全ての現象が逆転した。
それまで存在しいた虚無が薄れていく。
記憶がそれまでとは比べものにならない速さで流れていく。
一秒が、一日となり一週間となり一ヶ月となり一年となる。
あまりの高速スクロール、爆裂にも等しい情報の圧力が瞬く間に収束していく。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。
五感の全てが霧散していた情報を意味あるものへと統合整理していく。
恐ろしい速さで混沌が秩序の形に収束し、そこに意味情報を形成していく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ゼロの使い魔~望郷の声~
不意に大きな影が体を覆う。
混濁した意識がようやく回復してきたところに現れた男を見上げる。
抜けるような青空を背景にした威圧的な風格を持つ男は、したったらずな幼子の言葉を聞くと不器用な笑顔で答えごつごつした手を頭にのせた。
それは当たり前の空腹と大きな安心で始まった原初の記憶。
◇
トリステイン王国の南部、水の精霊が住まうラグドリアン湖を臨む地域を治めるラ・ファイエット家は、その起源をトリステイン王国建国時にまで遡る。
彼の地に在りて細々と代を重ねてきた隠者たちであったが、数百年前より王家に仕え、短い戦の中で多くの戦果を上げたことで時の王より爵位を授かり、トリステインの名門貴族の一角へと成長を遂げていった。
しかし、15年前。歴代最高と謳われた当主であるエティエンヌ・アルマン・ド・ヴィゴー・デュ・プレッシ・ド・ラ・ファイエット侯爵の息子が病に倒れたという噂が流れた。
古くから続くラ・ファイエット家は、“古き血”を持つ一族として、ハルケギニアでも有数の実力を持つメイジを代々輩出してきた。
故にトリステインでも有数の血脈が途絶えるということは、王家にとっても大きな損害になると思われたがあっさりとその噂は消え去った。
噂が流れ始めた翌年、王家の社交の場にラ・ファイエット侯爵が嫡子を連れて現れたからだ。
その子供は驚くほど活発な子供で誰が見ても健康優良児であり、生まれつきの病弱さは見て取ることは出来なかった。
病に倒れたということがたんなる噂であったため、元気な子供でもなんら不思議ではない。
だが、それまでまったくと言っていいほど社交の場に出た事のないラ・ファイエット侯爵の息子が当人であるか否かを判断できる者はいないのもまた事実だった。
その事でまた噂が流れたが、そのどれもが憶測の域をでなかった。
さらにその翌年には、ラ・ファイエット家では前例のない双子も生まれ、その子らはどちらもエティエンヌの魔法の才を色濃く受け継いでいたことで次代は安泰とされた。
しかし、ラ・ファイエット家の跡取りとなるはずの長男、セイ・ド・ラ・ファイエットは、弟妹が生まれて以降、社交の場に現れることは殆どなくなった。
大きな行事に稀に顔を出す程度で領内に閉じこもっていた。
たまに社交の場に現れる際には、幼き日と変わらぬ快活さを保持していたため、病気がぶり返したということでもなく、さまざまな憶測が飛び交ったが、それでもラ・ファイエット家の長男は領内から出ることはなかった。
◇
ブリミル暦6241年、フェオの月。
それまでの長い年月を過ごした屋敷と領地を後にする。
人生を大半を過ごしたファイエット領の外はどこまでも新鮮なのだ。
馬車に揺られながら外を眺めるその目にはすべてが尊く映っていた。
普段ならば落ち着きがないと注意されるものだが、これからは目付け役がいないので自由に感動を表情や態度で示す事が出来る。
意図して気を緩めているわけではないが、この10数年の間に染み込んだ貴族としての威厳や振る舞いを強引に保とうとする体が表情をおかしなものにしていた。
その不器用な表情は、侯爵と瓜二つだとよく言われるようになった。
馬車に揺られること丸一日。
目新しい街道やすれ違う馬車、行き交う人にを観察していた瞳が石造りの城らしき建物に向けられた。
一本の大きな塔を五つの塔が囲うように聳えている。
トリステインでも長い歴史を誇る由緒正しい貴族の子息が集う『トリステイン魔法学院』。
これから学び舎となる魔法学院を前に肩が重くなる。
――― おぬしが気負う必要はないであろう、セイ ―――
何処からともなく声が響く。
「そうはいかない。ここでの生活は他の貴族との競争の場でもある。家名を汚さぬよう気を引き締めなくては……」
――― その割に色々と目移りしていたようじゃが、吾の気のせいであったか? ―――
「……。何事も経験が大事。好奇心は進歩の原動力のひとつでもあるから」
声の言葉にセイと呼ばれた少年は、尤もらしく言い訳を並べようとするが、姿の見えない声の主はクックックッと意地の悪い笑い声を響かせる。
――― あまりきょろきょろしていると不審者と勘違いされるやもしれぬぞ ―――
笑いが止まらないらしく、声の主は含み笑いを続ける。
反論しようにも声の主に対して強く出れないセイは押し黙る他なかった。
周囲では、セイと同じようにトリステイン魔法学院へ入学する若者たちが到着し始めていた。
――― 若人に幸あれ ―――
これから始まる新生活に期待や不安を抱えるセイを含めた生徒たちに声の主は囁いた。
◇
入学の式は学院の敷地内の中央に位置する本塔の中にあるアルヴィーズの食堂で行われた。
最初に90人前後の入学者たちを三つのクラスに分けられ席に着いて学院長であるオスマン氏の登場を待っていた。
程なくして教師たちを引き連れたオスマンがアルヴィーズ食堂の中二階に現れた。
「諸君! ハルケギニアの将来を担う有望な貴族たれ!」
オスマンの立派な言葉に教師や生徒達は一斉に拍手をした。
もっとも中二階の柵を越えて飛び降り、『レビテーション』の魔法で着地しようとしたが間に合わず一階のテーブルをだめにしていた。
そこは『レビテーション』ではなく、余裕を持って『フライ』の魔法で良かったのでは? というツッコミが1割未満。残りは学院長は間抜けな年寄りという認識を固めた。
――― まったく、オスマンは相変わらずよな ―――
「(た、確かに普段はお調子者だが、メイジとしての実力は本物だ。それに教育に関しても熱心なお方だ)」
――― おぬし、その評価は口外せぬ方が良いぞ ―――
この学院でどれだけのメイジがオスマンをセクハラスケベ爺さん以上の評価を持っているのかを考えれば声の主の言う通りであった。
学院長の評価に対してセイと声の主が口を開かず討論しているとすぐ後から笑い声が食堂内に響いた。
皆の視線と同じように後方を確認すると居並ぶ貴族達の中でも一際目立つ容姿を持つ赤髪の少女が笑い転げていた。
クラス分けの説明をしていた教師が睨みを聞かせたが、少女は気にした様子もなく笑い続けた。
そんな赤髪の少女を容姿が正反対の青髪の小さな少女が見つめていた。
「……?」
――― どうした。知り合いでおったか? ―――
「(……いや)」
式の真っ最中に騒動を起こすようなことは好ましくないが、一生徒である自身が殊更注意する必要性も感じられないとセイは視線を前方に戻し式の再開を待ったのだが――、
「そこの貴女! 今、先生方が大事なお話をされているのよ。お黙りなさい!」
赤髪の少女の態度を見かねた一人の生徒が立ち上がった。
桃色がかったブロンドと意志の強そうな鳶色の瞳の少女。セイは見知った顔の少女に若干の驚きとため息をついた。
先ほどからの傍若無人な赤髪の少女に桃髪の少女は腹に据えかねたようだ。
それが互いに名乗りを上げたことでさらに険悪なムードになった。
赤髪の少女はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。ゲルマニア出身の貴族。
桃髪の少女はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。トリステインでも有数の名家、ラ・ヴァリエール公爵の三女。
ラ・ヴァリエールとフォン・ツェルプストーは国境を挟んだ領地で先祖代々戦争の度にぶつかり合った敵同士なのだ。
ラ・ヴァリエール家と多少縁があったセイは、ルイズとキュルケは水と油とまではいかなくともそれに近い関係になると理解できた。
ルイズは睨み付け、キュルケは余裕をもった微笑。そしてキュルケを冷たい目で見据える青髪の少女。
当然のことながら三人は教師に怒鳴られた。
◇
クラス分けによってセイが配置されたのはソーンのクラス。
――― ふむ。騒ぎにはこと欠かなそうな者たちがいるではないか ―――
善き哉善き哉と、囁きかける声にセイはため息をつく。
この学院に入学してセイが始めて学んだ事は、ため息は感動した時以外に気疲れした時にもだということだった。
しかも後者の方が圧倒的に多くなりそうな予感もあった。
ソーンのクラスには異色な二人が混じっていた。
入学式で騒ぎを起こしたキュルケと青髪の少女、タバサ。もっとも騒いでいたのはキュルケとルイズだったのだが。
まず、キュルケという少女は恋多き乙女であった。
ゲルマニア女の特徴といわれる野性的な魅力と、その胸元から覗く大きな谷間にクラスの男子の視線を独占し、女子の嫉妬を浴びた。
キュルケは入学早々に三人の男子を色仕掛けで陥落し、信奉者を作り上げた。
その三人がキュルケとの交際をかけて決闘を行ったが、結果が出た時にはすでに四人目がキュルケの横に侍っていた。
そのように五人目、六人目と男たちを陥落させていったキュルケに対して嫉妬深いトリステインの少女たちの怒りは当然であった。
キュルケに男を奪われた女連合なるものが結成され、キュルケのもとへ談判に行った。
だが、そんな少女たちをキュルケは鼻で笑って軽くあしらい自身の矜持を宣言して黙らせた。
――― 聞き及んだところでは「相手にとって一番大事なものは奪わない。一番を奪う時は命がけで」とのたまっておったぞ ―――
「(貴女のは、「聞き及んだ」とは言わない。だが、なるほどだ。フォン・ツェルプストーの名は伊達ではないな)」
――― なんじゃ、おぬしは敵国の者を褒めるのか? ―――
「(生憎と私は歴史を書物でしか知らないからな。戦時ではない今は同じ学院で学ぶ友人だ。それに彼女の振る舞いは、私個人としては好ましくもある。……交友関係はあまり宜しくないようだが)」
――― ふん。おぬしも奔放な気質ゆえにそう感じるのじゃろうな ―――
ラ・ファイエット家の者としての教育を受けてきたセイの生来の性格を知る者は片手で数えられるほどしか居ない。
その一人が声の主であるため、猫被りなセイの口調や態度に口を出すことも多い。
◇
さて、トリステイン魔法学院が新学期を向かえ、セイは戸惑うことが多々あった。
その最たるものが生徒のレベルだった。
十年以上もの期間、ラ・ファイエットの名に恥じない魔法使いとなるために指導を受けてきたセイにとって、一年の生徒の大半がドットのメイジで占められラインであれば自慢できるということに驚きだった。
ラ・ファイエット侯爵をはじめ、セイを指導したメイジが、スクウェアだったのでそう感じるのも致し方ない。
メイジの力の強さは、各系統の属性を幾つ足せるかで示され、1つの系統しか使えない者は『ドット』2つの系統を足せる者は『ライン』、3つ足せる者は『トライアングル』、そして4つ足せる者は『スクウェア』と呼ばれる。
長い歴史を持つ家系であるラ・ファイエットの血筋の者は、若年でスクウェアクラスまで上り詰める。
その中にあって、齢17のセイは、トライアングル。
同世代のメイジと魔法を競い合うことなどなかったセイは、魔法学院に入るまで自身のことを劣等生であると思っていた。
現に弟妹は、13歳の誕生日を待たずして、スクウェアにまで成長した。
セイは、実際に『戦闘』を行えば遅れは取らない自信はある。だが、メイジとしての『決闘』であれば4つ下の弟妹に敵わぬことも理解していた。
実際、その弟妹に幾度となく決闘ごっこで打ちのめされたセイにとって魔法学院の現状は学び舎としては若干物足りない。
自身の実力と同等若しくは上回る実力を持つ者たちと競うことで向上しやすくなると思い、魔法学院への入学を受け入れたのだから落胆するのも無理はなかった。
そんな中、入学より気になっていた人物の実力を知り、予想が当たっていたことに驚いた。
それは長い黒髪に漆黒のマントを纏った『疾風』の二つ名を持つ教師、ミスタ・ギトーが受け持つ『風』の初回授業でのこと。
「今年の新入生は、不作だ」
『風』の授業でギトーが開口一番に冷たく言ったこの言葉に、授業の為に中庭に集められた生徒の大半が不満を懐いた。
教育者とは思えぬ言動で生徒を見下すギトーに反感を懐かない生徒はいないだろう。
ラ・ファイエット侯爵はどのような入学書類を提出したのか、ギトーは一年でトライアングルは皆無であると言った。
そのことにセイは首を傾げたが、考えがあってことのだろうと気にすることはなかった。
そして嫌々ではあるが仕事だからと、ギトーは授業を開始した。
授業は『風』の基本、『フライ』と『レビテーション』であった。
この二つを使った事のある者は少ないようで皆、四苦八苦してよろよろと飛び上がる。
だが、一人の生徒が完成された『フライ』を見せ付けた。
本人は見せ付ける気などなく飛んだけなのだが、それでもクラスで一番年若い少女が注目されるには十分だった。
その少女の名は、タバサ。
同じクラスのキュルケと並ぶ変わり者の女生徒だった。
ギトーの認識では、タバサは『ドット』のメイジだったようだが、その認識は大きな間違いだった。
少なくとも『ドット』や学年数名のエリート『ライン』メイジでもあれほど安定して飛ぶことができる者は他に居なかった。
セイも飛ぶだけならば容易だったが、空中での静止は上手くない。
その日の午後。
一人の貴族の少年がタバサに決闘を申し込んだ。
その少年の家系は風系統の名門だったらしく、素性の知れぬタバサに『フライ』の呪文で負けたのが我慢ならなかったようだ。
セイはその場に立ち会わなかった為に詳細は分からなかったが、立ち会った数名の生徒と現場に残された魔法の爪痕がタバサの実力を証明していた。
翌日。セイはいつもと違う席に腰を下ろし授業が始まるのを待っていた。
隣に座る生徒はセイが席についても気付いていないのか、刹那も視線を上げる事なく読書に勤しんでいた。
「……貴女の『雪風』は素晴らしいものですね」
セイは、できるだけにこやかに声を掛けたつもりだった。その笑顔のぎこちなさに周囲の生徒が数瞬呆けていた。
しかし、声をかけられた当のタバサは無反応のまま本のページを見下ろしている。
タバサの態度にため息をつきながらも、セイは諦めず言葉を続けた。
「ミス・タバサ。貴女の出身は外国なのですか?」
セイの質問になおも無言で読書を続けるタバサ。
反応のないタバサに慣れない世間話をあきらめたセイは頭の隅にあったことを周囲に悟られぬような言い回しで問うことにした。
「お母様のご容態があまり良くないと聞きましたが……」
「――っ」
今度ばかりは、その視線をセイに向けた。
その反応に自身の予想は正しかったことを確認したセイは、教室に入ってきた教師がいる方へ視線を戻した。
「何故?」
どうして知っているという表情でタバサが訊ねた。
それにセイは視線を戻さずに答えた。
「ラグドリアン湖の園遊会でニ、三度お会いしましたが、私の事を憶えておいでで?」
しばらく記憶のページを捲っていたタバサは無言で頷いた。
そしてしばらくセイを観察した後、視線を本のページに戻し、不意に疑問を口にした。
「……ラ・ファイエット」
まったく感情の篭らない声色で呟いたタバサに目を閉じてセイは、頬をヒクヒクさせた苦笑いの表情を取った。
「憶えておいででしたか。貴女は、大分変わられましたね。
――ミス・タバサはいま……」
「貴方には関係ない」
「――……失言でした」
セイの言葉を僅かに声色を変化させて遮ったタバサに、彼女の現在の立場が複雑な事情があるのだろうとセイは確信した。
◇
セイは、直接話した日からちょくちょくタバサに語りかけるようになった。
もっぱらセイが下手な世間話を勝手に喋って、タバサは無視するように読書をし、たまに短い言葉で返答するだけ。
そんなことを続けたものだから見事、セイも変わり者の一人にランクインした。
セイもこの時期になると競争相手を見つけるということは考えなくなり、普通に友人をつくることに務めることにしていた。
幼い頃は社交の場にあまり出なかったので同世代の友人が少ないセイにとってそちらの方が楽しみになりつつあった。
魔法は夜に訓練をするようになり(もとから当たり前だった)、昼間は学院生活を満喫することにしていた。
――― ラ・ファイエットの名と威厳はどうしたのだ? ―――
何がおかしいのか、声の主は含み笑いで訊ねてきた。
「(家名を汚さなければ問題ないだろう? 気心の知れた友人というのは何よりも大切だと父上も仰っていたぞ)」
――― まあ良かろう。年相応の生活はこの学院にいる間だけじゃろうからな。あっはっは ―――
いよいよもって大笑いに、セイは思考から声を追い出した。
◇
そんなこんなで学院生活に慣れてきた頃、ひとつ目の事件は起こった。
それは新入生歓迎の舞踏会が行われたウルの月、ヘイムダルの週。
舞踏会に出席せずに調べものをしていたセイは知る由もなかったが、舞踏会でキュルケのドレスが『風』系統の魔法で切り裂かれるという事件があった。
しかし、この事件は翌日に見せ場を持ってきた。
「ちょっと席を空けてもらえないかしら?」
翌朝、タバサの隣に座っていたセイにキュルケが席を退くように要求してきた。
なにやら事情がありそうな雰囲気だったのでセイは素直に席を空けた。
キュルケは席に腰掛けると隣で読書に専念していたタバサから本を取り上げた。
タバサは何の感情も映らぬ碧眼でキュルケを見つめた。
「あなた……、割と粋な復讐を考えるのね」
キュルケの第一声にタバサは無言で見ているだけだった。
その後のキュルケの話を要約すると、昨夜の舞踏会でキュルケのドレスを細切れにした犯人がタバサであるとのことだった。
何でも名前を馬鹿にした腹いせにタバサがそのようなことを仕出かしたと言う。
しかし、タバサはきっぱり否定する。
そこでキュルケは落ち着き払った声で余裕の笑みとともに宣言する。
「そのうちきちんと思い出させてあげる」
それだけ言い終えるとキュルケはいつもの席に戻っていった。
キュルケが去った後、また何事もなかったかのように本を読み始めるタバサにセイは聞いてみた。
「さっきのミス・ツェルプストーの話。本当に憶えがないのか?」
疑っているわけではないが、話下手なセイはよりによって最悪な切り出し方をした。
すると、珍しいことにタバサは視線を本から持ち上げてセイと視線を合わせ呟いた。
「ない」
「だろうな。ミス・タバサはそんなことするような阿呆ではないし、やはり彼女の勘違いだろう。私からも言っておこうか?」
「必要ない。貴方には関係ないこと」
一瞬、紺碧の瞳に二つ名の『雪風』を思わせる冷たい何かが吹き荒れそうになったが、セイは話の構成が不器用であることは散々話しかけられたタバサも承知しており、二の句でまったく疑っていないことが分かったので、タバサはそっけなくセイの申し出を断り視線を本のページに戻した。
◇
タバサには無用と言われたが、一応あらぬ疑いは晴らしておいた方が良いと授業の後にセイはキュルケを呼び止めた。
「あら貴方、……確かセイ、だったかしら」
「セイ・ド・ラ・ファイエットだ。よろしく」
「……ラ・ファイエット? へ~、貴方があの。……で、その『引きこもり』が何の用かしら」
直接的な接触が皆無だった自身のことをキュルケが記憶していたことに驚きつつ、セイは改めて自己紹介をするが、大抵の者はキュルケのように不名誉な異名を記憶しているのだ。
引きこもりと言われてもそこに込められたニュアンスを感じ取れないで、うむとただ頷くだけのセイ。
そんなセイに対して余裕のある笑みで見据え、手を顎にそえて色気を前面に押し出して首を傾げる動作をするキュルケ。
「なあに? もしかしてお友達の弁護に来たのかしら」
「いや、弁護も何もタバサがそのような愚挙に出る事はない。故に先ほどの言には確たる証拠があるのかを訊ねに来ただけだ」
ブラウスの上二つのボタンを外して胸の谷間を覗かせるキュルケの姿に大抵の男は視線を奪われるか泳がせるかのどちらかだが、今のセイには明確な目的があるので教育された毅然とした態度でキュルケの目を見て話す。
「はいはい、ごちそうさま。そんなに証拠が欲しいなら見せてあげるわよ」
そう言ってキュルケは一本の髪の毛を取り出した。それは青みがかった色をしていた。
なるほど、確かにそれは動かぬ証拠というものだった。
「確かにそれは彼女の髪の毛のようだ。……して、何故それが犯人のものだと?」
「ええ。生真面目な紳士があたしに教えてくれたわ。犯人らしき陰が居た場所にそれが落ちていたそうよ」
「なるほど……」
キュルケの自信たっぷりな言葉にセイは考え込むように顎に手をそえ俯いた。
「もう行ってよろしいかしら? あたし、これでも色々と忙しいの」
うんうん、唸っているセイに呆れたようにキュルケは道を開けるように言う。
「ああ。手間を取らせてすまなかった」
思考に浸っていたセイは、キュルケに促され通路の端へ退いた。
「お友達を大事にするのは良いけど、これはあたしとあの子の問題よ。邪魔だけはしないでちょうだい」
キュルケはすれ違いざまに炯炯とした瞳を向けて忠告してきた。
その忠告が理解したのかどうかは不明だが、セイは頷くと最後にもうひとつの疑問をキュルケに問い、答えを聞くとすぐさま歩き出した。
◇
キュルケがタバサに啖呵を切ったその日の夜。
昼間でもあまり人の寄り付かないヴェストリ広場でキュルケとタバサは、夜空に映える赤青の双月の光を浴びて向かい合っていた。
まさに決闘には打ってつけの舞台であった。
だが、どこにも無粋なやからという者はいるもので、広場を覗ける茂みや塔の陰からいくつもの視線が二人を覗き見る。
キュルケは目の前に杖を構え、始めにタバサの名をからかったことに謝罪し、次いで自身の受けた恥に対する報復は容赦しないと宣言した。
タバサもそんなキュルケに対し、臆することなく見据える。
互いに意を確認し終えると呪文の詠唱が開始された。
キュルケが杖を振ると容赦ない大きさと威力の炎球がタバサへと射出される。
対するタバサが杖を振ると空気中の水が凝結し、氷塊となり見る見るうちに氷の矢となってキュルケを襲う。
両者共に、手加減無用の魔法を放ったことで、今回の事件を計画した者達は顔に喜びの表情を浮べた。
だが、炎と氷が交錯する瞬間キュルケとタバサの中間で二人の魔法が別の物に激突した。
「――っ」
「誰っ……!」
二人の魔法が貫いたのは、地面から行き成り生えてきた木だった。
炎の球で燃やされ、氷の矢に大穴を穿たれた木は、上半分は炎で燃え、下半分は氷が解けて燃え残った。
「まさか、ミス・タバサまで担ぎ出されるとはな」
「――あなた、セイ?」
「……」
茂みの陰からのっそりと現れたセイの手には1メイル程度の妙な形状をした杖が握られていた。
やれやれと、キュルケとタバサの間に歩み出たセイが左手に持つ奇妙はデザインの杖を振ると、炎と氷で挟まれたことで半焼け状態になっていた樹木は土へと返っていった。
そんなセイに一番初めに言葉を投げかけたのはキュルケだった。
「ねえ、セイ? あたしは忠告したわよね」
言葉の上だけで不満を表現したキュルケにはすでに決闘を続ける気分ではないようだ。
タバサもキュルケと同じく先ほどまでの怒りを沈めていた。
「その様子なら、私が解を与える必要はないようだなツェルプストー」
二人が杖をおろしたことに満足そうな声で最近使うことの多くなった下手な笑顔を作ってセイは笑う。
セイの態度にキュルケは唇をへの字に曲げてタバサへ向き直った。
「参っちゃったな。……勘違いみたい」
キュルケのとぼけたセリフにタバサも同意の意を示し頷く。
タバサは懐から焼け焦げた本を出してキュルケに確認する。
差し出された本を確認したキュルケは首を横に振った否定する。
身長差ゆえに見上げるタバサにキュルケは陽気な笑顔でタバサの肩に手をいた。
「いやね。あたしはその人の一番大事なものは奪わない主義よ」
「どうして?」
「だって、命のやり取りになるじゃない。そんなの面倒じゃない」
先ほどまでその状態だったことなどお構い無しにキュルケは陽気に笑う。
それにつられてタバサも軽く微笑む。そんなタバサの笑顔にキュルケは満足そうに言う。
「あなた、そうしてた方が可愛いわ」
「私もミス・ツェルプストーの意見に賛成だ」
長身二人の笑顔に見下ろされる形になったタバサは、もう一度静かな笑顔を見せた。
「ねえ、セイ。お節介ついでに捕まえられるかしら?」
「ああ。可能だ」
キュルケの言葉に待ってましたとばかりにセイが杖を振る。
「ひ! ひいいいいい!」
「きゃ! きゃあぁぁ!」
茂みの暗がりから今回の首謀者であるド・ロレーヌたちが植物の蔦に締め上げられ木からぶら下げられた。
「な、なな何で!?」
吊り上げられたド・ロレーヌたちは驚きと恐怖の入り混じった叫びを上げる。
そんなド・ロレーヌたちの前にセイが出て杖を一振りすると蔦が緩んで地面に落ちた。
「ミス・ツェルプストーから君のことを聞いたのでね。放課後から君たちをつけさせてもらった。それに茂みの中は私の索敵し易い環境のひとつだ」
朗々と告げるセイの顔には先ほどまでの不器用な笑顔はなく、冷めた視線が姑息な者たちを威圧する。
吊るし上げられてから落とされた衝撃とセイやキュルケの威圧に腰を抜かしているド・ロレーヌたちにキュルケが近づく。
「それじゃあ恥をかかせてくれたお礼をさせていただきますわ」
いよいよもって恐怖に駆られたド・ロレーヌたちは這って逃げようとするが、いきなり伸びた草に足を引っ掛けられ、今度はタバサの風も追加で捕らえにくる。
「ど、どどどうして!」
ここに来てすでに自分達の企みがすべてばれていることに思い至ったド・ロレーヌは騒ぎ出す。
「あのね。あたしたち『トライアングル』クラスになれば、自分にかけられた呪文の程度はわかっちゃうの。だから、あたしもタバサも杖を納めたってわけ。あたしの炎で燃やしたら本の原形を留めるほど残るわけないじゃない。覚えておいてね? あたしの『火』は、すべてを燃やし“尽くす”のよ」
キュルケの凄みに堪えかねたド・ロレーヌたちは我先に逃れようと走り出す。
タバサはそれを捕らえようと呪文を唱え始めるが、それをキュルケが遮る。
「あたしにまかせて」
キュルケの申し出をタバサは首を振って断る。
「本ぐらいなによ。あたしが本の代わりに友達になってあげるわよ。でもあたしがかいた恥は……、代わりになるものが見つからないわ。あなたの仇もとってあげるから見てなさい」
キュルケのその言葉にタバサはしばらく俯いたあと頷いて一言呟いた。
「一個借り」
どことなく嬉しそうな響きが混じった呟きにキュルケは満足そうに笑う。
「ええ、貸しにしとくわ。いつか返してね」
そうして炎の女王による制裁が始まった。
「やれやれ。ミス・タバサにも過激な友達ができたな。……けど、これは喜んで、ん?」
隣に佇むタバサの表情を見たセイは、そこにかつて湖畔でみた安らぎの表情を見た気がした。
変わってしまったタバサを強引に引き戻す情熱の女性が炎と舞う様にセイは安堵のため息ついた。
◇
セイやタバサが感慨に浸っている間、最初に炎の帯で逃げ場を奪われ、そこに背後から次々と炎の球がド・ロレーヌたちの髪や衣服を焼いていく。
あっという間に焙り尽くされたド・ロレーヌたちは焦げ焦げになって気絶していた。
「中々の焼き加減だ、ミス・ツェルプストー。やはり『微熱』の二つ名は伊達ではないといったところか」
感嘆の意を述べるセイの目の前にはド・ロレーヌたちが倒れている。
しかし、彼らは服と髪は燃やされてはいるものの、その肌には過度の火傷は見て取れない。
キュルケもそこら辺の分別はあったのだろう。
大きな炎を見せながらもそこら辺のコントロールはさすがは『トライアングル』といったところである。
「ねえ、セイ。その喋り方どうにかできないのかしら? なんだか聞いていると馬鹿にされてるみたいだわ」
「……そうか?」
キュルケに言われて初めて気付いたとばかりに驚くセイは隣にいるタバサにも意見を求めた。
最近ではセイが唯一、楽な口調で話すタバサはわずかに考えてぽそッとつぶやいた。
「無理してる」
「タバサもこう言ってるんだし、今からでも口調を変えてみればいいじゃない。人間自分にあった生き方をした方がお得よ」
キュルケの人生観をそのまま真似るのは憚られるが、セイも楽な口調でタバサに話しかけていた時は昔のように気持ちに余裕が生まれていた。
「そうだな。君の言うとおりだ。……改めてよろしく頼むよ、キュルケ」
「ええ。貴方の魔法はいろいろと面白そうだし、よろしくね」
セイの言葉ににっこりとした笑顔でキュルケは同意する。
「さて。それじゃあさっそく役立ってもらおうかしら?」
「なんだ、急用でもあるのか?」
「……これ。塔に吊るしちゃって」
そう言ってキュルケが指差したのは中々の焼き加減にされたド・ロレーヌたちだった。
「――……いいのか、それ?」
流石に聳える塔から吊るすというのは気が進まないらしく、セイは躊躇する。
「いいのよ。タバサもそう思うでしょ?」
「私が変わりにする」
キュルケのとぼけた言葉にタバサは即頷き、セイに変わらない視線を向けてくる。
「いや、わかった。わかったから。私がやる。やります。やらせてください」
「良い返事よ。さぁちゃっちゃと逆さ吊りにしちゃって」
吊るしにリバースを追加要求したキュルケに反論する気力も起きないセイは、自前の杖を振った。
するとみるみる内に蔦が壁を伝って塔を登っていき、ド・ロレーヌたちも一緒に引き上げていく。
あまり高いと危険すぎるので、落ちても大怪我をしない程度の高さで固定し、その真下の地面にはクッション代わりに大量の草を生やす。
「これでいいか? ……って、いない。どこいっ「そこの君! 何をしているのかね」んな!」
先ほどまでのキュルケの制裁行為とド・ロレーヌたちの悲鳴の音を聞きつけて見回りの教師がやってきた。
ひとり慌てるセイの周囲には『微熱』も『雪風』も見当たらなかった。
――― やれやれ、前途多難は望むところとはいえ、難儀よな。セイ ―――
声の主も気疲れのため息をもらしたが、その実、動ける体があれば笑い転げているところだった。