「グリーンヒル大尉、ポプラン少佐に伝えてくれ。直ちに発進、敵要塞の稼働中の通常航行用エンジン、進行方向左端一個だけを破壊しろとね」
ヤン司令官の命令は、ただちに副官であるフレデリカ・グリーンヒル大尉によりイゼルローン要塞の指令室に伝えられる。同時に、戦闘艇の格納庫で待機しているポプランら3人にも命令がとどき、3機のスーパースパルタニアンは発進のための準備を開始する。
ガイエスブルグ要塞は刻一刻と接近し、一秒ごとにその姿を大きくしている。同盟軍兵士の多くが恐慌状態におちいっているが、それでも一連の命令伝達と発進シークエンスは、軍隊らしく機械的に進行されていく。命令は、迅速にかつ確実に実行されるだろう。だが、その中にあって、司令室のアレック・キャゼルヌ少将は、ひとり苦い顔をしていた。
ヤンの奴、エリザがどんなおもいをして戦っているのか、知っているのか?
ミュラー艦隊のど真ん中を突破したエリザベート達が要塞に帰還したとき、凱旋(?)する小隊を迎えるため格納庫に向かったキャゼルヌが見たものは、小刻みに震えながら涙ぐみ、蒼白な顔をしてポプランに抱きかかえられた小さな少女だった。一時的な精神的ショックに見舞われた彼女は、自分の力ではコックピットから降りることすらできなかったのだ。
検査の結果、肉体的にはなんら問題はないそうだ。敵と直接殺し合うパイロットや陸戦隊員の初陣には、よくあることなのだろう。しかし、あれからまだ数日しかたっていない。そのような状況で、しかもまだ少女といってもよいエリザベートに対して、敵要塞に突入を命じるというのは、いくらなんでも過酷すぎやしないか。もしかしたら、ヤンは兵士を駒としてしか見ていないのではないか?
だが、司令官代理としてのキャゼルヌは、ヤンの命令に異議を唱えることはない。要塞事務監である彼自身、兵士を人ではなく数字としてしか考えないことがある。いや、ただの数字と考えることの方が多い。そうでなければ、常に帝国軍の脅威にさらされる最前線にありながら、一個艦隊の兵站をあずかり、民間人も合わせて数百万人もの人口があるイゼルローン要塞の機能を維持することはできない。その自覚があるからこそ、今や自分の家族である少女だけを特別扱いすることは、彼にはできなかったのだ。
「大丈夫。なに、あと数回出撃すれば、慣れてしまいますよ。エリザも、あなたもね」
そんなキャゼルヌの肩に手を置き、よくわからない慰め方をするのは、シェーンコップ少将である。
自分の娘が人殺しに慣れるのを望む親がどこにいる! ……とは、キャゼルヌは声に出して言えない。自由惑星同盟は、いまや経済活動全般に支障を来すほどの割合の人口を、軍に割かざるを得ない状況だ。軍の高官であるキャゼルヌがそれを言ってしまえば、我が子を戦場に送り出している多くの国民に示しがつかない。
確かに、エリザもじきに慣れてしまうのだろう。慣れてもらわねば困る。
「自分の娘に一刻も早く人殺しに慣れてもらいたいと考える親、か……。そして、俺自身、そのうちエリザを戦場に送り出すことに慣れてしまうんだろうな」
キャゼルヌはひとつため息をつく。そしてつぶやく。
「なあ、……俺たちはみんな、実は狂っているんじゃないか?」
シェーンコップが首をふりながら答える。
「否定はしませんよ。ですが、とりあえず目の前に迫った狂った戦いを、エリザ達に終わらせてもらいましょう。数百年間つづいた狂った時代そのものの終わりに、ほんのすこしでも近づくかもしれません」
敵要塞のエンジンをひとつ破壊するだけなら、イゼルローン要塞の火力で十分だろう。しかし、あのヤンのことだ。わざわざエリザベート達の戦闘艇を突入させるということは、今後の作戦を見据えているに違いない。もしかしたら、本当に戦争を終わらせることに繋がるのかもしれない。
キャゼルヌとシェーンコップは、みるみる大きくなる敵要塞に向け、猛スピードで迫っていく3機の戦闘艇のまぶしいエンジン光をスクリーン上で眺めながら、祈る。
ヤンの作戦が成功し、イゼルローン要塞が危機を脱することを。そしてなにより、エリザベートが無事帰ってくることを。
コックピットのメインモニタには、ガイエスブルグ要塞の銀色に輝く肌が、視界いっぱいに広がっている。敵要塞の防御力は、イゼルローン要塞にも匹敵するほど重厚だ。3機の戦闘艇など脅威とも感じていないだろうが、手が届きそうな距離まで黙って接近させてくれるほどお人好しでもあるまい。そろそろ対空砲が火を吹き始めるはずだ。引き返すなら、今しかない。
「エリザ、大丈夫か?」
ポプランは、エリザベートに問う。彼は、イゼルローン要塞を発進前にも、まったくおなじことを尋ねている。
「大丈夫です! ドクターもカウンセラーの先生も問題ないと言ってたじゃないですか」
小隊長の質問に対して、エリザベートも発進前と同じ内容の返答をかえす。
「少佐、はやくいきましょう! このままでは、イゼルローン要塞にぶつかってしまいます」
「……そうだな」
エリザベートの声は、いつもの彼女と比較して不自然なほど明るい声であるようポプランには感じられるが、それ以上追求することはない。
「いまのところ作戦に変更はない。30秒後、敗走する敵艦隊を追跡中のアッテンボロー艦隊とイゼルローン要塞の砲座が、陽動のため敵要塞への砲撃を開始する。俺たちはその隙に要塞表面にとりつき、通常航行用エンジンの左端一個だけを攻撃、これを破壊する。いいな」
「はい!」
「要塞本体にとりつくのは要塞主砲の逆側。迎撃のワルキューレはあまり残ってはいないだろうが、敵要塞の対空砲火は強力だ。避けるため外壁ぎりぎりを飛ぶぞ」
「はい!!」
「……3、2、1。いくぞ」
カウントダウンが終了すると同時に、前方の宇宙空間から、無数の細くまばゆい光の筋が、敵要塞に向かって雨のように降り注ぐ。敗走するミュラー艦隊を追撃中のアッテンボロー艦隊が、敵要塞に対して陽動の砲撃を開始したのだ。さらに、後方のイゼルローン要塞からも、より太くまぶしい光条が敵要塞に向かって突き刺さる。要塞表面に連続する爆発光、そして反撃のビームの光条が、宇宙を光で覆い尽くす。エリザベート達は、光と閃光が渦巻く荒海の中を、ガイエスブルグ要塞に向けて疾走する。
ミュラーは、全滅の瀬戸際にある艦隊をかろうじて秩序を維持したまま、ひたすら帝国領へ向け敗走をつづけている。ヤンとメルカッツの挟撃により戦力の大部分を失い、さらにイゼルローン要塞の軌道を横断する際、対空放火により壊滅的被害を受けている。ようやくガイエスブルグ要塞の近傍まで逃げ延びた時点で、ミュラーは追跡する反乱軍の艦隊からの砲撃の数が減ったのに気づいた。
「敵は、追跡をやめたのか?」
「いえ、ガイエスブルグ要塞に向けて砲撃をはじめたようです」
一足先にガイエスブルグ要塞に帰り着いたケンプ司令官による要塞そのものを使った破れかぶれの特攻戦術が、功を奏しているというのか。いや、要塞主砲による相打ち狙いならともかく、艦隊からの砲撃程度でガイエスブルグ要塞を止めることなど出来ない。あのヤン・ウェンリーが、無駄なことをするはずがないのだ。ならば、あの魔術師は何を考えている?
なんにしろ、これは反撃のチャンスだ。要塞そのものを爆弾として利用するという、凡庸な軍人では決して思いつかない異常な作戦ではあるが、よく考えてみれば戦略的には極めて有効なことは間違いない。ここにいたって、ミュラーはケンプの戦略眼にはじめて感心した。そして、この状況下における自分の役割を考える。彼がなすべき事は、激突したふたつの要塞が戦闘不能になった後、要塞から脱出した味方を救出し、混乱した敵の残存艦隊を叩くことだ。
「全艦反転。ガイエスブルグ要塞とともに反乱軍につっこむぞ!」
命令を下した瞬間、ミュラーはスクリーンにうつる3つの光点に気づいた。尋常ではない速度で、ガイエスブルグ要塞に向かっている。土砂降りのような対空砲火の火線を、すり抜けるようにすべてをぎりぎりで躱しているそれは、あきらかに人が乗っているものだ。
「あれは……、なんだ?」
「反乱軍の大型戦闘艇のようです。我が艦隊を襲撃したものと同じだと思われます」
自分の旗艦に迫る白い機体を思い出し、ミュラーは反射的に恐怖を感じる。
一方で、同時に用兵家としての好奇心がむくむくとわき上がる自分に気づく。ヤン・ウェンリーは、たかが戦闘艇で、要塞を相手になにをするつもりなのだ?
……もしかしたら、ヤン・ウェンリーは戦闘艇をもちいてガイエスブルグ要塞を撃退する作戦を思いついたのではないか? いや、あの魔術師のことだ。この戦場だけではなく、戦争全体に影響を及ぼすような、戦略的に大きな意味のある戦闘艇の画期的な運用方法を思いついたのではないか? 帝国軍の誰も知らない魔術を、俺は目にすることができるかもしれないぞ。
つい先ほどまで、いかに全滅を避けるかだけを必死に考えていたミュラーの顔色に、用兵家としての生気がもどる。
ヤン・ウェンリー。なにをするつもりかしらないが、魔術師の知略とやらをみせてもらおうか。
ガイエスブルグ要塞……。
コックピットのスクリーン、視界の下方に見えるのは銀色の液体金属。もし大気があれば、衝撃波によりはげしく波打つに違いないほどの低空飛行。さすがにこの高度では亜光速を保つことは出来ず、大幅に減速したとはいえ、外壁と構造物はすさまじい速度で後方に流れていく。そして、まるでエリザベートの帰還を祝福するかのように360度すべての方向から襲いくる、猛烈な対空砲火。
つい数ヶ月前まで、エリザベートはこの中にいた。そして、アンスバッハ准将、乳母、召使い、さらには両親、彼女とブラウンシュバイク家に縁のある者は、みなここでローエングラム公に殺された。
そのこと自体に、とくに感慨はない。彼女は涙が涸れるまで泣きつづけたが、今となっては仕方のないことだと思う。銀河帝国にもローエングラム公にも、特に恨みは感じない。どちらかが悪いわけではない。そうしなければ、彼女の父親がローエングラム公を殺していただろう。
ここにいた頃の彼女はただ、人が死ぬのを止めさせたかった。死んでいく人々を見るのに耐えられなかったのだ。だが、結局のところ帝国の内戦は、ブラウンシュバイク公や門閥貴族、そして膨大な数の兵士や民衆が死ななければ終わらなかった。
ミュラー艦隊を突破してイゼルローン要塞に帰還し、迎えてくれた人々の心配そうな顔を見たとき、そしてあたたかいキャゼルヌ家に帰ったとき、エリザベートは自分がしたことの意味を理解したのだ。この世界では、人が死ぬのを止めるためには、他の人が死ななければならない。平和のためには、血を流すことが必要だ。
エリザベートがミュラー艦隊を撃退したおかげで、彼女の家であり家族であるイゼルローン要塞の人々は守られた。そして今、イゼルローン要塞を守るためにはガイエスブルグ要塞を破壊せねばならない。最終的には、銀河帝国を支配する者を……。エリザベートは、自分の役割を理解してしまった。それで全てが終わり、愛しい人々が守られるのならば、やってやる。
彼女は、すべての感情をシャットダウン、かわりに五感を周辺の空間に開放する。感じるのは敵の意志。目に映るのはコックピット前方のスクリーンにうつる幾何学的な記号のみ。そして、死にゆく人々の嘆き、悲しみ、そして自分に向けられる敵意と憎しみには目をつむる。口をへの字にまげ、ひたすら耐えるのだ。
「すげぇ」
ポプランが口の中だけでつぶやく。
先頭をとぶエリザベートは、凄まじい機動により、猛烈な敵の砲火すべてかわしていく。エリザベートの先読み能力は、先日よりもあきらかにキレている。その操縦は鬼気迫るものだ。セルポプランとコーネフは、彼女が示してくれた安全なコースを、ついて行くのがやっとだ。
地平線の向こうから次々と現れる対空砲座を、ぎりぎりで避ける。あるいは、撃たれる前に主砲で吹き飛ばす。
さらに、要塞近傍の敵残存艦隊からも、3機を追いかけるよう無数のまぶしい火線が要塞表面にむかって伸びる。それを右に左に躱しつつ、敵対空砲座に命中するよう誘導してやる。それだけではない。エリザベートは、隙があれば反撃すらやってのけている。
迎撃のため後方から追跡するワルキューレは、3機のスピードについてこれない。無理についてこようとしても、要塞の対空放火により誤射されるか、あるいは要塞の構造物を避けきれず激突するだけだ。正面からの迎撃を試みる勇気ある敵パイロットは、引き金を引く前に閃光にかわる。
ポプラン、コーネフとの連携も完璧だ。通信など交わさなくても、まるでエリザベートがふたりの意志を読み取っているかのように、3機の主砲が狙う獲物の分配が無言のうちに効率良く定まる。順番に、そして確実に、敵は火球に変わっていく。
「……エリザの奴、いつのまにか開き直ったか」
今のエリザベートは、敵に向けて引き金を引くのを躊躇していない。
「それとも、パイロットとして成長したということか? なんにしろ、同盟軍にとってはめでたいことだが……」
だが、虫も殺せなかったお嬢様が、平気で敵の艦隊や要塞につっこんでいくようになるのを、成長といっていいものか? キャゼルヌ少将は、複雑な心境だろうな。
ポプラン自身はといえば、もともと戦いのない平和な世の中など空想の産物としか考えておらず、戦争状態にある国家の軍人であるならば殺し合うのは当然だと思っている。民間人ならともかく、エリザベートは望んで軍人になったのであるから、戦いに慣れてしまうのは仕方がない。エリザベートのような将来性十分な美少女が、パイロットスーツとヘルメットによってその容姿を隠してしまうのは実にもったいない、という点だけは、大いに悩ましい問題だと認識しているが。
エリザベートのおかげで、猛烈な対空砲火のまっただ中であるにもかかわらず、ポプランの意識に余裕が生まれている。
「それにしても……信じられるか? 俺はいま、悪の帝国の銀色の要塞惑星の外壁ぎりぎりを、猛スピードで飛んでいるだぜ」
ポプランは思わず声に出し、自分自身に語りかける。まるで映画だ。パイロットとしての夢、本懐といってもいいだろう。エリザベートがいなければ、歓喜のあまり歌い出していたかもしれない。
惜しむらくは、俺自身が主役ではないことか……。
そんなポプランを、主役がしかりつける。
「ポプラン少佐、ボーッとしないで! 目標が見えてきましたよ!!」
舌を出しながら肩をすくめるポプランの目に、銀色の地平線の向こうから、要塞の外周にそってリング上に備え付けられた巨大な通常航行用エンジンが見えてくる。コックピットのコンピュータが目標を示す。敵の攻撃はあいかわらず凄まじいが、俺たちが何をするつもりなのかまでは理解していないようだ。
右に左に攻撃を躱しながらも、三機は確実に目標に迫る。あと5秒、3秒、1秒。戦艦そのものよりも遙かに巨大なエンジンが、スローモーションのように目の前に近づく。
先頭のエリザベートがほぼゼロ距離から主砲を発射。戦艦の装甲を一撃で電磁バリアごとぶち抜く威力の主砲でも、エンジンの複合装甲カバーに亀裂を生じさせるのが精一杯だ。だが、間髪を入れずにポプラン、コーネフの機体から主砲が放たれる。主砲を撃ち込んだ3機が目標をギリギリかわし、猛スピードで通り過ぎた直後、エンジンは内部から白い閃光を炸裂させる。そして数秒後、エンジンはついにその機能を停止した。
攻撃を終了、要塞から離脱しつつあるポプランが振り向いたとき、そこにあるのは地獄だった。瞬間的に片側のエンジンひとつだけを破壊され、推力の軸がぶれたガイエスブルグ要塞は、イゼルローン要塞を目前にしてその場に停止、巨体をくねらせて猛烈なスピンをはじめたのだ。
そのまま味方の残存艦隊に突入した要塞は、瞬時に味方艦隊をその巨体の回転に巻き込み、そのほとんどを蹂躙した。さらに、これを勝機と見たイゼルローン要塞が、反撃をおそれることなくトールハンマーを連射、ガイエスブルグ要塞は一方的に破壊されていく。
ついに核融合炉が爆発したのは、トールハンマーを十発ほど撃ち込まれたその時だった。周辺の空域を、圧倒的な光が包み込む。すべてのモニタ、スクリーンにフィルタがかかる。数分後、最後の余光が消え去り、宇宙が闇を取り戻したとき、そこに残っていたのは、かつて要塞や艦隊だった残骸と、数十万人にのぼる帝国兵士の魂と、ほんの僅かな艦隊の生き残りだけであった。
「エリザ! エリザ!! 大丈夫か?」
ポプランが通信機に向かって叫ぶ。引き金を引いたエリザベートは、大丈夫なのか?
「……だっ、大丈夫。私は大丈夫です。大丈夫なんです!」
その瞬間、死んでいった帝国軍兵士の数は、要塞と艦隊を含めて数十万人に及んだ。その全てが、自らの不運を悲しみながら、そして自らを死に追いやった同盟軍をに恨みながら死んでいった。凄まじい憎しみの残留思念は、周囲の空間に渦を巻き、直接引き金を引いたエリザベートの精神の深部に突き刺さる。
エリザベートは、目を閉じ、耳をふさぎ、必死にそれに耐える。体全体を小刻みに振るわせ、涙と鼻水がとまらない。それでも耐える。死んでいった者達の声よりも、彼女には大事なものがあるのだ。
「そっ、それよりも、イゼルローン要塞は? みなさんはご無事ですか?」
「……あ、ああ。みんな無事だ。俺たちの任務は終了した。帰るぞ」
「はい!!」
後に第8次イゼルローン攻防戦と呼ばれる一連の戦闘は、いまだ終わってはいない。だが、敵要塞を破壊しイゼルローン要塞を守るという彼らの仕事は、おわった。戦場の後始末や敵残存艦隊の追跡は、彼らの仕事ではないのだ。
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2011.01.23 初出