「レイとん~、お昼一緒に食べよ~」
教室で声をかけられ、そちらを向く。
ミィフィがこちらを手招きしている。その隣には、ナルキとメイシェンもいる。
入学式の日からこれまで、レイフォンは、ちょくちょく彼女たちと行動を共にするようになっていた。
何度か昼食を一緒に食べたり、放課後、一緒に寄り道したりしていたため、今ではレイフォンにとってクラスで一番親しい友達である。
……他に友達がいないだけとも言えるが。
ミィフィは1年にして、すでにかなりの情報網を持っているらしく、今後お世話になるであろう、寮や学校の近くの安い食堂などを色々と教えてもらい、レイフォンは非常に助かっていた。
4人で集まって教室の一角に座り、それぞれの昼食を出す。
レイフォンは売店で買ったパンを開け、もそもそと食べだした。
「レイとんは今日がバイト初日だっけ?」
「うん、まあね」
「機関部掃除でしょ? 大変そう~」
「まあ、掃除は慣れてるしね」
パンをかじりながら、言葉を返す。
ミィフィはミルクのパックを複数個、目の前に置いている。お昼はそれだけのようだ。
「ナッキはもう都市警に努めてるんだよね? 剣帯してるし」
「ああ。一昨日面接に行って受かった。とはいえ、武器は打棒限定だがな」
「へ~、わたしも出版社に勤めてるんだけど、まだまだ下積みの仕事ばっかなんだよね~」
「まあ、それは仕方ないさ。メイの方は?」
「…まだ……厨房に入れてもらえない」
「やっぱそういうのは調理実習で単位とった人優先なのかもね~。何にしても、これからみんなバイトで忙しくなりそうだね。一緒に遊ぶ機会減っちゃうかな?」
「バイトだけじゃなくて勉強の方も忙しくなるからな。当然だ」
「う、そっちはあんま忙しくなってほしくないな~。
あ、そういえば、みんな来週の週末は予定ある?」
唐突にミィフィに訊かれた。
「僕は今のところ予定入ってないけど、どこか行くの?」
「うん。そろそろ対抗試合が始まるって聞いて、調べてみたら来週の週末だって。せっかくだからみんなで観戦に行こうかなって思って」
「対抗試合?」
聞き覚えの無い単語に、レイフォンは疑問符を浮かべる。
「知らないの? 小隊対抗戦。ツェルニの武芸科で最大のイベントだけど。今年は本番の武芸大会があるから特に盛り上がるって言われてるよ」
「……そもそも小隊って?」
メイシェンも知らないようだ。
「小隊というのは武芸科の中での幹部候補のことだ。スキルマスターって意味合いもあるが」
ナルキが説明する。
「ふう……ん?」
メイシェンはよくわかっていないようだ。
レイフォンも、ようは武芸科の中の上位組織だということはわかるが、具体的なことはわからない。
「武芸大会での部隊分けされた時の、中心になる核部隊のことだよ。司令部の下に小隊…その時は指揮隊って呼ばれることになるんだが、その指揮隊がさらに下にある大隊、指揮隊に属していない一般武芸科の生徒を配下に置くことになるんだ。
つまり小隊ってのは武芸科生徒の中でのエリート集団ってことになる」
「へえ」
「じゃあ小隊対抗戦って?」
メイシェンが更に訊く。
「小隊員はエリートだからな。それに相応しいか、その実力を問われるのさ。個々のスキルと同時にチームとしての総合力も問われる。当然、小隊同士での序列争いもある。それが学内対抗戦。ここでランキングを争って、成績が良ければ小隊内でも序列が上になるし、当然武芸科内では周りから尊敬されるようになる。当然ながら武芸大会では重要な役割を任せられる。
逆に成績が悪ければ、小隊は最悪解散。幹部候補のエリートから一般生徒に逆戻りだ。武芸者って人種は基本的にプライドの高い生き物だからな。これは屈辱だ」
と、ナルキは説明を終える。
「そういうこと。それでその小隊対抗戦の試合が来週あるから一緒に見に行こうって話なんだけど、どう? みんな?」
ミィフィが話を戻す。
「あたしは……その日は午後から都市警の仕事がある。午前の部だけなら行けるけど」
「……わたしは…、その日はバイト無いよ」
「んじゃナッキは午前中だけか……残念。レイとんは行けるんだよね?」
「うん、大丈夫だよ」
「そっか。じゃあ決まり!」
試合か……。
そういえば公式試合に出場したことはあっても、他人の試合を観戦したことはほとんどなかったっけ。
たまには他人の試合を観戦するのものもいいか。
そう思いながら、レイフォンはパンを食べ終えた。
放課後、レイフォンは寮に帰ると、すぐさま夕飯を食べてから数時間ほど仮眠をとった。
深夜に目覚まし時計の音に叩き起こされ、ベッドから降りる。
適当に寝癖を直してから作業着に着替え、寮を出る。
今日はレイフォンの機関部清掃の仕事始めの日だ。
事前にもらっていた地図を片手に、居住区郊外にある地下への入り口に辿り着く。
警備員の生徒に通行生を見せ、奥へ入ると、すぐに地下への昇降機がある。鉄柵が囲っているだけの武骨なそれを使いさらに地下へ降りる。
機械油と触媒駅の混じり合ったなんとも言えない臭いが濃厚になっていく中、昇降機は全身を震わせて停止した。
最低限の照明が、目の前の光景を淡く映し出している。
パイプの入り組んだ狭い通路に、あちこちで一定のリズムに合わせて様々な動きを見せる歯車たち、ガラス上の透明なパイプの中で触媒液によって溶かされたセルニウムが、まるで血液のように一点に向かって奥のほうへ流れていき、そして色を淀ませた液体が隣にあるパイプを逆に流れて行く。
都市の地下にある、機関部。
自立型移動都市、レギオスの心臓部の光景だ。
「これは、すごいな」
初めて見る光景に、レイフォンが昇降機の前で呆然としていると、通りがかった就労学生らしき青年に声をかけられた。
彼に従って責任者のもとへと行き、そのまま機関掃除を始める。通路のブラシがけだ。
ひたすら迷路のように入り組んでいる通路の割り当てられた範囲を磨いていく。
レイフォンはすぐにコツを掴み、通路にこびりついた混合液をきれいにしていく。
単純作業は嫌いじゃない。その間は何も考えなくていいからだ。ただ一心に体を動かしていると意識が次第に自分の体の内側に向かっていく。その感覚は嫌いではない。
腕の力だけでなく、体重を使って全身運動でブラシを滑らせる。
汚れたブラシを水と洗剤の入ったバケツに入れ、再びブラシがけを行う。
それを繰り返しているうちにバケツの水が汚れてきたので、水場に行ってバケツの水を交換し、そしてまた続きを行う。
ただひたすら無心になって、ブラシを動かし続ける。自分の磨いた部分が綺麗になっていくのを見ていると、少し楽しくなった。
しばらくして、またもバケツの水が真っ黒になる。
「水を換えに行かないとな」
自分に対する確認として呟くと、以外にも声が返ってきた。
「そこの新人。なら、ついでにわたしのも頼む」
いきなりそう言われて、レイフォンは驚いて声がした方を見た。
「その代わり弁当の方は、わたしがお前の分も確保しておこう」
そこにいたのは短い金髪の少女だった。レイフォンよりも2つ3つ年上くらいか。レイフォンと同じ作業着を着ており、足元には水の汚れたバケツがある。手には柄の無いブラシが握られていた。整った顔立ちだが、鼻や頬、さらに髪までもが汚れで黒ずんでいる。
格好は汚れているが、言動や態度は堂々としている。また立ち居振る舞いなどから、おそらくは武芸者なのだろうと思われる。
「え?あ、は、はい」
「では頼んだぞ。わたしは弁当を買ってくるから水を換えておいてくれ。集合場所はここだ」
言うと、少女はバケツを残して売場へと歩いて行った。
数分後、レイフォンが両手にバケツを提げて戻ってくると、少女もまた戻ってきていた。
「ほら。そろそろ休憩を入れておけ」
「あ、ありがとうございます」
バケツを置き、少女から差し出された弁当を受け取る。
自然、そのまま一緒に夜食をとる流れになった。
2人並んでちょうどいい高さのパイプに腰掛け、弁当の入った箱を開ける。
弁当の中身はサンドイッチだった。
隣に座ってサンドイッチを食べる少女に習い、レイフォンも箱からサンドイッチを取り出して頬張ってみる。
そして驚きに目を見開く。
美味い。
鶏肉と野菜と辛味のあるソースがうまい具合に混ざり合っている。適度に疲労していた身体によく染みる美味さだ。
「美味いですね」
「だろう?配達される弁当の中でも人気の一品だからな。すぐになくなる。配達時間を把握しておかないと手に入れるのは難しい」
少女はさらに紙コップに入った紅茶を差し出してきた。よく冷えている。砂糖が嫌味にならない程度で、これまた美味い。
「こっちも売ってるんですか?」
「いや、これは自前だ。忠告しておくが、次からは飲み物は自分で用意しておけ。ここの飲み水はまずいからな」
「はあ。ありがとうございます」
礼を言って、レイフォンは食事に専念する。やはり美味い。
少女も隣で上機嫌にサンドイッチを食べる。
2人はほぼ同時に食べ終わり、紅茶を飲んで、ほっと一息つく。
と、ここで少女が口を開いた。
「さて、自己紹介が遅れたな。わたしはニーナ・アントーク。武芸科の3年だ。見ての通り、ここでバイトをしている」
「一般教養科1年、レイフォン・アルセイフです」
「レイフォンか。お前、新人にしては随分掃除の手際がいいな。わたしがバイトを始めたころは、なかなかはかどらなくて苦労したものだ」
「いちおう掃除とか洗濯は慣れてますから。家でいつもやってましたし」
孤児院では、家事は全員で分担してやっていたし、特に年長者であるレイフォンはその中心となっていた。
「そうなのか。あいにくわたしはツェルニに来るまでまともに掃除なんてものしたことがなかったからな。慣れるのに随分時間がかかった」
「先輩はどうしてこのバイトを?」
「給金がいいからな。わたしのような貧乏人には、ここの高報酬はありがたい」
貧乏人という言葉に、虚を突かれる。
「意外か?」
「ええ、まあ……」
正直に頷く。
実際、意外だった。
立ち居振る舞いに、武芸者独特の雰囲気だけでなく、上流階級特有の、洗練されたものがあるように感じていたからだ。
「まあ事実、実家は貧乏ではない。これは確かだ」
「え? じゃあ……」
「言ったろう。あくまで実家は、だ。親が学園都市に行くのを反対してな。内緒で試験を受けて、半ば家出のようにここに来た。だから、実家からの仕送りは無い」
聞いて、驚いた。そこまでしてでも自分の都市を出たかったのだろうか。
「なんでまた、そうまでしてツェルニに?」
「わたしは、外に出たかった。そして他の世界を見てみたかった」
ニーナが遠くを見るような目をして呟くように言った。
「わたしの家は、代々武芸者を輩出する、故郷シュナイバルではそれなりに高名な武芸者一家でな。小さいころから、将来は自分の都市を守る立派な武芸者になるように言われて育ってきた。そしてそのために、必要なものは何でも与えられてきた。
大きな屋敷、大勢の使用人、優秀な家庭教師。そういったものに囲まれながら、いい物を食べ、綺麗な服を着て、何不自由なく暮らすことができた。だがいつからか、そのことに疑問を持つようになったんだ…」
やや苦みを含んだ顔をする。
「確かにあの家で暮らしていれば生きるために必要な全てが与えられただろう。だがそれでは篭の中の鳥と同じ。何一つ自分の手では得ていない。わたしはただ与えられただけのものを、自分のものだと言い張って生きたくなかった。
与えられた環境、与えられた物、それだけに縋って生きるのが嫌になった。目の前に用意されたものだけに従って、それ以外のことを何一つ知らないまま一生を終えたくなかったんだ」
そう言って、視線を下げて自らの手のひらを見る。
「レギオスに生かされているわたしたちは、そのほとんどが1つの都市で一生を終える。しかし、一方で都市間を放浪バスで旅する者たちもいる。彼らは、他の人たちが1つしか見ない世界をたくさん見ている。わたしはそれが羨ましかった……。
わたしも、旅行者になることはできないだろうが、それでも、少なくともあそこ以外の、外の世界を見てみたかった。そして自分の手で何かを得てみたかった。それで、学園都市に来ることを決めたんだ」
だから、わたしはこうしている、と最後にそう締めた。
レイフォンは驚いていた。故郷に残っていれば何不自由のない生活を送れただろうに。それではだめだと、自分の力を試すために、わざわざ危険な旅をしてまで外の世界を見ようとするなんて。
正直その感覚はレイフォンには理解できない。できるはずもないのだが。
「ところでわたしの方も訊きたいのだが、お前は何故武芸科に入らなかったんだ? 入学式でお前のことを見て、かなりの実力があると思ったんだが」
唐突に訊かれて、レイフォンは一瞬言葉に詰まるも、何とか答えを返す。
「僕は、ここに武芸以外の道を、武芸者以外の生き方を探すために来たんです。だから、一般教養科に入りました」
「ふむ、それは見つかったのか?」
「いえ、そんな簡単じゃありませんよ。自分の将来について、何度か考えようとしたことはありますけど、はっきりとしたものが何一つ見えてこないんですから。
何がしたいかなんて決まっていません。それでも、何かがしたいんです。自分の本当にやりたいことを見つけたいんですよ」
「それは武芸ではだめなのか?」
「武芸ではだめなんです。それはもう、失敗しましたから」
「失敗? どういうことだ?」
答え辛いことでも、まずは尋ねるのが彼女なのだろう。苦笑しつつ、レイフォンは首を振る。
「失敗の内容なんてどうでもいいんです。終わったことですし、僕はもう気にしていませんから。
ただ、失敗したときに、武芸をする理由を失くしてしまったんですよ。それと同時に、戦う意志も覚悟もまとめて失ってしまった。武芸者として生きられなくなった。だから、武芸は捨てたんです」
自然と、自分の声が暗くなるのを感じた。
ニーナがこちらをじっと見ているのがわかる。
「武芸をする理由? 武芸者は都市とそこに住まう人々を守るために戦うのが義務であり存在意義だろう? それが当然だと思うが?」
確かに、たいていの都市では武芸者として生まれた時点で、将来は都市を外敵から守るために戦う役目を与えられることが決まっている。実際に戦う機会があるかは別として。
大多数の武芸者にとって、戦うことは生まれながらに持つ義務であり、責任である。そしてそれが武芸者というものの存在意義でもある。
そして、いざという時に命を懸けて戦う義務があるかわりに、武芸者は基本的にどの都市でも、金銭的にも立場的にも一般人より優遇される。
もっとも、レイフォンはそれに当て嵌まらないが。
「普通はそう考えるのが当然なんでしょうけどね。僕には、そういうふうに考えられないんですよ。都市を守るためって感覚がよくわからないんです」
「何故だ?」
ニーナがすぐさま訊いてきた。目つきなどが若干キツくなり、少し怒っているように感じる。
「別に僕に限ったことじゃないですよ。僕の故郷グレンダンは、武芸の本場なんて呼ばれてますけど、実際本気で都市を守ろうという気持ちを持って戦っている人は少ないんです。武芸を神聖視したり、武芸者として品行方正であろうとする人はいますけど、心の底から『都市を守らなくては』って必死になる人はほとんどいませんよ。まあ、武芸者としての義務感くらいは持っているでしょうけど」
「それは……何故だ?」
今度は疑問を感じているように言う。
「グレンダンでは、武芸者にとって、戦うのは権利であって義務ではないんですよ」
レイフォンは端的に言うが、ニーナにはよくわからないようだ。
仕方なくレイフォンは一から説明することにする。
「グレンダンには武芸者が多いんですよ。剄を使える人間が大勢いて、武芸が盛んで、いろんな流派や道場があるんです。けど、その全員が武芸者として戦場で戦うわけじゃないんですよ」
他の都市をあまり知らないので自分では比較できないが、グレンダンの都市民における武芸者の割合は、他の都市と比べてとても大きいと聞いたことがある。
そして街を見渡しただけでも、そこいらじゅうに武芸の道場がある。このことからも、グレンダンでは武芸がとても盛んだとわかる。
「グレンダンは他の都市と比べて汚染獣との遭遇率が異常に高くて、その分武芸者にはより高い質が求められるんです。だから実際に汚染獣と戦うのは、たくさんいる武芸者の中でも限られた者だけで、実力があると判断された者しか汚染獣との戦いには参加できないんですよ」
剄脈を持っているというだけでは戦えない。武芸者として、本当に力ある者だけが戦うのだ。
「そして当然、優秀な武芸者が多いわけですから、都市が本当の意味で危険にさらされることはないんです。どんな汚染獣が来ても絶対に負けることは無いと、都市民すべてが心から信じているくらいですから。
優秀な武芸者が大勢いるから、ほとんどの人が、自分1人いようがいまいが、都市の防衛力に大差無いとわかってるんです」
だからこそ、武芸者たちは戦わなければいけないという感情が非常に薄い。本来戦いという行為は、武芸者として生まれた者の義務であるのだと分かってはいても、己個人の義務としては感じられない。戦うことは強者だけに許された権利であるように思ってしまう。
「実際、武芸者だからというだけじゃ、グレンダンでは尊敬も優遇もされないんですよ。他の都市みたいに、剄脈を持っているというだけでは生活の保障もされませんし、武芸者補助金も支給されません」
グレンダンでは、公式試合で一定の成績を収めた者しか戦場に出ることは許されないし、同時に武芸者補助金も受けられない。それ以前にある幼年武芸者補助金は15歳までしか適用されない。
「だから、グレンダンの武芸者たちは他の理由のために戦おうとするんです。そしてそれぞれに、求める物は違います。強き者として認められること、武芸者としての名誉や称号だったり、戦いの報酬、戦時手当や補助金だったり、あるいは戦うこと、より強くなることそのものが目的だったり。そういった理由のために戦うんです」
ニーナは驚いているようだ。それはグレンダンの武芸者たちの意識に対してなのか、そんな考え方をしてしまう、することが許されるほどの強さに対してなのか、それはレイフォンにはわからない。
「僕が武芸をやっていた理由も、都市を守るためだなんて大きな理由じゃありません。もっと個人的で小さな理由です。たった1度の失敗で見失ってしまう程度のものです。それでも、僕はずっとその理由、その目的のためだけに武芸を続けてきました。だから、その理由を失った僕に、今更戦うことができるとは思えないんです」
レイフォンは自嘲するように言う。自分は随分と暗い顔をしていることだろう。ニーナはかける言葉を見つけられない様子で、ただじっとこちらを見ている。
「『力無き武芸者に価値は無く、意志無き武芸者に意味は無い』力が無ければ何物も守れず、どれほど優れた力があろうと、戦う意志が無ければ戦えない。武芸者とはそういうもの。僕はすでにその意志を失った。すでに武芸者としての僕には、何の意味もありません」
そこでレイフォンは口を閉じた。しゃべりすぎたように思う。
ニーナは、何も言わない。
しばらく、その場に沈黙が流れた。
と、突然、通路の奥からカンカンカンという足音が近づいてくるのがわかった。
足音の聞こえる方向を見ると、同じ作業服を着た、無精ひげの、年長らしい男が走ってきた。機械科の上級生らしい。
「おい、このあたりで見なかったか?」
「なにを?」とレイフォンが尋ねる前に、ニーナが口を開いた。
「またか?」
「まただ、悪いな!頼む!」
やけっぱちな様子で大声を上げると、男はまた走り出した。
「やれやれ」
呟きながら、ニーナが立ち上がる。
「あの、なにが?」
「ああ、手伝え。今日はもう掃除はいいはずだ」
「は?」
状況のわかっていないレイフォンに、ニーナは楽しそうに笑みを作った。
「都市の意識が逃げ出したのさ」
「は?」
「まあいいから、ついて来い」
ニーナに従って、レイフォンも歩き出す。
「緊急事態なんですか?」
「機関部の管理を任されている連中からしたら、失点に繋がる大事態だな」
「はあ……」
よく理解できない。都市の意識?
それが何なのかレイフォンにはわからない。
ニーナはどんどん奥へ進んでいく。その足取りに迷いはない。
分かれ道に差し掛かっても、迷うことなく進んでいく。
「探してるんじゃないんですか?」
「探す必要などないさ」
「は?」
さらに混乱する。
ニーナの横顔を見るが、彼女は楽しそうな顔のまま、まっすぐに前を見ている。
「都市の意識というものは、好奇心旺盛であるらしい」
ニーナが足を止める。
落下防止の鉄柵が行く手を阻んでいた。そこから見下ろせる下層には、山のようにこんもりとしたプレートに包まれた機械が、駆動音で空気を揺らしている。
その天辺に、なにかがいた。
金色に近い色で発光しているのが見える。
「だからこそ、己の内に何か新しいものがあると興味が寄せられてしまうそうだ。今の時期ならば、新入生だな。お前とか」
「ツェルニ!」
ニーナがそう叫ぶと、発光体は飛び上がり、クルクルと天辺の上で円を描いた。
「整備士たちが慌てていたぞ」
もう一度声をかけると、発光体はまっすぐにこちらへと飛んでくる。
レイフォンが「危ない」と声をかける前に、発光体はニーナの胸に飛び込んだ。
「はは、あいかわらず元気な奴だ」
発光体を抱いて、ニーナが笑う。
間近でそれを見て、レイフォンは言葉を失った。
発光体の正体は、小さな子供だった。
「しかし、ちゃんと動いてやれよ。お前が手を抜くと、整備士たちが困ることになるんだ」
赤ん坊のような大きさで、長い髪は足元まで届きそうだ。くりくりとした大きな瞳で、嬉しそうにニーナを見上げる。
(これが、意識?)
レイフォンは唖然としてその発光する少女を見つめる。
と、ニーナの肩越しに、少女と目があった。
「ああ、これが新入生だ。紹介してやろう、レイフォンだ。レイフォン、これがツェルニだ」
「それは、あの、この都市の名前と……」
「当り前だろう?この都市は、すなわちこの子そのものなのだからな。いわゆる都市の電子精霊というやつだ」
あまり実感が湧かない。理屈はわかるのだが、目の前にいる少女と、自分たちのいる巨大な都市が同一であるというのが信じられない。
「えと、レイフォン・アルセイフです。よろしく」
じっと見つめてくる少女に、とりあえず握手を求めるつもりで手を伸ばす。
と、ツェルニはニーナの腕から脱して、レイフォンの腕の中に飛び込んできた。
咄嗟に受け止める。小さな体には相応の重さも無く、ただ暖かさだけが感じられた。
胸の辺りの作業着を掴んで、ツェルニは無垢な瞳でレイフォンを見上げている。
「ほう、気に入られたようだ」
「は?」
「気に入らない相手だと、触らせてもくれないからな。触ることはできても、結束を緩めるとその子の身体を構成している雷性因子が相手の体を貫くからな。人に落雷するのと同じようなことになるらしい」
聞いて、レイフォンはさらに唖然とする。こんな可愛い女の子が人に害をなすなんて信じられない。そう思った。
「整備士たちが慌てていたのは、機関が不調になるからというだけでなく、そういう理由もある。だが、わたしはこのお人好しが、誰かに危害を加えるなんて信じられないのだがな」
そう言って、ツェルニの頭を撫でる。
「さて、もう充分に見たか?ならそろそろ元の場所に戻ってやれよ。整備士たちが困っているからな」
ニーナはレイフォンの腕からツェルニを取り上げる。
そのまま胸に抱いて、語りかけながら、通路を戻っていく。
レイフォンはその様子を驚きとともに眺めながら、ニーナのあとについて通路を歩いた。
ツェルニが元の場所に戻るのを見届けた後、ニーナはレイフォンに向かって口を開いた。
「ツェルニはこの都市の意識であり、都市そのものでもある。その存在は、セルニウムの供給が絶たれれば消えてしまうものだ。もし今期の武芸大会で敗北し、セルニウム鉱山を失ったら、都市は死に、彼女も死んでしまうことになる」
都市の死は、その都市に宿る電子精霊の死。
先程の、可愛らしい無垢な少女が消える様を想像して、レイフォンは背筋が震えた。
「わたしは武芸者としての誇りにかけて、自分の住まう都市を守りたいと思う。だがそれだけではない。ここで彼女に出会って、彼女と友達になって、この都市を己の手で守りたいと、本気でそう思った。彼女自身のことを、誇りではなく本心から守りたいと思ったんだ。そしてそのためには、どんな困難にでも打ち勝ってやると決めた」
その瞳には、強い意志が宿っていた。
「お前は戦う理由を失ったと言ったな。正直わたしは、お前が何のために戦っていたのかは知らないし、予想もつかない。だがもし、いつかお前にもここで戦う理由ができたなら、お前のその力を、この都市を守るために活かしてほしい。その時は、武芸科の一生徒として、お前のことを心より歓迎する」
ニーナがレイフォンに背を向ける。
「今日は色々と訊いてすまなかったな。侘びといっては何だが、弁当は奢りにしておいてやる。今晩の仕事は終わりだ。帰って休むといい。では、これからもよろしく頼む」
それだけ言うと、ニーナは去って行った。
その背を見送る。
レイフォンの心には、ニーナの強い意志が宿った瞳が印象に残っていた。
何か重たいものが、体の中に溜まっている感覚がある。
(都市を守るため、か……)
「はあ……」
レイフォンは大きく溜息をつき、自分も帰路に着いた。
家に帰って布団に入り、登校時間まで、わずかながら睡眠をとる。
いろいろ話をしたからだろうか。その短い眠りの中で、少しだけ、昔の夢を見た。
おまけ:キャラクタープロフィール(身体データは作者のイメージです)
レイフォン・アルセイフ ♂
年齢:15
身長:170cm 体重:58kg (成長中)
性格:優柔不断、消極的、自己犠牲的
趣味/特技:家事全般、武芸
メイシェン・トリンデン ♀
年齢:15
身長:152cm 体重:40kg
性格:人見知り、臆病、控えめ
趣味/特技:料理(特にお菓子)
ミィフィ・ロッテン ♀
年齢:15
身長:159cm 体重:48kg
性格:明るい、好奇心旺盛
趣味/特技:情報収集
ナルキ・ゲルニ ♀
年齢:15
身長:172cm 体重:57kg
性格:真面目、正義感が強い、仕事熱心
趣味/特技:仕事、捕縛術
フェリ・ロス ♀
年齢:16
身長:151cm 体重:38kg
性格:マイペース
趣味/特技:読書
ニーナ・アントーク ♀
年齢:18
身長:167cm 体重:54kg
性格:真面目、頑固、熱血漢
趣味/特技:訓練
あとがき
投稿してから、思った以上に感想が早く書き込まれていて驚きました。読んで下さりありがとうございます。
レイフォンの台詞には、「こういう時はこんくらい言えよ」という、作者の気持ちというか願望というか、とにかく原作を読んだ時にもどかしく思っていたところなどに変更がなされていたりします。作者の中でのレイフォンのイメージというか魅力を壊さない範囲でですが。
1話と比べてかなり短いのでおまけをつけてみました。とはいえ、性格とかは原作読んだ方は知っているでしょうけど。オリキャラが出た時はもう少し詳しく書きたいです。
ストーリー中に天剣は登場しないと思いますが、いつかおまけくらいになら出してもいいかなと思います。