宇宙歴798年 9月 銀河帝国 惑星オーディン ローエングラム元帥府
「作戦名はどのようなものになりましょうか?」
最高作戦会議が終了する直前、ナイトハルト・ミュラー大将が、帝国軍元帥ラインハルト・フォン・ローエングラムに尋ねる。
「作戦名は『神々の黄昏(ラグナロック)』」
ラインハルトは、まるで楽器が奏でる音色のような旋律で答えた。それが、自由惑星同盟というひとつの星間国家の歴史に終止符を打つはずの作戦の名である。
ラインハルトによる作戦の基本的な戦略は、既に全ての幹部の間で合意が得られている。先になされた宣戦布告にあわせるかたちで、まずはロイエンタール上級大将を司令官、ルッツおよびレンネンカンプ大将を副司令官とする大艦隊が、侵攻部隊としてイゼルローン回廊を攻める。
だが、これは陽動にすぎない。ヤンが既に看過しているとおり、ラインハルトはイゼルローン回廊を使うつもりはない。彼自ら指揮する本隊は、同盟軍がイゼルローン回廊に注視している隙をついてフェザーン回廊を通過、一気に同盟領に殺到する計画なのだ。
フェザーン回廊を軍事力をもって通過するなど、この戦争が始まって以来数百年間、一度もなされたことがない。ヤン以外の同盟軍人にそれを予想することができなくても、無理はあるまい。そこに、同盟軍全軍をも凌駕する戦力をもつラインハルト本隊が、一気に投入されるのだ。そのうえ、同盟軍最強を誇るヤン・ウェンリーの艦隊は、ロイエンタールによってイゼルローンから動けない。
完璧である。壮大かつ華麗な作戦といえるだろう。ラインハルトの部下はみなそう思い、作戦の成功を確信した。
だが、ほんの数名であるが、主君の作戦に対して疑念をいだく者がいないわけではない。その筆頭は、ラインハルトに作戦名を訪ねたナイトハルト・ミュラー大将、その人である。彼の懸念は、純軍事的なものだった。彼は、あくまで直感でしかないが、この作戦には重大な盲点があることを感じていのだ。
数ヶ月前、ケンプとともにガイエスブルグ要塞を利用してイゼルローン要塞攻略に望んだミュラーは、ヤンによって完膚無きまでに叩きのめされた。ガイエスブルグ要塞は破壊され、駐留艦隊はほぼ全滅。司令官であるケンプは要塞と運命を共にし、ミュラー自身も重傷を負っている。ロイエンタールとミッターマイヤーによる救援がなければ、彼は本作戦に参加することはできなかったであろう。
ミュラーの懸念とは、彼の艦隊を翻弄し、さらにガイエスブルグ要塞にトドメを刺した、反乱軍の大型単座戦闘艇の存在である。ミュラーを恐怖させたあの戦闘艇を、彼以外の帝国軍はそれほど重視していない。
たしかにあの会戦における戦闘艇の戦果は凄まじいものがあった。だが、エースの乗る機体がたまたま戦艦を沈めることは両軍において決して珍しいことではなく、要塞のエンジンの破壊も、それを思いついたヤンの知略は恐るべきものであっても、それを要塞主砲でなく戦闘艇がなしたのは単なる偶然にすぎない……というのが、ミュラーの報告を受けた帝国軍諸将の多くの見解である。
だが、ミュラーには、そうは思えない。あれは、魔術師があえてそうしたにちがいない。彼は、戦場の任意の場所に新型戦闘艇を送り込み、ピンポイントで攻撃するという、まったくあたらしい艦隊戦の方法を思いつき、それを試しているのだ。なんのために? 帝国軍の各艦隊の指揮官を直接的に狙うために。そして、帝国軍の最も重要な人物を直接狙うために、だ。
総戦力に置いて圧倒的な我が帝国軍を相手にして、局所的・戦術的な勝利をもって戦略的な勝利に結びつけるには、それしかない。ヤンは、艦隊戦での勝利などにはこだわらず、ラインハルトの本隊を孤立させ、旗艦に少しでも接近することに、全てをかけるだろう。もしそれが成功したら、たとえ戦力で圧倒し、さらにラインハルトの戦闘の天才をもってしても、あの戦闘艇を防ぐことは困難だ。
しかし、ミュラーは自分の懸念を主君や同僚に主張することはできなかった。さすがに、ヤンにコテンパンにやられた身で、主君の作戦に意見することは憚られたのだ。そのうえ、彼の懸念する内容は、この時代の軍事的常識からはあまりにも解離していた。本当にヤンはそのような作戦を実行するのか? ラインハルトはそれを防ぐことができないのか? ミュラー自身、自分の感じる懸念に、確信がもてない。
だが、もしもの時には……。
ミュラーは自らに誓う。
もしも、ヤン・ウェンリーがブリュンヒルトを捕捉し、ラインハルトを目指してあの戦闘艇が突入してきた場合には、……自分が盾になって止めてやる。ミュラーは改めて決意を固める。それが、彼にとってのはたすべきヤンへ雪辱であり、彼にその機会を与えてくれたラインハルトへの忠誠の証なのだ。
帝国軍に置いてラグナロック作戦に疑念を抱く者は、ミュラーだけではなかった。ラインハルトによる作戦名の宣言の直後、ひとりの提督の声が会議室に響いた。
「はたしてうまくきますかな」
魔術師ヤンと直接対峙する役割を与えられたロイエンタールは、そう思い、実際に口にした。自分に自信がなかったわけではない。あの恐るべき敵、ヤン・ウェンリーが、果たしてラインハルトの思惑通り動くのか。その点が、ロイエンタールには最大の懸念に思えたのだ。
ロイエンタールは、盟友ミッターマイヤーと自分自身を救うため、ラインハルトに救援を求め、忠誠を誓った過去がある。確かに今は、この金髪の若者に自分は及ばない。死ぬまで及ばないかもしれない。だが、いつかは超えるチャンスはあるはずだ。あると信じたい。それを確かめる機会を得たいが、今の段階で主君と直接に事を構えるわけにはいかない。
しかし、もしヤンがラインハルト以上の男であるならば、ロイエンタールはヤンを超えればよいのだ。敵であるヤンならば、堂々と挑むことが出来る。
もしかしたら、ロイエンタールは、ラインハルトの壮大な作戦をも凌駕する魔術を、偉大な敵手ヤン・ウェンリーに期待していたのかもしれない。それに自ら気づいたとき、彼は、自らが主君に対して屈折した想いを抱いていることを、あらためて自覚させられた。同時に、祈らずにはいられなかった。主君が敗者にならぬ事を。そして、主君が自分を失望させない事を。
宇宙歴798年 11月 イゼルローン要塞
ラインハルトの宣言通り、帝国艦隊は同盟に対する軍事的懲罰を名目として、大攻勢を開始した。その第一陣として、ロイエンタールを総司令官とする大艦隊がイゼルローン回廊に突入、ヤン一党が立てこもる要塞を取り囲んだ。
ロイエンタールは噂に違わず良将だ。全軍の囮であるという自らの立場を、しっかりとわきまえている。必要以上に要塞に近づかず、できるだけ派手に、しかし被る損害は少なくなるよう、同盟軍に対して嫌がらせ攻撃を続けてくる。
帝国軍全体を見据えた戦いを考えているヤンは、ロイエンタールの執拗な嫌がらせに閉口するしかない。たとえロイエンタールの意図を見抜いていたとしても、その攻撃は無視し得るものではないし、適度な反撃を行わないわけにはいかない。嫌がらせが目的の攻撃であっても、一瞬でも気を抜いて隙をつくれば、そこを突かれてそのまま要塞そのものを失陥しかねない、それだけの力量をロイエンタールは持っているのだ。
戦いが始まって数日後、ロイエンタール艦隊はいまだに嫌がらせに飽きてはいないようだ。むしろますますエスカレートしているといってもよい。要塞を一気に攻めると見せかけておいて、同盟艦隊が迎撃のために出撃すると一転して後退するのも、その一環だろう。ならばと同盟艦隊が帰還しようとすると、今度は逆に追いかける。ロイエンタールの巧妙な艦隊運動により、同盟軍艦隊は要塞主砲の射程ギリギリの線上で敵味方の艦列が交わる乱戦に持ち込まれてしまった。
「やってくれるじゃないか」
ヤンは、ロイエンタールの洗練された戦術能力に感嘆の声を上げる。だが、このまま消耗戦に持ち込まれるのはいただけない。さて、どうしてものかと思案している時、要塞防御司令官シェーンコップ少将が、ひとつの作戦を具申してきた。
シェーンコップの案は、一種の奇襲であった。そして、その目的とするところだけをみると、戦略的にまったくもって正しい。
ロイエンタール艦隊は全帝国軍の動きの中では陽動に過ぎない。したがって、できるだけ味方を消耗させずに、できれば戦わずして撃退しなければならない。そのためには、敵旗艦を乗っ取るか、司令官ロイエンタール大将を捕虜にすることで、敵全軍を混乱させるのが最もてっとりばやいだろう、というのだ。
しかし、シェーンコップの作戦は、ヤンから見れば決して合格点とはいえないものだった。確かに、シェーンコップの作戦が万が一にも成功すれば、大きな効果が見込めるだろう。一方で、失敗しても損失は薔薇の騎士連隊だけ。しかも、失敗の場合でも、その後ロイエンタールの行動が慎重になれば、乱戦がだらだらと続きいつまでも迎撃に忙殺されるよりは、ヤン艦隊にとって行動の選択肢が増えるかもしれない。
だが、成功率が低すぎる。シェーンコップは、自分が失敗して死ぬことなど髪の毛の先ほどの確率も考えてはいないようだが、これは客観的に見て博打以下、言葉を換えれば自殺でしかない。艦隊戦ばかりで出番が無い薔薇の騎士連隊が見せ場を欲しただけだと言われても、仕方がないだろう。
要するに、目的は正しくても、策としては落第点だ。しかし、ヤンは思い直す。それだからこそ、一流のロイエンタールを嵌めることができるかもしれないぞ。……いや、直接敵の指揮官を狙うという意味では、ヤンの考える帝国軍との戦いの本質をついた作戦といえるかもしれない。ヤンは、シェーンコップの作戦の成功率をあげるべく修正を加えると、すぐに実行の準備を命じた。
両軍の前衛が入り乱れる乱戦の中、ロイエンタールの旗艦トリスタンのブリッジにおいて、スクリーンを操作するオペレータが一瞬目をみはった。敵の戦艦が一隻、あきらかに突出した動きをしめしているのだ。
「敵旗艦ヒューベリオンです!」
まさか?
ロイエンタールは耳を疑う。ヤン・ウェンリーは、智将タイプの男だと聞いている。自ら乱戦の渦中に飛び込み、こちらの本陣をつくような動きをするとは思ってもいなかった。しかし、これはチャンスだ。これまで退屈な嫌がらせ攻撃に徹してきたが、一気に自分の手で戦局を決められるチャンスが巡ってきたのだ。ロイエンタールの脳裏には、決して超えられないと思っていた主君の顔が浮かぶ。勝てるかもしれない。ヤンだけではなく、ラインハルト・フォン・ローエングラムにも。ロイエンタールは、自分の血液の温度があがるのを感じた。
「全艦前進、最大戦速!」
ロイエンタールの檄の元、トリスタンは全艦隊の先頭にたつ勢いで加速、ヒューベリオンに迫る。しかし、ヒューベリオンにはヤンは乗っていなかった。単なる囮である。ロイエンタールは、シェーンコップの策に嵌められたのだ。
もちろんシェーンコップは、ロイエンタールがラインハルトに抱く複雑な感情など知るよしもない。しかし、軍人であるならば心躍るに違いない空前の大遠征において、もっとも手柄とは縁遠い陽動のために別働隊を任された男が、しかも間違いなく野心も才能もある男が、目の前にヤン・ウェンリーという巨大な餌をぶら下げられれば、食い付かないはずがないだろう。シェーンコップはそう思い、ロイエンタールは実際にそう動いた。彼は、自分より若い敵司令官の心理を、完璧に読んで見せたのだ。
あと一歩、あと数秒で、ヤン・ウェンリーが射程距離に入る。ロイエンタールの緊張が極限まで高まった瞬間、それは現れた。
「正面! 敵戦闘艇です!!」
オペレータの絶叫に、ロイエンタールの目は正面のスクリーンに向く。両軍艦隊が入り乱れ、お互いの探知装置への妨害が執拗を極めた空間において、要塞近傍を漂う膨大なデブリの影に隠れていた何かが、たった1機の何かが、一気に加速してトリスタンに迫る。そして、艦首の正面でピタリと相対速度を合わせる。ロイエンタールは見た。白く塗装された不格好な戦闘艇が、巨大な主砲を正面から彼に向けている。戦闘艇のパイロットが指を数ミリ動かすだけで、トリスタンは光にかわるだろう。旗艦そのものが人質に取られたのだ。
やられた!
ロイエンタールは自分の愚かさを呪いながら、口の中でつぶやく。
ミュラーが言っていたのは、……これか。
「いつでも撃てます。指示を」
エリザからの通信に、同じくデブリの陰に隠れた揚陸艦の中、シェーンコップはほくそ笑む。こんなに上手くいくとは思わなかった。
さて、どうするか。自分の立てたプランでは、敵旗艦を突出させた後、いきなり強制的に揚陸艦を接舷し、薔薇の騎士連隊が問答無用で乗り込み旗艦ごと乗っ取るつもりだった。もちろん、突入した連隊員の生還率は高くはない。成功した場合に得られるメリットと比較しても、リスクが高すぎる。ほとんど自殺と言っても良い。それを、あまりにも無茶だと言うことでヤン司令官に修正された結果が、エリザによる強襲だ。
このままエリザに撃たせて、ロイエンタールをあの世に送ってやるだけでも、十分な戦果だろう。損害無しで帝国軍が誇る双璧のひとりを葬ることができるのなら、お釣りが来るくらいだ。
……しかし、それだけでは面白くない。成功率が高い状況で、しかも時間がかからないならという条件づきではあるが、最初のプラン通りのトリスタン乗っ取り作戦の実行も、司令官から許可が下りている。判断するのは、シェーンコップの責任だ。
現在の状況では、敵旗艦は動けない。司令官を失うことを覚悟で、エリザを攻撃することはできまい。しかも、まだ周りの敵艦はロイエンタールを襲った不幸に気づいてはいない。もしトリスタンの乗っ取りが成功すれば、偽の命令で艦隊を撤退させることも可能だろう。なによりも、帝国軍の双璧とうたわれる敵司令官をこの目で見てみたい。ついでに、ちょうど一汗かきたい気分だ。
「エリザ。これから薔薇の騎士連隊が敵旗艦を乗っ取る。そこで応援しててくれないか」
エリザに主砲を突きつけられ動きがとれないトリスタンの艦体に、突然、大きな衝撃が走る。同盟軍の強襲揚陸艦が接舷、薔薇の騎士連隊が艦内に侵入してきたのである。
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2011.03.09 初出