港湾都市フローマスの中央通りを北上すると、市街地を抜けた辺りで右手に緑の敷地が見えてくる。
そこがフローマス伯ヘイウッド家のカントリーハウスだ。
あまりに広大すぎて、敷地外からは屋敷の姿を覗うことは出来ない。
林に囲まれた敷地内は緩やかな草丘が連なり、その間を縫うようにして一本の馬車道が延びていた。
その先に立つ青い屋根の屋敷が、メイド長の職場だった。
すらりとした長身に、栗色のロングヘア。
髪の一部をワンサイドアップに括っている。
身につけているのは黒のワンピースに、白のエプロンとカチューシャだ。
「シェリーお嬢様、失礼致します」
メイド長はお嬢様の寝室を訪れると、天蓋付きベッドに向けて軽く一礼した。
寝起きの金髪少女が、アーリーモーニングティに口を付けたままメイド長を一瞥する。
社交シーズ中は伯爵夫妻が帝都に出掛けてしまうため、末娘が当主代行の役目に就く。
娘の名は、シェリー・ヘイウッド。
十歳を過ぎたばかりの幼い彼女こそが、メイド達の仕えるご主人様だった。
ストレートの金髪に、吊り目気味な碧瞳と整った顔立ち。
身に付けているピンクのベビードールは、ほとんど下着姿と変わらない。
絵本に出てくるお姫様そのままなビジュアルをしたシェリー嬢の美貌に、メイド長のクールな表情がだらしなく緩んだ。
「くふ、今朝もお嬢様の可愛さは格別です」
「気持ち悪いぞ。用事があるなら早くしてくれ」
シェリー嬢の冷たい眼差しも、メイド長にとってはご褒美でしかない。
貴族令嬢に求められるのは、威厳と品格。
その点においてシェリー嬢は、幼いながらも模範的ですらあった。
「今朝は面白いニュースをお届けに来ました」
「む?」
「新しいメイドを雇い入れたのです。これは是非、お嬢様にもお目通りしておこうかと」
「そんなことを、わざわざ私に?」
つれないシェリー嬢のリアクションは予想通り。
貴族階級からすると、メイドなど掃除道具と同列の存在だ。
シェリー嬢も例外ではなく、一部の親しい使用人を別として、屋敷全員のメイドの顔すら覚えていなかった。
もちろんメイド長も、雇ったのがただの新人ハウスメイドなら、シェリー嬢に時間を取らせない。
紹介するには、それなりの理由があった。
「雇ったのは、ジュニアスタッフです。お嬢様と歳もほぼ同じですよ」
「大して興味ないな」
台詞とは裏腹に、シェリー嬢の眉が少し動いた。
少しだけ興味を惹かれたようだ。
何もかもが完璧に見えるシェリー嬢だが、メイド長には一つの懸念がある。
それは、完璧すぎるということだ。
理想の貴族令嬢像を演じきるシェリー嬢は、見ているとたまに不安になってしまう。
周囲の期待に応えるため、彼女は自覚なしで無理を重ねているのではないかと。
シェリー嬢に足りないのは、年相応の子供らしさだ。
大人が相手では、シェリー嬢も心を開けないだろう。
そのための秘策が、年齢の近いジュニアスタッフの採用だった。
「それでは紹介しましょう。ふふ、シェリーお嬢様も、びっくりしますよ。ほら、入ってきなさい」
メイド長は、廊下に待たせていた新人メイドを招き入れる。
おっかなびっくりといった様子で、小さな銀髪がひょっこりと頭を見せた。
「は、初めましてなのデスよ」
ぶわっと部屋の雰囲気が、一気に華やいだ気がした。
三つ編みにした銀髪に、大きく澄んだ蒼い瞳。
ほんのり桜色に透けた白い肌は、陶磁器のように滑らかだ。
メイド服が似合いすぎていて怖い。
「……ッ!」
目を見開いたシェリー嬢が、無言で固まっている。
自身も十分に美少女と称されるシェリー嬢にとってさえ、新人メイドの愛らしさは衝撃的だったのだろう。
新人メイドの方も、さらさらの金髪を伸ばしたシェリー嬢の姿を目にすると、耳まで真っ赤になって廊下に引っ込んでしまった。
呆然としていたシェリー嬢が正気を取り戻すまで、一拍の時を要した。
「何だ今のはっ? でたらめに可愛かったぞ! あれが妖精というやつなのかっ?」
興奮したシェリー嬢が、廊下を指さしながら捲し立てる。
思いの外に好評を得たようで、メイド長は満足そうに微笑んだ。
正直なところ容姿の端麗さで言えば、シェリー嬢も負けてはいない。
しかし、子供らしい初々しさが、新人メイドの魅力をかさ上げしていた。
恥じらう仕草と表情が、見る者の庇護欲をかき立てるのだ。
戻って来ない新人メイドに、メイド長が催促する。
「こら、いつまで引っ込んでるの? 早く入ってきなさい」
「いやいや! シェリー嬢様、ほとんど下着姿なのデスよっ?」
確かに寝起きでベビードール姿のシェリー嬢は、ほとんど半裸だ。
ただ、シェリー嬢にとって着替えや入浴をメイドに手伝わせることは、日常生活の一部でしかない。
ペットや掃除道具に裸を見られたところで、恥ずかしくないのと同じ感覚だった。
今の状況で、恥ずかしがっているのはシェリー嬢ではなく、新人メイドだ。
このままでは埒が明かない。
仕方なくメイド長は、魔法の言葉を呟いた。
「不法侵入罪」
「ひいっ!」
「不敬罪並びに、異端取締法違反」
「わ、分かったのデスよ!」
青ざめたシャルロが、おずおずと部屋に戻ってくる。
さながら怯えた小動物みたいだ。
そんな様子もまた可愛い。
シャルロの襟首を掴んで、ベッドにいるシェリー嬢の前に差し出した。
「はい、ご挨拶」
「シャルロと言うのデス。これからよろしくなのデスよ」
シャルロと名乗った新人メイドが、ぺこりと会釈する。
その頬をぺちぺちと、シェリー嬢が小さな手でなで回した。
シャルロはもう、されるがままだ。
「すごいな。幻ではなく本当に実体があるのか。触り心地もすべすべだ」
お嬢様はすっかり興味津々といったご様子だ。
何事にも無関心で、世界を冷めた目で眺めていたシェリー嬢にしては、とても珍しいことだった。
「その言葉の訛り、帝国人ではないな?」
「はい、わたしは王国出身なのデスよ。
それよりシェリー嬢様、顔を近付けすぎなのデス」
「ふむ、そうか」
頬を赤らめるシャルロとは対照的に、シェリー嬢は平然としたものだ。
唐突にシェリー嬢は、ぺろりとシャルロの鼻先を舐めた。
「はわわっ!」
「おや、すまない」
目を白黒させて、腰を抜かすシャルロ。
自分のしでかしてしまった行為が理解出来ず、シェリー嬢が小首を傾げた。
何かの違和感を感じつつ、それが自分でも理解出来ていないのだろう。
そろそろ種明かしをしておいた方が良さそうだ。
メイド長がひとつ咳払いをする。
「ああ、そうそう。シャルロちゃんとじゃれ合う前に、ひとつだけ留意いただきたいことがあります」
「む?」
「実はシャルロちゃん、男の子らしいですよ?」
にっこりと衝撃発言をするメイド長。
もちろんシェリー嬢がすぐに信じるはずもなかった。
「何だと?」
身を乗り出したシェリー嬢に、驚いたシャルロが後退る。
そのままバランスを崩して、ベッドから転げ落ちる二人。
結果として仰向けに倒れたシャルロに、シェリー嬢は馬乗りになっていた。
「いやいやいや、おかしいだろう! 私は騙されないぞ!」
混乱したシェリー嬢が、一切の躊躇なくシャルロの胸を揉みしだく。
そしてメイド長を見上げて真顔で告げた。
「柔らかい!」
「そんな訳がないのデスよーーーーっ」
シェリー嬢に乗られたまま、シャルロが否定する。
ちなみにどうしてシャルロがメイド姿なのかと言うと、別にメイド長の趣味という訳ではない。
採用が急だったせいで、男の子向け制服の用意が間に合わなかったからだ。
しかし、これほど似合っているのだから、最初からメイド服以外の選択肢などなかったようにも思う。
「ふふ。僅差ではあるが、胸の大きさは私の勝ちだな」
「そこで勝ち誇られても! そもそもわたしには、胸ないデスから!」
じたばた暴れるシャルロだったが、シェリー嬢の下からは抜け出せない。
両股でがっちりホールドされていた。
「あの、シェリー嬢様、そろそろ解放してほしいのデスよ?」
「レディに対して重いとは失礼だな」
「そうではなくて! 色々と密着して、大変なことになってるデスから!」
シャルロのお腹に、シェリー嬢のショーツと太股がダイレクトに密着している。
ところがシェリー嬢はまるで頓着しなかった。
「何だろう、征服感が心地良いな?」
「メイド長さん! メイド長さんも黙って見てないで、止めるべきなのデスよ!」
止める訳がない。
メイド長は幼い美少女が大好きだ。
それが二人も揃って絡み合いをしている。
まさにここは天国。
すっかりメイド長の意識は、妄想の世界へと誘われていた。
「こうなったら力尽くなのデスよ!」
シャルロがシェリー嬢の脇腹に手を伸ばす。
くすぐり作戦だ。
子供らしい発想と言える。
その指先が触れた途端、シェリー嬢から小さな吐息が漏れた。
「ひゃんっ」
「へ、変な声を上げないで下さいなのデス!」
慌てて手を引っ込めるシャルロ。
もう耳まで真っ赤になって、大変なことになっている。
作戦は失敗。
むしろ反撃の口実を呼び込んだ意味では、完全に逆効果だった。
「むふふ、使用人の分際で良くもやってくれたな。この屋敷の主人が誰なのか、その身体に教え込んでやる」
「ぎゃーーーーっ! シェリー嬢様がご乱心なのデスよっ」
仕返しとばかりに、シェリー嬢がシャルロの身体中を弄り始める。
頬を上気させて鼻息を荒くするシェリー嬢の姿は、何かと残念だった。
「ちょっと待つのデス! 何でメイド服まで脱がそうとするデスか!」
「いや、本当に男の子なのか確認しておかないとな」
「それなら自分で脱ぐデスから! ひとまず離れて下さいなのデスよ!」
「まあ遠慮するな」
「脱ぐのは上だけデスからっ! 下はっ、下は絶対にダメーーっ!」
必死にスカートを抑えるシャルロと、脱がせようとするシェリー嬢。
瞳を輝かせるシェリー嬢は、今まで見せたことがないほど生き生きとしていた。
やはりメイド長が見込んだ通りだ。
クールに澄ましているよりも、年相応に無邪気な笑顔を見せてくれた方が、シェリーお嬢様は愛らしい。
賭けでもあったシャルロの採用は、間違いではなかったようだ。
「どうやら気に入っていただけたようですね」
じゃれ合う子供二人を、メイド長は慈しむような微笑で見守る。
聖母のような眼差しだったが、鼻血を抑えている時点で何もかもが台無しだった。
「ひゃあ! そこは触っちゃいけないのデス!」
「ちょっとだけ! ちょっとだけだから!」
「目が真剣すぎて怖いのデスよっ? すっかり変態さんなのデス!」
こうしてヘイウッド邸に、メイドくんは雇われることになった。
シャルロ本人も、このような展開は予想していなかっただろう。
メイド長の思い付きが、屋敷の運命を大きく変えることになっていく。