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No.21873の一覧
[0] 【完結】【R-15】ルナティック幻想入り(東方 オリ主)[アルパカ度数38%](2014/02/01 01:06)
[1] 人里1[アルパカ度数38%](2011/06/21 19:52)
[2] 白玉楼1[アルパカ度数38%](2010/09/19 22:03)
[3] 白玉楼2[アルパカ度数38%](2010/10/03 17:56)
[4] 永遠亭1[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:48)
[5] 永遠亭2[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:48)
[6] 永遠亭3[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:47)
[7] 閑話1[アルパカ度数38%](2010/11/22 01:33)
[8] 太陽の畑1[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:46)
[9] 太陽の畑2[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:45)
[10] 博麗神社1[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:44)
[11] 博麗神社2[アルパカ度数38%](2011/02/13 23:12)
[12] 博麗神社3[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:43)
[13] 宴会1[アルパカ度数38%](2011/03/01 00:24)
[14] 宴会2[アルパカ度数38%](2011/03/15 22:43)
[15] 宴会3[アルパカ度数38%](2011/04/03 18:20)
[16] 取材[アルパカ度数38%](2011/04/11 00:14)
[17] 魔法の森[アルパカ度数38%](2011/04/24 20:16)
[18] 閑話2[アルパカ度数38%](2011/05/26 20:16)
[19] 守矢神社1[アルパカ度数38%](2011/09/03 19:45)
[20] 守矢神社2[アルパカ度数38%](2011/06/04 20:07)
[21] 守矢神社3[アルパカ度数38%](2011/06/21 19:59)
[22] 人里2[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:09)
[23] 命蓮寺1[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:10)
[24] 命蓮寺2[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:12)
[25] 命蓮寺3[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:14)
[26] 閑話3[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:14)
[27] 地底[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:15)
[28] 地霊殿1[アルパカ度数38%](2011/09/13 19:52)
[29] 地霊殿2[アルパカ度数38%](2011/09/21 19:22)
[30] 地霊殿3[アルパカ度数38%](2011/10/02 19:42)
[31] 博麗神社4[アルパカ度数38%](2011/10/06 19:32)
[32] 幻想郷[アルパカ度数38%](2011/10/08 23:28)
[33] あとがき[アルパカ度数38%](2011/10/06 19:36)
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[21873] 地霊殿2
Name: アルパカ度数38%◆2d8181b0 ID:099e8620 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/09/21 19:22


 呆れる程に和やかな日常であった。
いや、俺は緊縛されているので日常と言うのは語弊があるが、兎に角そんな感じだった。
お燐さんを何時不幸にしてしまうのか、と最初のうちは恐る恐る喋っていたのだけれど、お燐さんの様子があまりに明るいまま変わらないものなので、俺はいつの間にか普通に喋っていたのだ。
お燐さんとの会話は、まるで夢を見ているかのような気分であった。
彼女と会話している間は穏やかで心地良い気分になれたし、まるで不幸なんて何処にも感じた事はない、と言わんばかりのお燐さんの笑みの雰囲気に、俺は強く癒された。
俺の“みんなで不幸になる程度の能力”は本当にあるのだろうか、とまた疑ってしまう程に、である。
そう思う度に俺は俺が殺してしまった二人の妖怪の事を思い出し、俺は呪われた存在なのだ、と言い聞かせていた。
確かにあの、青い肌の妖怪が喉を柱に貫かれた光景は、衝撃的だ。
だから俺は、その光景を思い出す度に自身の能力を強く思い出せたし、その呪われた能力が俺にはあるのだと再認識できた。
しかしそれも、何十回と繰り返せば、その効力を薄れさせる事になる。
次第に俺は、“みんなで不幸になる程度の能力”が俺に存在する事を、忘れがちになっていった。
弁解するならば、この時俺は何の行動も起こすことができない状態で、どこからどこまでが夢で現実なのか、それもよく分からなくなってきていたのだ。
だからと言って許される行為ではないが、そういう状況にあったのも確かであった。

 そんな日常が切り替わったのは、お燐さん曰く三日目、だそうだ。
俺としてはもう十日は経っただろう、と思っていたので、酷く驚いた事を覚えている。
お燐さんは、自分の親友に会ってはどうか、と俺に提案してきた。
どうせ自分の仕事が忙しくなれば、何時かは権兵衛の世話はその親友もする事になるのだ。
だから、先に挨拶ぐらい済ませておくのがいいのではないか、と。
辛うじて理性の残っていた俺は、それに渋った。
俺と早く出会う事になると言う事は、より長い間俺の能力の影響を受ける事になるのだ、当然不幸に見舞われる可能性が高くなる、と思う。
しかしお燐さんはどうしてかそれを強く勧めたし、俺も俺の能力が、会った期間によって不幸度が変わるような能力なのかすら、把握していない。
本当は俺はそこで断固として断るべきだったのだろうが、部屋に緊縛されたままでぼんやりとした頭になっていた俺は、それに頷いてしまった。

 そしてお燐さんについていき、お空さんに出会って。
それからすぐに、お燐さんが姿を消した。
と言っても、目隠しをしている俺だからこそそう思う訳であり、お空さんいわく、空を飛んで何処かへ行ってしまったらしい。
どうすればいいのか分からないと言った困惑した様子で戻ってきたお空さんに、俺はようやくのこと頭が回り始める。
俺はすっ、と全身の血が引けるような感覚に襲われた。
お燐さんは一体何処へ行ったのだ。
いや、お燐さんの身に、一体何があったのか。
俺は唐突に再び自分が“みんなで不幸になる程度の能力”の持ち主である事を実感した。
俺は一体、何をやっているのだ。
自分が今まで余りに無用心に過ごしていた事に気づき、俺は愕然とした。
駄目だ、このままでは、お空さんまで不幸にしてしまう。
そう思った俺が、逃げ場などないと言うのにその場から逃げ出そうとするその瞬間である。
さとりさんがその場に現れた。

「何をしているのですか?」

 変わらず絶対零度の声に俺は冷静さを取り戻し、そも、この場には空を飛ばずに逃げる場所が無い事に気づいた。
そして空を飛ぶ魔力は未だ俺にはなく、しかも目隠しまでされたままである、逃げるのは不可能だろう。
それから俺はお燐さんが突然姿を消した事を伝え、お空さんも焦り声で同様のことを訴えた。
それに対しさとりさんは、冷たい声で続ける。

「お燐とは先程会いました。
罰を与え、権兵衛さんの世話から解任したわ。
何も問題はありません」

 その瞬間、俺は安堵のあまり、その場に膝をついて、泣き出してしまった。
良かった、お燐さんは不幸になってしまった訳では無かったのだ。
そう思うと拭っても拭っても大粒の涙が零れ落ち、状況が分かっていないお空さんが困惑するのもお構いなしに、俺は泣いた。
不思議と、さとりさんが嘘を言っているのだと言う発想は浮かばなかった。
それはもしかしたら、俺がお燐さんを不幸にしたなどとは思いたくないと言う、俺の自己保身の気持ちがあったからなのかもしれない。
しかし兎に角、その場で俺は泣き崩れ、お空さんは喜べばいいのか悲しめばいいのか困った様子で、さとりさんは一人超然と立っていた。

 その後、再び部屋に戻り、暗闇の中、俺は再びこうやって以前の俺を戒めていた。
いくらこの暗闇と拘束の中とは言え、俺はあまりに不用意に行動し過ぎていた。
そも、お燐さんと親しくし過ぎていたのは、明らかにお燐さんを不幸にするかもしれない行為である。
何せ俺がお燐さんに優しく接すれば、お燐さんは暇な時などに俺の世話に来るようになり、俺と接する頻度が増え、不幸となる可能性が上がるに違いない。
実際お燐さんは不幸に遭う前に俺から離れていった訳だが、注意するに越したことはないだろう。
今度こそは、と俺は思う。
今度こそは、貝のように黙り、俺の世話人を不幸にする可能性を低くするよう努めよう、と。

 そんな風に自戒を強くしていた所に、がちゃがちゃ、と錠前を弄る音がする。
来たな、と身を引き締める思いで、五つの錠前が開く音を待つ。
がちゃり。
………………次の音が鳴らない。
疑問詞を浮かべつつ待つと、もう一度、がちゃり、と言う音。
随分スローペースだな、と首をかしげると同時、台車を押す音が聞こえる。
あれ? と思うと同時、声がすぐ横の椅子に座っていると思われる辺りから聞こえた。

「えっと、半日ぶり、権兵衛。
私が――、えっと、お空よ、私が今度は権兵衛の世話をする係になったから」
「あ、はい、よろしくお願いします。
所で、錠前が減っていたような気が……」
「あう」

 と、可愛らしい悲鳴をあげ、お空さんが縮こまるような気配。
それから、半泣きの声でお空さんが告げる。

「私って馬鹿だから、鍵を一個に減らしてもらったのよ……」
「そ、そうなんですか……」

 としか、言いようが無かった。
にしても、思わず質問してしまい、黙る作戦は早速敗色濃厚となってきた。
もう一度内心で自分を戒めるようにし、動かない腕で口のジップを閉じる想像をする。

「えっと、じゃあ、御飯をあげるわね」
「はい」

 と、事務的に最低限の返事だけをし、俺は口を開けてまった。
かちゃかちゃと金属音が響き、お空さんが食事をスプーンで掬った事が分かる。
それから待っていると、ずご、と喉の奥までスプーンを突っ込まれた。

「うげほっ、げほっ!?」

 思わず俺は咳き込み、涙目になりつつ口内のお粥を思わしき物を吐き出す。
熱々の粥は、勿論、肌についても熱い事熱い事。

「だ、大丈夫?」
「す、すいません、げほ、肌についた粥が熱くて、取ってもらえますか」
「あ、うん、拭けばいいだよね」

 と拭きとってもらい、俺はようやくの事落ち着く事ができた。
そんな俺に、不機嫌そうに、お空さん。

「もう、汚いじゃないの、権兵衛ってば」
「………………」

 そうも自信満々に言い切られてしまうと、俺が悪かったのか、と少し思ってしまう。
一度回想、もう一度回想して吟味してみるが、今のは流石にお空さんが悪かったとしか思えなかった。
一瞬黙る作戦の事が脳裏をよぎるが、先に餓死して呪いを振りまいても仕方があるまい。
俺は諦めて、極めて事務的に聞こえるよう口を開いた。

「その、申し訳ありませんが、喉の奥までスプーンを突っ込まないようにしてもらえますか?
でないと、吐き出してしまうので」
「え? あ、そっか、それで……」

 と、納得がいった様子に、思わず心の底から安堵する。
さぁて、これでもうできる限りは黙るぞ、と考えつつ口を開くと、スプーンがゆっくりと差し込まれた。
ただし、熱々で火傷しそうな温度のままで。

「………………」

 頑張れ、頑張れ俺。
そう内心で繰り返すと共に、涙目で咀嚼し、唾液で温度を低くしてから飲み込む。
それでも胃の中が熱くなるのを感じ、俺は少し口内の火傷を舌で探った。
それからすぐに、お空さんから声がかかる。

「じゃあ、次ね」
「………………はい」

 何とかそれを正そうとする自分を制し、残る魔力を回復に当てればいいではないか、と自分を納得させる。
毎日微量づつ回復する魔力は、口内の火傷を食事毎に治すぐらいの量はあった。
元々脱出には期待できない程度の量しか回復していないのである、俺は魔力の使い道をそれに決めると、小さく首肯し口を開く。

 そんな動作が、十数分続いただろうか。
ようやく昼食を終えた俺に代わり、お空さんは食器を片付けている。
口内を回復しつつ、これが何度続く事になるのだろう、とこいしさんが早く見つかりこの時間が終わるよう俺が願っていると、ぱりん、と高い音。

「ひゃっ! あー、やっちゃった……」

 声から判断するに、皿を割ってしまったようである。
ひょっとして、お空さんはいわゆるドジっ子なのだろうか、と内心で首をかしげると同時、再びキャッと言う悲鳴。
同時、薄く血の匂いが嗅ぎ取れる。

「だ、大丈夫ですかっ、お空さんっ!」

 反射的に俺は、叫んでしまっていた。
俺がどうにかできぬか、と思うものの、拘束された身で何もできないのを思い知るばかりである。
せめて、とばかりもう一度大丈夫かと聞くと、うん、大丈夫、と声が返ってきた。
安堵で体の力が抜けると同時、俺はようやく黙る作戦の事を思い出す。
が、後の祭りである。
天を仰ぎたくなりつつ、俺は小さく溜息をついた。
せめて怪我しないようにと言うぐらいには、口をきかねばならぬらしい。

「割れたお皿なんかは、箒とちりとりで集めて捨てるといいですよ」
「あ、そっか。権兵衛って頭いいわねぇ」

 と、賛辞を受け取り、俺は今度こそ冷静に無言になる。
台車に備え付けてあったのだろう、箒とちりとりで皿の破片を集め終わると、お空さんは台車を押し、錠前を開いて外に出て、閉める扉の間から最後に言った。

「じゃ、また後で来るねー!」
「はい、ありがとうございました」

 俺が頭を下げる仕草をするのを見届けてから、お空さんは扉を閉め、鍵を閉めた。
同時、俺ははぁぁあ、と大きく溜息をつく。
お空さんの手つきは見えなくとも分かるほどに危なっかしい事危なっかしい事。
一体何度俺が口を出しそうになったか分からないぐらいである。
俺は果たして、お空さん相手に貝のように黙りながら、この時間をやり過ごし続ける事ができるのだろうか。
と言うか、俺の世話をできる妖怪はお空さんの他に居なかったのか。
暗雲立ち込める未来に、俺は再び溜息をついた。



 ***



 古明地さとりは、自分が第三の目を開いたままでいられるのは、心の強さの表れだと思っている。
何せ第三の目を開いていれば他人の心の声が聞こえてきてしまう事になるのだ。
当然、人妖神仙に関わらず、口に出す言葉よりも内心に秘める言葉の方が汚く、他者を傷つける。
それに耐え切れなかったこいしは第三の目を閉じてしまい、何を考えているのだか分からない妖怪になってしまった。
誰かに嫌われるのを怖がっていたかつてのこいしを思い、それは心の弱さ故なのだとさとりは思う。
傷つきやすく、未熟で、愚かである故にだと。

 だがさとりは、こいしを見捨てたくなかった。
何せこの世でたった二人だけの姉妹である、どうして見捨てることができようか。
そしてこいしを苛んでいるのが、自分も物凄い労苦を持ってして乗り越えている事で、誰もが耐え切れる物ではないと知っている事が、それに拍車をかけた。
こいしに元に戻ってほしい。
こいしに、第三の目を開けていても大丈夫なぐらいの、心の強さを身につけて欲しい。
それがさとりの一番の願いだった。

 と言っても、こいしは中々第三の目を開かなかった。
それどころか代わりに身につけた能力でさとりですら捕まえられない妖怪になり、何時もふらふらと出歩いているのを止める事もできない。
それが一体何年続いた事だろうか、最早思い出せぬ程の時間が経過した頃、一度だけこいしの第三の目の瞼が軽くなった事がある。
こいしが博麗霊夢に弾幕決闘で敗北した時である。
その時の様子を、霊夢や近くで見ていた守矢神社の面々に聞いて見る限り、どうやらこいしは霊夢の心に興味を持ち、それ故に第三の目の瞼を軽くしたのだと言う。
しかしそれもあと一歩と言う所で収まり、結局こいしの第三の目が開かれる機会は無かった。

 だが収穫はあった。
要は、こいしが興味を持つような人妖に会わせる事ができれば、こいしは第三の目を開くかもしれない。
そう思い、さとりはとりあえず心を読まれても苦に思わないような、個性的なペットをこいしの世話役として置いた。
しかしそれも役に立たず、ただ無益な年月を浪費するだけであった。

 そんなある日である。
地底へ七篠権兵衛が落とされてきた。
偶々地霊殿の外に出ていて権兵衛の落下地点近くに居たさとりは、権兵衛の“みんなで不幸になる程度の能力”について知り、すぐに何時かは地霊殿に押し付けられるのでは、と予測する。
それからすぐに地上に出て権兵衛について“心を読む程度の能力”で情報収集をし、そのうちにさとりは思った。
権兵衛は確かに出会った人妖の多くを不幸にしている。
しかしそれより前に、出会った人妖の心に持つわだかまりを解きほぐしているのだ。
ならばこいしと出会ったならば、こいしの第三の目を開く助けになる事ができるのではないか。

 そう思うと、さとりにとって権兵衛を引き取る事は、魅力的に思えた。
結果的に不幸になる、リターンよりリスクの方が大きい行為であっても、こいしの第三の目を開く事ができるのならば、それでいいではないか。
他の不幸など、こいしが開眼してすぐに権兵衛を引き離し、地上の妖怪どもに返してやれば、妖怪の持つ長い寿命でなんとかできるのではないか。
さとりは、暫く悩んだ。
地霊殿にはさとりを慕う多くの妖怪がペットとして居着いている。
そもそも権兵衛に出会って、こいしの第三の目が開くと言う保証も無い。
それどころか、知る限り権兵衛の精神は異常である、そんなものを読んでしまって、自分まで第三の目を閉じてしまう事にならないだろうか。

 しかしさとりは、結局権兵衛を引き取る事に決めた。
確かに権兵衛は危険かもしれない。
だがしかし、こいしの第三の目を開く手立ては、この先あるかどうか分からないのである。
たった一人の妹の為を思い、さとりは自分を含め、他の全てのペット達をも犠牲にするつもりで、権兵衛を地霊殿に拉致する事に決めた。
権兵衛が思いつめて自殺してしまわないよう、それらしい希望を匂わせつつ。
と言っても、さとりは嘘は言っておらず、確かに権兵衛の能力が閻魔の間違いである可能性は、微々たる物だが無い訳ではないのだが。

 拉致してきた権兵衛を拘束し、表向きその世話はお燐に任せる事にした。
何故なら、調べる限り格の低い妖怪ほど早い時間で肉体的に酷い目に遭っているからである。
地上と違って月の光も差す事の無い地底である、権兵衛の力も消耗しているだろうし、十日以上は持つだろう。
念のため、一週間程度で他の強い妖怪と交代させるつもりで、さとりはお燐に権兵衛の世話をさせた。

 さて、表向き、と言うなら裏向きもある。
さとりは密かに、権兵衛の心を常に読んでいた。
目の前にいない人間の心を読むのは結構な困難だったが、さとりは殆ど一日二十四時間、ずっとそれを続けてきたのだ。
万が一にでも権兵衛が地霊殿脱出の方法を見つけた際に阻止する為と、その能力による不幸が発揮される、前兆を読み取る為である。
あとはこいしを見つけ次第捕まえ、権兵衛と会話させに行けばいい。
万全の体制を敷き、さとりは権兵衛の監視を続けた。

 そして三日と経たず、権兵衛はお燐の感じていた火車である事で嫌われてしまわないかと言う恐怖を掘り起こし、消し去ってみせた。
ばかりか、こいしを部屋に引き寄せ、こいしが感情的になる所を聞いたのだと言う。
第三の目を閉じてしまったが故に心も閉じてしまった筈のこいしが、感情を顕にする。
それはすなわち、第三の目を開く切欠となりうる出来事ではあるまいか。
このまま、全て上手くいくのではないだろうか――。
甘い期待がさとりの中を過ぎった。

 それが覆されたのは、その日のうちだった。
権兵衛の心の声に耳を傾け過ぎていたさとりは、お燐の心の声を読んでいなかった。
不幸になるにしても、権兵衛の心に能力発動による何らかの前兆があるのではないか、と言う予測の為である。
故にさとりは、お燐がお空に遭うように提案してきた時、別に構わないかと思っていた。
お空はよく他者の顔を忘れ攻撃してしまう所があるが、お燐と一緒ならば大事あるまい。
それにお燐も、自分の心を救ってもらった代わりに、少しでも権兵衛を自由にしてやりたいのだろう。
普段お燐の心を読んでよく知っていたさとりはそう思い、お燐の行動を見ぬふりをしてやった。

 しかし、不幸は既にその前兆を見せていた。
お燐はお空を唆して権兵衛を攻撃させ、さとりに見つからないように権兵衛を死体にする計画を立てていたのだ。
権兵衛の“名前の亡い程度の能力”によりそれは阻止されたものの、お燐は地霊殿から逃げ出してしまった。
これで権兵衛が真に絶望してしまえば、こいしの心を開くのに支障が出るかもしれない。
そしてお燐を探しに行く事は、こいしの心が戻ってからでも可能であるし、それにまた権兵衛を殺そうとされてはかなわない。
大体子猫になって逃げ回られては捕まえる事ができるかも分からないので、お燐の方から戻ってくるのを待つしかあるまい。
それに実際お燐がさとりに逆らったのも確かなので、その罰を含めて、さとりはお燐が今罰を受けている最中だと言い、権兵衛が“みんなで不幸になる程度の能力”をより自覚する事を防いだ。
その言葉は、嘘ではない。
お燐と先程出会ったと言うのも、時期を限定していないので本当であった。

 しかしたった三日でお燐が不幸になってしまうと言うのは、さとりにとって予想外であった。
当初考えていた、お燐に並ぶような知性のあるペット達を候補から外し、さとりはお空を候補に考えた。
お空が精神的に強いかどうかは微妙だが、神と融合した事で、妖怪としての格はさとりよりも高い筈である。
お空の頭の空っぽぶりが不安だったが、さとりはお空を世話に行かせた。
一応指定した時間にはお空の心も同時に読むと言う、万全の体制で。

 が、初日で早速粗相をするお空に、さとりは思わず天を仰いだ。
権兵衛がお空になるべく話しかけないようにしているのも、マイナスである。
今こいしが見つかって同じ態度を取られれば、こいしが権兵衛に興味をなくしてしまうかもしれない。
だが、さとりは“心を読む程度の能力”の持ち主である。
権兵衛が口を開こうとせずとも、強制的に話ができる能力の持ち主である。
それで会話するぐらいは、と妥協してもらわなければ、こいしと会話してもらう事すらままならないだろう。
勿論こいしを助けるためにはさとり自身は最後のカードであり、なるべく切らないでおきたかったカードなのだが、仕方あるまい。
さとりは、自分も折を見て権兵衛の部屋へ行く事に決めた。

 そしてさとりは権兵衛の部屋の前に立ち、中の権兵衛の心を読んでみる。
お燐が出て行ってしまって以来、その心は常に青い肌の妖怪が喉を貫かれている光景を思い浮かべ、自分をなじる言葉を考えていた。
しかしそれでも、お燐の不幸がさとりにより罰を受けている程度である、と言う認識から、すぐに自己の“みんなで不幸になる程度の能力”を疑い始める。
すぐに再び妖怪の死に顔を思い出し、なんとか自分は呪われた能力の持ち主だと言い聞かせるが、その認識も次第に薄れていく。
大体さとりの計画通りである。
こいしの心を開くには、程良く権兵衛が自己の能力に疑いを持ち、こいしを救ってあげたいと思い、実行するようでなくてはならない。
お燐と話していた時、あのぐらいの平常運転が望ましいのだが、と自分のすべき事を再確認し、さとりは錠前を開け、扉を開いた。
お空さんだ、と思う権兵衛の思考に内心くすりと笑いながら、扉を閉め、鍵を掛ける。
それから権兵衛の隣にある椅子に腰掛け、さとりは口を開いた。

「お久しぶりね、権兵衛さん。
そう、その通り、さとりよ、権兵衛さん。
いいえ、こいしはまだ見つかっていないわ。
最近権兵衛さんが声を聞いたようだけれど、それを最後に見つかっていないの。
見つかり次第ここに連れてくるつもりだわ。
何日ぐらいかって?
時によりけりだけど、大抵五日もあれば見つかるから、あと二日ぐらいかしら。
じゃあ一体何の用事なんだろう、って?
娯楽よ、私が貴方で遊ぶ、娯楽。
危険だって?
お燐は確かに不幸になったけれど、私から罰を受ける程度で済んでいるわ。
その程度が、危険に値すると言うのかしら?」

 最後に軽く指先で唇を抑え、失笑してみせると、権兵衛は戸惑うような仕草を見せ、それから少しの間思案する。
さとりさんは俺で遊んで娯楽にするような人には見えない、もっと真面目で誇り高い人な筈だ。
ならば何故――、そうか、こいしさんの心を開くのに必要だからか?
その為に、俺が貝のように黙っているのが不都合だからなのか?
と、そうやって答えにたどり着いた権兵衛に、見えないだろうが、と思いつつもさとりはにっこりと低温の笑顔を作る。

「正解、大体その通りよ。
そして分かるでしょう、貴方は私に対し、話しかけない事と言うのができない。
何せ心を読まれているんですもの、抵抗のしようがないわ」

 とさとりが言うと、成程、と納得する権兵衛。
その声はただ単に理屈が繋がったのに感動する心の動きがあるだけで、嫌悪や憎悪の念が全く篭っていないのに、さとりは思わず目を見開いた。

「てっきり、俺にまだ他者を不幸にさせるつもりなのか、とでも返ってくるかと思ったのに。
成程って何よ、成程って」

 と言うと、権兵衛が頭の中で返事をする。
だって、俺がここでさとりさんを嫌った所で、救われる人は誰一人居ない。
もし心を隠して口を開けるのならそうしたのかもしれないけれど、心の全てが覗かれてしまうのならば、仕方ないとしか言いようがないじゃないですか。
俺は勿論、抵抗するつもりではいます。
こいしさんには必要最低限以上話しかけないつもりですし、お空さんにも同じです。
ただ、さとりさん相手には、思った事が勝手に伝わってしまうのだから、どうしようもないじゃないですか。
せめて不快な思いをさせてさとりさんを此処から去らせようとしても、その思いも伝わってしまう。
そうするとさとりさんは余計に此処に居座るようになり、俺がどうしようとさとりさんが此処に居る時間は同じなのに、ただたださとりさんが不快な思いをしてしまう事になるのです。
それなら、せめてさとりさんには何の隠し事もせず、気持ちよくこの時間を終えられるように協力した方がいい。
そう思ったのです。

 そんな権兵衛の心の声を聞きながら、さとりは密かに戦慄していた。
普通権兵衛のような状況に置かれれば、自分の心の中が覗かれる、と言う事が不都合に思え、その不快の念が伝わってくる筈である。
しかし権兵衛には、そんな念が一切なく、心の奥底からさとりの為になるように、としか考えていないのだ。
しかもそこには、さとりに好かれたいとか気に入られたいとかそういった感情は一切無く、ただただ真摯にそう思っているのである。
今までさとりに心を読まれたって嫌いにならない、と言った者どもは、誰一人こんな領域には達していなかった。
改めてさとりは、地上で心を読みまくって集めた、権兵衛の人物評を思い出す。
善性に狂っている男。

 さとりは、思わず生唾を飲み込んだ。
今目前にしている男が、これまで見てきたどんな人妖神仙とも違う種類の存在だと、改めて実感する。
しかもこの男は、さとりにとって強力な毒となるのではあるまいか。

 さとりと言う種族には、その能力を持つが故に、心の強さが必要だ。
誰にどれだけ嫌われたとしても、たった一人で荒野に立つ、自立した孤高の精神が必要だ。
当然それには凄まじい労苦が必要であり、疲労に全身が疲れ果て、何時か死を迎えるその時まで、孤高で居続ける事が必要だ。
それができないさとりは、疲労のあまり誰かに寄りかかり、その相手に振り払われた絶望で精神の死を迎える。
当然それはさとりとしての命を全うした人生ではなく、弱く、蔑まれるべき死に方である。
さとりは当然、皆孤高なまま死を迎える事を目指している。

 しかし権兵衛という存在は、さとりが寄りかかる事のできる存在だった。
その狂った精神により、さとりが依存しても受け入れる事のできる存在なのだ。
これは、駄目だ、とさとりは直感する。
権兵衛のそばに居てしまえば、さとりは少しづつ、権兵衛に依存してしまうかもしれない。
それは当然、孤高に死す生き方から外れる物であり、さとりの望む生き方ではない。

 さとりは思わず、権兵衛に向けて掌を向けていた。
ぶるぶると震える手は権兵衛の頭蓋に向けられており、妖力弾を発射すれば今すぐにでも権兵衛を殺せる位置である。
はぁ、はぁ、と大きく息をしながら、さとりはその手をもう片手で抑えた。

「さとり、さん?」

 いつまでも返事が来ないのを疑問に思ったのだろう、権兵衛が口を開く。
それを聞き、乾ききった喉を唾で潤し、さとりは口を開いた。

「なんでも、ないわ」

 言って、肩で息をしながらゆっくりと掌を下ろす。
そもそも権兵衛を此処で殺しては、その呪いで目前のさとりがどうなってしまうか分からない。
大体、その権兵衛の狂った善性は、承知の上だった筈なのである。
何せそういった、さとりが寄りかかれる相手でなければ、こいしの歩行器となれる可能性は低いだろう。

 しかし今日は、これで限界だった。
これ以上権兵衛の側に居て、権兵衛に何かしてしまわないかどうか、さとりは自分を抑える自信が無かったのだ。
早速立ち上がり、さとりは言う。

「今日の所は、ここで帰るわ。多分また明日、来る事にする」
「では、また明日、さとりさん」
「えぇ、また明日」

 何とか声だけでも冷静さを保ちながら言って、さとりは鍵のかかった扉を開き、外に出てから閉める。
それから背を扉に預けながら深い溜息をついた。
明日、自分は権兵衛とまともに会話できるのだろうか。
会うだけで消耗してしまった自分が、権兵衛をこいしと話す気にできるものだろうか。

「それでも……やってみせるのよ」

 ぽつり、とこぼし、さとりは己を鼓舞する。
それからさとりは小さくもう一度溜息をつき、それからふらふらと覚束ない足取りで自室へ戻り、泥のように眠った。



 ***



 霊烏路空は、頭が悪かった。
妖怪としての格は八咫烏を取り込んで鬼に並ぶ程になっていたが、残念ながら頭が悪かった。
お空は八咫烏と融合した事で力を増し、傲慢な考えを持った事が一度あったが、それも偉い神や優しい親友によって止められ、お空は自分の頭の悪さを改めて自覚したのだ。
力がある事で自分の頭の悪さを克服できていると思っていたが、それは思い上がりだったのだ、と。
自分の頭の悪さを認めたお空は、判断の多くを親友や主人に求める事にした。
偉い神や緑色の巫女相手にも謙虚になり、頭が悪いなりに頑張ろうと思ったのだ。

 しかしそれでも、お空にとって頭が悪いと言うのはコンプレックスだった。
まず他人の名前を憶えられない。
顔だって忘れてしまうし、戦っている最中などで頭に血が昇ってしまうと、目の前に居る相手がどんな相手だったかも忘れてしまう事すらある。
お空は、そんな自分が情けなくて、嫌いだった。
だがそんな暗い事は考えたくないので、考える事の多くを他者に委ねる事でお空は精神の安定を保っている。
奇しくもそれは、こいしと似た考え方であり、さとりの精神に反する考え方であった。

 そんな時に現れたのが、権兵衛であった。
親友であるお燐を瞬く間に優しくしてみせた権兵衛の事を、お燐が罰を受けている間、お空が担当する事になった。
最初お空は、面倒そうな事だなぁ、と思いつつも、権兵衛の部屋に入り、話しかける次第になって、ようやく気づいたのだ。
私は、権兵衛の名前を覚えられている。
その事に目を見開き、一瞬お空は言葉を失った。
お空が名前を覚えられている相手は、主であるさとりとその妹こいし、親友のお燐の三人だけだったのだ。
三人ともがお空とは長い付き合いで、長時間をかけてその名前を覚えていった。
対し、勿論権兵衛とは、出会った事すら先日が初めてである。
権兵衛とは、一体どんな男なのか。
お空はその時、権兵衛に初めて興味を持った。

 それは今でも同じで、お空は間欠泉地下センターでさとりに定められた時間まで待ち、時間となると文字通り飛んで権兵衛の元に向かうのが習慣となっていた。
二日目となる権兵衛の世話に、心を踊らせつつ、お空は台車を押していく。
何時もなら食事や水を忘れて台車だけを押していく事もあっただろうが、その台車の上には完全に権兵衛の世話をするための物が揃っていた。
その事に満足しつつ、食事を零さないよう気をつけてお空は権兵衛に部屋にたどり着く。
胸元から革紐で結んだ権兵衛の部屋の鍵を取り出し、錠前を開いてお空は扉を開けた。

 僅かに空気中に交じる権兵衛の汗の匂いに、思わずお空は鼻を動かした。
どくん、と、何故だか分からないが、心臓が高鳴るのを感じる。
顔がなんだか上気してしまうので、少しの間俯いて顔の温度を放出して、それからお空は台車を押して権兵衛の部屋に入った。
それから、急いで錠前を閉め、それからお空は両手を胸に置く。
深呼吸。
心臓の鼓動が落ち着くのを待ってから、お空はぐるっと百八十度ターンし、権兵衛の方を向いた。

 不思議な事に、お空は再び心臓が脈打つのを感じる。
歩こうとすると、意識せず手と足が一緒に前に出てしまうし、緊張のあまり一瞬台車の事を忘れそうにすらなった。
こんなに緊張する事は、さとり様の前でも無かったのに。
そう考えつつ、ようやくお空はもう一度深呼吸。
呼吸を正してから、口を開く。

「おはよ、権兵衛。食事とか持ってきたよ」
「おはようございます、お空さん」

 お燐の言から想像するのと、権兵衛の実像とは、幾分違いがあるようにお空には思えた。
優しいと言っても何でもお空に世話を焼いてくれるような優しさではなく、少し突き放したような距離感があって、でも如何にも暖かな感じで見守ってくれているのが分かるのだ。
今日の挨拶も、必要最低限で、すぱっ、とした物である。
それに僅かに残っていた興奮も去り、お空はリラックスして台車を押し、権兵衛の居る部屋の中央に移動し始めた。
権兵衛のベッドの隣の椅子に座り、食事をサイドテーブルに置き、口を開く。

「それじゃ権兵衛」
「はい、いただきます」

 と、権兵衛に食事の挨拶をさせる事すらも、最初お空の頭には無かった。
が、権兵衛が困り果てたように言うのを聞いて以来、三度程になるが、お空はこれを欠かさずにできている。
自分の成長を実感しながら、お空は慎重にスプーンで粥を掬い、それを口で吹いて冷ました。
これも権兵衛が根負けして指摘した事で、どうやら当初権兵衛は熱すぎる粥で口内に火傷をしてしまっていたらしい。
肌についても火傷しそうな程に熱々なのである、当然のことだったが、指摘されるまでお空は気づかなかった。
と言っても、何故だかお空はそれ以来、その事を忘れずにこうやって粥を冷ましている。

「はい、権兵衛」

 粥を差し出すと、権兵衛が小さく頭を下げ、それからぱくりと口を閉じた。
それを確認してからお空はスプーンを権兵衛の口から引き抜き、それからじっと権兵衛が粥を咀嚼するのを見つめる。
権兵衛の対応は、お空にとって新鮮な物だった。
誰もがお空の頭の悪さには、閉口するか、代わりにやってやるかしかしなかったのだ。
こうやって一度指摘するだけに留めて、それ以降はやんわりと注意してくれるような忍耐強い相手は居なかった。
いや、もしかしたら居たのかもしれないが、少なくともお空の興味を引いた人妖の中には居なかったのだ。
そのお陰なのか、それとも権兵衛のやり方がよっぽどお空に合っているのか、お空は少しづつだが確実に頭がよくなっている自分を感じた。

 何せお空は、本格的に頭が悪かった。
何時ものお空なら、毎回のようにスプーンを権兵衛の喉奥まで突っ込み、火傷する温度の粥を食わせ、スプーンを引きぬく時は権兵衛の歯ごと引きぬく勢いであっただろう。
どころか、咀嚼を待つと言う事すら覚えなかったかもしれない。
所が実際、お空はそれらを全て回避し、権兵衛の世話を手際よくこなせるようになってきていた。
普段ではありえない程の成長である。

 自然、自分のコンプレックスを解消する手助けとなってくれる権兵衛に、お空は強く執着するようになっていた。
権兵衛の事をもっと知りたいと思い、何か話したくなる反面、自分が馬鹿だと分かっているので、お空はこういった重大な事を聞くのに気が引けてしまう。
お燐やさとりに頼りたいと思いつつも、それじゃあ成長できないし、権兵衛と一緒に居る意味が薄れる。
だけれど、自分は馬鹿だからあまり物を考えても仕方ないのであって……。
その辺でこんがらがって、お空がぷすぷすと煙を上げてしまうようになると、不意にお空は視線を感じ、そちらを見る。
権兵衛の目隠しと目があい、それから少しだけ微笑かけられるのだ。
それが、なんだか自分の背をちょっとだけ押してくれているように思え、お空は安堵に包まれながら口を開く。

「そ、そのさ、権兵衛の事、もうちょっと知りたいな、って思うんだけど、食べながらでいいから、話してくれるかな」

 一瞬、権兵衛が困り果てた顔をするのをお空は見た。
慌てて付け足す。

「その、本当に権兵衛が良ければでいいんだ、えっと、最近あった事でもいいし」

 刹那、権兵衛の顔に痛ましい表情が浮かぶのを、お空は確かに見た。
どうして自分はこんなに失敗ばかりしてしまうんだろう、と内心泣きそうになりながら続けようとするお空に、権兵衛が言葉を重ねる。

「申し訳ありません、俺には何も話すことができないのです」

 と言う権兵衛の顔が、泣きそうなお空よりも更に傷ついているように見えて、思わずお空は罪悪感に包まれた。
そのまま萎えてしまいそうになるお空だったが、いや、と暗くなる思考を捨て、考えなおす。
そう、お空は今こうやって、権兵衛の事情を直接聞くのは駄目だと、また一つ成長したのではないか。
多少無理のある明るさでそう考えると、代わりとばかりにお空は口を開く。

「そ、それじゃあ代わりに、私の事話してもいい? いいよね?」

 権兵衛が頷いた瞬間、わっ、とお空の中で広がる物があった。
それはなんだかとてつもなく暖かい物で、全身に染み渡るように広がっていくのがよく分かる。
その暖かさに痺れるようにし、体をぶるりと振るわせてから、お空は早口に口を開いた。

「良かったっ!
えっとね、権兵衛、ちょっと前に間欠泉地下センターに氷精が迷い込んできてね……」

 それからの時間はまるで夢のように素早く時間が過ぎ去り、お空は何を喋ったのかも覚えてないぐらいだった。
権兵衛は殆ど相槌を打っているだけだったが、それだけでも震えるように嬉しく、他の反応をしてくれた時など飛び上がってしまいそうになるぐらいだ。
お空は、やっぱり権兵衛は特別なんだなぁ、と思う。
こんなにも自分のことを話したくなるのは権兵衛相手が初めてだし、話していて楽しいのも権兵衛が初めてだ。
これでもし、権兵衛がこちらの事も大切に思っていてくれるのならば、どれほど良い事だろうか。
想像するだけで身悶えするような思考に、お空は思わず頬を染めた。

 そして権兵衛が食事を終えるまで喋り続けたお空は、後ろ髪を引かれる思いで食器などを片付ける。
それが全部済んで、最後に権兵衛に水を飲ませてやると、お空は言った。

「それじゃあ権兵衛、また来るから、その時またお喋りしても、いいかな」

 言ってから、お空はもし駄目だって言われたらどうしよう、と考える。
返答までの一瞬の筈の時間が、永遠であるかのようにお空には思えた。
暗い思いに、今までの権兵衛との対話の時間で得た、暖かい気持ちが消え去ってしまったかのような錯覚に陥る。
でも、権兵衛は優しいし、きっとうんって言ってくれる筈。

 お空はじっと権兵衛の事を見つめる。
穴が開くのではないかと言うぐらい強い視線で見つめていると、権兵衛にあった硬い雰囲気が僅かに和らいだ。
一瞬権兵衛の口が開こうとするが、その視線に押され、すぐに閉まる。
逃げ場を探すように身動ぎをすると、権兵衛は観念したようにして、お空が期待する通りの言葉を吐き出した。

「えぇと、ただ話を聞くぐらいでよければ、何時だって」

 たったその一言だけで、お空は今にも飛び上がってしまいそうな気分になった。

「じじじじゃあ、まま、また今度ねっ!」

 慌ててまともな返事もできずに、お空は台車を押し、それからこのままだと扉にぶつかってしまう事に気づき、慌てて止める。
それから胸元から鍵を出し、カチャカチャと錠前を弄るが、中々開かない。
原因不明の焦りがお空を支配する中、やっとのことで錠前が開くと、お空は慌てて扉を開き、出ていった。
がちゃん、と扉と鍵とを閉めてから、大きく溜息をつく。

「すぐに、権兵衛の所に行く時間、できないかなぁ……」

 両手を頬に当てつつ呟き、お空は小さく身悶えした。
それから自分が一体何をやっているのか、と冷静になって気づき、今度は羞恥から顔を赤くしつつ、台車を押していく。
パタパタと小刻みに羽を揺らしながら、お空はその場から姿を消した。



 ***



 さとりは、錠前を開き、扉を開く前に少しだけ躊躇する。
それと言うのも、さとりが今日権兵衛の部屋に来たのは、何と五度目になるためだ。
権兵衛は自分のことを迷惑に思っていないだろうか。
すぐに表層しか読んでいなかった権兵衛の心の奥を読み、さとりを一切迷惑がっていない様子を見て、ほっと安堵の溜息をつく。
ついてから、さとりは硬直。
自分はなんと弱々しい事をやってしまったのだ、と後悔の色で心を染めた。
さとりと言う妖怪は、他者に嫌われて当たり前なのである。
それが嫌われていなかった事に興味を持つ程度なら兎も角、嫌われていない事を期待するなど、言語道断だ。
自分の弱さを恥じ、さとりは数瞬、天を仰いだ。

 しかし、いつまでも此処に立っている訳にもいくまい、さとりにも地霊殿の主人としての仕事がある。
さとりは、一つ溜息をつくと、錠前を開け、ドアを開いた。
お空が強い力で頻繁に開け閉めするからだろうか、ドアは少し立て付けが悪くなっていて、きぃいいぃ、と甲高い音を立てる。
同時、権兵衛の思考に、あ、さとりさんだ、と言う言葉が流れた。
どうやらドアの開け方で判別しているらしく、お空に比してさとりは穏やかな開け方らしい。
少しだけ頬が赤く染まるのを自覚しながら、さとりはそれを無視して扉を閉め、鍵を掛ける。
こんな事で何故頬が染まるのかは意味不明だが、恐らく地霊殿の主人として穏やかな気質を持つ事が有用であり、そこを褒められているような気分になるからなのだろう。
決して女性らしさと関係しているのではない、と自身に言い聞かせつつ、さとりは権兵衛へと振り返る。

 変わらず権兵衛はベッドの上で縛られていた。
それを行ったのは、実を言えばさとり本人である。
何せ権兵衛と出会って不幸になるペットは最小限に抑えたかったのだ、一応最初に出会った時には大丈夫だったさとりが作業を行った。
故に権兵衛の姿を見ると、さとりは思わずその時の権兵衛の肉体を想像してしまう。
権兵衛の肉体は健康体で、短いとは言え畑作業で培われた体には質のよい筋肉があった。
程良く固いそれを想像してしまうのを全力で阻止しながら、さとりはなんとか足取りを乱さずに権兵衛へと近づく。
ベッドの隣にある椅子に座り、それから権兵衛に話しかけた。

「こんにちは、権兵衛。
えぇ、仕事が片付いたから、来てみたのよ」

 にこり、と笑顔を向け、それからそれが権兵衛の瞳には写っていない事に気づき、さとりは顔を引き締めた。
大体なんだ今の笑顔は、とさとりは顔の筋肉を手でほぐしながら思う。
何時も冷笑を作っている筈の顔の筋肉は、まるで普通の少女が浮かべるようなあどけない笑顔を作っていた。
勿論そんな物、さとりに許される笑顔ではない。
顔をきちんとほぐして、こんどこそ冷笑を権兵衛に向かって浴びせかける。

 権兵衛は、ありがたいけど、と思ったようだった。
こうやって誰かが来てくれると言うのはありがたいけれど、いや、やっぱり不幸にしてしまうからありがたくないのだけれど。
それにしても、さとりさんの仕事と言うのは大変そうだ。
地霊殿の主人と言うだけあって、その疲労も推し量れる。
と言うのも、さとりは最初にこの部屋に来た頃と比べ、明らかに熱っぽい声をしているし、少し肩で息をしているような気がするのだ。
ならばこんな不幸しか運ばない男の所に来るよりも、もっとリラックスして休む事を優先した方が良いのではないだろうか。

「気持ちはありがたいけれど、自己管理はできているわ」

 と言ってから、さとりは思わず俯いてしまう。
それならいいんですが、と権兵衛の思考が過ぎ去った。
確かに権兵衛の言う通り、さとりは少し自分の声が熱っぽいし、興奮して肩で息をしそうになる事が多いと感じている。
それも多分疲労によるものなのだろう。
今も権兵衛に心配された返事が少し掠れて艶やかだったが、それも恐らく疲労によるものだ。
ならば自分は自覚している以上に権兵衛の対応に疲れているのかもしれない、とさとりは思った。
しかしさとりは、ならばむしろ今以上の頻度で権兵衛の所に来るべきか、と考える。
何故ならさとりが疲れていると言う事はその分権兵衛も疲労している筈で、疲労した方がこいしに対するガードも下がる筈である。
別に他意はない。
ただそれだけの事なのだ、と、何故か自分に弁解しながら、さとりは口を開いた。

「それでお燐の罰だけれども」

 と、さとりはお燐に与えている罰について語った。
勿論全部が嘘である。
ただ、権兵衛が余りにお燐が不幸になっていないかどうか心配するので、話題を探すさとりが時折話すようになったのだ。
そうすると権兵衛も喜ぶので、さとりは進んでその話をする。
勿論その因果関係は、間に権兵衛が喜ぶ事によって話をすると言う快感に惹かれ、こいしと話しやすくするためと言う物が入る。
決して権兵衛が喜ぶと言う事と、さとりが喜ぶと言う事が、矢印一つで結ばれている訳ではない。
そう自身に言い聞かせつつ、さとりはお燐について語った。

「今は猫の姿になって、ねずみ退治をやらせているわ。
当然間は口を利くのも無し、声はにゃあって鳴き声だけ許しているの。
お燐は口でねずみを捉えるのが嫌みたいで、手足で捕まえてから熱湯で殺しているみたい。
結構清潔好きなのよね」
「はぁ……」

 猫に大してそれは罰なのか、と一瞬権兵衛は思ったようだが、すぐに納得したようだった。
どうやら権兵衛は幻想郷のねずみ全てが人肉を好むと信じているようである。
なので当然死体も食い散らかされる事になり、死体を運ぶお燐にとって、ねずみは姿も見たくない天敵なのだろうと考えていた。
それにしても、と権兵衛は思う。
お燐さん、あの素晴らしい人に与えられる罰がこの程度で済んで、本当に良かった、と。

 むっ、と思わず自分の口角が下がるのを、さとりは自覚した。
別に権兵衛が他の女を褒めたから嫌な気分になっている訳ではない。
ただ単に、地霊殿の主人である自分よりお燐が褒められている気がするのが、癇に障っただけである。
少し考えてから、さとりは権兵衛に付け足して言った。

「ちなみに。
お燐には、死体に運ぶことは愚か、触れる事も禁じているわ。
泣いていたけど、仕方のない事でしょう」

 とさとりの言葉を聞くと、結構ショックを受けたようで、権兵衛が見目にも分かるほど俯いた。
それから権兵衛が、矢張り自分の“みんなで不幸になる程度の能力”は充分に強力なのではないか、と思い始める。
当然、失態である。
さとりは思わず続けて口を開いた。

「まぁ、この程度何度もあった折檻だもの、大したことではないわ」

 と言うと、少し権兵衛の自虐の念が和らぎ、同時に落ち込んだ自分を心配してくれたのだ、とさとりへ感謝の念が伝わる。
それに少し頬を染めつつも、さとりは後悔に打ちひしがれた。
癇に障ったと言うだけの理由で権兵衛に能力の事を意識させてしまうのは、控えめに言ってあまり賢くない所業である。
そもそもさとりが此処に来ているのは、権兵衛がこいしと話をするよう、精神的に誘導する為なのだ。
その事をもう一度頭に刻みつつも、さとりはこうなってしまったら、一旦時間を挟む事が必要だと考える。
熱くなってしまった頭は、一度冷やすに限ると言う事だ。
さとりは腰を上げた。

「じゃあ、いつも通りにしたら、それで一旦帰る事にするわ」

 権兵衛がたじろぐ気配があった。
そこに戸惑いやさとりに対する心配はあっても、嫌悪は無い事にさとりは安堵する。
権兵衛が、暫くぶりに口を開いた。

「その……何時も思うんですけど、汚くないですか?」
「そんな事は無いわ」

 言って、さとりは靴を脱ぎ、ベッドの上に上がった。
権兵衛の腹の辺りに跨るようにし、ペタンと両手を権兵衛の胸の上に置く。
権兵衛の心臓の脈動が感じ取れて、さとりは少し自分が安心するのを感じた。

「だって、これって……」
「別に飲み込んでいる訳ではないもの。
汚くなんてないわよ」

 言って、さとりは姿勢を少し前傾させた。
両腕を伸ばし、権兵衛の両耳にある目隠しの紐に手をかける。
ゆっくりとさとりは権兵衛の目隠しを外した。
ぱちぱちと瞬きしつつ、権兵衛の瞳がさとりの像を捉える。
権兵衛はこの地霊殿で、さとりの姿しか知らないのだ。
そう思うと、さとりは思わずぞくぞくと背筋に快感が走るのを抑えられなかった。
口角を上げ、少し上気した頬で、にっこりと微笑む。
その顔が冷気を残していない事に、さとりはまだ気づいていなかった。

「さとり、さん……」

 つぶやく権兵衛の首の横に手をつき、さとりは権兵衛を押し倒す形になる。
それからゆっくりと頭を近づけて、権兵衛の目へと口を近づけた。
それからさとりは、権兵衛が目を開いている時を狙って、ぺろりと舌で権兵衛の眼球を舐めた。
権兵衛の目の汚れが、さとりの舌の上に移る。
それからさとりはポケットからハンカチを出し、その上にどろりと唾液を、権兵衛の目の汚れごとこぼした。
その情景に権兵衛が背徳感を覚えるのに、さとりは今にも踊りだしたいぐらいの快感を覚える。

 何時から始まったのか、さとりすらも覚えていないこの作業は、気づけばさとりが権兵衛の部屋を離れる前の恒例行事と化していた。
なんともなしに、さとりはいつの間にか、権兵衛の目を舐めて汚れを取る役目を負っていた。
しかもそれは、さとりにとって何故か全く苦では無かった。
赤の他人の、しかも目の汚れなんて言う物を取ってやると言う行為だと言うのに、全く嫌ではないのだ。
いや、それどころか、快感すらある。

 不思議だな、と思いつつも、さとりは何故だかそれを辞める気が起こらず、毎回権兵衛の目を舐めてやっていた。
今回もさとりは口の中に唾液を貯めて、粘ついた舌で権兵衛の眼球の粘膜を舐め、汚れを取る。
それは権兵衛の目の汚れが無くなってからも、暫く続いた。
さとりは暫くの間、舌に溜まった唾液を権兵衛の瞳に塗りたくり、それを舐め回していたのであった。



 ***



 その日お空は、灼熱地獄跡地への死体の投下を他の妖怪に代わってもらい、さとりに指示されたよりも幾分早めに権兵衛の元へと向かっていた。
羽は思わずぴこぴこと細かく動き、喉からは自然と鼻歌が溢れる。
お空は明らかに上機嫌な様子で権兵衛の元へと歩いていた。
それもその筈、お空が途中にある食堂によると、コックをしているペットに、権兵衛に渡すデザートをくれたのだ。
ここ二日ほど、お空は権兵衛の元に世話しに通っていたが、デザートを渡すのは初めてだ。
しかもこのデザート、非常に美味しそうなのである。
酸味の強い果物を載せたタルトで、薄紫色のクリームの上に、赤や青の果物、それとコントラストを織りなすクリーム色のタルト。
宝石のように輝くそれは、見ているだけでお空がドキドキしてしまうような出来栄えなのだ。
その上、それだけではない。
お空に持つバスケットにはタルトが二つ。
なんと、お空は権兵衛と一緒に食事をする事ができるのだ。

「美味しいかなとか、酸っぱいねとか、甘いねとか、いっぱいお話できるかなぁ」

 何せ自分は頭が悪く、面白い話題もそうは思いつかない。
だけどこのお菓子があれば、きっと楽しい話が出来るに違いない。
タルトを渡してくれた食堂のコックに内心礼を言いつつ、上機嫌なままお空は権兵衛の部屋にたどり着く。

 すぅ、と、深呼吸。
目を閉じれば、権兵衛と楽しそうにお話をしている自分が瞼に投影される。
それを現実にする為には、お空はどんな努力も厭わないつもりだった。
目を閉じた数瞬のうちに、必死に幾つもの権兵衛へ話しかける言葉を考える。
というのも、何も考えないで入ったら、緊張で何も話せないままタルトを食べ終わってしまうと言う可能性すらあるからだ。
思いついた言葉や流れを脳内に焼き付けるようにして覚えるお空。
そしてそれを忘れてしまわないうちに、うん、と一つ頷き、お空は目を開いた。
胸元から権兵衛の部屋の鍵を出し、錠前を開く。
ノブを回すと、ぎぃいぃ、と音を立てて扉がゆっくりと開いた。

「………………え?」

 どさっ、という音と共に、お空はバスケットを取り落とす。
中でタルトが踊り、倒れ、ぐしゃりと潰れた。
しかしそれでも、お空は立ち尽くしたままそれを凝視する他ない。
お空の視線は、ベッドの上に釘付けになっていた。
正確に言えば、ベッドの上の権兵衛と、その上に跨るさとりの二人にだ。

 鮮烈な赤の、さとりの舌がつい、と伸び、権兵衛の眼球の上へと到達する。
するとさとりの唾液がとろりと権兵衛の目の上へ流れてゆき、やがて覆った。
その上でさとりは、舌を上下左右まんべんなく動かし、権兵衛の目を舐める。
暫くするとさとりは口を近づけ、ず、と小さな音を立てて唾液を口に戻した。
姿勢を正し、右手に持つハンカチを顎の辺りに。
頭蓋を少し前傾させ、ゆっくりとさとりは口を開いた。
唇の間からどろり、と唾液が糸を引いて零れ落ち、ハンカチに染みを作っていく。
その扇情的な光景に、背徳を覚えたのか、権兵衛が小さく呻いた。
口の中の唾液を全て出し終えてから、ゆっくりとさとりがお空へと振り向く。

「あら、お空じゃない、早かったのね」

 どうやら権兵衛はその言葉でお空の存在に気づいたらしく、跳ねるような動きで首ごとお空へ視線をやろうとした。
が、権兵衛の瞳がお空の姿を写す暇は無かった。
直前、さとりが素早く手を下ろし、権兵衛の目を隠したのである。

「あぁ………………」

 お空は、何か言おうとしたが、何も思いつかず、掠れた音を鳴らす事しかできない。
頭の中が爆発しそうだった。
体を動かさないといけない、そんな衝動が体中を駆け巡っているのに、動けない。
悲鳴を上げそうな口も、ぱくぱくと声にならない声を出すだけだ。
何もできず、お空は今すぐ何もかも放り捨てて、この場でしゃがみ込んでしまいたかった。
しかし、お空が実際にそうするか否かの瞬間。
お空の視界の中で、確かにさとりはその顔に浮かべる表情を、何時もの冷笑から変えた。
口角は高く、目は細め、唇は艶やかに。
明らかに、さとりは優越感に浸った笑みを作っていた。

「あ………………」

 瞬間、お空の中で何かが切れた。
その線の上には大事な筈の物が幾つも乗っていて、権兵衛に言う筈だった言葉であったり、さとりに対する敬意であったりが、底へと落ちて行くのをお空は感じた。
落ちてゆく中でそれらは色を無くし、黒一色の何かへと成り果てる。
最後にそれは底でべちゃりと不定形になり、堆積していった。
全てが重なりあっていくそこで、突如炎が上がる。
堆積した全てを燃やし尽くす炎は、燃焼物の色を写したかのような、どす黒い炎であった。

「ああぁああぁあっ!」

 全身を舐めるように覆い尽くす漆黒の炎に、お空は突き動かされた。
口は勝手に開いて意味不明の絶叫をあげ、右手の第三の足が全ての制御を解き放ち、核熱のエネルギーが収束する。
白熱したエネルギーがうずを巻いて第三の足の先に集まり、球体を生成。
お空の絶叫と共に、それは撃ち放たれた。

 身動きできなくなる程の強烈な風。
太陽の力を秘め、地霊殿などバターのように溶かしてしまえる熱量を秘めた球体が、光の速度で権兵衛へと撃ち込まれる。
接触の瞬間、白光が部屋を覆い尽くした。
あまりの光量に、部屋中が全て真っ白にしか見えなくなる。
一呼吸程続いたそれが収まったそこには、無傷でベッドに縛られたままの権兵衛が、何時も通りに横たわっていた。
いつの間にか、目隠しも再びつけられていて。

「な、んで……」

 お空が思わず声を漏らす。
そも、見れば権兵衛は気絶させられていたようで、ゆっくりと胸を上下させている事すら見えた。
自分はこんなにも苦しんでいるのに、権兵衛はそれを知りすらしないのか。
再びどす黒い感情が湧き上がると同時、ガツン、と音を立てて何かがお空の首筋を打った。

「やれやれ、流石の私もヒヤッとしたわ」

 その声がさとりの声だと認識すると同時、お空の意識が闇に落ちる。
寸前、もがきながら権兵衛に手を延そうとするが、届かないままお空は崩れ落ちた。
地面に近い視点になると同時、お空はようやく自分が先程バスケットを落とし、タルトを滅茶苦茶にしてしまった事に気づく。
権兵衛とお菓子、食べたかったなぁ……。
内心そう呟きながら、お空は意識を失った。

 気づけば、お空は自室で寝ていた。
体中が鉛になったような気分で、ゆっくりとお空は上半身を起こす。
それから部屋を見回し、お空は自分の部屋にさとりが居る事に気づいた。
腕を組んだままじっとお空を見つめる彼女の姿を見ると、お空は自身の中で再びどす黒い感情が湧き上がるのを感じた。
必死でそれを抑えようと、自分自身を抱きしめる。
暫し震えながら自分を抑えていると、黒い感情は収まっていき、どうにかお空は溜息と共に自分を取り戻す。
再びさとりへ視線をやり、口を開いた。

「あの、さとり様」
「貴方を権兵衛の世話から解任するわ」

 ひゅ、とお空の口の中で息を吸い込む音がした。
解任?
権兵衛の世話を?
頭の中を巡る言葉に、お空は思わず混乱してしまう。
混乱が収まり冷静な思考が戻るまで、暫しの時間が必要だった。
どうにか思考を纏める事ができるようになり、お空は口を開く。

「その、さとり様っ! わ、私が権兵衛を攻撃したからですかっ!」
「そうよ」

 断頭台の如き冷徹な言葉が、お空の言葉を絶った。
ぐ、と一息引きつつも、なんとかお空は続けて口を開く。

「そ、その、それは私、何でか分からなくて……! 別に、権兵衛の事が嫌いとかそういう事じゃないんですっ!
ただ、あの時、苦しくて苦しくて、もうどうしようもなくて……」

 言ってから、お空はあれ、と思う。
権兵衛の事を考えれば楽しい事ばかりで、だから自分は権兵衛の事を大好きなのだと思っていた。
しかし今は、何故か同時にどす黒い感情が湧き上がり、自分を苦しめてしまう。
自分は、果たして権兵衛の事が好きなのか? 嫌いなのだろうか?
お空は悩んだ。
こんな嫌な感情を思い起こさせる権兵衛なんて嫌いだ、と思う部分と、直感的に権兵衛が好きだと感じる部分があって、それらを纏めて理解する事ができない。
どうしよう、とお空は泣きそうな気分になる。
このままじゃあ権兵衛の世話を解任されちゃって、あれ、でもそれは権兵衛が好きだからやりたい事で、嫌いならそんな事せずともいいんじゃあないか……。
そんな思考を中断させたのは、お空の手に伸ばされたさとりの手であった。
なんで? とお空は意味がわからず、さとりの顔を見つめる。

「気づいていないのね。
貴方は今、左手で右手の手首を、血が溢れる程にかきむしっていたのよ」
「……え?」

 思わず疑問詞を漏らしてから、お空は自身の左手首を見る。
確かに手首に大して垂直に、爪で引っ掻いた深い傷跡が見えた。
中からはどろりとした血液が出てきて、ベッドへと零れて染みを作っている。
なんで、私は何もしようとしていないのにっ!
内心で絶叫を上げるお空に、さとりは僅かに目を潜め、口を開いた。

「貴方のその行動は、権兵衛さんの事を考えたからよ。
貴方の嫌いな、権兵衛さんの事を、ね」
「嫌いな……」

 言ってから、お空は思った。
自分は馬鹿だから、自分で権兵衛をどう思っているか分からない。
もしかしたら権兵衛が側に居れば、頭が良くなって自分の感情が分かったかもしれないけれど、今は兎も角分からない。
だから、自分よりも頭のよいさとりがお空の心を読みとった結果ならば、それは正しい事なのではなかろうか。
私は、権兵衛の事を嫌いなんだ。
すっ、とその言葉は自然にお空の中に入り込んできて、納得もできた。
私は権兵衛を嫌いでいいんだ。
もうあんなに辛い思いをしないでいいんだ、と。

 それからのお空は、再び間欠泉地下センターと灼熱地獄跡地を往復するような仕事を続ける事になった。
権兵衛の事を考える事は、少なくない頻度である事だ。
想像の中で、お空は権兵衛に向かって暴力を振るい、また、悪口を投げつける。
勿論嫌いな権兵衛相手に嫌な事をしているのだ、胸が安堵するのをお空は感じた。
なのでお空は、最近暇があれば内心で権兵衛に向かって酷い事をしている。

 そんなある日の事である。
お空は、間欠泉地下センターの仕事を終えた時、地霊殿の方へ戻る最中、ふと外の旧地獄を見た瞬間、赤い瞳と目が合った。
なんとなくそれに心惹かれ、そちらへ飛んで行こうとすると、瞳の持ち主は慌てて逃げようとする。
それでも少し弱っているのだろうか、お空の速度なら容易く追いつけ、先回りする事ができた。
そうしてその瞳の持ち主を認識し、お空は思わず素っ頓狂な声を上げる。

「あれ、お燐!?」
「……そうだよ、お空」

 暗い声で答え、猫がどろんと煙をまくと、人型になった。
少しうす汚れた様子だが、まごう事無きお燐である。
どうしたのだろう、と首を傾げ、お空はお燐に話しかけた。

「えっと、お燐って今はさとり様に罰を受けている所なんじゃあなかったっけ」
「何の話……っ!? そ、そうか……」

 と、さとりに言い聞かされていた事をお空が言うと、電撃に撃たれたかのようにお燐は震えた。
それから、万感の思いを吐き出すかのように、お燐は言う。

「これが永遠に続く事が……私への罰、なんだね……」
「え? よくわかんないけど、そうなの?」
「そうよ。それよりお空、どうしたの、その顔は?」
「顔?」

 言われて、お空は自分の顔に触れた。
特に何かついている訳でも無いし、困り果ててお空はお燐に聞いてみる事にする。

「顔、何か変な所ある? 墨で何か書かれてたり?」
「お空? 本気で言っているの?」

 と言われても、心当たりは無い。
お空が首を横に振ると、腫れ物に触るかのようにお燐が口を開いた。

「だってお空……さっきから、表情を一つも変えてないじゃない。
私の事を見つけても、眉ひとつ動かさないで。
まるで、表情が抜け落ちてしまったみたい」

 泣きそうな表情でお燐が言うのだが、お空には困った事に自覚が無い。
もう一度顔をペタペタと触ってみるが、お空にはいつも通りのようにしか感じられなかった。
どうにか自分の表情を変えてみようと努力するお空だが、お燐の表情を見るに何も変わっていないらしい。
そこで、あ、とお空は思いついた。

「そうだ、これならきっと表情も変わる筈」
「え?」
「こうしてあの人を憎んでいる間は、すごく安心するんだ、だからきっと」

 と言って、お空は脳内で権兵衛に向けて暴力を振るい、罵声を浴びせた。
常にやっているのと同じようにしてみせると、ふっ、と心の中に安堵の気持ちが湧き上がる。
どうだ、これで表情も変わっただろう、とお空がお燐の目を見ようとすると同時、ばっ、とお燐がお空の事を抱きしめてきた。

「お燐?」

 疑問詞を上げるお空だが、お燐はぶるぶると震えながらお空を抱きしめる力を強くするだけ。
ばかりか、泣き出してしまい、うっうっ、と声をあげて涙を零すお燐。
それに困惑してしまって、お空は軽くお燐を抱きしめ返す事しかできない。
そんなお空に、お燐は言う。

「違うよ、違うよお空、今貴方は安心していたんじゃない。
泣いているんだよ。
泣いているんだよ、お空はっ!」

 と、そこまで言ってしまうと、こみ上げてくる物があったのか、お燐は再び嗚咽を漏らすのに腐心する。
言われて、手で自分の頬を触ってみて、初めてお空は自分が泣いている事に気づいた。
私は、憎い権兵衛にひどい事を想像している間、ずっと泣いていたんだ。
でも、それは何でか?
そこまで行くとお空の鳥頭は考えがこんがらがってしまい、よく判らなくなる。
もしも権兵衛の近くに居させてもらえる事ができれば、またよくなった頭で考える事ができたのかもしれないが、それも今となっては不可能である。
それどころか、権兵衛から離れてからのお空は、以前よりも頭が悪くなり始めていた。
このまま頭が悪くなれば、そのうち権兵衛を憎む時に泣いてしまうと言うこの発見すらも、また忘れちゃうんだろうな、とお空は思う。

 お空は、なんとなく天を仰いだ。
地底の天蓋たる岩が照明で照らされており、その下に居るお空の元ではお燐の泣き声だけが残っている。
なんでこんな事になったんだろう。
一体何が悪かったんだろう。
お空には何も分からないが、何か理由はあった筈で、お空にも何かを何とかできた筈である。
しかし実際、お燐は泣き、お空もまた泣いていた。
大粒の涙が地面へとぽつりぽつりと落ち、水たまりを作っていた。

「ねぇ、お空」

 暫くしてから、お燐はお空へと呟いた。
うん、とお空が返すと、お燐はぎゅ、とお空を抱きしめる力を強くする。

「その憎い相手って、一体誰なの?
一体誰が、お空をそんなに変えてしまったの?」

 あぁ、とお空は一つ納得する。
そういえばお燐には、お空が権兵衛の世話をしていた事をまだ伝えていなかったのだ。
さとりから連絡がいっていたと思っていたが、違ったのか。
そんな事を思いつつ、お空はゆっくりと口を開いた。

「権兵衛。お燐の世話していた、あの権兵衛だよ」

 お燐が少し体を離し、呆然とした顔でお空の目を見つめる。
お空はお燐がなんでそんなに驚いているのか分からないので、こてん、と首をかしげるのだった。




あとがき
お空とお燐の会話の後は皆様でご想像ください。


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