彼方には銀色に輝く巨大なふたつの人工惑星。そして、約一万隻にもおよぶのミュラー艦隊のメインエンジンの輝きが、エリザベートの前方の視野を覆い尽くす。目の前に広がるのは、人類文明を二分するふたつの勢力、同盟軍と帝国軍がぶつかり合う最前線の宙域だ。ここに両軍が展開し投入している巨大な戦力と比して、エリザベートら三人の小隊はあまりにも矮小な存在でしかない。だが、このちっっぽけな戦力の存在が、戦況を劇的に変化させようとしていた。
3機のスーパースパルタニアンは、相対論的な領域に達しようかという、戦闘艇としては非常識な速度をたもったまま、ミュラー艦隊に背後から突入した。
通常ならば、この程度の速度は迎撃の支障となるほどのものではない。艦隊同士の追撃戦の場合、亜光速の戦艦同士がすさまじい加減速を行いながら撃ちあうことも決して珍しくはないのだ。だが、ただでさえセンサーでは検知が困難な小型の戦闘艇が、まったく無警戒だった艦隊の背後から不意をついて突入したとなれば話は別だ。さらに、艦隊後方に配置されていたのは攻撃力の無い補助艦艇がほとんどだった。そのうえ、なにより帝国軍にとって不幸だったのは、突入した機体を操るパイロットの能力が、常識で対応できる範囲を超えていたことだ。
突如として艦隊に侵入した小型の「何か」が、味方の艦列の間を超高速ですりぬけていき、進路上にあった艦が次々と爆発していく。さらに、対空砲火の弾幕は、ひらりひらりと信じられない機動によりかわされ、密集した艦隊のあちらこちらで同士撃ちがひきおこされる。実際の損害は微々たるものであっても、それが帝国軍兵士達の心理に与えた影響は大きかった。
回廊の背後に敵の新兵器が伏兵として存在し、帝国領への帰路を絶たれた!
戦艦なみの火力をもつ戦闘艇による背後からの急襲は、艦隊全体に深刻な動揺に引き起こした。侵入者が艦隊中央の分厚い戦艦群をも突破し、旗艦のミュラーがやっと事態を把握した頃には、それはパニックと言ってもよい事態にまで拡大していたのだ。
エリザベートは必死に耐えていた。
一万隻以上が密集した敵艦隊のど真ん中である。自分の周りにいるの者は、全てが敵。360度すべての方向から向けられる激しい憎悪と敵意が、お世辞にも厚いとは言えない愛機の装甲を貫き、彼女の脳髄に突き刺さる。さらに、ポプランやコーネフに撃沈され、あるいは運悪く対空放火の流れ弾にあたった敵艦が光と熱に変わるたび、死んでいく兵士達の嘆きと悲しみが押し寄せる。彼女の心を、地獄まで道連れに引きづりこもうとする。
これが戦い……。
それでも、エリザベートは歯を食いしばって耐える。決して目をつむらず、耳をふさがない。イゼルローン要塞へ帰る、その一心だけが彼女をささえているのだ。
空間に満ちた膨大な敵意にあえて立ち向かい、自分達に向けられた攻撃を予測し、操縦桿を操る。そのことに集中するため、エリザベートは余計な思考を捨て去った。目に映るのは、コックピットのスクリーンのみ。そこに乱舞しているのは、派手な色使いの記号や表示だけ。全方位から間断なく発射されるビーム砲やレールキャノン、帝国軍の意地をかけたありとあらゆる攻撃は、無機質で非人間的な記号に変換され表現されている。もし、いまの彼女の顔を見ることが出来たなら、そこに一切の感情を見いだすことは出来ないだろう。
この俺様が、ついていくのがやっととはな!
もちろんポプランも必死である。彼の三機の小隊は、機体が接触するほどの至近距離を保ちながら、凄まじい速度で敵艦隊のど真ん中を突っ切っている。彼らを追って、土砂降りのような対空砲火の火線が全方位から降り注ぐ。帝国艦隊は、同士討ちにより味方に多大な損害を発生させつつも、それにまったくかまうことなく撃ちまくっている。ポプランの小隊を撃墜することこそが、帝国全軍の意地を示すとでもおもっているのか。
だが、ポプランが必死なのは、帝国軍によるバカバカしいほどの量のビームを避けることではない。あまり認めたくない事実であるが、彼の操縦技能だけでは、これだけの対空砲火をかいくぐることは不可能だろう。敵の火線を避け、安全なコースを見つけるのは、先頭のエリザベートに任せてある。ポプランとコーネフは、エリザベートについていくのに必死なのだ。
エリザベートは、大口径ビームの嵐の中を、まるでその軌跡があらかじめわかっていたかのように、ひらりひらりとすり抜ける。超高速を保ったまま、巨大な戦艦と戦艦のあいだをギリギリで通り抜け、敵の同士討ちを誘う。
しかも、彼女自身は、いまだ一発も撃ってはいない。特に事前の打ち合わせがあったわけではないが、あきらかに進路の障害となる敵艦に対して後ろから主砲を放ち破壊することは、いつのまにかポプランとコーネフの役割となっている。できれば彼女には撃たせたくないという、ふたりの暗黙の了解の結果である。戦闘艇としては常識を超えた破壊力の主砲は、一隻づつではあるが敵戦艦を一撃で破壊。爆発光と破片と帝国軍兵士の肉体の残渣、そして残留思念のまっただ中を、3機はくぐり抜けていく。
「みえた」
叫んだのは、先頭のエリザベートである。帝国艦隊のぶ厚い艦列の壁の隙間から、ついに銀色の人工惑星が姿をあらわしたのだ。
やっと着いた。やっと帰れる。
エリザベートはスロットルを全開、さらに増速する。イゼルローン要塞への最短距離の方向へ機種を向け、まっすぐにすすむ。だが、その方向は、帝国艦隊の艦列がもっとも厚い方向でもあった。
「まて、エリザ!」
ポプランが叫ぶ。目の前の帝国艦の艦影と赤外線放射パターンを分析したコンピュータが、パイロットに艦名を告げる。あれは戦艦「リューベック」、ナイトハルト・ミュラー提督の旗艦とその直衛艦だ。よりによって、艦隊の中でももっとも守りの厚い部分を通過しようというのか。
直衛艦が、ミュラーの盾になるべく動く。撃沈、あるいは激突を覚悟で、エリザベートの前にでる。一瞬イゼルローン要塞に気を取られていたエリザベートは、巨大な戦艦を避けきれない。反射的に引き金に指をかける。だが……。
やらせるか! 戦闘艇ごときに帝国軍艦隊が蹂躙されるなど、やらせるものか!
目の前の艦から突き刺さる凄まじい敵意。旗艦を守るため死を覚悟した全ての兵士から発せされる強烈な意志。その全てを正面から受け止めたエリザベートは一瞬怯む。巨大な艦影が迫る。戦艦の装甲が、目の前に壁のように広がる。
「エリザ、撃て! 撃たないと帰れないぞ!!!」
ポプランの叫びに、エリザベートは我に返る。僚機の二機は、主砲を発射したばかりだ。エネルギーが充填できるまで、あと数秒かかる。
エリザベートはとっさに目をつむり、引き金を引く。彼女の愛機の主砲は、初めて敵に向けてビームを放った。
旗艦を誤射することを恐れ、周りの艦は対空砲火を停止している。帝国軍艦隊を率いるナイトハルト・ミュラー大将は、静寂がもどった暗黒の宇宙空間の中で、自らの盾になった直衛艦が一瞬にして光球に変わるのを見た。まばゆい爆発光の中心からまっすぐに、凄まじい速度で旗艦に近づく3機の戦闘艇を見た。不格好な白い機体。単座戦闘艇には似つかわしくない巨大な主砲。ミュラーの目には、全てがスローモーションで見えた。そして、主砲が正面を向く。ミュラーだけではなく、ブリッジのすべての人間が、死を覚悟する。
だが、永遠のような数秒が過ぎても、ミュラーが覚悟した瞬間は訪れなかった。
「……敵は、どうした?」
ブリッジの誰もが沈黙する中、いち早く我を取り戻したのは、やはりミュラーであった。数瞬遅れて我に返ったオペレーターが、操作卓から得た情報を報告する。
「高速でまっすぐに艦隊を抜け、イゼルローン要塞近傍に達したようです」
「なぜ、……撃たなかったのだ」
ミュラーの問いには誰も答えることができない。かわりに、オペレーターが叫ぶ。
「反乱軍艦隊が要塞から出撃しています! 旗艦ヒューベリオンを確認、接近中!!」
同時に、ミュラー艦隊の前衛の艦が、次々と火球に変わっていく。ヒューベリオンから同盟艦隊を指揮するのは、メルカッツ提督である。要塞からの出撃のタイミングを計っていたメルカッツは、ポプランの小隊の突入によるミュラー艦隊の混乱を、見逃しはしなかった。出撃と同時に、要塞に上陸をはかる帝国軍装甲擲弾兵と揚陸艦を駆逐、そのまま混乱が続くミュラー艦隊に襲いかかったのだ。
ミュラー艦隊は、メルカッツ艦隊により半包囲され、さらに連携したイゼルローン要塞の対空砲塔群から横撃される。ガイエスブルグ要塞から救援が到着し、メルカッツ提督があっさりと撤退していくまで、ミュラーは、崩れかかった艦列をささえ、全滅を防ぐのが精一杯だった。
ミュラーの旗艦を目前にしたとき、エリザベートは茫然自失状態であった。目を閉じ、耳をふさぎ、頭をさげ、コックピットの中でただ震えていた。操縦も忘れ、機体は直線的に飛ぶだけだった。対空砲火が止み、艦隊全体が混乱し、さらにメルカッツ艦隊が接近している状況でなければ、簡単に撃ち落とされていただろう。
直前にミュラーの盾になった艦を破壊した瞬間、エリザベートによって殺された数百人の兵士達の恨み、悲しみ、憎しみが、直接彼女に襲いかかったのだ。真空の宇宙に散ったひとりひとりの残留思念、生への執着が、故郷に残した家族への想いが、そして直接手を下したエリザベートへの凄まじい恨みが、彼女にはありありと感じられてしまった。それらは、心の奥底に直接つきささり、少女の精神を激しく傷つける。
私が引き金を引いた。私が殺した。殺してしまった。
ポプランやコーネフが撃った艦の乗員も、間接的ではあっても彼女が殺したも同然だ。それは理解していたつもりだった。今回は、たまたま彼女が撃っただけで、本質的な違いはなにもない。それも理屈では理解している。理解していても、理性とは別の部分が、自分が撃ったという事実を拒否しようとしている。
「エリザ、エリザ、しっかりしろ!」
ポプランが、必死に呼びかける。
「お前は悪くない。顔をあげて前を見ろ! お前が守った俺たちの家が、イゼルローン要塞が目の前だ」
私がまもった?
エリザベートは、おそるおそる顔をあげる。涙を拭きゆっくりと目をあければ、ポプランの言うとおり、目の前には銀色の巨大な人工惑星、イゼルローン要塞が輝いている。通信用のモニタには、キャゼルヌ少将とメルカッツ提督の顔が映っている。懐かしい声が聞こえてくる。
「そうだ、イゼルローン要塞もキャゼルヌ一家も、お前が守ったんだ。お前のおかげで家に帰れるんだ。……前を向け。帰るぞ」
私は家に帰ってきた。
顔はこわばったまま、体の震えはまだ止まらない。だが、エリザベートは、前を向くことができた。
おなじ頃、同盟側・帝国側の双方からイゼルローン回廊に向かう艦隊があった。要塞の危機を救うべく急遽同盟首都から帰還するイゼルローン要塞司令官ヤン・ウェンリーの艦隊と、いっこうに成果があがらないケンプへの援軍として派遣された、帝国軍の双璧ことミッターマイヤー・ロイエンタール両提督の率いる大艦隊である。
二つの要塞をめぐる攻防戦は、まだ終わらない。
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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
次はガイエスブルグ要塞に攻め込む予定です
2011.01.04 初出