「ほえ~……」
才人は呆けた顔をして廊下を歩いていた。
手には小さな羊皮紙に、簡易的な地図がかかれている。
「まっさか、本当にファンタジーの世界にきちまってたとはなあ」
頭の貧しい人=コルベールから、才人はこの世界のたいていの成り立ちや法則を聞き出した。
全てが才人にとって信じられないことではあったが、今となってはそれを信じられる心境にある。
廊下の窓から才人は空を覗く。
空には赤い月と青い月の二つが大きく浮かび、地上を優しい光で照らしている。
地球で二つの月が見える地域というのは、いくらなんでも存在しない。
それを見てしまったので、才人はここが地球ではなく異世界=ハルケギニアということを嫌でも認識せざるを得なかった。
「貴族に……平民ねぇ」
才人は一人ぼやく。
酷く現実味のないことに感じられはしたが、これが夢や幻の類だとは思わなかった。
今日だけに十回以上つねられた頬の赤みが、現実を証明している。
貴族とは魔法を使う、国に認定された者のこと。
平民は例外はあるが、魔法を使わない者のこと。
シエスタ等に平民、と言われていたものの、才人はそれが一種の何かの言い回しかと思って気にしていなかった。
が、しかし、この世界ではその間にある差はかなり大きなものである。
「全く、けったいな世界に来ちまったもんだ」
平賀 才人、身分:使い魔。
左手の甲に浮かび上がった模様『使い魔のルーン』を目を細めて見ながら、才人は呟く。
コルベールは、このルーンは今まで見たことのないものだと言っていた。
というよりかは、一度何かの文献では見たことがあったが、実際に見ることは初めてだとか。
そしてその文献がなんなのか、使い魔のルーンにどういう意味があるかは、覚えておらず、才人達が訪ねてこなければそれを調べに行くところだったらしい。
この世界の情報を聞き出した才人は、そのルーンについて調べる協力を快諾した。
コルベールは使い魔のルーンの綿密なスケッチをとり、更に何層にも重ねた≪ディテクトマジック≫探知呪文をかけた。
これだけあればトリスティン魔法学院に存在する膨大な資料から調べ出すことも、いくらか手間がかからなくなった。
何にせよ、実物の詳細なデータがあれば、該当する資料を魔法で検索すれば事足りるのだ。
蔵書数が半端でないために、一晩はかかるが、手探りで探すよりかはずっと時間が短縮できる。
知的好奇心の強いコルベールにとっては、その程度の労苦はあまり問題にならないが、時間は重要なのだ。
「にしても、複雑だなー、ここ」
才人はトリスティン魔法学院の学生寮で道に迷っていた。
見知らぬ地の見知らぬ建物にとまどい、地図を持ってはいれども道を一つ二つ間違えている。
こりこりと頭を掻きながら、唸りながら道を歩く。
「あんた誰?」
不意に才人は背後から声をかけられた。
道を歩いているとしばしば生徒らしき人に出会い、姿格好の特異さからかじろじろ見られていたが、声をかけられたことはなかった。
才人は才人で、それはそれで面倒がなくて助かった、などと思っている。
とにかく、声をかけられた以上振り向かなければならない。
酷く鬱陶しく思いながらも、体の向きを機械的に変えた。
「なんすか?」
「なんすか、じゃないわよ。ここは魔法学院の女子寮よ? なんであんたみたいな男が、それも平民がここにいるのよ」
才人が振り返ると、そこにいたのは女の子だった。
女子寮であるので女の子なのは当然だが、桃色がかったブロンドの、かわいい子だ。
タバサ、シエスタの一歩先行く、今まで才人が見たことのないほどの美少女。
ただ少し気が強そうだな、と才人は思った。
事実、桃色の髪の子は言葉にも態度にも、才人への侮蔑が含まれている。
「俺、タバサっていう人の使い魔になったんす。それで、そのご主人様の部屋がどこか探してたんだけど……」
「ああ、あなたね。あのゼロのタバサの平民の使い魔ってのは」
桃色の髪の子は、才人を人と見ていないような目で見ている。
才人は、心中でムッとしたが、まだ角を立てる気はない。
高慢ちきでいけすかなかったが、相手は女の子。
それも外面はかわいい。
もしこれが男だったら皮肉の一つでも言っていただろうが、才人は平然とした態度を保とうとした。
「ええまあ……ところで、ゼロってなんなんすか? 誰も教えてくれないんすけど」
「本人に聞けば?」
桃色の髪の子は才人のことを頭から馬鹿にしていた。
何故こんな態度をとられるのか、現代日本に生まれた一般家庭の子である才人にとっては、初めての経験だったので、理解ができなかった。
ただ、桃色の髪の子の侮蔑に対しては思うところがある。
「そっすね」
少し才人は気分を悪くし、ぞんざいに答えた。
桃色の髪の子も、才人の態度に眉を顰めたが、声には出さない。
「ただ本人が答えてくれるかどうか……話に聞いただけっすけど、すっげぇ無口らしいじゃないっすか。
第一、俺をこんなところに連れてきたときだって、俺のこと完全無視してたっす」
「そんなこと、私は知らないわよ。とにかく、ここは女子寮。
あんたみたいな男は入ってきちゃいけないの、男子禁制なのよ?
貴族だって入るのには手続きが必要なのに、平民のあなたが無断で入ってこれる道理はないわ」
「あ、それのことなら問題ないっす」
才人はコルベールから貰った紙片を取り出した。
桃色の髪の子はそれをひったくり、紙片に書かれている文字を見る。
女子寮に住むことを了承する、学院長のサイン入りの許可証だった。
才人にはなんと書かれているのか全く読めなかったが、誰かに見咎められたときにこれを見せればいい、と言われていた。
「……くっ」
桃色の髪の子は、才人に紙片を叩き返した。
手がぷるぷると震え、顔がトマトのように赤くなっていく。
「こんなものを持っているなら最初から出しなさいよ!」
「は?」
「平民のくせにっ」
才人は理不尽さをかみしめながら、顔を真っ赤にして立ち去っていく桃色の髪の子を見た。
負けず嫌いの度が過ぎた子なんだなあ、と呆然と才人は思った。
今日は理不尽なことを立て続けに受けてきたため、もう傍若無人の振る舞いをされても腹も立たなかった。
「変な奴」
才人はぽつりと独り言を呟き、目的の部屋の探索を再開した。