「さぁてね……」
才人はようやくタバサの部屋の前に到着した。
今度は積極的に人に道を尋ね、確信を持って部屋の前に立っている。
このドアの向こうに、あの人形みたいな子がいる、と考えると才人の心臓は早鐘を打った。
生者の気配を全く感じさせない瞳を直視したことが余程才人にはこたえていた。
意味もなくドアの前でうろうろ歩き回ってみたり、ドアノブを握っては放してみたりしてドアを開けることを引き延ばす。
今ひとつ踏ん切りがつかなかった。
第一、使い魔になったという実感が、まだ才人にはない。
理解はしている。
この世界が魔法の存在している世界で、そういう慣例があることを、理解はしている。
しかし、物質的な現代日本の寵児である才人が、そのことを無条件に受け入れられなかった。
「ん~……」
鼻の頭を爪の先で軽くひっかく。
踏ん切りのつかない自分に、才人は軽く嫌悪感を抱く。
いくら入りづらいとはいえ、いつまでも廊下にいるわけにはいかないのだ。
使い魔になった以上、どんなに不満を覚えてもタバサに仕えて日々の糧を得なければならない。
そのためには廊下でいつまでもうろうろせずに、部屋の中に入り、タバサと声を交わさなければならない。
わかってはいる。
わかってはいたが、中々踏ん切りがつかなかった。
「えーい、ままよっ」
遂に才人は一念発起し、ドアを力強くノックをする。
乱暴に叩いた分だけ、ドアは乱暴な音を発した。
中から返事はない。
「ここ、タバサさんの部屋ですか? ですよね?」
返事がなかったために、大きな呼びかけた。
それでも、中から返事はない。
……。
才人は再び頭を抱えた。
あの無口な少女であれば、返事をしなくても何の不思議もない。
しかし、完全に確認が取れていないのに部屋に入るのはどうだろうか、と。
もし別人の部屋だったら、才人にとってあまり好ましくない運命が待ち受けている可能性が高い。
無人であれば問題はないが、就寝していた場合、あらぬ誤解を受けるのは明白だ。
「あら? あなた、そこで何をしているの?」
そこへ、タイミングよく女子生徒が通り、才人の存在に気が付いて声をかけた。
長い金髪にロールをかけて、おでこが大きく露出している生徒だった。
才人は少々動揺しつつ振り向く。
「えっと……この部屋がタバサって人の部屋かなぁ、と確かめようとノックしたんだけど、何の返答もなくて……」
ここが女子寮だからかばつ悪く感じ、少しどもった声で言った。
女子生徒は探るような目つきで才人の姿を上から下へと見ていたが、やがて才人のことを思い出したのか、大きく頷いた。
「思い出した。あなた、今日召喚されてたタバサの使い魔ね。そう、そこがタバサの部屋よ。
でも、あの子極端に無口みたいだから、いくら呼びかけたって返事はしないわ」
「ああ、やっぱり」
才人は溜息をついた。
このドアを境にして向こう側に自分の主人がいる。
その主人は誰に対しても無口で、不干渉。
これから長らく世話にならなければならないのに、そんな人相手にやっていけるのか、と才人は不安を感じていた。
「ちょっと待っててね、内側から鍵が閉まってると思うから」
髪をロールした子は、マントの中から杖を取りだし、先端でドアノブを軽く叩いた。
「アン・ロック」
髪をロールした子が呪文を唱えると、かちりという音と共に鍵が外れた。
才人は目を見張った。
鍵を掛けられていたことを確認していなかったのだが、確かに鍵の外れる音を聞いた。
空を飛ぶ人やコルベールが何もないところから火の玉を出すのを見ていた才人だが、やはりまだ魔法を見せられると必要以上に驚いてしまう。
才人は驚いている反面、目の前の子が魔法を使っていとも簡単に鍵を開けたところを見、この世界での鍵の信用度は低いんだな、とやや冷静に物事を見ていた。
「タバサはロックが使えないから、私でも容易に鍵を外せるのよね」
「あ、ありがとう」
「これくらいはなんてことはないわ」
髪をロールした子は、この後人と会う約束をしている、と言って、その場から立ち去っていった。
また再び、廊下に一人残された才人。
助けてくれた親切な人の背中が完全に見えなくなるまで見送ってから、ドアと向き合う。
胸一杯に空気を吸い、ゆっくり吐き出すとドアをじっと見つめた。
やや緊張した面持ちでドアノブに手をかけ、そのまま横に捻る。
ドアに鍵がかかっている感触はなく、押せば大した力も必要とせずに部屋の中と廊下が繋がった。
「失礼しまーす」
声を潜めて言う。
どうせ、大きく言ったって小さく言ったって、そもそも何も言わなくたって、主人が何も気にしないのはわかっている、と才人は開き直り、部屋に踏み入った。
ランプの淡い光が照らす部屋の中央にタバサはいた。
「……」
タバサは部屋に入ってきた才人に目もくれず、ランプの光を頼りに本を読んでいた。
最初はタバサに視線を奪われた才人だったが、すぐに部屋を見回し始めた。
タバサの部屋にあるものは、安物のクローゼット、本が詰め込まれた棚、小さなベッド、ぼろいテーブルと椅子。
たったそれだけ。
才人は目を疑った。
仮にもタバサは貴族と聞いている。
しかし、この部屋が才人のイメージとはあまりにもかけ離れていた。
やたら本だけはあるが、家具はほとんどがお粗末な代物で、やはり貴族の部屋には見えない。
「……」
部屋にはタバサの本のぺージをめくる音のみが存在していた。
部屋の外の音は聞こえてこない。
音が入り込まない魔法が建物にはかけられていた。
才人とタバサの両者、どちらも沈黙を崩さずに時間が流れるままにしていた。
才人はタバサをまじまじと見た。
ランプの光によって闇の中から浮かび上がるタバサの白い顔は、何故か才人に幼いころ読んだ絵本の魔女を彷彿させた。
タバサの顔には皺一つもないが、ランプの光のゆらめきが、タバサを皺の寄った老婆に見せた。
才人の喉が唾を飲み込んだ音をたてる。
足がほんの少し震え始めた。
「……」
非常に居づらい……才人は、現状を打開するための方針をいくつか立てようとした。
ここまで行動の極端な人物は才人は今まで見たことがなく、とりあえず当たり障りのないところから始めることにした。
「な、何の本を読んでるのかなあ……」
まずは、コミュニケーションを取ってみることをした。
相手も人間、こちらも人間、人間ならば言語が通じる、言語が通じればコミュニケーションができる、という単純な発想の答えである。
宇宙人とコンタクトをとるように、慎重に慎重にイントネーションを大切にして、言葉を発する。
「……」
それでもタバサは完全に無視していた。
明らかに聞いているはずなのに、言葉も返さず、関心も示さない。
一瞬、タバサは声が聞こえていなかったのかと才人は思ったが、適度な音量で発声した以上それはなかった。
それでも念のため、もう一度才人は声を掛けた。
「おーい、聞こえている?」
負けじと才人は呼びかけたが、返答はない。
段々とタバサに声を掛けることが『無駄な行為』と思い始めた。
外聞と第一印象通り、どんなに話しかけたとしても無視されると思い、ついに努力を放棄することに決めた。
やれやれと溜息をつき、いきなりコミュニケーションをとる前に、まず情報を集めることにした。
声をかけるのは一旦やめ、タバサの様子をもう一度よく見直してみる。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず、ってな」
口の中だけで響くような小さな声で呟いた。
ランプの明かりを頼りに、タバサの様子を見る。
タバサは、小さかった。
他の同級生達と比べてみても、明らかに低すぎる背。
確かに彼女のクラスの中では、一番低い年齢ではあったが、それでも実年齢とは2、3歳ほど差がある体をしている。
タバサは、ちょっと力をいれたら折れてしまいそうなほど細い指で本のページをめくっている。
ランプの明かりが、おどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。
才人はタバサを観察していたが、しばらくすると馬鹿馬鹿しく思えてきたので、目を逸らした。
外見から得られる情報は、どれもこれも『不気味』としか思えないものだけ。
今後の関係をよりよいものにするために使えそうなものは何も手に入らなかった。
それでもしばらく才人はタバサの部屋にいたが、両者の間には相変わらず沈黙しか存在しない。
タバサのあまりの無視っぷりに耐えられなくなり、才人は音を立てないように部屋を出た。
無言のプレッシャーから解放され、部屋から出て才人は大きく溜息をつく。
「やっぱり……」
誰に言うこともなく呟く。
一度、部屋のドアを振り返って見た後、才人はあてどなく塔の中を歩き始めた。