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No.21873の一覧
[0] 【完結】【R-15】ルナティック幻想入り(東方 オリ主)[アルパカ度数38%](2014/02/01 01:06)
[1] 人里1[アルパカ度数38%](2011/06/21 19:52)
[2] 白玉楼1[アルパカ度数38%](2010/09/19 22:03)
[3] 白玉楼2[アルパカ度数38%](2010/10/03 17:56)
[4] 永遠亭1[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:48)
[5] 永遠亭2[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:48)
[6] 永遠亭3[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:47)
[7] 閑話1[アルパカ度数38%](2010/11/22 01:33)
[8] 太陽の畑1[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:46)
[9] 太陽の畑2[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:45)
[10] 博麗神社1[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:44)
[11] 博麗神社2[アルパカ度数38%](2011/02/13 23:12)
[12] 博麗神社3[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:43)
[13] 宴会1[アルパカ度数38%](2011/03/01 00:24)
[14] 宴会2[アルパカ度数38%](2011/03/15 22:43)
[15] 宴会3[アルパカ度数38%](2011/04/03 18:20)
[16] 取材[アルパカ度数38%](2011/04/11 00:14)
[17] 魔法の森[アルパカ度数38%](2011/04/24 20:16)
[18] 閑話2[アルパカ度数38%](2011/05/26 20:16)
[19] 守矢神社1[アルパカ度数38%](2011/09/03 19:45)
[20] 守矢神社2[アルパカ度数38%](2011/06/04 20:07)
[21] 守矢神社3[アルパカ度数38%](2011/06/21 19:59)
[22] 人里2[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:09)
[23] 命蓮寺1[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:10)
[24] 命蓮寺2[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:12)
[25] 命蓮寺3[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:14)
[26] 閑話3[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:14)
[27] 地底[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:15)
[28] 地霊殿1[アルパカ度数38%](2011/09/13 19:52)
[29] 地霊殿2[アルパカ度数38%](2011/09/21 19:22)
[30] 地霊殿3[アルパカ度数38%](2011/10/02 19:42)
[31] 博麗神社4[アルパカ度数38%](2011/10/06 19:32)
[32] 幻想郷[アルパカ度数38%](2011/10/08 23:28)
[33] あとがき[アルパカ度数38%](2011/10/06 19:36)
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[21873] 命蓮寺2
Name: アルパカ度数38%◆2d8181b0 ID:099e8620 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/09/03 20:12


 夕食時、聖は非常に気を使う事になった。
自分では救えなかったムラサを救った権兵衛を見るのは、非常に辛かった。
本来なら感謝の言葉を言わねばならないが、あの神聖な光景を覗いていたと告白するのに躊躇する。
権兵衛は、暖かな笑顔を浮かべながら夕食をとっていた。
精進料理など大して美味くないだろうに、満面の笑みで箸を伸ばす。
権兵衛の食事は一口が小さく、ゆっくりと、失礼ながら意外に優雅な食べ方だな、と聖は思う。
権兵衛は左腕が無く、つい最近までも義手を操作しながらの食事だったのである、流石に不便そうである。
権兵衛は最初重力を操作して器を浮かせようとするのだが、それでは中身も浮いてしまいそうになり、それからは不慣れな念動力を用いて食事しようとした。
が、矢張りと言うべきか、権兵衛の浮かせる器は、特に汁物や茶は溢れそうで危なっかしい。
そんな権兵衛を、甲斐甲斐しく世話するのがムラサであった。
仕方ないなぁ、と言わんばかりの、何処か嬉しそうな顔をしつつ、権兵衛の浮かせようとする器を持ってやる。
最初遠慮する権兵衛であったが、溢れそうで見てられない、と言われてからは、少し顔を赤くしつつも大人しくムラサに従った。
それをからかおうとするぬえを、朝の件でまだ怒っているのか、無視するムラサ。
感謝の言葉を言い渡そうと思うと同時にそんな光景を目にして、聖は思わず口をつぐむ。

 一度言い出す機会を逃してしまってからは、聖はなんとも言えないままに何度も権兵衛に視線をやりながら食事を終える事となった。
結局何も言えないままに夕食が終わり、今日の食事当番であるぬえが片付けをするのを他所に、談笑に入る。
何時もは楽しい時間の筈が、今夜はまるで黒くて重い石でも飲み込んだかのような気分だった。
どすりと心の底に重石があって、何をしようにもその場に沈みこませるような感じである。
何時になく元気の無い聖が気になったのか、星やナズーリンは聖に早く休んだほうがいいのでは、と言い、聖もそれに承諾した。
早く権兵衛に感謝と謝罪の言葉を言わなくてはならないのに、と思いつつも、ついつい頭の中に様々な言い訳が浮かんできて、聖を眠気に誘ってきたのである。
そうして何時もより大分早い時間に部屋に戻った聖であるが、横になっても、心は疲れ果てていると言うのに中々眠れなかった。
代わりに今日の様々な事ばかりが頭の中を過る。

 助けた権兵衛は、何とも善人であった。
嬲られた上に火刑にあったと言うのに自分の身より里の事を心配するし、それだって命蓮寺を心配した後だ。
まるで自分を犠牲にするのが当たり前であるかのような言動を取っている。
対し聖は、どうだろうか。
確かに聖は、千年前に人間達に従い封印された。
その時までずっと助け続けてきた、人間達に封印された。
しかしその人間に恨み辛みが無かったとは言えないし、人間は愚かであると言う事が念頭に出てきたのも確かである。
そこで権兵衛は、全くの平等を形にしていた。
自分を下に置き、全ての人を平等に自分の上に置いているよう、聖には思えた。
ならば。
ならば、権兵衛こそ――。

「いやだわ、何を考えているんでしょう、私は」

 頭を振り、聖はネガティブな思考を追い出した。
確かに権兵衛は善人だし、しかもこうやって人に強烈な印象を残す、カリスマのような物を持っているのも確かである。
しかし聖は権兵衛と出会ってまだ、数時間しか経っていないのだ。
そんなに結論を急ぐ事は無かろう、と聖は自分を納得させる。
何せ権兵衛の力と言えば、てんで弱い物である。
魔力の扱いについて学び始めてからの期間を思えば天才的だが、それでも現時点で弱い事にはかわりない。
恐らく当分の間は命蓮寺を出て生活できるようにはならないだろう。

 それでも権兵衛に対する劣等感から生まれた嫌な気分は消えず、聖は少し風にあたる事にした。
襖を開けてペタペタと裸足で縁側に出て、立ち止まり、両手を広げて全身で風を感じる。
舞い降りる月光がうっすらと庭園を照らしており、池の水面がきらきらと輝いていた。
美しい光景にほっと一息つきつつ、聖が辺りを見回すと、ふとムラサと目があった。
同時にあちらも気づいたようで、少し目を見開く。

「あれ、聖、もう寝たんじゃないですか?」
「いえ、少し眠れなくて、風にあたりに」

 と声を交わすものの、何時ものようにムラサからこちらに来る様子は見受けられない。
仕方なく聖は自分からムラサに近づき、両手を胸にやりつつ尋ねる。

「権兵衛さんの印象は、どうだったでしょうか?」
「………………」

 一瞬、ムラサは目を細めた。
何かの感情が過るが、あまりに一瞬過ぎて聖には理解できない。
ムラサは欄干に体重を預けつつ、宙に視線をやり、言う。

「兎に角善人、と言う所ですかね。
私は今まであれほどの善人というのを見たことがありません」
「そう、ですか……」

 ぎしり、と心が軋むのを聖は感じた。
喉の奥で、激情が暴れる。
つまり、私は権兵衛よりも善人では無いと言うのか。
思わず吐きでそうになる感情を全力で抑えこみ、聖は深く溜息をつく。
それはさながら、自分の中の激情が空気と共に抜け出ていくのだと、そう信じているかのように。
深い溜息をつき一拍、少し精神的に落ち着いた聖は、激情を悟られたくない為に、何とか続けて口を開いた。

「確かに、彼は善人でしょう。
ですがあの善人さは、むしろ彼を苦しめているかのように思えます。
ムラサは聞いていなかったかしら?
権兵衛さんは、義手とは言え左腕を無くし、全身に傷を負い、右足なんて肉が削げる怪我を負って、更には火刑にまであって、それでも里を許す事など当然だと考えているのよ。
確かに、その考えは尊い。
だけれども、もう少し自分の事を考えなければ、権兵衛さんは自分の決定的な所を損なってしまうのではないかしら」

 しかし、こうやって口を開けば、出てくるのは権兵衛の聖人性を貶めようとするような言葉であった。
いや、道理としても正しいのだが、権兵衛に嫉妬している聖が言っても説得力の無い言葉である。
どんな反応をするのかと見やるが、ムラサの顔は丁度マリンキャップのつばが影になって、見えない。
ムラサは欄干に預けた体重をそっと戻した。
直立するムラサの顔は、未だ月光を遮るつばによって見えないままである。

「聖」

 ぞっと寒気が聖の背を支配した。
暗い影の中、ムラサの両目だけが真っ赤に妖しく輝いている。
それは、血袋となったムラサの沈めてきた死体達だった。
恨み辛みを嘔吐しながら、ぐるぐるとムラサの両目の中を回転している。
ぐるぐる。
ぐるぐる。
ぐるぐる回りすぎてしまって、ついに死体はあまりの速度に小さな竜巻を生み出した。
ぐるぐると回る速度が更に上がり、それを追いかけていた聖は目を回してしまいそうになって、近くの柱に手をついた。

「権兵衛さんは、今のままでいいと思いますよ?」

 はっと聖が気づくと、幻視は消え去っていた。
代わりにつばに隠れていたムラサの黒曜石の両目が聖を見据えている。
何時も通りに戻った筈のムラサの目が、何故か怖くて、聖は思わず半歩下がった。

「権兵衛さんは確かに自分で自分を傷つけてしまいそうな所もありますが、それは同時に尊い所でもあります。
誰にだって欠点はあるんですから、周りの人がフォローできれば、それでいいのではないでしょうか?」

 言っている事は正論なのに、何故かムラサからは寒気が感じられる。
しかし、と聖は考え直した。
しかしムラサは、聖が覗いていた事など知らないのだ、聖に敵意を持つような要素などない筈である。
下がりそうになる足を何とか床から剥がし、先ほど引いてしまった半歩を戻して言う。

「そう、かもしれません。
ですが、何時でも彼の側に誰かが居るとは限らないのです。
特に彼は一人暮らしなのです、何かあってからでは遅いのですよ?」

 嗜めるように言ったつもりだが、聖は自分の声がぶるぶると震えていた事に気づいた。
力量で言えば聖の方が圧倒的に上だが、聖はムラサに負い目がある。
それが精神的不調となり、聖に大きな圧迫感を与えていたのだ。
そんな聖に、くすりとムラサは笑う。

「あぁ、なるほど、そういう事ですか」
「何がですか?」

 首を傾げる聖に、ムラサは満面の笑みで言った。

「もし権兵衛さんが許してくれれば、彼が此処を出て行く際、彼についていこうかと思っています」
「……え?」

 ムラサの言っている事が理解できず、一瞬聖は思考を停止する。
ぐるぐると揺れる頭を抑え、聖は再び柱に手をやりつつ、縋るような視線でムラサを見た。
凍りついたような満面の笑みで、ムラサは再度言う。

「もし権兵衛さんが許してくれれば、彼が此処を出て行く際、彼についていこうかと思っています」

 それは。
つまり。

「わ、私を、捨てるんですか……?」

 言って、自分の台詞の内容に聖は崩れ落ちそうになった。
吐き気すらしてきて、それを抑えるのに、聖は咄嗟に頭を抑えていた手で口元を抑える。
柱に体重を預けなければ、立つ事もままならない程に、聖は消耗していた。
焦点の定まらない聖の視線を受け、ムラサは笑顔のまま言う。

「嫌だなぁ、聖だって何時も言っているじゃあないですか。
去る者は追わず、来る者は拒まずって。
昔だって、他所に幸せを見出して行った妖怪達も幾らか居ましたし、その全員を快く見送ってきたじゃあないですか。
それが、私の番になったと言うだけの事です」

 ムラサの言葉は異様に冷たかった。
まるで全身を刺す冷気に蝕まれたかのように、聖はぶるぶると震え始める。
辛うじて、最後の力を振り絞り、聖は言った。
言わざるを得なかった。
それが自分への最後通告となる事を、どこかで悟りつつも。

「わ、私より権兵衛さんの方が良いって言うんですか……」
「はい」

 簡潔で力強い言葉であった。
今度こそ完全に崩れ落ちる聖。
それを一瞥し、広間の方へ戻ってゆくムラサ。
静かになった庭園では、時折錦鯉がちゃぽんと音を立てる他は殆ど無音で、だから広間の喧騒が耳に入る。
酒でも振舞ったのか、陽気な声が少し離れた此処にまで聞こえてきた。
聖には、自信があった。
自分こそ妖怪を救い、人妖平等を敷ける存在なのだと言う、自信があった。
それが最早、欠片も残らないぐらいに粉々にされてしまっていた。

「あはははは………………」

 うなだれ、乾いた声で笑う聖。
その笑い声には一切の力がこもっておらず、今にも枯れ落ちそうなぐらい。
対し聞こえてくる広間の喧騒は、力強く、元気一杯と言わんばかりの物であった。
まるで自分だけが何も無い所に置いて置かれているかのようだった。
暗く、苦しく、辛い感情がぐるぐると聖を中心に渦巻いている。
明るい所が見えているからこそ、その辛さが際立って見えた。
そんな時聖は仲間の事を思って精神を復活させるのだが、その仲間が今自分を捨てた今、聖には誰も信じられなかった。
誰かを信じてしまえば、その誰かすらも権兵衛の元に行ってしまうのではないか、と思えて。

「あは、あははは………………」

 夜の庭園に、乾いた笑い声が響く。
しかしそれを聴く者は聖自身以外に居らず、ただただ虚しく響いて声はかき消えて言った。
最後には涙が廊下に跳ねる音と、嗚咽が漏れる音だけが残る事になった。



 ***



 封獣ぬえは、実を言えば、七篠権兵衛の事をずっと前から知っていた。
事の始まりは、権兵衛がかつて永遠亭にて療養していた頃にまで遡る。
正体不明の種を自身に植えつけ、未確認飛行物体として幻想郷を散歩していたぬえは、その時丁度永遠亭の上空を飛んでいる所だった。
嘘つき兎がUFOだ、と言って指さした空に丁度ぬえは居て、権兵衛はそれを見て吃驚していた物である。
それ以来、何だか気になる所があって、ぬえは権兵衛の事をずっと気にしていた。

 誰にも感じた事の無い親近感を、ぬえは権兵衛に対して感じていた。
かつてぬえは、孤独であった。
鵺と言う妖怪の定義通り人間の前に姿を現す事の無かった為、ぬえはずっと独りだったのだ。
幻想郷に入って地底に住まうようになってからは、周りに妖怪しか居ない為それも解消されたのだが。
それから聖が復活し命蓮寺に住まうようになってからは、ぬえは再び僅かな孤独を感じるようになっていた。
何せぬえは正体不明の妖怪である、あまりみだらに人間に姿を見せてしまうと、鵺の定義を外れる事によって精神的な傷を受けてしまうのだ。
正体不明の癖に正体不明の定義を外れてはならない、と言うのもおかしな話であるが。
兎に角、人妖平等を謳い人間の相談にも乗る寺の面々との間で、ぬえは僅かな疎外感を感じていた。
それも仕方のない事ではあると、ぬえは理解していたけれども、やっぱり孤独と言えば孤独で、少し寂しかった。

 そんな折、出会ったのが権兵衛である。
権兵衛は不思議とぬえを惹きつけた。
どんな所が良いのか、と問われれば答えに窮してしまうような曖昧な部分をだが、ぬえは権兵衛に好意を持っていた。
何となく、いいのである。
それも、まるで魂の兄弟を見つけたかのような、不思議な共感があった。
故にぬえは、偶に里などで権兵衛を見かける度、遠くから彼を見守っていた。
何時もはそんな必要が無い程、多くの人妖が権兵衛を見守っていたので、単にぬえの好奇心を満足させる以上の意味は無い行為だったが。

 そんなある日である。
何時もとは違い物騒な雰囲気の監視が居ない権兵衛を、ぬえは一人観察していた。
そんな折に、権兵衛とはぐれ妖怪との諍いがあったのだ。
手を貸すべきかどうかと悩みつつも、権兵衛が割と健闘している事と、鵺が人間の前に現れる事の意味がぬえを躊躇させ、気づけば権兵衛は勝利していた。
権兵衛が勝った時は、一体どれほど胸をなでおろした事だろうか。
あと一歩の所で助けに出ようとしていたぬえは、安堵のあまり涙さえ滲ませながら、心のなかで権兵衛の健闘を讃えた。
そして権兵衛は里人に殴られ気を失った。

 動揺しつつも、里中の人間が集まっていく気配を感じ、ぬえは増援を呼ぶ事に決めた。
流石にぬえも、正体不明の状態を維持し、権兵衛を守りつつ、里中の陰陽師を相手できるとは言い切れない。
ぬえは早速命蓮寺に戻り、事情を離して聖や星らと共に正体不明となりつつ権兵衛を救出した。
幸い、ぬえの存在は里でもあまり知られていないようで、今の所それが原因で命蓮寺に疑いが向けられた事は無い。
ただ、人妖平等を謳う事から、少し嫌疑の目で見られはしたようだが。

 兎も角ぬえは、無我夢中で権兵衛を救った。
救ったら救ったで、今度は権兵衛にどんな顔をして会えばいいのか、分からなかった。
勿論理性では、権兵衛からすれば初対面と言っていいのだから、普通に会えばいいだけなのだと分かっているのだが、どうもそう簡単には思えなかった。
髪型はちょっと跳ね気味だけど、これでいいのか。
リボンはきちんと左右対称になっているだろうか。
羽は仕舞って正面から見えないようにしていくつもりだが、それでいいのか。
というか、普通って何だっただろうか。
そのように混乱した挙句、ぬえは何故か悪戯から入ると言う結論に達し、ムラサの顔をUFOにしてみせた。
当然気づいたムラサに撃墜され、挙句に下着まで見られてしまい、ぬえは泣きそうになりながらその場を撤退する他無かった。

 ぬえは、かなり本気で落ち込んだ。
もっと普通の女の子らしく、いや、できれば可愛い女の子らしく、挨拶の一つも出来なかった物か。
あの純朴そうな権兵衛である、手の一つでも握ってやれば、案外あっさりと好意を持ってもらえたかもしれない。
そう思うぬえだったが、自分が権兵衛の手を握っている所を想像すると、あまりの恥ずかしさに身悶えする事になった。
これは流石にできない、と、ぬえは手を握ろうとしなかった自分を褒め称えつつ、一人時を過ごす事になる。
しかしそんな後悔も活かせず。
昼食の時集まった時も、権兵衛が挨拶してくれたのに、ぬえはお座なりな返事しかできなかった。
話しかけられたらこう返そう、ああ返そう、と考えてはいたものの、どれも実行には移せず、結局ぬえは、そう、とか、うん、とかそんな返事しか出来なかったのだ。
それも、権兵衛を直視する事すらままならず。
あぁ、これで嫌われたかもしれない。
そんな風に更に落ち込みつつ、廊下を歩いていた所である。
ぬえは、権兵衛が自傷を行っている場面に遭遇した。

 相変わらず攻撃的な態度しか取れないぬえの所為だろうか、話すうちに権兵衛は泣き出してしまった。
想像してみるだけであんまりに恥ずかしくて憤死してしまうのではないか、と言う考えから胸は貸さなかったものの、ぬえは権兵衛の頭を撫でてやった。
普通なら恥ずかしがる所だが、何故だか、安らぎのような感情を覚え、ぬえは権兵衛が泣き止むまで恥ずかしがる事なく権兵衛の頭を撫でる事ができたのであった。
そう、不思議な、胸がすっと通るようになり、自然と目を細め、口元が柔らかくなるような感覚。
その感情の名前が知りたくて、ぬえはその後一旦権兵衛から離れ、一人思索に更ける事にした。

 恋なのだろうか、と言うのがぬえが初めに思った事である。
何せ権兵衛は異性だし、一つ一つ自分の言動を思い返してみるに、恋と言うのは妥当な感情であるようにぬえには思えた。
ただ、最初に感じた親近感のような部分が、当たらずとも遠からずだ、と答えたかのように思え、ぬえは更に思索を進める。
では友情だろうか?
いや、友情には一目惚れは無いだろう。
いやいや、親友と呼べる相手を一目で見抜いてしまう事もままあるかもしれず。
と言っても、ぬえには今まで親友と呼べるような唯一無二の相手は居らず、故にそれも判断がつかなくて。
そんな風に考えるうちに、ぬえはとりあえずこのままでいいか、と思うようになった。
こんな風に曖昧な関係のままで、いいじゃないかと。

 事実ぬえが答えを出すのを辞めた所で、権兵衛の対応は変わらなかった。
夕食時にはぬえにお礼を言ってくれたし、ぬえが担当だった夕食も美味しく食べてくれた。
それだけで充分にぬえは幸せだったし、心踊るような感覚を覚えたのだ。
こんなぬるま湯のような、しかし確かに暖かな関係が続くのなら、それで充分。
ぬえはそう思うようになり、そしてまた状況もぬえを許すようだった。

「ぬえー、おつまみそろそろできましたかー?」

 星の声にぬえは、はっと自分が呆けていた事に気づく。
今は夕食も終えて、権兵衛を歓迎する簡素な宴会を行っている所なのであった。
何故か宴会と聞き戦慄していた権兵衛も、今では陽気な宴会の様子にのまれて楽しく飲んでいる所である。
意識を取り戻したぬえは、さっとぬか漬けを食べやすい大きさに切り分け、大皿に取って運ぶ準備をする。
こうやって給仕をするのも、元々別に辛いと言う程ではないのだが、権兵衛の為と思えば暖かい気持ちでできた。
ただ一つ残念なのは。

「隠し味、入れられないのよねぇ……」

 つつ、と指先で唇をなぞりながら、ぬえは言った。
そう、大皿から取るような料理は、権兵衛一人が食べるとは限らないので、彼の為の隠し味は入れられないのだ。
それを残念に思いながら、ぬえは唇から指先を離し、それを見る。
指先には小さく切り傷の痕が、今にも消えそうなぐらいうっすらとあって。

「夕食みたいに、私の血、入れたかったなぁ……」

 本当に残念そうに呟き、ぬえは愛し気に指先の傷をなぞった。
そう、ぬえは権兵衛の夕食にだけ自らの血を混ぜていたのである。
これは割と勇気のいる思い切った行為で、自分を受け入れてもらえるかどうか、と試す勢いでぬえはやったのだが、どうやら成功したようだった。
権兵衛は夕食を美味しいと言いながらきちんと食べきってくれたし、当然ぬえの血も巡り巡って権兵衛の胃腸で消化され、全身に回った筈である。
直接権兵衛に自分に好意を持っているかどうか聞くのは恥ずかしい上、もし拒絶されたらと思うととても聞く事ができない。
ならば権兵衛に好意を持ってもらうのが先決であり、それにはまず、こうやってぬえの事を受け入れてもらう事からが先決だろう。

「まぁ、これから結構な時間があるんだし、それでいいか」

 明日明後日にすぐ食事当番がやってくると言う訳では無いが、権兵衛もそこそこ長い時間此処に滞在する事になるだろう。
なれば、好意を確認するのはその最後の時でいいではないか。
そう思う事にし、ぬえはぬか漬けを宴会に運ぶ事にした。
明るい未来に思わずスキップしてしまいそうになりながら、ぬえは広間へと戻ってゆくのだった。



 ***



「聖?」

 朝起きて寝間着姿の聖と顔を合わせ、星は思わず呟いた。
朝日差し込む命蓮寺の廊下で、聖は髪はボサボサ、目の下には隈ができたまま、ふらふらと揺れながら歩いていたのだ。
今にも倒れそうな聖に、思わず星は駆け寄りその体を抱きとめる。

「聖っ、大丈夫ですかっ!」
「あ……星……」

 体重をかけてくる聖の体を抱き上げ、星はもう一度聖の顔を見た。
しかしそこにある顔は矢張り真っ青で、まるで死人のようだった。
思わず抱きしめる手に力を込めつつ、星は言う。

「聖、一体何があったんですか?
……いえ、詮索は後です、とりあえず部屋に戻りましょう」

 その声に、言葉にならない呻き声を漏らしつつ、聖は星の動きに従い自らの部屋を目指す。
朝もまだ早い時間だからか、通る人間は誰一人居ない。
真っ青な聖に肩を貸しつつ星は、一体何があったのか、と考える。
聖がひとりでにここまで体調を悪くした、と言うのは考えられない。
聖は元々体調管理の確りしている方だし、そもそも種族としての魔法使いなので、体も強い方である。
ならば、誰かとのやり取りが原因となるのか。
昨日は確か、聖が気分が悪いと言う事で早めに寝ようとした筈。
その後は権兵衛を歓迎して軽い酒宴を開き、深夜になった辺りでお開きになっただけである。
となると、その酒宴の参加したメンバーの中で怪しいのは……。
そこまで考えて、星は頭を振った。
無闇に人を疑うよりも、聖本人から直接聞けばいい話であるし、聖の体調より重要な話ではない。

 聖の部屋に辿り着き、星は聖を布団に寝かしつけてから、台所と往復して白湯を持って戻った。
上半身を起こした聖に水を飲ませ、少し落ち着いた様子になったのに、ほっと溜息をつく。
持ってきた手ぬぐいで聖の汗をぬぐい、終わった辺りで聖が物欲しそうにしているのを感じ、また一口白湯を飲ませた。
人心地ついた所で、聖が上半身を起こそうとするが、目がまだ輝きを失っている。
星は聖を制し、心配させないようにっこりと笑顔を作った。

「聖、今は何よりもまず体を回復させる事から始めましょう。
何があったのかは、それからで構いません」

 すると、ぽつり、と聖の枕に落ちる水滴。
キラキラと煌く涙が、聖の頬を重力に従い伝っていた。

「あり……がとう、星」
「いえ、当然のことをしたまでですよ」

 と言いつつ、涙を流してまで感謝されると、流石に気恥ずかしい物があり、星は後頭部に手をやり照れ笑いをした。
しかしそれが琴線に触れたのか、びくり、と聖が体を震わせ、横向けに星に背を向け、胎児のように縮こまる。
慌てて取り繕おうとする星だが、突然のことで何も思い浮かばない。
それでも何かしようと言う衝動はあるので、様々に手を動かしつつも、結局何が聖の琴線に触れたのか分からず、何も出来なかった。
次第に聖が泣いて疲れたのか、寝息を立て始めた辺りで、行為の無駄を悟り、星は大人しくなる。

 ぐるりと回りこみ、星は聖の顔を目前にした。
酷い顔だった。
恐らく一睡もしていないのだろう、目の下は酷い隈だし、唇もカサカサになっている。
顔色は青白く、冥界の半死人と見間違うばかりだ。
先ほど星が聖に触れた感触も冷たく、もしかしたら夜通し聖は廊下を歩いていたのかもしれないな、と星は思う。

 さて、とりあえずは聖は寝かしておく事にして、それからどうしようか。
そんな風に星が考え、立ち上がろうとした瞬間、聖の唇が動いた。

「権兵衛……さん……」

 新しく命蓮寺に世話になる事になった、外来人の名である。
それを聞くと同時、星の中で先ほど後回しにした、聖をこんな風にした犯人が居るのでは、と言う考えが再び浮かんだ。
その中で一番怪しいのは、当然だが聖が倒れたその日に命蓮寺に現れた、権兵衛である。
仲間を疑いたくない、と言う一因もあり、益々星の中で権兵衛犯人説が浮上していく。

「決定的な証拠がある訳じゃあないけれど……」

 だが、探ってみるぐらいはすべきではないのか。
あの善人が聖に対し何かしたとは考えづらいが、“名前の亡い程度の能力”同様、聖に自動的に影響するような能力を持っていたのかもしれない。
それでなくとも、どんな善人でも誰の琴線にも触れないと言うのは不可能である。
権兵衛が聖の心を不調にさせた可能性は、無いわけではない。
それでなくとも、まずは皆が部屋に入ってこないよう、聖の不調を知らせるべきだろう。
星は今度こそ立ち上がると、聖の部屋を後にした。
後ろ手に襖を閉め、くるり、と居間の方へ体を向けると同時、星は体を硬直させる。

「あ、おはようございます」

 何故なら、その視線の先にあの七篠権兵衛が立っていたからである。
あまりのタイミングの良さに、思わず星が言葉を失っていると、何を思ったのか、権兵衛は顔を赤くし手を伸ばし、掌をこちらに向けながら俯き気味に口を開いた。

「あ、その、今はただ散歩しているだけで、その、変な事をしている訳じゃあないんです」
「変な事、ですか?」

 思わず星も言葉鋭く追求する。
よもや聖の部屋へ来て、聖を痛めつけようとしたのでは、と、つい思ってしまったのだ。
そんな星に戸惑いつつ、権兵衛は言いづらそうに口を開く。

「そ、その、昨日俺は、出会って最初に、その、見ちゃったじゃないですか」
「何をですか」
「だ、だから、その……」

 これは、怪しい。
何せ、朝散歩をしているだけならば、こんな風に誰かと出会っただけで自分から焦ったりする必要は無いのである。
大体、偶然聖の部屋で出会うと言うのもおかしい。
そう思った星は、追及の手を緩めず、毅然とした声で続けた。

「だから、何ですか」
「ぬ、ぬえさんの、その、下着を……」

 思わず星がつんのめるのを、慌てて権兵衛が肩を持ち支えた。
目眩がするのに、額に手をあて溜息をつきつつ、星は口を開く。

「あぁはい、そうですよね……で?」
「あ、はい、ですので、俺は、断じてそうではないのですが、破廉恥な男と思われているのではないか、と思い。
そしたら、急に何だか朝一人で歩いているのが、その、怪しい事に思えてしまって」
「はぁ、何でですか?」
「その、夜這いと言うか、朝這いをかけようとしているのではないか、と思われてしまうのでは、と」

 星は、呆れ気味の視線を権兵衛にやった。
すると相当恥ずかしいのだろう、今にもその場でしゃがみこんでしまいそうなぐらいに権兵衛は顔を赤くする。
星は大きく溜息を付いた。

「全く、そんな事考えていないのならば、貴方は堂々としていればいいのです。
ただそれだけで何の疑いも持たれないだろうと言うのに、態々自分から疑いを増やして……」
「す、すいませんでした。
ただ、一度そう思ってしまうと、どうしても頭をその事が離れなくて。
そしたら、そんな考えを思いつく俺は本当に破廉恥な男なのではと思ってしまって。
そうすると、どうしても恥ずかしさが拭えなくって……」
「うっ」

 と、思わず星は呻いた。
何せよくよく考えると、権兵衛の言葉には星も覚えがあるのだ。
性的な問題でこそ無かったものの、自分で勝手に勘違いをして、挙動不審になって、自分の立場を悪くするのは、星にとってもよくある事である。
それを無視して権兵衛を咎めようとも思うのだが、生来の実直さから、星にはどうにもそれが出来ない。
そうしていると、権兵衛が首をかしげつつ星に問う。

「どうしたんですか? 星さん」
「ななな、何でもないですよ?」
「はぁ……」

 明らかに納得していない風ではあるが、権兵衛はとりあえず退いた。
おっちょこちょいな所に親近感を覚えつつも、星は話題を切り替えようと口を開く。

「そうだ、昨夜、夕食の後に権兵衛さんは、聖と会いましたか?」
「いえ、会っていませんけれど。
そういえば体調が悪かったそうですが、ご加減は如何なのでしょうかね。
って、まだ寝ているでしょうから分かりませんか」

 そう言ってのける権兵衛の顔には、聖が寝れなかった事など欠片も知らないような色しか無い。
星はそんな権兵衛が嘘を言っていないか、暫し睨みつけて見てみる事にする。
最初は聖の事でも思い返しているのか、上の方に視線をやっていたが、不意に星の視線に気づいたのだろう、星の方へと視線をやる。
視線がぶつかり合った。
最初困惑気に星を見ていた権兵衛であるが、次第に視線を外し顎に手をやって考え事をし、それでも分からなかったのだろう、自分の顔をぺたぺたと触ってから、再び視線を星に戻す。

「その、何か俺の顔についていますか?」
「………………いえ」

 結局何もわからなかった星は、少し不機嫌そうに返した。
すると、権兵衛は困ったような笑顔を作る。

「その、俺に何か不快な事でもあったでしょうか?
もしもそうだとすれば、出来れば改善したいので、教えていただきたいのですが……」

 そう言って見せる権兵衛の顔が本当に悲しそうで、思わず星は慌てて口を開いた。

「い、いえ、その、何でもないのです。
ただ、聖がちょっと調子が悪いようなので、少し過敏になっていただけですので」

 と言うと、権兵衛は真剣な顔をして口元に手をやり、俯き気味に思索を始める。
聖関連の事を思い出しているのだろうか、と期待して見守っていた星であったが、答えは期待を裏切る物だった。

「いえ、申し訳ありませんが、俺は特に聖さんに何かしたと言う事は思い当たりません。
といいますか、夕食の前には星さん達を紹介されたのを最後に会っていませんので、心当たりが無いのです。
全く誰とも出会わず何もしなかったと言う訳ではないのですが、直接会わずに不調を起こさせるような事を考えると、今度は逆に全てが心当たりになってしまって……。
その、こんな答えしか出ませんが、納得いただけたでしょうか?」
「あ、はい、分かりました」

 と言いつつ、内心で星は感心すらしていた。
やっと匿ってもらえた所ですら嫌疑の目で見られたと言うのに、こんなにも聖に対し親身な事を言えるとは、何という善人なのだろうか。
星が内心で権兵衛を容疑から外そうと考えた所で、権兵衛が続けて言う。

「ただ、俺には“名前が亡い程度の能力”と言う前例がありますので……。
何らかの力で聖さんに不調を起こさせてしまったのでは、と言う危惧はあります。
勿論これは、俺が此処を離れる以外に確かめようのない事なのですが」

 と、言われてそうか、と納得し、それなら、と星は手を打った。

「それなら、私に少し手があります。
私の知り合いに閻魔が一人居ますので、浄玻璃の鏡を覗いてもらえば、権兵衛さんの持つ力を把握できる筈です」
「なんと、閻魔様に知り合いがっ!
……って、よく考えたら、星さんは毘沙門天様のお弟子なのですから、不自然でもない話ですよね」

 と一人納得する権兵衛。
そんな権兵衛を見て、ちょっと待て、と星は思う。
浄玻璃の鏡を見ると言う事は、その人の人生全てを見る事に等しいのである。
恐らく閻魔は星に直接浄玻璃の鏡を見る事を許しはしないだろうが、それでも、人生全てを見られると言われて何の動揺もしないのは、一体どういう事だろうか。
星も相応に潔白な人生であったと思っているが、一度は聖を見捨てた事があるなど、後悔している事も多い。
よもや話の内容を理解していないのでは、と訝しげに星は口を開く。

「その、浄玻璃の鏡に写ると言う事は、その生涯が写る事になるのですよ?」
「はい、分かっていますとも。
あぁ、恥ずかしい部分が多くて、それを見られるのは恥ずかしいかなぁ。
あ、そうだ、折角閻魔様に人生を見ていただくのですから、良ければ俺の人生をより良くする為の助言をいただければ、と思うのですが」

 そう言う権兵衛の顔は真に素直な物で、その言語が真っ直ぐな物である事は手に取るよう分かる。
会ったときの会話から星は権兵衛が善人だとは思っていたものの、ここまでとは。
思わず息を飲み、不意に脈打つ心臓の上を、星は抑えた。
汗がじんわりと滲み始める。
興奮が星の底から沸き上がっていた。

 こんなにも、善い人が居るのか!
そう叫びたくなる衝動を抑えるのに、星は全力を尽くした。
ぐっと両手を握り、やや腰だめに踏ん張り、目を閉じ全身に力を入れる。
それでも衝動は体を突き抜けていきそうで、ぶるぶると体が震えた。
衝動の波がピークを過ぎると、やや力を抜いて、星は深く溜息をつく。

 それほどに、星は深く感動していた。
今までの星の生で、大きく感動した事は三つある。
一つは聖と出会った事。
一つは聖の知る妖怪で最も善い妖怪として毘沙門天の弟子となった事。
一つは聖を復活させる事ができた事。
それらに比類できうるほどの、感動であった。
もし自分が聖より先に権兵衛に出会っていれば、権兵衛についていたかもしれない、とすら星は思う。

 そんな感動している星であったが、その様子を首をかしげながら見ている権兵衛に気づき、慌てて姿勢を正した。
こほん、と一つ咳払いを入れ、権兵衛に対し笑みを見せる。

「さて、よくよく考えれば中では聖が寝ている筈ですし、此処で話し込むのは此処までにしましょう。
私はちょっとナズーリンに所用があるので、そちらに行きますね」
「あ、はい」

 と頷く権兵衛に、では失礼、といって星は踵を返す。
歩きながら、星は考えていた。
こんな感動する程の善人である、きっと聖と関係を拗らせたなどと言う事は無いに違いない。
それどころか、きっと聖に権兵衛の善性を紹介しれやれば、きっと感動して仲良くなってくれるだろう。
聖と権兵衛、星の知る最も善い二人が仲良くしているその姿は、正に理想の光景だろう。
そう考え、星はその光景を想像しようとする。
しかし、実際その光景を想像してみると、想像したほど気分のよい光景では無かった。
どうしたのだろう、と内心首をかしげる星。
聖の一番側には私が、と嫉妬でもしているのだろうか、と思うが、それもしっくりこない。
まぁ、何にせよ、とりあえずは閻魔の所に行く事だ。
その間の怪我人である権兵衛の世話などはナズーリンに、聖の世話はムラサ辺りに任せておけばいい話である。
そう考え、星は軽い足取りで部下の所へ向かう。
その背後で、襖が少しだけ開いていた事は、誰も知らないままであった。



 ***



 命蓮寺の皆はとても優しかった。
命蓮寺での初夜、彼女らは俺ごときの為に、簡単な物とは云えども酒宴を開いてくれたのだ。
思わず涙が潤みつつも、俺は酒を浴びるように飲みつつ、体調が悪いと言う聖さんを除いた命蓮寺の面々と夜中まで語り合った。
酒が効かないと言うのに沢山飲みたがるのもどうかと思うが、それは後々の修正課題としようか。
兎も角そんな感じで、俺は厄介者だと言うのに、大いに歓迎された。

 そして夜は明け、習慣で近くの川に顔を洗いに行こうとしてから、自分が見られてはいけない人間なのだと気づき、術を使って作った水を使って洗顔する事となった。
意外に体力を使うので、正直毎朝はしたくない行為ではある。
それからは、中を散歩して星さんと顔を合わせて少々会話し、聖さんの不調を聞いた。
またもや俺の能力が何かしてしまったのではないか、と思うと、やりきれない気分であった。

 俺の、能力。
俺の、気づけば身につけていた、“名前の亡い程度の能力”。
幻想郷に入った時に名前を亡くしたのか、その前から名前が亡かったのか、詳しい事は分からない。
しかし現実として、俺は名前が亡かった。
名前が亡いと言う事はどうだろうか。
神の力の影響を受けず、名前の真空となって神の力を吸い込んでしまう事だけなのだろうか。
何にせよ、憎らしい能力であった。
この力の所為で守矢神社の神々に迷惑をかけ、今ここでも聖さんの迷惑になっているかもしれない、と思うと、今すぐ捨て去ってしまいたい物である。

 が、しかし、よくよく考えると、この能力は害ばかりでなく益もあったのかもしれない、と思う。
それはまず、一つの謎について考えてみなければならない。
それは、俺が月の魔法を会得できる程穢れが少ない事である。
穢れとは、ありとあらゆる物を変化させる力なのだと言う。
ならばそれが少なかったのは、俺が名前を亡くしてして穢れがリセットされたからなのではないか。
そう考えると、俺が力を得て、恩返しの為の一歩を歩み出し、また何より輝夜先生と仲良くなれたのは、能力のお陰なのではないか。
また、そもそもこの能力が無ければ、俺は幻想郷を出て外の世界へ行く事ができ、この幻想郷で過ごす事も無かったのではないか。

 そう考えると、嫌とも良いとも言えない妙な気分になる。
まぁ、言ってみれば俺の一部分たる能力なのだ、良く感じる部分と嫌と感じる部分があって当然なのかもしれない。
そう考え、何もする事は無いので、一応怪我人である俺は一人与えられた部屋にて寝転んでいた。
と言っても宴会を勧められる程度の怪我でしかなく、眠気もそれほどなかったので、天井を見ながらふつふつと考え事をするばかりの時間である。
有り体に言えば、退屈だった。

「っと、失礼するよ」

 そんな折である。
高めの透き通ったような声がして、襖を開く音。
見れば灰色の髪の毛を隙間から覗かせ、ナズーリンさんが部屋に入ってくる所だった。
どうしたものか、と内心首をかしげつつ見ていると、とことこと歩いてこちらに近づいてくる。
布団の前で止まると、す、と整った仕草で腰を下ろした。

「ちょっとご主人様に、君の様子を見ているよう伝えられてね。
まぁ、なんせ君は今命蓮寺の抱える爆弾のようなものだ。
放置して爆発しちゃいましたなんて事になっちゃあ、不味いなんてもんじゃあないからね」
「うっ、はい……」

 確かに俺は、里人に見つかった瞬間命蓮寺を破滅させる、最悪の爆弾である。
昨日は最悪の事態を回避する為寺の構造を見て回ったが、これからはそれすらもできず、食事時以外はほぼ此処に篭りきりになるだろう。
しかしそう考えると、話し相手としてナズーリンさんが居るのはありがたい事だ。
なのでまず、ナズーリンさんへ向かって、軽く両手を合わせて拝んでおく。
怪訝な顔でナズーリンさんは言った。

「何やってんだい? 君は」
「ああ、いえ、爆弾も一人で居るより話し相手の居る方が嬉しいらしくてですね」
「ああ、そうかい……」

 何故か遠い目をして何処かを見やるナズーリンさんだったが、すぐに意識を持ち直す。

「とりあえず聞いておくけれど、怪我の方は大丈夫かい?」
「はい、火傷と全身の傷はほぼ完治、右腕の腫れも大分引いてきて、右足の傷はあと数日かかるぐらいでしょうか」
「ふむ、然程問題無いと言う事か」

 うむうむ、と頷きつつ呟くナズーリンさん。
何故か、その瞳が光を反射しキラリと輝いた気がする。
ニヤリ、と言う擬音が似合うような笑みを、ナズーリンさんは浮かべた。

「昨夜はかなり飲んでいたようだけど、大丈夫かい?」
「あぁ、俺の“名前が亡い程度の能力”は酒の力を消す効力もありますので、酒精に酔いはしません。
ならなんで飲むのかと言うと、矢張り雰囲気からと言う事なのですが」
「成程、雰囲気には酔うんだね」

 頷きつつ、ナズーリンが口を開く。

「で、つまり一人酔ってなかった権兵衛さん。
皆顔を赤くし酒も回って顔も赤く、汗もじんわりかいて、ちょっと服なんかはだけちゃって。
実の所、どうだったかい?
誰が一番好みだった?」

 と、演技過剰っぽい言い方からか、思わず俺は昨夜の宴会を思い出す。
確かに皆自分の手で自分の顔を扇いだり、服を引っ張って胸元に風を送り込んだりと、目に毒な状態であった。
俺は必死で天井に視線をやっていたのだが、話を振られてしまえば答えない訳にもいかず、服の隙間からはだける肌を目に入れてしまう事もあった。
必死で頭の中からその光景を追いだそうとするが、中々それもできない。
自然、赤面して蹲りたくなるが、布団の中では逃げる場所も無かった。
このまま待っていれば話が流れるんじゃあないか、と期待を込めてナズーリンさんにちらちら視線をやるが、その気は無いらしく、ニヤニヤと笑っているばかりである。
観念して、口を開く俺。

「そ、その、目に毒と言いますか、何というか。
えぇと、華のある光景でした」
「で、誰が良かった?」

 ダメ押しであった。
思わず脳裏を昨日の光景が走ってゆく。
ワンピースのリボンを緩めボタンを幾つか開け、風を送り込むぬえさん。
緩やかな袖を肩まで捲り、そこから汗が浮く脇やら下着やらがちらちらと覗く星さん。
服を持ち上げてパタパタと風を送り込み、へその辺りまで腰が見えていたムラサさん。
唯一ナズーリンさんだけは冷静で、そんな皆をくすくす笑いながら肴にしていて。
だからか、自然と彼女の名前が口を衝いて出た。

「な、ナズーリンさんです」
「……へ?」

 思わず、といった風に目を丸くするナズーリンさん。
俺も何となく口から出てしまった言葉なのだが、本人が目の前に居るのに言うとは馬鹿なのだろうか。
そうは言っても取り返しがつく筈もなく、理由を続けて口にする。

「そ、その、えぇと、皆から一歩引いている感じが知的で、その、魅力的だったので」
「そ、そうかい?」

 流石にナズーリンさんも顔を赤くして、ぽりぽりと頬をかきつつ俺から視線を逸らす。
実際、他の女性も負けないぐらい魅力的だったのだが、矢張り頼れる女性には何となく惹かれる要素がある。
それは多分、俺自身の頼りなさに反比例しているのだろうと思うが。
何にせよ、何とも言い難い空気であった。
ナズーリンさんは照れて明後日の方向を見ていて、俺は顔を真っ赤にしたまま、さりとて折角話し相手になってくれているナズーリンさんから顔を背ける非行もできず、天井を見つめるばかりである。
とまぁ、そんな事をしているうちに、かたり、と襖が少し揺れ動いた。
何事か、とそちらへ視線をやろうとすると同時にナズーリンさんが口を開いたので、視線をそちらに戻す。

「まぁ、それは置いておくとして。
そうだね、命蓮寺の皆には慣れたかい?」
「えぇ、皆さんに優しくしていただいて、感謝の極みです」

 と言うと、ナズーリンは再びチェシャ猫の笑みを浮かべる。
ねずみなのに猫の笑みとは如何に、とか的外れな事を思っていると、始めは唇に指をやり、それから大きく手を広げるような仕草で、ナズーリンさんが言った。

「おや、皆に優しくしてもらっているのかい?
この寺には私のねずみも住んでいるんだが、彼らにも何か優しくされたのかな?」
「あ、いえ、そういう訳では無いんですが……」

 と言いつつ、俺は恥ずかしさのあまり赤面する。
そう、俺は幾度かナズーリンさんのねずみについて聞き知っていながらも、彼らが寺の住人である事を忘れていたのである。
大恩ある命蓮寺に対し、なんと失礼な事か。
後悔の念が体中から湧いてくる。

「その、すいません、失念しておりました。
本当に申し訳ありません、よりによって、ねずみさん達の長であるナズーリンさんの前で」
「うむ。 それなら君は謝罪せねばなるまい」

 腕を組みながら頷き、それからぴん、と指を一本立てるナズーリンさん。
それから彼女はニヤニヤと笑いながら、面白そうに口を開いた。

「所で私のねずみだが、よく捜し物を持ってきてもらうのだけれど、食べ物だけは持ってきてもらえなくてね。
何故かって言うと、私のねずみは食欲旺盛で、手元に来るまでに食い荒らされてしまうんだ。
で、どんな食べ物が好きかって言うと、チーズなんて言う赤色の薄い物じゃあなく、人間の肉が大好物なのさ」

 がつん、と頭を殴られるような衝撃が走った。
ニヤニヤ笑いのナズーリンさんの笑みは、気づいてみれば何処か酷薄な様子が漂っており、俺への害意とも取れる感覚がある。
命蓮寺へ来て今度は俺の味方ばかりなので安心だ、と思っていた所なので、強烈にダメージがあった。
いや、しかし、逆説、俺はそこまでの事をしてしまったのかもしれない。
無視されると言うのは非常に辛い事である。
しかも、俺もよく里人に無視をされており、その辛さはよく分かっている。
その俺が無視をしてしまうとは、何とも無礼な事だろうか。
あまりの罪悪感に、俺は目眩すら感じた。
ぐらりと地面が傾くような感覚があるが、既に寝転がっているので、最小限で済む。
ナズーリンさんの方を見据え、震える声で口を開いた。

「なんて、じょうだ……」
「では、俺の、足を捧げましょう」
「って、何だって!?」

 断腸の思いで告げると、何故か驚くナズーリンさん。
予想していた答えとは違ったのだろうか、と内心首をかしげつつ、続ける。

「右手や頭、胴体は、どうにか勘弁願います。
どうしても日々の作業を行うのに、これらは必要なのです。
ただ足だけは魔力を使って浮いていれば済みますので、こちらで構わないのならば、捧げましょうとも」
「………………」

 何故か天を仰ぎ、眉間を揉み解すナズーリンさん。
俺はというと、これから起きるだろう痛みや喪失感を想像し、そのあまりの残酷さに、震えが止まらなかった。
涙さえ潤んでいたのだと思う。
それでもこの場で謝罪なしでなぁなぁで済まそうとは思わず、俺は辛うじて卑劣さを免れる事が出来ていた。
そんな俺に、ナズーリンさんは溜息を一つ、それから俺の目を見据え、口を開こうとする。

「悪かったよ、じょうだ……」
「何を言っているのですか、ナズーリンっ!?」

 ずざぁっ! と大きな音を立て、勢い良く襖が開く。
何事かと目をやれば、具合が悪い筈の聖さんが、怒り心頭と言う雰囲気で立ち尽くしていた。
荒く肩を上下させつつ、ずんずんとナズーリンさんに近づいてくる聖さん。

「確かに権兵衛さんが貴方のねずみを失念していたのは悪行でしょう。
ですがそれは、足を喰われる程の物だと言うのですか、ナズーリンっ!」
「いや、そのだね、これはちょっとした冗談のつもりで……」
「冗談……冗談! それにしては悪質に過ぎますよっ!」

 唾を吐き散らしながら叫ぶ聖さんは、確かに体調が悪いのだろう、目の下には隈があり、顔色も悪い。
それも相まって、怒るその姿は鬼のような形相であった。
対しナズーリンさんは、後ろめた気に視線をそらしつつ言う。

「その、本当に悪かったと思っているよ、こんな返事が来るとは思わなくて」
「なら、貴方はどんな返事を期待していたと言うのですか?」
「困って、兎に角謝るような返事さ。
それ以上なんて、私は期待してなかったんだよ。
聖だって、同じ状況だったら兎に角謝るだろう?」

 その返事の何がいけなかったのだろうか。
ず、と聖さんの背後の空気が、爆発寸前まで膨れ上がる。
ひ、と小さく悲鳴を上げてナズーリンさんが蹲るのと、俺が布団から飛び出すのとは、ほとんど同時であった。

 ばちぃんっ! と。
俺の頬を、頭ごと吹っ飛ばしそうな勢いで、聖さんの平手打ちが襲った。
一瞬飛びそうになる意識を何とか掴みつつ、辛うじてその場に立ち止まる。
視線を聖さんに戻すと、愕然とした顔で聖さんは呟いた。

「権兵衛……さん……?」

 ふらり、と倒れそうになる聖さん。
それに何とか抱きつく事に成功し、持ち上げ、膝枕のような形で聖さんを横たわらせる。
視線でナズーリンさんに一旦外に出るよう促すと、視界の端でナズーリンさんが部屋を出て行くのが見えた。
襖の閉まる音と同時、俺は再び意識を聖さんに集中させる。

「大丈夫ですか? 冷静になってください、聖さん。
ナズーリンさんは確かに度を超えた冗談を言ってしまったかもしれません。
でも、彼女は理知的な人です。
殴るまでしなくとも、分かってくれたのではないでしょうか」

 聖さんの頭を撫でながら言うと、びくん、と小さく反応があった。
それから聖さんは、俺の服を片手で掴み、小さく零すように呟く。

「はい、そうです、ごめんなさい……」
「はい。 では、どうしてあんなに怒ってしまったのか、できれば教えていただけるでしょうか。
俺如きでも、話を聞くぐらいはできますし、話すだけでも心の中は案外スッキリするものです。
もし分からなければ、そう答えていただくだけで構いませんとも。
どうでしょうか?」

 なるべく優しげな笑みを心がけつつ言うと、びくり、と大きく震えた後、聖さんの体の震えは収まった。
代わりに小さく、本当に小さく、聖さんは口を開く。

「聞いて、くれますでしょうか」

 それはさながら神に懺悔するかのような、愁傷な口調で。
だから俺は、問題なく聖さんが話せるように、満面の笑みでこう答えた。

「はい、勿論ですとも」



 ***



 聖白蓮は、弟に伝説の僧侶を持っていた。
弟は伝説と言うだけあって優れた僧侶で、様々な妖怪を退治したり、寺の行事などを良く済ませていた。
そんな弟に憧れる物があり、聖は年老いてから弟に法力を学んだ。
弟の命連の法力が詰まった飛倉に過ごしていたからか、聖はすぐに法力を身につけ、一定の位階に立つ事になった。
弟と共に妖怪退治もし、また寺の行事に従事もした。
その頃の事は聖はもう朧げになってあまり覚えていないが、楽しかったのだ、と言う事だけはまだ覚えている。

 そんな日々は、弟の死と共に終焉を迎えた。
嘆き悲しんだ聖は、そのうちに死を極端に恐れる事になる。
あの弟でさえも醜く老いて死んだのに、自分であれば如何ほど醜い死を遂げる事か。
そう考えた聖は、妖術、魔術の類に手を出し、若返りの術を会得し、寿命を克服した。

 寿命を克服した聖は、次にその力が失われるのを恐れた。
何せ捨食の魔法などは妖術の類、この世から妖怪が消えてしまえば、その力はただの幻想と化し無くなってしまうのである。
よって聖は、表では妖怪退治を請け負いながらも、裏では密かに妖怪を助けるようになった。
そうするうちに、聖は妖怪達の過去があまりに不憫な事を知るようになる。
聖は同情を寄せ、最初は私欲からだった妖怪助けを、妖怪達の為にやるようになったのだ。
星やムラサ、一輪に雲山などはその決意をしてから助けた妖怪達である。

 そうやっていくうちに聖が妖怪を助けていた事がばれ、人間達に封印されてしまうのだが、問題はそこではない。
聖は、最初私欲から妖怪達を助けてきたのである。
己が死にたくない、と言う利己的な理由から、妖怪達を平等に見るようになったのである。
しかも、自己を理解されず千年の封印を受けた事から、若干人間への心象は悪いままだ。
対し権兵衛はどうか。
一切の過去を失い、名前すらも亡くして、人間には蔑まれ、それでも彼は人間も妖怪も平等に扱っている。
決定的な違いであった。
聖は私欲から始まった完全な純白の意思では無いのに対し、権兵衛は純白の思想を持つ人間なのだ。

 加えてムラサを助けたこと、ムラサもまた聖より権兵衛を選んだ事を知り、劣等感に聖の心は歪み始めた。
朝の星との会話を盗み聞きしたのも、星は単に権兵衛に感心していただけなのに、星すら自分より権兵衛を取るのでは、とさえ思ってしまったのである。
最早聖の精神には、余裕が残されていなかった。
故に唯一の救いである、権兵衛に自分と同じ私心ある部分があって聖と同等以下であると言う証拠を見つけようと、聖は権兵衛を監視し続ける事にしたのだ。
看病に来たムラサは、流石に昨夜の事から気まずいのか、ぬえに仕事を頼むと消え、一人であったのも好都合だった。

 しかし、その思惑もまた外れる事になる。
権兵衛の言葉は一つ一つが善に満ちた言葉のように聞こえた。
権兵衛には性欲などが多少なりともあると言える言葉もあったのだが、聖の余裕の無い心には届かなかった。
そんな中で、ナズーリンの台詞に権兵衛の返しである。
権兵衛の善性が際立つばかりか、ナズーリンは命蓮寺の配下である、このままではただでさえ権兵衛に勝てない聖の聖人性まで更に低く見られてしまうかもしれない。
そう思うと聖は最早居ても立ってもいられず、部屋の中に怒鳴りこんだのだった。

「……でも。
落ち着いて考えてみれば、それも私の利己心を際立てるばかりでした。
ふふ、ナズーリンに後で謝らなくちゃいけませんね」

 権兵衛に膝枕されたまま、聖は脱力し、全てを権兵衛に任せたまま、静かに泣きながら、己の事を話していた。
最早聖は、なげやりで全てがどうでもいいような気にさえなっていた。
全てが終わった、そんな感覚があり、既に何をしても取り返しのつかないほど、権兵衛との差が開いてしまったのだと。
虚ろな聖の笑みを見て、権兵衛が数瞬、難しそうな顔を作る。
暫しの沈黙の後、戸惑いつつ権兵衛は口を開いた。

「俺に、聖さんの言う聖人性があるかどうかは置いておいて。
聖さん、貴方に善性が無いなんて、俺は全く思っていませんよ?」
「くす、自分の命惜しさに妖怪を助けてきた、私のような醜い女に?」

 自虐的に笑いながら、聖は言う。
そう、最早聖は、自分が善性の存在であるとすら信じられていなかった。
最初の意思さえ違えば、全ての行為は意味を変える。
聖には自分のしてきた事が、全て醜悪な行為であったかのようにすら思えてきている。

「いいんですよ、権兵衛さん、私がしてきた事は、中途半端で意味のない行為だった。
ムラサだって、本当は何時でも気にかけていなければならないのに、私は彼女から舟を奪ってしまった。
そして権兵衛さんによってより良い舟が渡され、ムラサはより善く救われた。
私のしてきた事は、権兵衛さん、貴方がしていれば、全てもっと良い結果が出た事ばかりなんですよ」

 内心の淀みを話すごとに、聖は自分が埋まっていくような感覚を覚えた。
実際は権兵衛の膝に頭を、畳に体を横たえているのに、まるで全身が底なし沼に落ちていくような感覚があるのだ。
聖はそれでもいいかもしれない、と思う。
こうやって自分が消え去り、代わりに権兵衛が命蓮寺の住職になれば、全てが救われるのだ。
頭の中で聖の代わりに権兵衛が立つ、命蓮寺の面々の姿を思い浮かべる。
普通なら違和感のあるだろうその光景は、聖にはより自然で清らかな光景にすら思えた。
そんな聖に、権兵衛は暫く目を瞑っていたかと思うと、不意に目を開き、優しげな笑みを浮かべる。

「聖さん」

 と言う権兵衛の言葉には不思議な引力があった。
最早このまま消えてしまうのでは、とさえ思っていた聖の意識が、一気に引き上げられる。
まるで権兵衛に吸引されているかのような勢いに、頭の中の霧が少し覚め、聖は目を瞬いた。
権兵衛が、言う。

「確かに、もしかしたら聖さんのやってきた救いを、俺がやっていたのなら、より良い結果になる可能性がある事は否定しません」

 ずん、と重くのしかかる一言であった。
体が悲鳴をあげ、ぴくん、と聖の全身が跳ねるように痙攣する。
震えが止まらなかった。
まるで真実そのもののような響きの声に、聖は両耳を今すぐ塞ぎたい衝動に駆られる。
しかしそれが実現するより早く、権兵衛の口が音を発した。

「でも」

 権兵衛が目を細め、まるで眩しい物を見るかのような顔をする。

「でも、ですよ、聖さん」

 権兵衛の持つ引力が、自然とその言語へ耳を傾けさせる。

「現実として、貴方が妖怪達を救ってきた時――、俺は生まれてさえいませんでした。
そう、俺が貴方の代わりを成し遂げる事など、不可能なのです。
何より、聖さん、貴方が何を考えて行なってきたとしても、貴方のしてきた善行は、変わらぬ事なのです。
それに、例えそれ以上に善い選択肢を選べる可能性があったとしても、実際に選択し実行してきたのは、聖さんなのです。
どうぞ、思い浮かべてください。
貴方の救ってきた妖怪達は、どんな顔をしていましたか?」

 あ、と、聖は呟いた。
涙が勢いを増すと同時、聖の脳裏に救ってきた妖怪達の笑顔が蘇る。

「……笑顔、でした」
「その笑顔は、嘘だったのですか?」
「……いえ、違います」

 呆然と呟く聖に、笑みを深くして権兵衛が続けた。

「ならばその笑顔は、確かにあるものなのです。
貴方の善行を、証明するものなのです」
「私の、善行……」

 呆然と呟く聖の頭の中には、今まで救ってきた妖怪達の姿が写っていた。
誰もが聖の手助けで、笑顔になっていた。
満面の笑みだった妖怪も居る、微笑んでくれた妖怪も居る、泣き笑いだった妖怪も居る。
それら全てが、聖の善行を示す物なのだ。
権兵衛がムラサを救うのを見るまで、聖の中で当たり前だったその事実が、再構築された。
感動に、聖は嗚咽を漏らし始める。
自分のしてきた事すら曖昧になっていた聖に、権兵衛の言葉は救いだった。
権兵衛と言う存在に全てを見失っていた聖は、今再び自分を取り戻したのだ。

「ありがとう、ござい、ます……」

 権兵衛は何も言わず、横たわる聖の頭を撫でるばかりだった。
感極まった聖は、体を突き動かす衝動に駆られて、思わず権兵衛に抱きつく。
権兵衛の腹を涙で濡らしながら、思い切り抱きしめる。
意外と硬い権兵衛の腹の感触が、聖の頬へと返っていった。

 なんと容易く、私は救われたのだろうか。
聖はあまりに簡単に自分が救われた事にも感動していた。
それは正に昨日の焼き直しで、ムラサを救った権兵衛に対して抱いたのと同じようだった。
ただ違うのは、聖の持つ感情である。
それは最早劣等感ではない。
信仰であった。
権兵衛が絶対的に自分より優れていると認める、懐深き心であった。

 この人は、きっと私などよりずっと素晴らしい存在になれる。
それは聖の中で最早、確定した真実と化していた。
自分は今まで命蓮寺の住職を勤めてきたし、それに見合う力がある。
だとすれば権兵衛は、命蓮寺に収まらず、もっと大きな場所を収めるだけの精神があるのだ。
それはもしかしたら、幻想郷中を覆うような、素晴らしい信仰を。

 今では聖には、妬み恨みの気持ちは既に無くなっていた。
代わりに、権兵衛を幻想郷を纏める最大の長としてみせよう、と言う決意だけが聖の体を満たす。
それには長い道のりが必要だろう。
一癖も二癖もある幻想郷の住人達に権兵衛の素晴らしさを分かってもらわねばならないし、そもそも人里では権兵衛は邪悪な妖怪と言う事になっている。
それら悪評を全て解消し、権兵衛を信望させるのは、果てしない道であろう。
しかし、聖の全身を満たす使命感が、それを戸惑わせなかった。

「権兵衛、さん……」

 静かに涙を流しつつ、聖は権兵衛の腹に、まるで恩寵を授かるかのように粛々と、顔をこすりつけた。
寝ていたからだろう、着物越しに少しだけ権兵衛の汗の匂いがする。
それを鼻孔から吸込み、聖は自身の肺を満たした。
それがあまりに魅力的で、聖はそのまま権兵衛の着物の中へと入り込みたくなったが、辛うじて自重する。

 この人を、幻想郷の頂点としよう。
その決意と同時、聖はそのご褒美として、権兵衛に触れる事を望んでいた。
今までの聖であれば、もっと自律的でそんな願いは切り捨てていただろうが、権兵衛に認めてもらったと言う事実から、聖は少しだけ我儘を覚えたのだ。
権兵衛の腰に回す手を、服を掴むのではなく、掌を押し付けるように触れ方を変える。
少し頭ごと体の位置をずらし、大きな乳房を権兵衛の腹に当てる。
柔らかいそれは形を変え、権兵衛の腹に沿うようになった。

 聖は権兵衛に触れる場所から、燃え盛るような熱を感じる。
この炎を活力に、これから権兵衛の事を幻想郷中に知らしめよう。
だけどその前に、少しだけ、もう少しだけ権兵衛の熱を感じていたい。
そう思い、聖は権兵衛に甘えるように抱きつき、暫しの時間を過ごす。
その光景は、聖を探していたぬえが権兵衛の部屋に来てみるまで、ずっとずっと、続くのであった。




あとがき
聖がちょっと豆腐メンタル過ぎるかとは思いましたが、こんな感じになりました。


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