「あのー、すんません」
才人はそれから半時間もの間、広い寮の廊下を彷徨い続けていた。
流石に自力で現状を打開することは不可能だと思い、才人は遂に助力を求めた。
たまたま出会ったのは、赤い髪をした、褐色の肌の女の子。
この子も生徒の制服を着ているが、その胸元は、中身がはち切れんばかりに膨らんでいた。
「何かしら」
「えっと、道に迷っちゃいまして、ちょっと聞きたいんですけど」
「あなた、確か、あのゼロのタバサがサモン・サーヴァントで喚びだした平民?」
「そうっす。そのゼロのタバサの部屋に行きたいんですけど……」
才人は胸に視線を行かせるのを止めることができなかった。
反則気味というべきか、才人が呼びかけた女の子は、先ほどの桃色の髪の子に並ぶとも劣らぬ容姿をしていた。
特に意識して声をかけたのではない。
が、やはり胸に視線が行ってしまう。
あまりじろじろ見ていると、相手に悪い印象を与えかねないと思い、才人は努めて他のものを見ようとした。
「きゅるきゅる」
そしてその『他のもの』は色々とインパクトのあるものだった。
「うわぁ! 真っ赤な何か!」
床には巨大な赤いトカゲがいた。
『サラマンダー』だ。
赤い髪の子の背後からにゅうっと顔を出し、才人の足下にするすると歩いていた。
「あなた、火トカゲを見るの初めて?」
「え、ええ、まあ……」
才人は直ぐに心拍数を戻そうと試みた。
今までに、元の世界には絶対いないと思われる生き物を何度か廊下で見たが、ここまで巨大なものは初めてだった。
全長は大体人の身長ほどの、燃えるような……実際一部体が燃えている、巨大トカゲだ。
突然、足下に現れたため、思わず驚いてしまったが、見慣れてしまえばどうというものではない。
恐ろしい生き物であれど、使い魔なら、主人が命令しない限り無差別に襲ったりしないのは、コルベールから聞いていた。
「……ふむ、よく見てみるとかっこいいな」
才人も男の子である。
燃えているトカゲは、恐ろしくあれど、しかし同時にかっこよくも思えた。
「火、吹いたりするの?」
「吹くわよ。それはもう情熱のような真っ赤な火を吹くわ」
「へー、触っても、いい?」
「いいけど、尻尾の方は火傷がしたくなかったらやめといた方がいいわよ」
「わかった」
才人はおずおずとした手つきで巨大な爬虫類に手を伸ばした。
頭の赤い皮膚に触れると、熱を感じる。
「あったかいな。爬虫類って変温動物だけど、こいつは日光とかあんまり必要なさそうだな」
「まあね、あんまり寒いところに行かせちゃうと体調を崩しちゃうけど、自ら熱を発しているから普通の寒さは耐えられるわね」
才人は段々大胆になり、ただ触れるだけではなく、頭を撫でてやった。
サラマンダーは気持ちよさそうに、きゅるきゅると喉を鳴らし、目を細める。
猫みたいだな、と才人は思った。
「あら? フレイムがこんなに懐くなんて」
「フレイム?」
「この子の名前よ、似合ってるでしょ」
「そうだな、真っ赤だし、暖かいし」
使い魔同士、妙なシンパシーでも働いたのか、サラマンダー=フレイムは才人に顔をすり寄せた。
自ら体をなすりつけたり、喉を鳴らしたりして、撫でられるのを懇願したりしている。
口を開いて舌で才人の頬をなで上げる。
「うぉぁちっ!」
サラマンダーの唾液は高温である。
それを頬に塗りたくられた才人は、もんどりをうって転げた。
「あっはははは」
赤い髪の子は、そんな才人の様子を見て腹を抱えて笑った。
フレイムは倒れた才人にのしかかり、更に舌で顔を舐めまくる。
「熱いッ! 熱い、やめ、熱いってやめろ、この、フレイム! ほんとマジ火傷するから!」
才人は本気で抵抗していたが、フレイムは止まるところを知らない。
圧倒的な重量で才人を地面に押しつけて、身動きを取れなくさせ、腕で防ぐことすらできない無防備な顔を舐めていく。
その横で、赤い髪の子は腹を抱えて、大笑いをしている。
「ちょ、ちょっと、笑ってないで助けてくださいって……あつっ!」
「くくくくく、ごめんごめん、こら、フレイムやめなさい」
赤い髪の子がフレイムの頭を軽く叩くと、フレイムはきゅるきゅると悲しげに鳴いて、才人の体から離れた。
余程熱かったのか顔を真っ赤にし、べたべたをパーカーの袖でぬぐいながら、才人は起きあがった。
「ごめんなさい、でもあんまりおかしかったものだから……」
赤い髪の子は口元を手で押さえて、今も少し息を詰まらせていた。
顔をぬぐっている才人がジト目で見つめていることに気が付くと、わざとらしく咳払いして笑いを止める。
「私、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプトー、キュルケって呼んで頂戴。あなたは?」
「え? あ、お、俺は平賀才人。才人でいいよ」
「ヒラガ・サイト? 変わった名前ね」
「そらまあ……」
才人は、あんたのやたら長い名前よりかはマシだよ、と思った。
心の中のことなどおくびも出さずに、愛想笑いを浮かべる。
「中々変わった人ね、あなた」
「そうかな?」
「そうよ。平民なのに使い魔だったり、そんな見たこともない服装。
おまけにうちのフレイムをあっというまに魅了しちゃってるのに、変わってないって言うつもり?」
「ふっ、服装はところ変われば品変わるって言うだろ。俺のいたとこではこれが普通なの!」
「郷に入りては郷に従え、とも言うわよ」
「今日突然連れてこられたばかりなんだから、着替えなんてなかったの」
「あらそう」
とはいえ、才人は着替えがあったとしても着替える気はなかった。
まだこの異世界に来てから一日も経っていない。
ごく短時間で彼の価値観に多大な影響を与えたといえど、服装まで魔法使いの格好を真似する気にはなれなかった。
もっとも、彼は平民であるから、そのような格好をさせられることはないのだが、才人はまだそれに気付いていない。
「それで、タバサの部屋を知りたいんでしょ?
この塔じゃないわ、向こうの塔」
赤い髪の子=キュルケは窓から見える塔を指さした。
日が暮れたこともあり、塔のあちらこちらから光が漏れている。
「あの塔の、確か五階だったわね。わざわざ違う塔のこんなところまで登ってきてご苦労様」
キュルケは才人の肩をポンと叩いた。
結構な数の階段を上り下りして、足に疲労を溜めていた才人は、その勢いもあってかがっくりと肩を落とした。
もうそろそろ到着するころかと思ってたのに……と、才人は涙する。
「早く行った方がいいわよ。
ここの塔には、やたらがなりたてる桃色の髪の子がいるから、見つかったら大変なのよ」
桃色の髪の子、才人はさっきの子を思い出す。
確かにがなりたてていた。
結局、真っ赤な顔して逃げていってしまったけれど。
「ああ、はい、わかりました……」
「じゃねー、タバサによろしく。まあ、私はあの子嫌いなんだけどね、何考えているのかわからないし、無視するし」
「はあ、すんません……」
才人は、なんとなく頭を下げた。
この世界に来て才人の会った人達は、大なり小なりキュルケと同じ感想を抱いている。
(マルトー親父は例外で桃色の髪の子はそもそも無視していた)
「別にあなたが謝ることじゃないわよ。むしろお気の毒様、と言わせて貰うわ」
キュルケは少し困ったような笑みを浮かべ、才人の肩を二度軽く叩いた。
そのまま踵を返し、足下のフレイムに声をかけて、才人から離れていく。
フレイムは興味深げに、落胆している才人を見つめていたが、少し遅れてキュルケの後を追っていく。
「じゃねー」
途中、キュルケは振り返り、才人に向かって軽く手を振った。
才人も少し引きつった笑みで手を振り返す。
「貴族にも色々いるんだなぁ……っつっても、数人しか知らないけど」
才人は手に持っていた地図を丸め、ポケットにつっこんだ。
くしゃり、という音が寂しく聞こえる。
キュルケの後ろ姿が見えなくなったところで、才人も元来た道を引き返していった。