風を切る音をして、次々に竜が砂浜へと着陸……いや、墜落する。
待機していた医療班が走る。
竜の背には、軍人とそれに抱きかかえられたダークエルフがいた。
医療班はまずダークエルフを、次に軍人の診察をしていく。
嵐山防衛大臣は、自ら兵を率いて出陣していた。
竜の背で荒く息をする指揮官の元にウィッジを走らせる。
「戦果は」
「目的は達した。囚われていたダークエルフはこれで最後だ。こちらの損害、113。追手も無い。だが、早くて十日、遅くて二十日で攻めてくるはずだ」
「そうか。急がなくてはな」
それだけ言って、じっと大陸の方を見つめる。
「見張りを置け! 陸軍第五大隊はここで警戒せよ! 私は新たなる臣民を移民局へ連れて行く」
嵐山防衛大臣が連れて来た兵が、ウィッジにダークエルフを乗せていく。
ダークエルフが、呟くように言った。
「異世界の……勇者達……。本当に、本当に助けに来てくれたんですね……」
そして、静かに涙を流す。
暗闇の中、聞こえてきた言葉。
あまりにも優しく、あまりにも神聖な声。けれどそれは神ではなかった。
『私は、貴方に自由しか用意できない。それでも良ければ、私達と共に来てくれますか?』
すぐにわかった。相手は神に限りなく近いが、にっくき人間であると。
そして、とある噂を思い出した。
ディアトルテ国は、魔王を倒す為、魔王にも対抗できる力を持ち、全ての悪を切る勇者を召喚した。だがしかし、清廉なる勇者は邪悪なるディアトルテ国を許さず、敵対したと。皮肉な話である。彼らは、魔王と戦うとともに、亜人の奴隷解放の為に力を注いでいた。勇者は、尻尾を巻いて逃げるつもりだとも。ただし、全ての亜人を引き連れて。
亜人達の間では、勇者の国はディアトルテによる召喚で今は魑魅魍魎で溢れているが、元は天の世界の天の国であり、そこに亜人を導く為に現れたと聞いている。
噂が嘘でも構わない。どこだって、ここより悪い所なんて無い。
ダークエルフは、声に救いを求めた。
「勇者など、あいつらが勝手に言っていた事だ。言っておくが、これから行くのは天国なんかではないぞ。当たり前に戦争のある国だ。……祖父祖母が最後まで帰りたがっていた国だし、さすがにここよりはマシだろうがな。とりあえず、魔物はいない」
「ここじゃなければ、どこだっていい」
ダークエルフは呟き、嵐山防衛大臣に抱きついた。
要人にも関わらず、嵐山防衛大臣はそのエルフの少女をしっかりと抱え、ウィッジを走らせた。
走る。走る。走る。
その時、通信球が光った。
『嵐山防衛大臣、困った事が起きました。何と言っていいのか……。移民局に来て下さればわかります』
嵐山防衛大臣は、そっけなく返す。
「不測の事態などいつもの事だ。茶の準備をしておけ」
それは嵐山防衛大臣の、困難に立ち向かう時のおまじないだった。
果てしない困難に直面した時だけ、貴重な茶葉を使うのだ。
ダークエルフの娘が、不安そうに嵐山防衛大臣に抱きつく。
「心配するな。私はそれなりに有能だ。お仲間のダークエルフが、待っているぞ」
「私達はもう、仲間ではないのですか」
嵐山防衛大臣は、その言葉に笑った。
「ああ、そうだな」
嵐山防衛大臣は、歴戦の将であったが、そんな彼も移民局に着くと、敗残者のように崩れ落ちた。
ダークエルフも、ぽかんと口を開けている。
そこには、貴重な茶と、もっと貴重な甘味を嗜んでいるエルフと竜族、神聖帝国の王子がいた。
小さくなっていた小杉外務大臣が、嵐山防衛大臣の顔を見てぱっと顔を輝かせる。
「おや、何をしているのですか」
「これはこれは、エルフが長、エルーザ様。竜族が長、リュシランテ様。そして敵国のはずのキュリア王子。本日は、どのようなご用件でしょうか」
「移民局に来る目的は一つだけに決まっておるだろう。一族を引き連れて移民の登録だ。ふむ、この団子は美味い」
リュシランテがパクパク口に入れるその団子は、外務省の国内接待切り札で、めったに出ない物である。
「なんと野蛮な。泥に汚れているではありませんか」
エルーザが見下した瞳で嵐山防衛大臣を見る。
「まあまあ、着いたばかりなんだし。とりあえずお茶飲みなよ。小杉外務大臣、一族ごと引き受ける場合は君のサインが必要なんだろう? 手続きして」
キュリア王子が、嵐山防衛大臣の秘蔵の茶を手ずから入れた。
「……小杉。もちろん断ったんだろうな」
小杉外務大臣は、手を合わせて頭を下げた。
「馬鹿か小杉馬鹿か小杉馬鹿か小杉」
「失礼な。大日本帝国は亜人を差別するのか? まさか、竜は人でないと言ったりはせんだろうな」
「亜人を厚遇して人間を差別するのは、本末転倒だよねー」
リュシランテとキュリア王子の言葉に、嵐山防衛大臣は拳をプルプルとさせ、ついに叫んだ。
「お前らは神聖視されてるだろうが! その上、神から人間を導く役目とやらも受けているんだろう。俺達奴隷組みたいに逃げる必要なんかない! 日本に余分な食料は無いのだぞ」
本来は小杉外務大臣の言うべき事である。
小杉使えない。外務省使えない。嵐山防衛大臣はぷりぷりと怒っていた。
「私達は、人間を導けとしか命を受けていない。だから、お前達を導いてやるのだ」
リュシランテの言葉に、嵐山防衛大臣は我が耳を疑った。
エルーザがため息をつく。
「私達が導き方を間違えたのではありません。あくまでも、人が好き勝手のびのびと育ち過ぎたのです。いいえ、神が作るのを失敗したのです。そうですとも。そうに違いありません。ぶっちゃけもう疲れたのです。彼らはいずれ、私達をも迫害するに違いありません。今までそうならないよう努力を続けてきましたが、もう疲れました。導くなら、確実にいい方向に育つという確証がないとやってられません。その点、日本ならば既にいい方向に育っています。神は良き方向に導いた私達をお褒め下さるでしょう。神と約束した期限の後二十年、日本をいい方向に精一杯育てて見せようではありませんか」
色々突っ込みどころのありすぎる発言に、嵐山大臣の頭はくらくらとしてきた。
「そうそう、僕もう嫌なんだよね。迫害とかさ。やりたくも無いのに、わざわざ亜人を殺して見せたりとかさ。うんざりだよ。僕はこう、もっと適当に遊んで暮らしたいんだ。人を傷つけるとかさ、空気がギスギスして嫌じゃん? でも、そんな事言ったら異端認定だし。それに、日本って結構面白い物色々あるしさ。楽しみだよ、天の国とか言う場所に行くの」
勝手すぎる。あまりにも勝手すぎる。
「あんたらが味方に着けば、日本はもっとずっと楽を出来たんだ! 今更……」
そう、もう転移は間近なのである。本当に今さらだった。全方位敵の状態での、数十年。
「諦めなさい。亜人差別しないと言ったのはそちらです。安心なさい、手土産として戦争準備の為とだまくらかして食料を日本に運びこませたのですよ」
「あ、その作戦、僕も手伝ったんだよ。っていうか、僕が指揮官ね。亡命希望者集めて、軍を率いて日本に攻め込むふりをしたんだ。もちろん、全員が亡命者ってわけにはいかなかったけど、数合わせで連れて来た奴らはもう殺しといたから。大日本帝国に邪魔な人材を出来るだけ入れるようにしたんだ、褒めて褒めて」
「まあ、最後の防衛線ぐらい戦ってもよかろう」
「なんだそれは! 俺は聞いてないぞ。軍の指揮権は全て俺にあるはず……」
そこではっとした。外務省も、他国と交渉するという性質上、独自の軍を持っているのである。小杉大臣を見ると、小杉大臣は頭を下げた。
「すまん、敵以外は来るもの拒まずという不文律を変えるわけには……」
「小杉―っ!! 大体! 神が! この地に来るならともかく! 追ってきたらどうするんだ」
「もちろん私の功績を褒めてもらいます」
「あ、本国にはエルフも竜族も僕も囚われたって事で話ついてるから」
嵐山防衛大臣の罵詈雑言も、彼らには届かない。何故なら、それらを決めるのは小杉大臣であるからだ。
こうして、軍務が英雄譚を作る間、外務省は無能伝説を一つ作りあげるのだ。
転移後、全方位敵だった大日本帝国に手を差し伸べたのは、皮肉にもかつての敵国となる。