ヴェストリの広場にて、名門ヴァリエール家の三女にしてトリスティン魔法学院今期最優秀生徒であるルイズと、
本名も正体も知れぬタバサの使い魔、平賀才人との決闘が行われようとしていた。
観客達は、この異色の組み合わせに一体どういう結末を迎えるのか、やや興奮した様子で事態を見守っている。
とはいえ、この場に居合わせた人のほぼ全員がルイズの勝利を疑っていない。
例外は才人その人であり、この場に立ってから、どうやって決着をつけようか、などと呑気なことを考えていた。
まさか女の子を殴るわけにもいかず、どうやって負けを認めさせるかを方法を模索している。
一方ルイズは、決闘の前に、貴族らしく長々と前口上を述べていた。
いかに才人、平民が行った行動が浅慮であったのか、観客に訴え、才人に向かって当て付けている。
しかし、才人はその言葉を聞いてすらいない。
どうせ人を小馬鹿にしたことしか言っていないんだろ、と才人側が完全に無視をしていたのだ。
「……というわけで平民は貴族に逆らっちゃいけないのよ。わかる?」
全く話を聞いていないことが腹に据えかね、ルイズは話を才人に振った。
才人は面倒くさそうに軽く手を振り、はいはい、と言ってから言いたいことを言う。
「ごちゃごちゃうるさいよ、お前。んなこと、どうでもいいし」
概ねルイズの意見と同じ物を持ち合わせている周りの貴族達も、失笑を漏らした。
くすくす笑いの声が辺りから聞こえてくる。
ルイズは更に怒りのボルテージを上げた。
それでも尚、冷静になろうと努めていた。
ここで怒って見せたら、才人や見ている貴族達の思うつぼだ、と必死に自分に言い聞かせ、自制をする。
「あ~あ、これだから無学な平民は嫌なのよ。
どうやら、叩きのめしてその体に直に分からせてあげないとダメみたいね」
才人は、どうしてこんなにこいつは自信があるんだろう、と思った。
そもそも男性と女性というハンディキャップがあるにも関わらず、ここまで大口をたたけることが不思議だった。
小柄な体に実は強靱な力と技が隠れているのか、と思えど、そのような素振りはない。
才人は最も基本的なことを忘れていた。
すなわち、ここは魔法使いの世界で、ルイズはその魔法使いであることを。
ルイズは素早く杖を構えるとルーンを紡ぐ。
才人が気付いたときにはもう既に遅く、呪文が完成して、才人に向かって魔法が放たれていた。
「ぐがッ!」
見えない何かに頭を殴打され、才人は地面を転がった。
『エア・ハンマー』
圧縮された空気の塊が相手を襲う、風系統の基本的な攻撃魔法である。
今回才人に向かって放たれたそれは、威力をある程度絞ったものだった。
「始まって直ぐに死んじゃったりしても面白くないから、手加減してあげたわ。
私が本気を出したら、あんたの中身の詰まってない頭なんて熟れたトマトよりも簡単につぶせるのよ」
ルイズは新しい杖を弄びながら、勝利の喜悦にうっとりと酔いしれた。
やはり魔法の力は圧倒的で、平民などに負けることはない、と一般的な見解はこの場でまた証明されたのだ。
この後は地面を転がっている平民に、何度も何度も『エア・ハンマー』を浴びせかければよい。
そうやって徹底的に肉体を痛めつけ、その後無様に土下座させ、精神をもねじ伏せればルイズの矜持は保たれることになる。
遅かれ早かれ、自分の望む展開になるだろうとルイズは確信していた。
エア・ハンマーに頭を殴打された才人は、軽く頭を支えながら、ゆっくりと立ち上がった。
鈍痛は酷く、目の焦点が少しずれているが、まだ立ち上がることはできた。
「この私に、何か言うことはないの?」
「別に……。今俺が思っているのは、へなちょこ過ぎて、あくびが出そうだ、ってことだけだ」
才人は何故このような大口がたたけるのか、自分自身でもよくわからなかった。
見えない鈍器の威力は、たった一撃だけで嫌と言うほど味わった。
謝るのは癪だが、これをもう一度食らうよりかはいい……と思っていたはずなのに、口は全く違うことを言っていたのだ。
「そう……」
ルイズは目を細めた。
この状態でまだ減らず口をたたけることに、怒りを通り越してあきれを覚えていた。
ただ、追撃の手を緩めないことに変わりはない。
「だったら、欠伸だけじゃなくて、泣いたり笑ったりできなくしてあげるわッ!」
ルイズは再び才人にエア・ハンマーを浴びせかけた。
一撃目のような単発ではなく、連発で。
圧縮された空気の塊が、何度も何度も才人を殴打する。
まるで才人の体は人形であり、見えない手で動かされているかのように、跳ねた。
時には宙に跳ね上げられて、そのまま地面に打ち付けられ。
矢継ぎ早に前後左右、倒れる間もなく放たれたエア・ハンマーによって、まるで踊りを踊らされているかのように蹂躙される。
才人の着ていた服は、何度も何度も地面を転がらされたせいで泥まみれになり、あちこちすり切れている。
額を切り、とめどなく溢れた血が、顔を真っ赤に染めていた。
全身に無数の青あざが浮かび上がり、肌が剥き出しになっている場所には擦過傷があちこちに出来ていた。
「う……ぐぅ……」
何十発もエアハンマーの直撃を受け、十何回もダウンした後、ようやく小休止が入った。
才人は四つんばいになって、肩で荒く息をしている。
何度も何度も血の塊のような痰を吐きながら、才人は咳を繰り返していた。
ルイズはこれで最後にしようとした。
「土下座なさい。
惨めに地面に額をこすりつけて、今までの非礼を詫びなさい。
平民らしくみじめったらしく泣き叫んで、命乞いをしなさい。
そうしたら、貴族の尊い慈悲を授けて、命だけは助けてあげる」
才人は、顔を上げた。
激しくむせながら、ゆっくりと体を起こす。
少し動いただけで全身に痛みが走るのを耐えながら、なんとか立ち上がることができた。
「謝ったら……命を助けてくれるのか?」
「ええ、いいわよ」
ルイズは勝った、と思った。
才人の目は、もはや闘争者のそれではなく、敗北者のそれに見えた。
自分の命を守るためには自らの矜持を投げ捨てる、平民のそれが見えた。
貴族であれば絶対にそのようなことはしない。
自らの矜持を自らの手で汚し、捨てるようなことは、例え死んでもしないのだ。
だから平民は貴族に劣っているんだ、とルイズは思い、満足した。
「だが断る」
才人は、血の塊を唾と一緒に吐きだした。
口の中はずたずたに傷がつき、血によって真っ赤に染まり、ねばついていて気持ちが悪い。
ルイズの要求に応えなかったのは、もはや意地だった。
こんな目に遭わされて、挙げ句の果てに土下座しろ、などと理不尽極まりない要求は絶対受けられなかった。
それによってどんな損をしようとも、『相手の思い通りになってやらない』というとても魅力的な行動には変えられない。
この平賀才人の最も好きなことの一つは、自分で強いと思っているヤツに『NO』と言ってやることだ。
口の中がずたずたで痛かったために、言わなかったが、そういう風な意味合いをこめて、才人はルイズをにらみ返した。
「そう……だったら、死になさいッ!」
もはやルイズは容赦の一片もする気がなかった。
平民のくせにコケにした。
平民のくせに手を患わせた。
平民のくせに生意気だ。
平民のくせに命と引き替えに誇りを守った。
それがルイズはとても許せなかった。
最も高貴たるものは、貴族だけが持つことを許されている、というのがルイズの持論である。
それからはみ出す存在を、ルイズはとても憎く思った。
本来ならば殺す気はなかった。
しかし、才人があまりにもルイズの癇に障る存在だったが故に殺意を覚えるに至ってしまった。
ルイズがルーンを紡ぐと、無数の氷の矢が出現した。
『ウィンディ・アイシクル』
氷の矢を放ち、対象に突き刺す攻撃魔法である。
エア・ハンマーよりももっとずっと攻撃的で、殺傷能力が高い。
氷の矢が唸りを上げて回転する。
鋭利な先端は、目標を才人に合わせたまま、発射されるのを今か今かと待っているようだった。
「……死になさい」
氷の矢のように、鋭く冷たい声だった。
『雪風のルイズ』の掛け値無しの全力の一撃。
宙に浮いていた氷の矢が、キィィィと変わった風切り音を発しながら、才人へと向かって放たれた。