「おう、シエスタ……そこのあんちゃんは、誰だ?」
「あ、親方。この方は今日の使い魔召喚の儀式によって呼び出された、平民のヒラガ・サイトさんです」
シエスタと才人が中庭を歩いていると、白い服をきた割腹のいい男性にでくわした。
彼はトリスティン魔法学院の厨房のコック長=マルトー親父。
四十代後半の気っ風のいい男性として、他の使用人達から『親方』と慕われている人物である。
コック長という立場だけあり、魔法の使えぬ平民とはいえ、貧乏貴族よりも羽振りがいい。
そして羽振りのいい平民に共通した『魔法・貴族嫌い』の人間でもある。
メイドのシエスタが『使い魔召喚の儀式』という言葉を聞き、マルトー親父は眉を潜めた。
「あ、ども、平賀才人っす。えっと、なんだっけ、たば、タバサ? タバサっていう人の使い魔になっちゃったらしいです」
「タバサぁ?」
マルトー親父の眉はますます寄っていった。
才人は心ならずとも焦りを感じた。
マルトー親父は体格のいい男だ。
力もありそうで、多くの人に指示を出しているだけあって威厳もある。
そういった人に気に入られないのは、あまりいいことではない。
マルトー親父は毛深い腕を上げて、才人の背中を二度と強く叩いた。
「あの嬢ちゃんか。いけすかねぇ貴族だが、あの嬢ちゃんだけは別だ。
その子の使い魔ってぇなら、邪険に扱えねぇな」
「は、はあ……」
「どいつもこいつも俺が魂を込めて作ったハシバミ草のサラダを残しやがるのに、あの嬢ちゃんだけは全部食ってくれる。
確かにハシバミ草は苦ぇが、あれは体にもいいし、第一俺の作ったもんだ、苦ぇけどうまい。
それなのに貴族のお坊ちゃんどもは一口も食いやしねぇ、けど、あの嬢ちゃんだけはうまそうに食ってくれる」
マルトー親父は、二度頷き、再び才人の背中を叩いた。
タバサはハシバミ草がたまたま好物だっただけであり、特に喜ばせようとして食べていただけではない。
実際タバサの味覚ではおいしいと感じてはいるのだが、表情は常に無表情。
しかし、ハシバミ草を食べているときの手の動きは、とかく速い。
マルトー親父は、その様子を見て感動を覚え、わざわざハシバミ草を素早く食べていた少女の名を調べたのだ。
「おぅ、サイトとか言ったな。
使い魔なんだからあの嬢ちゃんをちゃんと守ってやるんだぞ。
しっかし、あの嬢ちゃん、平民を喚びだすなんて、ますます気にいっちまったぜ」
マルトー親父は高らかに笑い、上機嫌になってその場から離れていった。
才人はそんなマルトー親父の背中を見ながら、シエスタに言った。
「豪快な人なんだな」
「ええ、みんな頼りにしています」
「にしても、俺のご主人様だっけ? 好かれてるんだな」
「いえ、多分、あんなに好いているのは親方だけかと……」
シエスタは言いづらそうに言葉をきって答える。
才人は猫背の体勢から、顔だけをシエスタに向けた。
「そうなの?」
「タバサ様はとても無口な方で……どうもとっつきにくいようでして」
「あー、わかる。俺もそう思った。というか俺もできればあんまり関わりたくないな」
才人は、ふと自分がこの世界にやってきた直後のことを思い出した。
遠巻きに才人を囲んでいた複数の人達と、頭の涼しい人、どれもこれもがタバサを苦手としていそうな態度をしていた。
そして自分も……あの瞳を再び見ることになるのはよろこばしくなかった。
「ところで、どこに行くんだ?」
「職員室です」
「しょ、職員室?」
「そうです……説明を忘れていましたが、ここはトリスティン魔法学院と呼ばれる施設なんですよ」
「魔法、学院ねぇ……」
『魔法』
使い魔だの召喚だの言われ、尚かつこの世界が異世界だということを認めていていた才人ではあったが、魔法と面と向かって言われても釈然としなかった。
確かに人が空を浮いているのは見たが、それでもやはりすんなり受け入れることはできていない。
「タバサ様は現在授業中と思われますから、直接教室へ向かうより教師の方へ尋ねた方がよろしいでしょう」
「そっすね」
疑問を多く抱えていたが、才人はシエスタの言うとおりにすることにした。
実際、使い魔になったという実感も理解も才人の中には存在しない。
ただ現在ここにいることはまぎれもない現実である。
現実に目を背けつづけていても、しょうがない、と才人はややポジティブに考えていた。
石造りの建物にはいり、階段を登る。
階段を登り切り、廊下を一分も歩かないうちに、目的地についた。
シエスタは戸をノックし、声をかけてから、中に入った。
「失礼します。メイドのシエスタです」
中には、才人がさっき会った、頭の寒い人=コルベールがいた。
手にはいくつかの本が抱えられ、ちょうど今どこかへ出かけていくようだった。
「おお、君はタバサ君の使い魔……どうしたんだい?」
「中庭で立ちつくしていたところを保護しました」
「タバサ君は?」
才人はシエスタが口を開く前に、先にしゃべった。
「俺のことを無視して校舎の中に行っちゃったよ」
「……そうか」
「いきなりこんなところに連れてこられて、どうしようかと思ったよ。
別に責めるわけじゃありませんが、もうちょっと説明してほしかったっす」
コルベールは寒い頭を掻きながら頭を垂れた。
貴族が平民に謝ることは、あまりない。
シエスタはほんの少し目を丸くし、貴族に対し物怖じしない態度で接する才人のことをちょびっとだけ見直した。
才人はもっと強く言いたかったけれど、恩人であるシエスタの手前、かなり抑えていた。
「いや、すまない。次の授業に遅れそうだったものでね。
それにいくらタバサ君でも、説明するかと思っていたのだが……」
「すごい、こっちもびっくりするぐらい無視して行っちゃったっす」
「うむ……むしろタバサ君だからこそ、説明しなかったのかもしれない。
まあ、どちらにせよ、私に非がある、悪かったね、えーと……」
「才人です、平賀才人」
「サイト君。君が満足のいくほど説明することで、私の非を帳消しにしてくれないかな?」
「いいです」
才人は特に何も考えずに反射的に頷いた。
強気に出ることができないのは、さっき喚いたときに無視されたことが記憶の片隅に残っているからだった。
「ああ、よかった。ついでに、終わった後に君にも少し付き合ってほしいことがあるのだが……」
「構いませんよ」
「ありがとう、サイト君」
コルベールは抱えていた本を自分の机に乱雑に置き、予備の椅子を持ってきて才人を座らせた。
自分もまた用意しておいた椅子に座る。
「それでは、私は失礼します」
戸の前で立っていたシエスタが丁寧に頭を下げて、後ろを向いてドアを開いた。
コルベールと才人がシエスタに向かって同時に声をかける。
「うむ、ご苦労様」
「あ、ありがとう。シエスタさん」
シエスタはくすりと微笑み、ほんの少し開いたドアの隙間から、小声で才人に言葉を返した。
「シエスタで結構ですよ、サイトさん」
ドアが完全にしまり、シエスタと思われる足音が遠ざかっていく。
才人はほんの少し顔を赤らめながら、コルベールの方に振り返った。
「では、何から説明した方がいいかな?
タバサ君には、多分、聞けないだろうから、今のうちに聞けることだけ聞いておいた方がいいよ」
「はい、わかりました……まず……」
才人が全ての質問を終え、この世界についての知識をあらかた得ると、窓から赤い夕日が差し込む時分になっていた。