『アルビオンへ!!?』
『・・・ええ』
アンリエッタは驚くルイズから目を伏せるように小さく頷く。
隣に立っていたキュルケの眉もピクリと反応した。
『私がゲルマニアに嫁ぐって話はさっきしたでしょ?』
『え、ええ...両国の軍事同盟のためにと...』
『今回の同盟が成れば、反乱軍も簡単にはトリステインに攻め入る事は出来ません。当然、反乱軍も同盟を結ばせないよう、妨害行為をしてくる筈です』
アンリエッタは表情を暗くしたまま部屋を歩く。
彼女の話を聞いていたルイズは何かに気づいたようで、目を細めると、恐る恐るといった具合にアンリエッタに聞いた。
『あの・・・姫様?もしや、姫様の婚姻を妨げる材料がアルビオンにあるのですか・・・?』
『・・・』
ルイズの質問にアンリエッタは顔を背け、無言になる。
するとアンリエッタの体がフルフルと小さく震えだした。
次の一言を言い出すかどうかで、自分と葛藤しているようにルイズには見え、ルイズは居てもたっても居られずにアンリエッタの方へと歩み寄った。
『姫さ・・・』
『な、なあキュルケ?今までの話から聞いているとさ、アルビオンって今戦争真っ最中なんだろ?』
ルイズが姫様の傍まで来た時、水を差す様に後ろからサイトの声が小さく聞こえてきた。
いつの間に藁束から移動していたのか、どうやらキュルケに尋ねたようでまたヒソヒソとキュルケの声が聞こえてきた。
『そうよ?』
『んで、姫様の婚姻を妨げる材料がアルビオンにあると・・・』
『まあ、話の流れからするとそれは確実よね』
『ということは、まさかルイズに「ソレ」を取って来いってことか?』
サイトの口から出た言葉にルイズはピクリと反応した。
体を震わせていたアンリエッタもいつの間にか震えを止め、さりげなく聞き耳を立てている。
サイトの質問から数秒後、眉を細めて聞いていたキュルケの口がプルプルと震え、「フフフフフ」と笑い声が漏れ出して来た。
本人は部屋の空気を呼んでそれを押し止めようとしているがそれでも口の隙間から出てきている。
『フフフフフフフダーリンったら♪冗談きついわよ~そんな危ない任務を親友だからって姫様が頼む訳ないじゃない』
『!!!!!!!?』
この時、アンリエッタの体から「ビシィッ!!」と硬直したような音がした。
それに気付かないキュルケはさらに続けてサイトに話す。
『だってそうでしょ?同盟に影響するような「最重要物」を取ってくるなんて事になったら、いち学生が手に負えるモノじゃないわ。国でも有数の実力を持つメイジを派遣する筈よ。「親友」だからって頼むってどんなに「馬鹿」で「無謀」で「浅はか」でもそれはないわ~』
『!うっ・・・・』
『そ、そうだよなぁ~!戦争中の国行って何か取ってこいなんて、命いくつあっても足んないモンな!「死んでこい」って言ってるようなもんだモンな!』
『!!ううっ・・・・』
『そうよ~?そんなの「7万の大軍と1人で戦え」、「夜中に吸血鬼を退治しろ」、「ジョルジュの前で花壇を踏み潰せ」、「マリコルヌの脇汗」っと一緒なくらい無茶ブリよ』
『!!!!ううううっ・・・・・・』
『ひ、姫様・・・』
サイトとキュルケの会話をすべて聞いていたアンリエッタの体がプルプルと震えている。
しかしそれは先ほどとは違う理由から震えていそうで、背中を向けられているルイズには表情が見えないが、わずかに見える彼女の頬からは汗が流れている気がする。
二人の会話で気まずくなったルイズとアンリエッタ間の空間。
ルイズが恐る恐る半歩近づき、手を静かに伸ばす。
『あ、あの姫様、それでわたしに...』
『おお、始祖ブリミルよ……、この不幸な姫をお許しください……』
次の瞬間、アンリエッタは顔を両手で覆い床に崩れ落ちた。
それはこれから親友に託す事への重圧からなのか、しかしなにかしら不味いことを誤魔化すためにも見えた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
翌日、ルイズ達は馬に鞍をつけ準備をしていた。
トリステイン学院の正門の外、太陽の光がルイズを照らしてピンクがかかったブロンドの髪を輝かせた。
既に誰かが出て行ったようで、正門の付近にはルイズが準備したのとは別の馬の蹄の跡が新しく残っている。
それを横目で見た後、ルイズは後ろで鞍を乗せるのに手間取っているサイトへと近寄っていった。
ルイズが傍まで来た時、ようやく鞍が乗った。
「ふぅ、てこずらせやがるぜ」
「鞍一つつけるのにどれだけ手こずってるのよ。アンタは」
「し、仕様がねえだろ?馬に鞍乗せるなんて一回もしたことねえんだから」
「はぁ・・・ちょっとしっかりしてよ?姫様から大事な任務を承ったっていうのに・・・」
額に手を当てて、ルイズは首を振る。サイトはルイズに振り向くと、やるせない目をしてルイズに言った。
「そうは言うけどルイズ・・・」
サイトは昨晩の事を思い返す。
床に崩れたアンリエッタを起こそうとルイズの手が彼女の肩に触れた瞬間、
アンリエッタは目にもとまらない速さで振り向くと、獲物を捕まえる鷹のようにルイズの両手をしっかりと握りしめた。
『ルイズ!あなたへの頼み事は他でもありません!アルビオン王家のウェールズ皇太子が持っている手紙を・・・・・・受け取ってきてもらいたいのです!』
『ひ、姫様?ウェールズ様というと、王党派の・・・』
『えぇ、『レコン・キスタ』と名乗っているアルビオン貴族派に王党派はかなり追い詰められています。 倒れるのは恐らく時間の問題でしょう。とても危険な任務なのは分かってます』
そこまで言うとアンリエッタは一層強くルイズの手を握り締めて顔を俯かせる。
アンリエッタの手のひらが妙に手汗でべとついているので、ルイズはわずかに顔を引きつらせた。
ルイズも彼女のペースに流されまいと口を開く。
『ですよね?だからあの』
『無理よ! 無理よ、ルイズ! わたくしったら、なんてことでしょう! 混乱しているんだわ! 考えてみれば、貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険なこと、頼めるわけがありませんわ!』
『えええ~~?ちょ...』
ルイズの事など無視するかの如く、芝居が掛った様子で急に顔を横に背けると、悲しそうに声を張り上げた。
『でも他に頼める者がいないのです!私が、わ・た・し・が!信頼を置ける者達は極一部だけなの、ルイズ・フランソワーズ!』
『あの、一人で自己完結しないでくれません?いくら姫様でもグーで打ちますよ?』
『お願いルイズ!「馬鹿」で「無謀」で「浅はか」かもしれませんが、私の...いやトリステインのために力を貸して!』
思わず出たルイズの言葉も無視し、じーっと見つめてくるアンリエッタの瞳はウルウルとうるんでいる。
言葉の端端に、先程言われた事の恨みが混じっているが、一応彼女はこの国の姫なのだ。
ここまで彼女にされれば、大抵の人間なら「お任せ下さい!」と言ってしまうのだろうが、ルイズもここで引くわけにはいかない。
『あのですね姫様?だから・・・』
『お願いルイズ!』
『だか・・・』
『お願いルイズ!』
「‘承った’というよりも‘押し切られた’感は否めんな」
「まあ、正直私もそう思うわ」
二人は同時にため息を吐いた。
あの後しばらく抵抗したのだが、ルイズの耳元で、アンリエッタがそっと囁いた、
『今日の事...ヴァリエール公爵に報告しますわよ?使い魔とあんなことやこんなことを・・・』
が決め手となり、ルイズはアルビオンへと向かう事になった。
場所はウェールズ皇太子が陣を張っていると思われるニューカッスル。
目的はアンリエッタ姫が皇太子にあてた恋文である。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
あれが友達に言うこと!?とルイズはブツブツと愚痴をこぼした。
小さい頃にもあんな事があったわ。
おやつの時間に「ずるい!ルイズの方がケーキ大きい!」ってなって交換するかしないかでもめてたら耳元で、
『今日、ルイズがマザリー二の帽子の中にダンゴ虫詰めてたの言うわよ?』
と、私に不利な事を囁いて脅してくるのだ。
「く、なによ姫様・・・自分で取りに行けばいいじゃない」
「お~いルイズ、本音が漏れてるぞ」
背中に背負ったデルフリンガーを結ぶ紐を締め直しながらサイトは、ぐれそうなルイズに釘を指す。
そんな二人の横から、大きな高音が響く。
「君たち、何をのんびりとお喋りをしてるんだい!?」
ルイズたちのすぐ横で、ギーシュはルイズとサイトに向かって眉を吊り上げていた。
いつものギザったらしいシャツを身につけ、手には造花の薔薇を持って二人を交互に見やっている。
漂ってくる香水の匂いが鼻を刺し、二人はギーシュを横目で見るといかにも嫌そうな顔を浮かべた。
「朝からうるさいわねギーシュ・・・アンタ、もう少し静かにしなさいよ」
やれやれと頭を掻きながら呟くルイズに、ギーシュはフフんと鼻を鳴らすと、得意げな顔を浮かべた。
「なにを言っているんだいルイズ。アンリエッタ姫殿下から授かった任務。トリステインのメイジとして、命を掛けて挑むのが当然だろう?
それなのに君たちの様子ときたらどうだい?それじゃ先が思いやられるよ」
「お前にどうこう言われたくねえよ」
サイトは不機嫌そうに声を出してツッこんだ。
あの晩、ルイズがアンリエッタからの任務を受けた時、いきなり部屋のドアが開いたと思うと、
『ちょっとまったぁ~~~!!』
と叫びにも近い声を上げてギーシュが入ってきた。
転がり込んできた突然の訪問者に、部屋の中の4人は短く声を上げた。
『姫殿下! その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンにも仰せ付けますよう!』
『あんた今の全部聞いてたの!?』
『もちろんだよ!寮に帰ろうとしたらルイズがローブを着たレディを追っかけて部屋に連れていくのが見えてね!なんだろうと思って鍵穴から見れば姫様じゃないか!』
『『『『うっわ・・・』』』』
一同ドン引きであった。
しかし聞かれていたからにはこのまま帰すワケにはいかなく、結局、ギーシュもアルビオンへと行くことになったのだ。
「お前の場合は先がどうこういうよりも将来が心配だよ。女性の部屋を外から盗み聞きって、こっちの世界でも犯罪だろうが」
「姫様のためなら!僕はどんな罪を犯すことさえもいとわないさ!」
「何バカな事言ってんのよ。マリコルヌと登場回数が互角の奴が偉そうに」
「それを言うなルイズ!!」
小さくぼやいたルイズにギーシュが叫ぶ。
ちなみに、あの時部屋にいて全部聞いていた筈のキュルケはこの場にはいなかった。
本人曰く
『私は行かないわよ~?だってゲルマニア人の私がトリステインの任務に首突っ込んだらいろいろ不味いじゃない?』
ルイズは「だったら何で聞いたのよ!?」と揉めたのだが、まあ、このメンバーにキュルケが混じればさらに混乱をきたすに違いない。
とにもかくにも、ルイズ、そして使い魔のサイト、さらには飛び入り参加のギーシュを加えた三人がアルビオンへと向かう事になったのだ。
馬の準備をしたルイズたちが馬に乗ろうとした時、再びギーシュの口が大きく開く。
「ちょっと待ってくれルイズ!」
「なによ?」
「お願いがあるんだ。僕の使い魔を連れていってもいいかな?」
そう言うとギーシュは「おいでヴェルダンデ!」と正門の方に向かって声を上げた。
すると、ギーシュの足元の地面に罅が入り、ボコッ!と籠った音をだして土が盛り上がると茶色の大きな生き物が顔を出した。
小さい熊ほどもある巨大なモグラ、ジャイアントモールのヴェルダンデ。ギーシュの使い魔だ。
本人は知らないであろうが、使い魔の間では‘健気’、‘可哀想な主人想い’と知られているヴェルダンデに、ギーシュは膝を突いて、そのモグラにひしと抱きつく。
「ヴェルダンデ! ああ、僕の可愛いヴェルダンデ!! なあ、ルイズ!ヴェルダンデを連れて行ってもいいだろう?こんなに可愛いんだしさ! 」
「それってジャイアントモールじゃない、地中を進んでいくんでしょ?」
「そうだよ。ヴェルダンデは何せ、モグラだからな、馬と同じくらいはやいんだ!」
「モグラ関係なくね?」
サイトのさりげないツッコミも聞こえてないように目を輝かせながらルイズに訴えるギーシュだったが、ルイズはたしなめるような口調で、
「早いのはいいけど、行き先はアルビオンよ?港町のラ・ロシェールからどうやって連れていくつもりなの?」
「・・?だからアルビオンには・・・ッッ!!!ああ!!何てことだ!!」
何か重要な事を思い出したようにギーシュの目は大きく開き、世界の終りを見たかのような絶望した表情になると、今度は目から涙を出しながらヴェルダンデに顔を向ける。
「そんな……お別れなんて辛い。辛すぎるよ、ヴェルダンデ……!」
大きな首筋に顔を擦り付けるギーシュをあやす様に、ヴェルダンデは大きな爪がついた手でギーシュの背中をなでる。
ギーシュの落ち込み具合に、さすがに気の毒に思ったのかルイズがギーシュの所に近づいていった。
「置いて行きたくないのは分かるけど仕方ないわ。というかそういう事はもっと最初に言いなさいよ。こんな急に言われたらどうしようもないでしょう?」
子供あやすかのようにギーシュに話しかけながらルイズがヴェルダンデの正面に立った時、それまで大人しかったヴェルダンデの鼻が急にヒクヒクと動いた。
かと思うとギーシュの脇をすり抜け、あっという間にルイズへと飛びついて押し倒した。
「きゃっ!!ちょっと何よ、このモグラ!」
「ルイズッ!?」
「ヴェ、ヴェルダンデ?」
ギーシュの言葉にも反応せず、ヴェルダンデは興奮したかのように鼻でルイズの体をまさぐり始める。
「ちょっと!くぉの!」と声を上げてヴェルダンデをどかそうと奮闘するルイズだったが、いかんせん体格の差からびくともしない。
そしてヴェルダンデの鼻がルイズの右手に近づいた時、ヴェルダンデは鼻をルイズの手に擦り付けるように動かした。その鼻先には、薬指に光るルビーの指輪があった。
それを見たギーシュは納得したようにポンと手を鳴らす。
「なるほど、指輪か、僕のヴェルダンデは宝石なんかが好きだからね。どうやらその指輪に反応していたみたいだね」
「ギーシュッ!なに呑気に納得してんのよ!!コレは姫様から譲り受けた指輪なのよッ!」
ルイズはヴェルダンデが押しつけてくる鼻を左手で掴みながら言う。
それは昨夜、アンリエッタが帰り際にルイズに渡したものであった。
『母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです。お金が心配なら、売り払って旅の資金に当ててください』
『そんな、そこまで…私に信頼を…』
『この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹く猛き風から、貴方がたを守りますように』
ルイズが深々と頭を下げたのをサイトもギーシュも見ていた。
「もうっ、こんなの頂くんじゃなかったわ!姫様からの貰い物には大抵ロクな事が起こらないわっ!」
「ルイズ、本音が漏れてるぞ」
「ふむ、少女にのしかかるヴェルダンデも中々いいね。芸術的だな」
「いや、まあ...確かにぐっと来るものはあるな・・・」
「サイトも何言ってんのよ!ギーシュ!!とっととこのモグラどけて頂戴!」
そう叫ぶルイズに「わかったよ。やれやれ」と呟き、ギーシュはヴェルダンデをなだめようと一人と一匹に近寄った。
しかしギーシュがヴェルダンデまであと1,2歩の距離まで近づいた時、
ビュワッッッ!
突風が音を鳴らしてギーシュの頬を掠めた。
突風はルイズの上に乗っていたヴェルダンデを浮き上がらせ、そのまま勢いよく学校の壁へと吹き飛ばした。
「ヴェルダンデ!!」
ギーシュは声を上げるがヴェルダンデは学院の石壁に体を打ちつけ地面へと落ちる。
大きな体躯を仰向けにし、目を回してのびてしまった。
「誰だっ!」
先程までとは違い、鋭い目つきをしたギーシュは造花を構えて風の吹いた方へ振り向く。
ギーシュの振り向いた場所には、大きな影が地面に貼られていた。
すぐに顔をその上に移すと、地面から5メイル程の所に、羽を大きくはばたかせている何かがいた。
白い羽毛の下からのぞく黄金色の体毛、3人の目の前で飛んでいるのは、空を飛ぶ大型の魔物、グリフォンであった。
その背には人影が見える。グリフォンの登場に面食らったギーシュであるが、すぐにその人影に向けて杖を振る。
「僕のヴェルダンデをよくもッッ!!」
ギーシュが小さく詠唱して「マジック・アロー」を放とうとした瞬間、再び突風がギーシュの杖を持つ手元を通り、ギーシュの手から造花の杖が吹き飛ばされた。
ルイズとサイトがその光景にポカンとなっていると、人影のいる所から声が聞こえてきた。
「僕は敵じゃない、アンリエッタ姫殿下より、君たちに同行することを命じられた者だ」
人影はグリフォンから飛び降りると「レビテーション」を使い軽く膝を曲げて地面に着陸した。
すっと姿勢を整えた人影は長身の貴族であった。
いかにも高価そうな服、しかし動きを妨げないように無駄な装飾は一切ついてはおらず、立っている姿だけで只者ではない雰囲気を出している。
ツバのやや大きい帽子の下には、端正な顔を持っていた。
しかし顔の所々には小さくも多くの傷や火傷の跡が見える。髭はそれを隠すためのものだろうか。
貴族は三人に、落ち着きの払った声で話しかけてきた。
「姫殿下は君達だけではやはり心許ないらしい。しかしお忍びの任務であるゆえ、一部隊をつける訳にもいかぬ。そこで僕が指名された」
得意げに話した貴族は、その帽子を取って一礼すると、まだ地面に腰をつけたままのルイズの方にさりげなく目をやり、
「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワル「邪魔あぁ!!!」ドフウゥッッ!!?」
吹き飛んだ。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『何処へ行かれるんですか先輩?こんな朝早く』
『お前こそいつの間に私のベッドに入ったんだオイ』
品評会を終え、城の宿舎まで戻っていたミシェルは、二人の愛の巣から出ようとするアニエスの腕を掴んだ。
学院でポットに秘伝のお茶を入れようとし、学院の生徒らしき女の子を捕食しようとした後から記憶がなかった。気づけば宿舎の、自分のベッドに寝かせられていた。
外は既に夜。当直の衛兵以外は皆、ベッドで寝静まっている。
体の所々が痛み、わずかに肌がベトつくのだがミシェルはそれを堪えて起き出すと、アニエスのいるベッドまで移動するといつものように忍びこみ、彼女の香りに包まれた。
体内時計からするとそれほど時間は経っていない筈である。
なのに嫁(自称)はこんな夜更けに出て行こうとする。全くけしからん。
『まだまだ夜じゃないですか。寒いんで早くベッドに入って下さい』
『どんだけ図々しいんだコイツは...寝るなら勝手に寝ろ。私は行かなければならないんだ』
『な?ちょ、先輩!』
ベッドから出たアニエスがミシェルの掴んでいた腕を力づくで外そうとするが、ミシェルは急いで起き上がると腕にぐっと力を入れた。
それを振りほどこうとアニエスもさらに力を入れる。
『おいミシェル!?いいからこの腕を外せバカ!』
『ちょ、ちょっと待って下さいよ先輩!行くって何処に行くんですか!?先輩が行っていいのは私の腕の中だけでしょ!?』
『どんだけ限定的なんだよ!任務だ任務!』
『任務!?』
ミシェルの頭の浮かんだのはアンリエッタ姫であった。
こんな夜に任務って・・・あれか?
私の体を制圧しなさい的な?
この体の疼きを鎮圧しなさい的な?
思わず顔が二ヤけ、口から汁が出そうになる。
『ちょ、水臭いじゃないですか先輩~フヘ、なんで私も誘ってくれないんですか。連れてって下さいよ私も~きっと役に立ちますから』
『おお~し、言っとくが少なくともお前が思っているような任務じゃないぞ~この野郎』
アニエスが顔を引きつらせながらミシェルに呟く。
『お前が気絶している間にお偉いさんから魔法学院の生徒をタルブまで護衛する任務が来てな。今日の夜明けまでには学院に行かなきゃならないんだよ・・・クノッ!だからその腕を離せ!』
『護衛?なんで先輩が行くんですかぁ?そんなの他の奴に任せればいいじゃないですか』
『知るか、私が聞きたいくらいだ!』
それからしばらくの間、アニエスとミシェルのベッド上での掴みあいは続いた。
始めのうちは「納得できない」という事で引きとめていたミシェルであったが、段々と「こんな夜更けに掴みあいもアリっちゃあアリ」と思えるようになってきた。
しかしアニエスのイラつきは頂点に達していたようで、「コノッ!」と力を入れてミシェルの腕を外すと、引きぬいた手をそのままミシェルの顔に打ち込んだ。
ミシェルは口から「ハボッ!」と奇妙な音が出たと思うと、そのまま気絶した。
暗転した中でミシェルは考えた。
なぜ先輩があんな任務に・・・・?
ミシェルは考える。
―確かに先輩は部隊の中ではまだ若い。しかし剣の腕は部隊では3本の指に入る。
―そして姫様の護衛をする事になってから、隊長も気遣ってか隊の任務からは外している。だから隊の中では一番行動しやすい。
―しかも姫様の護衛をするようになってから宮廷でも顔が広まったし、単独の任務を頼むのに先輩はうってつけかもしれない。
既に答えに行き着いているのであるが、ミシェルの考えはまだ先を行く。
―しかも男勝りの気の強さ。それなのにあの美しい肌。美しい!スゲェ美しいッ!百万倍も美しい!
―おまけに普段は着こんでるから分からないがあの反則的なまでの体のラインときたら...ウホッ♪
―しかも良い匂いするし・・・あんなんむしゃぶりつくしかない...そんな先輩が学院の生徒を護衛するなん・・・・生徒?
ミシェルの思考はそこで立ち止まる。そうすると、闇の中で品評会で会ったあの少女が浮かんできた。
―あの少女。あれからどうなったんだろうか?恥ずかしそうにしててもう堪らな・・・・違う、そうじゃないミシェル。生徒はあれだけじゃないんだ。少女だけじゃない。
―『男子生徒』・・・・野郎もいるじゃねえか!!!
ミシェルの頭の中から、サーッと何かが引くような音が聞こえてきた。それが自分の頭の血が引く音だとは、少ししてから気付いた。
―護衛にアニエス先輩を頼む。タルブまでは馬を走らせても3、4日はかかる。当然夜は...
―先輩は平民であっちは貴族の子。いくら私の嫁だからと言って、先輩はあちらの成すがままになるしかない・・・・ッッ!!
―嫌がる先輩、それを強引に、そして「分かってるのか?俺は貴族の息子だぜ?逆らったらどうなるのか・・・な?」と脅しながらベッドに倒す!!涙目になって応える先輩!!!
『おのれええええええええッッッ!!!!』
気付いた時には目を限界まで開き、ベッドから起き上がっていた。
意識が戻った所為でアニエスに殴られた顔の真ん中がヒリヒリと痛む。
しかしこの程度、彼女から貰ったと考えればむしろご褒美だ。
ミシェルはそのままベッドの上で立ち上がり、後ろの壁の開いている場所から外を確かめる。
空は既に明るみをつけ、夜明けに達しようとしていた。
気絶して大分経ったのか?しかし、少なくともアニエスは学院へと着いているだろう。
『く!今から行っても間に合うか?いや、それでも行かなければ!!』
ギリッと歯を噛みしめると、ミシェルは素早くベッドから出て自分のベッドへと向かい、身の回りの物をまとめて肩に背負った。
剣を探したが見当たらないので、アニエスが予備としてベッドに下に隠してある剣をパクると、床を強く蹴り外へと掛け出していく。
その目は既に、いろいろと大事な物が見えてなかった。
『待っていて下さい先輩!野郎の毒牙にかかる前に貴女のミシェルが助けます!!』
※
※
※
※
※
(そうして学院を出てきたはいいが・・・)
ミシェルは馬の上から周りを見回した。
学院正門前、駆けつけたミシェルの周りには3人の学院の生徒が口を開けてポカンとしている。
横にはこちらをガン見してるグリフォン、その表情は鳥ながら「え、マジで!?」と訴え掛けてる様子だ。
そしてミシェルの前方数メイル先には・・・・貴族の男が倒れていた。
―学院に行かなきゃ
とアニエスが言っていたのを思い返し、同僚のトニーの馬を勝手に乗って学院へと来たのだが、正門前にアニエスの姿はなかった。
何人かの人影が見えたので、その隙間を縫って学院の中に入ろうかと思いきや、急に上から人が降りてきた。
(方向転換も面倒だから轢いてしまった・・・)
ミシェルは地面に倒れている貴族の男を見る。
顔は地面に突っ伏しているので良く見えないが、あのマント、そして横にいるグリフォンといい、おそらくはトリステインの衛士隊。
しかも精鋭中の精鋭が集まるグリフォン隊のメイジではないか。
おまけにあの帽子にあの格好、あれ、隊長のワルド子爵じゃないだろうか。
さすがのミシェルも目頭を押さえる。貴族のメイジを、しかもよりによってグリフォン隊の隊長を轢いてしまうとは。
(まずいぞ・・・いくらなんでも貴族を、しかも衛士隊の隊長を轢いてしまうとは。一応声は掛けたのだが...)
ミシェルは元来、馬に乗るのはあんまり上手くない。
しかも乗ってきた馬がトニーのだからなのか、余計に言う事聞いてくれなかった。
(全く、トニーめ!!馬の世話くらいちゃんとしてろよっ!)
心の中でトニーを罵倒した時、ふいにメイジの少年らしき子供が声を掛けてきた。
「き、きき、君は誰なんだい?一体・・・」
その声は震えていた。まあ、目の前で衝突事故を見たのだから当然か。
ミシェルはイラッとしながらも、どう言い訳するか考えながらもう一度周りを見回す。
声を掛けてきた金髪の少年は端正な顔立ちをしていて、いかにも貴族のおぼっちゃまだ。
もう一人、奇妙な服を着て剣を背負った少年がいるが、なぜかこちらから顔を背けている。
そしてもう一人、桃色の髪をした少女が尻もちをついてこちらを驚いた目で・・・
(桃色!!!?むあさぁかぁ!!!)
あの時の放尿少女か!?ミシェルは馬から颯爽と飛び降りると、少女の元へと駆けより、すっと手をさしのばす。
ミシェルは気付かなかったが、剣を背負った少年がミシェルから距離を取るように離れた。
「お怪我はございませんか貴族様?」
「へっ?あ、ど、どうもありがとう・・・」
少女はどぎまぎしながらミシェルの手を握って立ち上がる。
顔を確認しようとかがみこんだミシェルだったが、金髪の少年が後ろから声を掛けてきた。
「おい!答えたまえ!誰なんだ君はッ!!」
(ちっ、うるせえ野郎だ・・・これだからボンボンは)
こんなボンボン、本当は無視したいのだがさすがにそれは出来ない。
勢いで来てしまった挙句に貴族を馬で轢いてしまったからには自分はタダでは済まないだろう。
無関係である自分の部隊にも、トニーにも害が及ぶ。
どうする・・・・ミシェルは貴族の少年の向こうに倒れているワルドをじっと見た。
するとその時、ミシェルの脳裏にとんでもない事が閃いた。
トリステイン魔法学院正門前に微妙な空気が流れる。
シーンと静まり返った空気を切り裂いたのは、ミシェルの声であった。
「あ、危ない所だった。あやうく敵の手にかかるところだった」
「「「はっ?」」」
ミシェルの言葉に思わず少年たちから声を上がる。
それに構わずミシェルは続けた。
「私は敵じゃない、アンリエッタ姫殿下より、君たちに同行することを命じられた者だ」
自信たっぷりに三人に告げる。
三人ともまだ状況を把握し切れてない感じで(一人は未だに顔を背けているので分からないが)こちらを見ているが、ミシェルはワルドの方を指さし、
「アイツはトリステインのメイジを装っているが、実は敵の送り込んだスパイだ」
ミシェルはチラリと視線をグリフォンへと移した。
グリフォンも「え、何言ってんの?」と言いたげにこちらを見ている。
しかしミシェルは淡々と言葉を並べる。
「それに気付いた私がこうやって駆けつけたのだが...ギリギリだった。危うく捕まる所だった」
ミシェルは三人をそれぞれ見ると、フゥと息を吐いた。
何も知らないのに良くここまで言えるなと自分自身でも驚いている。
「とにかく!任務はもう始まっているのだ。気を抜くと今の奴みたいに敵が襲ってくるぞ!」
ミシェルがそう告げると、再び周囲に微妙な空気が流れた。
そして桃色の髪の少女がおずおずと近寄り、小さい声で尋ねた。
「あの…あなたは誰なの?」
金髪の少年と同じ質問であったが、今度は無視することなく、ミシェルはニコッとほほ笑むと、
「姫殿下は君達だけではやはり心許ないらしい。しかしお忍びの任務であるゆえ、一部隊、ましてや‘公の’部隊をつける訳にもいかない。そこで私が指名された」
そこで一度、礼をし、顔を上げる。
「姫殿下の『直属親衛隊副長』、ミシェルだ」
この時、ミシェルに二つの幸運があった。
ひとつはワルドの意識がミシェルがグリフォンに乗り、旅立つまで戻らなかった事。
もうひとつは学院で夜を明かしていたアンリエッタが、ベッドから起きていなかった事であった。正直、ルイズの部屋に言った夜更かしが響いたようだ。
「すぴぃ~すぅ、くこっ~・・・・・・・・zzz zzz」
来賓用の寝室から少女の寝息が止んだのは、メイドが朝食の時間に起こしに行った時であった。