再び才人はタバサの部屋にやってきた。
軽い足取りでドアを開き、暗い部屋に足を踏み入れる。
まだタバサはランプの淡い明かりのみで、黙々と本を読んでいた。
「よう!」
天に向かって手を挙げる。
あまりの勢いで上着の袖が揺れ、バッという音がした。
返答がないので、より一層寂しく響いた。
「なあ、この部屋椅子が一個しかないみたいだから、ベッドに座っていいか?」
タバサははいともいいえとも答えない。
ただ本のページをめくっているだけだ。
才人は考えた。
了承も得ていないのにいきなり人のベッドに座るのは、流石に失礼だ、と思っている。
しかし、目の前の少女がそれにこだわりそうにないのも、今まで得た経験でわかっていた。
とはいえ、それでも勝手に座ることはできなかった。
「んじゃ、ベッドに座っていいなら五秒間何も言わないでくれ」
形式的だけでも了承を得るための苦肉の策を講じた。
それは見事に成功し、タバサは五秒間ずっと黙っていた。
心おきなく、才人はベッドに腰掛ける。
詭弁じみていたが、タバサ相手にまともな方法で了承を取るのは難しい。
念のための措置だった。
「なんの本を読んでるんだ?」
才人は一人でタバサに声をかけ続けた。
返答がないのはわかっていたが、それでも懸命に声をかけ続けた。
同居生活をしなければならないのに何も言葉を交わせないのは致命的過ぎる。
才人は諦めるのは全て試してみてからでも遅くはないと、先ほどとは打ってかわってがんばりを見せていた。
それでもタバサは無情にも才人の言葉に返事をしない。
タバサは、そんな才人の存在を煩わしく思っていた。
静かに本を読んでいたい、というのが本音で、タバサには才人に声をかけることは断じて行わない意思があった。
才人がタバサの後ろから本を覗きこんで居るときになって初めて、眉をほんの少しだけ歪ませた。
「うわ、読めね……なんだこのミミズがのたくったような文字は」
異世界人である才人にとってはこの世界の文字は未知の領域である。
言葉はなんらかの能力があってか理解できたが、識字することはできない。
加えてタバサの読んでいる本は挿絵の一切ない、文字だけの本。
しばらく唸りながら見ていたが、才人には本の内容がかけらも理解できなかった。
「……」
タバサは才人の言葉に耳を傾けない。
ただひたすらに、ページに綴られた文字を目で追っている。
かなりのハイペースで文字を読み取っていた。
「なー、なんでそんなに無口なんだよ」
才人は本から目を逸らし、タバサの方を見た。
テーブルの前にぐるりと回り込む。
本を見ているタバサの正面に立ち、真っ向からタバサに声をかけた。
手に持った本にのみ目を向けているタバサの目を見て、才人はさらに言葉を続ける。
「おーい、聞こえてる? 俺のことなんでそんなに無視すんの?
一応、俺、お前の使い魔ってことになってるんだけど」
中腰になってテーブルの上に肘をつき、腕で顔を押さえながらタバサの顔を見続ける才人。
それでもタバサは顔色一つ変えない。
ここまで無視され続けると、実はしゃべれないのではないか、という疑問が才人の中からわき上がってきた。
「実は、失語症? いや、あのとき喋ってたから違うか」
才人は、自分がこの世界に喚び出された直後のことを思い出した。
確かに記憶には、タバサがコルベール対して召喚失敗のことを言ってたし、使い魔のルーンを才人の体に刻むときには呪文を唱えていた。
ならば意図的に無視しているわけだ、と才人は結論づける。
「なあ、無視すんなよー」
「……」
「無視すんなって」
「……」
「お願い、無視しないで」
「……」
「……」
「……」
才人は立て続けにタバサに声をかけたが、タバサは頑なに口を開かなかった。
強く言ってみても、懇願してみても、タバサは全く反応を見せない。
流石に根気も尽きて、才人は何か他の方法でタバサの口を開かせようと考えた。
しかし、これといって方法は思いつかない。
いっそくすぐってやろうかとも考えたが、あまり知り合ってない間柄(知り合っていても駄目だが)の女性に対してくすぐりをするのも問題があったのでやめた。
「ま、いいや、話したくないんなら話したくなるまで、話さなくたっていいさ」
才人は諦めた。
ただ時間の経過が、タバサの硬い口を開かせるのを待つことにしたのだ。
才人は立ち上がって、部屋を見渡した。
話すことが不可能だとわかったならば、何か他にすることを探すことにした。
部屋にはこれといって暇つぶしになるようなものはなく、あったとしても読めない本がぎっちり詰め込まれた本棚だけ。
「うーん、掃除、するかな?」
本棚は一部、埃がかぶっていた。
一番使用頻度の高い本棚で埃が被っているのだから、他の家具もあまり清潔とは言い難い。
「掃除していい?」
才人は一応部屋の住人であるタバサに声をかけた。
少し考えて、言葉を続ける。
「掃除していいなら、五秒間黙ってて」
タバサは黙っている。
本のページをまくる音が、沈黙の中に響いた。
「んー、でも今日はもう遅いから明日にするか」
才人は廊下に吊してあったランプを一つ借りて、タバサの部屋に持ってきた。
タバサが本の明かりに使っているランプの火貰って、部屋を照らす。
「うわっ、蜘蛛の巣張ってる……この学院にはメイドがいるのに、なんでこの部屋こんな汚いんだよ」
才人は独り言を呟いた。
掃除道具がないので、軽く腕で払って蜘蛛の巣を取り除いていく。
「やれやれ、女の子なんだからもうちょっと気を使えよ」
才人はそのまま家具の中に何が入っているのか物色し始めた。
もはや遠慮はしないとばかりに、大胆に棚のものを見ていく。
とある棚で二つのさいころを発見した。
才人の住んでいた世界のさいころとほとんど同じの六面ダイスを手のひらに持つと、他のものを探し始める。
「んー、すごろく、すごろくっと」
さいころの対となるものを才人は探し始める。
棚の中を勝手にくまなく探ったが、目的のものは結局見つからなかった。
「……」
暇つぶしになる遊戯道具を見つけようとしたけれど、結局さいころしか見つからない。
棚の中をもう一度くまなく漁ったが、すごろくは見つからなかった。
そのかわり。
「これは……?」
才人は木で出来たコップを見つけた。
「……」
何か飲み物を飲むような容器ではないが、何故棚にあるのか、才人は頭を捻る。
「……?」
ふと、才人の脳裏に、以前に見た時代劇の1シーンがよぎった。
木のコップの中にさいころを入れて、回し、地面に押しつけて、さいころの数が偶数か奇数かを当てる賭博だ。
この部屋の住人を見てみる。
相変わらず本のページをめくっている。
才人は首を捻った。
どう見ても、タバサとは合いそうにもない。
タバサに聞こうとも、答えが返ってくることはまずないな、と才人は思った。
釈然としないまま才人はさいころとコップを棚に戻し、他のものを物色し始めた。
しばらく部屋のものをあれこれと探っていた才人だったが、元々物の少ない部屋だったために、一時間も経たずにほとんどが見終わってしまった。
ランプを廊下に戻し、ベッドに座る。
よごれてしまったパーカーは脱いだ。
「……」
「……」
タバサは黙々とページをめくっている。
時折、本を閉じたかと思うと、その本を本棚に戻し、また別の本を取り出して読み始める。
才人はベッドに座ったまま、ぼうっとタバサの行動を見続けていた。
そして、夜は更けていく。