「俺の培地に、まーたBETAが繁殖しやがった!」
「ははっ! またかよ……お前、すぐコンタミさせるからだめになるんだよ」
「しょうがないだろう? 俺の手が不器用なのは、生まれ付きなんだから」
同じ研究室の友人の声を聞き流しながら、俺は目の前の丸い培地に集中する。この作業にはいつもの三倍ほどの注意が必要だ。そうでないと先の会話のようにBETAの様なモノが繁殖して、培地の人間が絶滅してしまう。
俺の名前は森恪。
実は神だ。
「くっそ、他の培地も絶滅しやがった!」
隣で悲壮な声色で叫んでる、この間教職の必修科目を落とした田中俊夫も神だ。
「いや、神様はそんなただの人に興味も糞もないだろう」
田中に適当に返事を返す、飲み会で、童貞をからかわれマジギレ空気を零下まで冷やした西尾徹も、また神であると言える。
いや、正確に言えば『昔の人間』にとって、の神だが。
「おい、森。さっき奈多先生が呼んでたぜ」
「げっ、またあの奈多かよ。大丈夫だ森。骨は拾ってやる」
チーン、と口で効果音。合掌しているバカ二人は繰り返しになるが、これでも神だ。
「……はぁ。今度は何をさせられるんだろうか」
彼らの言葉を聞いて、俺が向かうは先の会話に出てきた大学名物の教授である奈多慎吾教授の研究室である。
これまでの会話で察しの良い方はお気づきだろうが、ここはある地方大学の研究室。
そして俺はしがないM2(修士課程 2 年)である。
そんな全く健全である俺が『神』なんて、口に出せば一発で気違い判定されてしまうような存在を自称していたか? それは俺の生い立ちから説明しなければならない。
全くもって今でも謎であるが、俺は前世という物を持っている。正直、こっちに生まれてそれなりに苦労したがそれは置いておこう。説明してもつまらないだけだ。
さて、そんな不思議な過去をもつ俺だが転生した当時はここが日本のどこかだと思ってた。だって言語も丸っきし日本語だしね。服装も普通だったし。強いて言うなら俺の居た時代よりもかなり科学が発展してるなぁ程度の認識だった。
そんな自分の認識を真っ二つにへし折ったのが、この世界の理科の授業である。教科書の126ページ、開いた時の衝撃を一生忘れないだろう。
俺の前世の記憶が正しければ、そこにはゾウリムシやらが書いてあるはずだった。だが、そこにあったのは、どう見ても前世で見た人間そのものだったのだ。
……俺は目を疑ったね。よく周りの話を聞くと、前の世界で『大腸菌』やらに当たる生物群が、この世界では人間であったのだ。
だからこそ、俺は前世とは全くの見当違いである理系に進み、農学部に進学。無事こうやって、この世界の『バイオテクノロジー』らしいことを習ってるんだが……
こっちでいう『バイオテクノロジー』は大腸菌を人間に置き換えたもの。前世では例えば人間に必要な物質を菌に造らせて、それを抽出したりして得ることもあったが、それを人間っぽい小さな奴ら(=俺の前世である人間たち)にやらせると思って貰いたい。
だからこそ、この大学では菌(人間)を育てるために培地(こっちでは育てる用に予め用意されている『粉』みたいなのを捏ねる)を作る方法などを習ったりするのだ。
つまり、人間(のような菌)を培養したりするのがこっちのバイオテクノロジー。俺の前世である生物が、こっちで菌のように培養されたりしている光景は最初気持ち悪かったがもう慣れた。人間ってすごいね。
星(培地)こねて作って、それに菌(人間)移植させ、培養させる……これを前世記憶持ちの俺の感覚としては、神と言わずしてなんと言おう。
では、軽くこの世界の培養の手順を追ってみよう。
まず、培地をこねる。こねて丸い球状にする。これらの作業はすべて無菌でしなければならない。もし、無菌状態でやらなければ人間じゃないやつが混ざってしまって大変な事になる。
次に、培地に培養したい物を移植する。種菌を白金耳(耳かきみたいなやつだ)で掬い取り、その培地になすりつける。種菌とは俺たちが代々培養してきた人間だ。いちいち、単細胞から人間まで進化するのを待っているのはダルイからな。
この時、白金耳の先を顕微鏡で見るとなにやら戸惑った顔の人間たちが見えたりする。
そして無事に移植出来ればあとは待つだけ。それ専用の保温室に入れる。中は熱すぎず寒すぎずに保たれている。地球にいた頃、なんでこんなに地球は奇跡的に恵まれた環境にあるのかと思ったが、答えは簡単だ。俺たちが管理しているからだ。
数日経つと、培地の表面にコロニーが出来始める。ああ、この時顕微鏡で表面を観察すると街らしきものが見える。ははあ、やっと文明作りやがったなこやつらめ、と気分は一端の親の気分だ。
さらに数日経つとコロニーがどれか分かんなくなるぐらいドベーと広がるので、実験などではコロニーができた当たりで止めるのが普通だ。でも今回はそのままにしておくとどうなるか、それを説明してみよう。
菌が広がって培地がすべて覆われると、彼らは胞子を出し始める。この前、胞子をとって観察してみるとなんか宇宙船チックだった。
さて、大体そこまで広がれば無菌状態じゃなくても培地は大丈夫なんだが、時々変なもんが混ざって菌(人間)をダメにしてしまうことがある。先の会話に出てきたように、大切に育ててきた培地が一瞬でやられてしまうこともあるから注意が必要だ。
――そこまで説明したなら俺が冒頭、神だと自称した理由もわかるだろ?
というようなことをつらつらと考えていると、何時の間にか俺は教授の部屋の前に立っていた。正直、悪い予感しかしない。教授は悪い意味で有名だ。特に変な発明品を作っては学生に試させるという点で。
そしてその生贄としてよく俺が対象に選ばれることも、俺の彼に対する評価が下がる一因に他ならない。
帰りたい気持ちを必死に抑えて、俺は教授の部屋を開けた。そこには顕微鏡を一心不乱に見つめながら、作業している教授がいた。
「……教授、森です。何のようですか?」
声に若干の苛立が混じってしまうのも無理はないだろう。彼に関わって俺に良いことがあった試しがない。
振り返った教授は満面の笑みで俺を迎えた。
主に新たな獲物を見つけた、そんな笑顔だ。
「おお、森君。待ってたよ! 今回こそ大発見だ!」
「へぇ…年中無休で、それ言ってますよね?」
イメージ的には前世の中松さんを思い浮かべて欲しい。
「いいや、今回は大発見だよっ! 紫外線を放射して有用な変種を見つけたんだ!」
「……どんな変種ですか?」
「魔法が使えるんだよ」
「マホウ……? それは、こう、宙に浮いたりみたいなヤツです?」
「ああ、そうだよ……ってそんなに可哀想な子を見る目で見ないでよ! そんなに言うなら、ほれ、顕微鏡で直線に見てみなさい」
訝しげな俺の顔を見たのか、そばにあった顕微鏡の席を勧める教授。見てみると、そこにはなんか子供が空を飛んでた。
「……飛んでますね」
「だろう?」
顕微鏡から顔を上げると、うれしそうにニタニタと笑う教授がいた。キモイ。
もちろん、この現在の世界でも魔法なんてモノは存在しない。ということは、魔法を使う変種なんて見つけたのは大発見ということだ。しかし、自分を呼ぶ必要性は見つからない。
「で、俺に何をさせようっていうんです?」
「それなんだが……」
奥についてきてくれといった教授に付いていくと、奥には今巷で流行中のバーチャルゲームの操作ポットが置いてあった。
「これをどうするんです?」
「いや、魔法なんてモノを使える変種を発見したのはいい。しかし、まだその生態は謎に包まれたままだ」
「はぁ、じゃあよく観察すればいいんじゃないでしょうか?」
俺の最もな意見に、ノンノンと教授が指を振る。
「それじゃ遅いのだよ、君。世界では、この瞬間! この天才のライバル達が必死に研究しているんですよ!」
自分の世界に入った教授を尻目に、俺はポッドを観察する。
技術がかなり発展したこの世界では、もちろんゲームの類も存在する。それらは実際に起きているかように人間を錯覚させ、体中を実際に動かしているようにアバターを動かすこともできるという高性能なものだ。
過去にはあまりにもリアルを追求しすぎたクソゲーもあったらしいが、今は、その問題も解決されて面白いゲームが楽しめると聞いている。
……が、何で、これがこんなところにあるんだ?
「何故、こんなものがここにって顔をしているね? 君」
振り返ると教授が何かをピンセットでつまみながら、こちらを見ていた。
「その、つまんでいるものは何ですか?」
嫌な予感を頭の後頭部のレーダー的な所にビシビシと感じながら、聞いてみる。返ってきた言葉は予想通り、俺を不安にさせるような内容であった。
「これは、君になってもらうアバターだよ」
「――はぁ? 俺が、そのアバターを操作するですって!?」
彼がつまんでいたアバターらしいものを顕微鏡で観察すると、そこには俺の外見に、よく似た男がいた。
「……凄いですね、これ。こんなに小さくて、よくできた人形、初めて見ました」
「しかもそれは動くんだぞ」
「マジですか!?」
これが動くとか……、正直こっちの方を学会に発表すべきじゃないかと思っていたが、口には出さないことにした。
「君にやってもらいたいことは、唯一つ。このアバターを先のバーチャルポットで操作して、この変種の生態を探るのだ!」
「……問題だらけの方法であると思いますが?」
「何だね、言ってみなさい」
「そのアバター、丈夫なんですか? そんなに小さい物だったらすぐ壊れるんじゃ……」
「大丈夫だ。さっきシャーレの三十センチほど上から落としてみたけど大丈夫だった」
培地の大きさは直径十センチほどだ。つまり菌の基準で地球直径の三倍ほどの高さから落としたということになる。
それでも壊れないということは、かなり丈夫なのだろう。
「そうですか…… でも、彼らの体感的な時間と自分の体感する時間はかなり違いませんか?」
アリとゾウの体感する時間はかなり違う。体感時間はその体の大きさに比例するのだ。菌みたいな彼らと俺の時間たるや、かなり隔絶した物になるのではないか?
「バーチャルで何とかなる」
何とかなりそうだった。
「……。…でも、でもですね? 彼ら菌たちが全員友好的だとは限りませんよ! 下手すると、敵対してくるかもしれません」
「大丈夫だ! そのアバターの中に受信機を付けておいた! そこの発信機からエネルギーがそのアバターに届くはずだ」
彼の指差す方向には年代物の機械が置いてある。まぁ、この時代から見て年代物なだけであって十分使えそうな物なのだが。
「そして、一人菌に囲まれて寂しそうな森君の為に、アバターにAIを付けておいたぞ! 我が情報工学部協力の凄いもの、らしい。ちなみに声は私だ!」
「(教授と頭のなかで一緒…サイアクだ…)…本当に大丈夫ですかね?」
「大丈夫だ、こう手からビーム的なのが出るから心配するな、なんとかなるはずだ。その調整もAIがやってくれるし、完璧だろう?」
「……あれですよ、こっちで少しバネがずれた時点でこっちでは洒落にならないほどの変化が起きるんですよ! そこら辺、分かってます!?」
「多分、大丈夫だ。念のため、後で出来るだけ装置を培地から離すさ」
自信満々に言い切った教授に、ため息をつくも俺は諦めた。これ以上言っても教授が折れないことは過去に経験済みだ。
「じゃ、まずこの一番発展してるっぽいやつに放りこんどくな」
と、教授はピンセットで俺がなる予定のアバターを掴んで、ぽいっと培地の中に軽く、鼻くそを飛ばすような軽さで飛ばした。
「あぁああああ! もう! そんなに適当に扱って! それは俺になるんですからもっと大切に扱ってくださいよっ!」
ハハハ、すまんねと笑いながら半身になって俺をポッドへと誘う教授を睨みつける。俺は、はぁ、と長い溜息を吐いて、諦観の想いに囚われながらポッドの中に入った。
「電源入れるぞー 同期するからなー」
間延びした教授の声が聞こえたと思うと、俺の意識は。
急に、闇へと落ちていったのだった。
次に意識がもどると、俺は何やら宇宙空間っぽいところで漂っていた。
や、やべぇよっ! 宇宙だと、息できねえよ!
『大丈夫だよ、森君。息はしなくて大丈夫だ』
忌まわしい教授の声が、頭の中に響いた。
『そのまま、そうだなぁ。どこか近くに何か見えるかい?』
AIの指示に従い周りを確認すると、近くに宇宙船らしいものが見える。それをAIに伝えるとそれに入れと返事があった。
クロールで泳いで(宇宙って泳げるんだね)近づくと、何やらハッチみたいな蓋が開いてた。取り敢えず、入ってみる。
中は昔、前世で見たテレビに映る宇宙船のようだった。こんな物を『菌』が作ったのだと思うと趣深い。
しかし、中は無人だ。誰かいてもいいと思うんだけどなぁ。
もうしかしなくても、これって漂流船?
もっと詳しく中を見てみる。エスティア? なんじゃこれ? 名前が書いてあったが、これがこの船の名前なのかね?
どこかでどうも物音がする。はぁ、ゼッタイなんか言われるよ。見つかれば、速攻不審者だ、なんて言われて追われるハメになるんじゃない? これ?
いきなり痛いのは嫌だ。さっき確認すると、このアバター、痛みもリアルに感じることができるという意味不明な仕様だったし。拷問とかされたらどうすんの。
『教授? そういえばAIってなんて呼べばいいんだ? ……まぁいいや、教授声だし。力の使い方教えてくださいよ。ビーム、でしたっけ? それってどうすれば出るんですか?』
『こう、右手を前に出してだな、指の先に力を込める感じ?』
『いや、感じ? って聞かれましても……』
聞いたことを取り敢えずやってみる。
……こう、かなぁ?
「――へぇぁ?」
俺の情けない声とともに指先から白い光が溢れ出してきた。あれ、これ、止めれなくね?
あっという間にその指先から生まれた光は宇宙船も飲み込み、半径十キロに存在するものすべてを消し飛ばしてしまった。