「皆さん。春の使い魔召喚は、大成功のようですわね」
才人はタバサとともにトリスティン魔法学院の授業に出席した。
タバサの隣の席に座り、教壇のところで立っている中年の女性教師=シュヴルーズを何気なしに見ている。
シュヴルーズは土系統のトライアングルのメイジ。二つ名は『赤土のシュヴルーズ』
非常におっとりとした性格の教師だった。
面倒見が良く、中堅であるために、生徒の人気もそれなりに高い。
授業の始めに前置きとして、生徒達が召喚した使い魔達のことに触れた雑談をする。
才人のことを見て、タバサに軽くジョークを言ったが、タバサは黙殺し、他の生徒達も沈黙を守り続けた。
少し困り顔を浮かべ、軽く咳払いし、話を他の話題に変えたものの、一度包まれてしまった重苦しさは抜けないまま、授業を始めた。
シュヴルーズに落ち度はない。
長い教師生活の中で、タバサのような異質な生徒は一度も受け持ったことがなかったからだ。
タバサの同級生達がタバサのことをタブー視していることも、シュヴルーズの知るところではない。
一週間もしないうちにシュヴルーズも慣れるだろうが、一日目の最初から全てを理解することは、いかなる老年の教師でもできない。
才人は始まった授業を頬杖をついて、退屈そうに見ていた。
確かに魔法学院の授業は、今まで見たことのないものだったが、熱中して見ても、才人に魔法が使えないのはわかっている。
シュヴルーズが石ころを真鍮に変えたときには目を見張ったが、理論の話には全くと言っていいほどついていけなかった。
自分が理解できない理論を聞いても、退屈なだけ。
わかりやすく説明してもらおうにも、シュヴルーズにそれを頼むのは気が引け、タバサは論外。
他の生徒達に聞くのも迷惑がかかるだろうと、才人は沈黙を保ったまま、何も考えずに溜息をついた。
ちらと才人はタバサの方を見た。
タバサはじっとシュヴルーズを見ている。
無表情に。
「……」
シュヴルーズを見るその顔に何の反応もない。
才人は改めて人形のようだ、と思った。
見かけもさることながら、動きに生者の気配を感じられなかった。
まるでロボットのような、そのような機械的なものを連想させる。
しかし、才人は昨日ベッドの上でタバサが人形でないことの証明として、体の暖かみを感じている。
人形ではなく生きた人間であることを、才人はわかっていた。
一体、タバサはどんな過去を持っているんだろう――才人は思う――ただ漠然と、不幸だということはわかったけど、それがどんな不幸なのかは一切わからない。
両親はなくなっているという推測は間違っていない、と才人は思っている。
才人はタバサに庇護欲を持っていた。
タバサは人形のようで、愛想という言葉にはほど遠い位置に立ち、且つ辺りの評判もあまり良くない。
理解できない、空恐ろしい面ばかり目立っていたが、それでもどこかはかなさを感じていた。
自分が支えなければ、この子は激しい勢いで凄惨に自滅する。
おおよそただの勘とも言えるものだったが、才人はそんな心理を心の奥底で持っていた。
あるいはルーンによってつなげられた、主人と使い魔の間のラインがそうさせたのか。
タバサが持つ危険性を才人が感じ取っていたのかもしれない。
ふと才人は自分の左手に浮かび上がったルーンを見てみた。
才人には理解できない模様が浮かび上がっている。
コルベールが興味深そうにこのルーンを観察していたことを思い出した。
結局何かわかったのか、暇になったら聞いてみよう、と才人は思い、手をパーカーのポケットに突っ込んだ。
ちょうどそのときだった。
「ミス・タバサ。あなたにやってもらいましょう」
シュヴルーズが『練金』の実践をさせる生徒としてタバサを選んだ。
先ほどのシュヴルーズの失敗によって澱んでいた空気は少し持ち直していたが、この瞬間によってまた重くなった。
とはいえシュヴルーズに悪意はない。
タバサが何故『ゼロのタバサ』と呼ばれているのか知らなかったのだ。
更に、タバサの異様な使い魔に対しての言葉によって、教室の生徒達が一斉に黙りこくったことによって、タバサは同級生達に無視されているのだと、勘違いしてしまった。
皮肉にも、事実は同級生達がタバサを無視しているのではなく、タバサが同級生達を無視しているのだが。
ともあれ、シュヴルーズが簡単な『練金』の魔法をタバサにさせることで、同級生達の関心を向けさせてやろう、と全くの好意からの行動だった。
事情の知らない善意ほど厄介なものはない。
例え間違っていても糾弾のできないものだからだ。
しかし、今回の失敗は、シュヴルーズが今日タバサに対して教鞭をとったことが初めてであることと、いささかおっとりしている性格のせいであって、責任は彼女にはない。
「ミス・シュヴルーズ」
さっと一人の生徒が立ち上がり、シュヴルーズに言った。
「タバサにやらせるのはやめた方がいいです」
「あら、どうして?」
「はっきり言って、危険です」
「『練金』の魔法に危険はありませんよ」
「ミス・シュヴルーズ。タバサに教えるのは今日が初めてですよね」
「ええ、そうですが、ミス・タバサはとても真面目な生徒と聞いております」
生徒がシュヴルーズと話している間、タバサは既にシュヴルーズの元へとたどり着いていた。
才人が、授業参観に来た父兄よろしく、呑気にエールを送っている。
「ミス・シュヴルーズ!」
生徒が一際強く言う。
しかし、シュヴルーズは取り合わない。
ピンク髪の生徒は、より詳しくタバサに『練金』の魔法をやらせるのは危険な理由を述べようと食い下がった。
「大丈夫ですよ」
「ですがっ」
「お座りなさい、ミス・ヴァリエール」
シュヴルーズはピンク髪の生徒にキツイ口調で言った。
ピンク髪の生徒はまだ何かを言おうとしていたが、タバサが石ころに杖を向け、呪文を唱えているところを見ると、瞬時に机の下に姿を隠した。
他の生徒達も、ピンク髪の生徒と同じように机の下に隠れている。
机の上に上半身をだしているのは、才人のみとなった。
シュヴルーズも、この異変に気付いた。
一体どういう意味なのか。
それを探る前に、シュヴルーズは激しい衝撃に頭を揺らされ、爆音に鼓膜を弾かれて意識を失った。
タバサが杖を向けていた石ころが大量の黒煙を撒き散らしながら爆発し、そのあおりをシュヴルーズがまともに受けたのだ。
もちろん、タバサの被害も全くないわけではない。
気絶こそしなかったものの、全身がすすだらけになり、服が一部裂けている。
タバサが『練金』の魔法によって引き起こした爆発は、教室の窓ガラスを割り、使い魔達を驚かせた。
才人は爆発によって巻き起こされた風を真っ向から受け、椅子から転げ落ちた。
眠っていたフレイムが突然起こされたことに腹を立て、口から炎を吐き出し、割れた窓から外にいた大蛇が教室に入りこみ、一匹の使い魔のカラスを丸飲みにする。
あちらこちらで興奮した使い魔が暴れ、メイジ達はそれを抑えて、ところどころで悲鳴を上がる。
才人は教室の惨状を呆然と見ながら、何故タバサがゼロと呼ばれているのか、なんとなしに理解した。