おもしろくない。面白くない。オモシロクナイ。
ぐるぐるになる頭と内に渦巻く雑念に舌打ちをしながら加奈子は読書をしていた。
一ヶ月の小遣いの半分をはたいて購入した投手の教則本を貪り読む。決して楽な買い物ではなかったが、今はそんなこと犬の餌にでもくれてやった。
時刻は午後九時。中学で出来た友人たちは芸能人が下らないトークを繰り広げている番組に夢中の時間帯だ。それなのに同じ女子中学二年生である加奈子はバラエティ番組とは無関係の世界に生きていた。
野球、という競技がある。
150キロの直球を悠々と18メートル先のミットに投げ込み、それを150メートルを越す飛距離を持ってスタンドに叩き込む。
或いは160キロ以上のスピードで飛ぶライナーを飛びついてキャッチングし、50メートル5秒台の俊足で次の塁をまんまと盗む。
これまで様々な先人たちが凌ぎを削り、切磋琢磨してきたこの国の国技とも言われる魅力のスポーツ。
少年ならば誰もが一度は夢見、その中で実力と幸運に恵まれたものだけが続けることの出来る真剣勝負の世界。
彼女は女という性別ながら、一人の野球人として白球の世界に身を投じるピッチャーだった。
加奈子はもう何度も「面白くない」と呟きながら教則本を机に置き、ベッドに飛び込んだ。
そして枕元に座する己のグラブが嫌でも目に入った。
「…………」
彼女がここまで不機嫌だったのは中学に入学してから生じた様々な出来事が原因だ。まず中高大学とエスカレーター式の名門校のスカウトを蹴って、まんまと同じ中学に入学してきた大塚健二のことが気に入らない。
あの容姿端麗、成績優秀、野球才能抜群の優男は端的に言えば加奈子の敵だ。
ライバル、とはとても言えない。
彼の中学野球界における代名詞である「剛球」と進学して会得した「魔球」フォークは到底加奈子が適うものではなかった。
コントロールやクイックといった細かな技術では加奈子に分があるものの、投手としての総合力は足元にも及ばない。彼の真似をしてフォークを会得したことは加奈子にとって何物にも変えがたい屈辱となっていた。
勿論実力で適わないのだから、チーム内における加奈子の立ち位置も「エース」から二番てピッチャーに降格してしまった。
周囲の評価は健二には及ばないものの、彼女に対する周囲の評価はかなり高い。
が、小学生時代に守り続けた椅子を奪われたのはやはり面白くなかった。
また、勉強と部活両方面の忙しさのせいでいつの間にか日課となっていた放課後特訓がいつの間にか消滅してしまっている。
その所為で彼女が敬愛する神崎祐樹との対戦がめっきり減ったのだ。
彼が対戦するのはもっぱら「エース」である大塚健二となっていた。
これも面白くないどころか不愉快通り越して殺意が芽生えそうだった。
「あー。殺意といえばアレだ。あの女だ」
自らの機嫌を損ねる癌細胞共に回想をめぐらせていた彼女は一人の女を思い出した。
それは野球部とはなんの接点もない、読書部とかいうドマイナーな部活の部長をしている咲下という三年生だった。
咲下 井塚。
最初部活勧誘のチラシを見ていたとき、その名前をなんと読めばいいのかよくわからなかったことを覚えている。
後から「さきした いづか」と読むと祐樹に教わったが(今思えばその辺りから彼女のことが嫌いになった)率直な感想は変な名前である。
しかしながらその変な名前の先輩に大好きな幼馴染の男の子を取られたとなると、間抜けもいいところだった。この話については一年ほど時を遡らなければなるまい。
加奈子は汗臭いグラブをわざわざ手にはめて、もう年々も付き合っている木張りの天井を見上げた。
健二が投じたストレートを二年先輩の上級生が空振りする。それは彼が入学してから半年の間、もう何度も繰り返された光景だった。
三つのアウトカウントをしっかりと稼いだ彼は、上級生の捕手から利き腕とは逆の肩を叩かれながらマウンドを降りる。その様子を背後から右翼を守っていた外野手が見守っていた。
そしてその外野手はベンチに戻ると控えの女子投手――加奈子からバッティングセットを一式受け取り、ベンチの前で次々と身に着けていく。
スポーツドリンクを手渡そうとしていた一年生のマネージャーは加奈子の目線の所為か、気まずそうにベンチの周辺を行ったり来たりしていた。
「やあ祐樹くん。そろそろ援護点を頼むよ」
身体を温め続けるためのキャッチボールには参加しなかった健二が祐樹の背後に立つ。一年生にして先発を任された彼はここまで無失点の好投を続けていた。
さすがに入学早々、エースを冠するだけはある。
一方、祐樹は三年間慣れ親しんだ四番からは一旦離れて俊足の二番バッターとしてスタメン出場していた。如何せん、対格差の生で上級生の四番ほど遠く飛ばすことが出来ない。
祐樹自身はとくに気にも留めていなかったが。
「まあ、出塁した後二塁は確実に盗めるだろうから、問題は後続だな。四番の須藤先輩はともかく、三番の田中先輩が全然振れてない。三つやってみるか?」
「うーん、三盗か。まあ出来るんじゃない?」
「おっしゃ。じゃあそれでいこう」
打ち合わせとも言えるかどうか微妙な会話を交わした後、祐樹はバッターボックスに向かう。それと同時、対戦校のナインに緊張が走るのが見て取れた。
それもその筈。ここまで三打数二安打、以前の試合では本塁打も放っている恐怖の二番バッターだからだ。彼と健二の二人はすでに県内の野球部の間ではちょっとした有名人になっていた。
実力と容姿が伴う二人は、色んな意味で目立つのである。
投球開始の合図が鳴った。
キャッチャーがミットを差し出し、サインを繰り出す。相手投手が二三度首を振った後、オーソドックスなフォームでストレートを投げ込んできた。残念ながら健二のものとは比べるべくもない、球威も球速も無い、平凡なストレートだった。
祐樹は黙ってそれを見逃しながら、これがプロで戦える才能の違いだと思っていた。
そして自分も今の立ち居地を維持し続けなければ、前世の二の舞であると叱咤した。
「おーい! 今の振れよー!」
グリップを握りなおし、バッターボックスを外したらベンチから野次が飛んできた。ここ最近ベンチスタート続きの木田 弥太郎である。加奈子の専属キャッチャーとなっている彼は加奈子が控えのときは必然的にベンチスタートなのだ。
一年生ながらベンチ入りしているというのはそれなりに評価されるべきことなのだが、比較対象が健二や祐樹のためイマイチ報われない弥太郎なのである。
「うるさい! あんたは黙ってて!」
ドカ、と背後から拳が弥太郎の脳天に突き刺さった。それは加奈子の一撃だ。ある意味でいつも通りの光景に、祐樹は固くなりかけた身体が柔らかくなっていくのを感じた。
笑い声がベンチに木霊する。
笑みを浮かべながらバッターボックスに戻った祐樹は再度バットを構えた。バットを水平に寝かせた天秤打法にも似たフォーム。それはこの十年間、片時も忘れなかった祖父譲りの変則打法。
さすがに中学の監督からフォーム指導を受けたこともあったが、祐樹はそれを頑なに拒み、さらに結果を残し続けて監督を黙らせた。前世とはなんの関わりもないものの、彼が一番しっくりくるフォームである。
もしかしたら、前世でこのフォームを会得していれば少しは違った結果が待っていたのかもしれない。
やや雑念が多すぎる嫌いはあったが、相手投手の投げた球に祐樹の身体は自然と反応した。一度ステップを踏み、重心の位置を整える。
ヘッドを立て脇を絞り、長打狙いではない単打を狙ったスイングを心掛ける。
だが彼が理想のフォームでバットを振ることは叶わなかった。
その理由は多分リリースした相手投手が一番理解している。キャッチャーが要求したのは外角低めのスライダー。空振りを誘い、追い込むための勝負球だ。
しかしその勝負球は投手が抱えたいらぬ力みの所為で力なくリリースされる。俗にいうすっぽ抜けだ。変化もしないコントロールの甘い球など打者から見れば鴨葱のような打ち頃の球。
投手と捕手の顔が青ざめる。
「で。怪我の様子は?」
「小指骨折。全治一ヶ月」
「しかしついてないね。あんな格下投手にぶつけられて怪我なんて笑えないよ」
「……結構きついこと言うな」
「まあね、これでも怒ってるんだぜ? ライバルを取られたから。でも、ま、佐久間さんほどじゃないよ。彼女なんか木田くんが抑えなかったら相手投手を殴ってた」
試合終了後、接骨院に駆けつけた祐樹は見舞いに来た監督たちと別れたあと、ファミリーレストランで遅めの食事を取っていた。ちなみにこの場にいるのは健二+いつもの二人だ。
加奈子と弥太郎は二人仲良く? ドリンクバーに群がっている。
「でも珍しいね。君があんなボールをかわせないなんて。体調でも悪いの?」
「いや、俺がぼーっとしてただけだよ。反応が遅れた」
「……それで相手投手を攻略しようとしていた君も大概失礼だね」
二人して談笑している中、祐樹は包帯が巻かれた己の小指を見た。前世で体験した故障に比べればどうってことなかったが、それでも怪我に対する意識が低下していたことを痛感する。
故障で棒に振っていた野球人生とも言えた為、この油断に早期に気がつけたことは何よりのプラス材料と言えた。
「そうえいば、さ」
注文した「チーズ入りハンバーグ」が届くのを待ち続けていた健二だったがふと窓の外を見やりながらポツリと言葉を零した。
「僕の知り合いでスポーツ外傷の専門病院があるんだ。うちの学校の先輩の実家なんだけど」
遠目で、ドリンクバー前で喧嘩している弥太郎と加奈子を見ていた祐樹の視線が健二に固定される。健二は頬杖をつきながら携帯電話を操作した。そして画面には一人のアドレス帳プロフィールが表示された。
「今度行って見たら?」
携帯電話を受け取った祐樹はその人物の名を目に焼き付けた。
そこには「咲下 井塚」の文字が躍っている。
……また嫌な名前に遭遇したと、彼は健二に悟られないよう内心でため息をついた。
それは前世で忘れたくても忘れられなかった、元恋人の名前と瓜二つだったのだ。
やきうをしよう。でもその前に少しだけ生きてみよう。
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おまけ プロスピ的ステータス(ver中学生)
神崎祐樹(13) かんざき ゆうき
右投げ左打ち
右巧打力 B
左巧打力 A
長打力 B
走力 B
肩力 S
守備適正 右翼 A
中堅 B
左翼 B
特殊能力 成長◎(パワプロ的?)
アベレージヒッター
チャンスメーカー
盗塁↑2
走塁↑2
助走キャッチ
レーザービーム
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大塚 健二(13) おおつか けんじ
左投げ左打ち オーバースロー
球威 17
変化球 13
コントロール 14
スタミナ 16
守備力 14
合計 74
特殊能力 打球反応○ 剛球
◆◇◆◇
お久しぶりです。続きを期待してくれた方々にしばしお礼を。
あくまでこちらはおまけ的扱いですが、その内オリジナルに移転するかも。
別作品がエタりかけたらこちらに逃げてきたヘタレですがこれからもよろしくお願いします。