翌日、ルイズと才人は中庭で再び相まみえた。
ルイズは昨日に引き続き才人を探し続けており、中庭でぷらぷらとやる気なさげな顔で歩いている才人を見つけたのだ。
「決闘よ!」
ルイズは才人の顔を見るなり、即座に白い手袋を投げた。
大きな杖を抱えて、勇ましく才人に向けると、辺りのギャラリーが何事かと集まってくる。
一方才人の方は、ぽかーんと口を開け、何が起きたのかわからないという表情で、ルイズを見ている。
「なんだなんだ?」
「ルイズが、あのタバサの使い魔に決闘を申し込んだってさ」
「決闘? 決闘って確か禁じられてたんじゃなかったか?」
「貴族と貴族の決闘はな。タバサのアレは貴族じゃないだろ」
「ああそうか……ヴァリエール家の人間が平民相手に決闘するってのも変な話だな」
「だな。まあ、ルイズは沸点が低いから、あり得ない話でもないぜ」
辺りで囁かれる野次をよそに、才人は口を閉じ、目を細めた。
「決闘? ヤダよ、ンなもん」
才人は、自分が正しいと思ったことが他人とのそれとぶつかり合ったとき、引かずに立ち向かうことの出来る人間だが、別段喧嘩好きというわけではない。
加えてその相手がルイズのような少女であれば、尚更のこと。
これがギーシュ・ド・グラモンのような、男で更に才人のいけすかないキザな性格であれば話は別ではあるが。
「平民が貴族に恥をかかせてただで済むと思ってるの? ふざけないで」
「この前のことは悪かったよ、ごめん」
確かに以前のことは悪かった、と才人は秘を認め、頭を下げた。
しかし、ルイズはただそれだけで才人を許すほど寛容ではない。
「はあ? ごめん? そんなんで許されるとでも?」
ルイズは飽くまで『決闘』という形で事態が収束することにこだわっていた。
受けた恥辱を何倍にして勝ち、尚かつ平民が貴族に逆らえないように『見せしめ』にしたかったからだ。
ルイズはトリスティンの名門ヴァリエール家の三女として生まれ、幼い頃から強力な魔法の才能の片鱗を見せ、現在も学園内で最高の実力を持つメイジである。
何一つ不自由することもなく、親や教師達から叱責を受けることも、生徒達からは妬まれはすれ、さげすまれることを一度も経験したことがなかった。
そんなルイズが、傲慢になるのは無理もない。
才人が本意ではないが味合わせてしまった屈辱は、ルイズにとって到底考えられぬものだったのだ。
ルイズの中で渦巻く怒りは、もはや才人の血によって冷やされて、才人の屈辱的な謝罪を聞かなければ、もはや収まりそうになかった。
「平民が貴族に恥をかかせるなんて……普通だったら即死刑にされたっておかしくはないのよ?
『決闘』という形で、万が一、いえ、兆が一でも生き残れる形にしてあげたことに感謝なさい」
もちろん、平民が貴族に恥をかかせただけで死刑にされるという法律はない。
しかし、極一部では、貴族に恥をかかせた代償にその平民の命が支払われることはままある。
メイジは杖を一本持っているだけで、多くの種類の凶器を握っているのと同じになるのだ。
「なんだよ、それ。無茶苦茶じゃねぇか!」
温厚に済ませようとしていた才人も、ルイズの傲慢な言葉に態度を硬化させた。
確かに自分が本意ではないとはいえ巻き込んでしまったことは悪かったと思っている。
それに加え、女の子がああいう目にあうのは男のそれとは大きく違うことも分かっている。
しかし、それだけで死刑、決闘、というのはおかしい、と才人は納得できなかった。
「大体、人のことを平民、平民って、貴族がそんなに偉いのかよ!」
ルイズの言葉からは、貴族と平民の歴とした差が見えた。
貴族の命と平民の命は、決して等価値ではない、と。
形式上だけでも全ての国民は平等であると憲法で保護されている世界から来た才人には、考えられないことだった。
そういう不平等が世界に存在していることは十分に承知していたが、それが目の前にあり、尚かつ自分が低い方に捉えられているとなると、義憤を覚える。
才人はルイズが女の子であることを忘れ、睨み付ける。
ルイズはそんな才人の視線に気付くと、ふん、と鼻で笑いながら言った。
「バカじゃないの? 偉いのよ」
当然だ、と言わんばかりに見下した目で見られていることに、才人は気が付いた。
辺りを見回してみると、囲んでいる貴族達も、ルイズほどでないが、同じようなものが含まれていた。
才人は、それがたまらなく悔しく感じられた。
そもそもここへ来たのも、自分の意思ではない。
もう既に召喚されたことに対して、タバサに恨みなどを持ってはいないが、この待遇は気にくわなかった。
あからさまな挑発と、人を人とも思わぬ傲岸さに臓腑が煮えくりかえる感触を覚える。
「ああ、わかったよ。決闘、受けてやるよ!」
頭に血が上り、興奮した才人はルイズの決闘に応じることにした。
野次馬たちはにわかに声を上げ、これから始まる出来事を期待している。
「じゃ、ヴェストリの広場でやりましょ。怖かったら、逃げてもいいわよ、平民」
「それはこっちの台詞だ。何てったって、お前は女の子なんだからな。逃げたところで、誰だって笑いはしないぜ」
ルイズは、才人の言葉に再び屈辱を感じた。
が、しかし、そのときは言葉を出さず、のど元まで迫った罵倒をぐっと押し込めた。
今はまだ好きなことを言わせておけばいい、決闘で白黒つけたとき、地面に倒れ伏したこの平民の頭を踏んづけて訂正させてやるわ。
何の変哲もなく、味も素っ気もない水をおいしく飲むためには、限界まで喉を渇かせることだ、とルイズは思って堪えた。
「ふん!」
ただそれだけ言って、ルイズはさっさとヴェストリの広場の方へと早歩きで向かった。
大部分の取り巻きはルイズを追い、数人の男の貴族が才人の近くに留まっている。
ふと、才人は辺りを見回した。
中庭に出された白いテーブルと椅子の一つに、青い髪をした少女が座っている。
誰も寄りつかないそこで、ゆっくり本を開き、近くで起きている騒ぎなど何もないかのようにそれを読み続けている。
不意に吹いた風が、少女の髪を揺らし、本のページが何ページもまくられる。
かなりのページが風によってめくられたにも関わらず、彼女はページをまくり返すこともせずそのまま読み続けていた。
あれは、本を読んでいるのではない。
それは才人がこちらに来てから、一週間もしないうちに気付いたことだった。
本を読んでいるのではなく、『本を読む』という行為をしているだけなのだ。
どう違うのかというと、本を読むということは本に書かれている文字を読み、それを理解すること。
『本を読む』という行為をするということは、文字を読みはするが、言ってしまえばただそれだけ。
書かれた文章が作者の知恵、知識と見るか、それともただの字の羅列と見るか……。
少女……タバサにとって本に書かれた内容などどうでもいいことだった。
それこそ、学術書だろうが取るに足らぬ三文小説だろうが、読むことのできない外国語で書かれた本だろうが幼児が字を覚えるために読む絵本だろうが……例え本が逆さになっていても、タバサは頓着すらしないだろう。
才人は大きく溜息をついた。
一体自分は何をしているのだろうか、と。
ルイズの挑発に乗り、ムキになって決闘に応じた自分が、途端にバカに見えてきた。
自分にはもっと大切なやるべきことがあるのに。
「まあ、いいか……」
とはいえ、今更決闘するのをやめて逃げる気も起こらない。
その上、才人はポジティブに物事を考える性格だ。
くよくよしていてもしょうがない、といいことを考えることにした。
あるいはあの鼻っ柱の高いヤツをこてんぱんにのしてやって、自分が頼れる存在である、と知らしめてやればタバサのあの性格もちょっとはよくなるかもしれない、と。
まずそんなことはありえない、と才人は自分でも思ったがそれでもやってみようという気にはなった。
「ふーっ」
大きく息を吸い込んで空を見上げる。
空は初めてこの世界に来たときのように晴れ渡っていた。
才人はゆっくり目を閉じて顔を下げると、心を決めた。
そして、近くにいた貴族の一人の肩に、ぽんと手を置いた。
「で、ヴェストリの広場ってどこにあるんだ?」