平賀 才人は夢を見た。
その夢の内容がなんであるか、目覚めたときには全く覚えていなかったが、『どんな感じなのか』は覚えていた。
氷で出来た布団に眠らされているかのような、痛いほど冷たい夢だった。
「……ッはッ……はぁはぁ……ッ……」
シーツをはね除け、才人は息を切らせて起きあがった。
直後、全身に走る痛みに顔を歪めて、唸り、悶える。
眠っている最中、何度も何度も寝返りを打ち、苦しそうにうなされていたためか、前髪が額に張り付くほど汗まみれになっている。
痛みを堪えると、右手で前髪を寄せ、顔を上げた。
トリステイン魔法学園であることは、窓の外に見える建物から推測出来たが、今まで見たことのない部屋にいた。
服は脱がされ、その代わりに包帯が体のあちこちに巻かれている。
包帯の巻き方に卒がないため、ある程度看護の経験がある人間がやった、となるとタバサはもちろん貴族ではない。
「……あ……」
不意に思い出したかのように頭痛を覚えた。
あれほど酷い目に遭わされて、死んでいなかったとはいえ、そのことを素直に喜ぶ気にはなれない。
才人は、そのまま再びベッドの上に横になった。
体を動かそうとするたびに全身がずきずきと痛み、酷く億劫だった。
柔らかい、とは決して言い難いが、床などより何十倍もマシなベッドで目をつぶる。
怪我を治すためというよりかは、痛みから逃避するために、呼吸を小さくし、ゆるやかに眠りに落ちていった。
才人が再び目覚めたとき、そこには人がいた。
ハルケギニアで、最も才人が親しい人物であるシエスタが、才人の体の包帯を取り替えているとしているところだった。
「……ん……」
才人は薄目を開けて、目の前の人物を見た。
大方予想通りの人物だったため、別段驚くようなことはない。
ただ、申し訳ない、という気持ちはあったが。
「あ、気が付いたんですね」
才人は起きていることに気が付いたシエスタは、手を止めずに、才人に声を掛けた。
「うん……まあ、その、迷惑かけてごめん」
目覚めてすぐに謝る才人に、シエスタは苦笑を呈しつつも、やはり作業を止めない。
起こそうとしてくるシエスタに対し、自分からも協力し、体を起こす。
地面を転げて傷ついた箇所に新しいガーゼと交換され、清潔な包帯が巻かれる。
両者無言のまま、刻々と時間は経っていった。
全ての作業が終わると、才人は会話の口火を切った。
「えーと……俺は一体どのくらい気絶してた?」
「三日です」
シエスタはにこりと満面の笑みを浮かべて言った。
当然、その心中が表情とは逆ベクトルに向いていることは状況から見て、明らかだった。
こうなると才人はなんと言えばいいのかわからなかった。
三日も世話をさせていたことを謝ればいいのか、礼を言えばいいのか、何分そういった経験がないのでわからなかった。
「驚きましたよ。
デザートのお皿を片づけようと中庭に来てみたら、貴族の皆様は不在で、
代わりに血まみれで気絶している才人さんがいらっしゃったんですから」
依然変わりなく、シエスタは笑顔のまま。
その能面のような、無機質な笑顔はいっそ不気味さすら感じられる。
ルイズと相対したとき、メイジと平民の間に存在する力の差に気付いても尚引くことをしなかった才人だが、今回ばかりは分が悪かった。
この時点で謝る方向性で考えを固めたが、さて、なんと謝ろうかと言葉を考えている間に、シエスタはさらに言葉を続けていた。
「そのときは大急ぎで才人さんの応急処置をしました。
でも後で一体何が起きたのか聞かされたときには、私の方が気絶しそうになりましたわ」
「いや……その……シエスタ、ご、ごめん……」
「いくらなんでも……貴族の方……それもミス・ヴァリエールと決闘するなんて……。
勇気があるんですね、とは言えません。無謀が過ぎますわ」
ますますもって居心地が悪くなっていく。
決闘はルイズと才人の間に起こったいざこざであり、第三者であるシエスタには大した関わりはないはずだった。
しかしここで、「君には関係ない」と言えるほど才人は恩知らずではない。
ハルケギニアに来てから、平民の何人かと親しくなっているが、シエスタはその中でも一番親しい間柄だった。
恋愛、という枠にはまだ当てはまってはいないが、友人であることは確かだった。
シエスタが優しい気性をしており、知り合いが困っていたら放っておけないことも知っているために、尚更だ。
才人はしばらく、ベッドの上から動けないまま、シエスタの追及を受け続けたのだった。
半日も経てば、才人は自分の足で立てるようになった。
痛みが引いたおかげで、上手く堪えれば歩くことも出来る。
今才人が寝ていたのは、学園長が手配してくれた特別な部屋で、しばらくはそのままそこを使っていいことになっていたのだが、
才人は体に走る痛みを我慢して、タバサの部屋へと戻ることにした。
シエスタは体の腫れや傷が悪化するといけないから、と引き留めたが、才人はそれでも帰ると言って聞かなかった。
もちろん帰ったところで、タバサがそれを歓迎してくれるとは思っていなかったが、
それでも帰ろうという気が何故か沸いてきた。
「まだ寝ていた方が……」
「いや、大丈夫。ありがとう、シエスタ」
「……では、肩をお貸ししますわ」
高価な魔法薬を使っていれば、今頃才人の傷も完治していただろう。
しかし、その代金を支払う人は誰もいない。
それこそ、ヴァリエール家のルイズであればポケットマネーから出すことが出来ていただろうが、
ガリアから逃げ出し、潜伏しているように生きているタバサに出せるわけがない。
今回のことにおいて、何故か学園長が一室を無料で提供してくれたり、看護役としてシエスタに休暇を与えてくれたりと
一使い魔としては考えられない破格の待遇を与えてくれたが、流石にそこまではしなかった。
才人はシエスタの肩を借り、学園の中をタバサの部屋を目指して歩いていった。
途中、学園の生徒の貴族達とすれ違う。
彼らの大部分はその場で立ち止まり、才人のことを見ながら、仲間となにやらか話している。
ヴェストリの広場での決闘は、トリスティンでもほとんど見られない結果に終わったとして、学園中に広がっていた。
平民が貴族に、それもその中でもかなり強力な部類に入るモノを打ち破って、引き分けた。
当然、手加減もなされただろうし、勝負の終わった状況を冷静に考えてみれば、引き分けだったということすら疑問が残るだろう。
しかし、噂好きの人間にとっては、真偽や詳細なんてものは二の次。
鼻っ柱の高い、トライアングルクラスのメイジであるルイズが平民に勝てなかった、というゴシップさえあれば満足なのだ。
ルイズは、決闘の後に部屋に閉じこもり、今でも部屋から出てくる気配はない。
それもそのはず、個人的感情から発する復讐として、いわば復讐決闘を行ったのに、
また杖を折られ、おまけに頬を叩かれて、泣かされたのだ。
生まれてから初めて受けた屈辱にショックを受けて、寝こんで起きられなくなるのも無理はなかった。
ルイズが出てこないならば、と、貴族達は先に出てきた才人を、噂の的にした。
そのまま数日間は、噂好きの貴族達が廊下で才人とすれ違うたびに、
その場でヴェストリの広場の決闘のことについて話すようになったのはある意味自然な流れだったといえる。
……シエスタというメイドに肩を貸してもらう、というかなり密着した状態が、男子のあらぬ嫉妬を買ってしまったのは余談だが。