****はいはい、ごちそうさま****
13月も半ば。
あと10日で、回廊の閉鎖期間に入る。
光明神ジュネレオスの加護日で、新年を祝う日の前後5日。回廊都市では回廊に繋がる橋が上がり探索が禁止される。そして都市は、新年を迎える準備で賑やかになる。
回廊が閉鎖される前に採取を、という飛び込みの依頼が増えるのもこの時期だ。
その採取指定の多くは庭園にある薬草だったり、新年祭で使用する飾りの植物だったりと、低ランクでも容易に集められるものだ。閉鎖明けまで在庫を保持したい依頼者が多くの探索者を雇う為、この時期が一年でもっとも斡旋所が込む時期かもしれない。
探索者としても、新年をゆっくりと迎えるためにも必死だから、一層賑やかになる。
誰もが皆、どこか幸せな焦燥に駆られ、忙しなく動いていた。
そんな街の空気を避けるように、ヒジリはフレートたちと日がな一日戯れていた。
最近は以前よりも少なくなったとは言え、斡旋所で向けられる視線は今だに好ましいものではない。自然、視線を避けるように暖かな屋内に籠もりがちになる。
ジョージたち三人は何だかんだといいながらも、楽しそうに訓練所に通っている。
ヒジリが怠けていて、それを怒る人は誰もいなかった。
薪が要らないよう魔道処理された暖炉の前。お気に入りのふかふかとしたじゅうたんの上。ヒジリたち三人が横になって絵本を読んでいれば、玄関からチャイムの音がした。
「はい、はーい、ちょっとおまちー」
聞こえてはいないだろうが、そうぼやきながら暖かな部屋を出て、ヒジリが玄関を開ける。
そこには、ヴィルとヨーンが並んで立っていた。
「よお」
寒さで鼻の頭を赤くして、ヴィルは片手を上げる。珍しいことに二人は、もこもことした動きづらそうな普段着で立っていた。
家の中に上げると、二人は苦労してブーツを脱ぎ捨てながら、暖炉のある部屋へ向かう。
「相変わらず、お前さんのとこはいい家だよなぁ」
室内履きに履き替え、暖かな空気が漂う廊下にヴィルがぼやく。
「褒めたって、貸し部屋はしないよー」
「ああ?部屋なら、空いてんだろうが」
ぼさぼさの金髪が、首をひねる動きに合わせ揺れる。
「女連れ込まれたら、子供たちに悪影響でしょうが」
「おい、お前は俺をどういう目で見てんだ」
半眼でヒジリを睨むヴィルを、後方からヨーンがからかう。
ヴィルとは違い、短く整えられた金髪が帽子の下から現れる。
「あはは、ヒジリ。いくらヴィルでも子供がいる家には連れ込まないって」
「お前らなぁ」
ふざけながら、ドアを開ける。
子供たちは、突如現れた大男二人に騒ぎ始めた。フレートがヴィルに向かって突進し、その後をハンナが真似て、よたよたと駆けてくる。
足へとぶつかる子供たちを、ヴィルが手馴れた仕草であしらっている。ヨーンは笑いながら、手荷物をテーブルに降ろす。
ヒジリは、暖炉でじっくり暖めていたスープをカップによそい、二人に振舞う。それを見たフレートたちも欲しがって、結局皆でスープを飲むことになった。
くたくたになるまで煮込まれたスープは、野菜の甘みと鳥のうまみが程よく溶け出し、あっさりとして飲みやすい。冷えていたヴィルたちを中から暖めた。
「うめぇなぁ」
「ああ、あったまるなぁ」
思わず、といった感じに二人から言葉が漏れる。
毛色の違う二本の虎縞の尻尾が、左右に揺れる。
「で、ヴィルはともかく、ヨーンまで来るなんて珍しいね。何か用かい?」
ここに引っ越してから一月近く立つが、アリアたちやヴィル、アルト達の孤児院仲間を除く訪問客は、滅多に来ない。ヴィルもここに来るときは大抵一人で、チームの仲間を連れてこなかった。
ヒジリは子供たちが火傷をしないよう、気をつけながらスープを飲ませると、ヴィルに話をふった。
身体が温まったヴィルは首を軽く回した後、横に座るヨーンを親指で指し示した。
「こいつが、個人的に欲しいものがちょっと訳有りでな。回廊に潜ろうにも、チームの連中は今忙しくって、力を借りられないんだよ」
「ははぁ。で、私に声を掛けに来たと。うんうん、私は構わないよぉ」
ヒジリがわざとらしく口の端を上げて、にやりとして見せる。
「まあ、そういうこった。ちょっと深いからな。俺たち二人だけだと不安が残る」
ヴィルもそれを受けて、にやりと笑う。
それを見て、ヨーンは苦笑した。
「どうしても、今年中に手に入れたかったんだけどよ。この間まで色々あって、チームの仕事、俺だけ抜けるわけに行かなくってなぁ」
腕を組み、しみじみと語る。
ついこの間、二人とも大怪我を負うということがあった。後遺症はなかったようだが、チームで行動している彼らだ。ヒジリには分からない苦労があったのだろう。
「それに、エメリにばれる訳にもいかなかったんだろうが。え、おい」
からかうように、ヴィルがヨーンをひじでつつけば、照れたように笑う。
ヨーンがエメリにべた惚れなのは、傍で見ている者なら分かりやすいほど明らかだった。出会ってまだ日が浅いヒジリだって、彼の口からエメリへの惚気を聞かされたことがある。
残念ながら、エメリの方はというと、あまり感情を表に出すタイプでもないので、ヨーンのことをどう思っているのかは今一分からない。不機嫌な時だけは、眉間の皺が凄いので分かりやすいのだが。
「じゃあ、とうとうするんだ。プロポーズ」
「ああ、うん。その、今度の新年祭に合わせて帰郷するから、その時、その、結婚を申し込もうかと」
照れたように頭をガシガシかきながら、徐々に小声になっていく。
尻尾もぱたぱたと触れていて、内面を隠せていない。
スープを飲むのに飽きた子供二人の目が、らんらんとおもちゃを見つけたかのように、尻尾を目で追っている。
「で、スノータイガーの牙をその時、渡したいんだと」
聞けば、ヴィルたちの村の風習で、結婚の申し込みに、男は自分の獣相にちなんだ素材を一緒に贈り、成立した場合は、その素材を使用した装飾品を造って、結婚の証とするという。
ヴィルもヨーンも虎の獣相を持っている。
そこで、白銀色の牙を持つスノータイガーに狙いをつけたのだ。
「でも、あれって、眷属引き連れているって話でしょ。面倒くさそうなんだけど。フォレストタイガーじゃ駄目なの?」
ヒジリが回廊内の魔物に関して、図鑑を思い返して言う。
虎系の魔物で、よく名前が挙がる別の種類を言ってみれば、ヨーンが呆れたように言う。
「あれでいいと思ってるなら、もっと早い時期に狩りに行っていたよ。冬まで待っていたら、予想外の仕事で時間が無くなって、焦ってるんじゃないか」
「ああ。あー?」
一端納得しかけたヒジリだが、意味が分からず、語尾が上がる。
それが面白かったのか、ハンナも真似して、あーあー言い出す。
騒ぎ出したハンナの口を、フレートが押さえて静かにさせようとする。が、その手を逆に、ガジガジされてしまう。
「季節感がねぇって言われる回廊内だが、一応あそこも季節ってもんに影響受けてる部分があんだよ」
分かりませんと、今にも言い出すヒジリにヴィルが説明を加える。
「特定の季節にしか、出現しない魔物や植物とかがあってな。スノータイガーやその眷属なんかは、冬に現れんだよ」
そこまで言えば、さすがにヒジリも分かる。
ヴィルの後を継ぐようにヨーンが口を開き、荷物から地図の束を取り出す。
「で、だ。今の所、目撃例がある宮で、一番近くても、アーチを三回はくぐる必要がある。到底、日帰りは無理。ちょっと事前に、打ち合わせって奴をしようじゃないか」
空になったカップを下げた後、ヒジリたちは打ち合わせを始めた。
フレートたちは腹が膨れて眠くなったのか、大きな熊のぬいぐるみに寄りかかり、うとうとしている。
目的地は、一番近い宝樹宮にすることにした。それでも、片道三日は掛かる距離だ。
本当ならその先の氷原宮の方が、スノータイガーの目撃談が多いのだが、そちらにすると最低でも片道五日は掛かり、回廊が閉鎖され、期間が終わるまで中に取り残されてしまうことになる。それでは意味がない。
「行って帰ってくるだけで、六日掛かるでしょ。その日のうちにスノータイガーに出くわせばいいけど、そう上手くいくとは限らないよね」
「ああ、だから向こうで二日滞在するつもりで準備して欲しい」
「まあ、明日一日あれば、準備は十分出来るわな」
探索に八日。準備に一日。合計九日。
結構ぎりぎりではある。
が、獲物を変えない以上、妥当な日程と言えた。
「あ、一人連れて行っていい?」
地図を広げて、最短ルートを考えていた中、ヒジリは顔を上げる。
その声に、ヨーンは検討していたルートをなぞる指を止める。
「誰を?」
「ザヴィエ。今、ジョージ君と一緒に訓練所に通わせてる子。荷物もちとしてさ、連れて行きたいんだよね」
「まあ、構わないけど。今回はさすがに面倒見れないから、それでも連れていくなら、自分でその子の面倒見なよ」
深くは聞かず、一応釘を刺しながらヨーンは了承した。
軽い口調で持ち出した話だが、スノータイガーは結構厄介な獲物だ。
単体でも十分厄介ではあるが、シャドーファングと言う眷属を連れている。ヒジリはそれを面倒くさいと称したが、スノータイガーを中心に群れで襲い掛かってくる彼らは、やり難い相手でもある。
ヴィルもヨーンも伊達にシルバーランクになっていないから、もちろん対策は講じているし勝算もある。
ただ、そこに足手まといが居た場合、それを庇いながらでは目的を達成することは難しくなる。
万難を排すべきなら、ヨーンはヒジイの申し出を拒否するべきだった。
しかし、戦闘に加わらない荷物もちがいた方が、やりやすい面もある。それに、一応ヒジリは命の恩人でもあったから、反対する気にはなれなかった。
「まあ、その点はちゃんとするから。まーかせて!」
自信満々に言い切るヒジリに、ヴィルとヨーンは少々不安に思った。
翌日、ヒジリはザヴィエを連れて、買出しに向かっていた。
帰ってきた少年たちに、長期間探索に向かうことを告げた時、皆一様に驚いた後、仕方ないよねヒジリだし、と言った呆れた表情になった。ザヴィエを連れて行くといっても、言われた本人以外は先と同じ表情のままだった。
反対されたところで、すでにそれを前提にヒジリはヴィルたちと話を進めていたので、結果は同じだったのだが。
「取りあえず、どれから買おうかなぁ?服?武器?荷物?」
職人通りと呼称される大きな通りを人混みに紛れながら、二人は歩く。
実際に物を作る者は、通りから離れた建物に住んでいて、ここにある店の多くはそれらの代理販売をしているギルド傘下の店だ。気に入った製作者がいれば、紹介してもらえたりするから一見の客でもそれほど困ることはない。
「……服を」
「じゃあ、あそこの店に行くか。ほら、手」
ポツリと返すザヴィエの手を取り、ヒジリは人混みを掻き分け進む。まだふくふくと幼さが残る手にある、硬い肉刺の感触に少年の頑張りを感じる。
ヒジリが目指す店は、流れが逆の人混みの向こうの赤い屋根の建物だった。
営業中の立て札を確認し、扉を開ければ皮と布の独特の匂いがヒジリたちを迎える。
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こうから、やや低い女性の声。顔だけ入り口に向けた恰幅の良い店主は、幾つかの布地を手にカウンター前の客の相手をしていた。
入り口からは後姿しか見えないが、犬耳の女性は熱心に店主が出してきた布地を見比べている。
明日には出かけるから、既製品にちょうどいいのがないか聞こう、とヒジリがカウンターに近づく。
「あ」
思わず、声がでる。
その声に、犬耳の女性もヒジリの方に顔を向けた。
「あら、ヒジリ。こんな時間に会うなんて珍しい」
「おはよう、エメリ。確かにいつもは仕事終わりとかだったしね」
簡単に挨拶をかわす。
店主に要望を伝えれば、幾つかあるというので出してもらうことにした。サイズをあわす為、ザヴィエが店主の後をついていく。
待つ間、ヒジリはデザインのカタログを見ようと思ったが、エメリが熱心にデザイン画と布地を見比べているので、ついからかいたくなった。
「それ、エメリが着るにしては、ちょっとごつくない?この袖の飾りとか、詠唱の邪魔になりそうだし」
どう見ても男物にしか見えない上着のデザイン画を指差す。急所などを庇うように金具がつけられる予定のそれは、防具としても有用そうだった。
途端、僅かだがエメリの頬に朱が差す。
「……ち、父に、帰郷の時の土産にしようと思って」
変な抑揚で応えるエメリに、ヒジリは内心おかしくてしょうがなかった。
エメリの父親がどんな人だか知らないが、さすがにこれをお土産にするのは変だろう。
二人の前に置かれている布地は、濃く落ち着いた色合いの丈夫な物ばかり。ヒジリがそれの一つを摘まんで、完成した服を想像する。明るい髪色の彼によく似合いそうだ。
黙ってしまったヒジリに、何を考えたのか、エメリは珍しく言葉を連ねる。そのどれもが、流暢に魔法を詠唱する彼女の口からつむがれたとは思えぬほど、たどたどしいものだった。
ぴるぴると、犬耳が感情を表し震えている。
「ヒジリさん、ちょっといいか」
店の奥からのザヴィエの呼びかけに、ヒジリはエメリの頭へと伸びていた手を止めた。
「考え事の邪魔してごめん。私は、そっちの臙脂色の方がいいと思うよ。って、余計なお世話か」
軽く手を振って、ヒジリは奥へと向かう。
エメリの顔はもう誰にでも分かるほど、赤く染まっていた。