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No.21873の一覧
[0] 【完結】【R-15】ルナティック幻想入り(東方 オリ主)[アルパカ度数38%](2014/02/01 01:06)
[1] 人里1[アルパカ度数38%](2011/06/21 19:52)
[2] 白玉楼1[アルパカ度数38%](2010/09/19 22:03)
[3] 白玉楼2[アルパカ度数38%](2010/10/03 17:56)
[4] 永遠亭1[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:48)
[5] 永遠亭2[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:48)
[6] 永遠亭3[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:47)
[7] 閑話1[アルパカ度数38%](2010/11/22 01:33)
[8] 太陽の畑1[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:46)
[9] 太陽の畑2[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:45)
[10] 博麗神社1[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:44)
[11] 博麗神社2[アルパカ度数38%](2011/02/13 23:12)
[12] 博麗神社3[アルパカ度数38%](2011/02/13 22:43)
[13] 宴会1[アルパカ度数38%](2011/03/01 00:24)
[14] 宴会2[アルパカ度数38%](2011/03/15 22:43)
[15] 宴会3[アルパカ度数38%](2011/04/03 18:20)
[16] 取材[アルパカ度数38%](2011/04/11 00:14)
[17] 魔法の森[アルパカ度数38%](2011/04/24 20:16)
[18] 閑話2[アルパカ度数38%](2011/05/26 20:16)
[19] 守矢神社1[アルパカ度数38%](2011/09/03 19:45)
[20] 守矢神社2[アルパカ度数38%](2011/06/04 20:07)
[21] 守矢神社3[アルパカ度数38%](2011/06/21 19:59)
[22] 人里2[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:09)
[23] 命蓮寺1[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:10)
[24] 命蓮寺2[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:12)
[25] 命蓮寺3[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:14)
[26] 閑話3[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:14)
[27] 地底[アルパカ度数38%](2011/09/03 20:15)
[28] 地霊殿1[アルパカ度数38%](2011/09/13 19:52)
[29] 地霊殿2[アルパカ度数38%](2011/09/21 19:22)
[30] 地霊殿3[アルパカ度数38%](2011/10/02 19:42)
[31] 博麗神社4[アルパカ度数38%](2011/10/06 19:32)
[32] 幻想郷[アルパカ度数38%](2011/10/08 23:28)
[33] あとがき[アルパカ度数38%](2011/10/06 19:36)
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[21873] 魔法の森
Name: アルパカ度数38%◆2d8181b0 ID:099e8620 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/04/24 20:16


 アリス・マーガトロイドは孤独だった。
本人は全く気にしていないのだが、兎に角彼女は孤独だった。
なんと言っても興味が魔法にしかないし、他人との付き合いだって薄い。
自分より強い者には兎に角会わないように気をつけ、会っても目をつけられないよう必死である。
対し自分より弱い者には、わざわざ力量を合わせて戦ってやったりと、何処か突き放した態度を取っている。
唯一普段まともに人間関係を持つのは、同じ魔法使いの魔理沙やパチュリーとだけ。
それに魔理沙とは同じ収集癖を持つ者同士嫌いあっているし、他に誰もいないから異変の時に誘っているだけ。
パチュリーとは魔道書を交換したり魔法に関する話をするだけで、要するにパチュリー個人に興味があるのではなく、魔法に興味があるだけなのだ。
そんな風に、アリスは常に孤独だった。

 今日もアリスは、一人で黙々と魔法の研究をしている。
香霖堂から手に入った魔道書の類と思わしき分厚い本を捲り、その文字に目を通してゆく。
時たま何か思いついたと思うとメモを取ったり、少し人形を動かして試してみたり、紅茶が無くなったら人形を使って淹れたり、それぐらいの動きしか無いまま数時間が過ぎた。
最近は巨大人形を作ったりと新しい試みにも手を出しているアリスだが、新しい試みには新しい発想が必要である。
新しさといえばどうしたって幻想郷より外の世界の方が新しく、そして外の世界の物と言えば、香霖堂で手に入るガラクタであった。
その中でそれらしい物を選んで読んでみたのだが、無駄骨だったようである。
内心溜息をつきながら、アリスがふと視線を窓の外にやると、雲行きが怪しい。
数時間前は日差しが強く、魔法の森にしては乾燥した空気だったので人形を陰干ししていたのだが、これは片付けねばなるまいか。
そう思ってアリスは本を片付け、外に出る。
本を読み始める前のカラッとした空気は何処へやら、外に出るや否や、ぽつ、とアリスの元へと、一粒の雨がこぼれ落ちてきた。
これは急いで人形を取り込まねばなるまい。
そう考え、操った人形に他の人形を持たせ、とっとこと家の中に入らせているうちに、雨は次第にぽつぽつと落ち始めてくるが、人形の大凡は殆ど濡れずに家の中に入った。
何とか間に合ったか、と内心安堵の溜息をつきながら、ふと視線を感じてアリスが振り向くと、そこには人間の男が居た。
目があってしまい、思わず、お互い妙な顔を作る。
奇妙な沈黙が流れた。
口火を切ろうと、アリスが口を開こうとする。

「「えっと」」

 しかし声は、互いに輪唱してしまった。
またもやお互い遠慮してしまい、相手から言うのを待とうと言う気配となる。
なんなのだろうか、この人間は、と、アリスは内心呟いた。
まず魔法の森に人間が迷いこむ、と言うのも珍しい話である。
結界を張るなりしなければ森の瘴気にやられて体を壊してしまうので、大体入ってしまった人間は反射的にこれはまずいと、逃げ始めるのだ。
なので中で迷ってしまう可能性は然程高くなく、かと言って迷ってしまったなら瘴気に体力を奪われ、奥地にあるアリスの家まで辿りつける者は少ない。
そうやって来れるにしても、間違いなく体調を崩している筈である。
だのにこの男とくれば、肌の色艶は悪くないし、唇も赤味を失っておらず、息も切れていない。
一体何なのだろうか、と、もう一度内心で呟くと同時、雨も強まってきたので、もう一度アリスは口を開く。

「「その」」

 またしても、声は輪唱してしまった。
こうまで来ると、なんだか笑いがこみ上げてきて、アリスはくすり、と笑ってしまう。
まるで示し合わせて同じタイミングで声を上げたかのようで、なんだか滑稽で面白かったのである。
対して男は顔を赤くして俯いており、今度こそ暫く口を開く様子は無い。
それを確認してから、アリスは続けて口を開く。

「とりあえず、雨脚も強まってきた所だし、家に入って話さないかしら?」
「は、はい。その、よろしいんですか?」

 と、遠慮がちに言う男に、アリスは肩をすくめた。

「森で迷った人間を一晩泊める事ぐらい、よくある事よ。雨宿りぐらいどうって事ないわ」

 とまぁ、そんな訳で、男はアリスの家に雨宿りする次第になったのであった。



 ***



 男は七篠権兵衛と名乗った。
奇妙な名であるが、幻想入りする際に記憶を失った外来人らしく、自分でそうつけたのだそうだ。
その辺りはどうでもいいが、その後なんでこんな所に居たのか聞いてみた所、アリスにとって興味深い話が聞けた。
何でも権兵衛は、月に関する魔法を扱う、魔法使い見習いらしい。
しかも師匠は、あの蓬莱山輝夜なのだと言う。
なんとも師匠役の似合わなさそうな輝夜であるのだが、それでも結構権兵衛にとっては良い師らしく、現在ではそこそこ魔法が使えるようになっているらしい。
具体的に言うと、魔法の森の素材を扱って、魔法を作る段階に入るぐらいに、である。
そう、権兵衛は魔法の森に、魔法の素材集めに来ていたのだった。
当然魔法を使えるのだから結界を張って森の瘴気は遮断しており、それで体調も悪そうに見えなかったのか、と、アリスは一人納得した。
そして暫く聞き手に徹していたアリスは、口を開く。

「そうね。色々聞いてみたい事はあるけど、まずは一つ、教えましょう。
貴方の師匠はどうしてか教えていないみたいだけど、貴方の使う魔法は、厳密に言えば魔法じゃないのよ」
「へ?」

 思わず、と言った権兵衛が目を見開くのを眺めながら、アリスは紅茶を一口喉を潤す。
折角雨宿りさせてもらっているのだから、と茶を淹れるのを買ってでた権兵衛の淹れた物であるが、何処か透明な感じの味がし、心地良い味であった。

「私たち魔法使いの言う魔法と言うのは、かつて月人が古代に使っていた力の、コピーなのよ。
そして貴方の使っている自称魔法も同じ古代の力をルーツに持っているんだけれど、魔法がこの大地で発展していったのに対し、貴方の自称魔法は月で発展していった物。
つまり、元となる部分が同じだからある程度共通点はあるけれど、基本的には別物って事」
「そうなんですか。
そういえば輝夜先生も、この力を一言で魔法と呼んだ事は無かった気がします」
「そう、つまり、ね」

 言って、アリスは紅茶のカップを置き、ぐっと身を乗り出す。
そのあまりの勢いに、サイドテーブルの対面に座っている権兵衛は、思わず腰が引けたようであった。

「貴方の使う魔法は、私たち魔法使いにとってとても興味深い物だと言う事なのよ。
ねぇ、折角雨宿りさせてあげているんだし、それに雨だって暫く止みそうにないわ。
見せてくれないかしら、貴方の魔法」
「は、はい、勿論」

 言質を取り、アリスはにこやかな笑みを見せた。
その人形のような美貌と相まって、その笑顔はこの世の物とは思えぬほど美しく、権兵衛は暫くそれに見とれてしまう。
そんな事をしているうちに、アリスは乗り出した身を戻し、さぁやってみて、と言わんばかりに腕を組み、権兵衛を見やった。
対する権兵衛も、それにこほん、と一つ咳払いをし、ぴん、と人差し指を立てる。

「まず、これが基本の月弾幕の作り方です」

 言って、権兵衛は指先に月の魔力を集め始める。
何度も反復したからか、殆ど時間をかけずに月の魔力が集まり、黄色い真円の月弾幕を形成した。
普通に言う月とは、天蓋に写った偽の月の事を言う。
本来の月である裏側の月は、地上の民から身を隠すため、常に偽の月で本来の月を覆っているのである。
普通に言う月の魔力とは、十分に強力な物であるが、それでも偽の月から漏れ出る魔力に過ぎない。
対し権兵衛の扱う月の魔力は、本来の月から引き出された物で、権兵衛の引き出せる僅かな量でも、凄まじい質を誇るのだ。
事実、アリスはその魔力の余りの純度に、目を見開いていた。
量こそは鼻で笑える程度であるが、質は、何時しかの永夜異変の時、輝夜の背後に感じた太古の満月にすら劣らない。

 アリスが呆然としているうちに、権兵衛は月の魔力を使って様々な事をしてみせた。
まずは軽く浮いてみたり、様々な種類の弾幕を作ってみたり、色々な結界を張ってみたり。
一通りできる事を権兵衛がやりおえてみせる頃には、アリスも自身を取り戻していた。
ただし興奮はより強くなっていて、頬が上気しているのが自分でも分かるぐらいだった。

「どう、でしたか?」

 反応が無いのが気になるのだろう、不安気に聞いてくる権兵衛に、アリスはにこやかな笑みを意識して作る。

「素晴らしかったわ。
まだ魔法歴二ヶ月にも満たないんだっけ?
それにしてはどの魔法も素晴らしい練度だったし、なによりその魔力の質は凄いわ。
ねぇ、そこで権兵衛、相談なんだけど」

 一端区切り、アリスは権兵衛を見つめる。
時折臆病な面を覗かせる事もあるアリスだったが、事魔法に関しては何時も強気で、今回もその通りに強い視線であった。
思わず腰が引けている権兵衛に、にっこりと、ただし迫力のある笑みでアリスが迫る。

「ちょっと貴方の魔力を使って、人形を動かしてみていいかしら?
狂気の元と言われる月の魔力を使って人形を動かしてみるのを、試してみたいの。
私ね、自分の意思を持った人形を作るのが目標なんだけど……、狂気って、やっぱり意思が無いとできないじゃない?
勿論私は貴方のように穢れの無い存在ではないから、同じアプローチは出来ないんだけど、参考にしたいの。
ねぇ、いいかしら?」

 ダメ押しに、両手を合わせ、いいかしら? と言うのと同時、こてん、と首ごと傾げる。
すると権兵衛も弱ったようで、暫く助けを求めるように視線を室内で彷徨わせていたが、何処に視線を向けてもアリスの作った人形としか目が合わない事を悟り、溜息をついてから言った。

「はぁ、いいですよ」
「きゃあ、やったぁっ! ありがと、権兵衛っ!」
「まぁ、それぐらいなら月の魔法の使い方も分からないですし、きっと輝夜先生も許してくれると思いますから」

 と、弱々しい語尾で返す権兵衛に、アリスははしゃいだ様子で権兵衛に礼を言う。
何せ、永琳や輝夜の使う全く系統の違う術式が自身の魔法の研究に役立つとは思っていたアリスだが、基本的に強い者には逆らわないのがアリスの方針である。
使えると分かっているのに手が出せず、歯がゆい思いをしていたそれが、今日こうやって間近に見るばかりか、その魔力を扱う事すらできるのだ。
これで興奮しなければ、魔法使いじゃないだろう、とすらアリスは思った。

 それからアリスは特別頑丈に作ってある人形を持ってきて、まずは自分の魔法を披露する事から始めた。
何せ権兵衛には自身の魔力の使われ方をある程度理解してもらわないと、魔力の伝達も上手くは行かないだろう。
と言う事で、アリスは椅子に座りながら、部屋の中央に頑丈に作った人形を操って連れてくる。

「わぁ、可愛らしい人形ですね」
「頑丈に作るのが主目的だったから、あんまり装飾は無いんだけどね」

 と、権兵衛の賛辞に肩をすくめるが、矢張り素直に作った人形を褒められると、思わず口元の緩んでしまうアリスだった。
どころか、少し饒舌になって人形の解説を始めてしまう。

「本当はね、何時も弾幕ごっこでつかっている子達と同じように、きちんとスカートにも刺繍をして、エプロンも着せてあげて、ってそういう風にしたかったんだけど。
でも、折角頑丈に作ったんですもの、汚れとかを気にせずに使えるようにしたいじゃない?
そこで黒一色の、シンプルなワンピースなのよ。
顔とかの造形も、洗ったりできる素材しか使わなかったから、ちょっと不満なの。
ほら、眉の辺りとか、ちょっと硬さがあるじゃない?
それに……って」

 と、そこまで言ってから、捲し立ててしまった事に気づき、アリスは顔を赤くした。

「ごめんなさい、こんな関係ない事まで話しちゃって。
つ、詰まらなかったわよね、次行きましょ」

 と無かった事にしようとするアリスなのだが、対し権兵衛は微笑むと、少しサイドテーブルの上に身を乗り出した。
陽だまりのように穏やかな笑顔で、柔らかい口調で言う。

「そんな事はありませんでしたよ。
とても興味深いですし、面白いお話でした。
何せ俺は、人形作りの事なんて何も知らないですから、何を聞いても新鮮でして。
良かったら、もう少し聞かせてもらえるでしょうか?」

 これが本当に嫌味なく興味津々と言う風に言ってみせるのだから、アリスは思わず喜びに頬を赤くしてしまう。
なんて素直な喋り方をする人なんだろう、と、アリスはここにきて初めて権兵衛の人となりに興味を持った。
酷な話だが、正直アリスはここまで権兵衛の魔法に興味はあっても、その人格には全く興味が無かったのである。
と言っても、それは何時もの事である。
アリスは自身より強い物は恐れ、弱い物は突き放した態度を取り、興味があるのは常に魔法ばかりであった。
こうやって他人に興味を持つのは、非常に珍しい事なのである。
だからか、それとも単に趣味のお喋りを際限なくできるのが楽しいからか、頬が上気するのを感じながら、アリスは喜色満面に続けた。

「そ、そう? そ、それじゃあ仕方ないわね。
えっと、ここの素材は、何時もは……」



 ***



 気づけば半刻ほども喋っていただろうか。
紅茶のカップの底が見えるようになってようやく時間の経過に気づき、慌ててアリスは人形についての話を切り上げた。
人形の話と言うと男には興味が無い物だとアリスは思っていたが、権兵衛はよほど人形に興味を持っていたのか、それとも性根が優しいのか、嫌な顔一つせずに最後まで話を聞いてくれていたのだ。
どっちだろうな、とアリスは思うが、この家に入ってからのこの男の言動を見るに、後者の可能性が高い。
その行動の一つ一つからは気遣いが感じられ、人との付き合いが然程得手でも無いアリスでも、話していて苦になる事は無かったのだ。
それに、アリスの人形の話についてもあちらから積極的に、聞いてくると言うよりは聞き上手と言った手合いで、本当に気持よく話せる相手だった。
まぁいいか、と、アリスは思考を中断させる。
権兵衛が優しかったとして、それが何だというのだ。
確かに優しくないよりは嬉しいが、それだけの事である。
頭を振って、アリスは目前の人形に意識を集中させた。

「いよいよ、この人形が動くんですね」

 と言う権兵衛の言う通り、アリスは権兵衛に人形を動かすところを見せるところだった。
ごくり、と思わずアリスは生唾を飲む。
どうしてか、アリスは里で人形劇をやる時よりも、遙かに緊張していた。
その時の方が明らかに見ている人間も多いし、公的な場所だと言うのに、どうしたのだろうか。
内心僅かに疑問に思ったが、それを振り払い、アリスは最初ぐらいは、と少し大げさに手を振るった。
糸を通して、平均的な人間の女性程もある大きさの人形が、動き始める。

「うわぁ……」

 隣で感嘆の溜息が吐かれるのを感じながら、アリスは糸の張ってある指先を動かす。
指先から張る魔力の糸は、普段使う透明な物ではなく、権兵衛に見え易いように太く色をつけてある。
この魔力の糸と言うのは、互いに引っかかりはしないので、絡まってしまうのを気にしながら操る必要の無いのが利点だ。
権兵衛の感動した様子に気をよくして、アリスは更に人形を繰る。

 人形の踊りは、家の中なのでその場を余り動かさない、と言う制約こそあったものの、会心の出来であった。
黒衣の人形であるからか、イメージは哀れな醜いアヒルの子である。
拙く、時にはつまずいて転げてしまうような演技を見せながらも、次第にそれは整ってゆき、ある時からぱっと花開くように可憐になる。
完成した踊りは、さながら白鳥のようであった。
羽がゆっくりと動く様のように優雅に両手が動き、白鳥がそうするように優雅な動きで小さくその場を動く。
次第に白熱してゆく人形の演技は、何時しか最高潮を迎えた。
アイススケートの選手のように、その場で飛び上がり、空中でくるくると回転。
重力に引き寄せられると同時に膝を降り、優雅に回転を止めつつ手を差し伸べる。
アリスが人形の姿勢を維持するだけにして、残る糸を消し腰を下ろすと、それを合図に権兵衛が思わず止めていた呼吸を始めた。
同時、拍手が巻き起こる。

「凄い、凄いですよ、アリスさんっ!
里でも噂の人形使いとは聞いていましたけれど、こんなに凄いなんてっ!」
「くす、ありがとう、権兵衛。
にしても、貴方の耳にも入っていたのね、私の噂。
良い噂で良かったわ」

 額に浮いた汗を拭きつつ言ってから、何が良かったんだろうとアリスは自分の台詞に自分で思った。
いやまぁ、協力者相手に良い噂が流れているのは、良い事だろうが。
内心の疑問を押し流し、権兵衛が入れなおしてくれた紅茶を口にするアリス。
少し冷めてしまっているのが勿体無かったが、変わらず透明な感じで美味い紅茶であった。

「で、どうかしら、どんな動きをするのかは分かった?」
「えぇ、はい。
えっと、球体関節になっている部分部分にそれぞれ糸を張り巡らせて、それを指先に集めているんですよね。
で、それが何本もあって、いろんな指先からいろんな関節へと、糸が張り巡らされている。
だから一つの指を動かした時、動かしたくない部分も動いてしまうのを、他の指の微妙な動きで統制している、と」
「まぁ他にも色々と技術はあるんだけれど、基本的にはそんな感じで申し分ないわ」

 ついつい権兵衛にはそのまま人形使いの技術について話してしまいそうになるが、これぞアリスの魔法の秘中の秘である。
自分が少し色々なことを話しやすい状態になっている事を自覚し、内心アリスは口を閉じる事を意識した。

「それじゃあ権兵衛、続いて権兵衛の魔力を借りるけれど、いいかしら?」
「えぇ、はい。えっとそれじゃあ、触れさせてもらいますね」

 言いつつ権兵衛が席を立ち、アリスの側に寄ってくる。
応じてアリスも席を立ち、一歩サイドテーブルから離れた。
それから権兵衛がアリスの背後に周り、手を伸ばそうとして、それからぴたり、と動きを止める。

「その、アリスさん」
「何かしら?」
「えっと、肩に手を置いて、魔力を供給すればいいですか?
手を重ねるようにすると、微細な動きを邪魔してしまいそうで」
「そうね、本当は肩も邪魔って言えば邪魔なんだけど、そこまで繊細な動きをさせるつもりはないし、それでいいわ」

 アリスが言って暫くすると、権兵衛の手のひらがぽん、と肩に乗る。
なんだか権兵衛の体温は心地良く、それがじんわりと首もとまで温めてくれるものだから、思わずアリスは少し頬を上気させた。
額がすーっと冷えてゆくのを感じ、目元がちょっと緩むのが感じられる。

「権兵衛? もう魔力、送ってるの?」
「へ? いえ、まだですけど」
「そう……なら、いいんだけど」

 アリスは僅かに瞑目する。
そう、権兵衛の体温は、ただそこにあるだけで、こんなにも心地良い物なのか。
そう納得すると、アリスは少しだけ権兵衛の体温だけで楽しんでみる事にする。
華奢なアリスの肩を掴む権兵衛の手は、腫れ物に触れるようで、とても繊細な力加減だった。
これはこれで楽しいのだが、もし権兵衛の手が力強く自分の肩を掴んでくれるのなら、果たしてどうなってしまうのだろうか。
想像の埒外であった。
なので現実にやってもらおうと、アリスは口を開く。

「ねぇ、権兵衛。別にもうちょっと強く掴んでもいいのよ? っていうか、そうしなさい。
魔力を送られた時に反射的に動いちゃったりする事もあるだろうから、もうちょっと確り掴んで欲しいの」
「そうですか、分かりました」

 あっさり言う権兵衛に、ちょっと照れる所を見たかったんだけどな、と思いつつ、アリスは権兵衛の力を待った。
ほどなくして、ぐっ、と、少し気持ちいいぐらいの力で権兵衛がアリスの肩を掴む。
今度は、凄絶な快感がアリスを襲った。
心地良さを何杯にもした感覚で、今度は頭の中がふわふわしてしまうぐらいの感覚である。
最初アリスは、膝が崩れそうになるのを全力で耐えねばならなかった。
が、最初の波が過ぎ去ってしまうと、残るのは全身が喜びに満ちた感覚ばかりである。
今、自分は権兵衛に力強く抱きしめられているのだ。
そう思うと、それだけで頭がふわふわしてしまい、アリスは頭を振って、その感覚を追い出さねばならなかった。
その様子を疑問に思ったか、弱まる権兵衛の握力。

「あ、ううん、そのままぐらいの強さでいいわ。
今のは別に何でもないのよ」
「? そうですか」

 首を傾げつつ言う権兵衛の存在を強く背後に感じつつ、いよいよとアリスは口を開く。

「それじゃあ、ちょっとづつでいいから、私に魔力を送ってくれるかしら」
「分かりました」

 言ってすぐに、権兵衛の月の魔力がアリスの中に流れこんできた。
月の魔力は、熱くてドロドロとした溶岩のようで、それが肩から腕にかけてゆっくりと流れてくる。
火傷しそうな程熱いのに、それが何処か心地良く、アリスは少しの間呻き声を漏らさないよう努力せねばならなかった。

 指の先まで権兵衛の魔力が浸透するのを待ち、それからアリスはゆっくりと権兵衛の魔力の手綱を取り始める。
狂気の象徴たる月の魔力だけあって、扱いには細心の注意が必要であった。
ほんのちょっと、指で掴みとるようにしてみせても、沢山の魔力がくっついてきてしまう。
爪の先で僅かづつ掬うような、細かい作業が必要とされた。
と言っても、普段からそれ以上に細かい人形の操作を行っているアリスである、何とかそれをこなし、月の魔力を手にとった。
それからそれを細く細く、限界まで細くして伸ばし、月の魔力で糸を作る。
いわば月糸の、完成であった。

「成功、したわ……」
「凄い……。初めてでこんなに精密な作業をするなんて……」
「うん、自分でも驚いているわ。
多分、普段から細かい作業をしているからだと思うけれど……」

 感嘆の声を込めた権兵衛の声に、一切の嫉妬が感じられないのを、アリスは心地良く思った。
いくら相手が格上の魔法使いと分かっていても、自分の魔法の一部をいとも簡単に真似されては、普通快くない筈である。
だのに権兵衛と言えば、全く素直にアリスの事を勝算しており、その心には一片の陰りも無い事が、容易く分かった。
権兵衛がこんなに良い人なんだと思うと、世界中にその権兵衛の人の良さを伝えたい気分にすらなる。
しかしアリスはどうにかそれを抑え、本来の目的である人形の操作へと作業を移行する事にした。

「じゃあ、人形を動かせるぐらい……そうね、とりあえず今の十倍ぐらいの魔力をくれるかしら」
「はい、分かりました」

 ゆっくりと増えてゆく、肩から注ぎ込まれる権兵衛の魔力。
熱くてドロドロとした物が自分の中に注ぎ込まれる感覚に、アリスは頬を上気させていた。
まるで腕から先が権兵衛の物になってしまったかのように感じられて、その事実にアリスは思わず興奮してしまう。
頬が紅潮し、目が乾いてきて、幾度も瞬きをした。
そうするうちにアリスは落ち着いてきて、何とか魔力を操作できるぐらいになると、その魔力で再び月糸を作り、人形へと伸ばす。
狂気の力である、それ故にか。
それとも単に、魔力の異質さがそうさせるのか。
ぴたりと糸が付くたびにぴくり、と人形は動き、まるで生きているかのような様相を呈する。
アリスの目的たる自分の意思を持ち自分の意思で動く自立人形に、近づいたかのような様子に、思わず息を飲みながらアリスは人形を観察しながら糸を繋いだ。
そして普段その人形を操るのと同じだけの糸を繋ぎ終え、一つ安堵の溜息をつく。

「とりあえず、糸は繋ぎ終えたわ」
「はい。じゃあこれからが、本番ですね」
「そういう事よ。はてさて、鬼が出るか蛇が出るか……ってね」

 額の汗を拭いつつ、アリスは不敵に笑った。
当然ながら、人形に注入するのは狂気の力であるので、人形も反応を示すなら暴走する可能性が高い。
しかしアリスは、権兵衛の体温を感じていると、不思議と全能感のような物を感じていて、それがどうしたと思えるのだ。
肩越しに一度、権兵衛の顔を見ると、案の定少し不安そうな顔をしていたので、にっこりと微笑んでみせてから、アリスは目前の人形に集中する。

 まずは足を一歩、踏み出させてみる。
指を繰り、糸を引き寄せ、人形の膝を軽く持ち上げ、足をこちらへと引き寄せる。
ひとまず、人形は操作した通りに動いた。
その後も手を動かしたり、一回転させたり、動作自体は滑らかに、つつがなく動いた。
だがしかし、何か違和感がある。
その違和感がどういった物なのか分からず、首を傾げつつ何度も人形を動かすうちに、アリスは気づいた。
自身で動かしている筈の人形から、視線を感じるのだ。

 アリスは人形の目をじっと見つめる。
人形の瞳は、明らかに意思の光を宿しているように見えた。
樹脂製の青い瞳は、今やドロドロと濁った、水底のようになっていた。
こぽり、と音を立てながら人形から涙が零れ落ちる。
まるで目が溶け落ちたかのような青い涙は、静かながら凄まじい速さで零れ落ちてゆき、すぐさま足先に、踝に、膝にと登ってくるのをアリスは感じる。
気づけばアリスは、水底に引きずり込まれたかのような感覚に陥っていた。
人形の目の青い液体に部屋中が満たされて、その中をドロドロとした堆積物が浮かんでいる。
急にアリスは、呼吸ができなくなった。
咄嗟に喉を抑えようとするものの、体は全く動きがとれない。
どころか、微動だにできなかった。
息苦しさに顔を真っ青にしつつ、藻掻こうとするものの、それすらも叶わず。
思わずアリスの瞳に涙が浮かんだ、その瞬間であった。

「アリスさん?」

 一瞬であった。
権兵衛の声を引き金に、一気に狂気の光景は寸前までの正常な光景と戻る。
同時、アリスは魔力の糸を解き、膝を付いてゲホゲホと咳をしながら大きく呼吸する。

「あ、アリスさんっ! どうしたんですかっ!?」

 慌てて権兵衛が屈んでアリスの背を撫でるのを感じながら、アリスは指で喉を差し、呼吸が上手くできない事を示した。

「喉? 呼吸ですか? 呼吸ができないんですね?
なら、まずは深呼吸です。
吸って、吸って、吸って、はい、そこで吐いて。
ゆっくりと吐いてください、ゆっくりと、時間をかけて。
もう一回、吸って、まだ吸って、吸って……」

 と、権兵衛の言葉に習って深呼吸を数度すると、アリスの呼吸は落ち着いてきた。
そうすると、今度アリスの中に生まれたのは、喜びだった。
溢れんばかりのそれを抑えきれず、思わずアリスは権兵衛の肩をつかみ、引き寄せる。

「成功よ、成功したんだわっ!
今、私は明らかにこの人形に意思を感じたのっ!
やった、やったわ! 権兵衛最高っ!」
「わわっ」

 ばかりか、思わず権兵衛に抱きついてしまう程であった。
ぎゅ、と権兵衛の脇下から背まで手を回して抱きつき、顔を肩の辺りに埋める。
腕には権兵衛の筋肉と、その奥の骨の感覚がうっすらとした。
権兵衛のうっすらとした汗の匂いがして、アリスは更に頬を紅潮させる。
頬を権兵衛の首もとに摺り寄せ、アリスは更に権兵衛を抱きしめる力を強めた。

 目を閉じ、アリスは感じる。
今はなんて、幸せなんだろう。
権兵衛が来てからの時間は、何もかもが上手くいっているようだった。
人形の事について喋る相手が居て嬉しいし、その事を褒めてくれる相手いて本当に嬉しい。
ばかりかその相手が、自分の目的である自律人形の作成への助けになってくれたのだ。
私は今、なんて幸せなんだろう。
幸せっていいものだなぁ。
そんな風に考えながら、アリスは暫くの間権兵衛の匂いを嗅ぎながら、彼を抱きしめ続けているのであった。



 ***



 それからアリスは、何度か権兵衛の持つ月の魔力を使って人形を操作した。
先の踊り程ではなくとも軽く踊らせてみたり、武器を持たせて空中に突き出させてみたり、兎に角色々な動作を確認した。
その度に新たな発見があり、その度にアリスは飛び上がりそうなぐらい喜び、権兵衛に抱きつく次第となった。
なんで私はこんなに権兵衛に抱きつくんだろう、とアリスは思う。
いや、自律人形の作成への助けが凄まじい速さで増えているのだ、嬉しくない筈は無いのだけれど。
ただちょっと、矢張り同じ喜びは何度も経験すると普通劣化する物だし、そう考えると、その喜びは何時までも権兵衛に抱きつくほどの物なのだろうか。
そんな風に疑問に思ってみるアリスだけれど、他に思いつく理由の候補も無いので、その疑問を棄却する。

 何度も興奮して喉の渇いたアリスは、魔法の研究も一段落ついたし、と、再び権兵衛の淹れた紅茶を飲み、一服入れる事にした。
ふと外を見ると、気づけば外の雨は止み、夕焼けの赤が空から引いてゆき、夜の帳が降り始めている。
確か権兵衛を招き入れたのは午前中の事だったので、相当な時間が経ってしまったようだ。
ちらりと権兵衛に目を見やると、彼も相応に集中していたのだろう、外を見て初めて時間の経過に気づいたようである。
すっ、と権兵衛がカップから口を離し、ソーサーの上に置く。
そのカップの底が見えるのに気づき、アリスは思わず権兵衛の顔を見やった。
困ったような笑顔で、口を開く権兵衛。

「その、アリスさん。そろそろ遅い時間ですし、お暇させてもらってもよろしいでしょうか」

 アリスの想像通りの言葉であった。
勿論想像していたのだから、その言葉から受ける衝撃や印象についても予想していた筈なのに、アリスは思わず肩をピクンと震わせ、俯いてしまう。
まるで、胸を貫かれたかのような思いに、アリスはそれに耐えるのにぐっと歯を噛み締めねばならなかった。
少しの間そうしていたかと思うと、アリスは思い切って顔を上げ、権兵衛の目へ視線を移す。

「権兵衛。えっと、その、良ければ此処に泊まっていかないかしら?
そりゃあ魔法の研究は一段落ついたけど、調べたい事全部が調べられたって訳じゃあないし。
それに貴方、悪いけど、そんなに強くないでしょう?
夜中に強い妖怪と出会ったら、いえ、そこまででなくとも、普通レベルの妖怪に何度も会ったら、家に帰るまでに食べられちゃうかもしれないわよ?」

 早口に告げるアリスの言葉を、権兵衛は穏やかな顔で受け切った。
顎に手をやり少し考える様子を見せ、それから再びアリスの顔に視線を戻し、口を開く。

「丁重なおもてなしですが、すいません、お断りします。
俺の家も一日ずっと放置しておくのも気になりますし、なによりアリスさん、貴方は女性で一人じゃあないですか。
もし俺のような男を泊めて、それで良からぬ噂を流されるような事があれば、俺は耐え切れません。
なぁに、大丈夫ですよ、アリスさん。
これといって腕っ節に自信がある訳じゃあないんですが、なんだか俺は中々妖怪に会わないんで、きっと俺は運が良いんですよ。
無事に家に帰れるに決まっていますって」

 そう言われると、アリスには返す言葉が見つからなかった。
本当に魔法の事を考えるならば、男でも迷った人間は何度も泊めている、と言えばいいのだろうが、何故かその事を権兵衛の前で言う事は憚られた。
体が萎縮し、喉に何か詰まってしまったかのように、言葉が出ない。
いや、そもそもなぜ自分は権兵衛を引き止めたのだろうか、と、アリスは思った。
何せ別に権兵衛はアリスを上回る強者ではなく、何時でも尋ねる事の出来る相手なのだ。
なのにわざわざ今日引き止める合理的な理由は、無い。
アリスはそう思うと、にっこりをした笑顔を作り、権兵衛に返した。

「そう、ね。なら分かったわ、魔法については今度、私から訪ねて行かせてもらう事にするわ。
それじゃあせめて、玄関まで見送らせて頂戴?」

 そうして権兵衛は帰っていった。
紫がかった空の中、権兵衛が遠く点になるまでアリスは玄関先に立ち続け、権兵衛を見送る。
暫くして、本当に権兵衛が見えなくなってから、ようやくアリスは足を動かした。
何故か湧いて出てくる溜息を漏らしつつ、振って湧いてきた憂鬱な気分に振り回されながら、ドアを閉めて室内に戻り、椅子に崩れ落ちるように座る。
アリスの内心を、謎の虚脱感が襲っていた。
本当は何時もなら夕飯の支度をしている時間なのだが、不思議とそんな事をする気になれず、ぼうっと椅子の上に座ったまま虚空を見つめる。

 暫くして、その虚空にぼんやりと権兵衛の姿が浮かんできた、その時であった。
突如、凄まじい妖気がアリスの家のすぐ近くに発生する。
思わずアリスが飛び起きるが早いか、ズドン、と凄まじい轟音を立ててアリスの家のドアが開いた。

「やぁ、久しぶりね、魔法使い」

 現れたのは、伊吹萃香であった。
何故だか凄まじい怒気を全身に纏っており、明らかに準戦闘形態である。
絶望的な力の差に恐慌を起こしそうになるアリスだったが、咄嗟に口内を噛み切り、正気を保った。
あまりの威圧にふらつく体に喝を入れ、どうにか虚勢の姿勢ぐらいは作って見せる。

「久しぶりね、山の四天王。
所で、ノックって知ってるかしら?
文明人には共通の知識だと思っていたんだけど」
「権兵衛にはこれ以上関わるな」

 と、牽制の話題を出すアリスに、いきなり本題で斬り込む萃香。
思わず目を見開くアリスに、重ねて萃香は言った。

「権兵衛には、これ以上関わるな。
あいつから来た時だけは仕方ないけれど、それでもその時に引き止めるような真似も、許さない。
勿論あんたから権兵衛に会いにいくって言うのも、なし。
あんたには、これ以上権兵衛に関わらせない」
「……さっき、私は権兵衛の家に行くって、約束したばかりなんだけど。
約束を守るのって、鬼の信条の一つじゃないかしら。
それとも宗旨替えでもしたの?」

 ずどぉぉん、と、轟音。
萃香は、いきなりアリスの家の壁を殴ったのだ。
あと一歩で壁を粉砕しかねない勢いに、アリスは思わず怖気づく。

「もう一度言うよ。
あんたは、権兵衛にこれ以上関わるな。
わざわざはいって答えるまで待ってやっているんだ、早く答えなよ」
「ちなみに、永遠亭も全員同じ意見よ」

 と、新しい声に思わずアリスが振り向くと、いつの間にか、アリスの部屋の中には鈴仙がじっと立っていた。
その顔を見てしまったアリスは、思わずひ、と息を飲む。
鈴仙は、明らかに通常の状態では無かった。
目の下には隈ができ、げっそりと頬は痩せこけている。
まるで幽鬼のようなその存在に、アリスは更に恐怖を煽られた。
俯き、少しの間考える。
自分の今までのあり方は、強者には逆らわないと言う、分り易い方針が存在した。
それに、権兵衛は月の魔力が供給できて便利とは言え、ただの人間である、関係を手放すのだって別段惜しくない、筈だ。
心の中が擦り切れそうになるのを感じながら、強引にそう結論づけ、アリスは面をあげる。
表面上は平気な風を装って、呆れたように肩をすくめてみせた。

「はぁ。降参よ、降参。
いいわ、そこまで言うなら、権兵衛と出来る限り関わらないようにするわ。
月の魔力は惜しいけど……、まぁ、本気の鬼に月人まで出てきたんじゃあ、仕方ないわね」

 なるべく平気な風を装って言うアリスに、二人は無表情で睨んでくる。
これ以上まだ何か言った方がいいのだろうか、と、再びアリスが口を開きかけた頃、二人はすっと姿を消した。
音もなくアリスの家の玄関が閉まり、それと同時、緊張から解放されたアリスは椅子の上に体を投げ出した。

「っはぁ~~~。何なのよ、もう」

 ぼやきながら、アリスはこの短い時間で疲れきってしまった体を解す。
肩をぐるぐると回したり、伸びをしたりして、体からコリを取り除く。
そうしている姿には、権兵衛との関係を絶った事に対する感情は、便利な道具を失ってしまった以上の物は見られなかった。
今は、まだ。



 ***



 いよいよ寒さも本格的になってきた日。
何時も通りアリスは窓際のサイドテーブルで、魔道書を読んでいた。
立てかけられた魔道書に、サイドテーブルの上で湯気を上げる紅茶、と言うのが常のスタイルなのだが、今日は紅茶はすっかり冷めてしまい、湯気は見られなかった。
ばかりか、アリスの視線は窓の外にあり、何処ともしれぬ虚空をぼうっと見ている。
視線が窓硝子に描くのは、何故か権兵衛の顔であった。
アリスにとっては既に二度と会うこともないだろう相手であり、これ以上気にするのは時間の無駄だと言うのに、何故だろう、ここの所アリスの脳裏にはよく彼の顔が浮かんでくる。
かと言って鬱陶しいかと言うとそうでもなく、その顔を思い浮かべると、胸の中が暖かくなるような感覚があるのだ。

「はぁ……」

 深くアリスは溜息をつき、紅茶に手を伸ばす。
それを口にしてから眉をひそめ、ようやく紅茶が冷めていた事に気づいた。
少し乱暴にソーサーの上にカップを置き、カチャンと音を立てる。
それから操作する人形を使ってカップを流しまで持ってゆき、中身を捨て去った。
そのまま人形は戻ってきてポットの方も流しまで持ってゆき、中身を流しに捨てる。
それからケトルに水を入れ、魔法で火を起こし、湯が湧くまで暫しの間、待つ事にする。

 魔道書に目をやったアリスは、その頁が結局今日一日ずっと進んでいなかった事に気づき、再び深い溜息を付いた。
全く、最近のアリスにはどうも集中力がなく、こうして魔道書を一頁も読み進めること無く一日を終える事などざらにある事である。
もう一度溜息をつきながら、人形を使って魔道書も本棚に戻し、アリスは凝り固まった体を伸ばす為、腕を背中側に伸ばし、思いっきり伸びをした。

「ん、ん~」

 気持よさに小さい呻き声を上げながら、意識がすっと軽くなるのを感じるアリス。
それからすぐに脱力し、背もたれに思いっきりもたれかかりながら、深く溜息をつく。
リラックスしきった頭の中で、ふと思い浮かぶのは、矢張り権兵衛の事であった。
こうやって体が軽くなった時などは、アリスは特に権兵衛の掌の体温を思い出す。
あの日、最初は優しく、求めてからは力強くアリスの事を抱きしめてくれた手は、それだけで全身が温まってしまいそうな、それでいて手本体は熱いと言う程では無い、不思議な温度だった。
心に温度があれば、権兵衛の掌はそのぐらい暖かかっただろうか。
あの日の権兵衛の優しさは、今でも鮮明に思い出せる。
常にアリスの事を気遣っていた、紳士的な態度。
聞き上手で、アリスの好きな事を沢山話させてくれた所。
暖かな手。
嬉しさのあまり抱きしめた時、軽く抱きしめ返してくれた事。

 はっ、と気づくと、ケトルがヒューヒューと鳴る音が、かなりの大きさになっていた。
慌てて人形を操作して火を止め、ケトルを火から退かす。
お湯をポットとカップに入れ、十分に暖まるまで待つ事にするアリス。

 権兵衛の魔力もまた、格別であった。
たまにアリスは、あの時どうして全身に権兵衛の魔力を回してもらわなかったのだろう、と思う。
そう思ってから、何故そう思ったのか理由が分からなくなるのだが、兎に角そう思うのだ。
だからか、アリスは時間を持て余すと、よく自分の腕を撫で回す事がある。
アリスは自身の腕に指先からそっと触れて、滑らかな動きで掌までぴたりと触れさせ、それからぎゅ、と軽めの力で握る。
するとあの日、権兵衛に魔力を注がれた時の事が思い出された。
熱くてドロドロとした物に、自分が満たされてゆく感覚。
それを思うと思わずアリスは頬を上気させてしまい、少し腕を強く握る事になる。
腕の肉の柔らかな感触に、権兵衛の肉の感触もこんな感じなのかな、とアリスは想像した。
いや、違うだろう、とアリスは思い、頭を振る。
優しげな風貌の権兵衛だが、その肉体は男の物なのである、きっともっとゴツゴツして、硬い物なのだろう。
事実、権兵衛の掌の感触は柔らかく優しい物であったが、同時に芯のあるような硬さをも感じさせた。
奥のある骨ばかりでなく、きっと肉も固く、逞しいのだろう。
そう思うと、アリスは体が熱くなり、ジワッと全身から汗が拭きでてくるのを感じた。
汗が体の表面を、舐めるように滑ってゆく。
四肢の上を、腰のラインを、乳房の間を。
そうなる事でアリスは自身の体の表面を嫌でも意識させられ、自身を強く抱きしめた。
喉の乾きを覚え、ふと自分が紅茶を入れる準備をしていた事に気づき、アリスはポットの方を見やる。
湯気は既に無く、考えて見れば結構時間が経ってしまったのではないか。
慌てて人形にポットを持ってこさせたが、既にお湯は冷めてしまっていた。

「はは……私、何やってるんだろう」

 不意にアリスは、涙がせり上がってくるのを感じた。
ぐっと唇を噛んで、どうにか涙をやり過ごそうとするが、叶わず、涙が溢れでて頬を垂れてゆく。
あまりの虚しさに、アリスは脱力して体を椅子に預けた。
顔が天井に向けられ、頬へと落ちていた涙が、目尻から横に流れ出る事になる。

 胸にぽっかりと穴が空いてしまったかのようだった。
それを埋めようとして、暖かい感覚があった時の事を思い出してみせるが、それは一層胸の虚空を思い知らせる事にしかならず、虚しさがつのるだけ。
涙がぽろぽろと零れ落ちて、みっともない事この上ないな、とアリスは思う。
だが、アリスは他にこの虚しさをやり過ごす方法を知らなかった。
いや、これをやり過ごせていると言うのかすらも分からない。

 一体この感情は、何という名の感情なのだろう、とアリスは呆然と思った。
こんなに自分を揺さぶる感情なんて、アリスには検討もつかなかった。
絶望と名付けるには違うような気もするし、虚脱と名付けるには、権兵衛の事を思い起こす時の力が矛盾する。
他にもまさかと思う物以外色々考えてみたが、どんな名前の感情も、アリスにはしっくり来なかった。
果たして、自分は今どんな感情を持っているのだろうか。
呆然と天井を見上げながら、アリスは思う。

 当然のことながら、アリスは知らなかった。
何せアリスは孤独であったし、更にそれに気づいてすらもいなかったのだ。
誰かに抱く強い思いに名付けた感情など、自分が抱く筈も無いと、候補からすぐに除けてしまう。
だからアリスは、知らなかった。
自分が今抱いている感情が何なのか。
権兵衛への思いが、どんな名のつく感情なのか。
それすらも知らずに、ただただ不意に涙を流す日々を、アリスは送り続けたのだった。



 ***



 アリスさんと出会ってから一週間ほど。
犬走さんに俺が腕を千切られてから、三日ほど経過した今、俺は一時的に永遠亭に世話になっていた。
あの後俺は丸一日気絶していたらしく、気づけば見覚えのある天井を見ている事となっていた。
永琳さんの説明によると、俺が純粋な人間のままでいるには、腕の再生を諦める必要があるらしい。
しきりに人外化を進めていた永琳さんであったが、俺は人の生まれである。
俺は、命には矢張り生まれ持った役割みたいな物がある程度あって、それに逆らうべきでは無いと考えており、その中には消極的な理由で生まれ持った種族を変えるべきでは無い、と言う思いがあった。
片腕を無くす、と言うのは、確かに非常に不便である。
しかし、霊力を持つ身であればその不便さを和らげて生活できると言うのは、かつて左手を怪我していた頃に分かっていたので、俺は人間のままでいる事を選択した。
恐らく純粋に俺の腕の事を想ってくれたのであろう永琳さんには悪いのだが、これが俺の考えである。
本当に申し訳なくて申し訳なくて、それなのに自分はベッドの上に座って居ると言うのも我慢ならず、俺は永琳さんに頭を下げまくって、次第には土下座までしようと思ったのだが、流石にそれは怪我人と言う事で自重した。
何とも土下座の安くなる日々である。

 永遠亭での療養生活は、基本的には楽しい物だった。
輝夜先生は何時も俺を構いたがり、時間があれば俺の様子を見に来て、世話をしてくれる。
と言っても普段姫と言う立場から世話しなれていない輝夜先生なので、その世話と言うのも俺が思わず手を出してしまい、共同作業となるのだ。
これがまた、思いも寄らずに楽しい事だった。
基本的に同じ事をするなら一人でやるより二人でやる方が楽しい物だし、なにより相手は尊敬する輝夜先生である。
時には魔力談義になって、実利的にも有意義な時間を過ごす事さえあった。
永琳さんは矢張り忙しい人で、俺を診断する時の仕草も何処かせわしない。
だがそれでも俺の診断にはきちんと時間を取ってくれて、中でも特に触診には長い時間をかけて熱心にやってくれる。
普段は事務的な会話しか無い物だから、その熱心さはこちらが最初吃驚してしまうぐらいであった。
鈴仙さんは、その二人の合間を縫うようにやってきてくれる。
驚いた事に彼女は目の下に隈を作っており、顔色も酷い物で、かなり疲れた様子だった。
それでも表情は明るく、元気そうな仕草をしてみせるのだから、頭がさがる物である。
何でも最近ほぼ二十四時間体制で見なければいけない物が出来たらしく、その観察に忙しいのだそうだ。
矢張り体が持たないのでは、と心配する俺に、大丈夫と豪語するばかりか、むしろ宴会の時に行けなくてごめんね、と謝ってくるぐらいに力強い鈴仙さんであった。
てゐさんは、主に誰かが居る時にやってきて、その人に用事が出来た事を知らせにやってくる。
その後羽休めなのだろうか、てゐさんはついでとばかりに俺の世話をしていってくれるのだ。
勿論その心は嬉しい物なのだが、一つ困った事と言えば、矢鱈と身体的接触の多い事か。
幸いてゐさんは文さんと違って性的な物を感じさせる見た目をしていなかったが、それでも相手は俺より年上の女性なのである。
変な所に触れてしまうような事が多く、本当に申し訳ない事この上無かった。

 基本的に、と言うと、応用的には楽しくない事もあった、と言う事である。
それは他の見舞い客に関する事であった。
入れ替わり立ち代わり、俺のもとには幻想郷中から見舞い客がやってきてくれた。
それ自体は本当に嬉しい事だし、俺は感動していたのだが、悲しい事に、その見舞い客と永遠亭の面々との仲が、あまりよろしくないのでは、と感じられたのだ。
具体的に言うと、なんだか空気がピリピリとし、あの宴会の時のように、重たい空気になってしまうのである。
永遠亭の皆が他の皆と仲が悪い事も心配だし、医者と仲が悪い皆もまた心配であった。
唯一霊夢さんだけは、どうしてか普通の対応だったが、それも仲が良いと言うより互いに無関心であるように思えた物だったし。

 そんな折である。
俺の寝かせてもらっている、かつて永遠亭で生活していた頃の部屋で、俺が暇つぶしにずっと俺に付いてくる紫色の蝶を目で追いかけていた所。
ちょっといいか、と声をかけ、永琳さんが襖を開けて部屋の中に入ってくる。
永琳さんが座るのを待ち、それから俺は口を開いた。

「えっと、診察ですか? また着物は肌蹴たほうがいいでしょうか?」
「……そうね。うん、やっぱりそうしてもらいましょう」

 よく意味のわからない物言いであった。
思わず内心首を捻りつつ、俺は言われた通りに着物を肌蹴る。
上半身裸となった俺に永琳さんが腰を浮かし、手を伸ばして触れた。
この触れ方と言うのが何というか、少しエロティックで、指先がつん、と触れたかと思うと、そこから俺の体を揉み込むように触れてくるのだ。
思わず小さく声を漏らす俺に、扇情的に見える笑みを漏らす永琳さん。
別に患部に限らず触られるのだが、それはついでに内蔵が悪くなっていないかも診断しているらしい。
なので、何となく背徳的な気分になってしまい、罪悪感が湧きつつも、俺は永琳さんに身をまかせる事にする。

 まず永琳さんは、俺の裸足の足から触れ始める。
足の裏にぺたっと、永琳さんの高い体温の手が張り付いた。
それから舐めるように足の上を滑っていったかと思うと、両足の内側を、両手で撫でるように触れつつ、昇ってゆく。
時たま指先だけ残すようにしたり、焦らすように止まったりしつつ、昇ってくる永琳さんの手。
危うく俺の陰部に触れんかと言う所でやっと永琳さんの手は外側へと移ってゆき、俺の腰の辺りを、背を回りつつ、交差するように手を動かす。
すると緩やかなカーブを描く永琳さんの手は、俺の胸の上を滑ってゆくようにして首まで到達し、喉を張って顎まで到達した。
それから、少し頬を親指で撫でるようにしてから、永琳さんの手が降り始める。
今度は肩を通った後、両腕の外側を舐めるようにしながら通り、右腕は肘辺りで内側に移行して掌を握るまで、左腕は無くなってしまった辺りを隠すように撫でた。
それから動きを止め、永琳さんは俺に少し体を近づける。
永琳さんも動きつつの触診であった為、丁度背後から抱きしめられるような形になった。
柔らかい乳房が背に当たり、永琳さんの吐く吐息が耳元を擽る。
思わず興奮し、頬を少し赤くしてしまう俺。

「あら……興奮しているのかしら?」

 俺は、更に顔を赤面させ、俯くことで答える事にした。
つい一週間前に文さんに劣情を催してしまうと言う悪事を行ってしまったと言うのに、なんと成長の無い事か。
内心泣きそうになる俺の背後で、びくん、と永琳さんが体を震わせ、それから少し力を抜いて、更に俺にもたれかかるようにする。
何か永琳さんが言おうとした、その時だった。

「権兵衛ー、ちょっと入るよー」

 と、そんな時に戸の外からかかる、てゐさんの声。
反射的に永琳さんとお互いぱっと離れるのと、てゐさんが戸を開くのとは、殆ど同時であった。
思わず背徳感に顔を青くする俺を見て、何か納得がいったのか、やっぱりね、とでも言いそうな顔をするてゐさん。

「え、えっと、何か用でしょうか?」
「いや、お師匠様が、用事を忘れていそうだったからね、ちょっと気付かせてあげなきゃ、と思っただけよ」

 意味ありげな視線で永琳さんを見るてゐさんである。
確かに永琳さんの台詞を思い出すと、他に用事があったように思える。
しかしそれを忘れてしまっていた事を、部屋の外から把握しているとは、なんと凄まじい情報収集能力なのか。
思わず感嘆で内心を満たす俺を尻目に、こほんと咳払いし、永琳さん。

「そうね。ありがとう、てゐ。
この御礼は必ずするから、どうか覚えておいて頂戴ね? また忘れたら大変ですし。
……で、権兵衛さん。
もう一度聞きますけれど、人外になる気は無いのね?」
「はい、申し訳ありませんが、腕一本の為に人外となる気は俺にはありません」

 向きあって返すと、分かっていた事だけれど、と溜息をつく永琳さん。
その姿を見るのがまた辛く、思わず俯いてしまう俺を尻目に、永琳さんは続けた。

「ならしょうがないから義手を用意する必要があるんだけれど。
いい義手師に、一つ心当たりがあるわ。
正確には人形師なんだけど、人体を模した物を作る事に長けているし、人形使いの技術を義手使いの技術に応用する事もできるかもしれない。
医者の私も付き添うわ、外に出る支度をして頂戴」
「はい……って、人形師。
その、間違っていたら申し訳ないのですが、もしやその人は、アリス・マーガトロイドさんでは?」

 にこりと、永琳さんが何処か作り物めいた笑みを浮かべた。
何故か、僅かに寒気が背筋を走る。

「そう。権兵衛が知り合いだったなんて、知らなかったわ。
話が早く進みそうで、良かった」
「あ、はい……」

 なんでか、空気が重く感じた。
今の会話に原因があったかと探ってみるが、原因らしき物は思いつかない。
どうしたものか、と内心首を撚る俺を尻目に、てゐさんがいそいそと立ち上がる。

「それじゃあお師匠様、権兵衛が準備をするんだから、部屋を出てこうよ。
病院着から着替えるのに、私たちが居たんじゃあ邪魔になるでしょう?」
「……そうね。いけない、また忘れちゃいそうだったわ、ふふふ」
「やだなぁ、お師匠様、年ですか?」
「ふ、ふふふ」

 と、何やら怖い掛け合いをしながら、部屋を離れてゆく永琳さんとてゐさん。
それを少しの間呆然とみやっていた俺であったが、ふと外に出る支度をしないといけない事に気づくと、急いで支度を始める事にするのであった。



 ***



 その日もアリスは、殆ど寝食もせず、ただ座って時たま涙を流すだけの毎日を送っていた。
最早紅茶を淹れようとする事もなくなり、たまに思い出したかのように人形を操って、水を口にするだけ。
魔道書も読む気になれず、かといって人形繰りの練習をする気にもなれず、アリスはただただ椅子の上に座っていた。
考える事も、殆ど何も無かった。
権兵衛の事も、普段は考えれば考える程、胸が抉られるような気がして、考えられなくなってしまう。
ただ時々アリスは、まるで極寒の荒野に独りで立ったような感覚に襲われる事があった。
そんな時だけは、権兵衛の事を思い出すと、その暖かさがそんな気分を吹き飛ばしてくれる。
しかしそれもずっと権兵衛の事を考えているだけであると、もう向こうからやって来る偶然を期待しない限り、権兵衛と直接出会う事は無いのだ、と思えるようになり、そうするとアリスの瞳からは涙が零れ落ちてしまった。
辛くて辛くて、本当に何も考えたくなくて、無気力な状態になってしまう。
そんな折だった。
権兵衛が再び、アリスの家を訪ねてきたのは。

「一週間ぶりです、アリスさん」

 と言う権兵衛は、驚くべき事にその左腕があるべき所が、途中から無くなってしまっていた。
何でも妖怪の山の知り合いに用事があって行った時、一悶着あったのだと言う。
その相手の妖怪に思わず殺意が湧くアリスであったが、既に三日も前の事だと言うので、権兵衛の周りが既に何らかの手出しをしているだろう、とその怒りを収めた。

 何よりアリスは、嬉しくてたまらなかった。
もう二度と叶わないかもしれないと思っていた願いが叶ったばかりではない。
権兵衛の腕が千切れてしまった事は悲しむべき事だが、その事で自分を頼ってきてくれたのは、身悶えする程の嬉しさだった。
思わず権兵衛に抱きつきそうになるアリスの前に、す、と何者かが割り込んでくる。

「私も、結構久しぶりになるかしら?」

 アリスの恐れる強者の一人、八意永琳であった。
何時現れたのか、と思わず目を見開くアリスであったが、普通に権兵衛の後ろからついてきていたらしい。
どうやら自分は本気でそれが目に入っていなかったようだ、と、改めてアリスは権兵衛を思う自分の気持ちを確認する。
しかし同時に、アリスは永琳の攻撃的な霊力の前に、思わず萎縮してしまっていた。

「権兵衛さんも説明していたけれど、貴方には権兵衛さんの義手を作って欲しいの。
私もある程度は出来ないことはないけれど、やっぱり専門の貴方には叶わないからね」

 と言う字面こそ丁寧な永琳だが、明らかにその態度はアリスを威圧していた。
強者に関わらないよう生きてきたアリスはその威圧に逆らえない。
思い知らされるようだった。
確かに二度と叶わないかもしれないと思っていた、権兵衛との出会いは成された。
だが、それは二度叶っただけで、三度目は矢張り叶う事は無い願いなのだ。
そう思うだけで絶望に沈みそうになるアリスだったが、そこにタイミング良く権兵衛が話しかけてくる。

「俺も、アリスさんの腕前なら間違い無いと思いまして、一つ返事でしたよ。
どうか、俺の為に義手を作ってはくれないでしょうか」

 まるで、氷を溶かす炎のように、権兵衛はアリスの絶望を消し去っていってくれた。
その笑顔を向けられるだけで、アリスは自分の中にあった冷たい物が消えてゆくのを感じる。
さながら権兵衛は、アリスにとって太陽のような存在だった。
一緒に居るだけで考えが明るくなり、心が弾むような気さえする。
宝物にしよう、とアリスは思った。
一字一句、今日この日の会話を覚えて、これからの人生の宝物にしよう、とアリスは思った。
もしかしたら、いや、恐らく、権兵衛の用事が終わって再び別れてしまえば、アリスは再び憂鬱な気分に襲われてしまう事だろう。
だからそれを乗りきれるだけの宝物を、権兵衛にもらおう、と、アリスは決心した。
故にアリスは、にっこりと、満面の笑みで答える。

「えぇ、勿論よ。この前の借りを返すのにも丁度良いもの、分かったわ」

 そうして、アリスは権兵衛の体の採寸を始めた。
時たま権兵衛に抱きつきたくなったり、手を絡めたくなったりするものの、その度に永琳の視線が厳しくなるので、はっと思い出してアリスはその手を引っ込め、権兵衛の体を測り続ける。
それでも念の為、と言ってアリスは権兵衛の全身を採寸した。
どうやらそれぐらいは永琳も見逃してくれるらしく、アリスは権兵衛の体に顔を近づけ、その匂いを記憶しようと努力しながら、全身を測り終えた。
普通はそれから義手が完成するまで二月ほどかかる物なのだが、アリスは幻想郷一の人形師である。
丁度人間大の人形を作ろうとしている途中だった事もあり、何とか一週間ほどでできる、とアリスは言った。

「勿論仮合わせとかもあるし、できれば毎日来て欲しいんだけれど」
「はい、分かりました。えっと、それじゃあ永琳さんは忙しいでしょうし、俺一人で行きましょうか?」

 権兵衛が永琳の方に振り返ると、アリスは緊張の余り唾を飲み込んだ。
権兵衛に来て貰わないと出来ない、と言うのは確かだが、その回数は二三回である。
水増しした要求に、永琳が僅かに顔を引きつらせるが、権兵衛の目で見つめられると、はぁ、と溜息をついて口を開いた。

「……そうね。権兵衛さんには毎日此処に通ってもらう事にするわ。
でも一人は駄目よ、妖怪に襲われたら大変な事になるし。
鈴仙かてゐ、手の空いている方に任せる事にするわ」

 と言っても、流石に権兵衛一人で来させる事にはならないようである。
まぁ、片腕を無くした状態で一人で来られてもアリスも心配なので、そこはいい。
ただ鈴仙の名を聞くと、あの幽鬼のような表情を思い出してしまい、思わずアリスは内心しかめっ面を作ってしまった。
まぁ、相手は所詮兎である。
今日のように過度に権兵衛への接触を制される事も無いだろう。
そう思うと、アリスは永琳の提案を承諾し、その日はそこで権兵衛と別れる事となった。

 それからは、これまでの一週間が嘘のように充実した日々であった。
何せアリスには権兵衛の義手以外にも作る物があり、ただでさえ義手を作るのに忙しいのに、それが倍となってアリスに降りかかってきたのだ。
今度は忙しさの余りに寝食を忘れつつ、アリスは権兵衛が来る時間にはさも余裕ですよ、とでも言いたげに整頓された部屋を作っておき、毎日の権兵衛との逢瀬を楽しんだ。

 権兵衛との会話は、矢張り天に昇るような気持ちであった。
権兵衛が話しかけてくれるだけでも心が踊り、その体に触れる時など、アリスは自分の顔が発火するのでは、というほど熱くなっているのを感じる。
主に義手を付けてみる時なんかに権兵衛の体に触れるのだが、権兵衛の体は矢張り想像した通りに柔らかくも芯のある硬さがあり、素晴らしいさわり心地だった。
アリスも長い事色々な素材を使って人形を作っており、色々なさわり心地と言う物を覚えているが、そのどれとも一致しない不思議な感覚である。
一応人形作りの参考として何人もの男や女の肉を触った事のあるアリスだが、矢張り権兵衛のそれは他の誰とも違うように思える。
不思議だな、とアリスは思った。
他の人間は肉を掴んでも、その奥にある骨や内蔵の感触まで分かる事なんてないのに、権兵衛の肉は不思議と分かるものなのだ。
それはアリスの興味と感情が成せる技だったのだが、それを知らないアリスは不思議に思いつつも、権兵衛の感触を記憶する。

 権兵衛は、決して美男子と言う程の美形では無かったが、何処か優しい落ち着きを感じさせる風貌の男であった。
輪郭は柔らかく、目が少し大きく、口元はやんわりとした曲線を描き、笑うと小さな笑窪ができる。
その様々な表情をアリスは記憶して、後でスケッチしておいた。
後で権兵衛の事を思い出すのに、必要だと思ったからだ。
こんな事があるなら、天狗のカメラとやらを研究しておけば良かった、と思いつつ、権兵衛の、その多くは笑顔をアリスはスケッチブックに治める。
職業上人体の構造に詳しいアリスは、似顔絵もある程度の腕前があり、それなりの絵がかけた。
と言っても十分な程の物でもなく、少しアリスは天狗のカメラを借りようと思ったが、その天狗の縄張りで権兵衛が怪我した事を思い出し、その考えを破棄する。

 付き添いの兎は、特にアリスの邪魔をする事は無かった。
相変わらず鈴仙の方は幽鬼のような雰囲気をしていたが、権兵衛が顔を向ける間だけ明るい顔になり、そのあまりの表情の差が気持ち悪かったが、それだけ。
てゐの方には悪戯されはしないかと警戒していたアリスだったが、拍子抜けする事にてゐはアリスに何も手を出さなかった。
どうしたものか、と首を傾げるアリスだったが、帰り際、権兵衛と離れた間にてゐが言った台詞に思わず顔を引きつらせる事になる。

「なるほど、あんたはやっぱり警戒するに値しないね。どうせもうすぐ、権兵衛と会えなくなるんだから」

 そんな風にしつつ、権兵衛と会話し、権兵衛の義手を作り、他に二つほどの作業を並行して行い、アリスは忙しい一週間を過ごした。
そしてその最終日がついにやってくる。
緊張の余り心臓をばくばくと鳴らしながらアリスが権兵衛を待っていると、とんとん、とノックの音がした。
慌てて出向くアリスが返事をして開けると、そこには相変わらず輝かしい笑顔の権兵衛と、最終日だからだろう、義手のチェックの為に動向したのであろう永琳が立っていた。
強者の気配に思わず体が強張るアリスであったが、努めてそれを無視し、朗らかに権兵衛に話しかける。

「いらっしゃい、権兵衛。どうぞ上がっていってね」
「はい、お邪魔します、アリスさん」

 一瞬、これがただいまだったらいいのにな、と考えてから、アリスは自分がなんでそんな事を考えたのだろう、と内心首を傾げた。
それでは権兵衛が留守にしている所にアリスがやってきて、留守を預っている事になってしまうではないか。
それなりにこの家には愛着があったつもりなんだけど、と思いつつアリスは権兵衛を家の中に案内し、早速お茶を用意した。
お茶を淹れたがる権兵衛は、今貴方は客でしょう、と抑え、アリスがお茶を淹れる。
アリスは権兵衛の思い出としてそのお茶を何度も飲みたいのは確かだったし、実際この一週間で何度か飲ませてもらったが、同時に権兵衛にアリスの事を覚えておいて欲しい、と言う思いもあって、こうやって紅茶を淹れたりしていた。
多分そうすれば権兵衛が三度目の来訪をしてくれるかもしれない、と言う奇跡の可能性が少しでも上げられるからなのだろう、とアリスは思う。
不思議なのは、それなのに権兵衛がアリスの紅茶を飲んで美味しそうな顔をすると、それだけで自分が浮き上がってしまいそうな感覚に陥ってしまう事か。
矢張りどうしたのだろうか、と首を傾げつつ、アリスは世間話を始めようとするが、永琳はそれを許さなかった。

「それで、何とか時間を空けてきたから早速聞くけど、義手はどうなのかしら?」

 そう言われてしまえば、話を進めない訳にもゆくまい。
アリスは人形を数体操り、義手を持ってこさせる。

「これよ。権兵衛、もう装着の仕方は分かるでしょう? やってみて」
「はい、やってみます」

 言って、早速権兵衛は義手を無くした腕の上から嵌めて見せる。
一先ず器械的な義手の装着ができた所で、永琳が権兵衛の体を軽く触診し、体重の偏りなどがないかどうか、確かめてみせた。
これがアリスにとっては拷問のような時間で、目の前で他の女が権兵衛の肌を撫でていると言うのは、耐え難い光景であった。
一体何度叫びそうになったか分からず、その度にアリスは指向性のある永琳の強烈な霊力によって黙らされる。
疲労の余りアリスが肩を落とすようになってきた頃、ようやく永琳の触診が終わった。

「大丈夫。流石の腕前ねぇ、人形使いさん」

 うすら寒い世辞に内心肩をすくめながら、アリスは感情の篭っていない礼を返した。
それから権兵衛に向かって口を開く。

「それじゃあ権兵衛、今度は貴方の月の魔力を使って、腕を動かしてみて」
「はい、分かりました」

 言うと同時、権兵衛は腕の付け根から、義手の内側に向かって魔力の糸を放出した。
五指の分である五本が途中までは絡みあうように進み、関節部分では内部の機構に絡みつき、そして掌で五指それぞれに別れる。
それが指先まで届くと、権兵衛の義手は、まるで以前と同じように動いてみせた。
五本の魔力糸の長短を調節する事により、権兵衛は無くした左腕を本当の腕と区別が付かないぐらい精密に動かせるようになったのだ。
期待通りの結果に、アリスはにこりと笑う。

「成功ね、権兵衛」
「はいっ! ありがとうございます、アリスさん、まるで腕があった頃と変わらないぐらいですっ!」

 これまでも何度か動かす訓練をしてきた権兵衛であるが、完成となると感動も一入なのだろう、浮かれながら大声で言う。
そんな権兵衛に顔を綻ばせるアリスであったが、すぐに立ち上がった永琳に、表情を変えた。

「じゃあ、権兵衛さん。早速だけど、その新しい腕を使って、リハビリをしてもらわないとならないわ。
これから忙しくなるんだし、そろそろお暇しましょう?」
「あ……そっか、きちんと動けるようにならないと、退院までの日程が伸びてしまうんですよね」

 すぐにこの場を離れようとする永琳に、乗り気の権兵衛。
慌ててアリスは口を開く。

「そ、その、私は別に、少しの間ぐらいなら話していってもいいし、永遠亭に送って行くぐらいならできるけれど」
「えっと、すいません、アリスさん。ただでさえ今は永遠亭にお世話になっている状態ですので、それが長く続くのも申し訳ない事ですし」

 言ってから、困ったような笑顔を向け、権兵衛は続けた。

「それにアリスさん、なんだか疲れているみたいじゃないですか」
「え……?」

 意表を突かれ、アリスは思わず目を見開いた。
疲れは、出来る限り隠していたつもりだったのだけれども。

「ほら、いつもならアリスさん、あの辺の人形、服の色別に並べている筈ですし。
人形の服までシワひとつなくて、綺麗にしていますし。
だけどほら、どっちも今は違うでしょう?
アリスさん、この一週間、さぞかし忙しかった事でしょう。
ですから今日は、貴方にはゆっくりと休んでいてもらいたいのです」
「う……」

 ヤバい、とアリスは反射的に思った。
何がヤバいのかと言うと、何というか、兎に角嬉しかった。
本当は権兵衛との会話と言う宝物が減ってしまう事で悲しい筈なのに、それ以上に権兵衛が自分を心配してくれたと言う事が、嬉しくてたまらない。
顔面が真っ赤になっているのを悟り、アリスは思わず俯いてしまう。
恥ずかしさの余り、口調が少し乱雑になった。

「わ、分かったわよ。しょ、しょうがないわね、別に貴方が言ったからって言う訳じゃないんだけど、今日の所はゆっくり休む事にするわ」
「はい。是非、そうしてください」
「あ、そうだ」

 と、そこでアリスは忘れてはいけない、この一週間でしてきた事の一つを思い出す。
再び人形を操り、一組の人形を連れてくる。
小さな、アリスが普段使っている人形と変わらないぐらいのサイズの人形は、アリスと権兵衛を象った人形であった。

「これ、貴方にあげるわ」
「へ? え、でもいいんですか?」
「いいもなにも、貴方にあげる為に作ったんだもの。あ、初めて義手を作った記念に、って事ね」

 と言うのは建前である。
実際は二つの人形にアリスは魔力的ラインを繋いでおり、何時でもその人形の瞳と視界をリンクできるのだ。
それによって、何時でも権兵衛の見る事ができるように、と言うアリスの願いを成就させる為の人形であった。
正直、永遠亭を経由する権兵衛が無事なままの人形を家に持ち帰れるかは賭けだったが、何もしないよりは、とアリスは挑戦してみたのだった。

「あ、ありがとうございます。大切にしますね、アリスさん」

 と言って受け取る権兵衛を、アリスは今度は別の意味で直視できない。
純粋な笑顔を浮かべる権兵衛に対し、自分が非常に邪な思いを抱いているかのように思えるのだ。
それをじろっと睨む永琳を尻目にアリスは人形を渡し終え、二人を玄関まで送る事にする。

「それじゃあ、今日までありがとうございました。では、また会う日まで!」

 言って権兵衛は帰っていった。
空をとぶ権兵衛らが点のようになるまで見届けると、アリスは予想していた通りの虚脱感を覚え、急ぎそれを補う為に、家の中に戻る。
すぐに家の中の倉庫の扉を開き、すぐさま中にあるそれに抱きついた。
それは、権兵衛の等身大人形。
丁度作っていた人間大の人形をそのまま流用し、この一週間で急造した人形であった。
素材も何もかも、特別性の物を使った渾身の一作である。
時間こそ足りなかったものの、それでもアリスの一念が叶ったからか、不思議とこれまでの最高の作品に比類しうるような、良い出来だった。

 また会う日まで。
権兵衛が何気なく言った台詞は、アリスすらも想像できなかったぐらいに深く、アリスを傷つけていた。
何せ、また会う日、なんて物が来ないのでは、と、アリスは常に不安に思っていたのである。
それを他ならぬ権兵衛の言葉で思い起こされ、アリスは恐怖に打ち震えていた。

 それを打ち消す為、アリスは強く強く、権兵衛人形を抱きしめる。
温度すらも魔力を注げば再現する権兵衛人形は、権兵衛と等しい体温を模していた。
なのに、同じ体温は筈なのに、何故か感じる温度は、何となく本人の方が暖かく感じる。
僅かな温度の差なのに、それが決定的な物のように思えて、アリスは思わず涙ぐんだ。

 浮かんでくる悲しみを誤魔化す為、アリスはより深く権兵衛に抱きつく。
足を権兵衛人形の足の間に挿し込み、抱く腕先の手は権兵衛人形を握りしめるように、顎は権兵衛人形の肩に乗るように。
それだけしてもまだ足りず、アリスは思わず、権兵衛の頬に唇を近づける。
想像の中で、アリスは権兵衛の柔らかくも芯のある肌に、唇を近づけていた。
吐く息が互いに触れ合い、互いの温度が境界を無くそうとしていた。
そしてついに、アリスの唇が、権兵衛人形の頬に触れる。

「……ぁ」

 触れたのは、一瞬だけであった。
すぐさま沸き上がってくる違和感に、アリスは思わず顔を離す。
違う。
違う。
こんな物は、権兵衛ではない。
内心の叫びと共に、アリスは権兵衛人形を突き飛ばす。

「ち、違うっ!」

 突き飛ばされた人形は、倉庫の壁に当たり、そのまま床まで落ちた。
本物の肉とは違う音が響き、その質量の差や材質の差を感じさせる。

「違う、権兵衛の肌は、こんなつるつるしてなかった。もっとしっとりしていて、柔らかかったっ!」

 叫ぶと同時、アリスは顔を覆う。

「違う、権兵衛はもっと暖かかった、温度だけじゃあなくて、よく分からない暖かさがあったっ!」

 手に付く人形を拾い、アリスは権兵衛人形に投げつけた。
人間にぶつかったとは思えない、軽い音しか帰ってこなくて、それがアリスの感情を更に逆なでする。

「お、お前は、権兵衛じゃない。権兵衛じゃないのよっ!」

 叫び、それからアリスは崩れ落ちた。
ペタン、と尻を付き、呆然とした表情を天井に向ける。
自分は一体、何をやっているのだろうか。
自分で作った人形に、自分から抱きついて、なのに投げ捨てて、分かりきっていた事で文句を言って。
あまりの事に、全身を虚脱感が襲い、アリスは呟く。

「何やってんだろ、私……」

 絶望的な無力感であった。
涙さえもがアリスの両目から溢れ、零れ落ちてゆく。
それを埋めようと、この一週間での権兵衛との思い出を思い出すアリスだったが、どれもが今の自分のおぞましい行為にかき消されるように、消えていってしまう。
権兵衛の事を人形で代用しようとした事は、アリスにとって凄まじい罪悪感になっていた。
涙と共に、アリスは思わず呟く。

「ごめん、なさい……」

 誰に謝っているのかは、アリス自身にも分からなかった。
権兵衛相手になのか、勝手な都合で振り回してしまった権兵衛人形になのか、それとも他の誰かになのか。
それすらも分からずに、アリスは再び呟く。

「ごめんな、さい……」

 どれだけ謝っても、アリスの言葉には返事は無かった。
ただただ空虚な空間に言葉が消えてゆくばかりで、何も返ってこない。
それでもアリスは、謝り続けた。
ずっと謝り続けていた。
一言一言に、まるで自身の身が削れるかのように、力が削がれてゆく。
そのうちに喉が潰れそうになるよりも早く、アリスは力尽きて眠った。
ただそれでも、涙だけは枯れ果てず、何時までも流れているのであった。




あとがき
一週間でこの長さを書くのは疲れました……。途中で力尽きそうだった。
前回ちょっと構成パターンを変えてみたのですが、やっぱり女の子の心情描写が多い方がいいよな、と戻しました。
書いていても、やっぱりこっちの方がいいかな、と思います。
ちょっとテンプレ化があるかもしれませんが、ご容赦を。
次回は閑話になります。
権兵衛さんの新生活についてですかね。


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