時間はほんの少し遡る。
日本が出現して、当然ながら世界は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
バリアの中が見れたのはほんの少しの間だけだった。その少しの間に、バリアは少しずつ色づき、乳白色の殻となってしまったからだ。
アメリカでは、すぐに日本系アメリカ人が呼び集められ、日本語を守る会所属のカート少佐がエンタープライズ号に即座に配属された。
すぐに船が出港し、殻を破る努力がされたが、刃物も銃も通さなかった。
しかし、ミサイルまで使えば外交的に厄介な事になる。
日本が現れて一週間後に国連会議の開催も決定された。これは、恐るべき速さである。
そして日本が現れて三日後、動きは現れた。
三頭の巨大な竜が、日本を出たのだ。各国は緊張に包まれた。
すぐさまアメリカは戦闘機を飛ばし、それに追走する。
パイロットのギリアンは息をのんだ。
子供が竜に乗っている! 服装も髪も肌もばらばらだ。ただ鞄と羽織った毛皮の衣だけが均一だった。
「君達! 止まりなさい」
英語で呼びかけるが、子供達はさらにスピードをあげた。
言葉が分からないのだろうか?
そこで、ギリアンは焦った。向かい側からも飛行機がやってくるのが見えたのだ。
中国の戦闘機である。下手をしたら、撃ち落とされるかもしれない。
どうするか本部に連絡を取った所、カート少佐が無線に出た。そして、無線機を拡声器に近付けるように言う。
『待ちなさい! そこから先は中国の領空だ。今すぐ引き返してこの先の船に乗らないと、撃つ。私達はアメリカ合衆国第五空軍だ。諸君の身柄の安全は保障しよう』
言葉の意味はわからなかったが、竜はすぐに速度を下げ、反転した。
ギリアンは安堵にため息を吐く。そして、竜に寄り添ってエンタープライズ号に帰還した。
三頭の竜がエンタープライズ号に降りると、軍人達は挙って竜に駆け寄ろうとした。もちろん、銃の携帯は忘れない。
竜から、子供達が降りてくる。一人は男の子だ。肩までの黒髪の、まだ十歳位の子供じゃないだろうか。毛皮のコートのようなものの下に、ゆったりとした黒と白の服を着ている。その目は黒く、緊張の色を滲ませていた。
もう一人は、十五歳くらいの美しい女の子で、腰まである長い金髪に、毛皮のコート、胸、腰、肩しかないゲームの中にしか無いようなピンクの鎧を着ていて、その下にはやはりピンクの長袖を着ている。そして、驚くべき事に耳と尻尾が犬のものだった。
最後の一人、これは一際幼かった。五歳児ではないだろうか? 寄ってきた軍人の何人もが、こんな子供を竜に乗せた親に怒りを感じた。黒人の子供で、髪はストレートで耳が異様に長い。大きな目が可愛らしかった。
少年が、制止するそぶりを見せて口を開いた。
『近づかないでください。滅菌処理を先にします』
そこに、カート少佐が歩み寄ってくる。カート少佐は、少年と同じ呪文を唱えた。
『もう一度、ゆっくり言ってくれないか』
『近づかないでください。滅菌処理を先にします。私と貴方、共に有害な菌を持っている』
『わかった。私はカート・ラグラロイ少佐だ』
少年と言葉を交わした少佐は、声を張り上げる。
「互いが有害な菌を持っている事を心配しているそうだ。少し離れてやってくれ。日本では流行り病があるのかもしれない」
それを聞き、軍人達は僕達と大きく距離を取る。
子供達は荷物から果物らしき物を取り出し、竜に与えた。そして防護服らしきものを取り出して着ると、スプレーを互いに掛ける。恐らく、消毒をしているのだろう。
そして、少年が防護服の中にしまい込んだ荷物を出して、水筒から水分を少し補給して、息をついた。その後、女の子達に笑いかける。その微笑みは緊張で強張っていた。
『さあ、行こうか』
少年の言葉に、犬耳の少女がはっとしたように前に出る。
『初めまして。ガウリアだ。こっちは樹、こっちは……』
『アースレイアがいこうかんですっ』
カート少佐は耳を疑い、そして自らの日本語の知識を疑った。もしかして、彼女は外交官の娘だと言う事を言いたいのかもしれない……。
その時、樹が焦った様子でするりとアースレイアとカート少佐の間に滑らせて、言う。
『樹外交官です、よろしく』
カート少佐は、思わず目をぱちくりさせて言った。
『外交官……? 随分若いようだが、歳を聞いても?』
『全員一五になります。若輩者ですが、成人試験は全員合格しています。これ、証書です』
下記の者を大人と認める。そう記されたカードを指し示されて、カートは戸惑った。
『成人試験なんてものがあるのか? それを合格しないと、お年寄りでも子供? 子供でも、その……』
『はい。ですが、試験合格の為の施設もありますし、余程でなくてはそうなる前に受かります』
カート少佐は、アースレイアの方をじっと見る。その試験は、よほど簡単なのに違いない。それにしたって、人選というものがないだろうか。彼らは、外交官と名乗ったのだ。
『それにしたって、若すぎないか? もっと……そう、熟練の大人は?』
『それが、外交官が全員奇病に掛かってしまって、外務省が麻痺状態に陥ってしまって……飛竜に触らないで! 病気が移る可能性があります』
「日本では流行り病があるそうだ、飛竜に触るんじゃない!」
勝手に飛竜に触ろうとしていた兵を叱責する。
軍人は、慌てて手を引っ込める。カート少佐はそれを確認して、更に質問を重ねた。
「それで、君達の目的は?」
『同盟国の伝手を頼って、まずはこの世界の情報を仕入れたかったんです』
同盟国。悪の枢機軸国。カート少佐はそれを思い出し、眉をあげた。ついで、自分の前にいるのが、成人試験とやらに受かったとはいえ、一五歳の子供に過ぎないのを思い出す。それに、この世界という表現を、カート少佐は胸に刻みつけた。
『ドイツ? それともイタリアか? どちらにしても、それは無茶だ。いくつもの国の領空を通らなくてはならないし、私達でなくても中国に捕まったと思うよ。それに、あの小さな……竜? 竜なのか……で、そんなに長い距離を飛べるとは思えない』
確かに竜は大きかったが、人を乗せているのだ。何より、目の前の小さな子供達が長旅に耐えられるとは思えなかった。こんな子供達を送りだした外務省とやらに、怒りを感じる。
『はい……あの、どうして僕達が大日本帝国を出たのが分かったのですか?』
大日本帝国。そう自分達の国を呼んでいる事も、少佐は心にメモをする。
『日本に名を変えたと思ったのだがね。君達の国は監視を受けている。それだけの事だ。さあ、こちらへ』
カート少佐は踵を返し、マイケル大佐の元へと向かった。
マイケル大佐の所に向かうと、カート少佐は通訳機と化す。
「ようこそ、エンタープライズ号へ。艦長のマイケル・P・カーラン大佐だ」
「田端樹です」
「ガウリアだ」
「アースレイア・レガットです」
樹達はぺこりと頭を下げる。
「座ってくれたまえ」
樹達は揃ってふかふかの椅子に座った。
ガウリアが、股に挟みこんでしまった尻尾を無理やり引っ張って横にするのを見て、マイケル大佐とカート少佐は笑うのを堪えなければならなかった。
少女が緊張するのも、無理もない事なのだが。こんな所が、犬と同じなのだとしみじみ思う。
カート少佐がしばらく説明する間、緊張のひと時が続いた。
「さて、君達はポツダム宣言を知っているかね」
マイケル大佐が言い、緊張が、一気に高まった。しかし、これは当然ながら重要な事だ。
「今の日本は疲弊しきっています。軍事力を奪うと言うのは死ねという事と同じ事です。国民皆兵の状態で、ようやく平和を保っているのですから」
緊張した樹の言葉。国民皆兵。なるほど、目の前の子供達すら戦力と数えているなら、確かに国民皆兵と言えるだろう。
「国内に何か問題が?」
「それを話す事は許されていません。僕達の任務は、ドイツと連絡を取り、とにかく情報を得る事です。ただ、これだけは言えます。大日本帝国が求めているのは、平和。子供が、願わくば誰もが戦わなくて済む世界であり、飢えずに済む世界です」
マイケル大佐の予想を肯定する言葉。飢えと子供を戦に駆り立てる何かが、日本にはある。
ガウリアが、それにつけ加える。
「洗脳も、奴隷も、理由なく殴られ犯され殺されるのも、もうごめんだ」
もうごめん。つまり、それはやられていた事があったと言う事。
「それに、ちょーいんしてな……もごもご」
そこで樹は慌ててアースレイアの小さな口を塞いだ。おどおどとマイケルを見上げてくる。その言葉は、五歳児の言葉とは言え聞き捨てならなかった。
マイケル大佐は、アースレイアに笑いかける。
「そうだね、確かに、調印していない。となると、戦争はまだ継続している事になる。そう考えてもいいと言う事だね?」
ポツダム宣言さえ受諾されていれば、日本の全てはアメリカの物となる。ここは譲れない。子供相手に申し訳ないと思いながらも、半ば脅すように言うと、樹はしっかりと反論して来た。
「誓って言いますが、大日本帝国は逃げたのではありません。国ごと拉致されたのです。逃げてはいませんが、状況が変わったのですから、ポツダム宣言に対して物申したいというこちらの気持ちも理解して頂きたい。宣言によれば占領軍が守ってくれるはずでしたが、それは叶いませんでした。もちろん、それは貴方方の咎ではありません」
その言葉に、マイケル大佐は眉をひそめる。
「国ごと拉致?」
言葉の断片を総合すると、日本は、拉致され、洗脳され、奴隷にされ、戦いの中にあったという事になる。
樹が、ガウリアに肘を入れられた。
「君達、状況を話してくれなくては、話にならないよ。日本国のせいでなかったのはわかる。国一つ消す事を成し遂げる事が出来る技術が、かつての日本にあったはずがない。それより、そういった事が出来る勢力がいる事が問題だ。アメリカが拉致されていたかもしれないのだから」
事実、そんな技術力を持つものがいるなど、寒気がする。宇宙人なのだろうか? だとしたら、随分敵対的だ。
「それはありません。アメリカは大きすぎる。日本は島国だったから狙われたのです」
「それは全ての島国にとって聞き捨てならない問題だな。ますます日本の情報が欲しくなったよ。外務省で奇病が蔓延していると言う事だが、医師を派遣しようか?」
樹が息を飲むのが分かり、ガウリアが前に乗り出した。
「それは助かる! 何人送ってくれる? 10人か? 100人か!? 医療物資も出来たら……!」
ガウリアの立て続けの要求に、樹はガウリアを肘で突いた。
「医師達の安全も確保せねばなりませんし、それは本国に連絡を取ってみなければわかりません。しかし、お心遣いは感謝します」
それにマイケル大佐はクックと笑う。
「こちらも本国に連絡を入れてみよう。まずは、互いに情報を得る事が先決だ。それでいいかな?」
「はい……!」
そして、マイケル大佐は一番聞きたかった事を聞いた。
「それと、あれだ。ガウリア外交官殿、アースレイア外交官殿。その耳と尻尾は本物かね?」
カート少佐は、マイケル大佐の言葉を聞いて待っていましたと言う顔をした。
「あ、私はハーフ獣人だ」
「ハーフダークエルフ、だよ」
ハーフ獣人! ハーフダークエルフ! ダークエルフとは気付かなかった。
マイケル大佐は、まじまじとアースレイアを見る。
「失礼だが、写真を取っても?」
二人が頷くと、マイケル大佐は思わず笑顔を見せた。
三人と別れた後、マイケル大佐は部屋で休む……わけはなかった。隠しカメラで、子供達の確認をする。
「緊張したぁーっ」
樹がベッドに身を投げ出すと、ガウリアがそれを注意する。
「樹外交官殿、ここは敵地なのだぞ」
「でも、おもったよりやさしそーでよかったねー」
アースレイアの言葉に、マイケル大佐は微笑んだ。
「うん、いきなり解剖される事はなさそうだ。ディステリア人と戦った時の方がよっぽど怖かったよ」
「いつきに―、ないちゃったもんね」
樹は顔を赤らめて頭を掻くが、マイケル大佐は表情を凍らせた。一緒に監視カメラの様子を見ていた他の軍人達も。
「誰だって初陣はそういうものだろう? それは、確かにアースレイアは立派だったけど。かっこよかったよ。ころさなきゃみんなしぬの、だかられいあはたたかうの、って。舌ったらずな言葉で言われたら、男として頑張らないわけにはいかないよ」
少なくとも、五歳児には絶対に言わせてはいけない言葉。
「ガウリアとアースレイアは、本当に立派だったよ」
樹は呟くように言って、ガウリアがくしゃりと頭を撫でた。
「樹は、逃げないだけマシな方だったな」
「うん……皆も守ってくれたしね。あの防衛戦さえ乗り切れば、この世界に帰って来れるってわかっていたから。この世界なら、生き延びられる目はあるってわかってたから」
望むのは、生存。
「生かしてくれるだろうか」
ガウリアは暗い声で言う。子供達はお弁当を取り出した。握り飯、あるいは欲し肉が一つに、果物が一つ。
育ち盛りの子供達には圧倒的に足りない食事。
「少なくとも、ガウリアとアースレイアに悪い目は向けていなかった……と思う。研究や偵察目的があるにしろ、医師も派遣してくれるって言っていたし……。上手くすれば……上手くすれば、援助だって貰えるかもしれない。ドイツだって、どれだけ大日本帝国が苦労して来たか知れば、少しくらいは……」
樹の呟きに、ガウリアは首を振った。
「それは高望みしすぎだ。ドイツだって敗戦国なのだぞ。それに、私達の任務は、いかにドイツの首相に連絡を取るかだ。その後は、小杉大臣がやってくれる」
その言葉に、マイケル大佐は微笑んだ。日本の時間は、あの第二次世界大戦で止まっている。確かに、ドイツは色々あった。東西に分割され、首都は四つもの国に統治され、賠償金にあえいでいた。しかし、それも昔の話なのである。
もちろん、ドイツは頼まれれば援助をするだろう。頼まれなくても、援助するだろう。
ドラゴンのいる神秘の国日本。あのバリアさえなければ、数カ国が調査の為と銘打って日本に押し入っているはずだ。
「肌がまだ真緑に染まっていなければね。ガウリア、あれはすぐには治らないよ。でも、時間は限られているんだ。それに、援助は絶対に必要だよ。僕らは頑張ってる。頑張ってるけど、人口はじりじり減ってるんだ」
「こーわって、どーいうじょーけんで? おかね、レイアたちをたすけるために、ばらまいちゃったよ……」
うっと樹は言葉に詰まった。
「ガーラントがいる。長距離が飛べて、必要な餌が少ない。どんなに科学が進んでたって、これが魅力的に移らないはずはないと思う。これが、大きな産業になってくると思う」
「しかし、あれは空軍の機密だぞ」
「仕方ないよ。……今日はもう疲れた。寝よう」
そして、子供達は眠りについた。
日本は、医師を、食事を、平和を必要としている。そして、講和を望んでいないわけではなく、目的は生存させてもらう事だけ。つまりアメリカの出番である。それだけわかれば十分だった。
マイケル大佐は、まずは子供達にたっぷりの朝食を与える事を指示するのだった。
次の日の朝早く、マイケル大佐は叩き起こされた。
動物学者のカロイが到着したのだ。
「それで、私のドラゴン君はどこだね!? 早く見せたまえ!」
「日本のだったと思うがね、カロイくん。あれだ」
「すぐアメリカの物になるさ。……あれは……素晴らしい、素晴らしいよ! まさか、こんな生き物が本当に……」
カロイはふらふらと飛竜へと寄って行った。
そこに、カート少佐からの知らせが来る。曰く、餌はリンゴでも大丈夫だとの事。
カロイはすぐに調理室からリンゴを分捕ってきて、竜の餌付けを開始した。
それを記録に取りながら、アメリカ本国では喧々囂々と議論の嵐が渦巻いていた。
マイケル大佐が送った情報は、大いに参考にされ、すぐに医師団……もちろん、特殊部隊も中には織り交ぜている……の編成を開始した。
それと同時に、ドイツとも打ち合わせがなされた。
アメリカからすれば、情報収集の相手先にアメリカをまず選ばなかったのは業腹だが、確かに異世界先で拉致されて散々な目に会った直後に戦勝国に挨拶に行くのは難しいだろう、と理解を示す事になったのである。
もちろん、情報の共有はするとの約束はなされた。
ちょうどドイツ首相と外交官の会談がなされた時に開催された国連会議でも、アメリカはポツダム宣言を前面に出し、アメリカが日本を保護すると言う事を取りつけたのは言うまでもない。