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No.21873の一覧
[0] 【完結】【R-15】ルナティック幻想入り(東方 オリ主)[アルパカ度数38%](2014/02/01 01:06)
[1] 人里1[アルパカ度数38%](2011/06/21 19:52)
[2] 白玉楼1[アルパカ度数38%](2010/09/19 22:03)
[3] 白玉楼2[アルパカ度数38%](2010/10/03 17:56)
[4] 永遠亭1[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:48)
[5] 永遠亭2[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:48)
[6] 永遠亭3[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:47)
[7] 閑話1[アルパカ度数38%](2010/11/22 01:33)
[8] 太陽の畑1[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:46)
[9] 太陽の畑2[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:45)
[10] 博麗神社1[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:44)
[11] 博麗神社2[アルパカ度数38%](2011/02/13 23:12)
[12] 博麗神社3[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:43)
[13] 宴会1[アルパカ度数38%](2011/03/01 00:24)
[14] 宴会2[アルパカ度数38%](2011/03/15 22:43)
[15] 宴会3[アルパカ度数38%](2011/04/03 18:20)
[16] 取材[アルパカ度数38%](2011/04/11 00:14)
[17] 魔法の森[アルパカ度数38%](2011/04/24 20:16)
[18] 閑話2[アルパカ度数38%](2011/05/26 20:16)
[19] 守矢神社1[アルパカ度数38%](2011/09/03 19:45)
[20] 守矢神社2[アルパカ度数38%](2011/06/04 20:07)
[21] 守矢神社3[アルパカ度数38%](2011/06/21 19:59)
[22] 人里2[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:09)
[23] 命蓮寺1[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:10)
[24] 命蓮寺2[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:12)
[25] 命蓮寺3[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:14)
[26] 閑話3[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:14)
[27] 地底[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:15)
[28] 地霊殿1[アルパカ度数38%](2011/09/13 19:52)
[29] 地霊殿2[アルパカ度数38%](2011/09/21 19:22)
[30] 地霊殿3[アルパカ度数38%](2011/10/02 19:42)
[31] 博麗神社4[アルパカ度数38%](2011/10/06 19:32)
[32] 幻想郷[アルパカ度数38%](2011/10/08 23:28)
[33] あとがき[アルパカ度数38%](2011/10/06 19:36)
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[21873] 地霊殿1
Name: アルパカ度数38%◆2d8181b0 ID:099e8620 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/09/13 19:52

 さて、さとりさんに気絶させられた俺であるが、まだ漠然とした希望は持っていた。
地霊殿とやらに連れていかれた後でも、なんとかそこを脱出する事ができれば、さとりさんを不幸にしないで済むかもしれない。
勿論、俺と言う劇物を引き取ると言って逃してしまえば、さとりさんは地底からの不興を買う事は間違いなく、そう言った意味では既に不幸にせざるを得ないのだろうが、それでも俺がずっと居るよりはマシだろう。
そう考え、俺は意識が浮上すると同時、まずは逃げるための経路を探す為に周りをみようとして。

 見えなかった。
と言うか、顔の感触からして、目隠しをされているらしかった。
ま、まぁ、それぐらいならば外せばいいのである、どうにかなるさ、と思って右手を動かそうとして、がちゃりと言う金属音。
手首には冷たい鉄の感触、背はベッドの感触を伝えており、音はそのベッドの下の方から聞こえた。
つまり俺は、右腕を縛られていた。
ま、ま、まぁ、それでも一応足が動けば抵抗ぐらいはできるさ、と思い、儚い希望と共に足を動かしてみると、矢張りがちゃりと言う金属音。
まままま、まぁ、そんなもの魔力を使って壊してしまえばいいさ、と全身に魔力を満たそうとすると、すぐさま全身の魔力が消失。
代わりに四肢の鎖に感じる僅かな力が強まるのを感じ、俺は思わず天を仰ぎたくなった。
勿論この姿勢ではできず、代わりに鎖が音を残しただけであるのだが。

 詰んでいた。
これ以上無い程に俺は詰んでいた。
四肢を拘束され目隠しをされ、更には魔力を吸い取る鎖で拘束され。
ここまでされてしまうと、俺ではどうしようもなかった。
強い魔力の持ち主ならば鎖を破壊できるかもしれないが、俺の大した事の無い力では元より、消耗したまま回復しない魔力では余計に不可能である。
唯一、希望と言っていいのか、自由が残されているのは口だけであった。
これで一応は何時でも舌を噛み切って自殺はできるのだが、それはすなわち地霊殿を俺の死に場所と言う呪いの場所にしてしまう行為であり、その際撒き散らされる不幸もどれほどだか分からない。
となれば、早くさとりさんが俺による不幸の威力に気づき、俺を外に捨ててくれる事を祈るぐらいしかできないだろう。

 しかし。
俺の不幸の、威力。
俺の所為でどれだけの人がどれほど不幸になるのか、よくよく考えてみれば俺は自覚すらしていない。
これは、果たして本当に俺に“みんなで不幸になる能力”が、あると言えるのだろうか。
俺は少なくとも、“名前が亡い程度の能力”については効力は兎も角それがあると言う事実は自然と自覚できていたし、“月の魔法を扱う程度の能力”についても同様だ。
勿論、閻魔様が俺の能力について偽ったり間違えたりする可能性は非常に低いだろう。
だがしかし、“みんなで不幸になる程度の能力”が、実際は俺が思っているよりも低い効力であったり、条件付きであったりする可能性は充分にある。
果たして俺の“みんなで不幸になる程度の能力”と言う呪いは、本当に言葉そのものの通りの呪いなのだろうか。
甘い誘惑が、俺の心を濁す。

「……駄目だっ、違うだろう、俺っ!」

 思わず叫びながら、俺はなんとか甘えた希望を見るのを辞める事ができた。
俺は、呪われた存在なのだ。
何をしようと自分も他者も幸せにできない、最悪の存在なのだ。
俺には一切の希望は許されない。
俺は呪われたまま絶望し、生きる事も死ぬ事も許されない存在なのだ。
そうやって自分に言い聞かせる事で、俺は辛うじて誘惑から逃れる事ができた。
事実、俺は既に二人の妖怪をこの能力で殺しているのである。
ちょっとした会話ですらそうなったのだ、例え俺の能力が“みんなで不幸になる程度の能力”では無かったとしても、それを検証する為にどれほどの犠牲が必要な事か。
どう考えても、俺が死の砂漠で一人永遠に過ごす方が、少ない被害で済むだろうに。

 そうやって自分に言い聞かせ、なんとか誘惑を跳ね除けているうちに、がちゃり、と錠前が開く音。
誰かきたな、と思うと同時、がちゃがちゃがちゃがちゃ、と続いて四つもの錠前が開く音。
どれだけ厳重な扉なんだ、と内心冷や汗をかく俺を知り目に、扉が開く音が聞こえる。
それからがらがらと台車を押す音が聞こえ、次いで扉が閉まり、再び五つの錠前が閉まる音が聞こえる。
入ってきた誰かは台車を押しながら俺の寝ているベッドの横まで来て、近くにあったのだろう椅子を引っ張り出し、座った。
こほん、と小さく咳払いをし、口を開く誰か。

「私は、火焔猫燐。さとり様の命で、これから貴方の世話をする妖怪だよっ。
私のことはお燐って呼んでね、お兄さん。
これからよろしくっ!」
「は、はい、よろしくお願いします」

 俺のような呪われた存在の世話を言いつけられたにしては、明るい声の主であった。
その声の瑞々しさから恐らく可憐な少女の姿をしていると思われ、その様相を想像する事しかできない事が悔やまれる。
と言っても、何をするにも俺は口を開く他する事ができない男だ。
素直に俺は口を開いて、俺が連れてこられた遠因、こいしさんの事について聞いてみる。

「早速ですが、俺はこいしさんと出会って、一体何をすればいいんでしょうか。
心を読まれるのに抵抗の無い俺を使えば、とさとりさんはおっしゃっていましたが、第三の目を開くのに結局何をすればいいのか分からず仕舞いで」
「って、あれれ? 貴方こいし様の為に連れてこられたの?」
「え。もしかして、知らなかったんですか?」
「う、うん……」

 脳裏でさとりさんの絶対零度の視線が再生される。
思わず冷や汗を漏らす俺に、慌てて口を開くお燐さん。

「そ、それぐらいなら多分大丈夫だって。
それより、何をすればいいのか、だっけ。
それは分からないけど、まぁ取り敢えずは少し時間がかかるんじゃあないのかなっ。
こいし様は他者の心を読む第三の目を閉じる代わりに、“無意識を操る程度の能力”を得たんだよ。
そのおかげでこいし様は能力を解除しない限り誰にも認識されなくなったんだ。
だからこいし様が気まぐれに能力を解除した間じゃあないと、こいし様を権兵衛さんと会わせる事はできないんじゃあないかなぁ」
「それは……そうなのですか」

 思わず、眉を潜めてしまう。
となると、俺の考える最終形として、さとりさんが俺がこいしさんの力になれないと諦めるまでには、相当な時間がかかる事だろう。
その間にばらまかれる不幸は、一体どれほどの物だろうか。
それを思うだけで、俺の罪深さに胃がキリキリと傷んでくるのを感じる。
そんな俺の顔色を見て取ったのか、心配そうな声でお燐さん。

「大丈夫?
何か都合の悪い事なんて、あったかな?」
「都合の悪い事って、そんな、俺なんかを長時間此処に置いていたら……!」
「いたら?」

 オウム返しに聞いてくるお燐さんに、はっと俺は気づく。

「お燐さん、もしかして俺の能力を、ご存じない……?」
「あ、うん、それについては何も聞いてないけれど……」

 と、真っ直ぐな言葉で返ってくる答え。
そう、お燐さんはどうやら俺の“みんなで不幸になる程度の能力”を把握していないらしかった。
俺は、思わず小さな呻き声を漏らしつつ悩む。
果たして俺の能力について、お燐さんに伝えるべきだろうか。
しかし伝えた所でお燐さんが俺の世話を辞めても、さとりさんには沢山のペットが居るらしいので、その中から新たに不幸になる人が出来るだけであろう。
その上、初対面の感じでは無いと思うが、さとりさんに報告が無いまま俺が放置されれば、俺が餓死し、この地霊殿を呪いで包んでしまう可能性すらある。
そして例えお燐さんが世話を続けるにしても、この俺の世話と言う面倒な作業がより最悪な作業となるだろうし、それを命じたさとりさんの心象が悪くなるかもしれない。

 ……いや、と、俺は内心頭を振る。
よくよく考えれば、お燐さんが俺の世話を辞めるのが、最適な手段ではないか。
そうやってさとりさんのペットを次々と辞めさせ、もう世話をできるペットが居ない、と言う所まですれば、さとりさんも諦めて俺を放逐するのではあるまいか。
そうまではいかなくとも、俺を放逐する一因になるのは確かだろう。
俺の世話を辞めていく人妖には本当に悪いと思うし、さとりさんを困らせるような手段を使う事に、俺は身が裂けんばかりの苦痛と伴う。
しかし、それが最善の手なのだ。
そう思い、俺は決意と共に口を開く。

「お燐さん、俺の能力は……」
「いや、いいよ、聞かない事にする」

 と、すぐさまその言葉は遮られてしまった。
思わず目を点にしてお燐さんが居るであろう方向へと首を傾ける。
するとクスッ、と小さく、困ったような微笑が漏れた。

「だって、さとり様が知らなくてもいいって言う風に判断した事なんだもの、きっと知らなくっても大丈夫な事なんだよ。
だから大丈夫だよ、そんな死にそうな顔までして言おうとしなくっても」
「……そう、ですか」

 その声はさとりさんに対する信頼に満ちていた。
その声を聞いただけでわかる、お燐さんは俺の能力を聞いた所で、さとりさんに命ぜられた俺の世話を辞める事は無いだろう。
ただ俺の世話に対し臆病になり、悪い心象を得るだけである。
勿論、俺の能力についてお燐さんに伝えないのはこれ以上無いほど卑劣であり、俺にとって耐え難い事でもあった。
が、しかし俺の内心など、無為に他者の心を苦しめる事に比べればどうでもいい事だ。
俺は俺の能力についてお燐さんに隠す事を決めた。
しかしそれでも俺の中にお燐さんに対し卑劣を働いているのだと言う淀みが消え去る事は無かった。
当然である。
俺がお燐さんに俺の能力について言おうが言うまいが、お燐さんを不幸にし続けている事に間違いはないのだから。

 そして考えるとすれば、後は俺のスタンスをどうすべきか、と言う問題があった。
これまでのように他者の為になろうと言う姿勢をとり続けるべきか。
それとも、出来る限り俺の行動が不幸を発揮しないよう、貝のように黙りこむべきか。
勿論俺の能力が“みんなで不幸になる程度の能力”だと言うのならば、俺はどちらにせよ相手を不幸にする事しかできないのだろう。
だがしかし、それでも俺の行動によりもたらされる不幸に、大小の差はある筈である。

 と言っても、判断基準は何も無い。
運否天賦に任せるより方法は無いのだ。
そうなると、俺としては自分の考える、他者の為になる行動を続ける他無いのではあるまいか。
いや、俺はこれまでそうやって人を不幸にしてきたのだ、それから何も学ばぬとは何事か。
いやいや、これまで出会った人々はこれでもマシな不幸にしかなっておらず、本来はもっと酷い物だったのを、俺の努力が僅かながら軽減できていたのかもしれぬ。
いやいやいや……。

「権兵衛さん?」

 言って、お燐さんがぽん、と俺の肩に手を置く。
人肌の温度が、俺の心にぽつりと暖かさを灯してみせた。
それに思わず、俺の口角が上がる。
結局、俺の考えは答えの出ぬ考えでしかないのだ。
ならば、俺は俺の心に従う他あるまい。
そして俺の心は当然の如く、誰かの為になりたい、と言う希望を持っていた。

 俺は、お燐さんに微笑みかける。
うん? と、恐らく首をかしげたのだろうお燐さん。
俺は心決め、お燐さんに向かって世間話を切り出す。
それにお燐さんも答え、大いに会話は盛り上がる事になる。
願わくば、この俺の行為が、僅かでもお燐さんの幸福へ繋がりますように、と祈りながらの行為であった。



 ***



 ある日突然、地霊殿には錠前の用意された部屋が一つ増えた。
それも限られた妖怪にしかその鍵が渡される事の無い、さとりの私室なみに厳重な扉である。
そんな扉は、非常に見つけやすく、地霊殿を一回りしてみれば、明らかにその様子を違えた扉に気づく事ができるだろう。
何せその部屋は、なんと五つもの錠前が取り付けられていたのだから。

 そんな部屋に出向く妖怪は、非常に少ない。
さとりは最初にその部屋に入った後、錠前を取り付けて以来一度もその部屋に入った事が無かった。
代わりにその部屋には、一匹の火車が毎日何度も訪れている。
火焔猫燐である。
さとりのペットの中でも数少ない言葉を操るペットである彼女は、さとりの命でその部屋へと様々な物を運んでいた。
食事や尿瓶、おむつなどが、人一人を閉じ込めておくのに充分なぐらいである。
どうしてなのか?
何を世話する為なのか?
喋れるペット達は口々にお燐に聞いたが、お燐は断固として口を開かなかった。

 そしてその部屋が出来てから三日程経ったある日、お燐はこの日も食事やらを台車に乗せてその部屋に歩いていた。
一応、何時もの死体を入れて歩く台車ではなく、金属製の二段になった台車である。
暫く歩いてその部屋の前につくと、集まっているペット達に睨みを効かせて散らし、隙間から入り込まないよう注意しながら扉を開け、台車ごと中に入りすぐに施錠をした。
気をつけていても小さなペットが中に入りたがるので、毎日注意深く行わなければならない作業である。
今日も無事困難を終えたお燐は、安堵の溜息をつきつつ、その部屋の端に用意された家具へと目をやった。
白っぽい木製のベッドの上には、人間が一人、大の字を描いて寝ている。
いや、より正確に言えば、大の字を描かされて寝ているのである。
そう、人間の右手はベッドの下から鎖で繋がれ、左手は無く、両足は鎖でベッドの下を潜ってつながれており、ほんの僅かしか動けないようになっていた。
顔の方にも目隠しが用意されており、視界は黒一色となっている筈である。
唯一その男に許された自由は、口の動きだけであった。
それを駆使し、男――権兵衛は、口を開く。

「あ、こんにちは、お燐さん」
「あ、うん、こんちは、権兵衛」

 その口から漏れるのは、こうまでして厳重に監禁されていると言うのに、まるで街中で友人に会った時のような明るい声であった。
毎度のことながらお燐は混乱しつつ、台車を部屋の真ん中まで押していき、持ってきた料理をサイドテーブルに置き、権兵衛に食事をさせる準備をする。
すぐにその匂いから食事が来たと悟った権兵衛が、少しだけ身動ぎしてから口を開いた。

「お昼御飯ですか。毎度ありがとうございます、お燐さん」
「あぁ、でも、その、私達がこうやって権兵衛の事を閉じ込めている訳だし……」
「それはさとりさんの意思でしょう。
さとりさんと主従の関係にあるのならば、それに従うのは当然の事ではないですか」

 と、権兵衛の口から出る言葉は感謝の言葉ばかりで、お燐を責めるような言葉は何一つ使わなかった。
もう三日目だと言うのに、それに戸惑いつつ、お燐は権兵衛の食事の用意をする。
お燐がさとりから権兵衛の世話を申し付けられた時には、これは面倒そうな仕事だなぁ、と思ったことを覚えていた。
さとりはお燐に、あくまで事務的に権兵衛の相手をするように、そしてこいし以外の者が権兵衛を監禁している部屋に入らないように申し付け、更に権兵衛に十分な食事を与え、清潔にさせるよう命じた。
食事は兎も角、権兵衛の下の世話にはいくらさとりの命とは言え顔を顰めたお燐だが、今の所権兵衛の下の世話をした事は無い。
何でも、月の魔力を使って根性で何とかしているらしい。
一応道具は持ってきているものの、面倒で汚い事をしなくて済んだ事に、お燐は胸をなでおろした。

 それにしても、さとりがここまで警戒する相手と言うのはお燐にとって興味深かった。
お燐にとって、さとりは絶対的な主である。
正直な所、閻魔や神々よりも頭が良いと思っているし、また偉大だとも考えている。
そんなさとりが警戒する相手とすれば、余程の悪人なのか。
そう思って権兵衛に興味を持ちながらお燐はその世話を始める事になる。
さとりは事務的に、と言ったが、お燐は事務的の範疇だろうと言う事にし、権兵衛との会話を楽しむようになっていた。

「って事でさ、お空がまた巫女の顔を忘れて弾幕ごっこをけしかけて、巫女の方も巨大ロボを探すとかなんとかでそれに応じて。
で、驚いた事に、その緑色の巫女、お空に勝っちゃったんだよ。
まぁ、正確に言えばお空がその子の顔を思い出すまで耐え切った、なんだけどさ。
それでも八咫烏の力を取り込んだお空に対抗するなんて、その緑色の巫女、紅白には劣るものの物凄い強さだったね」
「はぁ……早苗さん何やってんですか」
「ありゃ、知り合いかい?」
「えぇ、ちょっと今は見ての通り会う機会が無いのですけれどね」

 と言う権兵衛の言葉は、言葉面だけ捉えれば悪意のある皮肉にも聞こえる。
だがその奥に確かな優しさが篭っており、今のはただそう思っているだけなのだ、と容易にわかる言葉であった。
他の言葉も優しく温和な言葉ばかりで、お燐は時たま自分が権兵衛を監禁しているのだと言う事を忘れてしまう事すらある。
と言っても目の前に拘束された権兵衛が居るのである、すぐさまその事を思い出し、自分が権兵衛を監禁している側なのだと思うと、お燐はなんだか気が重くなってしまい俯いてしまう。
そうすると気配でそれを察したのだろう、権兵衛が手を延そうとして鎖に引っ張られる音がして、気遣ってもらえているのだと感じ、お燐は思わず口元を緩めるのであった。

「んふふ、大丈夫だよ、権兵衛」
「そ、そうですか?」

 と言う権兵衛は、僅かに俯いたような仕草をし、それから何かを言いかけ、口を閉じる。
この日までに何度かあった仕草である。
何か言いたい事があるのだろう、と察し、権兵衛の言葉を待つお燐であったが、この日も権兵衛の口から出る言葉は同じであった。

「いや……、なんでもない、ですよ」
「ふぅん」

 と聞くと、なんだか権兵衛との距離が感じられ、お燐は少し面白くない。
と言っても、お燐もまた権兵衛に対して隠し事をしているので、無理に権兵衛に聞く事もできず、お燐は自然渋い顔を作ってしまう。
三日前、お燐はこう言って自己紹介をした。

「私は、火焔猫燐。これから貴方の世話をする妖怪だよっ。
私のことはお燐って呼んでね、お兄さん。
これからよろしくっ!」

 そう、お燐は、自分が火車であると告白していないのであった。
そうこうするうちに権兵衛との会話が弾むようになり、言い出す機会の無いままにここまで来ている。
いや、正確に言えば、言い出せないままに、である。
お燐は、自分の仕事の半分近い時間を占めるようになった権兵衛との会話を、大切にしていたかった。
確かに権兵衛は優しい。
その優しさは全方面に向いているように思えるし、それはきっと間違いないだろうとも思える。
しかしそれでもお燐は、自分が火車であると言い出せなかった。
自分が死体を奪って運ぶ、嫌われ者の妖怪なのだと言う事を言い出す事ができなかったのだ。

 そもお燐は、地霊殿に住む妖怪だと言うだけで、地底でも嫌われ者だった。
何せお燐の上には地底で一番の嫌われ者であるさとりがおり、またお燐も彼女を尊敬しているのである、当然の理屈である。
故にお燐の交友関係もペット達の間だけであり、そのペットの中でも会話できる知能を持つ者は然程多く無い。
こうやって地霊殿の外の者と仲良くするのは、あの紅白巫女以来だ。
なのでお燐は、権兵衛との関係を大切にとっておきたかった。
何せ何時もは怨霊の管理がお燐の仕事、陰鬱な言葉ばかり聞く事ばかりで、こういった楽しい会話は貴重なのである。
特に最近は、親友が間欠泉地下センターに仕事で居る事が多く、なかなか会う機会に恵まれないと言うのもあった。

「お燐さん?」
「にゃ、にゃんでもにゃいよっ!?」

 と、黙りこんでしまったお燐に権兵衛が話しかけ、飛び上がるようにしながらお燐が返す。
こうなると、動揺して何も言えなくなってしまうのは、経験則から分かっている。
お燐は昼食が既に空になっている事を確認し、テキパキと部屋の中を片付け、台車を押して扉の方まで行く。

「そ、それじゃあね、権兵衛さん。また後で会うまでね」
「はい、行ってらっしゃい」

 と、権兵衛の声を背に、五重の錠前を開け閉めして扉をくぐり、再び扉を閉めてから、ふぅ、と安堵の溜息を吐きながら、お燐は背を扉に預けた。
それからずりずりとお尻を床につけるまで下がり、ぽつりとこぼす。

「何時かは、言わなきゃならないのかな……」

 思わず暗い声を漏らしてしまい、それからお燐は思った。
いや、そんな事は無い。
どうせ権兵衛はこの部屋に囚われたままで、他の誰も此処に入る事なんて無いのだから、大丈夫。
一応さとり様に伝えておけば、その点配慮もしてくれるだろう。
そう信じて元気を取り戻すと、お燐は立ち上がって伸びをする。
限界まで体を伸ばし、うぅぅん、と呻き声を漏らすと、お燐はがくっと体を戻し、台車が動き出さない程度に体重を預けた。
それからぱん、と軽く頬を叩き、よし、と小声で漏らしてから台車を押していき、その場を去ってゆくお燐なのであった。



 ***



 古明地こいしは、“無意識を操る程度の能力”を持つ妖怪である。
他者の無意識を操る事で他者にとって存在を認識できないようにでき、それゆえにこいしは誰にも邪魔される事なく地底を練り歩く事ができた。
ばかりかさとりにすら心を読む事ができないので、さとりにすらこいしがどんな事をやっているのか分からない。
なのでこいしはふらふらと、大した目的もなくそこら中を放浪する妖怪となっていた。
最近は地上に出る事も多く、そんな中でこいしは霊夢と弾幕ごっこをし、負けた事がある。

 こいしは元々、さとりと言う種族の妖怪である。
姉のさとりと同じ“心を読む程度の能力”を持っていたが、ある日他者に嫌われ続けるその能力に耐え切れず、こいしは第三の目を閉じ、その能力を封印し、心も閉ざした。
それ以来さとりはこいしの閉じた心を開こうと様々な努力をしているが、それが実った事はまだない。

 そんな中、霊夢への敗北は、久しくこいしの心を揺り動かした。
第三の目の瞼が軽くなり、もう少しで目を開けられるようになったのだが、しかしそれだけである。
霊夢の超然とした部分への興味がそうさせたのだが、あと一歩が足りなかった。
結局こいしは第三の目を閉じたままでいて、あちこちを放浪するだけの妖怪と化している。

 こいしは何となく、久しく地霊殿へと戻り、探索をする事にした。
もう何百回も行っている事だが、心を閉じたこいしには何度目であろうと同じ行為であり、飽きずに行える行為である。
いつも通りこいしが地霊殿を探検していると、一日と経たぬうちに、見知らぬ扉を見つけた。
いや、扉自体は見かけた事があるのだが、新しく錠前が五つもついているのである。
中に入ってみようとしたこいしだが、当然錠前がついている所には入れないし、扉を破壊してまで、と言う労苦を背負ってまでするには、好奇心が足りなかった。
それでも勝手に開かないかどうか、少しの間扉の前で待っていると、すぐにお燐がやってきて鍵を開け部屋に入っていったので、こいしは無意識となったままその部屋に入る事ができた。

 部屋の中には木製のベッドがあり、その上には四肢を鎖で縛られ、目隠しをされた男が寝ていた。
一体誰かと見知らぬ男に首をかしげるこいしであったが、お燐の口から出て来きた権兵衛と言う言葉に、先日姉が連れてきた男の事を思い出す。
先日姉の後をつけていた所、そんな名前の人間を捕まえた事を口走っていたのだ。
なんだ、ただの人間か。
そう思うと一瞬興味が薄れそうになるこいしだが、よくよく考えると、ここまで厳重に監禁されているのはおかしい。
そんな風にこいしが首をかしげているうちにお燐は会話を終え、再び鍵を開けて出ていき、そして当然のごとく鍵を閉めていった。
勿論こいしは、扉を壊さない限り、次にお燐が来るまで此処から出れない。
まぁ、それならこの男に話しかけてみて遊んで、暇を潰すとするか。
そう考え、こいしは権兵衛に話しかけてみようとする。

 何となくふわふわと浮いていたこいしは、ふわりと軽い感触で床に足をつけ、ゆっくりと権兵衛の縛られているベッドに向かう。
ベッドの脇の椅子に腰掛け、こいしは話しかける前に、と権兵衛の顔を見つめてみた。
なんとも特に印象のない顔である。
どちらかと言えば柔らかい印象を受ける顔でもあったが、見ようによっては精悍さも見受けられるような気もする。
目隠しがある所為かな、と思いつつも、こいしは権兵衛に話しかけてみようと口を開いた。
音にならない空気が、こいしの喉から漏れる。
ぱくぱくと口が開け閉めされ、それから息が苦しくなって、こいしは権兵衛から勢い良く顔を背け、ぷは、と息を漏らした。

 大きく肩で息をしつつ、こいしは疑問に思った。
何故私は今、この男に話しかけられなかったんだろう。
疑問詞を浮かべつつ、こいしはドキドキと高鳴る胸を抑えつつ、息を整える事に腐心する。
両手で胸を抑えながら、何度か深呼吸をして、ようやくこいしの動悸は収まった。
再びこいしは、権兵衛へと体ごと向き直る。

 今度はこいしは、もっと勢いよく話しかけなければならないのでは、と思い、体を前傾させ、両手をベッドの上に置きながら口を開いた。
それでも権兵衛に話しかけようとすると、胸が高鳴り、頬が勝手に紅潮し、緊張のあまり目が回りそうになる。
頭の中では話しかけようと考えていた言葉が消え去り、何か言わなくては、と思うのに何も思いつかない。
そのうちにこいしは酸欠気味になってしまい、再び勢い良く権兵衛から体ごと顔を背け、息を漏らす。

 それからこいしは何度も権兵衛に話しかけようとしてみたが、結局話しかける事はできなかった。
終いには、何時もは浮かぶままに口にしている言葉ですら、こんな内容を口にしていいのか、と疑問に思ったりするぐらいである。
そんな事をしているうちに再びお燐が扉を開き、こいしはそれに乗じて権兵衛の部屋から一時撤退する事にした。
あまり使わないものの一応用意されている自分の部屋に戻り、ベッドの上で無意識の状態を解除する。
と言うのも、無意識の状態でいると相手に認識されないので、ベッドメイクに来たペットに転げ落とされたりするのだ。

 こいしは悩んだ。
何故、自分は権兵衛に話しかける事ができなかったのだろうか。
少なくとも緊張していたのは確かである。
では何故権兵衛を相手に緊張していたのだろうか。
いくら考えても答えは出てこなくて、こいしは姉を訪ねて聞いてみた。
と言っても話しかけられなかったなどと直接言う事も、どうも気恥ずかしいことに思え、言えず仕舞いである。
結局こいしは、このように聞いた。

「ねぇ、お姉ちゃん。
あの権兵衛って人……どう、なの?」

 曖昧さを極めたような言葉であった。
しかしその反応に、さとりは意外そうにこう答えるだけだった。

「あら、何で貴方が権兵衛さんの名前を知っているのかしら」

 途端こいしは羞恥の余り顔を煙を噴きそうになぐらい真っ赤にし、その場から文字通り飛んで逃げていってしまった。
なので答えの方は、聞けないままであった。
仕方なしに、こいしは再び自室のベッドまで戻り、悩みに悩んだ。
が、元々こいしは心を閉じた妖怪である。
長時間同じ問題を考えるには向いておらず、気になるなら直接行ってみればいいか、と思い、再び権兵衛の部屋に向かった。
今度はお燐が出ていくのに合わせて部屋に入り、権兵衛に話しかけようとする。

 そして矢張り、駄目だった。
数時間の間、こいしは兎に角権兵衛に話しかけようとしてできなかったのだ。
とは言え、収穫は僅かだがあった。
自分も目隠ししながら権兵衛に話しかけようとしてみた所、少しだけ声のような物が出たが、無意識を解除するのを忘れたままであったので、結局権兵衛には話しかけられなかった。
そこでこいしは初めて、この部屋の中で無意識を解除した事が無かった事に気づく。
それではそもそも、話しかけても権兵衛に気づいてもらえないではないか。
そう思い、無意識を解除しようとするこいしだったが、今度はそれすらもできなかった。
縛られっぱなしで五感が鋭敏になっている権兵衛の事である、無意識を解除すればすぐにこいしの事に気づくだろう。
そう思うと何故か恥ずかしくて、こいしは無意識を解除する事ができなかった。

 本当に何故なんだろう、と疑問に思いつつも、こいしは一つ案を練った。
このまま待っていればお燐が部屋に入り、権兵衛と会話をする筈である。
それを参考にすれば、自分も権兵衛と会話する事ができるのではないか。
そう思い、こいしはお燐が再び部屋に入ってくるのを待つ事にした。

 暫く待つと、こいしの期待通りお燐が部屋に入ってきた。
ガチャガチャと五つ物錠前を開けたり閉めたりする様子は、まるで地獄の看守のようだな、とこいしは思う。
そんな風にこいしがのんびりとしていると、お燐は真っ直ぐに、まるでお預けを食らっていた猫のような勢いで権兵衛に近づいた。
権兵衛と会話しつつ台車から食事を下ろし、スプーンでそれを掬い、ふぅうと口で吹いて冷まし、権兵衛の口元へと運ぶ。
どうやら卵粥であるらしいそれを、権兵衛は美味しそうに食べながら、彼もまたお燐の言葉に答えて口を開いた。

「えぇ、鬼には俺も知り合いが居ますので、あの方たちの実直さは分かりますとも」
「そうなんだ、って地上の鬼って言うと……」
「はい、萃香さんです」

 と、会話は普通の物で、こいしが何時も行っているものと変りない。
これでは参考にしようが無いではないか、と落ち込みつつも、こいしはふと思いついた。
今はお燐が粥を冷ましている間に権兵衛が喋り、権兵衛が粥を咀嚼している間にお燐が喋る形になっている。
それならば、この思いつきを実行できるかもしれない。
突如生まれた衝動に駆られ、こいしはゆっくりとお燐の隣、権兵衛の頭側にある隙間へと体を滑りこませる。
それから、無意識の状態を保ったまま、お燐の言葉を復唱した。

「いやぁ、凄いもんだね、萃香って言ったら昔の山の四天王だろう?
そんなのに気に入られるなんて、一体何があったんだい?」
「いやぁ、凄いわね。萃香って言ったら昔の山の四天王でしょう?
そんなのに気に入られるなんて、一体何があったのかしら?」

 まるで自分がそう考え喋っているかのように、首を傾げたり顎に指先を伸ばしたり、そんな仕草を加えつつ言うこいし。
すると、少しの間をおいて、権兵衛が数瞬宙に視線をやり、それからこいしの隣に視線を投げかける。
それが少し気になって、こいしはすっとお燐と権兵衛を結ぶ直線上に立ちふさがった。
当然、権兵衛の視線はこいしに向いているように見える形になる。
かぁぁ、と何だか頬が火照っていくのを感じながら、こいしはのぞけりそうになりつつも、辛うじて権兵衛の視線を受け止め切った。
権兵衛の口が、こいしの方へ向けて開かれる。

「いやぁ、ちょっとした、静かな宴会と言う物に出た事がありまして。
そこで宴会は騒がしい方がいい、と言う萃香さんと、二人で飲む事になりましてね。
で、俺も萃香さんも酒は飲める方なので、どんどんと消費していって、気づけば翌朝まで飲み合いになって。
そして俺、飲み勝っちゃったんですよね、萃香さんに」

 言葉の内容は、ただの世間話である。
だのにそれでも、権兵衛がこちらに向けて言葉を発しているのだ、と思うだけでこいしの心臓はバクバクと高鳴り、胃が口から出てきそうなぐらいに緊張してしまう。
駄目だ、もう耐え切れない。
そう思い、こいしは両手で帽子のつばを引っ張り顔を隠しつつ、ててて、と小さな足取りで権兵衛の正面から退避した。
部屋の隅まで行って、それからぷはぁ、と止めていた息を漏らし、肩で息をする事になる。
権兵衛の目前に立つのは、とんでもない苦行であった。
何せ汗がどんどん出てくるし、緊張で足が吊りそうで、頭の中は常に真っ白な状態になってしまう。
とりあえず今は、そう、戦略的撤退なんだ、だから隅から権兵衛とお燐を眺めるだけにしよう。
そう考え、こいしは振り返り、隅に背を預けつつ二人を見守る。

 二人は和やかに会話を続けていた。
時々自分が縛られているのを忘れて身振りを加えて話そうとする権兵衛に、そのマヌケさにクスリと笑うお燐。
二人の間には明らかに陽光が作る陽だまりのような暖かい空気が漂っており、それは離れたこいしの方まで漂ってくるぐらいだった。
普通、それを見ればその微笑ましさに、自然と笑みを浮かべ体を弛緩させる事になるのだろう。
しかしこいしは、何故か全身に力が入り、今にもはちきれんばかりであった。
拳はスカートを握りこんで皺にしてしまい、歯がギシギシと音を立てながら強く噛み合わさる。
その見開いた目で穴が空くほど権兵衛のにこやかな笑みを見つめ、こいしは二人の会話を邪魔したい衝動に駆られた。
が、それも遅く。
権兵衛が昼食を食べ終え、お燐が立ち上がって食器を戻し、テキパキと片付けを終えた後に五つの錠前を開け閉めし、部屋から出ていった。
肩透かしされたような気分になったこいしは、ぶつけ場所を見失った感情を内心に、その場に立ち尽くす事になる。

 仕方なしに、こいしはお燐の会話の内容を反芻する事にした。
何故ならそれが当初の目標であり、権兵衛に対し話しかける為の力となると思われたからだ。
しかし権兵衛とお燐の会話は、先の事を考えると、そのまま思い出せば激情に駆られる事になるかもしれない。
こいしはお燐がやっていたように椅子に座り、一人で権兵衛の台詞を暗唱する。

「いやぁ、ちょっとした、静かな宴会と言う物に出た事がありまして。
そこで宴会は騒がしい方がいい、と言う萃香さんと、二人で飲む事になりましてね。
で、俺も萃香さんも酒は飲める方なので、どんどんと消費していって、気づけば翌朝まで飲み合いになって。
そして俺、飲み勝っちゃったんですよね、萃香さんに」

 それからこいしは、はっと驚いたように、身を乗り出しながら口を開く。

「えぇ、権兵衛って、そんなにお酒に強かったの!?
だって、萃香って、あの鬼の中でも、一番の、酔いどれ……」

 しかし、自然とこいしの口から流れる言葉は途切れ途切れになり、最後には潰えてしまった。
乗り出した身を静かに戻し、俯きながらこいしは、溜息をつく。
先ほど、権兵衛と会話している気になっていた時を真似した行為であったが、それで感じられたのは、虚しさだけだった。
あまりの虚脱感に、こいしは涙すら浮かべる。
自分は一体何をやっているのだろうか。
何時もは何も感じずふらふらと放浪していて、それで楽しいと感じる事すらなかったけれど、代わりに悲しかったり嫌な気分になる事はずっと無かったのに。
まるで、とこいしは思う。
まるでこれでは、第三の目を開いていた、心を閉ざす前のようだ、と。

「それは……嫌だなぁ」

 ぽつり、とこいしは漏らした。
そう、こいしはそも、他者に嫌われる事が嫌で、心を閉じたのだ。
心は、閉じれば無いも同然。
楽しい事も辛い事も何もなくて、ただふわふわと何となく生きているだけで済む筈だった。
なのに何故、今になってこんな嫌な気分を味わなければならないのか。
こいしは、兎に角何か動作を続ける事によってそれを無視し、何も考えないように努める事にする。

「酔いどれなんだよね……。
凄いなぁ、権兵衛さん。
私もお酒には自信があるけれど、鬼には勝てないかなぁ」

 続くお燐の台詞を口にしながら、こいしは手を組み、その中心をぼんやりと眺める事にした。
勿論その空洞の中には何もある筈も無く、ただ奥にあるスカートの緑色の布地が見えるだけなのだが、何故か少し落ち着くような気がする。
頬を伝う涙を拭って、こいしは口を開く。

「お酒、お強いんですか。
猫はマタタビに酔うし、弱いと思っていたんですけれども。
っていや、お燐さんは、妖怪としての種族は何でしたっけ。
てっきり雰囲気なんかから、化け猫の類と勘違いしていたのですけれど……」

 ぼうっとしながら、いつもふらふらする時と同じように、こいしは何も考えずに衝動に身を任せ、手を動かした。
すると筒の先には権兵衛の目隠しで半分隠れた顔が見えるようになる。
鼻と頬に唇、柔らかな印象のある顎、やや福耳気味の耳朶。
様々な所を呆然とこいしは見つめていく。
努めて何も考えないようにしているからか、今度は妙な羞恥に襲われる事なく、こいしは権兵衛の事を見つめる事ができた。

「えっ、あの、まぁそんなもんだよ。
まぁ猫っていっても、化けるぐらいになれば酒も嗜むもんさ。
それで、その鬼に勝って、どうなっ……」

 が、そこまでお燐の台詞を喋り、ピタリとこいしは静止する。
もう一度お燐の台詞を脳内で反芻し、こいしははて、と首をかしげた。
お燐は広義の意味では化け猫だが、正確に言えば火車である。
その正体をわざわざ誤魔化すようにしている理由は、何だろうか。

 その瞬間、こいしの脳内に電撃が走った。
火車とは、さとりと同じく嫌われ者の妖怪である。
少なくとも、人間からしてみれば、そうだ。
ならばお燐は、権兵衛に嫌われたくなくて、その正体を隠していたのでは無いだろうか。

 ぞっとするほどの憎悪が、こいしの奥底でとぐろを巻いた。
空洞の筒はすぐさま握り拳に代わり、食い込んだ爪が血をにじませる。
見開かれた瞳には血管が浮いており、呼吸は荒く、肩が上下するようになる。
何よりこいしの中では、ずるい、と言う感情が大きかった。
自分は嫌われ者の種族で、しかも権兵衛にそれを知られている。
しかし同じ嫌われ者の種族である筈のお燐は、それを権兵衛に知られておらず、隠し通すつもりなのだ。
そう思うと、身から溢れんばかりの嫉妬が湧き出てきて、こいしはぽろぽろと涙をこぼした。
ついに最大限にまで昇ってきた衝動に、こいしは無意識の状態を解除する。
そして大声で、権兵衛に向かって叫んだ。

「お燐は、火車なのよっ!
死体を盗む、あの嫌われ者の火車なのよっ!」
「えっ? あ、え?」

 思わず、と言ったように呆然とした声を漏らす権兵衛。
その前で、ついに叫んだこいしは、はぁはぁと息を整えつつ、はっと気づく。
自分はついに権兵衛の前で無意識を解除でき、話しかける事もできた。
しかしその一言目が嫉妬にまみれた言葉だとは、なんて醜く卑しい事なのだろうか。
きっとこれでは嫌われてしまうに違いない。
絶望に心が冷えるのを感じながら、こいしはすぐに無意識の状態になり、部屋の隅まで逃げ、膝を抱えて座り込んだ。
天に、権兵衛が今の事を幻聴だと思いますように、とこいしが願ったその瞬間、権兵衛が口を開く。

「もしかして、こいしさん?」

 絶望の余り、目の前が真っ暗になるのをこいしは感じた。
心がこれ以上壊れる事のないよう、再び閉じて何も感じないようになっていく。
眼の色がすっと薄れていくのをこいしは感じ、ただ次に錠前が開いた時に、すぐに此処を出ていこうと言う事しか考えないようになった。

「えっと、今もこの部屋の中に居るんですか?
それで、お燐さんが火車、なんですか?
えっと……」

 寸前までは話しかけられるのを想像するだけで心が踊った権兵衛の言葉も、再び完全に心を閉ざしたこいしの前には届かない。
しかし次に権兵衛が口を開いた時には、流石のこいしの心も僅かに揺れ動いた。

「その、何でこいしさんが俺にその事を伝えてくれたのか、何でこいしさんが俺の前に出てこないのかは、分かりません。
いえ、後者は恐らく俺の能力を恐れての事なのでしょうが、もしかしたら……さとりと言う種族として、嫌われてしまうと思ったからかもしれない。
だから、言わせてもらいます。
俺は、貴方に心を読まれても、嫌いになんかなったりはしません。
むしろ便利だなぁ、と思うぐらいです。
嘘だと思うのならば、さとりさんに聞いてみてください、きっとすぐに教えてくれると思いますよ」

 権兵衛の言葉は衝撃的であった。
心を読まれても嫌いにならない、とこいしに言った人間は過去にも居た。
しかしその全ては嘘であり、そんな言葉が吐かれる度にこいしは心に絶望を増やしていったのだ。
だが、便利だなどと言われるのは、こいしが聞いた事の無い、不思議な言葉であった。
ひょっとして、こんな言葉を言える権兵衛は心の底からこいしの事を嫌っておらず、もしかして好きでさえ居てくれるのかもしれない。
しかし、希望の光が見えると同時、こいしの脳裏にはこれまでの経験が走った。
今までこいしが他者に好いてもらえるかどうかについての希望は、全て裏切られてきたのだ。
今度だって、そうに違いない。
まるで心があった頃のようにそう思うと、こいしは再び心を閉じるように自身に働きかけた。

 それから、権兵衛は何度か居るかどうかも分からないこいしに向けて話しかけてきた。
こいしがそれらの甘い言葉に両手で耳を塞ぎながら対抗しているうちに、そのうち喉が枯れてきて、権兵衛の言葉の頻度も少なくなる。
最後にはしゃがれ声になるようになった頃、ようやくお燐がやってきて、五つの錠前が開かれた。
お燐と行き違いに、こいしはその場から飛び出して逃げていく。

 こいしは、兎に角この場にもう居たくなかった。
居てしまえば、権兵衛の事を信じてしまいそうだったから。
お燐に嫉妬した理由を考えてしまいそうだから。
そんな事考えたくもないし、考えるにしても、一人で、沢山の時間を使って考えたい。
そう思ってこいしは廊下を駆け抜け、無意識のまま何匹かのペットにぶつかりながら自室へ辿り着き、閉じこもる。
部屋に鍵をかけて、ベッドの上に飛び込んだ。
柔らかいベッドの上で寝転がりながら、それでもこいしは何か考えてしまいそうになった。
何も考えたくない時は、睡眠が一番である。
よってこいしは、目を閉じて羊の数を数える事にした。
百を数える頃にはこいしは眠りに落ち、やっと考える事から解放されたのであった。



 ***



 それはお燐が久しぶりにお空と出会った時の事である。
燃え盛る灼熱地獄跡地の入り口、地霊殿の中庭の天窓の辺り。
陽光の代わりに灼熱地獄跡地の炎の輝きで照らされたそこで、二人は久しく出会った。

「あれれ、お燐、何か変わった?」

 と言うお空は最近間欠泉地下センターで働いており、お燐はと言うと時たま地上に出て博麗神社で寛いでいる。
ただでさえ会う機会が減った二人だが、そこにお燐の権兵衛の世話と言う仕事が加わり、一週間ぶりの再開となった。
お燐が権兵衛の世話を初めてから、最初の再開である。
お燐ははて、と首をかしげながら両手で自分の頬を抑えてみた。

「ううん、何も変わってないみたいだけど」
「そうかなぁ。なんだかお燐、ふわふわしてるみたいだけど」
「ふわふわかい?」

 疑問詞と共にお燐は足元を見てみるが、別に浮いている訳でもなく、地に足のついた状態である。
視線で疑問を投げかけるお燐に、お空はうぅんと唸りながら、こちらも首をかしげて口を開く。

「いや、本当に浮いている訳じゃあなくって……。
なんだか心がふわふわしているみたいな感じなのよ。
かといってこいし様みたいに心が無い訳でもなくって。
ううん、どう言えばいいのかなぁ……」

 そうやって頭を抱え込んで座り込んでしまうお燐の友人は、頭の悪さには定評がある娘だ。
故にこうやって適当な言葉を選ぶ事ができずに困ってしまう事は多いのだが、そんな時お空は不思議とすぐに言葉を見つけ出せる事が多い。
お空は基本的に頭の悪い娘だが、偶に頼りになる事だってあるのだ。
故に暫しお燐はお空の言葉を待ったが、うんうんと言う唸り声が続くばかりであった。
仕方なく、お燐は自分でもふわふわしている自分と言う奴についても考えてみる。

 何とも無い仕草は何か変わっただろうか。
そういえば、考えてみればお燐は此処三日程権兵衛の世話をしていたので、自然と他者を気遣うような仕草が増えたような気がする。
何せ権兵衛と言えば口を開く事以外何もできないようにされているので、食事も水分補給も全部お燐がやってあげなければならないのだ。
そう思い、誰かを気遣う事が増えたと口にするお燐であったが、お空は渋い顔のままだった。

「確かにそういう部分もあるんだろうけど……それだけじゃあない気がするんだよね。
なんていうか、お燐、優しくなったでしょ?」
「私が今まで優しくなかったってかい?」
「いひゃい、いひゃい、ほっぺ抓らないでよぉ、お燐。
優しかった、優しかったってば」

 と涙目で返すので、お空を許してお燐は頬をつねっていた手を戻す。
そうすると、お空は両手で少し赤くなった頬を抑えつつ、小さく呻いた。
その姿が可愛らしく、思わず抱きしめてやりたい衝動に駆られつつも、内心何処かで冷静に観察し、可愛らしい仕草を観察し記録している自分が居るのにお燐は少し驚く。
可愛らしい仕草なんて一体何処で必要なのだろうか。
自分の行為に自分で疑問を浮かべ、お燐は首をかしげた。
さとりには内心など筒抜けである、仕草など大して役に立たないと言うのに。

「例えばほら、死体の扱いだってそうじゃない」

 と、お空の言葉に現実に引き戻され、お燐ははっとお空の方に振り向いた。
頬の痛さと死体に集中しているのだろう、お空はお燐の様子に気づいたようには見えない。

「前は気に入った死体は丁寧に扱っていたけれど、気に入らない死体はそうでも無かったじゃない?
確か、どうせ灼熱地獄跡地で燃やすのだから、扱いなんて好きにしていい。
なら、死体の扱いぐらい好き好きで決めていい、ってさ。
でも今は、皆綺麗な死体ばっかり。
ちょっと前まで持ってきていた、砕けたりしている酷い死体は一個もない。
勿論、見れば気に入った死体ぐらいは分かるんだけどさ」
「そう、かな……」

 ぱちぱちと瞬きしながら、お燐は自分が台車で運んできた死体達を見る。
確かに、お燐が持ってきた死体は皆、まるで生きていた頃を鏡に写したかのように綺麗だった。
全員真っ白を通り越して真っ青な顔をしている事を除けば、そんな物ばかりである。
見て死因が分かるような死体すら、一つもこの場に無かった。
それを見て、確かに自分は死体の扱いを良くしているのだ、とお燐は一つ納得する。

 お空のかつてからの仕事の一つとして、天窓を開けたり死体を投げ込んだりして、灼熱地獄跡地の火力調整を行う仕事があった。
その為には当然死体が必要であり、死体の調達と言えば火車のお燐をおいて右に出る者は居ない。
と言う事でお燐は火力調整の為に死体を此処に運び、腐敗しないよう術をかけ、割った薪のように死体を並べておくのが仕事の一つとしてあった。
しかしそれにはお燐が気に入った死体ばかりでは到底賄いきれず、お燐が別段運びたいとも思わない死体も運ぶ事が必要であった。
仕方なしに、お燐はやや雑に気に入らない死体を扱い、灼熱地獄跡地の火力としていた事がある。
とは言え。

「そりゃあ確かに死体を優しく扱うようにはなったけどさ。
でも、それがどうしたって言うんだい?
ふわふわ、って感じには結びつかないんだけど」
「うぅ~ん。お燐、私と会わない間に何か新しい事はあった?」

 どくん、とお燐の心臓が脈打った。
脳裏に権兵衛の目隠しをされた、顔の下半分が走る。
急激に頬が紅潮していくのを感じ、お燐は思わず俯いた。

「お燐?」

 お燐はさとりのペットである。
つまりは基本的に世話をされる側であり、世話をする側に回る事は無かった。
ペットの統率のような事はやった事があるが、基本的に放任主義での世話であり、正直言って世話をしていると言う実感は無かった。
そこで権兵衛の、世話である。
文字通り手も足も出ない権兵衛相手には、何から何まで必要であった。
食事は一口一口食べさせてあげなくちゃならないし、暖かい食事はふうふうと吹いて冷ましてやらねばならなかった。
飲み水を与える時も、権兵衛の様子を見計らって水差しを口に差してやらねばならなかったし、何度かに一回は、四肢を拘束したままできる範囲で汗を拭いてやらねばならなかった事もある。

 正直に言って、新鮮であった。
お燐は自分がこれほど他者の世話をするのが好きだと初めて知ったし、またそれ故に権兵衛の世話に夢中になった。
仕事の合間を縫って必要以上に権兵衛の部屋に入るようになり、怨霊の管理の最中も権兵衛の世話の時間をどれだけ増やせるかとばかり考えながらやっていたと思う。
だがしかし。

「か、勘違いしないでよ、お空。
私は権兵衛さんじゃなくって、世話をする事自体が何だか面白くって、夢中になっているだけなのよ。
別に権兵衛さんが気になっているとか、そういう訳じゃあないんだからねっ!」
「権兵衛さんって誰だっけ?」

 ずるっ、とお燐はその場でずっこけそうになった。
墓穴を掘るにも程がある台詞であった。
立ち直ったお燐は、慌てて両手をふらふらとさせながら、口早に言う。

「えっと、あっと、その……。
ご、ごめんね、もうすぐ仕事の時間だから、今すぐ行かなきゃっ!」
「え? あれれ? さっき、まだまだ時間はあるって言ってたような……」
「それじゃ、またねお空っ!」

 叫び、お燐は空へと飛び上がり、その場を後にする。
ドキドキする胸ごと自身を抱きしめながら、お燐は暫く目的地も定めずに漂った。
自分は権兵衛の事で、そんなにも変わったのだろうか。
そう思うと同時、いや、とお燐は考えを変える。
自分はこんなにも、権兵衛によって変えられてしまったのだ。
そう思うと、何故だかこの場で飛び上がりたくなるぐらいの衝動がお燐を襲い、お燐は思わずその場で立ち尽くした。

「~~~っ!」

 ぶるりと、まるで電撃が走ったかのように身震いするお燐。
なんとも暖かで、心の奥が灯るかのような感情だろうか。
お燐は暫く全身を緊張させたまま宙に浮いていたのだが、やがて止めていた息を吐き、体を弛緩させる。
後に残るのは、心地良い陽だまりのような暖かさばかりであった。

 少しの間その余韻に浸っていたお燐であるが、お空に仕事があると言って抜けてきた事を思い出す。
そう言っておいて何もしないと言うのも気が引けるし、かといって仕事と言えば、怨霊の管理は今は充分であるため、権兵衛の世話しかない。
だから、仕方ないからなのだ。
そう自分に言い聞かせつつ、気を抜けば緩みそうになる頬を引き締め、お燐は途中キッチンなどを経由し、権兵衛の部屋へと台車を押していった。
五つの錠前を開き、お燐は権兵衛の部屋の中へと入る。

「あ、お燐……さん……」
「ご、権兵衛さんっ!?」

 数時間ぶりに出会った権兵衛は、声がしゃがれていた。
急ぎお燐が水差しを持ち寄り、権兵衛の口にやると、勢い良く権兵衛は水を飲み込む。
ごっごっ、と軽い音を立て水を飲み干すと、やっと一息、とばかりに権兵衛が大きく溜息をついた。
その様子に安堵したお燐もまた、溜息をつく。
それから、水差しに台車の上の瓶から水を移しながら、お燐は遠慮がちに聞いた。

「一体どうしたんだい、権兵衛さん。
そんなに喉を枯らすなんて、何があったんだい?」
「それが……」

 一瞬躊躇の色を見せた権兵衛であるが、すぐに再び口を開く。

「こいしさんが、この部屋に入っていたかもしれなかったんです」

 がちゃん、と。
思わずお燐の手が揺れ、水差しと瓶とが触れ合い、音を成した。
二人だけの筈の時間に、他者が紛れ込んでいたかもしれない。
そう思うだけで、お燐の中で底冷えするような黒い感情が燃え上がる。
自然、冷たい声が口から出た。

「それで……どうしたんだい?」
「えぇ。詳しく話すと、まず突然この部屋の中に誰かの気配が現れて、大声で叫んだんです。
すぐに気配は消えてしまって、それでお燐さんから聞いた“無意識を操る程度の能力”について思い出しまして。
認識できなくてもすぐそこに居るのでは、と思い、それからずっと話しかけていて……それで、喉を枯らしてしまったんですよ」
「そんなにこいし様に興味があったの?」

 そう言うと、少し吃驚したかのような顔をして、権兵衛が顔をお燐に向けた。

「え、といいますか、同じ部屋に居るかもしれない、と認識しているのに、無視するのもどうかと思って。
それにさとりさんやお燐さんに聞いた話から、すぐに気配を消したのは嫌われるのを怖がっているからかもしれない、と思ったんですよ。
それなら、俺は心を読まれても嫌わない、と言う事を伝えようと思ったので。
恥ずかしながら、それに集中し過ぎて、喉が枯れてしまったのには言われて初めて気づきました……」

 俺ってなんて馬鹿なんだろう、と呟きつつ言うその顔に、何とも権兵衛らしい呑気な優しさを垣間見て、少しだけお燐は心が安らぐのを感じた。
黒い炎のようにチロチロと見え隠れする感情を抑え、最後にこれだけ聞いて終わりにしよう、と口を開く。

「で、こいし様は一体なんて叫んだの」
「お燐さんの種族が、妖怪の火車であると言う事をです」

 瞬間、お燐の全身から力が抜けた。
ぺたんとその場に尻をついてしまい、手に持っていた水の入っていた瓶と水差しを落とす。
瓶や水差しが割れる音に、遅れて権兵衛は異変に気づいたようだった。

「お、お燐さん?」

 心配そうに声をかけてくる権兵衛に、お燐は何の反応も返すことができなかった。
ついに恐れていた事が起きてしまったのだ。
権兵衛が自分を嫌う所を想像し、お燐はぶるりと悪寒に震える。
権兵衛は、身動き一つ取れないままでも、明らかに常人を逸した優しさを漂わせていた。
何というか、空気一つでお燐の心に暖かい物を運んでくれるのである。
それは本当に暖かくて、まるで灼熱地獄跡地のあの炎のようだ、とお燐は思っていた。
あの太陽の如き炎のようだ、と。
それが消えてしまうかもしれない、などと言う事を想像したくなくて、お燐は自分の正体が知られてしまった時の事を考えようとしていなかった。
しかし、それが今現実として此処にあるのだ。

 まるで極寒の地に連れてこられたかのように、ぶるぶると震えながら、全力で体を動かそうとするお燐であるが、視線を権兵衛に投げかける勇気がなかった。
もしもそこに軽蔑の色が欠片でもあれば、お燐は今此処で瓶の破片で自身の喉を掻っ切ってしまうかもしれない。
したがって、震えながらお燐は小さく声を漏らす事にする。

「権兵衛……さん」
「は、はい。どうしたんですか、お燐さん」

 声には暖かな優しさだけがあり、そこには冷たさの欠片も無かったが、それでもお燐は振り返る事ができなかった。
自身の臆病さに歯噛みしつつ、お燐は続ける。

「私は……火車の事は、嫌い?」

 沈黙がその場に横たわった。
沈黙はまるで永遠であるかのようにお燐には思えた。
何時まで待っても権兵衛の声は聞こえてこず、代わりにお燐の中でどんどんと不安が膨れ上がるばかりである。
もしかして権兵衛に嫌われてしまうのではなかろうか。
そうしたら自分はどうしたらいいのか。
最早お燐にとっては、権兵衛の優しさは生きていくのに必要不可欠な物と化していた。
だのにそれを突然断ち切られたら、一体お燐はどうやって生きていけばいいのか。

 しかも事態はそれでは収まらない。
さとりはきっと、お燐が嫌われてしまったと言っても、それだけでお燐を権兵衛の世話から外す事はしないだろう。
きちんと言葉が喋れて理知的な妖怪と言うのは、さとりのペットの中でも数少ないのである。
つまり、権兵衛に嫌われたとしても、お燐は権兵衛の世話を続けなければならないのだ。
お燐は、思わず想像する。
権兵衛の暖かな言葉が消え去り、絶対零度の言葉が権兵衛から吐かれる光景を。
いや、それ以上に辛いとお燐が考えたのは、権兵衛の口から何の言葉も吐かれない事である。
完全な沈黙が続く光景は、生命が欠片も見受けられない、死んだ土地を思わせた。

 そしてその想像は、もしかしたら今現在そうなりつつある事なのではないか、とお燐は恐慌した。
お願いだから、とお燐は願う。
お願いだから、今すぐ返事をして欲しい。
罵倒でもいい。
軽蔑の言葉でもいい。
何でもいいから、今すぐ返事をして欲しい。
だからせめて、沈黙のまま、お燐の事を完全に無視するのはやめてください、と。
果たして、その願いは叶った。

「そんな……俺がお燐さんを嫌うなんて、そんな事ある筈が無いでしょう」

 お燐には永遠に思えた沈黙は、実際には数秒程だったのだろう、権兵衛の言葉は自然にその口から吐き出された。
恐る恐る、お燐はゆっくりと体ごと権兵衛の方へと向き直る。
硬直したままになりたがる体を、権兵衛の言葉を信じようと自身に言い聞かせながら動かした。
視界の端にまず権兵衛の足で盛り上がった掛け布団が目に入り、そこから権兵衛の体を形取る布団、次いでようやく権兵衛の胸の辺りが見え、一旦お燐の視線は止まる。
それから全力を込めて体を捻るように動かし、お燐は権兵衛の顔へと視線を移した。
顎、緩やかな曲線を描く唇、小さなえくぼ、目隠しの上からでも分かる目を細める仕草。
権兵衛の顔は、その全部が優しさで満ちていた。

「お燐さん、確かに死体の尊厳を失う事は、俺にとって耐え難い事でもあります。
しかし、同時にお燐さんがそういった妖怪として生まれてきた事に、何の罪も無い事も確かなのです。
ならば俺が憎むべきは、死体を奪ったお燐さんではありません。
この世の不条理なのです。
大丈夫、俺は、お燐さんが優しい妖怪だと知っています。
嫌な雰囲気一つ作らず俺を世話してくれるばかりか、俺のような口下手相手の会話に付き合ってくれて。
俺は、お燐さん、貴方を大切に思っています」
「あ……」

 お燐は、想定外の権兵衛の言葉を、ぽかんと口を開けながら聞く。
いつの間にかお燐の両目には涙が溜まっており、ぶるりと震えたお燐の動きと同時に、ぽろりとこぼれ落ち、お燐の殆ど黒に近い緑のワンピースを濡らした。
体が勝手に動き、這うような動きで権兵衛の近くへと寄っていく。
気配を察したのだろうか、権兵衛はじゃらりと手首の鎖の音を鳴らしながら、可能な限りお燐へ向かって右手を伸ばす。
そこにお燐は、戸惑い勝ちにゆっくりと手を伸ばした。
触れる寸前で、一瞬静止する。
これは、あまりにも酷い現実から目を逸らした、お燐の見ている幻覚ではあるまいか。
本当の権兵衛は沈黙のままにお燐を睨んでおり、この手を掴んだら優しい権兵衛はどろんと消えてしまうのではなかろうか。
そんな根拠のない妄想に囚われそうになり、お燐は頭を振ってそれを頭の中から追い出して、思い切って手を伸ばした。
ぎゅ、と権兵衛の右手を掴む。
すぐに権兵衛の体温が伝わり、まるでその体温でお燐の中の氷が溶けていくかのように、お燐の目からは大粒の涙が零れた。
幻覚じゃない。
本当の権兵衛だ。

 感涙するお燐を権兵衛はゆっくりと引っ張り、お燐をベッドの側に寄せる。
それから握っていた手を離し、静かにお燐の頭をそっと撫でた。
それがもう本当に暖かくて、まるで母の子宮の中に居るかのような感慨にすらお燐は囚われる。
感極まり、お燐は腰を上げ、体を倒し、腕は権兵衛の首にまわし、ベッドの上の権兵衛に抱きついた。
これが本当の権兵衛であると言う事実をもっと感じたくて、権兵衛の首筋に鼻を押し付け、胸の中いっぱいに権兵衛の体臭を吸い込む。
すこし汗臭い雄の匂いに、思わずお燐は頬を紅潮させながらも、結局権兵衛から体を離す事は無かった。
代わりに、少し無理がある体制だったので、体を動かそうとする。

「お燐さん?」

 小さく疑問詞を吐き出す権兵衛を無視し、お燐は権兵衛に抱きつく両手はそのままに、腰を上げ、ベッドの上に足を上げて、権兵衛に上から抱きつくような形となった。
戸惑っていた権兵衛も、すぐにまぁいいか、とお燐を許すように、優しくその背に右手を回す。
背に回る暖かな感触に、にゃあ、とお燐は小さく声を漏らした。

 此処は地獄だと言うのに、天国のような快感だった。
此処には権兵衛が居て、その世話は全て自分がやってあげなければならず、権兵衛はお燐無しでは生きていけないのだ。
そしてその権兵衛は、お燐が権兵衛の事を大切にしてくれているぐらいに、お燐の事を大切にしてくれている。
あぁ、とお燐は思った。
あぁ、この人の死体を手に入れられたらなぁ、と。

 お燐は権兵衛を抱きしめながら、その権兵衛が死体となった姿を想像した。
想像の中で、権兵衛は完璧な死体であった。
肌は冷たく、心臓は鼓動無く、そしてその表情は安らかなまま。
左腕が二の腕の真ん中辺りで切れているのが一見マイナスだが、それもその腕がどういった物なのか、他の外見から想像をさせると言う意味では完璧に近い。
ぐにゃりと弛緩した体は今より少しだけ芯が柔らかな感じで、頬をぺたりと貼りつければ、心地良い冷たさがお燐の中に走るだろう。
この太陽のような暖かさが冷たさとなったら、どんな冷たさになるのだろうか。
きっと冬の冷たさとは似ても似つかない物になる事だろう。
真夏の氷のような、爽やかで心地よい冷たさになるに違いない。

 それからお燐は、権兵衛の死体が腐敗していく所を想像した。
普通お燐は死体に防腐の術をかけるが、特に気に入った死体は、時に腐る過程や腐った状態をも楽しむのだ。
きっと権兵衛の死体も、腐っていく間に最高の美しさを見せるに違いない。
すぐに権兵衛の皮膚は柔らかくなり、押せばずにゅ、と音を立てて指が吸い込まれるような物になるだろう。
それから黄土色になっていく肌に、蠅や蛆が沸く。
食い破られた皮膚からは、赤黒い臓腑が顔をのぞかせ、その美しさにお燐は心踊るに違いない。
眼球は当然こぼれ落ちてしまい、その球状の目の裏側には神経の紐が絡まりあっている事だろう。
代わりに眼窩は暗く窪み、その奥にある赤黒い肉を見せる。
そこに指をそっと挿し込む所を、お燐は想像した。
指一本では眼窩の方が大きくて、最初は空中を泳ぐようになるだろう。
しかしやがてその奥の腐りかけた神経の集まりに触れ、その独特の感触に背筋を震わせるに違いない。
それからお燐の指は円弧を描くように権兵衛の目の裏をたどっていく。
やがて一周してお燐が指を戻した時、その指には権兵衛の肉や神経から零れた汁で濡れている事あろう。
その汁を舐め取る所を想像し、お燐は身悶えした。

 現実に意識を戻し、お燐は思う。
駄目だ、この人を殺さずには居られない、と。
お燐は、そっと権兵衛の首に回した手を開き、権兵衛の首に巻きつかせた。
ゆっくりと、力を入れようとする。
しかし、どうしてもお燐には権兵衛の事を直視しながら首を絞める事ができなかった。
ならば顔を見ないようにして殺せばいいのでは、と思うものの、それも難しい。
権兵衛が苦悶の表情を作り、死んでいくその姿もまた、お燐には魅力的に思えたのである。

 あぁ、なんで私は、この人が殺せないんだろう。
そう思うお燐であるが、既にその理由を悟ってもいた。
お燐が権兵衛の死体が欲しい理由は、権兵衛の事が大切だからである。
しかしお燐が権兵衛を殺せない理由もまた、権兵衛の事が大切だからなのだ。
権兵衛が大切でなければそもそも権兵衛の死体が欲しくなどならず、面倒な世話に権兵衛を嫌い、そして不満やら何やらが心に積もっていた事だろう。
そして今の通り権兵衛が大切であっても、死体が欲しいのに殺せない、と言う状況に陥ってしまうのだ。

 どうすればいいのだろう。
お燐は、権兵衛の首筋に自身を擦りつけながら、思う。
どうすればこの二律背反を解決できるのだろう。
そうやって悩むお燐は、突如目を見開き、体を震わせた。
思いついたのだ。
簡単な事である、お燐に殺せないのならば、他者に権兵衛を殺してもらえばいいのだ。



 ***



「い、いいんですか、こんな事して」
「うん、どうせ後で会う事になるんだから、何時会ったって同じ事さ」

 お燐は、権兵衛をあの部屋から連れ出していた。
作った理由は、こうだ。
権兵衛を世話するのは何時もは私だけれども、怨霊の管理と言う仕事の都合上、お燐が権兵衛の世話をできない事になるかもしれない。
そういった時に権兵衛を世話するだろう親友に、是非会っておくべきだと思う。
権兵衛は最初それに何色を示した。
てっきり権兵衛は少しでも自由になりたいのだと思っていたお燐は慌てて、その親友と権兵衛は必ず会う事になるだろう事、さとりもそれを承知しているであろう事を重ねて話す。
それにも渋い顔をしていた権兵衛であるが、お燐の台詞を聞くうちに納得したようで、首肯した。
なんでも、どうせなら早くさとりに諦めさせた方が良いだろう、との事である。
よく分からないが、どうも能力に関する事らしく、さとりの言があるお燐は深く聞かずに頷いた。
ただし権兵衛も条件をつけた。
なるべく、他のペット達とは出会わずに済む方法を取ってもらいたいのだと言う。
何故そんな条件をつけるのか疑問に思ったお燐だが、それはそれでお燐に都合の良い事である。
予めペット達に通る予定の道に来ないよう何重にも言い含めておき、お燐は権兵衛を連れだした。

 当然権兵衛は目隠しをしたまま、足の鎖もそのまま、右手の手錠も繋いだままで、自由に使えないようにしたままである。
一応権兵衛は監禁されている身である、逃げ出さないようにと言う配慮と、後は個人的嗜好もあって、お燐が権兵衛を抱きしめて空を飛び間欠泉地下センターへと飛んだ。
暴れられて権兵衛を落としても、墜落するより先にお燐が再び権兵衛を捕まえる事ができる高度で、である。
その事を言い含めていたからか、そも逃げる為の魔力すらも回復していないからか、権兵衛は借りてきた猫のように大人しいまま、間欠泉地下センターにまでたどり着いた。

「異物発見! 核融合炉の異物混入は一旦反応を停止し……って、お燐と、えーっと、知らない人間?」
「やぁ、さっきぶりだねっ、お空」

 権兵衛を抱えたまま着陸、一旦権兵衛を壁際に離し、お燐は中央に立ち尽くすお空へと近づく。
それから、ちょいちょい、と手招きし、首をかしげながら近づいてくるお空に耳打ちする。

「その、お空、ちょっといい? お願いがあるんだ」
「へ? 何々、お燐の頼みなら何でも聞くよ?」
「人間を一人、傷つけずに殺して欲しいんだ」
「って、ただの人間を!?」
「ってお空、声が大きいってっ!」

 思わずお空の口を塞いで肩越しに振り返るお燐だが、権兵衛は何も分かっていない様子で、所在無さげに辺りを見回していた。
間欠泉地下センターの最下層は、地上に出るにはかなり長い距離を飛ばねばならず、地獄側へ出るにも飛行無しには行けない。
それを予め言い含めておいたからか、逃げようとはせずに、ぼうっとつったっているだけである。
それにひと安心すると、お燐は再び手で筒を作り、お空に耳打ちを始めた。

「頼むよお空、頼れるのはあんたしか居ないんだ」
「うーん、でもお燐の方が得意そうじゃない?」

 確かにその通りである。
お空はどちらかと言うと力技に優れた妖怪であり、繊細な技術には疎い方だ。
しかし、権兵衛を殺した事を忘れ、行方不明にできるのはこのお空しか居ないのである。
何せお空は鳥頭を擬人化したような妖怪で、すぐに人の顔を忘れてしまうと言う特技を持っているのだから。
ぱん、と手をあわせて、お燐は頭を下げる。

「ごめん、私にはできない理由があるのよ。お願いっ」
「分かった、それで誰を何時殺せばいいの?」
「私が連れてきたあの人間を、私が近くで隠れて見てる時に」
「うん、分かった」

 素直に頷くお空に、思わずお燐は口元を緩める。
これで後は、殺された権兵衛の死体をお燐が連れ去れば、お空はすぐに権兵衛の事など忘れてしまうだろう。
そうなれば、地底は冬だが、地霊殿は灼熱地獄跡地の近くにあるからか、全体的に暖かく、お燐の私室もまた暖かい。
腐敗は相応の早さで進むだろうし、そのくらい仕事をサボっても、誰にもバレないだろう。
権兵衛の死体が欲しいと言う衝動以来、活火山のように燃え盛る思考で、お燐はそう考えた。
それからお燐は再び権兵衛の手を引いて中央まで連れてきて、お空を紹介する。

「この子がさっき言っていた、私の親友」
「霊烏路空よ。お空でいいわ」

 これから殺す相手だからだろう、気のない挨拶のお空に対し、権兵衛は笑顔を作ってみせた。

「俺は、七篠権兵衛。俺の事も権兵衛とお呼びください」

 そんな光景を横目に見つつ、お燐は少し離れて権兵衛の最後を見守る事にする。
それに気づいたのだろう、お空は早速妖力を集めて、それから困りはてた顔で動作を停止した。
傷つけずに殺す方法が分からないのだろう。
と言っても、お空は神を取り込んで以来、こと戦闘に関しては神がかり的な勘の良さを発揮している。
すぐに方法を思いつくだろう、とお燐が見ていると、権兵衛が口を開いた。

「うわぁ、凄い妖力ですね。
って、うん? 神力、のような気も?」
「えーっと、あーっと……」
「もしかしたら、お空さんは、名のある神様なのでしょうか。
物凄い高位の神格を感じるのですが……。
いや、でも妖怪のような気がするし、星さんともまた違うような……」
「あーもう、五月蝿いっ!」

 言って、お空はその身に秘める力を解放。
軽く権兵衛を吹っ飛ばすつもりであろう、妖力と神力の入り混じった波動を全身から打ち出す。
吹き荒れる空気にお燐が思わず顔を庇い、それを凌いでから見ると、信じられない光景がそこにあった。
権兵衛は、何とも無いかのようにそこに立っていたのだ。
流石に驚き、お燐もお空も目を見開く。

「あ、あんたなんで無事なのよっ!」
「いえ、その、俺は能力の影響で、神の力が効かないんです。
あ、そうだ、もしかして体に不具合なんかがありませんか?
俺の能力は、純粋な神にとっては、毒ですらあるらしくって」
「え、うーん、多分大丈夫っぽいけれど……。
でもうん、力が凄いちょっとづつだけど、減っていっているのを感じるわ」

 自身の掌を見つめながら言うお燐に、ふむ、と首を動かす権兵衛。
聞いたことのない話にお燐が思わず口を開けたままになっているのを尻目に二人の会話が続く。

「げっ、それじゃああんた……権兵衛って言ったっけ、あんたの事、私じゃどうにもできないじゃないの」
「はい、そうみたいなんですよね。
ううん、それじゃあ俺の世話をするかも、って言うのもお燐さんの勘違いだったのかなぁ」
「え、私、権兵衛の世話するの? 面倒くさそうだなぁ」
「いえ、俺もお燐さんから聞いた事なので、詳しいことは……」

 それを呆然と見つめながら、自分の計画がお釈迦になった事を悟りつつ、お燐はなんだか違和感を感じる会話だな、と思った。
数回反芻してみてすぐに気づく。
そう、お空が初対面の人間の名前を、一発で覚えられているのだ。
親友であるお燐の名前でさえ長い期間をかけて覚えたお空が、ただの人間の名前を、である。
なんで、とお燐は呆然と思った。
なんで権兵衛は、こんなにも他者から特別に思われているのだ。
さとりからの扱いもそうだし、こいしもお燐の隠し事を言うというのは普通だと思えず、お空に至ってはあの鳥頭が一発で名前を覚えた。
こんなにもお燐は権兵衛の事を思っているのに、権兵衛と言えば素知らぬ顔で皆から特別扱いされて。
嫉妬の炎が沸くと同時、お燐は気づく。
このままでは、お燐の殺意がさとりに伝わってしまうのではないか、と。

「ふぅん。まぁ、よく分からないならどうでもいいや。
それより、権兵衛、あんたなんで目隠しやら手錠やらをしているの?」
「お空さん、本当にお燐さんから何も聞いていないんですね。
俺はこいしさんの第三の目を開ける手助けになるかもしれない、と言う理由でさとりさんに監禁されているんです」
「え? 監禁されてるのに、なんて言うか、権兵衛って気安いよね」
「うぅん、それは自分でも思っているのですが……」

 そう、あくまでお燐の計画は、お燐がさとりに深く事情を探られない限り露見しないと言う根拠に基づいていた。
お空は素直なのでさとりに聞かれたままの事を思い浮かばせるので、お空が権兵衛の名前を覚える事ができた今、全てを忘れてしまうと言うのは期待できない。
ばかりか、恐らくはお燐と権兵衛、数少ない名前の分かる知り合い二人と関係する事である、お燐の権兵衛殺害依頼の事は聞かれれば思い出してしまう事だろう。
今もお空は制御棒の先を権兵衛に向けてみたりして、権兵衛を殺す方法を考えているのが見受けられる。
と言っても、神力が混じっては権兵衛に効かぬと分かった今、それにも難儀している様子で、お燐の方を助けを求める目でちらちらと見ているのだが。

 駄目だ、とお燐は絶望のままに思った。
権兵衛に嫌われてしまう事は、想像もつかない程恐ろしい事である。
しかしさとりに嫌われてしまう事もまた、同じぐらい恐ろしい事なのだ。
特に妹であるこいしを救う為の鍵を殺そうとしたとなれば、どれほど怒られるだろうか。
いや、怒られるだけで済むのだろうか、とお燐は思った。
お燐は何時しかお空が異変を起こした時、さとりが容赦なくお空を始末するだろうと考えたように、今度はお燐を始末するだろう、と考えたのである。

 そんな考えが頭に浮かんだだけで、お燐は脱力してしまった。
立つ事すらままならず、膝を落とし、ぺたんと尻餅をついてしまう。
お燐にとって、さとりはそれほどまでに親のように神聖で、絶対的な物だった。
そのさとりに始末されるかもしれない、と言う思いは、正に絶望そのものなのだ。

「ねぇ、お燐、どうしたの?」
「お燐さん、具合でも悪いんですか?」

 気づけば、お燐の事を二人が覗き込んでいた。
目隠しされた権兵衛の右手を、お空の左手が確りと握っている。
こうやって二人がお燐の事を心配してくれるのも、お空がうっかり権兵衛殺害計画について話してしまうだけで、もう終わりなのだ。
そう思うと、泣きたくなるような衝動にお燐は襲われた。
全身がぶるぶると震え、自身をかき抱き、かちかちと歯を鳴らす。
ついには心配そうに見てくれる二人の視線に耐え切れず、お燐は立ち上がり、飛び上がって、一目散にその場を逃げ出した。
後ろから声が追いかけてくるが、権兵衛が足手まといになってついてこれず、すぐにお燐はお空を引き離し、一人きりになる。

 それからずっと、お燐は地霊殿へと帰っていなかった。
さとりに見つかれば始末されるだろうとわかりきっていたし、権兵衛に嫌悪の視線で見つめられるのも耐え切れなかったからである。
しかし地霊殿を離れたからと言って、お燐には何もする事が無かった。
好きだった筈の死体集めをする気力すら沸かず、お燐はただ呆然と遠くから地霊殿を眺め続けるだけ。
勿論窓のない部屋に幽閉されている筈の権兵衛の事など、見つけることは叶わない。
最早お燐の人生には、不幸しか残っていなかった。
此処でこうやって地霊殿を見つめていても、楽しかった過去と、絶望しか残されていない未来を実感する事ができるだけ。
今度はお空を救ったお燐のように、お燐を救ってくれる仲間は居なかった。
今日もまた、お燐は地霊殿の遠くから、呆然とその建物を眺める事しかできない。
私は、一体どこで何を間違ってしまったんだろうか。
永遠とそんな事を考えつつ、地霊殿を眺め続ける事しかできないお燐には、この先不幸しか許されていない事は明白なのであった。





あとがき
ちょっと権兵衛視点が不足気味かな、とも思ったのですが、どうせ次回冒頭も権兵衛視点なのでいいかな、と言うことでこういう形になりました。
さとりの登場は主に次回以降になります。

*ちょっと加筆しました。


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