせいか身体能力はやや低いですが、個人としての総合的な戦闘力はすでに小隊員にも引けを取らないと思いますよ」
「お前にそこまで言わせるとは、かなりの実力なのだな。 そうか、そうか……」
レイフォンの評価を聞いて、ニーナの笑みがさらに深くなる。
「……もしかして、小隊に誘うつもりですか?」
「うん、もしかしたらそうなるかもしれない」
「どうしてまたいきなり?」
「いきなりではないぞ。 ずっと考えていた」
最後のサンドイッチを口に放り込み、飲み込んでからニーナが答える。
「もとより少数精鋭を気取るつもりは無いからな。 人数集めに難航していただけで、最初から上限七人は欲しいと思っていた。 しかし現状、今の武芸科生徒に小隊員になれそうな成績の者は見当たらない。 仮に実力があっても、上級生では私の様な若輩者が隊長を務める隊には入りたがらないからな。 ならば下級生の中から素質のありそうなのを選んでこちらで育ててしまった方が早いかもしれない。 ……そう考えて、一年生の授業風景を観察したり、噂を集めたりしていたのだが、その中でも彼は特に目を惹いたんだ」
さすがにお前ほどではないが、とニーナは苦笑気味に付け足し、レイフォンは肩をすくめた。
「とにかく、近いうちに声をかけてみるつもりだから、その時はお前も手伝ってくれないか? 彼ほどの腕なら他の隊からも声がかかるかもしれないからな」
「まぁ、それくらいは良いですけど」
フェイランも小隊に入る意志がありそうだったし、と内心で付け足す。
「頼んだぞ」
と、ここで話は終わりとばかりに弁当箱を片づけ、ニーナが掃除を再開する。
それに倣ってレイフォンもパイプの上から腰を上げた。
やがて時間が来て、二人はモップを動かす手を止めた。 丁度割り当てられた区域の床を磨き終わったところだ。
体を起こして額の汗を拭っていると、ふと廊下の奥から足音が聞こえてきた。
「ああ、ニーナ。 ここにいたか」
顔を出したのは無精ひげを生やした機関長だった。
「どうかしましたか?」
「さっき生徒会から電話があってな。 お前さんと……レイフォンに用があるそうだ。 それで、できれば今すぐ来てもらいたいそうなんだが……」
「僕に?」
思わず驚きの声を上げる。
「ああ。 伝えたぞ」
お疲れさん、と言って機関長は踵を返した。
残されたレイフォンとニーナはお互いに顔を見合わせる。
「……何かあったな」
「そうみたいですね」
生徒会が……というよりも生徒会長であるカリアンが、ニーナだけでなくレイフォンをも呼び付けるなど、何か不測の事態が起こったとしか考えられない。
そこはかとない不安を感じながら二人は用具を片づけに向かった。
あとがき
これまで深く関わらなかったオリキャラ二人がようやくレイフォンと関わり始めた回でした。
せっかくなので、二人のバックボーンについても少々明かしてみたり。 まぁ、あくまでサブキャラなので、二人の生い立ちが今後の展開の鍵を握る、というわけではありませんが(多分)。
とはいえ、二人の活躍する話はすでに考えてあったりもします。
また、物語の進行上、キリクやらニーナやらとも絡めてみました。 詰め込み過ぎだったかな? とも思わなくもないですが。 予想以上に長くなりましたし。
ちなみに1年生ズの会話シーンでのキャラの書き分けですが、いちおう一人称と言葉遣いに多少の違いを出しています。
レイフォン、アルマ、フェイランは三人とも一人称が「ぼく」なので、会話シーンで区別しやすいよう、レイフォンは普通に「僕」、アルマはやや幼い雰囲気を出すために平仮名で「ぼく」、フェイランは中性的で凛とした雰囲気を出すため「ボク」、としています。(過去の話ではそこまで書き分けできてないので、違和感があるかもしれませんが)
また言葉遣いも、レイフォンは優しく温和そうな喋り方、アルマはゆるい敬語(イメージとしては、童顔の後輩キャラ)、フェイランは慇懃な丁寧語(真面目そうなイメージで)、といった感じでしょうか。
ついでに外見のイメージについても言っておくと、アルマは細くて柔らかい髪質に、ガラス細工の様に繊細かつ柔和で優しげな顔のつくりの美少年。見ための年齢は実年齢よりも1,2歳下くらいの感じで。
フェイランは涼しげで意志の強そうな切れ長の目に、色は黒くて癖の無い長髪のオリエンタル美人(男だけど)という設定。アルマが可愛い系の童顔美少年で、フェイランが真面目そうな美人顔、といった感じでしょうか。
大体ですが、作者の中ではこんなイメージです。
しかし……どうでもいいですけど美形ばっかですね。 エドの入り込む余地がありません。
ちなみにフェイランの技のビジュアルイメージは、ナルトの螺旋丸(大型サイズ)ですね。 こちらは渦潮みたいに内側に敵を取り込んで攻撃する技ですけど。
次回はようやく廃都市出征です。 できるだけ早く更新できるようにしたいです。