「いっ、いてーな、何すんだよ!」
「何すんだよ! じゃないわよ! 勝手に人の使い魔に乗って、何様のつもりよ!」
「勝手に乗ってねーよ! あの風竜が乗っていいっていったから、乗ったんだ!」
「シルフィードが!?」
桃色の髪の子がシルフィードを見る。
シルフィードはばつ悪げに目を逸らし、るーるると鳴いた。
「にしても、主人である私に一言断るのが礼儀ってものでしょう!」
「お前が主人だってことを知ってたら、最初から乗らねーよ!」
「何よ、その態度! 平民のくせにっ!」
「へ、平民とか関係ないだろ! 貴族がそんなに偉いのかよっ!」
才人の左の頬には真っ赤な手形が浮かび上がっている。
双方性格が勝ち気であるが故に、一歩も譲らずに口論を続けていた。
ルイズは頭に血がめぐりすぎて、顔を熟れたトマトのように真っ赤にしている。
「貴族を馬鹿にする気!? 決闘よ! 決闘で清算しましょ!
ヴァリエール家の名誉にかけて、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが
あんたに決闘を申し込むわ! 嫌とは言わせないわよ!」
怒りに身を任せ、手袋を投げつけんばかりの剣幕でルイズは才人に詰め寄った。
才人はその勢いに押され、一歩後ずさる。
「け、決闘だって? 馬鹿なこというな、女の子と喧嘩なんてできるか!」
「喧嘩なんかじゃないわよ! 決闘よ、け・っ・と・う。
女だからって馬鹿にしないでよ! 私はメイジよ、平民相手に負けるわけがないわ!」
「貴族とか平民とか、それこそ関係ないじゃねーか!」
「あんたなんて魔法でボロ切れみたいにしてやるんだから!」
「……? 魔法って、お前、杖落としたんじゃねーの?」
桃色の髪の子=ルイズははっとした。
シルフィードの上から自分の杖を落としていたことを忘れていた。
どこに落ちたのかわからないし、第一落ちた場所がわかったとしても、あの高さから落ちて、杖が無事である可能性は極めて低い。
ルイズは下唇を強く噛んで、悔しがった。
杖さえあれば、同級生で渡り合えるのはルイズと同じトライアングルのキュルケだけ。
最近の魔法の冴えから言えば、キュルケさえ倒すことができるかもしれないのに。
杖が無ければ、トライアングルであろうと魔法を使うことはできない。
どんなに優れたメイジであれど、杖なしではただの女の子と一緒だった。
しかし、ルイズは負けず嫌いだった。
ある意味真の貴族とも言える心を持っていた。
それに加え、過度のストレスに晒された直後で、頭に血が上り、冷静に物事を考えられない。
何がなんでも、魔法を使えなくとも、才人に憤怒をぶつけなければ気が済まなかった。
一度叩きつけた決闘の言葉を撤回することはできない。
怒りで震える拳を握りしめ、才人の顔面目掛けて突き出した。
「問題ないわよ! このぉッ!」
ルイズは、久しく強い力を込めていなかった拳を振るう。
才人は軽々とルイズの拳を左手で受け止めた。
何故か感覚が異様にとぎすまされており、ルイズの拳は才人には止まって見えた。
「や、やめろよ!」
「うるさいっ!」
後ずさる才人を追いかけて、問答無用で殴りかかるルイズ。
才人は手を出さずに、次々に繰り出されるパンチを軽々といなす。
驚くほど滑らかで無駄のない動作で避ける才人を見て、ルイズはますます激昂してゆく。
向こうから攻撃してこないことすらも、ルイズを怒らせる。
「あんたもかかってきなさいよ!」
「だーかーらぁ、女の子は殴れないんだって!」
ルイズは才人目掛けて何度も何度も殴りかかるが、才人はひょいひょいと避ける。
まるで馬鹿にされているような気分を味わう。
それと同時に、圧倒的な身体能力の差をも嫌でも思い知らされた。
杖があれば、その差を逆転することができるのに、とルイズは思う。
「ふざけないで! 私は貴族なのよ!」
「貴族だろうと、女の子は女の子だろーが! もうやめろ! 人が集まってくんぞ!」
「それがなんだっていうのよ!」
「お前が困るだろ」
ルイズは殴りかかるのをやめた。
一旦拳を収め、辺りを見回す。
建物の窓から何事かと中庭を見下ろす生徒がそこらに見え、何人かが遠巻きに様子をうかがっている。
確かにこのまま決闘という名の殴り合いを続けていれば、人が集まってくるのは明らかだった。
そして、人に集まられると困るのはルイズというのも明らか。
「第一、そのままじゃ絶対風邪引くって、部屋に戻って着替えてこいよ」
ルイズの下着はぐしょぐしょに濡れていた。
シルフィードから投げ出された恐怖で、失禁していたのだ。
才人のパーカーも、ルイズの尿で少し濡れている。
遠目ではわからないだろうが、近くで見たら絶対に漏らしていることを見破られてしまう。
ルイズは、才人から受けた恥辱と、このままお漏らしがばれてしまうことの恥辱、どちらが大きいかを瞬時に考えた。
「……こ、この借りは絶対に返すわよ! あんた、名前はなんていうの」
「え? ひ、平賀、才人だけど」
「ふん、変な名前ね! いいわ、ヒラガサイト、絶対に絶対に後悔させてやるんだからっ!」
人が集まってきたところを避けて、ルイズは自分の寮を目指して走っていった。
ルイズの背中が見えなくなると、才人は深く溜息をついた。
「きゅいきゅい……」
シルフィードはうなだれて、申し訳なさそうに鳴いた。
「お前のせいじゃねぇよ」
才人は寄ってきたシルフィードの頭を優しく撫でる。
よくよく考えてみると、確かに人の使い魔に勝手に乗ってしまったのはマナー違反と言われてもしょうがないことだった。
突き落とされそうになったことは驚いたが、ここは魔法の世界、殺されることはなかっただろう。
誤解だとはいえ、抵抗して、杖を落とさせてしまったことも事実だった。
「……」
この世界に来て、メンタル的に過酷な目に遭ってきたせいか、才人はやや自虐的な思考を抱くようになっていた。
あるいは、主人が自虐と憎悪の塊であるタバサであるせいかもしれないが、落ち着くと自分の落ち度ばかり思い浮かんでくる。
「きゅいきゅい」
気分がどこまでも沈みそうになったとき、シルフィードは才人の顔を舐めた。
今度はシルフィードが「落ち込むなよ」と言っているように才人は感じた。
才人は気分を持ち直し、口元に笑みを浮かべ、シルフィードの顔を再び撫でた。
「うだうだ考えてもしょーがねーな。
タバサも待っているだろうし……あ、いや待ってるわけねーか」
何事かと集まってきた貴族達は、ルイズが立ち去ったことでまた戻ろうとしていた。
才人は、その中に混じって、濡れてしまったパーカーをどうしようかと思いつつ、建物の中に入っていった。
「ま、今度会ったときには謝っておくか」