白い蛍光灯が天井に浮いている。
「いつつ……」
まだ全身に痺れが残っている。さすがでんきタイプのフェイト。クラボの実が欲しいところだ。
シーツに腕を食い込ませながら自室のベッドから上体を起こす、フェレットが軽快な身のこなしで布団の上に飛び乗ってきた。
「大丈夫? ハクタ」
「あーうん。しっかしサポートありでも瞬殺だったなぁ」
夕飯を入れていないせいで深刻な次元で腹が空いた。九時過ぎを指す時計を見ながらベッドから降りる。
直接この部屋に転移してきたためだろう、部屋の中に土足の靴があってぎょっとする。
「ごめんね、役に立たなくて」
『ユーノはよくやったと思います』
シャワーズの言う通り、ユーノは役に立った。フェイトに墜とされたところを即座に転移魔法で救出。気を失ったハクタを家に連れ帰って、ずっと回復魔法をかけてくれていたようだ。
「レイジングハートはうまくやったかな」
キッチンへ行くためよろよろと部屋を出て、手摺につかまりながら危なっかしく階段を降りる。
「そのことなんだけど……」
ハクタの後についてぴょんぴょん階段を降りながら、ユーノが心中を語る。
レイジングハートに念話を繋ぐことによって高町なのはと話をすることはできるが、向こうから求めない限りはこちらから話す気はないとのこと。全てはレイジングハートと高町なのはコンビの自由意志に任せることにしたようだ。
直接事情を話せば彼女は協力してくれるかもしれないし、それがこの街にとっても一番よいことなのかもしれないが、ユーノはどうしてもそこまで踏み込めなかったようだ。元凶の一因が自分にあるという罪悪感によるものだろう。
自分が厄災を海鳴にばら撒いたのに、その被害者に自ら協力を申し出るなんて図々しい真似はできない。そういう考えのようだ。この辺りの考えは原作と同じだ。
ハクタとしても異論はない。レイジングハートから事情を聞けばなのはなら必ず協力してくれるはずだ。
ここにユーノがいることを除けば、ようやく原作の流れに戻ってきたといえる。
原作介入する気満々だったのに、原作に戻そうと必死で頑張っているのも皮肉な話だ。
結局ユーノが晩飯を作る時間がなかったため、本日のメインディッシュにはカップラーメン、付け合せに残りものが選ばれた。
「ハクタ、すごいねこの食べ物は! ミッドや他の世界にもインスタントフーズはあるけど、どれも早さと便利さの代わりに味を犠牲にしたものばかりなんだ。でもこれは、ただお湯をかけるだけなのにこんなに美味しい……これで一切魔法が使われていないなんて信じられないよ! これは全次元的な大発見だ。次元世界の食文化に革命が起こせるよ! あ……でも管理外世界からの技術のコピーはご法度か……なんとか輸入できないかなぁ」
ハクタは話を聞き流しながら、新しい術式の構成を練るのだった。
◆06 魔法少女ふたり
最近は湯船に浸かることが少なくなった。フェレット形態のユーノは風呂に入らずとも綺麗にできるので、この家で浴室を使うのはハクタ一人。そうなるとどうしても浴槽に湯を張るのが億劫になってしまう。よほど疲れているとき以外はシャワーで済ませていた。
本日はそのよほど疲れている日に該当した。温泉ではないので体の痺れを取る効用は期待できなかったが、じっくり浴槽に身を沈めて体を労る。
浴室に入ってから分針が半回転する頃にようやく入浴終了。バスタオルで全身の水気を除去。裸の自分が湯気で曇った鏡に映る。見るからになよっちい体だがこれで運動部並みの体力とアマチュアボクサー並みの反射神経があるのだからオリ主補正とは恐ろしい。
短髪のハクタにとってドライヤーの工程は不要、そのまま寝巻きに着替えてダイニングへ。冷蔵庫を開けて飲み物を出していると、リビングから歌謡曲が聞こえてきた。テレビのスピーカーから流れるそれは、何故か演歌であった。
そういえばこの時間に公共放送で演歌番組がやっていた。はるばる数歩の距離を旅してリビングへ。ちっこい生き物が机の上に乗っかって食い入るようにテレビを覗き込んでいた。
「……演歌に興味があるのか、ユーノ?」
「うん、他の歌謡曲と違ってこの国独自の文化を感じられて趣深いよ」
テレビから視線を外さずにユーノが返答する。
「文化ねぇ」
ユーノは職業柄、そういう郷土歌などに興味があるのだろうが、高校生のハクタにとって演歌のよさなどまるで分からない。文化と言うよりはとうに廃れた流行に老人たちがしがみついているだけに見えた。
明らかな偏見だったがそれはそれで真理かもしれないな、と思い至る。廃れた古い流行にしがみつく行為を文化と呼ぶのかもしれない――などとやや格言っぽいフレーズを思い付き、あとで携帯にメモしておこうと決める。
紫のライトで照らされたステージの上で派手なスーツの男性がただの愚痴にこぶしを利かせて歌いあげる。画面下部には昭和の恋愛模様が字幕で書き連ねられている。
「そういえば」
曲が終わって拍手が鳴り出すまで待って、ハクタはユーノに話を振った。
「歌の歌詞って翻訳魔法で分かるのか?」
「うーん……」
ユーノはようやく画面越しのステージから視線を外してハクタを見た。
「とりあえず下に出てる歌詞は魔法で読めるよ」
管理外世界の文字も翻訳魔法で読めたのか。いや普通に考えれば文字の翻訳くらいお茶の子さいさいなのだろうが、どんな文字も簡単に翻訳できてしまうなら、古代文字の解読とかも簡単すぎてスクライアの存在意義が揺らがないだろうか。
「歌がどういう風に聞こえるかは――」
ユーノが口を噤んだ。テレビでは短いトークを挟んで次の曲の伴奏が流れだし、先程の男性歌手が体でリズムを取り始める。
ユーノは再びそちらに集中し始めるかと思いきや、リモコンというピストルによって前足一本でテレビごと演歌歌手の息の根を止めた。
「実際に聴いてみるのが早いと思うよ」
そう言ってテーブルの上からひょいと飛び降りると、部族風の衣装を纏った少年となって絨毯の上に降り立った。
「では、僭越ながら」
少し照れくさそうにお辞儀を一つ。
両手は胸元に、瞼を軽く伏せて顔を少し上向きに。まるで祈るような、神からの口付けを待つような姿勢で、少年は息を吸った。
歌が紡がれる。
星空よりももっと向こう、遠い世界の言ノ葉が、歌という魔法の音程に乗せられる。
それは異界の言語。
ユーノから普段聞く言葉は、念話であれ実声であれ日本語だった。だがこれは紛れもなくこの惑星の外から来た原語。理解できない遠い世界の詩だった。
だというのに、自然と意味が理解できる。レイジングハートの英語が脳内で置き換えられるのと同じ。スムーズに歌詞の内容が頭に入ってくる。
透き通った水のようなメロディー。
それは帰郷を願う詩だった。
故郷を失い、家族を失い、帰り道すら失って、
遠く遠くへ来てしまっても、帰りたい場所を忘れてしまっても、
どんな世界にいようとも、
きっと最後は故郷に辿りつけると、
詩はそう締め括った。
歌い終えたユーノが一礼する。ハクタが拍手を浴びせると、照れたように頭を掻いた。
「スクライアの部族に伝わる歌の一つだよ。歌がどういう風に聞こえるのか、歌詞がどういう風に伝わるのか、分かってくれたかな」
「あー、バッチリ。ユーノって歌上手いんだな。歌はなんか悲しい感じだったけど」
「悲しい? 曲調は確かに明るくないけど悲しいってほどじゃ……」
「いや歌詞が。故郷に帰れなくなっても死後魂は故郷に帰れるぞ、って歌じゃないのか?」
ユーノは意表をつかれたといった感じで瞬きした。
「あれ? やっぱりうまく歌詞が伝わらなかったのかな。ハクタが言ったみたいな解釈もできるけど、スクライア一族がいつしか自分達の故郷を見つけられるように、って歌なんだけど」
「あ、そうだったのか。すまん」
勝手に曲解していたようだ。
スクライア一族については少し気にならなくもなかったが、そんな裏設定など気にしても仕方あるまいと話題を戻す。
「にしてもユーノって歌上手いんだな」
もう一度褒めた。
「なんていうのかな、上手いっていうより綺麗って感じだったな」
少年特有の透明感のあるボーイソプラノ。声変わり前でないと出せない稀少な芸術だった。
「あれ、でもユーノって声変わりしないんだっけか」
「え、なんで? ちゃんとするよ」
「いや、おまえは大人になっても声変わりしない」
「なんで!? するよ!」
「ははっ、俺には分かるのさ。おまえは絶対声変わりしない」
「その自信は一体どこから来るのさ……」
ユーノは何を言っても無駄だと早くも諦めたようだった。気になるのか不安そうに自分の喉元を触る彼に、ジュース入りのコップを差し入れてやる。
「ありがとう。ハクタの歌も聴きたいな」
コップを口元に運びながらそう言うユーノは、身長差のせいで上目遣いだ。
……どちらかといえば女の子に見える容姿で上目遣いのおねだりとかマジやめてほしい。目覚めたらどうするつもりだ。
「え、えーっと、俺、あまり人前で歌うことってないんだけど……」
カラオケも趣味が合わないから誘われても断ってきた。だがこの土地の歌を知らないユーノ相手であれば堂々とアニソンを歌っても引かれることはあるまい。
「よし、聴かせてやろう、我が美声を!」
一転して自信を漲らせたハクタ、テレビのリモコンを引っ掴んでマイク代わりにする。
頭の中で前奏が鳴り始める。歌い出そうとしたところで、今まで机の上で静観していたシャワーズが音声を発した。
『ユーノ、命が惜しくないのですか』
何を言い出したかと思えばこの物騒な発言はいかがなものか。
『ハクタの歌ですよ。ハクタが歌うのですよ。無事で済むとお思いですか』
どういう意味ですかシャワーズさん。
「じゃあ近所迷惑にならないように防音結界を張るよ」
「ユーノまで俺がジャイアンリサイタルすると思ってんのか!」
「ジャイ……? ごめん、地球の音楽のジャンルには明るくなくて」
まぁもう夜中だ。深夜ではないにしても早い家庭はそろそろ寝静まる頃合い、気兼ねなく歌うためには防音環境の方が望ましい。
ユーノがちょちょいと結界を展開。封時結界と違って何の違和感もないがこの部屋は音楽室顔負けな防音仕様となったらしい。
「いざ!」
汚名を洗い流して誉れとすべく、リモコンをマイク風に握り締めた。何度も聴いた前奏が自動的に頭の中で再生し始める。
わずかにエコー効果のある防音結界の中、ハクタはなるべく感情を込め、織り上げるように歌を紡ぎ出す――
赤いほっぺ 黄色のシャツ
――というフレーズから始まる一曲を熱唱した。
気持よく歌い終わるが拍手はない。尋常ならざる沈黙が防音結界に居座る。
ハクタは居た堪れなくなってリモコンをテーブルに戻した。先程見事な美声を披露した少年を窺うが、これといった反応はない。
「ちょ、なんか言ってくれよ!」
「いや……予想外に上手くて驚いて」
『――意外すぎます』
「マジで!?」
褒められたハクタ自身が驚く。自分で「俺歌上手くね?」と今まで勝手に思ってはいたものの、他人に披露する機会はなかったので本当の実力は未知数だった。ちゃんとした評価が得られるとは自分でも意外だ。
「失礼だけどハクタがここまで上手いとは、正直これっぽっちも思ってなかったよ」
本当に失礼だよ。
『ちゃんとしたレッスンを受ければ本職でもやっていけるレベルではないですか』
えっ、なにそれこわい
シャワーズがこんなに褒めてくるなんて絶対おかしい。きっと裏がある。
『どんな人間にでも何か一つくらいは取り柄があるものですね』
ほらきた。しかしあくまで意外な高評価が根底にある上での毒舌だ。傷付くどころか負け惜しみにすら感じる。
が、直後、ユーノには聞こえないよう、毒舌デバイスから念話が飛んできた。
《失礼、訂正します。ハクタの取り柄は微妙性能の誘導弾だけです。歌が上手いのはあなたではなくその体の持ち主でした》
言われてみれば。
厄介にも憑依ものという設定付きだった。どうせ自分の体なんだしトリップでいいのに! 面倒な夢だ。
シャワーズの言葉は正論で反論の余地なし。ハクタの勝ち得た名誉は肉体の方に持ち逃げされたのだった。
「じゃあお返しにもう一曲」
ユーノがハクタを真似てリモコンを手に取った。
「さっきは確かに暗い感じだったから今度は明るいスクライアの歌を」
伴奏などなくとも明るい曲と分かる表情で、少年は二曲目を歌い始めた。
彼が楽しそうに体を揺らすたび、纏った部族風の衣が揺れる。描かれている民族的な模様を見て、遠い異世界へと想いを馳せる。その空想に現地の歌が彩りを添えた。
野郎どもが酒を片手に口ずさんでいそうな、男らしい曲調の歌だった。
我らは懐古の一族 スクライア 暦をひっくり返せ
掘れ掘れ深く 原初の底までその先までも
掘れ掘れ深く 歴史の裏までその奥までも
我らは始を近づける者 ふるさとを目指す者
我らは大義の一族 スクライア 災をひっくり返せ
掘れ掘れ疾く 危険掘り出し誰ぞを守れ
掘れ掘れ疾く 災禍を封じて大地を救え
我らは終を遠ざける者 最果てを厭う者
我らは学徒の一族 スクライア 理をひっくり返せ
掘れねば悩め 故きをたずねて真を知らん
迷わば掘れや 世界知らずに何を知らんや
いづくにあらん失くした術 いづくにあらん滅びた都
耳を堪能させる音は多くの韻を踏んでいたが、残念ながら翻訳された詩ではそこまでの再現はできていなかった。
ユーノが歌い終える。防音結界があるのでハクタは夜中にも関わらず惜しみない拍手を送った。少年の姿でここまで楽しそうにしていたユーノは初めて見たかもしれない。
「スクライアにおける発掘の意義を謳った歌だよ。次元世界の平和にスクライアは大きく貢献してるってぼくらは教わってきたし、実際そうだと思ってる。でも……」
そんな彼だったが、話しているうちに乾燥した野菜のようにしょんぼりしてしまった。
「今回のように発掘が誰かに迷惑をかけることもある……それを思い知ったよ。地球の人はロストロギアとは無関係なのに……ぼくがもうちょっと気をつけていれば……」
「いやまぁ、なんだ、ほれ、元気出せ」
さすがに事態が深刻すぎて「気にするな」とは言えない。ハクタとて単なるトリッパーに過ぎないが、もしこの地球出身ならユーノをタコ殴りにしていたかもしれない。単なるとばっちりで地球がまるごと吹っ飛びかねない事態なのだから。
「うん……」
「あー、もう!」
ユーノからリモコンのマイクを引ったくる。
「では一曲!」
元気付けるためとはいえこの局面で底なしに明るい曲はどうかと思ったので、癒し効果のありそうなアメイジング・グレイスを選曲。
日本人の特徴として宗教嫌いが挙げられる。ハクタもご多分にもれずなのだが、いかにも宗教歌といったていのこのアメイジング・グレイスは嫌いになれない。
人を癒し労るような優しく美しい旋律。歌声がよく伸びるそのメロディーは海外の女性歌手と相性がよく、耳にすればいつもそのまま聞き惚れてしまう。
グレイスとは確か神の恵み、神の祝福を表す言葉。
それを意識して、落ち込むユーノを癒すように、心を込めて歌い出す――
♪ あーぁめぇぃじーぃぃんぐれーーーす ふふふーん んんー
歌詞が分からなくて即詰んだ。
「…………」
落ち込んでいたユーノがやや呆れた表情になっていた。今泣いたカラスがもうジト目だ。
「英語の曲なんて分かるかー!」
「えええっ逆ギレ!?」
英語の曲で歌えるのなんてせいぜい音楽の授業で覚えさせられたサウンド・オブ・ミュージックの曲くらいだ。あれ?そういえばあの話ってドイツが舞台じゃないのか、何故英語なんだ。いや待てオーストリアだった気もする。オーストリアって何語だよ。
ともあれ件の曲であれば英語で歌い上げることができる。ここはあえて英語で歌いきって知的さを見せつけようとよく分からない見栄を張って、エーデルワイスを歌い始める。どこぞの子沢山な軍人のおっさんが弾き語りしている風に。
♪ ホームラン フォーエーーバー!
と花の歌のはずなのに最後だけ何故か野球なフレーズで歌い終えたが、またもや拍手はなかった。
『ひどい発音でした』
「まるっきり歌詞が翻訳されなかったんだけど……」
ほっとけちくしょう。
その後も二人のカラオケ大会は夜遅くまで続けられた。
えぇっとつまり――
なのはは頭の中で今聞いた話を噛み砕き、分かりやすく組み立て直す。
《そのジュエルシードって核爆弾みたいなもの?》
《私の持つ“核爆弾”のデータが少なすぎて何とも言えませんが、爆弾という捉え方は言い得て妙だと思います。それを求める者には別の価値があっても、巻き込まれる圧倒多数の人間にとっては爆弾と相違ありません》
柔らかなベッドに腰掛けて、掌にぽつんと座る赤い宝石“レイジングハート”と覚えたばかりの念話を交わす。
姉の美由希と一緒のお風呂を終えて、頭でぐるぐる考えながらも惰性で髪を乾かして、パジャマ姿で友達との軽いメールも済ませた夜十時。宿題はやってないが、あんなことがあったのだ、今日くらいは許される気がする。
スタンドライトの控えめな光がなんとか隅まで行き渡るなのはの自室。アリサやすずかの自室と比べると笑ってしまう狭さだが、比較対象が別世界なだけで特別狭いわけではない。むしろこの歳で自分の部屋があるだけでも恵まれているだろう。
片付いた室内を窓際から見守るぬいぐるみ達を眺めて、心のざわつきを抑える。
《一個でも町が大変なことになるかもしれなくて、全て揃えば地球どころか付近の次元ごと吹き飛ばしちゃうような恐ろしい爆弾……そんなものがうちのご近所にあるなんて……》
寒気がする。とても高い崖の上に立っているような、足元から生きている実感が奪われていく感じ。
この海鳴に、場合によっては核爆弾をも凌ぐ爆弾が21個も埋まっていて、いつ爆発するか分からない状況だというのだ。
《そのユーノって人はどうしてそんな恐ろしい物を発掘したりしたの? 願いを叶えてほしいから?》
だとしたらどのような願いにせよ、海鳴市民としてとても許せることではない。
《いいえ、それがユーノの仕事だからです》
実声でも念話でもレイジングハートの声は英語だが、母国語しか話せないなのはでも不思議と意味が理解できる。
《依頼されてってこと?》
《いいえ、自発的な意志によるものです》
《そんな危険なものを自ら掘り出したの? どうして!》
《滅びた文明の遺産を発掘することが彼らの役目です。ジュエルシードは学術的にもとても価値が高いのです》
学術的価値……そんなものの為に。なのはは悔しいような、やりきれないような思いに歯噛みをする。
その学術的価値とやらは地球と秤にかけられる程のものだとでもいうのか。
その研究で歴史の解明がどれだけ進むのかは知らない。だが所詮は太古の爆弾、医療技術が進歩するわけでもあるまい。ただ学者の知的好奇心を満たすためだけの代物だろう。
たかだかそんなもののために、地球が危険に晒されているなんて……。
泣きたいほどどうしようもない気持ちに襲われる。
悔しい。おなかの底から燃える感情が上ってくる。
夕方の悪夢の記憶を思い出す。今になっても震えが来るほど怖かったが、あの事件はまだかわいいものだったんだ。
明日にでもこの星はなくなってしまうかもしれない。
自分も、お父さんもお母さんも、友達も、近所の人も翠屋の常連さんも優しいあの先生も、おばあさんも赤ちゃんも、テレビに映っている人たちみんな、どこの国の人もみんな、
花も木も、虫だって鳥だって、ミミズだってオケラだってアメンボだって、
思い浮かぶ限りの全ての動物、全てのお魚、名前も知らないような生き物だって何もかも、
そして、生きてない物も。人が長い歴史の中で築いた物や作り上げたもの全て、記録や思い出だって、
みんなみんな消えてしまうかもしれない。
《どうして……どうして、そんな恐ろしい物なら、もっとちゃんとした設備で運ばなかったの!?》
《その輸送船が事故に遭う確率そのものは極小でした。設備の方に問題はありません》
《でも事故は起きてるよ! そういう危険なものならもっとしっかり守らないといけないのに!》
事故は何者かの故意によるものだということは、すでにレイジングハートから聞いていた。
今回の事件がそのユーノという人物に全ての責任があるわけではないことは、いやそもそも別人の犯行であることは、なのはも分かっている。
ジュエルシード目当てで輸送船を襲った者がいる。なのはの頭の中ではそれはドクロの旗を掲げたUFOだった。
確かに事故に遭う確率はなかったかもしれない。でも狙う者がいて危険物だって分かってもいて、にも関わらず、たくさんの人が住んでる地球の近くを護衛もつけずに飛んでいたというのは憤るべきことだと思う。
《ジュエルシードの危険度と欲しがる者の数を考えれば、通常の設備で運搬したという点において、確かに彼は浅慮でしたが》
《せんりょ?》
《考えが足りなかったということです》
思い至らなかった、忘れていたということか。
《つまり……うっかりってこと?》
《彼にも現場責任者としての事情はあるでしょう。仰々しい設備で運ぶことによる情報漏洩を恐れた可能性もあります》
それは言い訳になるだろうか。
なのはは現金輸送車を思い浮かべる。確かにあれは仰々しいから目立つし、実際にテレビドラマではよく襲われている。
だがしかし、だからといって普通の車でガードも付けずに大金を輸送したりはしない。確かにその方が目立たないかもしれないが、もし情報が漏れていたなら取り返しの付かない事態になるからだ。
この現金を爆弾に置き換えたのが現在の状況。
しかも運搬経路にわざわざ人口密集地の近くを選択している。
多くの者が狙う爆弾を乗せた船を、護衛も付けずに無関係な人々が暮らす街の上空を通過させたのだ。その街に暮らす人間として、その街を愛す人間として、なのはには怒る権利がある。いや、義務があった。
あまりにも理不尽ではないか。
異次元に住むユーノという学者は、知的好奇心から恐ろしい爆弾を発掘し、うっかりでそれを海鳴の街にばらまいたということになる。きっと悪魔のような人間なのだろう。
そうか、あの金髪の女の子、フェイト・テスタロッサは地球を守るためにジュエルシードを回収しているに違いない。あの時黒い杖に吸い込まれていった青い宝石がジュエルシードかもしれない。
あの逆さまの悪魔は輸送船を襲った犯人だろうか。少なくとも顔を隠すのは多かれ少なかれ疚しいことがあるからだ。
なのはとて他人を見た目で判断するつもりはないが、見た目を差し引いても、成人男性と思われる人物が一方的に小さな女の子に攻撃しかけたのは事実。これだけでどちらが悪役かは瞭然だ。
黒い少女がなのはを助けてくれたことを考えても、女の子=正義、逆さ人間=悪、の構図は固い。悪魔と見られることを望んでいるかのようなコスチュームからしても、悪魔と呼んで差し支えないだろう。
……あれ、もしかして、悪魔といえば――
《ねぇ、そのユーノって人、もしかしてさっき、あの黒い魔法使いの子と戦ってた?》
《Yes, My master.》
そうか、あの逆さ悪魔こそが全ての元凶、ユーノという考古学者だったんだ。
全てが繋がった。
果たすべき目的、守るべき世界、倒すべき敵、共闘すべき少女。全てが一つの線に連なった。
腹を決めた。
「レイジングハート、わたし、戦うよ」
きっと恐ろしいことだと思うけど、なのはにもう震えはない。
「あのフェイトって子と一緒に、ジュエルシードを集めるよ。その先にユーノって人が立ち塞がったら、戦ってでも」
世界を守りたい。
この世界を愛おしいと思う。大地には草木が芽生え、笑い声は街に、命は緩やかな海に、風は空に、星は天に、
そして、不屈の心は―――
「この街を守りたい。みんなを守りたい。誰にも傷ついてほしくない。わたしの力で誰かを救うことができるのなら」
《私はスクライアのデバイスとなる為に制作され、長い間とはいえませんがユーノと暫し共にありました。
ですが今はあなたの杖。あなたの魔法。マスターがそう望むのであれば、私はその為の力となりましょう》
「ありがとう、レイジングハート」
この手には魔法の力がある。世界を守ることができる。怖いけど、戦うことができる。
あの女の子を助けたい。悪魔に襲われていたら守ってあげたい。
あの子の笑顔が見たい。
自分に言い聞かせるように、心に誓うように、なのははもう一度口にした。
「わたし、戦うよ」
胸が熱い。
不屈の心はこの胸にある。
翌日、なのはは学校を休んだ。
理由の一つは魔法の練習のため。至急最低限の魔法技術を身につけておかないと、ジュエルシードを発見しても封印できないと思ったからだ。
別にジュエルシードが全て回収されるまで毎日学校を休むつもりはない。魔法を覚えたばかりのなのはが学校を休んで一日中探索しても、いたずらに魔力を浪費するだけで解決には繋がらないらしい。
敵勢力である悪魔ユーノもジュエルシードを暴走させようとしているわけではない。むしろ回収しようとしている点では、悔しいが目的は一致している。そうあっさりとカタストロフは起きないはずだ。
学校を休んだもう一つの理由は、ちょうど母が翠屋を休む日だったことにある。翠屋は年中無休だがマスターの父やパティシエの母には当然休みの日がある。
自宅で母に時間を取ってもらって、なのはは昨夜自分の身に起きたことを語って聞かせた。実例として覚えたての魔法も見せた。
レイジングハートには魔法のことは口外しない方がいいと言われていたが、家族にくらいは話しておこうと思ったためだ。
父や兄に話せば反対されることは目に見えていたのでひとまず母を選んだ。
話し終えたあと、母はしばらく黙して床を見つめていた。大事なところではいつも泰然としている母だったが、今日ばかりは瞳が動揺に揺れていた。嵐の中に置き去りにされたロウソクの火のようだった。
母は小さく頭を振って口を開く。
「……信じきれないところもあるけれど、話は飲み込めたわ。なのは……怖い目にあったのね」
真っ先にそれを言われるとは思わず、家族以外には見せないような呆けた顔をしてしまった。
「だ、大丈夫だよお母さん。ほら、フェイトちゃんって子に助けてもらったから」
慌てて言い繕う。これ以上母に心配されたら自分はきっと泣き出してしまう、そういう予感があった。
自分の中ではすでに解決したと思っている悩み事でも、母に慰められると不思議と思い出して涙が出てしまうのだ。泣いた後はすっきりするのだけど、心配を掛けたくないなのはとしては本意ではなかった。
「なのはの決めたことなら応援してあげたいけど……でも、とても危険なことなんでしょう?」
『いいえ』
確固たる口調でレイジングハートが断言した。
『マスターほどの実力があれば向かうところ敵なし、害せる者などいないでしょう。むしろこのままジュエルシードを放置することの方が危険です。早期発見、早期封印、これこそがマスターの安全を考えても最善の選択です』
彼女の言葉は相変わらず英語だったが、魔法使いでない人間相手にも翻訳機能は有効らしい。
それは説得のための方便だったのか、本気の発言だったのか、なのはは前者だと思ったが、母にとっては違ったのかもしれない。
「信じていいのかしら? レイジングハートさん」
最初は話す宝石に驚いていた母だったが、今では一個の人格として尊重しているようだ。
『Yes. 私がマスターを傷つけさせません、マム』
母は両手で顔を覆うと、長い長いため息を付いた。
「分かった。お母さん、なのはを応援するわ。お父さんとお兄ちゃんにはしばらく内緒にしておきましょうか。二人に話すとなのはについて行っちゃいそうだもの」
どれだけ剣術が強くても魔法が使えない人間にはジュエルシードは封印できないし、暴走体にも効果的なダメージは見込めない。足手まといにしかならないとレイジングハートが話していた。
我が家の超人達ならなんとかなるのではと、なのははちょっと思ったが黙っておいた。
「隠し事はしたくないけれど、海鳴の平和がかかっているんだもの。頑張ってね、なのは。でも絶対に無茶だけはしちゃ駄目よ」
抱きしめられたなのはは母親の腕の中で何度も頷いた。
レイジングハートに口外しない方がいいと言われていたし巻き込みたくはなかったので、親友二人には魔法のことは秘密にすると決めていた。
元々なのはは悩み事などは自分の胸にしまっておくタイプだ。例え親友であっても、親友であるからこそ、自分の重みを誰かに背負ってもらうのは憚られる、そう思ってしまう性分だった。
それでも隠し事をしていれば怪しまれはするものだ。
魔法を知ってから数日が経過したが、なのははその間二回あった塾を二回とも休んだ。魔法練習とジュエルシード探索のためだが、その理由を二人に話していなかったのだから、問い詰められるのは当然といえる。
学校からの帰り道でなのははアリサに詰め寄られたが、真実は話せないにしても嘘はつきたくなかったため、「事情はあるけど今はどうしても話せない」の一点張りでなんとか解放してもらった。
「いつかちゃんと話しなさいよ」
「わたしも気になってるんだよ、なのはちゃん」
すずかにまでそう言われ、なのはは魔法のこと以外なら少しは話してもいいかという気になってきた。
「えと、詳しくは言えないんだけど、うん、正義のヒーローのお手伝い、かな。なんちゃって……」
冗談めかして言った瞬間、すずかに肩を掴まれた。滅多にないことに思わず「えっ」と声が出た。
「そ、それってもしかしてっ、変身ヒーロー!?」
「どどど、どうしたの、すずかちゃん」
細い腕に細い指なのにやたらと力が強い。
「改造人間系? 戦隊系? 巨大系? 裏切り者の名を受けて全てを捨てて戦う男系? それともやっぱり逆さ系!?」
すずかがヒーローの話題にこんなに食いついてくるとは思わなかった。逆さ系ヒーローってなんだろう。
しかもすずかだけでなく、アリサまで難しい顔で「正義のヒーロー…」と呟いている。
……二人とも意外とそういう話題が好きなんだろうか。二人はゲームが好きだからその影響かもしれない。
一方のなのはは父兄からしてすでにヒーローに片足を突っ込んでいるせいか、架空のヒーローにあまり興味はなかった。
「えと、魔法少女系かな」
「魔法少女系……」
すずかはなのはから手を離すと、「そんなのまで実在してたんだ……」と項垂れてしまった。
こうしてすずかの休日の研究課題に魔法少女が加わることになるのだが、今のなのはには与り知らぬことだった。
なのはが最初のジュエルシードの反応を感知したのはその翌日、放課後の午後四時過ぎだった。幸い探索していた場所の近くだったので走って駆けつけられた。
場所は郊外の林。すぐ横の車道を大型トラックが面倒くさそうに走り抜けていく。
反応を目指して低い石塀の段差を乗り越え、もわっと木々の香りが漂う林に分け入ると、前方に奇妙な魔力空間があることに気が付いた。
「これって例の……封時結界?」
『Yes. ユーノが得意とする結界魔法です』
ということは――この中に、悪魔がいる。なのはは視認できない結界の奥を睨めつけた。
「レイジングハート、セットアップ!」
この数日で何度も練習したセットアップは、すでに起動ワード必要としない。
光の繭が体を包み変態させる。聖祥の制服を元に構想した白いバリアジャケットと、悪魔のものと少し似たデザインの杖が現れた。
「行くよ、レイジングハート」
見えない壁を突き破り結界内部に突入した。
耳を打つ静寂と停滞した空気、何かが劇的に変わるわけでもない別世界。
あの日と同じ色褪せた空間の中、最初に目に入ったのは金の光。遠くに立っている黒い少女、フェイト・テスタロッサが発動させている封印術式が派手な雷光を撒き散らしていた。
その近く、低空に浮かぶ青い宝石ジュエルシードは今まさに封印されようというところ。
だが封時結界が張ってあった以上、悪魔がいる可能性は高い。そう簡単にいくとは思えない。なのはは悪魔を探して首を回し、曇天のような灰色の空におぞましき姿を捉えた。
相変わらずの恐ろしいコスチューム。やはり逆さまの姿で、悪魔ユーノ・スクライアは空中に浮かんでいた。遠目でも逆さに垂れ下がる外套は妙に目立つ。
その上に青白い魔法陣。術式は攻撃のそれ。明らかに黒い少女を攻撃しようとしていた。
フェイトは気付いていないのか、例え攻撃されてもジュエルシードの封印を優先したいのか、対応しようとする様子がない。
「っ……させない!」
なのははレイジングハートの切っ先を空中の悪魔に向けた。
授業中は魔法のことやらなにやらで頭がいっぱいだが、マルチタスクとオリ主補正のかかった頭脳のおかげで学業は特に問題なく、夢とは思えないほどリアルな高校学問の知識を蓄えている。
一方で学校生活の方はオマケ、という意識が強いため日常生活に身が入らず、未だに親しい友人はできていない。
後腐れのない夢だからこそ友達作りに積極的になってみようかな、という意志もあるのだが、それで魔法関連の時間が削られてしまうと思うとどうにも踏み込めない。
放課後が訪れるとハクタはひとまず帰宅し、自宅待機のユーノを連れて当て所ない探索をぶらぶらと始めることとなる。
その日は実りがあった。ジュエルシードの反応を感知。
しかし現場である郊外の林に急行したところ、すでに例の黒い少女が到着済み。今まさに封印しようとしているところだった。
別の場所を捜索しているのかアルフと思しき姿は見られない。
ユーノが封時結界を発動させる。相手がこちらに気付いていないなら結界は悪手だが、どうせ気付いているだろうし結界を張らずに大っぴらに魔法を使うわけにもいかない。ジュエルシード付近での戦闘なら尚更だ。
林上空を逆さまで漂う。緑色を失った木々の絨毯をバイザー越しに眺めながら、脳内で魔法を組み立てていく。
相手は格上なのだから不意打ちがベター。相手がこちらに気付いていても封印中なら不意打ちに近い成果が得られるだろう。
先手必勝。遠慮のない攻撃術式が青白い魔法陣となって上方に広がる。
『結界内に侵入者あり』
シャワーズの警告を聞いたのはその時だった。バイザーに「侵入者」の姿が映し出される。
小さな女の子だった。白を基調に青を加えた制服のようなバリアジャケット。胸には目を引く赤いリボン。茶色の髪は白いリボンで左右に結わえられている。アニメでは見慣れた格好。もはや確定的な容姿だった。
高町なのはだ。
だというのに、何故か見慣れぬデバイスを所持している。
白、金、ピンクの三色に、シンボルの赤い宝石を携えた原作レイジングハートの配色。だが輪郭のディティールが異なっている。
シューティングモードなのだろう、金のフレームは曲線を描いてはおらず、赤い宝石を挟みこみ刃のように前方に伸びている。従来のシューティングモードに比べるとやや鋭角的なフォルムはA'sでのバスターモードを彷彿とさせる。
いずれとも異なる点は上下だけでなく左右にも金のフレームが追加されたこと。赤い宝石を支えるように突き出した短いブレード部分。発射口である赤い宝石が上下左右ブレードで覆われたことにより、射線が安定しそうな印象を受ける。杖というよりも銃口という印象のデザインだ。
排気筒は二本増えて四本。排気筒を増やす意図は不明だが、ハクタが持っている従来の二つのデザインよりどことなく強そうに見える。
四本の排気筒の背面にはシーリングモードにあったような翼の台座となる部分が付いていて、そこから桜色の翼が一枚ずつ、計四枚、優美に杖の後方に向けて広がっている。水中を泳ぐ魚のヒレのようでもある。ポケモン大好きなハクタはミロカロスの眉のような部分の印象を抱いた。
最も異なるのは先端ではなく杖の周辺。StSのブラスタービットのように本体から離れたパーツがあり、柄の周囲に浮かんでいた。
数は五つ。フレーム部分と同じ材質らしく、色は光沢のある金。形はフェイトの手袋のデザインを参考にしたのだろう、バルディッシュのスタンバイモードによく似た三角形だ。面積はその数倍。
杖の周りを囲むように円形に配置されている。それが五つあるため、どことなくデフォルメされた星マークを連想させた。
ハクタが真っ先に思い浮かべたのはあれだ、「魔法少女リリカルなのは」のタイトルロゴで「なのは」の文字のバックに書かれている黄色い星。色も似通っている。
偶然だろうがそう思うと、従来よりも武器らしくなってしまったレイジングハートから無骨なイメージが払拭された。
やがて五つの三角形から桜色の光の帯が伸びて繋がっていき、円を形作った。
金のプレートが桜色の魔力光に染められて鮮やかなピンクに色を変える。
先程まで星だったそれは、淡く光る桜の花弁となった。
五枚の桜の花弁がゆっくりと、魔法円ごと回転を始める。
それはアニメでなのはが砲撃を撃つとき、姿勢制御として回転する魔法円に酷似していた。
従来のレイジングハートに比べると先端部分こそやや物騒な感じになってはいるが、流麗な四枚の翼とゆるやかに回る桜の花びらが美しい。
どうして原作と形態が違うのかは謎だがデザインとしては悪くない。
赤い宝石に桜色の魔力が収束していく。ライトアップされた夜桜のよう。曇天の中力強い光を放っている。
術式からも読み取れる。砲撃魔法を使う気だ。
だが――どうして切っ先がこちらに向いているのだろう。
『ハクタ、狙われていますよ』
「え、なんで!?」
『あからさまに悪役な不審者がいたいけな少女を上から不意打ちしようとしていれば、正常な精神の持ち主ならどちらを敵と捉えるかは明白です』
言われてみれば一理ある。
白い少女の足元で凶悪なピンクに光る魔法陣を見て、ハクタは血の気が引いた。
「ユーノ、防御頼む!」
ハクタは両足のフィンに魔力を込めて回避の準備をしておく。
共倒れを防ぐためにユーノを腕から離れさせ、少し離れた位置に待機させた。
砲撃が放たれた。
桜色の光が奔流となってモノトーンの空を塗り潰す。
いつぞやのハクタのナローバスターと比べると十倍、いや百倍ともいえる規模の砲撃だった。
緑の光壁がハクタを守るように半球状に広がる。サポートの鬼、ユーノの手柄だ。
光壁が一瞬砲撃を受け止めている間に、フィンを大きく羽ばたかせ上方に脱出した。
風と砲撃が唸り声を競う。
光壁が破られ、垂れ下がる外套の直下を桜色のエネルギーが通過していく。
ふう、とハクタは胸に溜まった息を速やかにイジェクトし、
「よく分からんが、とりあえず――なのはさんを倒す!」
「えええっ」
ユーノの声を無視しつつ発動寸前だった魔法を行使。元々フェイトに放とうと思っていた誘導弾が出現し――
未だ先程の砲撃を放出し続けているなのはが、
不意に、
レイジングハートを、
少しだけ上に動かした。
ハクタの真下から桜色の奔流が迫り来る。
ビームを振りまわ――?
圧倒的な光は意識までもを白く塗り潰した。
悪魔は撃墜され落下する途中、以前と同じ緑の光に包まれどこかへと消える。
光る桜の花がゆっくりと回転を止めた。五つの姿勢制御ビットは、フェイトの衣装からインスピレーションを受けた本来の金色へと戻っていく。
四つの排気筒がせり出し余剰魔力を蒸気にして噴出する。白い煙にかき消されるように四枚の翼は消えていった。
「勝った……」
思わず呟きが漏れる。
『当然の結果です』
「勝ったっ」
あんな恐ろしい悪魔に、こんなに簡単に勝てるなんて思ってもみなかった。ここ最近の魔法訓練が実ったのだ。
勝因はなのはの考えた姿勢制御システムだろうか。バスター照射中の照準変更はかなりの高等技術だという。それをデバイスに組み込んだなのはのシステムは画期的だとレイジングハートも褒めていた。
フェイトは無事ジュエルシードの格納を終えたようだ。足下の草をゆっくりと踏みしめながらこちらに歩んでくる。
はしゃいでいたなのはは、憧れている存在に対峙して緊張のあまり固まってしまった。
「君はこの間の――」
フェイトは用心深く黒い斧を構えている。
「魔導師だったんだ。君もロストロギアが目当て?」
「ろすと……ろぎゃあ?」
なのはは首を傾げる。その様子にフェイトまでも首を傾げ、なんとも可愛い図ができてしまう。
『ジュエルシードのことです、マスター』
あ、そうなんだ。
確かにジュエルシードの封印が目当てだが、フェイトが封印を終えた今となってはどうでもいい。
それよりも、
「あのっ、この前は助けてくれてありがとうっ」
緊張に高鳴る胸に邪魔をされ、つっかえそうになりながらもなんとか言い切って頭を下げる。
「……前にも聞いたし、感謝は受け取れないと言った」
なのはは顔を上げ、微笑んだ。
「いいの、わたしがお礼を言いたかっただけだから」
フェイトの無感情だった顔に朱が差した。大きな瞳に動揺を滲ませながら「そ、そうなんだ」と呟く。
封時結界が崩れだす。周辺の林が多様な緑を取り戻していく。少女の後ろ、木々の向こう側の道路に速度標識があるのに今気が付いた。
やがてそれも目に入らなくなる。色付く世界の中、なのはは少しの間もじもじする黒い少女に見とれていた。
「あ、そうだ」
思い出して、バリアジャケットを解除。そのことにフェイトの目が大きく見開かれたことを疑問に思いながらも、持ってきていたキャラものの布袋から白い箱を取り出す。紙で組まれた箱には、「翠」のロゴがプリントされていた。
「お菓子だよ。お母さんが焼いてくれたんだっ。わたしの恩人にって」
フェイトは狼狽えてしまう。
「う、受け取れない。前にも言ったけど、原因はこちらにあるから」
「おねがい、受け取って。いつ会えるか分からないから、お母さん、この日のために毎日焼いてくれてたんだよ」
「わ、私のために……」
フェイトは戸惑いながらもはにかんだ。その表情になのはは思わずどきりとしてしまう。
とぎまぎしながらフェイトに近付き、クッキーの箱を手渡す。黒い手袋が指先に触れた。
近くで見ると、黒いバリアジャケットとのコントラストで剥き出しの二の腕が眩しい。
「あ、ありがとう。いいお母さんだね」
白い箱に視線を落としながら、フェイトがぽつりと呟く。
「うんっ、とっても優しいの。たまに怒るとすっごく怖いんだけど」
たはは、と笑うと、フェイトがおずおずと「同じだね」と言った。
「私の母さんも、怖いけど……本当は優しいから」
その時、なのははフェイトが自分のことを語ってくれことが素直に嬉しくて、花が綻ぶように笑った。
「うんっ、同じだね」
フェイトが颯爽と飛び去った後、なのはは憧れの恩人と話せてほくほく顔だった。その念話が聞こえてくるまでは。
《この声が聞こえますか――》
《あなたは高町なのはさんですか――》
《ぼくはユーノ。ユーノ・スクライアといいます――》
ハクタが目を醒ましたとき、視界の中で形を成したのはこの世界での自室だった。ぼんやりと黄色いのは外からの明かりか。
ベッドの上、涼し気な青い水玉シーツの上に寝かされている。
頭が磨りガラスのようにぼやけている。意識に記憶を追いつかせようと思考を進める。
寝返りついでに部屋の様子を確かめようとすると、何故だか白い制服の少女と目が合った。
「あっ、あのっ!」
女児はこちらが目を醒ましたことに気が付くと、足元の座布団に綺麗に座り直し、万全のフォームでダイナミックにも土下座を敢行した。
「ごめんなさいでした!」
???
ハクタはさらに部屋の中でもっと珍妙なものを見つける。
白い少女の横にフェレットがいて、こちらもまた、何故だか世にも珍しいフェレットの土下座という芸を披露していた。こちらはハクタにではなく白い少女に向けて。
「え……これどういう状況?」
ハクタが呆然としたのも無理からぬことだった。
――――――――
*執筆 2010. 7月
*投稿 10. 10/9