首が道ばたに落ちていた。
胴体と喉仏の下あたりが綺麗に分離している首だった。
評することもないが強いて言うなれば、どうしようもないくらいに、それはどこまでも普通の生首である。鴉がカーと鳴いて生首の上空を旋回していた。
「全く、首を落とすなんて一体何処のどいつだ。間抜けな奴め」
このままでは死んでしまうではないか。
私はそうぼやきながら、生首を啄もうとしている鴉を手で追いやりつつ、それを傷つけぬよう大事に抱えた。
持ち主に返してやらねばならぬ。生首をそのまま道に置いておくのは非常に危険だ。今のように鴉や何やらに食される可能性もあるし、運転を誤った車がついうっかり潰してしまうかも知れない。
警察に届けるのが筋というものなのだろうが、交番に届けた届け物が本人の元へキチンと届いた例を私は知らなかった。
生首を抱えて平坦な道を歩く。
まだ生首に未練があるのか、鴉は私の上でグルグルと回っていた。
「ええい、意地の悪い奴め。これは貴様の餌ではないぞ」
えいえい、と手で追い払おうとするも一向に消える気配がない。
私は鴉が諦めるのを待つことにして、そのまま無視して歩いた。
どれくらい歩いていただろうか。平坦だった道はなだらかな坂道となっていた。鴉は未だについてくる。
諦めの悪い奴だ。そう思っていると、ふいと背後から声をかけられる。
「もし」
その声は凛とした空のように澄み渡った声だった。実に綺麗な声だ。男の声は、どうもこのように綺麗と言い難いものがあるから、逆説的にこの声の主は女性であろう。
私はその声の主の方に振り返ると、軽く会釈をした。やはり女性だった。
その女性も生首を抱えている。その生首は見覚えのある顔立ちをしていた。
はて、どこかで見たような顔だがなんだろう。怪訝そうにしているのが顔に出ていたのか、女性は少しばかり怖がっているような表情を浮かべていた。
「いや、すまぬ。どうも貴方が持っている顔に見覚えがあってな」
そう言うと、女性は「そうですか」とだけ呟くと、その生首を私に差し出した。
「落としましたよ」
まさか、と思って生首を抱えている片手を離し、自らの顔に触れようとすると、そこにはあるべきものがなくスカスカと空を切るばかりであった。先ほど、私は生首を持っている奴に間抜けな奴と罵ったが、私も間抜けな奴だったようだ。その上、自分の顔すら分からぬとは。
この女性にそう思われていると思うと非常に情けなく、また恥ずかしかった。
「すいません。ありがとうございます」
そう言って、私は私の生首を受け取るとそれを本来あるべき所に戻す。カーと鴉が鳴いている。啄まれなくて運が良かったと心底から思った。
「いえ、かまいませんよ。お互い様ですからね」
女性はクスリと魅惑的な笑みを浮かべたが、間抜けな奴になってしまった私は彼女の笑みは私を馬鹿にしているように見えてしまって、どうしようもなく居心地が悪かった。
「お互い様と言いますが、私は貴方の生首を拾ったことなどないです。この場合、片方様が正しいのでは?」
などとつまらぬ冗談を飛ばして場をごまかそうとするものの、私の冗談はやはりつまらなく女性が可笑しそうに笑ってくれることはなかった。
ますます居心地の悪くなった私は蟻のように小さくなってしまった。その時、女性はクスリとまた笑った。
今度こそ馬鹿にされたのだと思い、多少激昂してしまった私は何か言ってやろうと口を開くが、その瞬間に自己嫌悪ときまりの悪さを覚え声を発することが出来ず、まるで金魚のように口をパクパクと情けなく動かす。
それを見て女性はまたクスリと笑った。
それを見て私は女性に対し、よくも此処まで人を馬鹿に出来るものだという強い不快感を覚えると共に、こんな自分が心底嫌になった。最低限の礼儀をつくすために頭を下げてこの場を去ろうとした時、女性が口を開いた。
「お互い様ですわ。だって、その生首は私の旦那のものですもの。ありがとうございます」
あんぐりと、私は情けなく口を開いてしまった。
なんと言うことだろうか。この女性は私を嘲笑していたのではなく、お互い様なのにも関わらず片方様などと言ったあげくに、その冗談が通じなかったと落ち込んでいる私の姿が滑稽に見えて笑っていたのだ。
手前勝手に自分が馬鹿にされているものと頑なに信じ、この女性に対して嫌悪感を覚えた自分を深く恥じた。共に強烈な罪悪感と自分に対する嫌悪感が私を襲い、私の心はそれで満たされてしまった。何という卑屈で嫌らしい男なのだろうか、私は。
「あ、いや。それは気付きませんでした。どうぞ」
そうゴモゴモと下手な言い訳でもするように言って、抱えていた生首を女性に渡す。
「申し訳ございません。それでは」
そう言って頭を下げた女性は、そのまま平坦な道の方に消えていった。カーと鴉が鳴いている。
「ええい、此処には貴様の餌はないぞ! 別をあたれ」
鴉に対してそう言うものの、鴉はガンとして聞かず、私の頭上をクルクルと回る回る回る。
幾度となく罵詈雑言の嵐を浴びせてやったものの、鴉の奴は素知らぬ顔で旋回している。
しまいには殺して焼き鳥にしてやろうかと物騒な考えが頭に浮かび捕まえてくびり殺してやろうと試みるが、生憎なことに、空を飛んでいる鴉を捕まえることが私には出来なかった。無駄に体力を消耗して、ぜえぜえと肩で息をする程になって漸く私は鴉捕獲を断念する。
なんだか、どうしようなく自分が矮小でくだらないゲスな人間に思えて仕方なくなった。鴉はカーと相も変わらずに鳴いている。
いずれ、どこかへ行くだろう。
私はそう判断して緩やかな坂道へと足を進ませることにした。
クルクルと鴉は私の頭上を旋回していた。