無事にアルビオン行きの船に乗ることはできた。
それにしても、昨晩は散々だった。
客室ともいえない貨物室の前の通路の壁に背中を預けて、ルイズは一人ため息をついた。
なんとか夕暮れになってからラ・ロシェールに着いたことは着いたのだが、その時点で一人を除く全員がおなかがすいて倒れそうだった。
もちろんその一人とは、飲食すらしてしまう高性能マジックアイテムスキルニル姫殿下である。
あの後も平然として一人で食べ続けた彼女は、ギンギーの右半顔をグロテスクに欠損させたあげく、「もう、おなかがいっぱいです!」と、言うなり、ご丁寧にバスケットの中に断末魔を、再度投入した。
うん、いかにも美味しそうなものが入っていそうな作りのいいバスケット中に、まさかアレなアレが入っているとは誰も思わないだろう。
そのまま素知らぬ顔で、馬車を預けてきてしまったが、発見してしまった人は少し気の毒だったかもしれない。
だが、その後のルイズも気の毒だったはずだ。自分自身でも間違いなく気の毒だったと思う。
酒場兼宿屋である女神の杵という店で、一泊することに決めたのだが、夕食もそこでとろうということになって。
「全員で注文を出したのよね」
部屋に放っておくわけにもいかず、猫袋にニャポーンをつっこんだルイズと、姫殿下スキルニル、キュルケ、タバサ、ギーシュは、なんとか込み合う店の中で丸テーブルを確保することに成功した。
いい店だった。
夕食時なのでで酒場の中は、かなり活気がある。多少ガラの悪いものも混じっているようだが、まず許容範囲だ。地元の客が大勢入っている店は、はずれがないと言われているので、ここも美味しい部類なのだろうと、レディにあるまじきお腹ぐぅを抑え込みつつ、ルイズは期待した。
魔法の光でこそないが、ランプも潤沢に使っている。
ここまではよかったのよ、ここまでは。
席である酒場の隅の隅、影の影から光の当たる場所まで出てこようとするワルドを全員で止めたのよね。
いくらなんでも、額に「僕ロリコン」の紙を貼り付けて、可愛い幼女人形を握りしめたヒゲ男と同じグループの客とは思われたくないし。そういえば、人生の酸いも甘いもかみわけた日焼けオヤジが、可哀想なものを見る目で、ワルドを見つつ横を通り過ぎていったわ……その斜め後ろにいた、若い女性給仕が、汚物を見るような目で見ていたし。
なのに、あのクソ姫殿下スキルニルが「別に一緒でもいいのではありませんか?」なんて、とてつもなくおフザけたことを、おっしゃりくさりやがって……
あの、憐憫の視線の集中砲火を、わたしは一生忘れないッ!
トリステイン滅びろ、ゴルァ! と、思ったことは罪ですか、ブリミル様。
しかもその後は後で、いつの間にかテーブルの脚を食べていたニャポーンのせいで上にのった食事ごと倒れてきて全身ぐしゃぐしゃになるし……着替えとして貰った姫殿下スキルニルの服は胸が余るし……胸が……胸……
思わず思い出し怒りで、ルイズはドカドカと空船の壁を蹴った。
しばらく八つ当たりをしてから、ハッと気づいて周りを見るが、誰も乙女らしくない行動を見ていた者はいなかったようで、安心する。
最近この辺りに空賊が出るらしく、普通の船は飛ぶことを嫌がったためトリステイン王家財布でこの船を買い取り、無理やり飛ばしているのだ。しかし、乗り手だけはなかなか確保できず、今は役に立つ変態が空石補助として、船を飛ばすのを手伝っている。
腐ってもスクウェアね、と、髪の毛一筋分ほど見直してやってもいいかと思いかけたルイズだが、「この戦いが終わったら、ルイズ、シモネッタと同じ格好(不自然に丈の短いスカートをはいたメイド)をしてくれ! そして小首を傾げながら[ごしゅじんたまぁ]と言ってくれ!」と言いだしたので、猫尻で顔面をグリグリしておいた。
あの変態を帰ってからどうしようと頭を痛めるルイズの、視界が、不意に傾いた。
直後、立っていられないほど船が揺れて、したたかに床にしりもちをついてしまう。どうやら船が、急制動をかけたらしい。
何事がおこったのかと、なんとか猫袋をかついで立ち上がったルイズは、すぐさま窓から外を見た。頭の中に、空賊という言葉が浮かんでこだまする。誰もかれもが言っていたではないか、あの空域は危ないと。
確かに、視界の端に旗もあげていない空船が見えた。こちらへ向って、かなりの速度で近づいてきている。おそらく先ほどの衝撃は、逃げ切れないと悟ったこの船の船長が、余計な被害が出ることを恐れて空賊達が命じるままに、停船した時のものだろう。アルビオンに着くまでに、まさかこんなことになるなんて……ルイズは唇をかんだ。
任務失敗の文字が目の前をちらつく。身代金を払って解放という流れならいいが、最悪、この空賊が実は貴族派で、トリステインへの人質として利用されるという可能性もある。タバサはわからないが、その他はそれぞれに名前の売れた家の人間だ。
「あ、ルイズ! こんなところにいたの?! 大変よっ!」
通路の向こうから、キュルケが駆けてくる。その後ろにはタバサ、ギーシュ、さらには風石補助で頑張っていた訓練された変態までいる。
そして
「おい」
聞いたこともない、おぞましさと恐怖の権化のようなダミ声が大きく響いた。
「だ、誰?!」
「俺だ」
「わかんないわよっ!」
脊椎反射のようにすかさず突っ込んでから、ルイズはやっと声をかけてきた相手に気付いた。
キュルケ達ではもちろんない、乗組員でもない、人間ですらない。ワルドの手にしっかりと握られたシモネッタからその声を発せられていた。いや、それをシモネッタと呼んでもいいのだろうか、可憐な甘い幼女顔は跡形もなく消え失せ、代わりに顔のパーツとして収まっているのは、毛虫のように太い眉毛、刻まれた二本の深い眉間のしわ、がっしりとたくましい割れ顎、何事も見逃さない鋭い猛禽類めいた細い目は生死の境を幾度もくぐり抜けた古参の傭兵のもの以外ありえない。
そんなもろもろが、ひらひらピンクのワンピースを身に付けた少女の体の上に乗っかっているさまは、あまりにも不気味だった。笑っている子供も泣き出してトラウマになるレベルである。
分厚い唇が再び開く。
「オナラスカ歴129年……人類は滅亡の危機にあった! 時の皇帝アホネン2世は敵対するエロマンガ国のウゲラモシロガガンボ王子に以下略明日の天気は晴れ後雨だぜ」
「………………ナニコレ?」
現状を思わず忘れ、笑顔を浮かべて、ギギギと首を動かし、ルイズは尋ねた。
「マジックアイテム」
「風石に反応して、まれに明日の天気を言ってくれることもあるらしいよ」
「前フリは?」
「関係ない」
「……」
ちょっとおちゃめで気まぐれなシモネッタである。役にはたたない。
「そんなことはどうでもいいのよ! 空賊なのね?!」
「そう! そうだよ! 空賊が出たんだよ!」
「アンはどこよっ?!」
「それが、あの空賊は、ウェールズ皇太子だと言って飛び出してしまわれたんだ。一応トリステイン」
「どうして一国の王子様が、こんなところで空賊してるなんて考えるのよ!」
「知らないわよっ!」
「それもそうねっ!」
キュルケとルイズはとりあえず手を握り合った。その上にタバサが手を乗せる。
「逃げましょう!」
「そうねッ!」
「同意」
「ちょちょちょちょ、ちょっと待つんだ三人とも! まだアレがアレでそうだと決まったわけじゃないだろう!」
「ギーシュ……これは不幸な事故なのよ。わたし達は全力をつくした、そうじゃない? 誰も責める人間なんていないわよ。ふふふ うふふ」
「そうして光の剣を手に立ち上がったウゲラモシロドドガガドンボ王子はモッチャラホゲホゲの丘にてモケモケサー以下略トリステインの明日の天気は、終日雨だぜ」
「ほら、人形もわたしたちを天気予報で応援してくれているっ!」
「うわーゼロのルイズが壊れたー」
「ま、待ってくれ、君の使い魔はどうなんだい? 僕のルイズ。アレを使えばなんとかなるんじゃないのか? とりあえずトリステイン」
「わたしは学習したわ、あんなのをアテにするものじゃないと」
起きてこそいるようだが、どうにもやる気がないのには変わりはない。たれーんと猫袋から両手を出して、ぶーらぶーらとルイズの動きにあわせて揺れている。しばらく逃げる逃げないで押し問答をしていると、船内のいたるところに備え付けられている伝声管からこの船の船長の声が聞こえてきた。どうやら、接舷されたようで乗船している者達は全員甲板に上がってこいということになったようだ。そして、無理やり場所を入れ替わったらしい姫殿下スキルニルの声が続く。
「わたくしの大切なお友達のルイズ~聞こえていますかー? やっぱりウェールズ様ですわよー! あのひきしまった臀部はまさしくウェールズ様の臀部っ!」
「……」
姫様、アンタどこで人を認識してるんですか。
しばらく、管の向こうで何やら言い争うような音が聞こえていたが、そのまま静かになった。ルイズは船長が気の毒でちょっと心の中で泣いた。ともあれ、こうなってしまってはしょうがない、スキルニルの言うことが本当でも嘘でも、言われる通り甲板に上がるしか道はないのだ。
甲板の上は、強い風が吹いていた。
直立しつつも困ったように佇む空賊達が、まずルイズの目に入った。さらに、所在なさげに空を見上げるこの船の船員たちの姿もあった。それぞれの集団の真ん中にいるのは、我らが姫殿下スキルニルと、マントを身に付けた一人の若い男である。いかにもな黒い眼帯と、もしゃもしゃのヒゲ。
頭の中で、以前見たことがあるアルビオン王族の姿絵を思い出そうとして、ルイズは失敗した。そんなもの都合よく覚えているわけがない。
男は、頬を染めるスキルニルを前にひどく困惑しているようだった。
「ルイズ! 紹介いたしますわね! この方がわたくしの大切な方、ウェールズさ……」
「ちょっと待ってくれ、ア……」
ぶわっと、さらに強い風が吹いた。
他称ウェールズ皇太子の長いマントが、風にあおられてまくれ上がる。
ルイズは、二人目の変態の出現に、真っ白になった。
マントの下は、赤の紐パンツオンリーでした。
よせてあげて、大事なところがクッキリです。ありがとうございます。
「ああっ! まさしくわたくしのウェールズ様ッ! 相変わらずなんてよくお似合いなのでしょう、その深紅の下穿き……」
「……」
「だ、だめよルイズ! 気持はわかるけど、ここでお姫様を突っ込んだら何もかもおしまいよっ!」
「……見たわ、見ちゃったわ、どうしようキュルケ、わたしもうお嫁に行けない……」
「そ、そこなのっ?!」
「そこ以外ないでしょっ!!」
「大丈夫だよ、僕のルイズ! もちろん僕が貰ってあげ……」
「黙れ? あぁ? 黙れ? 迅速に黙れ?」
ルイズ・フランソワーズはもちろん淑女である。大貴族の令嬢として、他国の王族に対するしかるべき態度というものは、当然教え込まれている。しかし今、強い風にマントを華麗にはためかせている相手に、それを行うには鋼の精神を必要とした。
皇太子殿下にご挨拶するのに、頭を下げねばなりません、少し視線を下げます。丸見えです。死にそうです。
なんとか、皇太子相手にご挨拶をまっとうした自分をほめてやりたいと思いつつ、限界が訪れたルイズは意識を飛ばした。
つづく
わりとどうでもいい話。
女神の杵で、同室になったキュルケとタバサは、酒場での出来事を務めて忘れるように努力しつつ休もうとしていた。魔法の光を小さくし、足元に置くと、室内が一気に暗くなる。
「それにしても、ルイズが目覚めてから、なんだかとんでもないことばかりおきている気がするわ、驚いてばっかりよ」
布団の中で態勢を変え、隣のベッドで横になるタバサに声をかける。いつも無口な友人から無言の頷きがかえってくる。
「ねえ、タバサは最近一番驚いたことって、何?」
「伯父に、小さい頃生き別れたお前の双子の妹だっ! と、引き合わされた子が、本当に小さい頃行き別れた双子の妹だった」
「…………なんかごめんなさい」
世界はまだまだ衝撃と謎に満ちているらしい……キュルケは思った。