「日本国民の皆さん! 私達は、常に耐え忍ぶ人生を歩み続けてきました。大東亜戦争で原爆を落とされ、異世界に召喚され、具現化した神々に揉まれ、召喚をしてきた鬼畜どもに洗脳をされかけ、言葉の問題にぶち当たり、病魔に侵され、病魔をばら撒き、魔王と戦い、そうして、ようやくこの世界に、元いた世界に帰ってきた! しかし、しかし! 私は声を大にして言いたい。私達は、やり遂げた! やり遂げたんだ! 我々は生き延び、魔法を、聖術を覚え、神々の庇護を得、洗脳を跳ね返し、言葉の問題を克服し、画期的な治療法を確立し、虐げられていた人々を救い、魔王を倒し、この世界に帰ってきた! この世界に帰ってきた以上、神々はまた見守るのみとなり、私達の力も加速度的に弱まっていくでしょう! この世界の科学がどれほど進んでいるかも、見当もつかない! しかし、私達は、今度もまた、やり遂げて見せる! そして、ついに夢にまで見た平穏を! 得て見せる!」
大空へと映し出された日本国首相、萩原武の映像に、各地の広場に集まって聞いていた人々は爆発的な歓声で答えた。それを僕は、ビルの窓から冷めた目で見守る。
「樹外交官殿。緊張しているのか?」
「樹にー、きんちょーしてるー?」
大きくて柔らかいものが僕の頭を挟み、暖かくて小さなものが僕の足にぶつかってきた。
僕の顔はぽっと赤く染まり、急いで大きなそれを振り払い、小さなそれをそっと押した。
そして振りかえると、僕の同僚の外交官が二人、立っていた。
ガウリアとアースレイアだ。
ガウリアはハーフ獣人で、大きな胸のすらりとした美人だ。ところどころにタリスマンを埋め込んだ胸、肩、腰だけのピンクの鎧を着ている。それに、長く美しい黄金の髪と目。狼耳がぴこぴこしているのがチャームポイントで、いつもは魅力的に揺れている豊かな尻尾は股の間に挟まれてしまっている。
アースレイアは、僕の腰までくらいしかないハーフダークエルフの可愛らしい少女で、緑の服を着ている。肌は浅黒く、髪や目もまた黒い。腰のあたりにタリスマンをぶら下げている。
僕達は、共に国立幼年学校に入学し、共に成人試験を受験し、共に国家試験を合格した同級生でもある。
成人試験とは、種族ごとに成長速度が異なる為に新設された成人の儀式で、これが通過出来れば大人と目される。最も基礎的な成人試験の他にも数多くの成人試験があり、これは必須科目ではないが、様々な場面で必要とされる事が多い。資格試験と考えてもいいのかもしれない。
ガウリアは獣人成人試験、アースレイアはダークエルフ成人試験、僕は陰陽寮主催成人試験、魔術師協会主催成人試験、帝国大学主催成人試験の三つに受かっている。ガウリアやアースレイアみたいな能力持ちは成人試験一つで大体の用が済むのに、僕らのようなノーマルは三つも試験が必要なのはちょっとズルイ。他種族も獣人試験とか、ダークエルフ試験とか受けていいんだけどさ。他種族が受かるとは思えないほどの難関だけど。
僕達の年齢は共に15歳である。ガウリアは獣人の、アースレイアはダークエルフの血が混じっているから、成長速度は大分違うけど。成人試験に受かっているとはいえ、肉体的に成人しているのはガウリア一人だ。ガウリアが、だから僕達を守らなくては、と気負っているのを知っていた。僕もまた、男としてガウリアとアースレイアを守らないと、と気負っているけれど。
「僕達はまだ外交官じゃないよ。それにガウリア、尻尾が丸まっているよ」
僕が指摘すると、ガウリアは尻尾をピンと立たせ、そしてへろりとうなだらせた。
「う……! うん、私も緊張している」
「レイアもどきどきしてるー」
ガウリアは認めて下を向き、アースレイアも不安そうな顔をした。
「そ、その、こちらの世界の人も、やっぱり差別意識が強いのだろう?」
上目遣いに聞いてくるガウリアの言葉に、僕は肩を竦めた。
「僕もこの世界は初めてだって事を忘れていないか? おじいちゃんからは、白人至上主義とか鬼畜米英とか聞いているけど。なにせ、戦争していた相手の事を悪く言うのは当たり前だろう? 実際はどうなのか、見当もつかないよ」
「そ、そうか……」
それきり、黙ってしまったガウリア。僕は、罪悪感にそっと目を逸らし、再度お祭り騒ぎの広場を見つめた。
「大日本帝国を守るバリアは一年で消える。それまでに、僕らは和平を結ばなくちゃならない」
今現在、大日本帝国には大別して三つの派閥がある。
異世界に戻りたい派と、この世界に定住したい派、新たな新天地を探したい派に別れて三つ巴の大混戦になっているのだ。そして、どの選択肢を選ぶにも非常に大きな問題を抱えていた。
外務省は、問答無用で定住派である。そもそも、異世界は世界大戦から命からがら逃げてきた場所だし、新たなる新天地はそもそも見つかっていない。
正直、定住するしかないのだが、この世界がどのような環境かわからない。
その上、異世界に拉致された時、この国は敗戦して調印直前。新兵器が広島と長崎を焼き払っている。
こんな時こそ外務省の出番なのだが、帝国での外務省の地位は低い。何故なら、全方位敵となる事を防げなかったからだ。これは致命的な外交の失敗である。
それゆえ、外務省は頼むから何もするな、自分達が一年以内に無人の新世界を見つけるから、というのが新天地派の言である。
外務省は、正しく日本の命運をかけ、起死回生の一手を打たんと気勢を上げていた。
「それでも、僕らはやり遂げて見せる。だって日本が生き残る道はこれしかないんだから。だろ? 僕らは、その為に外務省に入ったんだ」
僕が言うと、ガウリアは頷き、アースレイアは笑った。
「樹に―、心配しなくても、皆がいるよ」
それはそうだ。どんなに大きい事を言っても、僕らは新米の外務省職員なのだから。
そして、僕らは外務省へと向かった。
そこにあったのは、阿鼻叫喚だった。
「どうかしたんですか!」
外務省で倒れ伏す人、人、人。それらは全て、肌が真緑だった。
「これは……呪詛!」
僕はそれに戦慄する。これほど強い呪詛、初めて見た。
外務省は即座に臨時の病院へと姿を変え、辺り一帯は封鎖された。
三日後、僕らは小杉外務大臣に呼ばれたのだった。
小杉大臣は、やっぱり真緑だった。
彼は、意外にしっかりとした口調で喋った。
「樹君、ガウリアくん、アースレイアくん。君達に重要任務を与える。知っての通り、外務省には後がない。たかが全職員呪詛に掛かった位で休むわけにはいかんのだ。君達にこんな事を任せるのは心苦しいが、ここに書類がある。確認してくれえたまえ」
「はい。あの、解呪は……」
「陰陽医が試してみたが、駄目だった。何、各宗派の僧医も呼んでいる。直に治る」
小杉大臣は安心させるように笑った。笑ったまま、ベッドに倒れ込んだ。
「小杉大臣―!」
「下がって! ヒーリングを行います!」
エルフが言って、回復呪文を使う。僕達は書類を大切に抱えて、部屋を出た。
書類の紙封筒はいくつもあって、一の書類以外勝手に開封しないように書かれていた。
一の書類を開けると、そこにはドイツの首相に秘密裏に手紙と通話球を届ける旨を書かれた指令所と、飛竜を使う事の許可証と古い世界地図、陰陽寮からパイロットの英霊の一人、長谷川さんの協力の要請書、 それと感染を防ぐ為の注意事項があり、十時に外務省前の広場発と書いてあった。ちなみに今は、九時だ。
「えええええええ!?」
「なんだと!?」
「レイア、がんばるっ」
僕は信じられない思いで広場へと向かった。そこには三人分の荷物と、長谷川さんのタリスマン、意味ありげな白い封筒と便箋、机と墨と筆が用意してあった。
そこで、アースレイアの母君のアースラキルさんが飛竜を撫でながら待っていた。
アースラキルさんは、純粋なダークエルフだけあってとても美しい。流れるような黒髪と闇のような黒い肌、輝く黒い眼。大日本帝国人の美的感覚がおかしいのはわかっているけれど、それでもやっぱり僕はこの美的感覚を持てて良かったと思う。
アースラキルさんは、レイアの前に跪いて優しく笑いかける。
「来ましたか、レイア。お前にこのような重要な任務が与えられたのは名誉なことです。決して足を引っ張ってはなりませんよ。捕虜の憂き目にあったなら、迷わず自害するのですよ」
「あいっ」
恐ろしい事を交わし合う二人。僕は、慌てて間に入った。
「大丈夫ですよ、今回は、同盟国のドイツに届け物をするだけです」
「数十年前に同盟国だった国です。どうなっているのか、存在しているのかすらわからない国です。大日本帝国を自分だけ敗戦後の蹂躙から逃げ出した国だと思っているかもしれない国です」
アースラキルはレイアを撫で、強い口調で言う。
「今回の事、むしろダークエルフには良かったのかもしれません。外交面でダークエルフが前に出る事ができるなど、名誉な事です。本来行くのは、純ノーマルが三人でしたから。アースレイア、貴方にはダークエルフの今後の命運が掛かっているのですよ」
「あいっ」
「僕達も、全力を尽くします」
「期待しています。さ、遺書を書きなさい」