「あら。遅かったじゃない、神さま?」
モリが扉を開けて聞こえてきたその言葉に、真っ先に反応したのはビアンテであった。素早くバリアジャケットを身にまとった彼女はそのままの勢いで周りに結界をも張る。そしてデバイスを見慣れぬ侵入者に向けて、臨戦態勢に入るのだった。
「ふふ、さすがね、ビアンテ・ロゼ」
「室長……下がっておいてください」
モリの前に、庇うようにビアンテはい出て紫色の女性と向かい合う。
キムラは事態の緊迫した様相に感づいたようで、やっと今頃になってデバイスを慌てて構える。モリは目の前に起こった突然の出来事に目をパチクリさせていた。
「……プレシア・テスタロッサ! 何故、あなたがここにいるのですか!?」
目線は椅子に座るプレシアから離さずに、ビアンテはここに居る理由を彼女に問う。その声色からは、いつもの冷静なビアンテには似合わない焦りが滲み出ていた。
モリは紫の魔導師らしき女性が部屋の中に居た事よりも、ビアンテのその過剰に思える反応が気にかかった。開けた部屋に居たからといって、彼女が限りなく怪しい存在であることは確かだがいきなり杖を構えるほどではない。ここは戦場じゃないのだから。
「何よ、私がモリ中将に会いに来ちゃだめだというの? 嫉妬深い女性は嫌われるわよ」
「モリ……中将?」
プレシアの放った言葉に引っかかりを覚えたのか、ビアンテは同じ言葉を繰り返す。
「ええ。民間人の私が管理局高官の彼に会っちゃいけないという法は無かったと思うのだけれど。ああ、お先にお邪魔してて驚かせたことは謝るわ」
と、殺気立つビアンテの威風に全くビクともせず、プレシアは悠々と話を交わす。その飄々とした空気は、泣きわめく赤子を宥めるかのような一種の余裕を感じさせた。この場合の赤子とは、勿論ビアンテのことだ。
その言葉を聞いて交戦の気が向こうにないことに気がついたのか、ビアンテのデバイスがゆっくりと下がっていく。まだその睨めつけるような厳しい視線はそのままだが、ここで砲撃し合うような最悪の事態は避けられそうであった。
「あー、入っていいかな」
能天気なモリの声が場違いに響いた。
ギスギスした空気の中、入ってきたモリ御一行は荷物(まだ眠ったままの少女と使い魔)をベットなどに置いた後、部屋にいた女性と話し合うこととなった。ビアンテとプレシアという女性の会話から察するに、彼女がモリに何らかの用事があることは自ずと察せられたからだ。
モリの正面には紫の、それもゴテゴテとしたいかにも私は魔法使いです、と自己主張している服を着たプレシア・テスタロッサが座っていた。モリの後ろには、まだ険しい顔のままのビアンテが勧められた椅子も固辞してつっ立っている。キムラは横のソファに座って事の推移を見守っていた。
「で、プレシア・テスタロッサ……、さんでよかったかな? 何もこんなビックリを仕掛けずとも普通に来てくれれば用事ぐらい聞いたのに」
「ごめんなさい、驚かせてしまったのなら謝るわ」
と言いつつも彼女の目はモリの方では無く、その後ろのビアンテの方をみているようであった。
モリは突然の闖入者の名前を確認するとともに、その名前に聞き覚えがあることに気付いたのだった。
「プレシア・テスタロッサ、何処かで聞いたような…… ビアンテ君、知ってる? 何処かで会ったかな」
自分の記憶に自信のないモリはビアンテに声をかけた。仕事から殆どプライベートまでモリが知っていることは大体ビアンテも知っているからだ。秘書をしているのだからモリ自身さえ知らないことすら知っているかもしれない。
加えてモリは先のビアンテの行動にも違和感を感じていた。すぐさま結界を張ったりと迅速な戦闘準備はさすがであったが、その後の激しい情動は彼女にはふさわしくないように思えたのだ。
声を掛けられたビアンテは、何かを言おうとして躊躇った後、ゆっくりと言葉を選ぶように話し始めた。
「……彼女は優秀な魔導師です。ミッドの開発局に勤めていたようですが数十年前事故を起こして左遷されたと聞いています」
「あら、お褒めの言葉を頂き光栄ね」
妖艶に微笑むプレシアは気分が良くみえて、嬉しそうによく笑う。それを確認したビアンテは気が抜けた顔を晒したのだった。
「で? その優秀な魔導師さんがこの辺境世界で、しかも態々先回りまでしてこの俺に用事って一体なんなんだ?」
頭上でやり取りされる無言の会話を理解できないのに苛立ち、モリは少し語気を荒げて目の前のプレシアに問う。
彼女は先の頬の緩んだ顔を引き締めて、モリの目を真っすぐに見詰めながらこう言った。
「モリ中将……、取引しません?」
「取引……?」
「ええ、そう取引。双方に利益のある、ね」
利益の所を強調してプレシアはその内容を語ろうとした。
しかし、いざ言おうと口を開いた彼女をモリは右手を前に出して止めさせる。
「ちょっと待ってくれ。その取引とやらは今すぐ必要なことなのか? あんたがこんな辺境で何やろうが俺にはどうでもいいんだが、ちょっとばかしこっちには早急に片づけないといけない問題があってだな。後回しに出来るならしたいんだが」
「そんな所に何故あなた達が……なんてことを聞いても無駄ね。」
ほほ笑むプレシア。ああ、とモリは間髪いれずに頷いた。
「後回しにはしてほしくないし、あなた達の今関わっている件にも関係のあることよ」
「……分かった。で、その内容は?」
「ええ、あなたのチカラが借りたいの。具体的には世界を破壊出来るほどのビーム。……私はアルハザードに行きたいのよ」
「……っ!」
「なぁ!?」
「――ふーん」
彼女の突然の告白に三人は三種三様の反応を示した。ビアンテはその内容に驚いたというよりもその事実をここで、この時点で口に出したことに対しての驚きだった。対してキムラはその内容、アルハザードという言葉にである。
モリは驚くというよりも面白そうだと口角をつり上げて、楽しそうにいい顔をしていた。
モリもかの異世界アルハザードのことは聞いてもいたし文献でも知っていた。無論、それが空想上の国であることと一般常識上されていることについてもだ。
「おもしろそうな話だな……もう少し詳しく聞かせてくれないか」
そして魔女と神との取引が始まったのだった。
「……つまり、なんだ。自分のビームが必要だってことか」
「ええ。星……いえ、世界ごと消滅させるだけのエネルギーがある貴方のビームはエネルギー源として最適なのよ。それもある程度の指向性をもった莫大なエネルギー、それも人為的に操作できるとなれば完璧だわ」
プレシアが語る計画の内容は常人には理解しがたい物であった。
計画のその方法そのものは簡単だ。プレシアはアルハザードに行くには様々な研究を通して、現存の方法ではどうしようも出来ないという結論に至った。当たり前だ、行き先は伝説とされている国であり、もしあったとしても次元の彼方にあるはずの所である。
ならばどうするか? ならば現存の技術に頼らならければいいじゃないか。
という結論に達するのも想像に難くない。行き着く先がロストロギアになるのは必然であった。
そんなことを考えていた頃である。テレビでモリが世界を騒がせている様が映ったのは。
隠遁同然の研究生活を送っていたプレシアにもその噂が届くほどなのだからその騒ぎの程は想像がつかないほどの大きさだったのだろう。そして見たのだ、神がビームを放ち、星を、世界を消滅させる様を。
そこからは明確な目標が決まったということもあって彼女は大分無理をしてまでも研究を続けた。
彼女の専門はエネルギーやエンジン工学である。それが活かされ、奇妙な友人の手伝いもあってか完成したのはエネルギー変換効率99%を超える化け物であった。
そして、それが完成したからといって彼女の歩みは止まる事は無い。考えるべきことはまだたくさんあるのだ。
エネルギーの逃げ先をどうするか? 例え1%を切ってたとしても分母の数がケタ違いなだけに熱として放出されれば大変な事となる。
その方向性は? ただ滅茶苦茶な方向にエネルギーを放ったとしても、それはただの暴走した力であって周りに破壊をまき散らすだけだ。正確な方向を算出し、導かなければならない。
その収束方法は? 次元の壁を突き破り道を開くにはただエネルギーを放出するだけでなくある程度収束させなければならない。その方法は?
その一つ一つを持ち前の頭脳と、ひたむきな努力でなんとか解決していった彼女は最後の問題も突き崩したのだ。
その方法とは祈祷型の次元干渉型エネルギー結晶体であるジュエルシードを使う方法だ。
それ単体はただのエネルギーの塊に過ぎない。このロストロギアが特別なのはこれが『願いが叶う』宝石として有名な事からも分かるように、『祈祷』によってエネルギーを『方向付ける』ことが出来るからだ。これを単体、いや複数個使ったとしても問題は残る。その方向の操縦が非常にシビアであることだ。
複数であればその個々のジュエルシードの方向をいちいち制御するという無理が生じるし、下手すれば願いを曲解されてしまうかもしれない……、しかし1個だとエネルギーが純粋に足りない。この二律背反を解決したのがモリの膨大なエネルギーだったのだ。
モリの文字通り天文学的なエネルギーを、ロストロギアであるジュエルシードで制御する……この青写真を描いた時、問題となるのはモリたちにどうやって協力してもらうかだった。
なんせ相手はあの悪名高き『管理局の最終兵器』である。何を要求されるか分かったもんじゃない。
だからと厄介なのは後回しにしてまずはジュエルシードを……といったところほいほいモリたちがやってきたのである。
彼女が神様に感謝するも仕方がないタイミングであった。
「なるほど……大体の事情は把握しました」
モリとともに彼女の話を神妙に目をつぶって聞いていたビアンテが、目を開けながらプレシアの方に語りかける。その声には先ほどとは打って変わってどこか優しさを、そして哀しさをも感じる声であった。
「というと彼女らは……」
ビアンテは顎でベットの方を指す。
「あなたの命令でジュエルシードを回収していたということですか」
「ええ。あなた達に危害を加えそうになったことは本当に謝るわ。出来そうもないと思うけど」
「分かりました…… 室長、あとはあなたに任せます」
そういってビアンテは意気消沈した様子で席を立ち、部屋から出ていく。
モリにはその理由が分からず、不思議に思うもすぐに忘却の彼方にそれは追いやられてしまう。目の前には処理すべきことが山積していたからだ。
「俺も大まかなところは分かった。俺がどう必要とされているかとかはな。
ここからは交渉なんだがそれに協力することで自分はどんな利益を得るんだ?」
ここからは対価の交渉、これに関してモリは口とは裏腹に本気では無かった。
何故なら、すでに心の中ではこの事に協力するという結論は決まっていたからだ。理由はただ面白そうだからである。
「そうね、私が旅立ったあとの財産なんかは全部あげてもいいけど?」
と、プレシアがモリの顔を窺うも前向きな反応は引き出せなかった。
当たり前だ、彼にとってこんな世界での資産など価値があってないようなものなのだから。例えるなら人生ゲーム用の紙幣ぐらいといえばその低さが分かろうか。
「そうね……ならあれもつけてもいいわよ」
と彼女が指す先にはベットの上ですやすやと眠る金髪の少女の姿があった。
「あれって、あれは娘さんじゃないのかい?」
「あんなのをアリシアと一緒にしないで!」
それまでの彼女の温和な声とは一変したどなり声に、横でうつらうつらしていたキムラが飛び上がる。
モリはただその急に変じた彼女の様子を観察するように眺めていた。
「……あらごめんなさい。とりあえず、娘なんかじゃないわ」
「……分かった。それで? あれをつけるっていうのは?」
「そのままの意味よ。あれはそう、生きた人形。私のいうことは何でも言うことを聞くわ。ついてこられても面倒だし、あなたに従うように言っておいてあげましょうか?」
と提案するプレシアは母の顔からは遠い、邪悪な笑みを浮かべている。
それを見たキムラは顔に冷や汗を浮かべ震えていた。彼女の笑みは何もかもを犠牲にしてでも目的を完遂しようとする者の目……常人のように自分の身を案じることさえ捨てた狂人の目であった。キムラはその狂気にあてられたのかもしれない。
「あれを後で何に使ってもいいわよ。一生あなたの奴隷にしてもいいし……あれは顔だけはいいから、そういうの男は好きなんじゃないの?」
人の人生を切り売りするような発言に、モリはある疑問を感じた。
娘でもない、彼女を支配するプレシアと金髪の少女との関係は一体何なのだろうか、と。
「あなたは彼女の何なのですか……っ!?」
同様の疑問をもったのであろうキムラが、義憤に駆られたのか大きな声で彼女を問いただした。ただしモリは義憤なぞ、スズメの涙ほども感じていなかったのだが。疑問に思ったのは純粋な好奇心からである。
「私とあれの関係……そうね、強いて言うなら所有者と所有物の関係ね」
ニヤニヤとした下卑びた笑いを保ったまま彼女はそこに何も疑問を持っていない、そんな自然な態度でそう答えたのだった。
絶句するキムラをおいて、キムラはプレシアに尋ねた。
「となるとあれはプレシアさんが作った?」
「ええ。あれはクローンよ」
それを聞いたモリは嬉しそうに頬を緩める。
――これはもっと面白いことになってきたぞ、と。
そして畳書けるように質問を重ねる。
「となるとそういった技術も?」
「勿論、あなたが望めばプラントも培養所も、資料も用意はあるわ。いえ、そうね。態々そんなややこしいことしなくても貴方が私の資産を受け継ぐのだから全部あなたのものよ!」
勝機が見えたプレシアはセールストークを加速させる。
すべてを聞き終えたモリは手を出して、
「分かった。協力させてくれ。俺にできることならすべてさせてもらおう」
と、プレシアと堅く握手するのだった。
ここに神と魔女の契約は成ったのである。
「あ、そうだ」
何か思い出したか、モリが声を上げる。
「あれの名前は?」
モリの指し示した先には、寝返りをうつ金色の少女が幸せそうに、あどけない寝顔を浮かべていた。自分の所有権がたった今、他人に渡ったことなぞ知らずに。
「……フェイトよ」
「そうか、フェイトか。……うん、不運な宿命、とは意味深じゃないか」
その後、細々とした話し合いが二人の間であったあと、キムラは外のビアンテを呼ぶように言われ部屋から退出したのだった。
その間にどんな契約が二人の間で交わされたのか、それはキムラともどもビアンテにも分からない。
内容は二人だけが知っている。
<作者コメ>
ちなみにプレシアさんが一つしかジュエルシードを必要としていないのに、フェイトさんが態々他のジュエルシードも探していたのはプレシアさんがジュエルシードを確保することだけしか伝えてなかったからです。彼女はジュエルシードを集めれば集めるほどプレシアが喜ぶと思っていたのですね。また、モリのまさかの出現にプレシアさんが混乱していたことも原因の一つです。