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No.21873の一覧
[0] 【完結】【R-15】ルナティック幻想入り(東方 オリ主)[アルパカ度数38%](2014/02/01 01:06)
[1] 人里1[アルパカ度数38%](2011/06/21 19:52)
[2] 白玉楼1[アルパカ度数38%](2010/09/19 22:03)
[3] 白玉楼2[アルパカ度数38%](2010/10/03 17:56)
[4] 永遠亭1[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:48)
[5] 永遠亭2[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:48)
[6] 永遠亭3[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:47)
[7] 閑話1[アルパカ度数38%](2010/11/22 01:33)
[8] 太陽の畑1[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:46)
[9] 太陽の畑2[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:45)
[10] 博麗神社1[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:44)
[11] 博麗神社2[アルパカ度数38%](2011/02/13 23:12)
[12] 博麗神社3[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:43)
[13] 宴会1[アルパカ度数38%](2011/03/01 00:24)
[14] 宴会2[アルパカ度数38%](2011/03/15 22:43)
[15] 宴会3[アルパカ度数38%](2011/04/03 18:20)
[16] 取材[アルパカ度数38%](2011/04/11 00:14)
[17] 魔法の森[アルパカ度数38%](2011/04/24 20:16)
[18] 閑話2[アルパカ度数38%](2011/05/26 20:16)
[19] 守矢神社1[アルパカ度数38%](2011/09/03 19:45)
[20] 守矢神社2[アルパカ度数38%](2011/06/04 20:07)
[21] 守矢神社3[アルパカ度数38%](2011/06/21 19:59)
[22] 人里2[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:09)
[23] 命蓮寺1[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:10)
[24] 命蓮寺2[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:12)
[25] 命蓮寺3[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:14)
[26] 閑話3[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:14)
[27] 地底[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:15)
[28] 地霊殿1[アルパカ度数38%](2011/09/13 19:52)
[29] 地霊殿2[アルパカ度数38%](2011/09/21 19:22)
[30] 地霊殿3[アルパカ度数38%](2011/10/02 19:42)
[31] 博麗神社4[アルパカ度数38%](2011/10/06 19:32)
[32] 幻想郷[アルパカ度数38%](2011/10/08 23:28)
[33] あとがき[アルパカ度数38%](2011/10/06 19:36)
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[21873] 白玉楼2
Name: アルパカ度数38%◆2d8181b0 ID:099e8620 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/10/03 17:56

 魂魄妖夢は剣士である。
故に斬るべき時は迷いをも同時に斬っているし、だから今まで、斬れなかった事を後悔する事はあっても、斬った事を後悔した事は一度も無い。
斬るべきでは無かったモノを斬ってしまった時も、それは斬る事により知った事実がある以上、正しいのだと信じてきた。
斬る事を失敗したとしても、斬ろうとした事により生まれた事実がある以上、正しいのだと信じてきた。
それは今の所、ずっと変わらないでいる。
何時しか鬼に、それは師の教えを理解していないと言われたが、それでも変わらないまま。
だから今回、権兵衛の事を物取りと勘違いして斬ってしまった事も、申し訳ないと思いながらも後悔はしていない。
してはいないのだが。

「………………」

 明朝の白玉楼。
肌を切るような冷たさの外気に身を晒し、妖夢は白楼剣を手にしていた。
普段腰にある短刀を右手に持ち、上段に持つ。
そも、迷いを斬る短刀である白楼剣は、威力を求めて斬る剣では無い。
それ故に常には上段に構える事はあまりなく、更には迷いを“斬る”ので突きには向かず、何時でも手首で返せるように小さく斬るのが基本であるが、今は違った。
斬るべき迷いは、己の中にあった。
である故に、この行為は、空気中の迷いを斬る事で、己の中の迷いを具現化せんと言う行為である。

「――っ」

 上段、袈裟斬り。
受けるのも避けるのも難しい、完全な殺傷より斬り裂く事を目的とした一撃。
空気を割り、空気中の迷いを斬り、風音を立て、ピタリと切っ先は震え一つ無く停止する。
しかし斬られた部位の迷いは迷いの真空となる事はなく、刀の後を追うように空気中の迷いが侵入し、斬る前よりむしろ雑然とした迷いが、空気中に漂った。
踏み込んだ足が、じり、と、土を盛る。
切っ先をそのまま上げる裏切上、無限の字のごとく刀が滑り、表切上。
しかし迷いは絶たれた先から埋められ、ただ混ぜっかえされたかのごとく、エントロピー増大の負の連鎖を見せつけていた。
ここ数年、最近の冥界と似た事実であり、至極当然の結果である。
そも、妖夢が断つべきは空気中の迷いではない、己の中の迷いであり、迷いを斬る感覚により己の中の迷いを斬る方法を見つける事だ。
だが、いくら空気を斬っても斬っても、妖夢の中から迷いは消えなかった。
それどころか、ふつふつと膨れ上がる迷いはその量を増すばかりで、消えるどころでは無い。

「………………ぁ、ぅ」

 それに対して弱音を吐こうとして口を開き、しかしそれもまた迷いを増す行為であるように思えて、妖夢は結局何も言わず、言葉ともとれぬ言葉を吐き出すだけで、口を閉じる。
問題は、妖夢が権兵衛を斬った事にあった。
否、もっと正確に言うならば、妖夢が権兵衛を斬った行為自体ではなく、斬った感想にあった。
なぜなら。
魂魄の剣は、迷いを断つ剣である。
迷いの絶たれた正しい世界には、真実が見える。
だから剣は真実を知るために振るわれ、剣は真実を教え、そして剣の主は真実へと至る。
それが魂魄の剣の道理であり、少なくとも妖夢は、そう信じていた。
その道理はストレートな妖夢の性格に合っていたし、だから、この数十年ほど、妖夢はその道理を信じてきた。
魂魄妖忌もそれについて何も言わなかったし、それは己が正しいからだと妖夢は思ってきた。
主である幽々子には半人前と言われてしまうが、それはまだまだ真実を斬り足らないから、真実を知り足らず、故に半人前と称されるのであると妖夢は思っている。
それはとても純粋で迷いの入る余地の無い思いで、少なくとも、妖夢が権兵衛を斬るその瞬間までは、それが妖夢にとって唯一にして最大の真実であるように思われた。

 だが、それは今、崩されていた。
真実は斬って知る。
だから斬って得られる物は真実の他に何もなく、真実とは迷いの絶たれた明らかな物であるのだから、迷いもまた、ない、筈。
しかし妖夢は、権兵衛を斬った時、他に何か得た感覚があったのだった。
それが何かは、今はまだ、妖夢には分からない。
しかし少なくともまだ明らかでない物であり、つまり迷われた部分のある物と言う事で、空気中の迷いを斬る事でそれを知り、そして斬ろうと思っていたのだが、それは今の所全くもって上手く行ってなかった。
とりあえず、と、妖夢はむき出しの白楼剣を納刀。
代わりに、権兵衛を斬った剣である、楼観剣を抜刀する。

 まず妖夢は、常の通りに楼観剣を左手にとり、権兵衛を斬った時と同じように、逆胴に打ち込む。
空気分子が迷いと共に絶たれ、風の音がそれを知らせる。
あの時こうした事は、間違いである。
何故なら権兵衛がその実物取りではなく、しかも幽々子と気の合うような、暖かな善人だからだ。
しかし同時、あの時こうした事は、間違いではない。
何故なら妖夢は斬る事により、そういった真実を得たからである。
逆に斬らねば物取りと知った者を見逃す事になり、それは当然、正しくない事となる。
更には権兵衛を言う人を知らぬままであり、物取りだからと言って確証の無いまま斬る事の間違いをも、知らぬままであった。
故に妖夢は権兵衛を斬った事を申し訳なく思うと同時に、ある部分、肯定する。
そこまではいい、魂魄の剣の道理の通りである。
真実は斬って知る。
妖夢は斬って真実を得た。
斬撃とは、それだけであるべきである。

「……だけど」

 だけれども。
それだけでは、無かった。
あの時妖夢は、何と言うか、表現すべき言葉が見つからないのだが、奇妙な感覚をも得ていたのだ。
心の痛みだとか、罪悪感だとか、少なくともそう言うのではない、と、妖夢は思う。
それは斬撃の後に来る物であり、その感覚を妖夢は知っており、だから違うと分かる。
では果たして、何だったのだろうか?
その奇妙な感覚は、確かにあったと言う記憶はあるのだが、試しに権兵衛を斬った時を再現してみても、蘇らない。
ただただ追憶の中にあるだけで、その掌に必ずあった感覚は、まるで幻であったかのように、掴めない。
斬れない物はあんまりない、とはかつての妖夢の言であったが、幻もまた、今の妖夢には斬れず、真実を知れない物である。

 じりり。
土を踏む、音がする。
その体重から誰が来たのか察し、あーあ、と妖夢は内心で呟きながら、楼観剣を納刀した。
結局その謎の感覚は分からないままに、妖夢の朝の鍛錬は終わりである。
どうすれば分かるのやら、と、ため息混じりに内心で呟くと、その人物の方へと振り向いた。

「おはようございます、権兵衛さん」
「あぁ、おはよう妖夢さん。えっと、訓練の邪魔になっちゃったかな?」

 そんな事はありませんよ、と返しつつ、妖夢は近づいてくる権兵衛に、ぴん、と左手の人差指を立てて言う。

「それより権兵衛さん、朝から散歩と言うのは健康的で宜しいですけど、自分が怪我人だと言う事を、忘れてませんか?
もし、何かのはずみで怪我が開いたら、どうするんですか。
何処に居るのか分からないんじゃあ、助けられようが無いじゃないですか」
「いやぁ、ごめんごめん、ちょっと昔に、夜の散歩が日課だった頃があってさ、なんだか朝目覚めてみると、それが懐かしくって。これからは自重するよ」

 頭を掻きながら言う権兵衛は、非常に優しい人だ、と妖夢は思う。
何せ物取りと間違えて腹を斬られて、それで土下座されただけであっさり許してしまうなど、お人好しにも程が過ぎる。
その上、他人の事は兎も角自分の事にはだらしない所があり、長時間目を離すのはぞっとしない、案外手のかかる人である。
だと言うのに、遣る方無い事に、この男、幽々子と共に妖夢の事をからかってくるのだ。
その辺少し幽々子に似ている所があるが、しかし幽々子と違い、権兵衛の方は考えている事が結構分かりやすく、しかも、何と言うか、「全くもう、仕方が無いなぁ」と思わせるような感じの人なのである。
その仕方が無いなぁも、呆れると言うよりは親しみを感じさせるもので、そう、何だか、世話焼かれ上手な男なのだ。
当然世話焼き上手の妖夢としては好感を抱かぬ筈も無く、反面、斬ってしまって本当に申し訳ない人なのであった。

「えっと、じゃあ、そうだな、ちょっと妖夢さんに聞きたい事があるだけど、いいかな」
「? どうしたのですか?」

 内心で自省を新たにしていた妖夢であったが、権兵衛の言葉に、面を上げる。
それが目的で散歩していたのだろうか、と思いつつ、耳を傾けるに努める。

「妖夢さんは昨日、いや一昨日になるのか、俺が君を許した時にだ、幽々子さんは君に、自分で罰を考えるように言っただろう?
その、もし邪魔でなければなんだけど、その罰を考える事について、俺が何か、力になれれば、と思って」
「………………貴方って、人は」

 開いた口がふさがらない、とはこの事か。
一体この人はどこまで人が良ければ気が済むのだろうか、と、妖夢は呆けたままに思う。
なんだかもう、この人を放っておくのは、それだけで気が引けるように妖夢には思えてきた。
何せお人好し過ぎて、頼まれれば自分の生活を削ってでも、どんな事でも出来る事ならしてやろうとするのではあるまいか。
呆れると共に、自分の世話焼き心がびんびん刺激されるのを感じながら、やっぱり、仕方ないなぁ、と妖夢はため息をつくのであった。

「全くもう、幽々子さまは私が自分で罰を考える事として、あの場を収めたのです。
だから貴方の力を借りては、今度は、貴方の許しを受け入れた事までもがなくなってしまうし、やっぱりそれは、正しい行いではありません。
と言うか権兵衛さん、貴方は他人の前に、自分の事を考えてくださいよ。
料理を全然できないのも勿論、お作法だって、昨日、嫌い箸を一杯してたじゃないですか。
せめて、此処に居る間に、お食事の作法ぐらいは覚えていってもらいますからねっ」
「うっ……」

 やっぱ来なけりゃ良かった、と言う感じに呻き声をあげる権兵衛に、内心でちょっと妖夢の心が晴れる。
何せ幽々子の方はたまに注意する事があっても、それが通じているのかどうかすらも掴み所が無く、注意のしがいが無いのだが、こうやって反応を得られると、自分が矯正してあげなきゃ、と言う気持ちがもりもり湧いてくるのである。
何せこの人は、お布団を畳むのもちょっとだらしない形になってしまうし、着物の着方だって、何だかよれっとしている部分がある。
そのくせ他人の手伝いは得意なようで、食事の時など、お代わりなどで妖夢が席を立っている後ろで、幽々子の欲しい食べ物を目で察して取り分けてやる所など、実に堂に入ったものであった。
全くもう、と、もう一度心の中で唱えながら、半歩下がる権兵衛に、微笑みながら妖夢は声をかけた。

「さて、そろそろ朝食の用意を始める時間です。
途中まで送りますから、大人しく部屋に戻ってくださいね」
「……はい」

 しゅん、と項垂れた権兵衛を見ると、幽々子と一緒にやりこめられた仕返しができたようで、ちょっとだけ嬉しい。
口角をもう少しだけあげながら、先に歩みだす権兵衛の背へ追いつこうと、妖夢は歩き始める。
その際体からすっと力を抜き、自然体になる。
チン、と、音がした。
ふと音源を見れば、右手と右手が握る楼観剣の鞘であり、音の種類は金属的で、丁度鍔鳴りの音であったかのように思えた。
至極当然、力が抜ける以前は楼観剣は鞘に収まっていなかったと言う事になり、つまり、それは。
ごくりと、思わず妖夢は唾を飲む。
今自分は、一体何をしようとしていた?
楼観剣を鞘から覗かせ、一体権兵衛をどうしようとしていたのだ?

 息を吸うのが、酷く重苦しいように妖夢には感じられた。
肺が重力に引かれ下がるような感覚を得ながら、妖夢は、思う。
もし。
もし今自分が楼観剣の鯉口を切っていたなら、多分、あの奇妙な何らかの感覚を得ていただろう。
それは果たして、そのはっきりしない感覚を確かめたいだけなのだろうか。
それだけの為に、無意識に、あのお人好しで世話焼かせ上手な権兵衛を、斬ろうと思えるのだろうか。
ひょっとして、あの感覚を確かめたいだけではなく、単に、あの感覚それ自体を得たいと思ってしまったのではないだろうか。
もし、そうなのだとすれば。
何度も繰り返したいと思い、欲求を刺激する感覚の名を、妖夢は知っている。
だから、思うのだ。
思って、しまったのだ。

 ――魂魄妖夢は、権兵衛を斬る事で、快感を得ているのではないだろうか。



      ***



 白玉楼の滞在も三日目になる。
流石に俺も此処の間取りを覚え始めてきて、ついつい昔の――と言っても、俺は生まれ変わって半年なのだが――ように散歩に出てしまい、ついでに妖夢さんの自罰に関して手伝える所があれば、と彼女を探してみる事にした。
見つけたのは、剣の鍛錬に打ち込む妖夢さんだった。
成程、幽々子さんへの剣の指南役、と言うのも納得できる、凄まじい剣技であった。
感心しつつも、邪魔をしてしまった事に悪い気がしつつも、何か俺にできる事は、と聞いてみた所、俺が世話をするどころか、むしろ自分の心配をしてくさい、大体貴方は云々、と説教をされてしまい、逆に世話を焼かれてしまったようで、参ったなぁ、と思いつつも朝食に集まり、終えた。
食後のお茶を愉しむ幽々子さんに付き合うと同時、洗い物を手伝える身分に無い事がなんだか体が痒いような感じで、楽だから良いのやら、心が焦れて悪いのやら、複雑な感じを幽々子さんの笑顔に癒されている所であった。
洗い物を終えて戻ってきた妖夢さんが、すっと腰をおろすと、幽々子さんへ向かって言う。

「幽々子さま。少々、お話があるのですが」
「何かしら、妖夢?」

 言葉をかける妖夢さんの表情は、何やら深刻そうな顔であった。
さてはて、妖夢さんの深刻な事情と言うと、俺の知る物では自罰についての事であり、それは朝に手伝う事を断られた事であった。
もしかして既に決めてあったから俺の助けが要らなかったのかと思うと、安心する反面、手を貸せなかった事が歯痒くもあり、内心複雑である。
それはともかく、この場合俺はこの場に居ていいのやらどうなのやら、とりあえず腰を浮かそうとするものの、妖夢さんがすぐに居て構いません、と制するので、浮いた腰を落とす次第となった。
とりあえず事情が分からないので、妖夢さんと幽々子さんの顔を視線が行き来する事になる。

 妖夢さんの方は、触れれば斬れるような、真剣のような面立ちだった。
常の青い瞳を幽々子さんへ真っ直ぐと向け、口はびしっと一文字を描いており、姿勢を見ると、礼儀正しく正座している筈なのだが、何処か前のめり気味な感慨を受ける。
対する幽々子さんは、余裕ある表情のままであった。
柔和な線を描く眉と共に血色の瞳で妖夢さんの視線を受け止め、悠然と構える様は、まるで大きな山のように存在感があり、女性に言うには不的確な比喩であるのだが、どっしりと構えている。
とか思ったら一瞬ジト目で睨まれたしまったので、思わず目を見開きながらも、軽く頭を下げておく事にした。
などと馬鹿なやり取りをしているうちに、覚悟が決まったのであろう、妖夢さんが重い口を開く。

「刀を――絶たせていただきたい」

 思わず、視線を妖夢さんの腰の二刀にやってしまった。
刀を。
朝、あれほど見事な太刀筋を見せていた、刀を。
どれほどの年月を注ぎ込まれればあれほどの剣技を成せるのか、素人目にもそれが絶大な物と分かるほどのそれを。
断つ、とは。
一体どんな決意を持ってなされた言葉なのか、測りかねる俺を尻目に、幽々子さんが言った。

「それは……先日言った、貴方自身で考える罰なのかしら?」
「いえ。それとは別に、理由があるのです」
「なるほどね」

 うんうん、と、何か納得したように幽々子さんは頷くのだが、俺にはさっぱり分からなかった。
自罰でないのなら一体どんな理由で、刀を断つなどと言う事になるのやら。
それで通じ合っているのなら俺も主従の深い関係故なんだなぁ、と軽い嫉妬を覚えつつ眺めていられただろうが、妖夢さんの方も、説明を求められると思っていたのだろう、肩透かしされたような表情だった。
矢張り幽々子さんは、時々分からない。
割りと気の合う方だと俺は思っているのだが、それでもこういった、ふわふわした感じの良く分からない言葉が出てくる事がある。
だからと言って俺が彼女に感じる好感は一片足りとも削れる訳でも無いのだが、少し寂しい物があると言われれば否定できない。

「構わないわ」

 と、短く幽々子さんは告げた。
そのあっさり加減に妖夢さんは目を白黒させているようだったが、暫く間を置くと、ありがとうございます、と幽々子さんに頭を下げ、退室する。
さてはて、結局のところ、俺には何の事情も分からなかった。
何やら深刻そうな事情であるので、可能であれば協力をしたいのだが、事情の中身が分からなければそれも叶わず、そも、俺が手を出す事そのものが害悪となる可能性すらある。
なにより、それを幽々子さんへ聞いて事情へ立ち入ろうとする事が、不躾ではないかと言う不安もあった。
俺はこの三日、まるで家族のように親しく二人に歓迎してもらえたのだが、それでも真実に同じ家に住む家族では無く、外部の客と言う立場である。
であるのに家族の間にあるのかもしれない深刻な問題に立ち入って良いかは、疑問だ。
と言っても、そればかりは問題を把握しているらしい幽々子さんへ聞くしか、俺に知る手段は無い。
何せ人の心の問題には随分長いこと付き合いが無く、と言うのも、そも人間の顔を見る頻度すら低い物なのだから。

「幽々子さん。その、少々聞いていいでしょうか?」
「何かしら? 権兵衛さん」

 幽々子さんの言葉は相変わらずの暖かな調子を保っていて、それに俺の不安は、僅かながら和らげられる。

「妖夢さんが刀を断つ、と言う事なのですが。
気まぐれだの訓練だので言ったんじゃあなく、多分彼女に何らかの問題があって、その解決の為に刀を断とうとしているぐらいは分かります。
その、お世話にもなりましたし、出来る事なら、俺は、彼女の力になりたい。
でも、何せ俺は彼女が刀を持つ理由さえ聞いていないので、それに俺が立ち入って良いものなのかすら、分からないのです。
もし分かっておいででしたら、俺が彼女の力になろうとする事が、彼女にとって害悪になるかどうか、教えて頂けないでしょうか」

 幽々子さんは、ぱちん、と音を立てながら、扇子を開いた。
口元を隠し、柔和そうな瞳で俺を見ながら、扇子を左右に揺らす。

「……つまり権兵衛さんは、許される事であれば、妖夢の力になりたい、と」
「はい」
「なら、権兵衛さんが妖夢の事をどう思っているのか、聞かせてもらえないかしら」

 表情は穏やかなままであったが、言葉の調子は、僅かに鋭い物が混じっていた。
俺は、きっとこれが正念場になる、と内心で言い聞かせ、胸をはる。

「俺は然程頭が良くないので、一言には纏められないですが。
そうですね、真っ直ぐで、その目の前では、背筋を伸ばしていたくなる子だと、思っています。
と言っても、妖夢さんからするとまだまだ背筋が曲がっているみたいで、何時もお説教されてしまいますけれど。
でも、その何倍も世話になっていて、だから、叶う事ならばその分の恩を返して、対等に、目の前に立っていたい子だと。
できる事なら、友人としてありたいと、思っています」

 それは、本心だった。
勿論俺が彼女に劣等感を感じているのも事実だし、それ故に顔を合わせると自分が浮き彫りにされるようで、心苦しい部分があるのも確かだ。
しかしそれ以上に、俺は彼女の真っ直ぐさに感銘を受けていたし、細かい事で世話になって恩を感じていた。
だからそれに対して恩を返したいと思うし、彼女に精神的に何か問題ができたと言うのなら、それを解決できるよう力を貸したいと思っている。
俺の言葉を受け取り、幽々子さんが、目尻をすっと下げた、ような気がする。

「くすっ、なら私は友人と思われていないのかしら。それじゃあ私の心も荒野そのものよ、ぐすん」
「いえいえ、とんでもない、叶う事なら友人でいたいと思っているし、幽々子さんの心の潤いとなりたいと思っていますよ」
「なら、人生の友情を確かめ合おうかしら?」
「昼間からとは風情がありますね、と言いたい所ですが、このまま妖夢さんを追いかけたいので、遠慮しておきますよ」
「あらら、乾杯は次の機会にね。じゃあ、妖夢の所へいってらっしゃい」

 およよ、と口元を着物の裾をで隠す幽々子さんには申し訳ないが、実際、このままお酒を飲んで記憶を無くす訳にはいかないので、勘弁してもらう事にする。
と言うか、昨日飲もうとしたら妖夢さんに怒られたし。
臓器が傷付いたばっかりだろう、って。
兎に角妖夢さんを追いたいので、席を立ち、一度礼をすると、俺は襖を開けて、とりあえず朝見かけた辺りを目指して歩き出す事にする。
後ろ手に襖を閉める時、ふと、こんな声を聞いたような気がした。

「そう。なら、いいわよね」

 何が良かったのかよく分からないが、幽々子さんにとって何かが良かったのなら、とりあえず良かったのだろう、と結論づけ、俺は妖夢さんの方へと向かう事にする。



      ***



 幽々子は、妖夢の所へかけ出していった権兵衛の後ろ姿を目で追った後、ふぅ、とため息をつきながら縁側へと視線を向けた。
白玉楼はコの字型に庭を囲んで造られた屋敷であるので、どの部屋からでもよく整備された庭が見え、この部屋からも玉砂利が敷き詰められ、桜の木々が青々と茂る庭が見える。
その静けさに心を落ち着かせながら、権兵衛の前では隠していた、僅かに赤くなった頬を顕にする。
もう一度、ふうっ、と、ため息。
逃げてゆく幸せ以外にも甘酸っぱさがたっぷりつまったそれを空気中に放出しながら、幽々子は考える。

 妖夢が刀を断つと言うのは、理由まで分からないものの、妖夢の顔を見れば彼女が迷いを持った故の言葉であった事が分かる。
であれば、これは妖夢の人の部分が成長するのに必要な事なのだろう。
なので、幽々子としてはこれで妖夢がどうなることかについては、あまり心配していない。
権兵衛も居る事だし、妖夢は妖夢なりに考えて、何らかの答えを出すだろう。
あの子はいつもそんな真っ直ぐな子だ。

 それより問題は、と幽々子は思う。
幽々子が権兵衛を死に誘いたい、と思っている事だ。
そも、幽々子が人妖を死に誘おうと思う事は、そこそこ頻繁にあった。
あったと言う事は過去形であり、死に始めた時に浮かれてついつい命を死に誘いまくった頃があっただけであり、実のところ最近はそうでもない。
さて、その死に誘う理由だが、いくつかある。
好奇心から、と言うのが頻繁だった頃の主な答えであったが、それ以外は、親しくなった命を寿命やら何やらで逃すのが嫌で、なら死に誘い、閻魔の裁判を省略して冥界に住まわせればいいではないか、と言う事からが多い。
その他にも気になったから何となくとか、割りと我侭な理由も多いが、兎も角として、親しさがその理由である事が多い事が事実である。
ならば権兵衛に対して死に誘いたい理由は、それ故なのか。

 違う。
少なくとも、それだけでは無い、と、幽々子は思う。
と言うのも、もしそれだけであったらとっくに幽々子は権兵衛を死に誘い、冥界の住人としているだろうからだ。
その程度には幽々子は我侭な生き方――死に方をしてきたし、それはこれからも変わらないだろう。
だが、権兵衛を死に誘うのに、幽々子は未だ躊躇をしていた。
そしてそれは、何というか、初体験の感情であるので、幽々子にはまだどうにも処理できないのである。

 全く、妖夢を半人前なんてばかり言ってられないわね。
内心でつぶやきつつ、胸の内よりは温度が低いだろう、温かいお茶を嚥下する。
それでも体がぽっと暖かくなるのは止められず、亡霊だと言うのに今の幽々子の体温は少し高い。

 ならば、と幽々子は権兵衛に対して抱いている思いを、分析してみる事にする。
親しみは、ある。
それも長い付き合いの紫と肩を並べるぐらいに、不思議と幽々子は権兵衛に心を許していた。
彼とお茶をするのはそれだけで心おどるし、会話も一度飛び交い始めればぽんぽんと調子よく出てくる。
酒の方は、まだ彼とは体調を理由に交わしていないが、それは世にも楽しい事になるだろうと言う予感があるし、それを思うと存在しない筈の胸の鼓動が主張してくる。
それになにより、沈黙が全く苦痛では無いのだ。
二人で縁側に座り、間に茶と茶菓子を置いて、蝉の鳴き声一つしか無い沈黙を聞くだけであっても、体温がすぐ隣にあると言うだけで、何だか心がほっとする。
時たま視線が絡まりあうのも、茶菓子に伸びた手が絡むのも、何処か暖かく、心地が良い。

 では、他に感情は何を持っているのか。
う~んと首を捻ってみるが、思いつかない。
そりゃあ権兵衛が自分と同じく過去の自分が無いと言うのは親近感を感じる事だが、それ以外の感情を感じる物では無いのだし。

 ならば逆に、どんな感情を持っていれば、権兵衛を死に誘いたくも誘わない、と言う事になるのだろうか。
とりあえず、今すぐに権兵衛を死に誘う事を想像してみる。
見た所霊力や何かの資質は中々ありそうな男であるが、少なくとも今はそれは開花しておらず、ただのなんてことない人間だ、死に誘うのは簡単だろう。
恐らくは何の抵抗もなく権兵衛は亡霊になり、閻魔の裁判を通る事無く冥界に在住する事になるだろう。
ちょっと足が無くなり下駄の音を響かせる事が出来なくなるかもしれないが、困るのはそれぐらいで、ここ数日と変わらぬ毎日が続くに違いない。
一緒にお茶を飲んで、ご飯を食べて、妖夢を弄り倒して……。
それらが期限付きではなく永遠にできる事になるのだ、権兵衛も歓迎してくれるに……違い、無い、だろうか?

 突如生まれた疑問詞に、幽々子の記憶が蘇る。
親しくなった相手と寿命のない付き合いをしたくて死に誘った事は、両手の指では数えきれない程度にはある。
中には当然のごとく幽々子と仲良しのままの相手も居たが、中には逆に幽々子を蛇蝎のごとく嫌うようになった相手も居た。
そんな時は幽々子としては不愉快なので、その相手の事を忘れるなり、輪廻の輪にぽいっと戻してやるなりする事で対処してきたのだが。
よくよく思えば、権兵衛もまた、幽々子の事を嫌う可能性があるのではないだろうか。

「――あっ」

 それは天啓に似ていた。
すっと幽々子の頭の中が晴れ渡り、今まで疑問と言う雲が覆っていた青空が一面に広がったような気さえする。
そう、幽々子は、あの天衣無縫の幽々子が、権兵衛に嫌われたくない、などと言う事を思うようになってしまったのだ。
先の乙女じみた動作さえも自分に似合わない、と思っていた幽々子であったが、これもまた、重ねて幽々子に似合わない所業であった。
西行寺幽々子は典雅で自由で何物にも縛られない女であった筈で、例え親しい相手でもどんな反応があるなんて考えるより先に、ずっと話せるようにと死に誘うような自分勝手な女な筈なのに。
なのに。
今はたった一人、なんてことないただの外来人相手に、嫌われる事が怖かった。

「あら、あら」

 思わず赤くなる頬を片手で抑えながら、湯のみに手を伸ばし、喉を湿らせる。
火照った思考を冷まそうとした行為であったが、お茶が温かいのが悪いのか、一向に思考が冷め止む気配は無い。
そればかりか、どんどんと体が暖かくなり、残暑も残り少ないと言うのに、幽々子の体はじんわりと汗を滲ませていた。
肉と肉の間を汗が滑り落ちてゆくのが、強く感じられる。
ほうっ、と吐いたため息には、さっきから甘酸っぱいものが含まれていて。
もしかして、これは、これは――。

「私は権兵衛さんに、嫌われたくない」

 ぽつりと、幽々子は口に出して言った。
ぶるり、と、今度は体温が下がったかのような錯覚に、幽々子は体を震わせた。
権兵衛、あの人の良い権兵衛が誰かを嫌う所など想像もつかないけれど、だからこそ嫌われてしまえば、人が変わったようになるのではないかと思ってしまう。
まるで、今までの数日が灰色になってしまうような、酷い変わり様に。
そんな想像をするだけで、幽々子は自身の体温が下がってしまうような錯覚に陥った。
亡霊だから常より体温は低い筈なのだけれど、それよりも幾度か余計に。
それは今までの熱に浮かされたような感覚より、常日頃に近い筈なのに、忌避感が募る。
だから、すぐに次の言葉を幽々子は口にした。

「あぁ、でも」

 と、言ってから、幽々子は次の言葉を探した。

「権兵衛さんは、言っていたわよ、ね」

 叶う事なら友人でいたいと思っているし、幽々子さんの心の潤いとなりたいと思っていますよ。
先の権兵衛の台詞を小声で反芻すると、再び幽々子の中に暖かな物が戻ってきた。
大丈夫、権兵衛は幽々子と友人でいたいと思っているし、潤いとなりたいと思っているのだ。
だから、大丈夫。
きっと死に誘ってあげても、笑って許してくれるに決まっている。
そう思うと、幾らか気が楽になるのを幽々子は感じた。
同時、権兵衛を死に誘おうと言う気持ちも、再び湧き出す。
そう、きっと権兵衛は死に誘っても許してくれる。
ならこの決心が揺るがぬうちに、権兵衛を死に誘うべきではなかろうか。

「時は金なり、かしら?」

 呟き、幽々子はふと人差し指で己の唇に触れた。
何故だか、己の唇に触れながら、権兵衛の唇を想像しているだけで、幸せになってきてしまう。
全くはたしないこと、と、自戒しつつも、幽々子は高まる体温に、うん、と呟いた。
もう一度、今度ははっきり口に出して。

「うん、決めた」

 すっと、幽々子の視線がちゃぶ台の上から昇ってゆき、外の、青々とした桜並木の交じる空へと向けられる。
決めた。
今は権兵衛が妖夢の相談に乗ってやっている頃だろうが、それが一区切りつく頃にはきっと権兵衛の傷も治っているだろう。
そして権兵衛が帰ろうとするだろうその時に、権兵衛を死に誘う。
冥界から出ぬままに、ずっと一緒に居られるように。
権兵衛は人の良い男だ、きっと妖夢も喜ぶだろう。
三人一緒に過ごす日々は、間違いなく楽しい物に違いない。

「楽しみだわ~」

 目尻を下げながら言うと、幽々子は再びお茶を啜り、その時が来るまで権兵衛の事を想って過ごす事に決めた。
何せ権兵衛ときたら万能で、居る時は居る時で素晴らしい時間をくれるのだが、居ない時は居ない時で、表情筋を自由にしながら権兵衛を思う時間もまた、格別に素晴らしい物であるのだから。



      ***



 人生を学校に例えるなら、そこでは幸福より不幸がよりよい教師とされると言う。
であらば、俺はよっぽど出来の悪い生徒であったのだろう。
どう少なく見積もっても幸福と同程度以上の不幸を味わっていると思うのだが、相変わらず、俺は人生と言う物に理解が足りず、人の問題に立ち入る事などできる精神的な力量は無かった。
それらの事実は、残念ながら俺であるから仕方ないの一言で説明が済ませてしまえる事実なのだが、問題は、だのに俺が今妖夢さんの抱える問題に手を貸そうとしている事である。
三人寄れば文殊の知恵とも言うが、難易度が高く回答の限られない問題は、多数の市民では無く限られたスペシャリストに解かせるべきとも言う。
さてはて、俺ごときには妖夢さんの刀を断つと言う話がどちらに属する問題なのか分からないが、しかしせめて前者である事を願いながら、妖夢さんの元へ向かう次第となった。

 縁側、朝と同じ庭の辺りを見渡す場所。
そこに妖夢さんが一人じっと正座しており、その腰には常にあった筈の二振りの刀は見受けられない。
刀。
俺を、斬った刀。
その事が妖夢さんの問題とやらに関連しているのであれば、恐らくは俺が対話する事で力にはなれると思うのだが――。
とりあえずそんな事は妖夢さんと話し始めてから考えれば良いので、俺は考えに耽ろうとする頭を振り、お盆の上にお茶を二杯入れて持って行く。

「妖夢さん、ちょっといいかな。お茶を入れてきたんだけど」
「あっ……はい」

 と、驚いた様子の妖夢さんを尻目に、妖夢さんとの間にお盆を置き、尻の下に座布団を敷いて座る。
しかしここに来てから、驚いた様子の妖夢さんばかり見ているような気がする。
はてさて、俺の何処がそんなに不思議な所なのだろうか、と内心首をひねりながら、まずは一口、お茶を口にする。
我ながらそこそこ美味い茶を入れられたと思うのだが、妖夢さんはと言うと、視線をふらふらさせて、兎に角俺を視界に入れないようにしながらすっと口にしただけで、お茶の味まで感じる余裕があるようには思えなかった。
俺の存在が妖夢さんにそうさせていると言うのは心苦しいのだが、しかし、かと言って口火を切らせる訳にもゆかないので、俺から口を開いた。

「妖夢さん、刀を絶った、と言う事なんだけど」
「あう」
「もしそれが何らかの問題があるからであって、もし、その問題に俺が力を貸せると言うのなら――、力を貸させてはもらえないかな」

 本当に微力なんだけれど、と付け加えて言うと、これまた畏まった様子で、妖夢さんはあたふたと視線を跳ねさせる。
こんな時、俺はこんな風に真っ直ぐにしか言葉を発する事ができない俺が、恨めしい。
もう少し語彙があれば回り回って妖夢さんに畏まらせず、リラックスさせた上で話を聞けただろうに。
それでなくとも、幽々子さんのようにふんわりとした雰囲気があれば、それだけでも。
望むべくもない事であるのは、事実なのだけれど。
と、俺の思考が何時もの陰鬱さに浸っている間に、妖夢さんが体制を立て直したようであった。

「その、ですが」
「うん」
「こう、刀を断つ理由と言うのが、ですね。ちょっと、権兵衛さんには聞かせられない類の物でして」

 眉を下げてしまうのを、俺はどうにか自制できていた、と、思う。
努めて和やかな――幽々子さんを思い出して、そんな雰囲気を作れるようにしながら、俺はこう返した。

「そう、か――」

 しばし間をおいて、俺はお茶に口をつける。
ちょっと予想していたのとは違う答えだった。
多分自分以外に聞かせる事に問題があるとか、そう言う話になるかもしれない、とは思っていたのだけれど、俺限定とは。
矢張り俺を斬った事を関係があるのだな、と思いつつ、しかし、ならば仕方ないと俺は自身を納得させる。

「なら、もし少しでも誰かに相談できる事があったら、俺でなくてもいい、その時は話してくれるかな。
君は真っ直ぐな子だから、誰かに聞くべき事は聞くだろうと思うけれど、それでも一応はさ」
「あ、はい……」

 縮こまってしまう妖夢さんに、これじゃあ妖夢さんを恐縮させに来ただけみたいで、何とも言えない気分になってしまうが、それも仕方ない。
とりあえずお茶をずずっと啜り、相変わらず上品な音が出せない事に内心凹みつつ、暫く間を置いてから立ち上がろうとした矢先のことであった。

「あ、あのっ、権兵衛さんっ!」

 身を乗り出すように突然叫んだ妖夢さんに、俺は動きを止める。
不謹慎な話なのだけれど、こうやって必要とされていると思うと、救われた思いだった。
と同時、何とも言えない気分になる。
と言うのも、俺はそも妖夢さんの助けとなるべく来た筈だのに、何故だか俺の方が妖夢さんの動作に救われているのだ。
これじゃあ、あべこべだ。
あべこべ、と言う言葉から一頻り出会い頭のやり取りを思い出し、ついでに妖夢さんの「みょん」を思い出して含み笑いを内心に浮かべ、それから俺は腰をおろした。

「なんだい、妖夢さん」
「その、例えば、例えばなんですけども」
「うんうん」
「魂魄の剣は、真実を知る為にだけあります」

 と、妖夢さん。
なんでも、真実は斬って知る、斬って真実を得た、斬撃とはそれだけであるべきだ、と言うのが妖夢さんの剣の理念の解釈らしい。
と言うか、妖夢さんの、魂魄の剣の解釈だとか。
俺の知る剣の理念など一撃必殺ぐらいで、他に比較するものすら無いので、とりあえず頷く事しかできない。

「で、です」
「うん」
「なのに斬る事に快楽を覚えてしまったなら――、どうすれば、いいのでしょう」

 ?
疑問詞で、頭の中が一杯になる。
えーと、これは、どういう事だ。
意味不明だった。
何時ぞや、氷の妖精が背負った釣竿の先の蝶を追って、目の前に人参を用意された馬のごとく、無限に前進し続けているのを見た時以来の意味不明度だった。
とりあえず俺は湯のみを傾けお茶を口に含み、一旦疑問詞ごと頭の中身を飲み込むに努める。
で、だ。
つまり、その、妖夢さんらしくストレートに解釈するならば。

「妖夢さんは、俺を斬るのが愉しかった――?」
「え!? い、いや、そういう訳じゃあないんですよ? ほ、ほら、ただちょっと、その、喩えって奴ですよ、喩え」
「………………」

 妖夢さん、分りやすすぎだった。
何と言うか、ストレートど真ん中過ぎやしないだろうか。
思わず呆然と開いてしまった口を、両手を使って閉じながら、しかし、と俺は思う。

「妖夢さんは、俺を斬るのが愉しい」
「い、い、いえ、違います、よ?」
「だとして、それが、どう問題なんだい?」
「――は?」

 今度は、妖夢さんが口を開く番であった。
あんぐりと大きく開いた口に、年頃の娘がはたしない、とも思うのだが、よくよく考えれば妖夢さんは俺よりずっと年上な訳で、この場合どう指摘すれば良いのやら、と考えているうちに、次ぐ反応があった。

「いやいや、だって、斬って得るのは真実だけで」
「妖夢さんの話だと、斬ってその後罪悪感を感じるのも、真実を得た故にでしょう? 快楽だと、それは違うのかい?」
「え? あ、いや――」
「いや、まぁ、俺の命にとっては少々問題なんだけれども」

 と言っても、相手がこの妖夢さんである、よっぽどの事が無ければ命に関わる怪我になど至らないだろうけれど。
そんな旨のことを付け足す俺に、彼女はぱくぱくと言葉なしに口を開け閉めして、暫くしてから言葉を飲み込み、顎に手をやって考えこみ、それから怖ず怖ずと口を開く。

「えっと、確かにそうかもしれないです」
「うん」
「でも、権兵衛さんは、信じる事ができるのですか?」
「ん?」
「勘違いをして貴方を斬ってしまった私が――、今度こそ、貴方を斬って命を奪わないと」
「うん、信じられるよ」

 ひう、と、息を飲む音が聞こえた。
目を白黒させ、ぱくぱくと口を開く妖夢さんは、そんな馬鹿な、とでも言いたげにしているけれど、本当にそう思えているのだから仕方が無い。
だから俺は、彼女の目を真っ直ぐに、見据える。
それが彼女自身が持つほどに真っ直ぐでない事が、どうにも申し訳ないのだけれど、それは仕方が無いので我慢してもらうほかなく、全く俺と言う男は、なんともしがたい男なのであった。
だからせめて、言葉だけでも、真っ直ぐに。

「いや、そりゃあ、俺自身ちょっと奇妙にも思う部分だってあるけどさ。
斬られておいてそう考えられるって言うのは、ちょっとおかしいかもしれないけれど。
でも、どうしたって、俺には君が、快楽などに負けて、見境なく剣を振り回すような子には、見えないんだ」
「………………」
「俺は、君を、信じられるよ」

 重ねて言うと、妖夢さんは、そのまま視線を下にやる。
暫く俺は彼女の顔を見続けていたのだが、そこに光る物を見やってからは、視線を庭にやり、茶を啜るだけに努めた。
蝉のなく音に混じって、水滴の落ちる音が一つ二つ、混じる。
局地的な雨の降る音を聞きながら、二、三茶を啜った後、俺は妖夢さんを一人残して、その場を去る事にした。
これ以上の言葉と言う物は、無粋であろう。
粋を感じる心の無い俺にでも分かるほどに、それは自明の理であった。



      ***



 白玉楼の滞在四日目の午前。
そろそろ傷も癒えてきて、もうすぐ俺もあのほったて小屋に帰ろうかとなってきたその頃、俺と幽々子さんと妖夢さんは、三人でちゃぶ台を囲い、お茶を飲んでいた。
互い、小皿に分けた幾つかのまんじゅうをつまみながら、この数日の事を回想し、ぽつぽつと言葉を重ねる。
そうやっていると、何と言うか、もうこの白玉楼の生活も終わりになるんだなぁ、と言う思いがあって、何とも寂しげな感じだ。
しかし、この人達とならばきっと新たな関係を作って行ける、と言う思いがあって、だから同時に、安堵と言うのも変だが、そんな感じの感情もあり、複雑な次第なのであった。
と、複雑な話と言えば、と、思い出す。

「そういえば、妖夢さんのみょんって結局何だったんだ?」
「みょん」

 三度奇声を漏らす妖夢さんに、思わずその顔を覗き込むと、真っ赤にして縮こまっていた。
とてつもなく悪戯心を刺激する表情である。
もりもりと沸き上がってくるそれに、はて、どうすべきか、と幽々子さんに視線をやるが、どうやらみょんと言う言葉の内容は秘密らしく、ウインク付きで人差し指を唇にやっていた。
それがとても魅力的な表情であったので、仕方あるまい、と肩をすくめ、乗り出し気味だった体を戻していると、助け舟を幽々子さんが出す。

「妖夢~、お茶お代わり頂戴」
「あ、はい、ただいまっ」

 と言う事で、謎の敏捷性を見せてこの場を去ってゆく妖夢さんを目で追い、後ろ手に襖を閉めてゆくのを見届けてから、何となく幽々子さんと目が合う。
これまた何となく、くすり、と笑みが湧いてきて、お互い微笑み合う次第となった。
暫くくすくすと笑みを漏らしていると、不意に、幽々子さんの手がちゃぶ台の上の、妖夢さんの小皿へと伸びる。
三つ残っていたまんじゅうを、ひょい、ぱく、ひょい、ぱく、ひょい、ぱく、とあっと言う間に平らげてしまった。
この数日見慣れた筈の健啖ぶりに改めて関心していると、お茶でおまんじゅうを流しこんでいる幽々子さんに、じと目で睨まれてしまう。
いや、別に健康的で良いんじゃないかと、と言うのが正直な感想なのだが、視線がどんどん強くなるのに負けて、ごめんなさいと頭を下げた。
それから頭をあげると、見間違いか、一瞬幽々子さんの頬が赤く染まっていたような気がして、この人も可愛い所があるんだなぁ、と、関心していた辺りで、妖夢さんがもどってくる。
入れてきたお茶を幽々子さんの湯のみに注いで、それから自分も、と言う所ではたと気づく。

「……幽々子様。私のおまんじゅうは、一体どうしたんでしょうか」
「おまんじゅうに足でも生えて、何処かに歩いていっちゃったんじゃあないかしら」
「そりゃあ随分食べにくそうなおまんじゅうですね」
「あら、いらないの? おまんじゅう」

 と言って俺の小皿にも手を伸ばしてくるので、足が生えて来たら怖いですから、と小皿を差し出した。
それは怖い怖い、とおまんじゅうを攫ってゆく手際をぼんやり見ていると、妖夢さんの方は主の様子に何とも恥じ入った様子で縮こまっている。
さっきは幽々子さんが助け舟を出した筈なのになぁ、と、苦笑気味にお茶を一口。
さて、ちょうど全員のお茶菓子も無くなり、後はお茶を飲むゆっくりとした時間だけである。
そして俺の懐には血を拭ってもらった財布があり、傍らには妖夢さんに作ってもらった弁当がある。

 つまりは、そろそろ俺の傷も癒え、旅立ち時である、と言う事だ。
結局、俺はこの人達と仲良くなれたとは思うけれど、しかし、果たして、これから会う機会ができるのかどうか。
妖夢さんは兎も角、幽々子さんは此処の主であり、出かけるのは宴会に呼ばれた時程度で、里に出る事は滅多に無いそうである。
とすると、貧乏臭い俺の家に招くなどできそうもない事から、幽々子さんと会える機会は、彼女に呼んでもらわねば無い事になってしまう。
仕方ない事だ、と言えば仕方のない事である。
何せ片や冥界の管理を任されるほどの地位にある亡霊姫、片や俺はと言えば、貧乏で、里の嫌われ者の、恐らく幻想郷で最底辺近くに生きる外来人だ。
当然、その間には計り知れない程の距離があり、今日こうやってお茶をしている事すら、奇跡に等しい事柄だろう。
これから出会う機会など、まず一生無いと言っても過言では無い、と言うのが道理である。

 しかし俺は、それでも尚、この人達とまた会いたかった。
分不相応な考えだと分かっているのだが、しかし度し難い事に、俺は彼女らに再び茶や酒宴に誘ってもらう事を期待しているのだった。
当然、ならば聞いてみればいいのだが、それも簡単に行かない。
彼女らの懐の広さはこの四日間で見て取れたし、それを思えば、まず間違いなく俺を受け入れてくれるに違いないが、しかしそれで彼女らに悪評が立っても困る。
何せ、俺である。
この、俺である。
人に嫌われる達人で、善行を積もうが悪行を積もうが人に嫌われる事のできる、俺である。
そんな俺を受け入れてくれたとして、彼女らにどんな悪評が立つか分からないのだ。

 と、そんな陰鬱な事を考えながら茶を飲んでいると、ふと、幽々子さんと目が合い、にこり、と笑いかけられた。
胸が、熱くなる。
それが何ともふんわりとした笑みで、俺の考えをまるごと包みこんでくれるような、懐の深い笑みであり、何だか今まで俺の考えていた事が、とてつもなく小さな事であるように思えてくるのだ。
と、言うか。
改めて考えると。
幽々子さんは浮世離れしている事もあって全く気にしないだろうし、妖夢さんの真っ直ぐな気質は、だからどうしたと言わんばかりの受け取り方をしそうな気がする。
……何だか、肩の荷が下りたような、すっと楽になる感覚があった。
硬くなっていた姿勢から自然と力が抜け、見えない繰り糸が背中から外れたような気さえする。
聞いてみよう。
自然にそんな言葉が浮かんできて、俺は、それに身をまかせるままに口を開いた。

「その、幽々子さん」
「? なーに?」
「今回の滞在では、古いほど良いあのお水を交わせなかったですけど。その、次には――、乾杯をしに、お邪魔させてもらってもいいですかね」

 すると、幽々子さんは、一瞬きょとんとしてから、笑みを更に深くして、

「――勿論。楽しみだわ~」

 と、答えてくれた。
俺は、体温が顔に集まるのを感じ、これ以上視線を合わせていると発火しかねないので、幽々子さんから視線を逸らす。
目頭に熱い物がこみ上げてくるのを、幾度か瞬く事によって抑え、肺の中の熱い空気を、深呼吸して入れ替える。
それでやっと言葉を発する事ができるようになり、俺はようやくのこと、返事を返す事ができた。

「ありがとう、ございます」

 と言っても、それで俺が返せる言葉はいっぱいいっぱいで、と言うのも、さっき深呼吸して入れ替えたばかりだと言うのに、温かい物で胸の中が一杯で、他に何も入らなかったのだ。
俺は、思う。
何時か、何年かかるかは分からないし、ひょっとしたら可能かどうかすらも分からないけれど。
何時か、彼女たちに招待されるのではなく、俺の方から彼女たちを招待する事をしてみせよう。
勿論今のままに、床に直接座らせるような家にでは無く、ちゃんとした家を作り、此処ほどではないにしろ、整った場所で。
酒なりお茶なりを、きちんと用意して、せめて、只人の招待と変わらない程度には豪勢にしてみせて。
それは正直かなり難しく、ひょっとしたら冥界に住む彼女らと死んでから出会う方が先かもしれないけれど。
でも俺は、何時か彼女らを招待してみせようと、思うのだ。

 ――………………。
感極まってから、幾らか時間を置いて。
突然沈黙した俺と幽々子さんに、どうしたのだろうと思案顔になっている妖夢さんに癒されながら。
ついに、俺が旅立つ時間がやってきた。
妖夢さんの作ってくれた弁当片手に、白玉楼の玄関に立つ。

「妖夢、遅いわねぇ」

 と、幽々子さんの言う通り、人里まで案内してくれると言う妖夢さんを待っている所であった。
からんからん、と履物の音を響かせるのを聞いて、そういえば幽々子さんが外を歩いているのは初めてみたな、と思い、この際目に焼き付けておこうと、数歩下がって幽々子さんの全体を見ようとする。
すると、何を思ったのやら、つつっ、と、俺が下がった分だけ幽々子さんが寄ってくる。
美人に寄られて嬉しいのだが、足元まで目に焼き付けようと思った俺としては、なんとも複雑な気分である。
ので、もう一度、数歩下がる。
つつっと、幽々子さんが寄ってくる。
思わず、幽々子さんの顔を覗き込むと、こてん、と愛らしく首を傾げられてしまった。
うむ、かわいい。
じゃなくて。
ころっと絆されそうになっていた俺は頭を振ると、もう一度数歩下がる。
幽々子さんが寄る。
数歩下がる。
幽々子さんが寄る。
とやっていて、丁度円を描いて一周してしまった辺りで、妖夢さんが戻ってきた。

「お待たせしましたっ……って、お二人とも何をやっておられるんですか?」
「いやぁ」
「何となく、かしらねぇ」

 何となくらしかった。
まぁ、そんな感じなので、俺も頷いておく事にする。
と、そこで俺は妖夢さんの腰に揺れる二振りの刀を見つけて、あ、と呟いた。
俺が気づいた事に気づいたのか、妖夢さんは、ぽん、と腰の刀に手をやり、花咲くような笑顔を見せた。

「はい。この度を持って、再び刀を持つ事にしました」
「そうか。……良かった」

 万感の思いと共に、言葉を吐き出す。
すると思いの丈は同じだけあったようで、同じようにして妖夢さんも口を開いた。

「はい。これも、権兵衛さんのお陰です。
今にして思えば、私は、権兵衛さんを斬った時、斬る事に快楽を覚えてしまった事に、罪悪感を抱いていたのです。
それはとても大きな罪悪感で、真実を覆い隠してしまうぐらいに大きかったのでしょう。
だから私は、斬る物を失った己の剣を、信じられなくなった。
でも、権兵衛さん。貴方が、教えてくれました。
それでも真実は変わらないと。
私の剣は、依然そこにあると。
簡単な事だったんですよね。
今まで通り、斬って感じる事が真実で、斬って得る物はそれだけ、快楽はその真実の内側にあるものに過ぎない、と。
本当簡単な事で、何で今日一日、私は気付かなかったんだろう、って思って、その、逆に、そんな事に簡単に気づける権兵衛さんが凄いって思いまして、その。
えーと、それに、半人前の私をでさえ信じてくれるって当たり前のように言ってくださって、それで私の罪悪感が初めて拭えて、真実がみえて、だから、その。
と、兎に角、ありがとうございますっ」

 と、最後には本人も何が何だか分からなくなっているんじゃないだろうか、と言う感じの、感極まり方だった。
自然、幽々子さんと目が合い、くすりと微笑む次第となる。
このくすり、も暫く無いのだと思うと寂しさの漂う物になるが、俺はその寂しさを内心に押しとどめ、口を開く。

「こちらこそ、君の力になれたみたいで、良かったよ」

 と言うのは本当に事実で、この真っ直ぐな少女の力になれたと言う事実は、確実に俺の自信となっていた。
何せ、俺が幻想入りして以来、人の力と言えば借りているばかりで、こうやって人の力になれたと言うのは、多分初めてと言っていいぐらいなのだ。
むしろこっちの方から、力にならせてくれてありがとう、と言いたいぐらいなのだが、それは流石に困らせてしまうだろうと自重するに努める。
これで礼の方も満足いったようで、妖夢さんは、はしゃいだ子供のような足取りで、こちらの方へ向かってきた。

「では、行きましょうかっ」
「うん、そろそろ………………」

 行こうか、と。
そう言おうとした所で、がくん、と膝の力が抜けてしまった。
遅れてぱくり、と肉の開く音がし、血がぼどっと落ちる音がする。
頭の中がすーっと澄み渡ってゆき、額が奇妙に涼しい。
落ちた膝をつくと、地面の方からこちらへと迫ってきて、手でそれを抑えようとするのだけれど、叶わず、すぐに肘を折り顔を地面につける事となる。
残暑の日照で熱くなった玉砂利が、頬の形を変えた。
誰かの絶叫が聞こえる。
知っている誰かの筈なのだけれど、それが誰の声なのか分からないまま、俺はゆっくりと意識をうしなってゆく。
最後に見た光景は、前回より更に少しだけ顔を青くした、妖夢さんの顔だった。
それがどうにも真っ青で悲愴な顔であるので、大丈夫だよ、と声を掛けたかったのだが、それすらも叶わない。
せめてと妖夢さんの頭に伸ばした手も、その頭を撫でる事すら叶わず、力を失っていった。



      ***



 呆けていたのは想像の埒外の出来事であったからか。
それとも、その鮮血のあまりの美しさにか。
兎も角、幽々子が呆けて固まってしまっている間に、妖夢は権兵衛を抱え、永遠亭の方へと飛んでいってしまった。
信じてくれたのに、信じてくれたのに、と漏らしながら飛び立つ妖夢を見て、幽々子の方はようやく権兵衛が斬られたと認識したのだが。
妖夢が権兵衛を斬る事に快感を憶えてしまっていたとは聞いていたが、我慢できないほどとは。
とりあえず飛びゆく妖夢を呆然と見送り、それから幽々子は、権兵衛を死に誘う機会を逸した事に気づいた。
本来ならばこの場で、後数十秒もあれば、旅立ちの代わりに、と、死に誘えたと言うのに。
幽々子は、ついつい指を唇に沿わせる。
甘さが含まれた吐息が溢れ、胸元で汗が滑り落ちる。
自然、幽々子の回りには紫の蝶が数匹浮かんでいた。
暫く飛ぶことを忘れたかのように動かなかった蝶であったが、ふと、此処が空中である事に初めて気づいたかのように、翼を動かし始める。
空気中を泳ぎ始めた紫の蝶に、あーあ、と幽々子は思う。
あと少しで、あとほんの少しで権兵衛を死に誘えたと言うのに。

 しかし、と幽々子はぼんやり思う。
権兵衛を死に誘う機会を逸したのは確かだけれども、その機会は果たして一度きりであっただろうか?
いやいや、よく良く考えてみれば、権兵衛を死に誘うのは、何時でも良いのだ。
何せ人の命は長くて百年、対して死んでからの時間はといえば、永遠に等しいほどにあるのだ。
ならば、確実を喫した方が良いに決まっている。
絶対に地獄にも天界にも行かせないため、冥界に死に誘い、そしてその上で、絶対に転生させないようにしまえば良いのだ。
何時しか読んだ本にあった、西行妖の封印する死体と言うのも、どこぞの亡霊を転生させないように封印されているらしい。
ならばそれと同じように、権兵衛の死体もまた、絶対に転生させないよう封印してしまえばいいのだ。
そして何故だかその場所は、西行妖の隣が良いように、幽々子には思えた。

 からんからん、と。
数歩、幽々子が歩くに連れ、その周辺は死に充ち満ちて、草も苔も玉砂利も土も死んでしまい、塵となって消えてしまう。
こんな風に。
こんな風に、権兵衛を死に誘えたら、きっと素敵だろうな、と幽々子は思った。
塵となって消えて、同じものになる幽々子と権兵衛。
その隣には妖夢が居て、何時も小言を言いながら二人に弄られ遊ばれているのだ。
その幻視した光景は、とても尊く、素晴らしいものに思えて。
だから。
幽々子は、思うのだ。

 例え権兵衛が、寿命尽きて死ぬとしても病気で死ぬとしても獣に喰われ死ぬとしても妖怪に喰われ死ぬとしても飢えて死ぬとしても人間たちに殺されるとしても首をくくって死ぬとしても飛び降りて死ぬとしても溺れて死ぬとしても薬を飲んで死ぬとしても首を切って死ぬとしても腹を切って死ぬとしても、何時どうやって死ぬとしても、だ。
絶対に。
それよりも早く。

「ぜったいに、わたしが殺してあげるからね、権兵衛」

 にっこりと、花咲くような笑顔で微笑みながら、幽々子は言った。
それを合図に、幽々子の回りを死で満たしていた蝶が、一斉に空へと駆けてゆき、そして、目の見えないほど遠くまでゆき、やがて消えた。
ふわり、と着物を浮かせながら、くるりと体を回転させる幽々子。
そういえば、と、幽々子は思い出す。
幽々子は確か、権兵衛を死に誘おうと思った時、こう思ったのではないか。
時は、金なり、と。
しかし金の要らないあの世の住人たる幽々子には、こう言うべきだったのだろう。

「急がば回れ」

 至言である。

「くるくる~って、ね」




あとがき
と言う事で、次回から永遠亭です。
慧音のターンはもうちょっと後で。
ちょっと体調が悪い中書き上げたので、次回も一週間で更新できるかはちょっとわかりません。


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