都市警察署、強行警備課オフィス。
「ふぅむ……」
「課長、どうしたんですか?」
書類片手に自分のデスクで難しい顔をしている男に、近くを通りかかった都市警察所属の女生徒、ナルキが声をかけた。
男は自分を見下ろす部下の顔を見上げると、苦い調子で口を開く。
「いや、今度の捕り物についてちょっと、な」
「ああ、例のキャラバンの」
捕り物と聞いて即座に思い当たる。
「今度の件は十中八九、荒事になるからな。 だが、正直こちらの戦力には不安がある。 向こうに武芸者が何人いるかは分からないが、ゼロということはありえんだろう。 対してこちらで動かせる武芸者はお前を入れてもわずか6人、しかも全員、対人戦の実戦経験はほとんど無い。 どうすればうちの戦力でホシを捕まえられるか考えていたんだが、良い案が浮かばなくてな」
「成程」
「小隊員の手が借りられりゃあ手っ取り早いんだが、連中はプライドが高い分、こういうことには非協力的だからな。 とりあえず放浪バスの出発を遅らせて時間を稼ぐつもりだが、それだけじゃ根本的な対処にはならない。 なんとか向こうに対抗できるだけの戦力を集めなくちゃならんのだが、どうすりゃいいもんか……」
男はがりがりと頭を掻き、再び難しい顔で思案する。 それを見てナルキも何か案が浮かばないか考えてみるが、自分よりもはるかにやり手の上司が思いつかないものを、そう簡単に思いつくわけがない。
しばし無言で唸る二人を見て、話を聞いていた近くのデスクの女性、ナルキから見て先輩に当たる女生徒が彼女に向かって声をかけてきた。
「そういえばだけどさ、この間の武闘会で優勝した1年生ってナルキのクラスメイトじゃなかったっけ? 彼に協力を頼んでみるのはどう?」
それを聞いた男が顔を上げる。
「ナルキ、本当か?」
「え? ええ、そうですけど」
「そうか……」
男はまたわずかの間思考を巡らせ、再び顔を上げる。
「ちょいと訊くが、そいつとは親しいのか?」
「ええ、まあ。 友達同士ですし、クラスでもよく話します」
「友達なのか。 そりゃ丁度良い。 なら、悪いがそいつに協力を頼んでみてもらえないか? 何せ小隊員以上の実力者だ。 戦力としては申し分無いだろうしな」
「それは、でも……」
「ついでに今後も有事の際には協力してもらえるように頼んでみてほしい。 ちょうど武芸科の臨時出動員枠には空きがあるしな」
ナルキはなんとなく、それを自分が頼むのは卑怯なような気がした。
人の良いレイフォンなら、おそらく余程のことが無い限りナルキの頼みを断りはしないだろう。 しかしだからこそ、友人という立場を使って彼に物を頼むのは気が引ける。
だが現在都市警は人手不足であり、さらに今度の件にはレイフォンの助けが必要であることもわかっている。 ならばやはり協力を要請すべきだとも思う。
「ま、いちおう声をかけておいてくれ。 こっちでもできるだけ対策を考えておくから」
「……わかりました」
ナルキはまだ少し迷っていたが、結局は不承不承了解した。
「ああ、頼んだぞ」
「というわけなんだがレイとん、どうだろう? 力を貸してもらえないか?」
「わかった、いいよ」
「もちろん迷惑なら断ってくれても構わないし、引き受けてくれるとしてもできる限りレイとんの都合に合わせるようにする。 ギャラの方も極力……って、え?」
「だからいいよ。 その都市警の……臨時出動員、だっけ? 引き受けても構わないよ」
朝教室に入り挨拶もそこそこに持ち出された話に対し、レイフォンは軽い調子で答える。 そのことに、ナルキはかえって戸惑ってしまった。
「いや、あたしの方から頼んでおいてなんなんだが、1日2日考えてからでも遅くはないんだぞ? 危険な仕事だし、その割に特別給料が良いわけでもない。 それに臨時出動というくらいだからいつ呼ばれるかもわからないんだ。 ただでさえ機関部清掃のバイトで生活が不規則になってるレイとんにこんな仕事を頼むのは迷惑なんじゃないかと思ってたんだけど」
上司に言われダメもとで頼んでみたのだとナルキは言う。
それに対しレイフォンはあくまで簡単そうに言葉を返した。
「危険な仕事にはグレンダンで慣れてるし、今のところお金には困ってないよ。 機関掃除も、上の人に話を通しておいてくれれば問題無いと思うしね。
何より友達が困ってるんだから、力を貸すのは当たり前だよ。 僕にできることがあるのなら何でもする。 とは言っても、僕にできることなんて戦うことくらいだけどね」
捜査の手伝いとか頭使う仕事じゃ力になれないかもしれないと、苦笑気味に付け足す。
最後の方だけやや自嘲的な言葉だったが、声の調子は軽く、表情に陰は無い。 まるでちょっと自虐的な冗談を言ってみたという感じだ。
それを見て、ナルキはやや肩から力を抜いた。
「そうか、助かるよ。 正直に言うと、うちは今深刻な人手不足でな、レイとんに手伝ってもらえるなら非常に助かる」
「別に何てことないよ。 ナッキにも、メイやミィにも普段から世話になってるからね、こういう形ででも返せるなら僕としても嬉しいよ。
それに実戦の勘を鈍らせないようにするには丁度良いし、治安を維持するのは僕にとっても好都合だからね。 犯罪者を野放しにして前みたいな事になるのは嫌だし」
それを聞いて、ナルキは都市外の武芸者とレイフォンが戦った時のことを思い出した。 今回も、何だかんだ言って引き受けた本当の理由はメイシェンやミィフィといった友達を守るためなのかもしれない。
そう思うと、ナルキとしても嬉しく感じる。
と、そこで1限目のチャイムが鳴り、生徒たちは各々の席へと戻る。
「じゃ、詳しいことはまた後で話すから」
「わかった、それじゃ」
教室に教師役の上級生が入ってきたので、レイフォンとナルキもそれぞれの席に戻った。
「それで都市警のバイトも引き受けたのか?」
レイフォンの手の中にある錬金鋼につないだ計器の動きを目で追いながら、キリクが口を開く。
錬金科研究棟の彼の研究室の中で、レイフォンは乱雑に散らかった室内を見回していた目をキリクへと向ける。
「ええ、まあ。 武闘会の時に感じたんですけど、正直グレンダンの頃よりも腕が鈍ってたんですよね。 腕というよりも勘とか精神的な部分の方が鈍ってる感じですけど。 だから錆落としに丁度良いかなって思ったんです。 小遣い稼ぎにもなりますし」
キリクはもうすでにレイフォンが学生武芸者の範疇を大きく超えた実力者であることは知っている。 汚染獣戦の時や武闘会での錬金鋼は彼が用意してくれたものだ。 キリクほどの技術者にとっては、使用後の錬金鋼を調べるだけでレイフォンの強さ(少なくともその戦闘でレイフォンが発揮した力の程度)を推し測ることができるらしいので、レイフォンもキリク相手には自分の実力を必要以上に隠そうとはしない。 もしまた汚染獣と戦うような事態になれば彼の協力が必要不可欠だからだ。 いざという時のために、こちらの能力をしっかりと把握しておいてもらった方がレイフォンとしても助かる。
……まあ、彼はあまり(というかとても)社交的とは言えない人種なので、知られたところで他の人間に広まったりはしないだろうというのもあるが。
「武闘会で優勝しておきながら腕が鈍っていた、か……他の武芸科の連中に聞かれたら憎まれそうなセリフだな。 おまけに都市外の武芸者との戦闘を錆落としに丁度良いとは、つくづく舐めた事を言う奴だ。 余程自分の実力に自信があるんだな」
「そりゃ、いちおう自信はありますよ。 これでもグレンダンでは毎日のように命懸けで戦ってましたからね、はっきり言って学生武芸者との訓練は生温く感じるくらいです。 たまには実戦も経験しておかないと戦いの勘は鈍る一方ですし。 まあ、以前は錆付くのに任せておくつもりでしたけど、今はちょっと無視できない理由もありますからね」
レイフォンはもともと武芸を捨てるためにツェルニへ来た。 幼少のころから鍛え続けていた技も力も、時間と共に錆付いてゆくのに任せるつもりだった。
しかしもうそんなわけにはいかない。 メイシェンを、ミィフィを、ナルキを、そして彼女たちと過ごす時間と空間を守るためにも、レイフォンは戦うと決めたのだ。
そして戦う道を選んだからには自己鍛錬を欠かすわけにはいかない。 いざという時に錆びたままの腕で戦って取り返しのつかないことになったら悔やむに悔やみきれない。 だからこそ自身の力を出来る限り高めておきたい。 都市戦だけではない、前回のように汚染獣が再び襲ってこないとも限らないのだ。
「しかしなぜまたそんな仕事をする? お前ならそんな仕事せずとも、小隊にでも入れば助成金なり報奨金なりで良い暮らしができそうなものだが」
「ええと、それは……」
「小隊員になれば普通の武芸科生徒よりもレベルの高い訓練ができるだろう。 小隊に入るつもりはないのか?」
すでに色んな人から幾度となくなされた問いだが、やはり少しだけ答えに窮した。
しかしそれでも、しっかりと自分の意思を述べる。
「小隊に入るつもりはありません。 都市戦に勝ちたいという気持ちもこの都市を守りたいという気持ちもありますけど、そのために、必要以上に自分を犠牲にするつもりはありませんから。
それに僕みたいな人間は小隊員には向きませんよ。 僕なんかが小隊に入ったら絶対に迷惑をかけることになると思いますし」
やはり小隊には入りたくない。 武芸科の中に自分を固定する居場所を作りたくないのだ。
再び武芸を捨てたいと感じた時に、それができなくなるかもしれないから。
そしてそんな覚悟で戦場に出たら、命を落としてしまうかもしれないからだ。
「……そうか」
キリクは少しの間レイフォンの顔を見据えていたが、やがて計器に目を戻した。
それに、とレイフォンは思う。
どんなにレベルが高いと言ったところで所詮は学園都市の訓練だ。 錬金鋼には安全装置が設定されているし、本当の意味で殺意と殺傷力を持って戦う人間はいない。 そしてそんな場所では実戦の空気を感じ取ることはできない。
都市外から来た武芸者、特に犯罪者は基本的に他人を傷つけることに抵抗を持たない。 おそらくその都市の警察などが立ち塞がれば悪意と殺意を持って応えるだろう。 レイフォンからすれば小隊の訓練や対抗戦などよりも遥かに実戦的だとすら思う。
そんなことを考えながら、何気なく手元に視線を落とした。
「……それはそうと、これ……なんですか?」
レイフォンは先程からずっと計器に繋がった錬金鋼に剄を送り続けていた。
その計器から目を離すことなくキリクは答える。
「少し確かめたいことがあってな。 お前の剄力を計っている」
「はぁ……」
よくわからないままに、レイフォンは錬金鋼に剄を流し続けた。
しばらくして、再びキリクが口を開く。 人付き合いを好まないらしいキリクがこれほどたくさん話すのは珍しい、とレイフォンは思った。
「随分と剄の総量が多いな。 収束も凄まじい。 これなら青石(サファイア)か白金(プラチナ)の方がよかったんじゃないか? そっちの方が剄の伝導率は上だぞ」
「そうなんですか? グレンダンにいた頃はずっと鋼鉄錬金鋼(アイアンダイト)を使ってましたから、そういうのはあんまり分からないんですよね。 どっちみち全力は出せませんし、だったら刃物としての性能を追求した方がいいかなって思ってたんで」
「全力が出せない? どういうことだ?」
キリクが訝しげな顔をする。
レイフォンは彼がなぜそんな反応をするのが分からなかったので、ありのままを答える。
「大抵の錬金鋼は僕が全力で剄を送り込むと許容量を超えて壊れちゃうんですよね。 だから普通の錬金鋼で戦う時はいつも剄量を加減してるんです。 戦場で得物を失ったら終わりですからね。 白金や青石は鋼鉄よりはましかもしれませんけど、全力出したら結局は壊れてしまうと思いますし」
「……成程な。 そういえばこの間お前に渡した弓型錬金鋼を調べたら赤熱化していたが、あれは剄の過剰供給のせいだったのか。 道理でアレが使えるはずだ」
アレというのは汚染獣戦で使った機関砲のことだろう。 確かに、あんな武器を使える者がそうそういるはずもないし、使うには相当の剄量が必要になる。 それを苦も無く扱えた時点でレイフォンはすでに規格外の強者だ。
剄の過剰供給によって錬金鋼が壊れるというのは、理論上はともかく実際に起きた前例が少ないので、直に見た事の無いキリクにとっては少々信じがたいことではある。 しかし、前回調べた弓型錬金鋼が外ではなく内側から壊れかけていたことから考えて、そういうこともありえるだろうとキリクは納得した。
「ん? 普通の錬金鋼?」
「あ、」
レイフォンがしまったという顔をするが、キリクは構わずそこを追求する。
「つまりグレンダンには普通じゃない錬金鋼が存在するということか? お前の剄量でも壊れないような錬金鋼が」
レイフォンはしばし迷う様な素振りを見せた後、言葉を選ぶようにして問いに答えた。
「えっと、まあそんなところです。 詳しいことは分からないんですけど希少金属でできてる錬金鋼らしくって、どんなに剄を流し込んでも壊れないんです。 グレンダンには時々普通の錬金鋼じゃ全力を出せないような剄量を持って生まれる武芸者がいますから。 とはいえかなり貴重な物なんで誰でも使えるわけではありませんけど」
「ほう……。 一度お目にかかってみたいものだ」
それだけ言うと再び口を閉じる。 あとは作業が終わるまで計器のほうに意識を向けていた。
レイフォンの態度からそれだけではないと気付いているのかもしれないが、それ以上は追求してこなかった。
「よし、もういいぞ」
やがてキリクが終了を告げ、剄の供給を止めるように言う。
それから彼は計器に観測したデータを他の機会に入力し始めた。
「えっとそれじゃ僕、もう行きますね」
「ああ」
レイフォンは錬金鋼を基礎状態に戻し、荷物をまとめて部屋を出ようとするが、なんとなく気になってキリクに訊ねた。
「そういえば、結局これって何のためにやってたんですか?」
「新型錬金鋼の開発だ。 詳しいことはもう少し研究が進んでから教える。 その時にはまた実験に付き合ってもらうぞ」
「はぁ」
それくらいは構わない。 彼には色々と世話になっていることだし、その研究はレイフォンにとっても有益になりえるだろう。
キリクが自分の作業に没頭していくのを見届けてから、レイフォンはその研究室を後にした。
向かう先は小隊員専用の訓練場――練武館だ。
小隊員用の訓練場、練武館。
そこでは大きな空間を防音・耐衝撃材質のパテントで仕切り、それぞれのスペースを各小隊にあてがっている。
その中の第十七小隊に割り当てられた空間では、他とは随分と違った訓練をしていた。
「うわっ」
バランスを崩したニーナが派手に尻餅をつき、痛みに顔を顰める。 転んだ際に足元に転がった硬球を弾き飛ばしてしまった。
「おいおい、大丈夫か?」
床に転がる硬球の内一つの上で立ったまま、シャーニッドが声をかける。 ハイネも少し離れたところで苦笑していた。
ニーナは痛みに呻きながらもそれに答えた。
「ああ、大丈夫だ。 しかしお前は随分と覚えるのが早いな」
「ま、そりゃ俺はばれないように移動するのに普段から色々と気を遣って動いてるからな」
飄々と答えると、シャーニッドは硬球から硬球へと移動を始めた。 とはいえ、まだ少しぎこちない。 それを見ながらニーナも再度挑戦する。
現在彼らが行っているのはレイフォンから教わった剄の基礎訓練方法だ。 活剄の流れで筋肉の動きを制御してバランスを取ることで活剄の基本能力を高め、同時に武器に剄を流す要領で足元のボールにも剄を流し転がるのを防ぐことで衝剄の訓練を行う。 ただ硬球の上に立っているだけならさほど難しくもないが、その上を移動しようと思ったら、硬球から硬球へと移るたびに剄を練り直さねばならないため非常に難しく、結果的に活剄と衝剄を同時に鍛え、剄を効率的に扱う訓練になるのだ。
彼らが転んだり、ボールの上でふらふらしながらバランスを取っている様を同じくボールの上に立ったレイフォンが見守っていた。 こちらは足元のボールも微動だにせず、移動しても硬球はその場からほとんど動かない。 それだけでも、レイフォンとニーナたちの間で熟練度に大きな差があることが分かった。
「それはそう…と、いつに、なった…ら、金剛剄を、教えてくれ、るのだ?」
ニーナが硬球の上でバランスを取るのに苦労しながらレイフォンに声わかけた。
そもそも小隊員でもないレイフォンがここにいるのは、武闘会で使っていた金剛剄という技を教えてほしいとニーナが頼んだからだ。 それをレイフォンは快く引き受け、こうして暇な時には練武館に顔を出して教えてくれることになったのだが、今のところ金剛剄を教えようとする素振りは見せない。
初めて練武館に顔を出した時に、レイフォンは正直にこう言ったのだ。
『ニーナ先輩に限ったことじゃありませんけど、はっきり言ってこの都市の武芸科の人は全員基礎ができていません。 金剛剄を教える前に、武芸を学ぶ上での最低限の基礎能力を身につける必要があります』
もちろん仮にも小隊員だ。 未熟であると自覚はしていても、長年武芸の修練を積んできたという自負がある。 基礎訓練には特に時間と精力を割いてきた。 にもかかわらず、基礎がまるで出来ていないと言われるのには、多少なりとも反感を感じた。
しかし、続く言葉にその反感も押さえこまれる。
『汚染獣戦の時、たった数時間の戦闘だったはずなのにみんな随分と疲労していたでしょう。 本来なら、あの程度の相手にそこまで疲労するはず無いんですよ。 達人レベルの活剄なら一週間、一か月は戦闘を続けられるはずですし、そこそこの実力でも三日は耐えられます。 たとえ学生武芸者であっても、基礎がしっかりと身に付いてさえいればまる一日くらいなら疲労で力が落ちることなく戦っていられたはずなんですよ。 それができなかったのは、初めての実戦で精神的負担が大きかったこともありますけど、それ以上に基礎能力が低すぎて非効率的な剄の使い方しかできていなかったからなんです』
その言葉にニーナはぐうの音も出なかった。
実際ニーナは戦闘の終盤の方では目に見えて動きが落ちていた。 肉体的な疲労もそうだが、倒しても倒しても一向に数が減らない敵に対する精神的な疲労の方が大きかった。 生徒会が持ち出した防衛兵器の起動があと少しでも遅れていたら、都市に甚大な被害が出ていたかもしれない。
しかし基礎さえしっかりとしていればそんなことにはならなかったという。
基礎能力の向上は大切、それはわかっているのだが、やはり今はできるだけ早く金剛剄を習得したいというのがニーナの本音だ。 なにせ小隊対抗戦はまだ序盤なのである。 ここで良い成績を残さなければ、小隊設立の際に迷惑をかけた人たちに申し訳が立たない。
そう思って訊ねてみたのだが、やはりレイフォンはまだ技について教える気は無いようだった。
「まずは基礎能力を高めることに集中してください。 金剛剄は単純な技ですけど、まともなレベルで使おうと思ったらそれなりに武芸者としての基本ができていないとだめです。 それは金剛剄だけじゃありません。 より強力な武芸の技を覚えようと思ったら、やはり土台となる基礎がしっかりしている必要があります。 逆に言えば、基礎さえしっかりしていれば大抵の技は習得できるはずなんですよ。 もちろん向き不向きはありますが」
レイフォンの言葉に、ニーナは溜息をついた。
これまでそれなりに必死でやってきたつもりだったが、レイフォンから見れば、それはまだまだ足りなかったようだ。
気持ちを切り替え、硬球の上を移動する訓練に戻る。 見ためこそ地味だが、やってみるとかなり難しく、また非常に疲れる訓練だった。 毎回、終わる頃には全員へとへとになっている。
レイフォンに教わったのは硬球を使った訓練だけではない。
まず最初に教わったのは相手の剄を見ることだった。 肉体の動きと同時に剄の動きをも捉えることで、相手が技を繰り出す時にどういう剄の動きをしているのかを知ることができるというのだ。 レイフォンはそうやって相手の技の仕組みを見て取り、さらにそれを再現することによって相手の技を使えるようになるという。 実際、武闘会の時には初見であったはずのシンの技、点破を使って見せているので、嘘ではないだろう。
しかし、ニーナが実際にやっみようとしても上手くいかない。 方法を教わってからそれなりに練習してはいるものの、いまだに相手の剄を見切るところまではいかないのだ。
だが、これができるようになれば相手の技を盗むことができるだけでなく、戦闘中に敵が何をしようとしているのかをある程度読むこともできるようになるという。
また、剄を読み取る能力が上がれば、視界の悪い中でも戦うことができるらしい。 実際武闘会では、レイフォンは煙幕に乗じて無音攻撃を仕掛けて来た相手の技を難なく防いでみせていた。
もちろん見ただけで相手の技が使えるというレイフォンは武芸者の中でも特別な存在なのだろう。 あの若さであれだけの実力を持つ者がそうざらにいるとは思えない。 しかし、その強さはやはり長年このような厳しい鍛錬を積んできた結果であることもまた確かだろう。
基礎の積み重ねこそが武芸の奥義に繋がる。 今になって考えてみると、レイフォンの武闘会での戦いぶりはそれを端的に表していたように思えた。
訓練時間が終わり、それぞれに練武館を出ていく。 ニーナとしては、できれば個人訓練にも付き合ってもらいたかったが、小隊員でもないレイフォンにそこまで頼むことはできない。
「では僕はこの辺で。 あ、それと剄息の訓練の方も忘れないでくださいね」
それだけ言うと、レイフォンは練武館を後にした。 基本的に訓練に不真面目なフェリやシャーニッドもいつの間にか消えている。
仕方なく、ニーナはハイネと二人で個人訓練を開始した。 とはいえ、言ってみればただの組み手である。 戦闘スタイルの違いから、自然とハイネが猛攻を繰り出し、それをニーナが防御するという形になっていた。
素振りなど型の確認をしたのち、何度か手合わせを行う。 それから各々の欠点を自己確認したり、互いに言い合ったりしてから個人訓練を終了する。
二人は第十七小隊に割り当てられた空間を出ると、更衣室へと向かった。
「しっかしグレンダンってのはすげぇところだな。 あの歳であれだけの実力者が存在するとは。 おまけに武芸に関する知識もかなりのもんだ。 あんな訓練方法があったなんて今まで知らなかったぜ」
「ああ、それは私も同じだ。 おそらくグレンダンの武芸者が強いのは、戦うことに関して長年かけて創意工夫をしてきたことが一番の理由なのだろうな。 より強くなるために、技だけでなくそれを磨く方法をも次々と編み出し、昇華させてきたのだろう」
会話しながらも訓練は続いている。 剄息―――武芸者が剄を練る際に行う呼吸法―――の訓練だ。
レイフォンが言うには、戦闘中に必要以上に疲労するのは剄息に乱れがあるからだそうだ。 しかし疲れをごまかすために活剄を使っていれば乱れが出るのは当然である。 ならば最初から剄息を行っていれば、剄脈も常にある程度以上の剄を発生させるようになり、それに慣れれば剄を練る能力が上昇する。 ゆえに、常日頃から剄息を行っていれば自然と剄脈は鍛えられ、剄の量も、剄に対する感度も上がり、さらには剄を神経と同じように使えるようにもなるのだ。 最終的には、日常生活を剄息で過ごせるようになることが理想である、とレイフォンは言っていた。
剄脈こそ剄の基本、武芸科の教科書の最初の方に載っている説明文だが、レイフォンの提示したやり方はその内容以上のことを具体的に表している。
レイフォンに言われた通り、ニーナやハイネ、シャーニッドはここ数日、普段の生活でも剄息をしながら過ごすように心掛けていた。 最初の何日かはすぐに疲れてしまったり、体内で燃える剄を持て余すような感じがしたが、今ではある程度落ち着いている。 とはいえ、やはりまだ完璧とはいえない。 究極的には寝ている時も剄息なのだが、まだそこまでの段階には達していなかった。
だが自分より年下であるはずのレイフォンはすでにその域に達している。
武闘会で、小隊員の中でもツェルニ最強アタッカーと言われていたゴルネオを下したレイフォン、おそらくその実力はツェルニ随一だろう。 それにはっきりと聞いたわけではないが(レイフォンはあまり昔のことを話したがらない)、実戦の経験があるようなことも言っていた。 汚染獣との遭遇戦が異常に多いグレンダンの出身だということを考えれば、過去に汚染獣と戦った経験があると考えて間違いないだろう。
これまでのことを考えれば、レイフォンは熟練の、それも達人レベルの武芸者であることが窺える。
彼のような実力者が何故自都市を出たのかは気になるが、それは今はいい。 ただ言えるのは、彼がこうしてツェルニへと来たのは自分たちにとって限りなく幸運であるということだ。 せっかく訓練を付けてもらえるようになったのだ。 今の内に彼から学べることは可能な限り学び、彼と同じ領域に到達したいとニーナは思っている。
(まずはアイツに、レイフォンに追いついてみせる)
せっかく身近に丁度良い目標が現れたのだ。 まずはその域に達しなければならない。
それさえできれば、自分は今よりも強くなったと確かに実感することができるだろう。
ニーナは心の中で自分自身に強くそう言い聞かせた。
あとがき
前回同様、随分と長く間をあけてしまい申し訳ありませんでした。
いちおうテストは2月上旬に終わったのですが、その後も身の回りがバタバタとしていたので、結局こんなに遅くなる始末に。
まあ、小説の新刊読んだり、買ったはいいけど読んでなかったやつを読んだり、映画のDVDを借りたりもしていましたが(実はそれが1番の理由かもしれない)。
それとこの作品以外にもう一作、思いついたやつをチマチマと書いたりもしていました。投稿するかは今のところ決めてませんが、なんとなく思い浮かんだ分だけでも残しておきたいと思ったので。
できれば今後はここまで遅くなることの無いようにしたいですが、これから免許をとったりもしなければならないので、再び忙しくなるかもしれません。なんとか頑張りますので、今後も楽しんでいただければ幸いです。