「……じゃあ、きょうちゃん。今日はここで」
帰り道、わたしはいつもきょうちゃんと別れるずっと手前で、きょうちゃんに言う。
「ん? どうしたんだ麻奈実? 買い物か?」
「うん、ちょっと友達と待ち合わせしてるの」
「なに!? 麻奈実、男か! 男なのか!?」
きょうちゃんの表情が変わる。
「ち、違うよぉ。女の子だよ」
「そ、そうか……な、ならいいんだ。麻奈実も俺とばっかりじゃなくて、たまには女の友達も大事にしないとな。うんうん」
きょうちゃんは、自分で納得してる。
「うん、じゃあ、ゴメンねー!」
「お、おう。また明日な……」
きょうちゃんは、独りで高坂家に向かって歩いていく。さてと……
「……いつからそこにいたのかな?」
わたしは、5メートルほど後ろの塀に隠れている人物に声をかける。
「えーと……10分ほど前から尾けていました」
あやせちゃんは、ティーンズ雑誌のモデルをやってるだけあって、隠れてるつもりでも目立つ。
「そう。じゃあ行こっか、あやせちゃん」
「ハイ、麻奈実さん!」
あやせちゃんは駆け寄ってくる。
「桐乃ちゃんの状況は?」
「相変わらず、麻奈実さんについては大絶賛ネガティブキャンペーン中です。お兄さんについては全く喋りません」
「具体的には、どんな感じかな?」
「アニキと幼なじみだからって調子こいてるとか……あとはメガネだとか地味だとか地味だとか……そ、その……ぽっちゃりさん気味だとか……」
アハハ、あいかわらず言ってくれるのね、桐乃ちゃん。
「なるほど、でもソレが悪口になると思ってるのかな。きょうちゃんは、そのぽっちゃり気味のメガネが大好物だってのは、桐乃ちゃん自身が見せてくれた、きょうちゃん秘蔵のエッチ本でも分かってることなのにね」
桐乃ちゃんは、『自分のほうがかわいいはずなのに』『きょうちゃんの好みじゃない』ことが、どうしても納得できないみたい。
「たぶん、お兄さんを『いつでも狩れるのに狩らない余裕』が桐乃を苛立たせてるんじゃないかと思うんですけど」
あやせちゃんは、ズバリと言い切る。
「『いつでも狩れるのに狩らない余裕』なら、あやせちゃんも同じじゃなかったっけ」
そう、見た目だけならあやせちゃんのほうがわたしよりきょうちゃんの好みみたいだけど。
「い、いりませんよ男なんて! わたしは一刻も早く麻奈実さんの手でお兄さんにとどめを刺してほしいからお手伝いしてるんじゃないですか!」
ん? 何かなこの違和感。
「わたしじゃなくても、黒猫とか瀬菜とか、あやせちゃん的には使える駒はいくらでもあるんじゃないかな?」
わたしは、あえてあやせちゃんが知らなそうな名前を挙げてみる。
「……誰ですか? それ」
あやせちゃんは、怪訝な表情になる。
「んっとね……きょうちゃんと桐乃ちゃんが、わたしたちに見せてくれない方面のお友達」
つまり、オタク方面の友達。しかも女。
「ああ、でも……その……こう言っては失礼ですが、オタク方面の女性はあまりパッとしない地味な見た目の子ばっかりじゃないんですか?」
あやせちゃんも、モデルだけあって大した自信家なんだね。
「ふえ? ……黒猫も瀬菜も、加工前なのにわたしよりはるかにかわいいけど?」
この2人は、化粧をすると間違いなく大化けするんだよ。
「加工前なのは麻奈実さんも同じじゃないですか」
たしかに、わたしもここ一番での勝負を考えて、化粧は控えてる。
「でも、わたしは性格と挙動が加工済みだからなぁ……」
「いえいえ、麻奈実さんの堂に入った猫かぶりっぷりには、加奈子でもかないません」
なぜかあやせちゃんは、わたしの右手を両手で握り締めて言う。
「加奈子ってだぁれ?」
わたしは左手の指を頬に当てて小首をかしげる。
「それです! 大半の女ならムカつくけど大半の男には効果抜群のそのかわいい挙動! 加奈子も弟子入りさせたいぐらいです!」
あやせちゃんは、鼻息をフンフンさせながら断言した。
「まだ加奈子ちゃんの説明をしてもらってないよ?」
わたしはふんわりと、笑いながら答えた。この表情を完成させるのに3年かかったのよね。
「か、かか加奈子はわたしと桐乃の学校の友達で、以前麻奈実さんにヤキの入れ方……あわわ、禁煙方法を教えてもらったアイツです」
途端に両手を離すあやせちゃん。
「わたし、群れるのあんまり得意じゃないんだぁ」
「こ、心得ました。ところで、黒猫と瀬菜っていうのは、どういうオタクなんでしょうか?」
あやせちゃんは、無理やりのように話題を変えた。
「わたしもオタクには詳しくないけど、黒猫は黒髪ストレートで日本人形みたいな、あなたを暗くした感じだけど顔の造作はあなたと同レベル。瀬菜は、わたしを大人っぽくお洒落にした感じで巨乳」
偶然2人とも、見てくれ的にはなんとなく互いに似ている系統だということは理解している。
「オタクも侮れませんね。でもどういう系統のオタクなんですか?」
「2人とも、なにかを作ってる系だってことは分かるけど、作ってるもの自体の意味は分からない。でも見てる限りだと黒猫は電波文章だけど『いきなり本質を突いてくる』し、瀬菜はまじめっ子だけど『根本的に頭が切れる』って感じかな。賢いって意味でも、変態って意味でも」
わたしは、さっきまでの会話で分かっている情報を公開した。
「はあ……一筋縄じゃいかなそうですね」
「あやせちゃん的には、目的が達成できるならどっちかに乗り換えてもいいんじゃないかな?」
ついでに、あやせちゃんを揺さぶってみた。
「とんでもない! わたしも勉強しました。『幼なじみは無条件で最強かつ魂の還る場所』なのは男子にとってセオリーなんです! 桐乃もそれを無意識で感じてるからこそ、必死で麻奈実さんのネガキャンをしてるんですよ? あんなかっこ悪い桐乃は……」
あやせちゃんは言葉に詰まる。
「……嫌い?」
私は先を促してみる。
「……それもまたアリかなぁ、と思わないでもない自分が恨めしいです!」
……なるほどね。
「女子の場合、『幼なじみはとりあえず踏み台、というかわらしべ長者のワラ』がセオリーなんだけどね。黒猫はその構図を直感的に見抜いてるし、瀬菜は桐乃ちゃんの劣勢をひっくり返す智謀を持ってると思う」
女子は本質的に『薄情で義理人情を重んじないから』男子は絶望する。だからわたしは、その薄情さを徹底的に排することでこの戦いに勝つつもりでいる。黒猫はその構図に気付いているが何もしていないし、瀬菜は何とかできる頭があるのに大局が俯瞰できていない。
「どちらも一人で状況を把握してて戦略もある麻奈実さん相手には、とうてい勝ち目がありません。3人がかりで桐乃を推さない限りは、この局面はひっくり返ることはないと思います」
あやせちゃんも、けっこう俯瞰して局面を見ているんだね。
「普通にきょうちゃんを落とすだけならいいんだけどね……わたしも、ブラコンをこじらせた彼氏の妹に嫌われるのは避けたいことろなんだ」
「わたしも、桐乃がシスコンをこじらせたお兄さんの毒牙にかかる前に、なんとかモノにしたいところです」
とりあえず、いまの失言は憶えておこうっと。
うん、やっぱりそうなんだ。これからは出来るだけ、あやせちゃんとは2人きりになる事態は避けよう。
「さあ! これからメイクの個人レッスンですよ! 早く二人っきりになりましょう!」
……もう遅かった。弟のロックを呼んで立ち会わせよう。