第八話 『指をさして笑うな』
ルイズは食堂に入る前と、同じくらい足をふらつかせて、食堂を出た。
来たときと同じように、才人が傍らで立って、足下のおぼつかないルイズを支えている。
「まあ……確かに遠慮無く食え、って言ったけどなあ……」
少し呆れ顔を浮かべて才人は言った。
ルイズは一瞬才人を睨んだが、口を紡いでそっぽを向いた。
食べ過ぎた、というところはルイズにも否定できないことだった。
出されたのは平民の賄い食……しかもその残り物、という平時であれば絶対に手をつけないものだったが、スープから沸き立つ匂いには勝てなかった。
気が付けば椀にはスープの一滴も残っておらず、それでも尚、三大欲求のうちの一つは鳴りを潜めていなかった。
ルイズが何も言わぬ前に、才人が他の人間に頼み込んでいたので、五分も経たずにおかわりが出来ていた。
才人から差し出されたそれを、再びお腹に納めた。
それを何度か繰り返したことは、ルイズの頭の中にまだきちんとした記憶として残っている。
「……」
ルイズはかすかに顔の温度が上がるのを感じながらも、何も言わなかった。
彼女を知る人間であれば、今のルイズを珍しく見ていただろう。
ルイズがこういったからかいを投げつけられて……それも自分よりも身分の低い平民に……激昂していないのだから。
才女でありつつも、自我が強く、他者に対してやや攻撃的な性格であることは、学園内外でも有名だった。
他者からはそういった性格で評されるルイズであるが、決して恩知らずというわけではない。
自分自身で何でも出来るという気負いがあり、実際そうであるため今まで表には出ることはなかったが、恩を受けたら仇で返してはいけない、と優しい姉はもちろん、厳しい母と姉から教育されている。
傷つきはしたけれども、未だ肥大化している凝り固まったプライドを持ちながらも、その教育はルイズの中で根付いている。
才人の印象はルイズの中で最悪の部類に属するものであるが、才人に受けた恩を無視することはできなかった。
才人と一緒に食堂に来たとき、料理人達は皆、仕事を終え、自分の寝床に帰ろうとしていた。
そこを才人が頭を下げて、冷めた賄い食の残りに火をいれてもらったのだ。
平民の料理人達が、最初に自分に向けた目には好印象というものが含まれていないことを、ルイズは感じ取った。
職人気質というべき彼らは、自分らの生まれを根拠に差別をしてくる貴族を好んでいなかった。
貴族の中にも性格のいいものもいる、ということを知っているが、ルイズはその中に含まれていなかった。
むしろ、飛び抜けて嫌われている部類に属していた。
直接非難することはなかったが、露骨な視線を投げかけてきた。
普段のルイズであれば腹を立てるのだが、そのときは立つ腹が空きっ腹で、黙っていることしかできなかった。
黙るルイズにかわって才人は、頭を下げた。
「お願いしますよ、先輩」と、偉ぶるところなく、料理人達に頼み込んだ。
厨房で働く人達は、才人の境遇に同情を抱いていた。
長であるマルトーと同じように、気っ風が良い人間が多かった。
東方から無理矢理召喚され、その境遇に不満を言うこともなく、何もしてくれない主人に対して尚、労働して奨学金を返済しようとしている。
その健気さが、彼に対しての好印象になっていた。
仕事は真面目にこなすし、生意気なことをいうこともない。
多少不器用な面はあるものの、少なくとも「悪いヤツじゃない」という評価が付けられていた。
気に入らない貴族が職務以上のことをしてくれ、と頼んできても、一昨日きやがれ、と遠回しに言える料理人達だが、真面目な新人に頼まれたら断ることはできない、と引き受けた。
彼の面子を守るためにも、賄い食の残りを暖めるだけでなく、少し手を加えていた。
そういった裏事情を知らずとも、ルイズは才人が自分のためにしたことを理解していた。
少なくとも、飢餓感に苛まれたまま、翌朝まで耐えなければならない、ということを回避できた。
恩には恩でもって報いる。
ルイズは感謝の言葉を述べようとしたが、プライドが邪魔をし続けていた。
そもそも、才人が自分との決闘ですぐに降参しなかったことが悪い、という思考が一瞬だけ脳をかすめたが、流石にそれは口に出さなかった。
そんなこんなで感謝の台詞が口から出ることはなく、食堂を出た。
「あんた、名前はなんて言うの?」
「才人だよ。平賀才人」
「ふーん、変な名前ね」
才人は苦笑した。
ルイズは、以前も同じ問いをしており、そのときも全く同じことを言っていたからだ。
自分の名前を忘れられていたことに関しては、まあ、それもしょうがないか、と怒らずにいた。
ルイズの弱わっている面を垣間見たせいか、それほどルイズに腹を立てることはなくなっていた。
決闘前に見せていた傲慢ぶりは鳴りを潜め、今には少し気が強いだけの女の子に見えている。
才人はいつも何も言わないタバサの世話をしているせいか、ルイズもまた同じように彼にとっての妹のような存在に見えていた。
ルイズは不意に立ち止まった。
学園の中庭……食堂と寮との間の草むらにはまだまだ冷たい夜風が吹いている。
ルイズは悩みの末に、才人の恩に報いることにした。
「ありがとう」の一言を言うために彼女にしては相当苦悩したが、心の深い部分に存在する母親達の言葉は消すことができなかった。
ルイズは才人の上着の肘の部分を引っ張って、歩く才人を止めた。
なんだ? と聞いてくる才人の、月に照らされた顔を見ると、思わず顔が赤らむのを止められない。
ただ礼を言うだけなのに、こんなに精神力を使うのか、とルイズは赤い顔を才人に見られないようにと伏せた。
一方才人は、振り返ったはいいものの、その視線をルイズとは反対に上に上げていた。
才人の顔が驚きに染まっているのを、ルイズは気づかない。
「そ、その……私のために頼んでくれたことは、か、感謝しているわ」
ぶんぶん、と大きなものが空気を切っている音を、ルイズは気づかない。
「あんたのことなんか、大っ嫌いだけど……そのことについてはお礼を言うわ」
「あ、あ、あ……」
なんとなく、辺りに取り巻く違和感を、ルイズは感じることができたが、顔を上げる勇気はなかった。
「あ、ありが……」
とう、の最後の二文字は、地面を揺らすような轟音でかき消された。
あまりにも大きな音に驚き、振り返ってみると、そこには巨大な土人形が立っていた。
「ご、ゴーレム!? なんで、こんなところに?」
「おい、逃げるぞっ!」
土人形は拳を学校の建物に突き立てていた。
止まっていたその動きが再開すると、土の腕が引かれ、再び建物に向けて突き立てられる。
才人はルイズの腕を強く引き、ゴーレムから逃げるように走る。
あまりに強くひっぱったせいで、ルイズが、痛い痛い、というのもお構いなしにだ。
ゴーレムが殴っている建物とは反対の建物の陰に隠れる。
ルイズは、痛む手をさすりながら、建物の陰からひょっこり顔を出して、ゴーレムを見た。
「な、なんなんだありゃあ? この学院じゃ、あんなのが夜に闊歩してんのか?」
「そんなわけないじゃない……あのゴーレムはきっと賊よ。
あの建物は……教室はないけど、確か……宝物庫があったはず」
ルイズ達が見ている間にも、ゴーレムは何度も何度も建物の同じ部分を殴り続けていた。
ゴーレムを動かしているメイジも、恐らくは音を消すサイレンスの魔法を用いているのだろうが、それをもってしても消しきれない音や振動が二人に伝わってくる。
「宝物庫には魔法が掛けられていて、侵入できないから、無理矢理壁を壊して盗もうとしているんだわ」
「でも、そんなことしたら、中のものもメチャクチャにならないか?」
「そうだとしても欲しいものがあるんじゃない? とにかく、なんとかしないと……」
才人はルイズを押しのけて、ゴーレムを見た。
以前の経験を生かし、ポケットの中にいれておいたスリングを取り出す。
左手のルーンが微かに淡く光り始める。
それにともない、才人は類い希な暗視能力を得、視力が大幅に向上した。
「肩……あのゴーレムの左肩に、誰か乗っているな」
「本当? ……ここからじゃ、遠いし、暗くてよく見えないじゃない」
「ほれ、これを持ってみろ」
才人はルイズにスリングを手渡した。
暗いので何を渡されたかわからなかったが、才人に勧められるがままに、何かを持ったまま、再びゴーレムを見た。
「……別に何もかわらないけど?」
「あれ? おかしいな。これを持つと、目がよくなるはずなんだが……」
「何なの、これ? 紐?」
「いや、スリング。
ただ、学園長がくれたものだから、持つと目がよくなったりする魔法のスリングのはずなんだけど……」
「使い方は?」
「ただ持つだけだよ」
スリングというものが何か知らないルイズは、半信半疑でまたゴーレムを見た。
「……別に何もかわらないけど」
「おっかしいなあ。俺が持つと、本当に目がよくなるのに」
「まあ、いいわ。とにかく左肩に賊がいるのね。
貴族がひしめくこの学園に襲ってくるなんて、命知らずもいいところね。私が捕まえてやるわ」
「お、おい、やめとけって。あんなでっかいの、どうするつもりだよ」
「シルフィードで攪乱して、左肩のメイジを撃ち落とせば問題ないわ」
「やめとけよ、怪我をしたら大変だし、下手すると死んじまうぞ」
「だからって、見逃すわけにはいかないでしょう」
ルイズは意識を集中させて、シルフィードを呼んだ。
使い魔のルーンによって、主人と使い魔を繋ぐ特別なパイプを通じて、こちらに来るように、とメッセージを送る。
……が。
「……駄目ね、あの子、寝てるわ」
「は?」
「今度から、食事抜きのお仕置きをしないと……」
そこまで言ってルイズははたと言葉を止めた。
自分がさっきまで苛まれていた飢餓感は、辛く耐えられるようなものではなかった。
いくらお仕置きだとはいえ、食事抜きの罰を与えるのは、やっぱり酷いかもしれない、とルイズは考えを改めた。
そんなこんなをしているうちに、宝物庫をひたすら殴り続けるゴーレムの周りに、人が集まっていた。
明日はフリッグの舞踏会ということもあり、平時よりもずっと来るのが遅かったが、それでも色んな人が轟音を聞きつけてやってきた。
賊だ! などという声もあり、ゴーレムは殴り続けることを止めて、突然学園の外へと向かって歩き始めた。
追いかけるものもいたが、ゴーレムを操るメイジはその夜誰にも捕まることなく、消えてしまった。
宝物庫の壁は、ゴーレムの度重なる攻撃によって、ヒビこそ入っているものの、破られることはなかった。
翌日、学園内から有志を募り、ゴーレムを操るメイジ……恐らくは王国を騒がしている盗賊『土くれのフーケ』の捜索隊が結成された。