イゼルローン要塞。
この単語の持つ意味は複数存在する。
直径60kmの人工天体。帝国側最前線拠点。
四重にもわたる超重装甲と、凶悪極まる武装を備えた最強の要塞。
だが、宇宙暦七九六年以前の同盟領内の軍人にとって、その要塞の持つ意味は、微妙に異なっていた。
宇宙暦七六七年に完成して以来、同盟軍の侵攻を完全に支えきり、幾度もの戦役で帝国の勝利に大きく貢献したその巨大要塞は、
同盟に所属する軍人にとって、倒すべき帝国のもっとも分かりやすい象徴であった。
「その占領を、半個艦隊で行えと?」
「君に出来なければ、他の誰にも出来ないだろうと思っているよ」
校長の殺し文句にしては芸が無い。思わず視線を天井に逸らして考えこむ。
少将への昇進と同時に告げられた無理難題。
本来ならば、理由を上げて再考を願うべき命令だった。
だが、ヤン・ウェンリー個人にとっては、ある意味見逃せない話でもあったのだ。
ヤン・ウェンリーは、これまで第五次、第六次イゼルローン要塞攻略戦に参加した経験がある。
戦術面では小さな勝利を収めたこともあるが、戦略的にみればどちらの戦いも同盟の敗北と称して良い。
数多の将兵が僅かな光と共に散華していく戦争に対して、ヤン・ウェンリーは居た堪れない思いを抱いていた。
(戦略上の要地に建造された要塞。それを正面から叩いてる時点で駄目なのではないか?)
……戦史上、要塞というものが大きな役割を果たした回数は少なくない。
強固な防御陣地というものは戦術上非常に効果的であり、相手の攻勢の意図を弱める抑止力としても強力に作用した。
(逆に防御側の攻勢意欲を減退させ、イニシアティブを握る機会をみすみす見逃してしまうケースも存在したが)
これを攻略するのにはどのような方法が取られてきたか。
もっとも身も蓋もないものは、戦略上役に立たないようにする、である。
たとえば迂回。別方面での攻勢。外交的手段による無力化。
技術が発展した結果、時代遅れになった要塞があっさり落とされたケースもある。
どんなものであれ、絶対の存在などないのだ。
(……例えば、軍の予算を投入して長距離ワープを実現化できれば、イゼルローン要塞なんて何の意味もなくなる)
その程度のものでしかない物に、数十万もの死者を同盟は量産させている。
作戦参謀としては最善を尽くしたつもりではあった。
だが、……他に出来る手があったのではないか。
「少々、考えさせてください」
即座に返答が出来なかった元生徒に対して、統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥は軽く頷き、期待していると一言だけ付け加えた。
シトレの次席副官でありキャゼルヌは、後輩に対してばかだなあとでも言いたげに笑った。
「お前は本当にばかだなぁ」
「自覚してますから。わざわざ口に出して言わないでいいですよ」
仏頂面で言うヤンに、キャゼルヌは資料を渡しながら言葉を続ける。
「6回もの同盟の全力攻勢に耐え切った大要塞を、半個艦隊で落とすなんて冗談を、真に受けてどうするんだ」
「……冗談なんですかねぇ」
珍しく真面目に考え込んでいる後輩に、キャゼルヌは苦笑した。
「シトレ元帥だって、駄目で元々程度でお前の考えを聞きたかったんだろうさ。
強行偵察でお茶を濁しておけば十分だろう。
……半個とはいえ、艦隊を預かるんだ。無茶なマネはするなよ」
「まぁ、半個だろうが1個だろうが、艦隊でアレは落とせないってとこには同意しますけどね」
ふと、キャゼルヌは寒気を感じ、そして思い出した。
彼が知る限り、ヤン・ウェンリーという人間は非常にドライな一面があった。
判らないことは判らない。
出来ないことは出来ない。
若干軍人としてどうかと思うことはあったが、彼は遠まわしな表現を使わずスパっとそう口に出す人間だった。
……その彼が、イゼルローン要塞を半個艦隊で落とせという無茶に対して、出来ないと断言しようとしていない。
「……勝算があるのか?」
「目算がつけば、色々お願いするかもしれません」
その時はよろしく。
ヤンの砕けた敬礼に、キャゼルヌの答礼は、わずかに遅れた。
作戦本部のロビー。
自宅に帰ろうとしたヤンの行く手を、一人の黒服の男が遮った。
「ヤン・ウェンリー准将ですね」
「はぁ、そうですが」
男のキビキビした動きから、軍人か警官だろうと目算を付けたヤンは首筋を掻きながら応えた。
ごく自然に受付の中尉に視線を向けてみるが、彼女はこちらから判るように目を逸らした。
つまり厄介事か。
相手が受付中尉が追い出せない立場の人間だと理解したヤンは、それなりの覚悟を決めた。
だが、相手が口に出した言葉にはさすがに当惑した。
「ヨブ・トリューニヒト国防委員長が貴方をお呼びです。
車を用意してありますので、こちらへ」
「……今日は驚くことばかりだね、本当に」
思わず素が出た言葉を、相手は丁重に無視してくれた。