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No.21478の一覧
[0] 【チラ裏より】学園黙示録:CODE:WESKER (バイオ設定:オリ主)[ノシ棒](2011/05/21 22:46)
[1] 学園黙示録:CODE:WESKER:2[ノシ棒](2011/05/21 22:33)
[2] 学園黙示録:CODE:WESKER:3[ノシ棒](2011/05/21 22:33)
[3] 学園黙示録:CODE:WESKER:4[ノシ棒](2011/05/21 22:33)
[4] 学園黙示録:CODE:WESKER:5[ノシ棒](2011/05/21 22:34)
[5] 学園黙示録:CODE:WESKER:6[ノシ棒](2011/05/21 22:34)
[6] 学園黙示録:CODE:WESKER:7[ノシ棒](2011/05/21 22:34)
[7] 学園黙示録:CODE:WESKER:8[ノシ棒](2011/05/21 22:35)
[8] 学園黙示録:CODE:WESKER:9[ノシ棒](2011/05/21 22:35)
[9] 学園黙示録:CODE:WESKER:10[ノシ棒](2011/05/21 22:35)
[10] 学園黙示録:CODE:WESKER:11[ノシ棒](2011/05/21 22:36)
[11] 学園黙示録:CODE:WESKER:12[ノシ棒](2011/05/21 22:37)
[12] 学園黙示録:CODE:WESKER:13[ノシ棒](2011/05/21 22:37)
[13] 学園黙示録:CODE:WESKER:14[ノシ棒](2011/05/21 22:37)
[14] 学園黙示録:CODE:WESKER:15[ノシ棒](2011/05/21 22:38)
[15] 学園黙示録:CODE:WESKER:16[ノシ棒](2011/05/21 22:38)
[16] 学園黙示録:CODE:WESKER:17[ノシ棒](2011/05/21 22:38)
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[21478] 学園黙示録:CODE:WESKER:11
Name: ノシ棒◆f250e2d7 ID:373ed26e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/05/21 22:36
鉤爪が打ち付けられた瞬間、響いたのは、鉄を打ち合わせたような音だった。
明らかに生物の範疇を超えた硬度。昆虫綱特有の外骨格構造が、健人の鉤爪による一撃を拒む。
健人の右腕による一撃は、交差した二本の鎌によって受けとめられた。動物的、否、昆虫的本能とでも言うべきか、<リーパー>が執った耐ショック体勢は理に適ったもの。込められたエネルギーを散らされた鉤爪は、外殻の頑強さのみで受けとめられたのだった。
<リーパー>の表皮にヒビが入り、身体が沈む。このまま押せば砕けるかと体重を掛けた健人だったが、しかし残る鎌が器用に伸び、右腕に絡みついた。
三本の鎌によって完全に封ぜられた右腕。健人の顔色が変わった。
左右一対片側三本、計六本の鎌。
内、中段の一本が健人の胴を狙う。


「ちぃぃッ!」


健人はすぐさま触腕を“解いて”、拘束から抜け出す。
距離を取った健人を嘲笑うかのように、<リーパー>が巨大な顎をギチギチと鳴らしていた。
鈍痛に腹部を抑えれば、指先に朱色が。
飛び退くのが遅れ、鎌が胴を薙いだのである。

背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じながら、健人はかつて書店で読んだ、とある特集記事について思い出していた。
人間の種族の特性として格闘技を捉えた、斬新な解釈による記事だった。
そこにはこう書かれていた。
例えば人間サイズの肉食昆虫がいたとして、果たしてそれに格闘技を用いる人間が敵うか否か。
そんなテーマによる切り口から始まり、そして答えは――――――否。
絶対に敵わない。
人間が同サイズの昆虫網に近接戦で勝利するのは不可能である、という結論で締めくくられていた。
興味は惹けど所詮は机上論にすぎない、などと鼻で笑っていた頃が懐かしい。
現実にこの光景を見れば、頷く他は無かった。
俊敏性、頑強さ、可動範囲、複眼による視野――――――。
弱肉強食のシステム内に限り、昆虫網は余りにも機能的過ぎるのだ。
まるで隙がない。

健人の焦りを察知してか、<リーパー>が死神の鎌を振りかざす。
次々と振るわれる四本の鎌に向け、健人は素早く腕を振るった。
四つの衝突音。
押し勝ったのは、健人の爪である。元々、筋繊維の量と質が違うのだ。
トップスピードはこちらが上。膂力も同じく上。
しかし実際はといえば、健人は何とか鎌をはじき返すのが精一杯で、防戦一方となるしかなかった。
こちらは腕一本、あちらは四本から六本なのである。
文字通り、手数の問題だった。
一本を捌けば別の一本が迫り、それに対処する内に外側から回された鎌が背を裂く。
繰り出される連撃に追い付けず、次第に健人の身体に傷が刻まれていった。
だが――――――それだけだ。

表皮の頑強さと反応速度、膂力は確かに脅威ではある。
しかし単調な攻撃パターンは、所詮は蟲と言わざるを得まい。刺激に対し、反射で返すしかない。そこには思考がないのだ。
それでも巨大昆虫に人間が勝てはしないという構図は変わらない。だが、健人の様な半人間であるならば。その限りでは無い。
今の健人にとって、多少の負傷など問題にはならない。
振り下ろされる鎌を掻い潜り、内二本を避け切れず肩と腹を裂かれながら、健人は<リーパー>の脇へと抜けた。
そのまま背後から、<リーパー>の背へと組み付く。
硬い表皮から生えた繊毛やトゲが肌をくすぐり、嫌悪感に全身が粟立った。
だが、そんな嫌悪感を全て吹き飛ばす、闘争の熱が。


「速く、巧い。でも・・・・・・叔父さんよりは下手くそだ!」


――――――人と獣の違いは何にあるか、知っているか健人。
牙も無く、爪も無く、力も弱い我々が、唯一奴らに勝り得る可能性があるとしたら、それは何であるか解るか。
それは、技だ。
技術とは、喰われる側に回ったことのない者には、決して身に付けられん。
忘れるな。
お前が絶対的な力を手にしたとしても、技を駆使し続けろ――――――。

叔父の言葉が胸に浮かぶ。
健人は背後に回った<リーパー>の、がら空きの背を駆け昇り、その鎌が背後へと回される前に鷲掴みにした。
脇から足を入れ、両膝裏で中段の鎌を固定。次いで、足甲を引っ掛けるように下段節足を固定する。
そうだ、と健人は思った。
俺が人であろうとなかろうと、知恵を巡らせ、技を凝らさねば。


「思い出させてくれてありがとよ!」


<リーパー>の関節が軋み、鋭い顎が喘ぐように打ち鳴らされる。
激しく暴れても組付いた健人は剥がれない。右腕から延びた触手が、健人と<リーパー>のお互いを縛りつけているのだ。
健人が仕掛けた技は、関節技。
リバース・パロ・スペシャルと呼ばれる関節技の、人外応用変型である。
触手によって補われたロックは、力尽くでの脱出を許さない。
それだけではなく、相手の膂力が発揮できないよう、捻りまで加えられている。
いかに巨体であろうとも、節足動物のそれと等しく関節は脆いようだ。
寸瞬の拮抗の後、乾いた音を立てて<リーパー>の大鎌は、ついに逆間接側へと圧し折れた。
留まらず力を込め続け、健人は<リーパー>の鎌を胴体からもぎ取る。これが自分と似た性質を備えているのならば、多少の負傷で行動を封じたとは思ってはならない。完全に破壊か、もしくは分離させねば。
結合部から、半固体の黄色い体液がどろりと流れ落ちた。
醜い悲鳴が上がった。

――――――瞬間、背筋を這う悪寒。
<リーパー>の複眼が憎悪の火を灯し、真後ろにも広がる視野でもって、健人を睨み付けている。


「くああッ!?」


強烈な刺激臭。
目と鼻と喉に奔る刺すような痛みに、健人は堪らず転げ落ちた。
涙と鼻水が溢れ、涎が滝のように流れて止まらない。
あまりもの臭気に意識が朦朧とし、前後が曖昧になる。


「ぐ、ぐぅぅ! がっ、ごぶっ、げぇ・・・・・・お、ごぉッ!」


胃の中身を全部ぶちまけるまで、何をされたのか、健人は解らなかった。
涙をぼろぼろと零しながら何とか瞳を開け確認するも、<リーパー>の姿はぼやけて見えない。
それは涙で視界が滲んでいるからではなかった。
<リーパー>の周囲の空間が、丸ごとねじ曲がって歪んでいたのだ。

――――――ガスだ。
健人は自身に仕掛けられた攻撃に思い至る。
ガスを吸わされたのだ。
昆虫界ではガスを自衛に用いる種は珍しくない。
生物の体内で生成される毒も多種多様であるが、とりわけガスは、その中でも速効性に抜きんでた代物である。昆虫種のガスは、その代表であるだろう。毒性が強いものであれば、対象の肺から血中に侵入し、脳機能に障害を発生させるものまである。
しゅう、と<リーパー>の胴体から幾筋もの気体が空気を滲ませ、噴出している。
<リーパー>は体内で生成した毒性ガスを、健人へと浴びせかけたのだ。

手足が軽く痺れ、頭がぐらつくが、戦闘行動に大きく影響するものではないだろうと判断。次第に視野もクリアになっていく。
だが、周囲の空間を歪ませる程の濃度のガスだ。
しかも成分は不明――――――ろくなものではないことだけは確信できる。
そんなものを至近で吸わされ、この程度で済んだことは奇跡にも思えた。あるいは、異形と化しつつある、この身体のおかげか。
次にガスを吸わされても無事でいられる自信は無かった。

ひゅうん、と風斬り音。
確認もせず地を転がる。地面に鋭い鎌が突き刺さる音と、空気の流れを感じた。同時に、ガスの臭気も。


「ぐ、くっ、くそッ!」


歯噛みをしつつ、健人は更に距離を開けた。
近付けない。
拳銃に意識が行くも、かといってあんな硬度の外皮では、拳銃弾など効果は見込めない。
触手を延ばしても斬り落とされて終いだろう。
もっと大きな質量による高速度、遠距離からの攻撃手段が必要だ。
どうしたらいい。どうしたら・・・・・・。
健人の思考に反応したのだろうか。異形の右腕が、紫電を放ち始める。
――――――そうだ、これならば。
紫電の瞬きに、健人の脳裏に閃く、ある考えが。
鎌を横っ跳びに回避すると、地に手を突いた反動で空中後転。
健人の右腕には、石が握り込まれていた。
触腕内部へと取り込まれていく石。
健人の意を汲み、右腕が更なる型へと変型していく。
第三指、四指の中間が割れ、手首から腕部へと続く空洞が現れる。
それはさながら砲筒のようであった。否、そのものなのだ。これは。
新たな形態へと姿を変えた右腕が、正しく機能を発揮するために、激しく紫電を空中に撒き散らす。


「喰らいやがれ――――――ッ!」


<リーパー>へと真っ直ぐに向けた腕。
その砲口から、爆砕音が轟いた――――――。

サーマルガン、と呼ばれる装置がある。
電流のジュール熱によって導体をプラズマへ相変化させ、プラズマ化に伴う急激な体積の増加を利用し、弾体を加速させるという装置である。
兵器としてみれば炸薬の働きをプラズマの膨張圧に置き換えただけのものでしかないが、弾体を選ばないという点において、拳銃弾に勝る威力を発揮する場合がある。また、比較的低電流量で作動する点も特筆すべきところだろうか。
健人が弾丸としたのは、何の変哲もない拳大の石。
音速を僅かに超える初速を得たただの石ころの破壊力たるや、9mmパラベラムの比ではない。

――――――肉の焦げる音がする。
轟音を伴い射出された石は、<リーパー>の頭部を跡形もなく吹き飛ばしていた。
反動によって後ろ向きに地面へと叩き付けられ、自身が発したプラズマの熱量に腕を焼かれながら、健人は半ば唖然として石ころが産み出した破壊の爪跡を見ていた。

発熱と衝撃は、柔軟さに反して決して崩れないだろうと思われた触腕を内側から弾けさせ、本体である骨まで露出させている。すぐさま新たな触手が欠損部分を覆い始めたのを見るに、自壊することで反動を殺したのだろう。それでも息が詰まる程に地に叩きつけられたのだから、弾体発射時のエネルギーが尋常なものではなかったことが解る。
直撃でなかったのは、導体がプラズマ化し膨張した際、砲口が跳ね上がって狙いを逸らしたからか。
音速超で射出された石は<リーパー>の額を擦り、射線上の木々を薙ぎ倒し、彼方へと消えていった。
なまじ表皮が頑強であったため、砕けるのではなく折れ飛んだのだろう。頭部を失った<リーパー>の胴体が起き上がり、残った鎌を滅茶苦茶に振り回しては歩き回っていた。
巨体であっても体構造は虫と変わらないということか。昆虫網特有のはしご形神経系が、制御器官を失って暴走を始めたのだ。
可動域を無視した動きによって外骨格が剥がれ、そこから薄白く脈動するのう胞が外部へと露出する。


「あれは・・・・・・中枢神経か! それなら!」


<リーパー>が基本的には昆虫網の体構造に従っているというのなら、中枢神経を破壊すれば活動を停止するはず。露出したのう胞が本当に中枢神経であるかは定かではないが、明らかに弱点然とした器官に見えた。
健人は未だ修復の追い付かない右腕を握りしめ、駆け出した。
狙いの定まらない鎌には、もはや恐れなど抱きはしない。
露出した中枢神経へと、健人は拳を叩き付けた。


「これで終わりだ!」


水を含ませた綿を殴るような音。そして、感触。
激しい痙攣の後、どう、と音を立て、<リーパー>の巨体は地に墜ちた。
そのまま、二度と起き上がっては来ないことを確認し、残心。
健人は深く息を吐き、崩れるようにして腰を下ろした。


「なんだったんだ、こいつは・・・・・・」


堪らずにぐったりとして、健人は呟いた。
思わず漏れた一言だった。身体も、心も、とても疲れていた。
リーパーの死骸から小さな羽虫が何匹も這い出しては、群なして宙を飛んでいる。
――――――本当に、一体何だというのだ、こいつら<化け物>は。
見る程に訳の解らない生態だった。これも、今更改めて言うほどのことではないのだが。
電流を発するようになった己の右腕を抱え、健人は項垂れた。

さて、と健人は何とかふらつく足を抑えて立ち上がると、きびすを返した。
こちらは何とかなったが、冴子の方はどうだろうか。
もしも苦戦しているようならば、加勢してやらねば。


「いや、助けなんかいらない、か」


真剣を得た冴子の、見る者の背筋を震わせるような、艶やかな笑み。
それを思い出し、大丈夫だな、と健人は一人言ちて苦笑した。
背後にぶら下がる幾つもの繭。
その表面をぶつりと裂き、羊水に塗れた鋭い鎌がてらてらと光を照り返していたのには、気付かずに。






■ □ ■





脊髄に氷柱を突き込まれたような感覚に冴子が停止したのは、あらかた<奴ら>を斬り伏せた後のことだった。
もう数十体は斬っただろうか。
切先を斜めにして刀身を振り、血を流し落とす。人血を吸い、ぎらり、と鋼色の刀身が輝いていた。刀身に余分な油脂は残らず、刃零れ一つない。
流石は御神体として祀られていただけのことはある。
まとめて二体の<奴ら>の胴体を両断した瞬間など、内股の震えが止まらなかった。造りの見事さは言うまでもなく、この結果を自らの腕が成したと思えば、えもいわれぬ快感である。
次から次へと<奴ら>を求めては、斬って斬って、斬り捨てる。
気付けば冴子は散乱する<奴ら>の残骸の直中で、息を荒げて立っていた。
周囲をぐるりと見渡す。
むせ返る血の臭いと、散らばる肢体。
つい今しがたまではこの光景を前に、恍惚を覚えていたはずだった。
だが、しかし。
――――――嫌な予感が、する。


「――――――健人!」


はっと何かに気付いたように、冴子は健人の名を呼んだ。
そのまま脇目も振らず、林の中へと駆けていく。
そんな馬鹿な、と。
叫び出しそうな自分を抑えるのに精一杯だった。
指先が凍える。
そんな、馬鹿な。
彼が、健人が、やられるはずがないではないか。


「やっと、やっと通じ合えたというのに――――――!」


だから、どうか無事でいてくれと切に願う。
踏み込んだ林の中は、そこいら中の木々に粘着質な糸が絡まり、幾重にも張られた蜘蛛の巣のような様相だった。
何個かある萎んだ風船のような物体は、何かの卵なのだろうか。今も滴る羊水から立ち上る腐臭に、胃酸が込み上げる。
死体が歩き回ることも非現実的であったが、この空間は輪を掛けて異常だ。
嫌悪感に顔が歪み――――――そして冴子は見た。
巨大な蟲の<化け物>達が、健人を取り囲んでいるのを。
これか、と冴子は戦慄を抱いた。
これが、健人の敵。
これが、健人の抱いていた、恐怖そのものか。


「健人・・・・・・ッ、しっかりしろ健人! 健人!」


叫ぶも、反応はない。
返答の代りに這いつくばる健人の口から出たのは、血の泡だった。
健人はただ、己を取り囲む蟲共を、真っ赤に燃える瞳で睨み付けている。その視線に絶望の色はなかった。
だが、健人の強みであり弱みでもある異形の右腕は傷つき、これ以上の戦闘には耐えられないことは明白だった。
限界だ。
戦意は萎えずとも、膝は地を離れる様子はない。
そんな状態では一匹、二匹、三匹・・・・・・七匹はいる蟲共を、到底捌き切れないだろう。
叫び声に反応した数匹の蟲が、複眼を一斉に冴子へと向けた。
表情の無い、ただ醜悪なだけの顔。
巨大な蟲そのもののおぞましさに後退りしかけるも、しかし烈火の怒りが冴子を突き動かした。


「健人から離れろ、<化け物>め!」


冴子は刀を構え、近くの一匹に狙いを定めて斬り掛かった。
激昂していようとも毒島流剣術の太刀筋に曇りはない。
刃の閃きは蟲共を両断する――――――はずだった。
肩口の表皮に触れるや、ぎぃん、と甲高い音を立て、冴子の手にある刃が留まる。手首に伝わる異様に硬い反動に、冴子はさっと青ざめた。
それでも刃先が喰い込んでいたのは、神前に供えられる程の業物であったがためか、冴子の技量によるものか。刃が欠けた様子も、刀身が歪んだ様子もない。そっくりそのまま、そこに留まっていたのだ。
まさか冴子は、いくら巨大であるといえど蟲の表皮が鋼並の強度を備えているなど、思ってもいなかった。
斬鉄にはそれ相応の気構えと、特別な打ち方が必要だ。
肉を斬るようにしては鉄が斬れないのは当然である。
冴子に健人程の膂力があれば、あるいは力尽くで袈裟斬りに出来たかもしれないが、それは望むべくもない仮定でしかない。
蟲共は冴子の刃を意にも介さず、防ぐ事すらしなかったのだ。ガチガチと鳴らされる顎が、冴子には侮蔑の嘲笑にも見えていた。
冴子を抱き締めるよう、四本の鎌が広げられる。
身体に何度も鎌が突き立てられ、串刺しにされる様が冴子の脳裏を過った。


「く、おおおおッ!」


しかし、掲げられた鎌は空を斬る。
健人が横合いからタックルを仕掛け、蟲の巨体を押し倒したのだ。
包囲を無理矢理に抜けて来たのだろう。健人の腿には大穴が空き、おびただしい量の血が流れている。
冴子を襲っていた蟲と、もつれ合いながら地を転がる健人。
二者に弾かれてなお冴子が刀を手放さなかったのは、流石は毒島の女、と言うべきか。
ただそれは反撃のためではなく、訓練によって培われた反射によるものであったことは言うまでもなく。
鎌がひたりと健人の喉に宛がわれたのを、冴子はただ見ているしかなかった。


「よ、よせ! やめろ! やめてくれ!」


健人の首に掛けられた鎌が、じっくりと閉じられていく。
今すぐに駆け寄りたいというのに、残る蟲共に牽制され、動けない。


「あ、ああっ、あああ! 健人――――――!」


絶望に崩れ落ちた冴子の膝が地に着く、その寸前の事だった。


「MUU■――――――U■OOO――――――AAA■AAAA■■――――――■!」


朝霧を裂く咆哮――――――。
空から飛来した黒い砲弾が、健人に圧し掛かる蟲を弾き飛ばした。
否、それは砲弾ではなかった。
ゆっくりと晴れていく土煙の中に、ひざまずく人影が静かに佇んでいた。
それには手があった。足があった。頭があり、胴体も、人間と同じ数だけあった。
ただ、現れたそれを人間と言い切ってしまうには、冴子には疑問が残った。

腕は長く、膝丈に届く程。
拘束具のような黒衣が全身を頭部まで仮面のように覆っていて、僅かに指先や口元が覗くのみ。
露出している肌も、まるで<奴ら>のように青白い。外から伺い知れる口元も顎は細く整ってはいたが、ひび割れて乾いた唇の奥に、赤黒く染まった歯が見える。これも<奴ら>に似ていた。
元は金髪だったのだろう、くすんだ灰色の髪がベルト状の仮面から零れていた。
そして手足には鉄の枷が。足枷は破損していたが、両手は高度な技術力を匂わせる電子錠によって繋がれている。
何よりも目立つのがその体躯だ。やや曲がった背が全長を誤魔化しているが、真っ直ぐに立てば2mは優に超えるだろう。
これを人間であると言うよりは、<奴ら>であると言う方が、まだ納得出来る容姿だった。


「け、けん・・・・・・と・・・・・・・」


冴子が自身の精神を打った衝撃に固まったのは、突然の事態に驚いたからではない。
黒衣の人物――――――と表すしかない――――――に、健人が抱き抱えられていたからだ。
襲っているのではない。この人物は健人を救ったのだとみるのが正しいだろう。まるで大事なものを扱うかのように、黒衣の人物は健人へと頬を寄せていた。
女性、なのだろうか。
胸の膨らみが、拘束具をなだらかに押し上げている。
腕と枷で作られた輪の中に、すっぽりと身を納めさせられた健人は、呆けたように黒衣の大女を見上げていた。
笑っているような、泣いているような。
切なさに喘ぐ顔。
これまで見たことのない健人の表情に、冴子の胸の奥から、腹の底から、制御不可能な熱い泥の塊が噴き出してくる。
正直に告白するならば。
健人の首に鎌が添えられた時よりも、今この時に飛び出して行けない事に、冴子は猛烈な焦りと後悔を覚えていた。
まさか、と冴子は思った。
まさか自分は今、何か決定的な瞬間の目撃者となっているのではないか。
馬鹿な。
そんな馬鹿なことが――――――。
ゆっくりと健人は、自らを抱く大女に向かって指を伸ばした。
何をかを言わんと、震えながら口を開く。


「リ――――――」


しかし健人の呟きは、最後まで口にされることはなかった。
蟲共が乱入者を刺し殺さんと、彼らに向かい殺到したのだ。どうやら蟲共には雰囲気を察知する機能は備わってはいないようだった。否、もしかしたら、この上なく空気を読んだ行動なのかもしれない。そう思ったのは、冴子だけなのだろうか。
黒衣の大女は健人を静かに地面に下ろすと、無造作に手首の枷を一振りした。
枷はぐおん、と重量のある音を立て、無警戒に近付いていた蟲の横面に命中。硬質な物が砕け散る音がした。
派手に宙を回転する蟲。
ようやく土を抉って止まった時には、全身があらぬ方向へひしゃげていた。
先に黒衣の大女が現れた際も、この枷で一撃を加えたのだろう。
健人を超える常識外の膂力だった。そんなもので殴られたならば、例えどんな生物であっても絶命は必至である。
黒衣の大女は一度だけ健人を振り返ると、悠然と蟲共に向き直った。


「駄目だ、数が多すぎる!」


俺も一緒に、とふらつきながら立ちあがる健人。出血はもう止まっていた。
だが黒衣の大女は、健人を制するよう、背後を指差した。
指された方角には、境内に続いていた階段が。
このまま逃げろ、と言いたいのだろうか。


「■■G――――――■OO■AA!」


天に吠える黒衣の大女。
それが合図だったのか、木々の隙間から爬虫類と人間を重ね合わせたような異形が、新たに現れた。
敵・・・・・・ではないようだ。
一体今までどうやって姿を隠していたのだろう。まるで狩人<ハンター>のような身のこなしで、蟲共を取り囲んでいく。
それらの動きは全て、大女の指示の元に統制されているように見えた。
黒衣の大女が、再び階段を指す。


「今の内だ、健人。さあ行こう」

「でも、助けてくれたんだ、俺も一緒に」

「いい加減にしないか! 行くんだ!」


何度も振り返る健人を引きずりながら、冴子は境内を後にした。
あの蟲の<化け物>は何なのか。
いったい健人はどんな異常事態に巻き込まれているというのか。
そもそも、右腕の変質はなぜ起きたのか。
聞きたい事が山程あった。
しかし、そんな事は問うても意味があるまい。健人自身も答えに窮するはずだ。困惑を張り付けた顔が全てを物語っているではないか。
だから、現れた黒衣の大女のことを知っているのか――――――などと、健人にその関係を問うことなど、冴子には出来ようもなく。
今はただ、健人との間にようやく結ばれた繋がりさえあればいい。この温もりだけで。
冴子は唇を噛み締め、健人に強く腕を絡みつけた。






■ □ ■





「健人お兄ちゃん・・・・・・冴子お姉ちゃん・・・・・・」

「大丈夫だよありすちゃん。きっと、きっと大丈夫」

「コータちゃん・・・・・・うん!」


明るく頷くありす。
だがそれは、崩壊と紙一重の空元気というものではないのだろうか。そうコータは思った。
小室達一行が高城邸に匿われ、一夜が過ぎていた。
皆へとへとで、コータ自身も泥に沈むようにして眠りについたのである。ありすの体力がもつはずがない。
そうでなくともありすの目の下には、薄い隈が出来ているように見える。
子犬と子供とで気が合うのだろう、あれから寄り添うように側へと侍っているジークと共に戯れるありすの姿を見て、やはり無理をしているな、とコータは気付かれぬよう、息を吐いた。
ありすが何度も悲鳴を上げては飛び起き、結局は鞠川に抱かれて眠ったのを、コータは知っていた。
彼女はまだ、地獄にいるのだ。
頼るべき両親を失った地獄に。
だからたった数時間共に過ごしただけの健人と冴子の安否を、こうまで気に病んでいるのだ。
彼女を救ったこのメンバーの中から“脱落者”が出たら、どうなるのだろうか。
耐えられないかもしれない。
小さな身体に見合った脆い心を快活さで覆い隠し、この世界に適応した少女を、弱いなどとコータは言わない。
いつかは自分も、悲鳴を上げて飛び起きることになるのだろうから。


「あ――――――、健人お兄ちゃん! 冴子お姉ちゃん!」


ぱっと顔を上げ、正門へと駆けていくありすを目線で追う。
高城の母が率いていた党員に誘導され、高城邸へと向かう、健人と冴子の姿がそこにはあった。
知らずコータは自分の膝が震えていたことに気付いた。
安堵で腰が抜けそうになっていた。


「健人先輩、毒島先輩! よくご無事で」

「ありがとう平野君。私も健人も、この通りだ」

「健人お兄ちゃん、大丈夫?」

「・・・・・・ああ、大丈夫だよ」


見た所怪我はない様子の冴子。
健人は血みどろだったが、別段どこかに傷があるわけでもないようだ。全て返り血なのだろう。何処で調達してきたのか、新たな厚手のコートに袖を通していた。
冴子に肩を借りて歩いているのは、立って歩く気力がなかったからか。
健人は冴子から離れると、心配そうに見上げるありすの頭を一つ撫で、覚束ない足取りで歩き始めた。
ありすがすぐさま近付いて、よいしょ、と健人の手を頭に乗せ、杖替りとなっていた。
それに苦笑をこぼせるくらいなのだから、本人の言う通り大丈夫なのだろう。
コータの眼にはとても大丈夫そうには見えなかったが。


「前からでかいなとは思っていたけど、内側から見るとさらにでかく見えるな」

「高城さんの家は、その、右翼団体の拠点も兼ねていたみたいで」

「右翼か。それっぽい性格なんじゃなくて、本物のお嬢だったわけだ。それで、どうだ。そっちは何かあったか? 宮本の怪我の具合は?」

「こちらは何も。皆昨日はぐっすりでしたから。宮本さんも打ち身は酷かったそうですが、大丈夫だそうです。薬を塗って安静にしてますよ。先輩達の方は?」

「・・・・・・まあ、色々とな。悪い、まだ整理がついてないんだ」

「い、いえ! こちらこそ申し訳ないっす!」

「ごめんな。詳しい事はあいつに聞いてくれ。ああ、怪我はもうなくなったから、心配しなくていいよ」

「はあ、ならいいんですが」


“もうなくなった”、という言葉のニュアンスに首をひねるも、健人の言い間違いなのだろうとコータは頷く。とまれ、怪我が無くて何よりである。
あいつ、と後ろ向きに親指で示された冴子は、何やらありすを羨ましそうに眺めていて、健人は振り向きたくはないようだった。
気が付かなかったが、腰には真剣を帯びている。
なるほど色々とあったようだ。


「悪いんだけど、少し一人で休ませてくれないか。あと、飯も」

「食事ならば私が作って」

「うん! ありすおばちゃんに伝えてくるね! 健人お兄ちゃんお腹ぺこぺこだって!」

「ありがとな、ありす。走ってこけるんじゃないぞ」

「はーい!」

「私が・・・・・・」


聞こえていただろうに、冴子を完全に無視してありすを追う健人。
がっくりと肩を落とすも、ほうっ、と熱っぽい息を吐いて健人の背を見詰める冴子に、どう声を掛けたらいいものか。
コータはびくつきながら冴子に話し掛けた。


「ええっと、ぶ、毒島先輩? その、きっと健人先輩は照れてただけですから、元気出してくださいね」

「ああ、解っているよ。意地っ張りだからな、健人は。男の自尊心を受け入れてやるのも女たるの役目さ」

「はあ、健人、っすか」


呼び名が変わっている事を深くは聞かないコータだった。
人の視線や風聞に隠れるように生きて来たコータだ。
誰が誰にどんな感情を向けているかは、人並以上に敏感なつもりであった。
聞けばお前はどうなのだ、という返しが来るのは間違いがない。藪を突けば蛇が出ると解っているならば、黙って見過ごすだけの慎重さをコータの人格は備えていた。
それは射撃において如何なく発揮されている才でもあった。


「そうだ。健人先輩から毒島先輩に聞いておけって言われたんですけど、昨日何かあったんですか? 健人先輩の様子、普通じゃなかったですよ」

「・・・・・・ほう。平野君、君には彼がどのように見えていたというのかね。教えてくれないか?」

「え、ええっと、何て言うか、苦しんでるみたいな。でも、それでいて」

「嬉しそう、だったかね?」

「ええ、とても嬉しそうでした」


そうだ、とコータは頷く。
すれ違った瞬間に垣間見えた健人の表情は、とても穏やかだった。
隠しきれない濃い疲労感がこびり付いていたというのに、それでも健人は穏やかに、哀しそうに、笑っていたのだ。
その笑みには苦悩と喜び。悲哀と懐古。相反する感情が混在しているように見えた。
何があったのだろうかとコータは首をひねるしかない。


「ふ、ふ、ふ」


きり、きり、きり――――――と、小さな音が聞こえた。
薄らと開いた冴子の唇から、断続的な笑い声と共に漏れている。歯噛みの音、なのだろうか。
俯いた冴子の表情は、影に隠れて見えない。
ぞわり、と空気が一瞬で冷えたような、そんな気がした。


「え、あ、ええ? ぶ、毒島せんぱ、い?」

「ふふ、ふふふ、どうしたね平野君。続けたまえよ」

「ひ、ひぃ!」


思わず尻餅を着くコータ。
駄目だ、目を合わせられない。


「男子が簡単に倒れるものではないよ。さあ、立ちなさい」


差し出された手に、うっかりとコータは見上げてしまった。
見上げて、後悔した。
変に気を回さず自分もありすに続いて、さっさと退参すべきだったな、と。
銃を身に付けていないことがこんなにも不安に思ったのは、初めてのことだった。
大丈夫です、と何とか返事を返し、手を取る事なく立ち上がる。
目線は下だ。
怖いもの見たさなどと、とんでもない。
今の彼女と対峙するのに比べれば、<奴ら>相手に62式機関銃を担いで行く方がよほどマシだろう。
藪を突かぬよう回り道をしたら、鬼の脚を踏んだような気分だった。


「ふふ、何があったのかと問われたのだったな。ご期待に沿えず申し訳ないが、健人と私の間が狭まった意外には、何も無かったよ」

「あ、あうう」

「それ以外には何も、何も無かった。そう、何も無かったのだ。無かったともさ」


意味の無い言葉が口を突く。
淡々と語る冴子は、その下顎を口端から滴らせた血の雫で彩らせているのだろう。
コータが覗きこんでしまった、井戸の底のような色の無い瞳で。


「そ、それじゃあ僕はこれで! 失礼します!」


コータはそのまま脱兎の如く逃げ出した。
こういう時には小心者であって得をしたなと思う。逃げ出したとて、恥にはならないのだから。否、今の冴子の前に立てるのは高城の父くらいのものだろうが。


「ほんとに何があったってんですか、健人先輩」


問うても健人のことだ。
色々あった、としか答えないだろうことは、想像に難くない。
どこか超然とした所のある健人を恨めしく思う。全くあの人は、とコータが健人へと愚痴をこぼしたのは、仕方のない事だろう。
振り向かず、つんのめりながらもコータは走った。
きり、きり、きり――――――と、小さな音が、背後から聞こえてくるようだった。






■ □ ■






File11:ある女スパイの記録


暗号アルゴリズム解除キー照会・・・・・・照会中・・・・・・エラー・・・・・・90%変換完了・・・・・・。

卵の癒着を確認。
現在、被検体に感染したウロボロスウィルスに変化なし。
孵化を確認後、被検体に更なる戦闘を経験させ、負傷による混合ウィルスの反応を確認後、帰投する。
また、以下については私見であるが、今回の試験の狙いであるウィルスの強制進化を促すには、<リーパー>程度では不足であると推察される。
強制進化させるには暴走状態に追い込むのが最も効果的であり、生命活動が困難になるほどの、治癒不可能であり致命的な打撃を与える必要がある。
これまでのデータより、人の精神面――――――脳電位にウィルスが大きく左右されると仮定すると、被検体の精神状態にも気を使うべきである。
ウロボロスの力をものにしつつある被検体では、個ではなく数で押す<リーパー>には脅威を感じこそすれ、大きな恐怖は感じないだろう。
被検体に与える影響を考え、<『暗号解除キーが一致しません』>の投入を進言する。
・・・・・・現在時刻、2308――――――。
翌日0530をもって作戦指揮権をそちらに移譲する。


・・・・・・あとはそちらのご勝手に、と。
PDAを打ちながら、死んだように眠る坊やの顔を、暗視カメラのモニタ越しに眺める。
坊やとばかり思っていたけれど、いつの間に彼女なんて作ったのかしら。
まったく、もう。坊やにはまだレディとベッドを共にするのは早くってよ。
あれほど女には気を付けなさいと言ったのに、この子は。
変なのに引っかかっちゃって、ご愁傷様。

あと何度、そうやってゆっくりと眠れるのかしらね。
人知を超える化け物にいつ襲われるのか解らない恐怖。
自分の命を守るので精一杯の状況で、周囲の者が自分のせいで死んでいく。
そんな恐怖に、どれだけ耐えられるのかしら?

いいえ、きっと大丈夫なのでしょうね。
初めて会った時から、坊やには彼と同じセンスを感じていた。
常人離れの強運と、それをとっさの判断で最大限に生かす非凡なセンス。まさに天賦の才能だと思う。
あの男、ウェスカーでさえも、もはや坊やの可能性を推し量る事は不可能だ。
私だけが、坊やの創る未来の明確なヴィジョンを見通せている・・・・・・とは言いすぎね。
先の事など、誰にも解らない。
それでもこの子の通る道に、困難はあれど挫折はないと確信できる。
手始めに、あの科学者気取りの下品な男が仕向けた、三流の絶望劇を乗り越えるのよ。
気を付けなさい。巨大な『暗号解除キーが一致しません』の脚の一撃は『暗号解除キーが一致しません』――――――。

いよいよもって、ウェスカーの名に何か特別な響きが在るように感じるのは、私だけなのだろうか。
特別であることは間違いがない。
世界の破壊者である、あの男
神の器となるべく作成された坊や。
そして・・・・・・未だ沈黙を保っている三人目の『暗号解除キーが一致しません』、アレッ『暗号解除キーが一致しません』――――――。

神の器、というのが何を指しているのか、実のところは不明だ。
それぞれのウェスカーには、それぞれ役割が与えられている。
では坊やの役割とはいったい。坊やには何が仕掛けられているというのだろう。
仕掛け好きとして有名だったスペンサーの事だ。
何らかのからくりを仕込んでいたに違いない。
その本人も今は亡いのだから、真実は闇の中だ。
スペンサーが衰えたのは、ウェスカーにより坊やが死亡したと虚偽報告が上げられたのと時を同じくしている。
そして再びスペンサーが気力を取り戻したのも、坊やの生存が確認されて後のことだった。
それから先の、死に掛けの老人が生にしがみつく執念は凄まじい。
それは年を経て狡猾さを磨き続けてきたスペンサーに、迂闊を踏ませる程だ。
ウェスカーの前で、種明かしをしてしまうなど。殺されるに決まっているというのに。
それほどスペンサーが坊やに異様な執着を見せ、自制心を見失っていたということか。

ウェスカーがスペンサーに屈していたのは、スペンサーの存在感が肥大化していくという擦り込み故。
それが彼を含むウェスカーの全てに設定された、安全装置だったはず。
スペンサーが死した洋館の地下には、何の用途に使用するのか解らない精密機械が多数発見されていた。
そして後に発見された、人間の脳電位に関する膨大な資料。
ジェームス・マーカスの例に端を発する、ウィルスを介した人間の思考と人格の保存方法の研究。
それらに基づいた、ウィルスに適合する特別な脳を持ったデザインチャイルドの作成計画。
最後のウェスカー。
ウェスカー・・・・・・神の名前。

これらの事から導き出される考察。
もしやスペンサーは、坊やの身体を使って『暗号解除キーが一致しません』ソフトとしての自己の再生を『暗号解除キーが一致しません』――――――。
ならば、ウェスカーが坊やに説明不可能な愛情を抱くのは、『暗号解除キーが一致しません』――――――。
愛とは、時に憎悪や恐怖よりも強く精神を拘束する枷となる、ということか。
それは私自身、身に染みて解っていることね。

抗いなさい、坊や。
私の信じる、彼のように。
例えそれが、どんな理不尽な運命であったとしても。












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