東庭園は、一般招待客用に解放された南北西の各庭園と作り自体は同じだが、その広さの割には人がまばらで閑散としているのは、限られた要人と、彼らから招かれた者達だけに限定されているからに他ならない。
その東庭園に足を踏み入れたルディアの目前では、元々あった東屋や、急遽設けられたであろう仮設の天幕の下、顔も知らぬ要人達の大多数がささやき合い、興味深げに向ける視線が、庭園中央付近に集中していた。
その視線を追えば、どうにもまた予想外な面倒事が起きたという嫌な予感しか感じられない光景が繰り広げられる。
要人達の注目を集めるのは少数の一団だ。
その一団の中にいた座長のハグロアが、ルディア達の到着に気がつき軽く手を上げ、その横にいたサナが実に申し訳なさそうに小さく頭を下げる。
しかし注視を集める一団の中心人物はサナ達では無い。
サナ達も止めることが出来ず遠巻きに見守るしかないのか、その中心でにらみ合い対峙する二人の女性の姿があった。
「この私をもって、リオラお姉様への敬意が無いとはよくもいってくれる。お姉様の残した剣譜がまともに演じられないからと、他人に当たっている方がよほど敬意が感じられないのでは」
対峙する二人のうち30代半ばほどの薄茶色髪の女性は、口調こそは落ち着いて冷静な色を保っているが、水面のように透き通るような青色の瞳には剣呑な色がぎらつく。
怒りのあまり魔力が手からあふれ出たのか、口元を隠す扇の根元が凍りつき、物理的に寒気を催す冷気を周囲に放っている。
極寒の怒気を含む強大な魔力は、術としての形を成しておらずとも対峙する者の心身を蝕む毒となるほどに強力。
しかしその魔力を真っ正面から受ける相手は、その圧力にも一切ひるんではいない。
頭2つ分は上振り下ろされる鋭い視線を、堂々と睨みあげるのは10代後半を超えた位だろうか。
褐色の肌色にその金髪がよく栄え、うら若き乙女と声高に主張する体躯でありながら顔立ちはりりしいと呼んだ方がしっくり来る美形で、その顔に合わせたのか純白の男性礼装を纏う少女だ。
「俺はあの方の剣戟に憧れ、請い、足掻いて、演じられる舞台へと至る道を死にものぐるいで手に入れた。届かぬ、至らぬ。だが至りたい。その渇望こそがあの方に憧れた剣戟師としての俺の原動力。それを八つ当たりなどと同列に語るとは、やはり演出家風情には、剣戟師の気持ちは分からぬか」
その服装に合わせたのか、それとも平時から男口調なのか、少女は淀みない反論で、女性の言葉を一笑に付す。
よく見ればその男装少女の瞳も、真っ青な水色を描き出している。
髪や肌は違えど、同色の水色の瞳は、龍由来の魔力を宿す一族の代名詞。
様式は大きく異なり、さらには性差もあるが、共に一流と呼ばれるであろう職人や工房の手による格式の高い礼装着に、刺繍された紋章にはルクセライゼン皇家の血筋を引く者だけに許される国章が見える。
その2つが導き出す答えは1つだけ。
どちらの女性もルクセライゼンより派遣された使節団の一員。それも准皇族と呼ばれる皇家の血筋に連なる大貴族。
「独りよがりの目立ちたがりの剣しか振らず、もめ事ばかりの猿山大将が大言を吐きますこと」
「本気でぶつかり合ってこそ良き剣戟が生まれると知らぬか。さすがは金に物を言わせる金満演出家だな」
口論をする二人は、ルディア達が到着したことにも気づかず、魔力が滲む冷たい舌戦を繰り広げ、一言一言が積み重なるごとに、庭園の気温が確実に下がっていく。
彼女らの正体が分かっても、なぜ夜会の場で洒落にならない本気の口論をしているかなど、ルディア達には分からないが、少なくとも、この場にこのまま止まっていると碌な結果にはならないというのは誰もが気づく。
ここまでの案内役をしてきたエンジュウロウなど、東庭園に入れば自分の役目は終わったとばかりに、無言で壁際に待避し、一介の警備近衛に戻ってしまっている。
ケイスに扮したカイラは、さすがにこのような状況でケイスがどう動くか予想もつかないのか、仮面の下で無言を保ち、他の客と同様に見守ることにしたようだ。
「なぁ、このまま回れ右でよくねぇか?」
「余興に引き出されたり、貴族の喧嘩に巻き込まれるよりはよほど建設的か」
ウォーギンの提案に、ファンドーレも賛成のようで、逃走用に隠匿魔術を発動させようとするが、ルディアはあきらめの息と共に制止する。
「後でサナさんに恨まれるから却下で。ひょっとしたら私達は関係無い件かもしれないし。私達が呼ばれた後に、たまたま偶然もめ事が起きたとか」
ここ最近、正確に言えばケイスに出会ってからの星の巡りを思えば、絶対にあり得ないだろうと心の中では確信しながらも、ルディアは一縷の望みを託すが、運命は一瞬の猶予も与えてはくれない。
「ばっちりこっち案件だ。薬師の姉さん」
口論の爆心地からいつの間に抜け出したのか、気がつけばルディア達の背後に待避してきていたハグロアが無慈悲な答えを告げる。
「どこのどちら様ですかあのお二人方」
ルディアもファンドーレと同意見で、巻き込まれたくないし、自ら厄介事に喜んで首を突っ込む趣味も無いが、どうせ嫌でも巻き込まれるなら、少しでも情報がある方がマシだと観念する。
「あっちの茶髪の女性が、俺らの業界ではかの有名な剣戟狂いの変人女侯爵レディーメギウスこと、メルアーネ・メギウス女侯爵閣下。ルクセの現皇帝の姪で、ルクセライゼン大公家の1つメギウス家当主代行。そこらの大国もしのぐ権力と財力持ちの大貴族中の大貴族様で、今回の友好使節団団長。ついでにあの馬鹿でかい劇場船の船主っておまけ付きだ」
「あーアレがか。こっちの業界でも、舞台演出用の魔具や技術開発の依頼予算が青天井って噂だったが、ありゃマジか。あの船まじで作る奴がいたのかってちょっと前に騒ぎになってたな」
年長の女性をハグロアが指し示すと、ウォーギンも覚えがあったのか得心がいったように頷く。
「それでもう一人。あっちの男装剣戟師が、ルクセライゼンで最近売り出し中実力派令嬢剣戟師として、こっちでも名が聞こえ始めてきたミアキラ・シュバイツァー伯爵令嬢。准皇族シュバイツァー大公直系の孫だったかな」
「シュバイツァーって大英雄の一族ってことですよね。ロウガへの友好使節団には適しているでしょうけど、なんでこんな事に」
予想以上のビックネームとそこに見え隠れしてくる厄介事の大きさに、ルディアは恨めしげに声を上げる。
ルクセライゼン大公家とは、かつて南方大陸に存在した国々の王家の末裔であり、ルクセライゼン皇帝の后となる娘を、そして次期皇帝の母たる国母の生家となる資格を持つ準皇族と呼ばれる名家中の名家。
何よりシュバイツァーの家名が指し示すとおり、大英雄フォールセン・シュバイツァーの出身家門。
メギウス家。そしてシュバイツァー家。
この両家がいくつかあるルクセライゼン大公家の中でも、隆盛を誇る有力家門同士というのは、ルクセライゼン大陸とは縁の無いルディアでも、世間一般の常識として知っているほどだ。
「メギウス当主代行と、シュバイツァー家令嬢が、お飾りとはいえ他国王家主催の夜会で口論か。時代が時代なら、戦の一つや二つ起こせる口実になりかねない。立場を考えていないのか、ロウガ王家を軽んじているとしか思えんな」
皮肉たっぷりの成分を含んだファンドーレはあきれかえっているが、その中心に巻き込まれているサナの心情はそれどころでは無い。
落ち着き無く動く背中の羽からも、その焦りを見て取れるほどだ。
「……国王陛下ご夫妻は? ホストならこういうときに仲介に出ても」
「両者ともあくまでも演出家と剣戟師としての意見の相違をぶつけているって体を取っている。ロウガ王家は象徴的存在。この程度のもめ事で、どっちかの家に肩入れしたって取られるのはリスクがでかすぎる。同時に他国のお偉いさんらもわざわざ火中の栗を拾いにはいかんよ」
「じゃあなんでサナさんがあの場に? ハグロアさんも最初いましたよね」
「姫殿下にご紹介いただいて、船主兼興行主にあたる女公爵殿に俺が挨拶をしてた所に、あっちのご令嬢が乱入してきたんだよ。原因は、まぁこっちだ。素人を自分達と同じ舞台に上げるつもりかってな。相変わらずいろいろ引き起こるな」
そう言ってハグロアが、カイラへと目を向ける。 もっともその意味は、カイラが演じるケイスを指しているのは明白だ。
「手前味噌になるが俺ら一座はそれなりに名も知れているし、評判もそこそこ。シュバイツァー嬢も文句は無いそうだが、そこに実力もしれない仮面剣戟師それも中身が嬢ちゃんだと噂されるなら話が別だとよ。自分達と同じ舞台に立つ資格があるのか、剣戟師として試させろって喰って掛かってきてた」
「試すって、まさかこの衆人環視で剣戟をやって見せろって事ですか?」
「剣戟師が試させろっていうならそれしかないな。だけど女侯爵殿は、今日の招待客の中には初日の舞台を見に来る客も多い。今回の目玉を先に見させて、初見の楽しみを奪う気かって、演出家として大反対。そのうちヒートアップしてあの有様だ。今はあの劇場艦の艦名の元になった剣戟師をどちらが崇拝しているかの争いに移行してるって所だ」
「あぁっ……そういうことですか。こんな状況下で呼ばれた理由」
今の説明でサナが自分達を呼び出した理由をルディアは悟る。悟ってしまう。
この修羅場にケイスをぶち込むなんて、正気の沙汰では無い。余計に混乱を引き起こすだけだと、簡単に予測はつく。
予測はつくが、それでも最悪の事態にはまだ至らない。
予測できる最悪の事態。
例え見世物であろうとも自分の剣を疑われた、貶されたとケイスが聞き及べば、最悪、斬りに行きかね……いや確実に斬りに行く。それこそ私の剣を見せてやろうと。
相手が他国の大貴族だろうが何だろうが、時も場合も考えずに襲いかかる。
それならまだコントロール可能なこの状況下で、ケイスを引き出す方がマシだ……そう判断する。
それはルディア達だけで無く、多少でもケイスを知る者達なら、同じ考えに行き着く。
先のコントロール不能の面倒を考え、この状況でサナがケイスを呼ばない方が不自然。
それほどまでに直情径行な馬鹿だ……本当のケイスならば。
「……どうする?」
ケイスを模すカイラがどう答えるか?
答えの予測はついていたが、ルディアが見下ろすと、仮面少女は未だ口論を続ける二人を見据え、一歩前に足を踏み出し、
「ふむ。剣を振る機会ならば剣を振らずしてどうする。私は剣士だぞ……そこの剣戟師! 私”が”試してやろう! お前達が誇りに思う舞台が、私が剣を振るうにふさわしいかをな!」
傲岸不遜。自信過多。傍若無人。
上から目線のケイスらしい台詞で、自らもめ事に切り込んでいった。