――――雨が降る。冷たい雨が。
穏やかな小雨じゃなくて、大粒の雨が、勢いよく地面に降りそそぐ。
何度も、何度も。
繰り返し、繰り返し。
予報通りに、朝までやむことのない人工雨。ざぁざぁ、ざぁざぁ。滝みたい。
わたしが濡れてしまう訳じゃないけど、さっきから車体を叩く音は煩わしかった。
フロントガラスを打ち、ボンネットを打ち、わたしの耳を打つ。強く、激しく、その存在を主張する。
黙って欲しい。
そんなにわたしを急かしたいのだろうか。
そんなにわたしを責め立てたいのだろうか。
こんな所でジッとしてる場合じゃないと、そう言いたいのだろうか。
「バカみたい」
口元を歪め、薄く笑う。自嘲する。
詮無い思考だ。そんな訳、あるはずないのに。
あんまり自覚はなかったんだけど、思ったより余裕がないらしい。
落ち着こう。
大きく息を吐いて、車の外へと視線を移す。
ガラスを一枚だけ隔てた向こう。そこは闇の世界だ。
都市部から漏れてくる僅かな光も、降りつける雨に掻き消されてる。
ぶるり。寒さに体が震えた。
度重なるテラフォーミングで改善されたらしいけど、火星の夜はひどく冷える。
随分と前に暖房を切るというバカをやってるから、マントを一枚羽織った程度だと辛い。
間違いなく、間違えようもなく。わたしってバカだ。
助手席でひとり膝を抱えて、体を震わせてさ。
唇、閉じてくれないし。たぶん紫になってるよね。
あの人に見られたら、絶対に呆れられちゃう姿。
そうは思っても、何かをする気にはならないんだけど。
ただボンヤリと虚空を眺めながら、時折、思い出したように左手首を握る。
そこには、冷たい感触。あの人から貰った通信機。
登録済みの相手は二人だけ。一人は、どうでもいい。もう一人は――――
……ッ!………ッ!!…!
ノイズ。繋がらない。
雨音ばかりが響く車内で、それはひどく気に障る。
通信を切れば、だだだだだ。大きな雨粒が、だだだだだ。
絶え間ないタップは賑やか過ぎるけど、わざわざ耳を塞ぐのも面倒だった。
だからやっぱり、ただボンヤリと。
膝を抱えてジッと待つ。真っ黒いマントに包まれながら。
「……まだかな」
呟いて、意味もなく髪を手に取った。色素の抜けた白いそれは、あの人のお気に入り。
いつも綺麗にブラシを通してもらってるのに、何故か今はくすんで見える。
さらさらと掌から零れ落ちる白髪を見詰めながら、そっと嘆息。
暗闇の中で独りという状況は、なんとも気が滅入る。
ホント、遅い。どこで何をしてるんだか。
予定してた時間はとっくに過ぎてるのに。
くぁっと欠伸。大きく口を開けて、はしたない感じ。
他に誰も居ないとはいえ、少女としてどうなんだろう。
あの人が見たら怒るだろうか? それとも呆れるかな?
でもわたし、ねむねむだし。
子供に夜更かしは辛いし。
「ん?」
重力に負けそうな寝惚け眼を擦ってたら、左手首に微かな振動。
どうやら通信機が着信中らしい。淡いブルーのライトが明滅してる。
ピッとスイッチ。ホログラムウインドウを表示させれば、そこには『Luella』の文字が。
……正直、ヤダな。とはいえ出ない訳にもいかないよね。
サウンドオンリーであることを確認し、通話ボタンにタッチする。
それからウインドウを閉じて、待つこと数秒。会話は向こうから始まった。
『――――帰りが遅いが、何か問題でも?』
挨拶も何もない、ストレートな物言い。
聞き慣れたハスキーボイスが車内に響き、わたしの脳にじっくりと染み渡る。
それはわたしが予想してた言葉とほとんど変わることなく、だからこそ気分が悪い。
落ち着こう。
すぅはぁと深呼吸を繰り返し、クールダウン。
相手に送る言葉は、いつも以上にぶっきら棒な感じを意識して。一言。
「待ってる」
ブツリ。通信を切る。返事なんて待ってやらない。わたしはわたしで大変なのだ。
色々と省き過ぎたけど、まぁ大丈夫だよね。通じてなくても、アイツが困るだけだし。
「うん」
独り言つ。
車内には雨音が響き、白い吐息は闇に溶けた。
かじかんだ指先が震えてる。腕には力が入らない。
ホント、気が滅入る。
暗闇の中。狭い空間。独りぼっち。
普段なら絶対に御免被りたい状況なんだけどね。待つけど。
ぼんやり。ぼんやり。ぼんやり。
虚空を眺めてる。その視線を、ふと、左手首に向けた。
わたしの意思に関係なく震えてるそこには、変わらず黒い通信機。
たぶん、ニ時間ぐらい。
もしかしたらもっと長いのかもしれない。
実はずっと短いのかもしれない。
だけどまぁ、感覚的にはそれぐらい。
あの人が、最後に連絡してきてから。
暖かい車の中で、いつものように暇と時間を潰してた。
端末に落とした小説を流し読みながら、珍しく役に立った通信機を不思議そうに眺めた覚えがある。
急いで繋げた通信の向こうからは、耳に馴染んだあの人の声。
鈴のような、といった喩えが綺麗に当て嵌まるそれに、普段との違いなんてなかった。
『――――聞こえてる?』
『聞こえてるよ。なに?』
『ゴメン、ヘマした。だから――――チッ!』
そして、銃声。とまぁこんな感じ。
はてさて。結局あの人は何を言いたかったのか。
わからない。そう、わからない。
通信切れたし。繋がらないし。
だから、これでいい。別に間違ってるとも思わないから。
周りを見る。
そこは、変わることのない車の中。
棺(カスケット)と名付けられたあの人の愛車。
誰の目にも触れない岩陰でジッと停まってて、動かなくて。
あの人が帰って来なければ、きっとその名の通りにわたしを葬ってくれる。
わたしは動けないから。動くつもりもないから。
あの人が帰って来るまで。帰って来なくても。
言われた通りに待ち続ける。ずっと、ずっと。
優しい声を期待して、きっとそのまま朽ち果てる。
感情が振り切れてるのか。
はたまた元から存在しないのか。
とにもかくにも、わたしが取る選択は一つだけ。
従うよ。
泣くほど辛い命令でも。
従うよ。
どんなに惨めな思いをしても。
従うよ。
たとえこの四肢が動かなくなっても。
そう。
それだけだ。
それだけのことだ。
証明も理由も必要ない。
対価も御礼も望まない。
…………ダメだ。思考停止。
おかしな方向に転がりかけてる。
またまた大きく深呼吸。息を吸って、吐き出して。
そしたらちょっと落ち着いたから、気分転換に外を見た。
まぁ、ほとんど何も見えないんだけどね。夜だし。雨だし。
相変わらずのざんざん降りで。憂鬱気分で。あの人は帰って来なくて。
溜め息、つきたいな。ついちゃおうかな。ついて、いいよね。
通信機を撫でつつ、そっと、わたしの弱さを外に漏らす。
たったこれだけのことでも、気持ちが楽になる。悲しくもなるけど。
ただ少し余裕ができたから、これでまた頑張れる。
そうして気合いを入れてたら、ガチャリと扉の開く音。
慌てて振り向けば、そこにはやっぱり、あの人の姿があった。
金色の髪はびしょ濡れで。着ている服もびしょびしょで。なんていうか、水も滴るいい女。
素敵だけど。すごくスゴく素敵だと、わたしは思うけど。風邪を引かないか、ちょっぴり心配だ。
「やっぱり居た」
わたしを見たあの人が、呆れたように苦笑する。
何が言いたいのかはわかるけど、わからないよ。
わたしにだって、たくさん言い分はあるし。
でも、全部は多過ぎるから。たぶん、纏めきれないから。
だから、わたしからは一言だけ。
「……遅いよ」
返ってきたのは、また苦笑。困ったようなそれ。
そうしてあの人は、わたしの額にキスを落とした。
言葉にできない色々を籠めて。言葉にしたい色々を籠めて。
優しく、柔らかく、わたしが欲しかったものをくれたのだ。
何か返事をしたいけど、中々言葉になってくれない。
それがわかってるあの人は、何も言わずに微笑んでる。
あぁもう。ホント、もどかしい。
ただ、そう。なんというか、そう。
そんなあなたが、大好きです。
◆
通称『エルフ』。略称『E.L.F.』。正式名称、なんか長いの。
いわゆる超能力者だよね。あるいは魔法使いとか、そういうの。
炎がゴォー。水がドドッ。雷ドッカン。うん、そんな感じ。
人間なのに。生物なのに。おかしなチカラが使える、おかしな存在。
わたしとか。あの人とか。どこかで実験されてるっぽい、どこかの誰かとか。
火星生まれの第一世代から居たらしいけど、別に歴史には興味ないし。
エルフがどんな扱いを受けてるのか知っておけば、わたしにとっては十分だし。
まぁ、つまりは実験動物なんだけど。実験動物…………だったけど。
わかってるよ、ちゃんと。理解してるよ、痛いくらいに。
わたしの持ってる、命の軽さ。
「だから、さ。もうやめない?」
「君はいつもそれだな」
ハスキーボイスが降ってくる。見上げてみれば、緑の瞳に呆れの色が。
アイツが楕円のメガネをクイッとする。伊達メガネだけど。
裸眼視力の矯正なんて、今時すぐにできちゃうし。
そのよく見える目で、窓の外を確かめなよ。
すっごくいい天気。雲一つない快晴だって。
授業なんて、やってる場合じゃないでしょ。
「勉強きらーい」
あ、溜め息。一緒に幸せも吐き出せばいいのに。
スクリーンの前に立ったまま、コメカミを叩くアイツ。
疲れてるみたいだね。どうでもいいけど。
べたー、と。ほっぺを机に押し付けてみたり。
火星じゃ滅多に見られない木の机は、割とお気に入りだった。
部屋を埋め尽くす本棚も木製。本は紙製。全部、アイツが趣味で集めた物だ。
アイツの情熱にまみれてると思うと不愉快だけど、ここの雰囲気は好きだった。
木の香りとか。インクの匂いとか。独特の空気があって、なんだか落ち着く。
だから、よく訪れる。勉強やらないし、娯楽本しか読む気ないけどね。
「歴史なんて知らなくてもいいでしょ。困らないもん」
先生相手に、ほいほい口答え。別にいいよね、アイツだもん。
大体アイツとこの場所って合わないよ。薬品臭いし。白衣脱がないし。
「それは違うぞ。勘違いしてもらっては困る。
そもそもこれは、すぐに役立つ知識を身につける勉強ではない。
私は歴史を学ぶ事を通して、君の思考に柔軟性を持たせたいんだ。
学習の初期段階で様々な分野に触れておいた方が発想力に富むからね」
つまりは知恵がつく訳だよ、と偉そうに胸を張るアイツ。
チビのくせに。胸ないくせに。子供と言われて落ち込むくせに。
けど、まぁ、きっと。間違いじゃないんだろうね。
お偉い学者せんせーなルエラ・デーンさんは、とっても賢いそうだから。
あの人の恩人だし。あの人も信頼してるし。あの人と仲いいし。
ホント凄いよね。凄く――――――ムカつく。
「たしかに私が教師では、君は面白くないだろう。
しかしね、彼女の為にも頑張りたまえ。エルフにとって、柔軟な思考は大事だよ」
「ルエラの研究だとね。居ないでしょ、賛同者」
エルフのチカラとは、すなわち神の御業と同一である。
なんて、宗教入ったアレな論文を書いてるのは一人だけだ。
そんなのだから、金にあかせた道楽研究者だって言われるんだよ。
「失敬な。少しずつだが理解者も出てきている」
へぇ、そうなんだ。ボッチのままでよかったのに。
ていうか、新興宗教の教祖サマみたいだよね。論文的に。
「まったく。私を嫌っているのはわかるが、少しくらい敬っても罰は当たらんだろう?
君がこうやって安穏と暮らしていられるのも、私が研究対象として確保しているからなんだぞ」
知ってるよ。あの人が生きてるのも、コイツのおかげだって。
研究内容はおバカだけど、おバカだから、あんまり害はないんだって。
だから、まぁ。感謝しなくもない訳じゃないないないかもね。
「捻くれ者め。可愛い奴め。
しかし今は勉強の時間だ。君の為の勉強だ」
細い指が、ピッとわたしの手元にある端末を示す。
深緑の背景に、白い文字がズララララ。これでもか、とズララララ。
テキストモードって味気ない。最初から画像も表示しようよ。ポップアップじゃなくて。
「君達のチカラは論理じゃない。まるで子供が落書きするみたいに、この世の法則を書き替えてしまう。
感性こそが重要だ。発想こそが力を伸ばす。世界に対する認識を変えれば、それだけで君達は進化する」
「あーあー、はいはい。わかってる。その最たる存在が、あの人だって言うんでしょ?」
あらゆるコンピュータネットワークを支配するチカラ。電気的な物でも、そうじゃなくても。お構いなし。
言ってしまえば機械の王様。科学技術が発達した現代では、最上位と呼べるチカラの持ち主。それがあの人だった。
物理法則も、人間が考えた論理も無視して。あの人は粘土をこねくり回すかのように、電子世界を組み換えてしまう。
「そうだ。最初は小さな個人端末しか操れなかった彼女が、今では正しくなんでもアリだ。
知識が増えたからではない。演算能力を上げた訳でもない。ただ世界の捉え方が変わっただけだ」
エルフのチカラは、世界を書き替える。
自分の意思一つで。気分次第で。
反則だ。チートだ。ルール無用の場外乱闘だ。
でも、やれちゃうんだよね。何故か。
そこにコイツは、神様の一端を見たらしい。
論理ではなく、想像だけで。理屈ではなく、感情だけで。
たったそれだけで世界を塗り替えるから、神様の力なんだって。そう思ったみたい。
だからコイツは、私達のチカラを『ギフト』と呼ぶ。
神様からの贈り物だって、大真面目に信じてる。
「君のギフトは彼女以上にメチャクチャだ。聞いた事も無いほどグチャグチャだ。
だから私は育てたい。だから私は見てみたい。君の可能性を。これでも学者の端くれだからね」
栗色の髪をクシャリと掻き乱して、アイツが主張する。
学者の顔。嫌いな顔。でも、ちょっぴりお人よしの顔。
自己嫌悪って、書いてあるよ。
ホント、バカだよね。ただのバカ。
そーゆートコは、嫌いじゃないかもね。
「うん、そうだね。大丈夫、ちゃんとわかってるから」
「そ、そうか……」
素直に答えてあげたから、アイツが少し戸惑ってる。
なんだか叱られた子供みたい。これでわたしの一回り上って、詐欺だと思う。
単純だしさ。わたしがコイツに対して素直になるなんて、それこそ嘘でしょ。
「だから遊びに行くね。遊んだ方が、情緒が育つみたいだし」
言うが早いかタッタカタ。
わたしはさっさと逃げちゃうよ。
「いや待て。それは話が別だ――――――って、ギフトを使うな!」
聞こえなーいよ。勉強なんて、イーヤだよ。
強くなるつもりないしね。凄くなるつもりも。
「コラーッ!! 彼女に言いつけるぞ!」
愛のあるお説教って、とても素敵だよね。
メッてして。ギュッてして。チュッだもん。
ご褒美ご褒美。余計に逃げたくなっちゃった。
木製の床をタタタタタ。足音ないけど。鳴らせないけど。
扉の開けっ放しはダメだよ。悪戯子猫が逃げちゃうから。
「くそぅ。もう逃げてしまったか?」
頑張って探してるようだけど、そんなのムダむだ。
今のわたしは空気みたいなものですよ、と。
それじゃ、晩ご飯には帰ってくるからー。
◆
背ぇ高ノッポがいっぱいで。お堅いヤツラがたくさんで。
おんなじような見た目のくせに、必死に飾りで取り繕う。
それが、火星の都市。ビルだらけの、のっぺらぼうの街。
どこを見ても似たような風景。そっくりな景色。
適当な建物を取り替えても、きっと誰も気付かない。
こんな街でも迷わないんだから、情報技術って大事だな。
完璧な都市計画に沿って造られた、完全な都市。
なんて触れ込みだけど、わたしにはとてもそうは思えない。
火星の都市はどこも似てるし。どこ行っても変わらないし。
効率を突き詰めた所為で、同じような結果に行きついてる。
いくらでも替えが効きそうなものなんて、正直、無価値だよね。
オートウォークに身を任せ、流れていく街並みを眺めながら、そんなことを考える。
ぶっちゃけ暇だから。とりあえず勢いで出てきたけど、特に行く宛てないしさ。
「んー、どうしよっかなぁ」
お金はあっても、あの人は居ないし。
両親のお墓参りなんて、何が楽しいんだろ。
優しかったらしいけど、お墓は喋ってくれないよ。
土の下に入っちゃったら、どいつもこいつも一緒じゃない。
でも、あの人は行くんだよね。
毎月欠かさず。義務みたいにさ。
よかったね、会ったこともないお二人さん。
今日もあの人は、あなた達に会いに行ってるよ。
あの人の声が、地獄の底には届いてないと嬉しいな。
「ふんっ」
死ねばいいのに。まぁ、死んでるけどさ。
あの人を残して。寂しそうな顔させて。
…………ホント、死ねばいいのにね。
空を見上げる。青一色の、カラッポの空を。
つまらない天気だと思う。
どこで見ても、たぶん一緒だ。
火星も。地球も。きっと変わらない。
だけどあの人は、こんな天気が好きらしい。
遮るものがないから、空に昇った人達に地上がよく見えるんだって。
そんな子供に言い聞かせるようなことを、あの人は子供みたいに信じてる。
まぁ、そういう所も好きだけどね。
だって可愛いし。胸がキュンてなるし。
なんてことを考えてたら、ふと行きたい場所を思いつく。
プライベート用の携帯端末を操作して、目的地へのルートを表示する。
特に事故情報はなし。このままオートウォークで行っても、たぶん十分くらい。
端末を閉じて、またボンヤリと。青色のカンバスを仰ぎ見る。
もっと空に近い場所に行けば、少しはあの人の気持ちもわかるのかな。
――――――なんてね。
どうしてこんな物を造るのだろうと、たまに思う。
目の前にはデーンと佇むおっきなタワー。この街一番の背ぇ高ノッポ。
火星の都市ならどこでも一つ、中心部に建てるらしい。まるで住民を見張るみたいに。
お役所関係も色々入ってるしさ。都市長の事務所とか、表に出す必要のないヤツ。
住民が利用する庁舎は周囲に纏めて建てられてるし、なんか悪の枢軸っぽい。
っぽいだけだけど。こんな場所で悪巧みする訳ないよね。観光名所だし。
大きなガラス扉を潜って、エントランスに入る。
相変わらずヒト多過ぎ。家族連れとか。友達連れとか。恋人連れとか。
色々居るけど、簡単に分類できそうだよね。似たようなヤツラばっかだし。
一山いくら。適当に取り替えたところで、だぁれも困らないんじゃないかな。
…………冗談だけど。お茶目な子供のたわ言だけど。
中央と、東西南北の五箇所にあるエレベーター。
今日の気分は東ということで、そっちの方に足を向ける。
まぁ、あの人が行ってる墓地が、街の東部にあるからなんだけど。
目指すは最上層の展望台。この街で一番高い場所。
遠く、小さくなっていく街並みを見下ろしながら墓地を探す。
どうせあの人は見えないだろうけど、少しでも繋がりを感じられたら幸せだ。
で、遥か彼方にポツリと墓地があった。
周りのビルに埋もれてるけど、ちゃんと確認できる。
ちょっと、胸の奥が暖かくなる。
そういえば、あの人の用事はなんだっけ。
忘れちゃったな。知らないったら知らないな。
ん、いつの間にか到着だね。技術の進歩で早い早い。
ほとんど揺れもなく、エレベーターが止まる。
狭いボックスから出た先は、広い展望台で。
広いのにヒトが多過ぎて、少し息苦しい。
ガラスの向こうには空が見えた。
随分とスッキリした青空が、少し羨ましい。
その下には無数に並ぶビルの群れ。
タワーを中心に真円を描く、整い過ぎた人工美。
更にその向こうには、未開発の荒野。
まだ人間の手が入ってない、不毛の大地が存在する。
「……養殖場、か」
火星で受精した胎児の中に、ゼロコンマの後ろにゼロがいくつか必要な確率で混じるエルフ。
あまりにも低過ぎる出生率に我慢できなくて、つい暴走しちゃった変態が、まぁ色々と。
単価いくらの人工授精。日に何千という命を造っては壊しの繰り返し。
色んな方法を試して。替えの効く命を使い潰して。
必死にエルフを生み出そうとする施設がある。
荒野の地下で、人目に隠れて好き勝手。お金を使って好き勝手。
これが一つや二つじゃ済まないんだから、科学者って変態の集まりだよね。
「やっぱり、わかんないなぁ」
――――――あの人が、両親を想う気持ち。
わたし、試験管ベビーだし。そこらの個人端末より安いし。
血の繋がったと言える存在なんて、最初から居ないんだよね。
だから血縁の愛情とか言われても、異世界の言葉に思えちゃう。
けどさ、これって素敵なことじゃないかな?
多くの人が捨てきれない血縁を、わたしは元々持ってない。
切っても切れない関係が、わたしは初めから繋がってない。
だからわたしは、あの人だけを見てればいい。想えばいい。
この青空よりも一つに染まって、愛情に溺れて死ねるんだ。
それって、すごくスゴく素敵なことでしょ?
あぁもう。ダメだ。笑ってしまう。抑えが効かない。
この気持ちは。この気持ちだけは。何物にも代えられない。
他の誰かじゃダメで。何かじゃダメで。あの人じゃなきゃダメなんだ。
世界には無価値でどうでもいい存在が溢れてるけど、あの人だけは違うから。
のっぺらぼうの街よりも。
のっぺらぼうの人よりも。
もちろん、わたしよりも。
あの人には価値がある。
比べちゃいけないほど。
比べようがないくらい。
あの人だけは別格だ。
「っと。ゴメンな、お嬢ちゃ――――――あれ?」
等価存在。そんな大層な名前を、アイツはわたしのチカラにつけた。
わたしの存在を、他の何かと等価にするチカラ。
たとえば空気。たとえば石ころ。たとえば他人。
それらのメタ情報を、わたし自身に上書きする。
コピー・アンド・ペースト。『わたし』を消して、別の何かに置き換える。
そうすることで、わたしという存在そのものを世界に誤認させるのだ。
あまりにもメタに寄り過ぎた、超常のチカラだとアイツは言った。
空気と等価になれば、何もかもが、わたしを空気として扱う。
人には見えない。動物さえ気付かない。カメラにだって映らない。
箸すら持てなくなってしまい、叫び声すら届かなくなってしまうのだ。
幸いにも空気のある場所なら移動できるけど、細い隙間なんかは通れない。
わたしの感覚だと自分のままだしね。もちろん、空を飛ぶなんて夢のまた夢だ。
アイツに言わせれば、わたしの認識が甘いからこんなにも中途半端になるらしい。
より自由な発想で世界と自分自身を捉えられれば、このチカラは進化するんだとか。
けど、成長とか興味ない。必要ない。望む訳がない。
わたしのチカラは可能性の塊だと、アイツは褒める。
アイツだけじゃない。他のヤツラもそうだった。
でもそんなの、わたしにとっては戯言だ。
わたしは空気になれる。わたしは石ころになれる。わたしは他人になれる。
なんにだってなれそうで、なんにだって取って代われそうだけど、そんなの嘘っぱちだ。
こんなものは自虐でしかない。
つまりわたしは空気みたいなものだとか。
つまりわたしは石ころ程度の価値しかないとか。
そんな値札を自分に貼り付けて、そこらの他人と変わらないって主張するんだから。
だったら、だったらわたしこそ無価値でしょ。
すべてと入れ代われるのなら。等価値になれるのなら。
わたしこそ他のなんでもいいはずだ。わたしこそどうでもいい存在なんだ。
このチカラが神様の贈り物だって言うのなら、きっとわたしは生まれる価値すらなかったんだ。
あぁ、でも。たしかにこのチカラは便利だ。
ぼやけて見づらいこの空よりも、周りの他人にはわたしが見えなくなるんだから。
さっきから止まってくれないわたしの煩い声も、他人に聞かせないで済むんだから。
そう。誰も『わたし』を認識できないのなら、他人に煩わされる心配もないんだから。
だから、だからこのチカラは便利だ。便利に決まってる。きっと、きっと――――――
「泣かないの。私がついてるから。ねっ?」
――――――ふわりと、温もりに包まれる。
耳を撫でた優しい声。それを聞くまでもなく、誰だかわかった。
だって、こんなことができるのは一人だけだ。たった一人しか、居ないんだ。
「ど、して……」
「ルエラが怒ってた。居場所はGPSで」
頭の上に、ポンと顎を乗せられる。
体を抱き締める腕に、ギュッと力が籠められる。
心地良い体温に絡め取られて、心がぐずぐずに溶かされる。
「また一人で泣いてた。いっつもだね」
「だって、だって…………」
あなた以外は、どうでもいいから。
あなただけが、『わたし』を見付けられるから。
所詮は人間の脳も、ある種のネットワークに過ぎない。
だったらそれは、この人の支配領域だ。少なくとも、自分のくらいは。
だからこの人にだけは、わたしのチカラが意味を成さない。わたしの方が弱いから。
「ねぇ。もう少し、このままで居よっか」
「うんっ。うん――――!」
強くなんて、なりたくないよ。
凄くなんて、なりたくないよ。
ありえないけど。あってはならないけど。
もしもわたしがこの人を超えてしまったら。
わたしは、一体誰の前で泣けばいいんだろう。
他の誰かなんて、いらないよ。
他の何かなんて、望まないよ。
わたしに価値を見出すのがこの人だけなら。
わたしが価値を見出すのもこの人だけだよ。
わたしは、わたしはね。
たった一人に染まって。
たった一人を想い続けて。
たった一人の為に死ぬんだ。
大好きで、大好き過ぎる、あなたの為だけに――――――
-End-