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No.2120の一覧
[0] ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/01 23:36)
[1] Re:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/02 20:46)
[2] Re[2]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/03 20:01)
[3] Re[3]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2008/09/12 00:45)
[4] Re[4]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/06 21:15)
[5] Re[5]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/06 22:01)
[6] Re[6]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/23 01:53)
[7] Re[7]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/28 01:15)
[8] Re[8]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/09/03 20:47)
[9] Re[9]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/09/05 07:46)
[10] Re[10]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/09/17 09:44)
[11] Re[11]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/10/07 23:17)
[12] Re[12]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/10/29 10:31)
[13] Re[13]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/01/09 06:16)
[14] Re[14]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/03/02 06:09)
[15] Re[15]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/03/03 16:12)
[16] Re[16]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/03/08 01:23)
[17] Re[17]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/05/05 03:44)
[18] ワルキューレの午睡・第二部十節[ドジスン](2007/12/26 07:53)
[19] ワルキューレの午睡・第二部最終節1[ドジスン](2008/02/11 03:51)
[20] ワルキューレの午睡・第二部最終節2[ドジスン](2008/02/11 03:52)
[21] ワルキューレの午睡・第三部一節[ドジスン](2008/02/11 03:53)
[22] ワルキューレの午睡・第三部二節[ドジスン](2008/11/15 07:17)
[23] ワルキューレの午睡・第三部三節[ドジスン](2008/11/15 07:16)
[24] ワルキューレの午睡・第三部四節[ドジスン](2008/12/01 06:10)
[25] ワルキューレの午睡・第三部五節[ドジスン](2008/12/08 17:11)
[26] ワルキューレの午睡・第三部六節[ドジスン](2008/12/08 17:13)
[27] ワルキューレの午睡・第三部七節[ドジスン](2009/04/14 00:40)
[28] ワルキューレの午睡・第三部八節[ドジスン](2009/07/27 00:36)
[29] ワルキューレの午睡・第三部九節1[ドジスン](2009/09/21 01:05)
[30] ワルキューレの午睡・第三部九節2[ドジスン](2010/03/19 02:00)
[31] ワルキューレの午睡・登場人物表/あらすじ[ドジスン](2011/02/25 00:16)
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[2120] Re[8]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)
Name: ドジスン 前を表示する / 次を表示する
Date: 2006/09/03 20:47






3.fusspot








 一念発起すれば、生来気質は真面目なのが高村恭司という男である。どれだけ疲労していても、労力を惜しむことはしない。
 そこで早速体育教師を始めとして学年主任、ついには内線で理事長にまで今後の対応についての指示を仰いだのだが、結果はいずれも判を押したかのごときに終わった。誰もが口を揃えて『そういったことは執行部に一任している』という答えしか返さなかったのである。

「正気かこの学校、じゃなくて、学園」

 準備室から所変わって、校舎の中心部である風華宮に高村はいた。首脳陣のぞんざいな対応にはさすがに気分を害して、途方に暮れる。

「被害者数十人の盗難は立派に事件だぞ。情欲を持て余した少年が好きな女の子の下着をパチったなんていう可愛らしい話じゃない」
「それ、可愛らしくないです、全然」

 その場の流れでついてきた日暮あかねが、複雑な表情で異を唱える。彼女を含めた一年B組の被害者には、既に保健室謹製の下着が支給されているが、当然全ての需要を満たすほどのストックがあるはずはなかった。

「まあ、隠蔽体質なんて学校じゃよくある話だけどな。って、生徒に聞かせることじゃないか」
「……そうかなあ。舞衣ちゃんのときは普通に消防車来てたし」
「マイ?」聞き覚えのある響きだ。まさかと思いつつ、高村は目を瞬いた。
「あ、A組の鴇羽さんです。鴇羽舞衣ちゃん。五月の頭に、けっこうインパクト大な登場したんですよ」
 まさに連想した少女の名前である。思わぬ偶然であった。「鴇羽と知り合いなのか、日暮。でもあいつ、今月転入してきたばかりじゃなかったっけ。なのに五月って?」
「そうです。先生よりもほんのちょっと前に。でもそれより前からアルバイトはしてて、そこで碧ちゃんとあたしと舞衣ちゃん、同僚だったんですよ」
「へえ。縁は奇なりだな。って碧ちゃん? 碧ちゃんって、もしかして」
「はい。杉浦先生です。おかしいでしょ」

 続けてあかねは、自分たちが月杜町のレストランに勤めていることを説明した。もちろん碧は既に辞めていて、しかし当時はやたらに皿を割っていたこと。舞衣が新人とは思えぬ客さばきの腕を見せ、即戦力として常にシフトのスケジュールに名前を連ねていること。
 会話の合間に茶々を挟みつつ、高村は内心で碧のフットワークの軽さに感心した。教員の採用枠は年々圧迫されている傾向にあるとはいえ、ウェートレスから社会科教師とはなかなか大胆な転身である。

「リンデンバウムっていうお店なんですよ。よかったら、先生もどうぞ」

 あかねの営業用と思しき微笑みは、なるほどなかなかに華やいでいた。人目を惹く美しさはないが、素朴な暖かみに溢れている。昨今の女子高生には欠けているものだな、と評しつつ、高村は無難な返答を選んだ。

「気が向いたらな。それより日暮、携帯鳴ってないか?」
「え? いや、鳴ってませんけど……ってあれ、あれ、ほんとだ。あの、すいません」

 勢い良く頭を下げ、あかねは一拍遅れてスカートから携帯電話を取り出す。

「もしもし、カズくんっ?」

 一オクターブ高い声音は、浮ついた少女像そのものである。例の『カレシ』か。そう納得しつつ、生乾きの髪から塩素と香料のにおいを嗅ぎ取って、苦笑交じりの高村は懐かしい気分に囚われた。かつて、彼が日暮あかねと同年代だった頃に感じたものを、ほんの一瞬だけ鮮やかに想起する。
 それは、今はこの世のどこにもない面影でもあり、常に隣にある顔でもある。
 濡れ髪から立つ香りという生々しい情景に、気まずさを覚えた。嗅覚は五感のうちで唯一、脳に直結した受容器である。九条むつみ言うところの青春の残像、あるいは残骸を実感して、高村は憂いと郷愁のない交ぜになった感情を持て余した。

「あのう、先生……」

 素早く電話を終えたあかねが、ひきつった笑顔で探りを入れた。高村もしばしば忘れかけるが、風華学園で不純異性交遊はご法度だ。時代錯誤だが、理由の想像はついた。
 形骸化していた条目の再強化は、風花真白が理事長としてした唯一の強権発動であるらしい。そこにあの達観した少女が当然持ってしかるべき幼児性を見出して、高村はただ、哀れに思うだけだった。

「節度を持って付き合えよ」特に関心も見せず、事務的に言った。「とりあえず、自分を安売りはするな。でもあんまり値を吊り上げもするな。彼氏が可哀想だからな」

 あとコンドームは必ず使え、と言おうとして、思いとどまる。昨今は、善意さえセクシャルなハラスメントとして受け取られる時代だ。

「は、はあ」
「行って良し。下着ドロについては、とりあえずこっちで色々働きかけてみるよ」
「……はい。それじゃ、失礼します」

 あかねは釈然としない顔で一礼し、去っていく。
 入れ違いに風華宮に現れた顔があった。
 玖我なつきである。

「なにやってるんだ、あいつ」

 しかし、様子が妙だった。
 常につんと気を張って颯爽と歩く仕草が、今日は明らかにぎこちない。
 しきりに周囲を気にしながら通路から広場へと入ってくるなつきは、あからさまに挙動不審である。

「ははあ」

 なつきもまた、あかねと同じく高村が担任する生徒だ。長い髪が湿っているのを見取って、だから高村はすぐに事情を察した。ぎくしゃくと歩く姿が酷く哀れを誘い、居たたまれなくなってベンチに深く体を沈めた。
 ――見なかったことにしてやろう。それが武士の情けだ。
 しかし、運命はなつきを嘲笑うかのように展開した。高村、なつきに続く第三の人物が、折悪しくも風華宮を通りかかったのである。
 色黒で短髪の、高村の知らない男子生徒だった。背筋を立てて姿勢良く歩く彼は、なつきの姿を認めると分かりやすく狼狽しはじめた。
 少年はなつきにとっても顔見知りの相手であるらしい。不審な態度が、傍で見ていて愉快なほどに極まりつつあった。
 なにやら因縁ありげな二人である。高村は固唾を飲んで成り行きを見守った。なつきのフォローをしようなどといった考えは頭に一切浮かばなかった。
 顔を赤らめ異常に警戒して後ずさりするなつきに、少年は真剣な表情で詰め寄ろうとする。状況はその繰り返しで、千日手と見えた。膠着状態を打開したのは、美袋命という名の突風である。

「あ、ちょっとミコト、ダメだって」

 遅れてやってきた鴇羽舞衣の制止に効果はなかった。
 なつきにとっては悲運で、少年にとっては幸運といっても良かっただろう。獣さながらの速度で疾駆する命がなつきの足下を過ぎるや、生じた些細な風はなつきの短いスカートを過剰に巻き上げた。悲鳴が轟くまでの一拍に、高村は愚にもつかないことを考える。ああ、きっとあいつはこういう星の元に生まれついてるんだな。
 十メートル以上の距離を開けてもなつきの顔が茹で上がるのがはっきりわかり、高村はあまりの情けなさに見ていられなくなって目を伏せた。しかし呆気に取られた後の舞衣の爆笑が耳に届くと、彼もこらえきれず、声を押し殺して笑った。



 ※



「おい玖我」

 赤面し、泡を食って逃げ出した少年を見送ると、手摺にもたれて世を儚みかねないなつきの背中に、高村は労わるように声をかけた。舞衣はいまだ呼吸困難に陥るほど笑っている。

「猥褻物陳列は犯罪だぞ」
「殺すぞ」

 完全に本気であった。剣呑な眼差しに、高村は死を予感する。
 腰を引きながら、猫のように襟首を掴んだ命を盾にした。

「な、なんだよ俺は何も悪くないぞ。だいたいなんではいてないんだ、おまえ。どうせおまえも盗まれたんだろう? ちゃんと日暮たちみたいに相談に来てれば、保健室の下着も貸し出しも間に合ったかもしれないのに」
「うるさい。黙れ」
「どうせ体裁を気にして、わたしが盗まれるはずがないだろうおまえらみたいな間抜けな女どもとは違うんだフンとかいって言い出せなくなったに決まってるんだよ。なあ美袋」
「よくわからないけど、恭司の言う通りだと思うぞ」

 ぶら下げられながら、命が器用に頷いた。天真爛漫な命だが、敵と認識しているなつきには容赦がない。

「ぐっ」

 言葉に詰まりながらも不敵に笑おうとして、なつきは頬を引きつらせた。

「な、なにを馬鹿なことを。わたしが変質者に下着を盗まれるなんて、そんな迂闊な真似をするはずがないだろう。あれは、というかこれは、わざとだ、わざと」
「そっちの方が始末に負えないだろ。痴女じゃないか。ツンケンしてるくせにスカートがずいぶん短いと思ったら、そういう趣味とは……破廉恥だぞ、玖我」
「恭司、チジョとはなんだ?」無垢な命の瞳は、未知の単語に興味津々であった。
「玖我のことだよ。辞書を引けば痴女の項には玖我なつきと……玖我?」
「あーはっはっは」しつこく舞衣は笑っていた。どうやら妙なつぼにはまったらしい。
「くっ……おいお前、笑いすぎだ!」
「だ、だってあんた、ひー、あっはは、だめぇ、なんでノーパンでミニ!」

 本気で落ち込みだしたなつきを見て、高村は肩をすくめた。

「替えの下着とかないのか」
「あったら着ている。静留……生徒会長に借りようと思った」ぶっきらぼうになつきは答える。
「そういうものなのか?」かつての記憶を引き出しながら、首を傾げる。「だって、突然生理が来たときとかどうするんだよ。替えがなきゃ大変だろ。まさかおまえ、汚れたのそのまんま」
「そんなわけあるかっ」なつきは噛み付かんばかりに吠え立てた。「終わったばかりだから油断してたんだ! それととんでもないセクハラだぞ!」
「うーん」高村は腕を組む。「田舎の女子高生はどうも感覚が違うのかな」
「恭司、セイリとはなんだ?」純粋な命の瞳は、未知の単語に興味津々であった。
「鴇羽に聞け」
「あ、あたしに振らないでよ」落ち着きかけた舞衣が動揺して、舌を出した。「先生、サイテー」
「うまいか?」
「俺は知らないけど、痛いそうだ。鈍器で延々と下っ腹を殴られてるような感じらしい」
「それは嫌だな」命が体を震わせる。「セイリは食中りか……気をつけよう、うん」
「それ絶対違う、ミコト……っていうかまだ来てなかったのね、あんた」
「変態どもめ」

 吐き捨てて、なつきはゆらりと立ち上がる。幽鬼のような佇まいに反して、双眸には闘志が漲りつつあった。

「許さんぞ、どこの変質者だか知らないが、見つけたら八つ裂きにしてやる」
「知らないかもしれないけど、人殺しは犯罪だぞ玖我」
「死なない程度に殺す」
 鬼気迫る、なつきである。高村は同情を込めて呟いた。「彼氏に見られたのがそんなにショックだったのか」
「彼氏だと?」不機嫌丸出しでなつきが眉をひそめた。「なんのことだ」
「今さっきここにいたあれ。おまえの彼氏じゃないのか」
「違う。武田……、あいつは、全くの無関係な他人だ! だいたいこの学園では恋愛は……もう貴様にはいい飽きたが! とにかく! それは、絶対に、ない!」
「照れなくたっていいじゃない」舞衣がにやにやと話に乗る。

 一層むきになって、なつきは歯を軋ませた。

「しつこいぞ、おまえら!」
「落ち着けよ玖我。過剰な拒否反応は、その実興味の裏返しだって心理を解釈する人間もいるぞ。自身の内在的な欲望に対する無意識の抑圧である、という、いわゆるフロイト的な思想だ」
「なんだと」

 火のついたように睨んでくるなつきの視線を避けて、どうどう、と高村は手を振った。

「まあ、正直俺は懐疑的だけどな。フロイトは頭いいけど、夢見がちなおっさんだよ」と笑って、高村は命をようやく地面に降ろした。腕が疲れたのだ。「俺はこれから執行部へ行って陳情してくるから、玖我は鴇羽にでも穿くもの貸してもらえよ。暑いからって下半身冷やすと風邪引くぞ」
「余計なお世話だ。さっさと失せろ」

 なつきの剣幕は、今にもエレメントを持ち出しかねないほどだ。
 年ごろの少女には、やはり相当腹に据えかねる出来事だったのだろう。あまり気に病むなとだけ言って、高村は踵を返しかけたが、

「……いや、待て」というなつきの声に足を止めた。
「どうした」
「昨日の夜、裏山にいたな? 何をしていた」

 不意打ちだった。うまく切り返せず、寸時高村は口ごもる。

「まさか、見てたのか?」
「オーファンに追われてる後姿を、ちらりとな。カマをかけてみたが、やっぱり貴様だったか」

 会心の笑みを浮かべるなつきに、高村は失態を悟った。今の今まで、確証を得ていたわけではなかったのだ。内心で冷や汗をかきながらも、平静を装って答える。

「あぁ、あのとき途中で追っかけてこなくなったのは、玖我のおかげだったのか。ありがとう、命拾いしたよ」
「感謝しているなら、正直に答えろ。何をしていた」
「前と同じだ。調査だよ、研究のための」
「あんなことがあった後にか? そいつは説得力に欠けるな」なつきは意味ありげに舞衣を見る。いまだ山を半焼させた痛手から立ち直っていないらしい舞衣は、居心地悪そうに首をすぼめる。「しかも夜にだ。一般人が取る行動か?」
「そんなこと言われてもね」
「ちょ、ちょっとあんた、高村先生はこれでも一応先生なんだから……」
「黙っていろ」

 抗議しかけた舞衣を一瞥で黙らせるなつきは、説明してみろと言わんばかりの挑戦的な表情だ。
 彼女がいまだ具体的な証拠を掴みあぐねていることを察して、高村は余裕を取り戻した。九条むつみの姿さえ見られていないのならば、いくらでも誤魔化しは利く。
 また情報を小出しにして牽制するのは、なつきが高村についてスタンスを決めかねていることの表れとも取れた。本当に高村を怪しんでいるのならば、周到に準備した上での一撃死を狙うだろう。
 スカートの裾を押さえながらめんちを切りまくるなつきに、高村は飄々としたポーズをわずかの間だけ取り去ることにした。

「結局さ、玖我は俺がどんな答えを返せば納得するんだ」
「なに?」
「俺がおまえの敵か味方かってはっきりさせれば満足か、って聞いてるんだ」
「まあ、そういうことだ」猜疑心たっぷりに、なつきは頷く。「ついでに何を企んでいるかも吐いてもらうがな」
「嘘つけ」高村は意図して侮蔑的に笑った。「おまえは最初、俺を敵として位置付けた。それ以外の正体を受け付けようとしなかった。いかにも怪しかった俺は、実際頭打ちの状況では格好の的だろうからな。だけどこの間の鴇羽との一件で、その確信が揺らいだ。違うか?」

 今度はなつきが口ごもる番だった。逸らされない眼には、向こう見ずな稚気と、そして成熟の階段に足をかけた少女の不安定さが同居している。

「……だとしても、貴様は嘘をついている。それは確かだ」
「否定はしないよ。教師だって人間だ。嘘くらいつく。たくさん」
「訳知り顔で、思わせぶりな態度を取って。そんな不審人物が目の前にいれば、詰問したくもなるさ」早口でなつきは言った。「だいたい、ああだこうだと首を突っ込んできて、いったい何様のつもりだ。曖昧に距離を取っているのは貴様こそそうじゃないか。どうせ、今だって本気で弁解しようとも思っていないんだろう? ふざけてばかりのくせに、大人ぶった顔でわたしを見下して、説教までしてくれたな」
「ま、教師だから、そういうこともある」
「そういう物言いが!」声を荒げかけて、なつきはトーンを落とした。「――気に入らないんだ」

 そういう役回りに沿っているからな。
 そう打ち明ければ、なつきはすぐに高村が内実の空虚な案山子であることを悟るだろう。しかし彼が負う撹乱の役目は、なつきに対してこそが本命である。簡単に疑問を解消させるわけにはいかない。しばらくは、道化た教師を振る舞う必要が、高村にはあった。

「怪しむのでもなんでも、好きにすればいいさ。無闇に頼られたりするよりは、百倍マシだ」
「それは本音か?」
「割と、そうかもしれない」
「そうか。もういい。行ってしまえ」

 おろおろする舞衣とマイペースの命を尻目すると、彼はじゃあなと手を振った。

「いつか化けの皮を剥いでやる」

 その台詞は、妙に耳に残った。



 ※



「あんたってさ」

 なつきにスパッツを貸した舞衣は、命を合わせた三人で校舎前の中庭にやって来ていた。人気がない場所を選んだのは、事情通らしい玖我なつきにいくつか問いただしたいことがあったからだ。

「なんであんなに高村先生に噛み付くの?」しかし、始めに口をついたのはそんな疑問だった。
「なんで、と言われてもな。怪しいからだ」

 なつきが芝生をむしる。風に流れる草切れを流し見て、舞衣は首を捻った。今ひとつ納得しかねる理由である。

「怪しいって、どこが? 普通じゃん。ちょっとおじさん臭くて、変わってるけど」
「はあ? あいつのどこが普通なんだ」
「どこって言われても……眼鏡とか」
「呑気なやつだな、おまえも」やれやれとでもいいたげに、なつきは首を振った。「いいか。HiMEの戦闘に介入してくる一般人など、ここ一年いたこともない。運悪く巻き込まれるような人間なら、それこそいくらでもいたがな。その時点で、不自然この上ない存在だと思わないか? 加えてあいつは、ここにいる三人以外にもHiMEと接触を持っていた。何か狙いがあってわたしたちに近づいた、と考えるのが自然だ」
「HiMEって……他にもいるんだ、やっぱり」

 風花邸での一幕を思い出し、舞衣は苦味を噛みしめた。高村のおかげで毒を抜かれた結果になったが、理不尽な行いに対する憤慨が晴れたわけではないのだ。

「ああ。総数はわたしも把握はしていないが、複数人いることは確かだ。そしてHiMEという能力を研究する連中がいるのだから、きっと昔から存在していた力なんだろう。とはいえ、まあ、詳しいことは定かじゃない。わかるのは、風華学園にHiMEを集めようという意思が存在すること。そしてそれがろくなものじゃないだろうということだけだ」
「じゃ、じゃあ、船とか洞窟であんたがあたしやミコトに帰れって何回も言ってたのは」
「その『意思』が、おそらくはわたしにとっての敵だからさ」フェリーでの失態を思い出してか、不満げな顔のなつきだ。「これ以上HiMEがこの学園に集まることは、なんとしても防ぎたかった。……もっとも、こうなった以上はしばらく事態の推移を見守ることになるだろうがな」
「……あんたは、高村先生がその、なんだかわかんない連中の仲間だって思ってるわけ?」
「そう思っていた。始めは。今は……」そこで始めて、なつきの口舌に戸惑いが生じた。「わからない。だから、油断だけはしないことにしている。おまえたちも、あまり無条件にヤツに気を許さないことだ」
「悪い人には思えないけどなぁ、あのひと。考えすぎじゃないの」

 呟いて、なつきは意識のし過ぎなのではないだろうか、と舞衣は思った。高村恭司は確かに時おり得体の知れない凄味を垣間見せるが、なつきの言うような陰謀めいた行動からは程遠い人物である。

「先入観は禁物だ」なつきは取り合わなかった。「警戒しておくに越したことはない。世の中には、思いも寄らないようなことが起きるものだからな」
「うん、そうなんだろうけど。でもなんか、ピンと来ない……」

 高村が風花真白に問いただしたような秘密組織を、舞衣はイメージする。しかし彼女のそれはあくまでフィクションからの借り物だ。現実にそうした虚構が存在するという自覚には繋がらない。
 舞衣にとっての現実はどこまでも磐石で、硬質だ。物語的な都合主義が意図的に排された世界観とも言い換えられる。少女期に差し掛かる以前に過酷な状況下で形成確立された彼女の感性には、ある種非凡な平衡感覚が備わっていた。

「それで正解だ。深入りしてもいいことはない。……ところでおまえ、真白にはHiMEについてなんと説明された?」
「……オーファン? を、退治するために集めた、って」
「それだ。どう思う?」
「どう思うって言われても、あんなバケモノがいるのは怖いって思うけど……」

 いまだオーファンの存在自体に懐疑的な舞衣である。もちろん実際に目にし、遭遇した以上、頑なに否定するつもりはない。

「だけど正直、あたしたちがそれと戦えなんていうのは全然別の話だし、納得できない、かな」
「なんだ、意外とまともに考えてるんだな」なつきが目を丸くする。
「どういうイミよ」

 半眼で問い詰めると、なつきは脱力して微笑した。そうするだけで険が取れて、整った顔立ちが強調される。改めて観察すれば、玖我なつきは大した美人なのだ。

「馬鹿にしたわけじゃない。あんな力を手に入れておかしなことに巻き込まれれば、状況に流されるのが普通だ、ということだ。しかしおまえは、少なくともまだ常識に重点を置いている。HiMEの中には、力を手に入れたことで頭に乗って暴れるようなのもいるみたいだからな、それに比べればはるかにマシだ」

 高慢に見えかねない態度のなつきだが、いちいち仕草が様になるのは実際容姿のために他ならない。容色にはある程度の自負がある舞衣も、この物腰にも関わらずなつきが意外ともてる、という噂には納得できた。

「褒めてんだか、よっぽどバカに思われてたんだか……素直には喜べないわね。って、今暴れてるって言った? そんな人いんの!?」
「いるとも。中等部の、名前は確か、結城奈緒だったか。わたしより、そっちのチビのほうが詳しいんじゃないか」

 顎で示されチビ呼ばわりされた命は、舞衣の膝の上に寝ころがっている。リラックスした体勢ながら、なつきに対する敵意と警戒はほんの一瞬も緩めていなかった。

「って、ミコト? 知り合いなの?」
「夜の街で一緒にいるところを見かけたぞ。大方、ろくでもないことをしていたんだろう」

 同居人の命には、その破天荒な明け透けさに複雑な母性を覚える舞衣だ。悪し様に決め付けるなつきの口ぶりには腹が立った。

「ちょっと。ミコトがそんなことするワケないでしょ。あ、でもたまにどっか行っちゃうよね。でもまさか。ねえミコト……ってなんで眼を逸らすのアンタ」
「う」

 膝枕を堪能していた命が、寝返りを打って舞衣の股に顔を埋める。生温かい吐息を感じて、舞衣は肌をあわ立たせた。

「こら! ごまかさない。あんた、何か悪いことしてるんじゃないでしょうね。ほら、顔上げるっ」
「してない」上目遣いで舞衣を見る、命の顔は頑なだった。「わたしは、兄上を探していただけだ。奈緒はそれを手伝ってくれた」
「またお兄さんか……」

 後ろめたさを隠し切れていない命の素行は気になるが、兄を求める彼女の純心は舞衣もよく知っている。叱るべきか、一概には決めかねた。
 弟と同じ調子で扱うことが多いものの、命は根本的に自立した少女である。常識に欠ける部分を諌める程度ならともかく、命にとっても繊細な部分である肉親について踏み込めるほどの覚悟を、舞衣はまだ持っていない。

「体よく利用されているだけじゃないのか?」なつきにはまったく遠慮がなかった。「あの娘、相当ひねくれていそうだしな」
「奈緒は友だちだ。悪く言うな」
「普通の友人は、美人局に巻き込んだりしないさ」
「はい? つ、つつもたせ!? ちょっとちょっと、どういうことよ」

 せいぜい夜遊びが関の山と思いきや、なつきが挙げた単語はいきなり犯罪行為である。
 こうなれば遠慮無遠慮関係なく、放置するわけにはいかない。舞衣は目を剥いてなつきに事情を問うた。

「どうもこうも、こういうことだ――」

 主観を交えず淡々と、なつきは奈緒の行動について語った。説明が進むにつれて舞衣の顔つきは険しくなり、太股の上の命は縮こまっていく。

「……命?」

 話を聞き終えると、舞衣は命の肩を掴み、強引に視線を合わせた。静かな怒りに触れて、命は後ろめたさを満面にしている。

「悪いことだっていうのは、わかってるのね?」
「……ん」
「なら、もう止めなさい」物分りが悪い少女ではないのだ。舞衣は諭すように口調を変えた。「あんたがやってることね、警察に捕まったっておかしくないんだから」
「でも、わたしは兄上を探さなきゃならないんだ。そのためにはなんだってする」

 強い口調で、命は言い放った。こうまで面と向かっての反駁を受けたのは初めてのことだ。

「だからって、それはあんたの都合で、悪いことをしていい理由にはなんないでしょ」わずかに鼻白んだが、しかし、舞衣もここで引くわけにはいかなかった。命は明らかに間違っているのだ。「それに、あんたのお兄さんだって、妹がそんなことしてるって知ったら怒るわよ、きっと」

 命の『兄』を持ち出したのは、ロジックとしてありきたりな仮託である。舞衣も深い考えがあってのことではない。
 しかしそれは、思わぬ苛烈さを命から引き出した。

「舞衣に、兄上の何がわかる! 舞衣は兄上じゃない!」
「……っ」

 声を荒げた命に対し、瞬間的に舞衣の感情も昂ぶった。

「怒鳴らないで。わかるわよ、あたしだってお姉ちゃんだもん。弟が悪いことしたら、ぶったって止める。だいたいね、子供が夜中に街に出ちゃだめ。いい、命、言うこときかないとあたしだっていい加減――」
「わたしはもう子供じゃない、大人だ!」

 屹と眦を裂いて立ち上がると、長剣を抱き命は走り出した。

「舞衣なんか、舞衣なんか……もう、知らないっ」
「あっ、待ちなさいこら! ミコト!」
「舞衣のバカ!」

 言い捨てて、命の背は見る間に遠ざかっていく。あちゃあ、と自己嫌悪に陥りながら、舞衣は嘆息した。

「地雷踏んじゃったかぁ……背伸びしたがる年ごろだもんね」
「まるで母親だな」傍観に徹したなつきは、呆れているようだった。
「ちょっと、やめてよ。そんな年じゃないんだから。それに……」
「それに?」
「……なんでもない」

 急に疲労を覚えて、舞衣はゆるゆると首を振った。もし本当の母親だったのなら、きっともっと上手く命を諌めたに違いないのだ。感情で怒ったのは、舞衣が未熟である証拠に他ならない。命にとっての兄の存在を軽く見積もったのも失敗だった。
 でも仕方がないことだ、と舞衣は思った。
 顔を合わせて一月足らずの他人同士である。舞衣には余裕があるとはいいがたいし、命だって呑気に見えて複雑な想いを抱えているに違いないのだ。互いを理解するには足りないものが多すぎる。命が妙に懐いてくるので、間合いを取り違えたのかもしれない。食事を与えて、一緒に寝て、命はあまりにも無邪気だったから、どこか小動物に接するような気持ちでいたことも否定できなかった。
 相手を人間として尊重するなら、距離を置くのが普通だ。舞衣にとっては慣れた作業だった。
 容易いことだ。関係性とは、ごくわずかな例外をのぞけばそのように構築されるのが常である。
 しかし、それで割り切るのには抵抗があった。

「――やっぱりなんか、同じ部屋に住んでるのに、そういうのは嫌だしなぁ……」

 理由は単純に、惜しいためである。袖擦りあうも他生の縁とは良く謂ったものだ。新鮮な他人との生活を、舞衣は今のところ楽しんでいた。
 だとすれば、強いて変える必要はないはずだった。揉め事のひとつやふたつは、いかようにでも頭を悩ませ通過儀礼として処理するべきだ。
 そう決め込んで、スカートの裾を払いながら、体を起こす。

「追いかけるのか」なつきもまた腰を上げて、鼻を鳴らした。
「んーん、ちょっと冷却期間置いた方がいいでしょ。放課後……はバイトだから、帰ってきたらじっくり話すわ」
「一応テスト前なのに、アルバイトか」
「あんただってほとんど学校に来てないみたいじゃない」

 苦学生だといって疲れを見せるのは楽だ。しかし、舞衣はそれをしない。もっとも、なつきには既に知られている可能性もあった。

「ふん? まあ、好きにしたらいい。さて、それじゃあ解散ということで構わんな。わたしは行く」

 語気荒く拳を作るなつきである。鼻息を出さんばかりの様子を、舞衣はいぶかしんだ。

「行くって、どこに」
「決まっているだろう。下着泥棒を捕まえにだ!」

 そうして、騒動が幕を開けたのである。



 ※



「これは、公然たる執行部への挑戦と見るべきね」

 放課後の生徒会室で、盗難届けの山を前に奮然と気を吐く少女がいた。誰あろう執行部長、珠洲城遥その人である。本人は否定するであろう愛嬌のある顔立ちを憤りに染めて、力強くデスクを叩いては吼えたける。

「断固としてっ、迅速なる拿捕がわれわれ執行部の急須ですっ。よくって、雪乃!?」
「それを言うなら急務だよ珠洲城」部屋の隅に控えていた高村は、機を逃さず間違いを正した。「一番間違えなさそうなのを間違ったな、しかし」
「失礼、急務です」咳払いしつつ、遥が言い直す。

 生徒会室に足を運ぶたび似たような状況に遭遇していれば、合いの手を挟む間も自然と覚えるというものだ。

「あ……」

 しかし仕事を取られた菊川雪乃は、切なそうな顔で高村を見た。

「すまない。出来心だったんだ」雪乃があまりにも消沈したため、慌てて高村は謝った。「一度やってみたくて。ツッコミは菊川の仕事だもんな。もう取らない」
「い、いえ。そんなことは……」
「そこっ。真面目に聞いてください! 高村先生も、臨時の上創立祭向けとはいえ顧問! しっっかりと、働いていただきます!」

 口角泡を飛ばす勢いで荒ぶる遥を、胡乱な目で高村は見つめた。

「拿捕っていうが、やっぱり警察には届けないのか」
「もちろんです」力強く遥は断言した。「当学園のモットーは自主、自立、自治! 官憲の出る幕なんてありません」
「あ、そう」

 性根が押しに弱い高村は、無駄に威勢の良い人間に相対した場合基本的に受けに回る。相手のペースを乱して切り崩す常套手段が使いにくいためだ。だから遥に対しては、常にやや遠慮がちな応対になった。しかし今がテスト前であることや彼女が受験生であることを指摘しないのは、ただの職務怠慢である。

「それじゃあ雪乃、配置を開始して。アリンコ一匹逃がさない包囲網で、じわじわとデバガメ野郎を追い詰めるのよっ」
「でばがめは覗きだよ遥ちゃん……」

 すかさずの訂正であった。高村は満足して頷く。

「やっぱりツッコミあってのボケだよな。本職は違う」
「え、ありがとうございます?」複雑な喜びを表現しつつ、雪乃が頬を上気させた。
「雪乃。開始」
「了解しました」遥の指示に従って、雪乃はインカムを通して執行部員に通達し始める。「一斑から三班は学園周辺の哨戒を。四班と五班の各執行部員は、あらかじめ指示された校内の所定位置について潜伏してください。同班内のメンバーとの連絡は密にして、連携を崩さないこと。不審人物や遺留品に関しての情報は、いつも通り生徒会のBBSに逐一書き込みをしてください。それでは、お願いします」
「本格的だな。出る幕はなさそうだし、じゃあ、俺はゆっくり待つとするか」感嘆して、高村は茶を煎れるためすぐ隣にある給湯室へ向かった。
 直後に、押し殺した囁きが聞こえた。「なんなのあのモヤシメガネは。覇気がないわ、覇気が」
「き、聞こえちゃうよ、遥ちゃん」

 頻繁に使われているためか、高村の目にも、シンクは綺麗に整理されているように見えた。銘柄にこだわるほど日本茶に詳しくはないため、とりあえず棚からは玉露を取り出す。匙で茶葉を急須に流し込みつつ、湯が沸くのを待った。

「うまいな、これ」

 湯飲みから舌が火傷するほどの滋味を口内に流し込んで、高村は無言で窓際に立った。遥と雪乃は休みなく部員に指示を送り続けている。事件発生から数時間後のローラー作戦にどれほどの意味があるのかは、運次第だろう。

「新規の目撃情報です」ノートパソコンを駆使して情報処理に集中していた雪乃が、はっと息を飲む音が聞こえた。「柔剣道場近くの沿道で、不審人物発見。どうするの、遥ちゃん」
「来たわねぇ」唇を舐めながら、遥が犬歯を剥き出しにして笑った。「頃合を見計らって、確保よ」
「いいのか、そんなにあっさり決めて」
「もちろんです。高村先生は安心して、お茶をがぶがぶ飲んでいてください」嫌味たっぷりに、遥が言った。

 大いに肩をすくめつつ、高村は残りの茶を一気に飲み下した。焼けるような熱が腑を駆け巡るが、立場上冤罪の発生をてぐすね引いて待つわけにもいかない。湯飲みをシンクに置くと、

「俺も現地に向かう」

 と告げて、生徒会室を後にした。特に呼び止める声はない。いてもいなくても、さほど影響はないと判断されたのだ。
 脳裏で学園敷地内の地図を思い浮かべつつ、早足で階段を降りて非常口から校舎の外に出た。無人のグラウンドを挟んで突き立つバックネットの裏側から、喧騒が起こり始めている。捕り物が開始されたに違いない。物見遊山の気分で、高村はのんびりと歩き出した。
 すると、横合いから声がかかった。

「高村先生」

 一瞬驚くが、声は高村が慣れ親しんだものだ。
 深優・グリーアが、音もなく校舎の陰に佇んでいた。

「どうしたんだ、深優。こんな時間に」
「これを見てください」質問を無視して、深優は手に持ったものを示した。
「うわ、なんだそれ」

 嫌悪に顔を歪めて、高村はうめく。深優が握っているのは、爬虫類にも似たうろこ状の皮膚を持つ異形の生きものだった。
 体長は五指におさまるほど小柄だが、いわゆる可愛らしさとは無縁の造型だ。ブラジャーを頭に被っているのが、唯一の愛嬌らしい愛嬌かもしれない。

「グレムリンみたいだな」注意深く眺めるが、グロテスクな生きものは微動だにしない。「もしかして、それ……」
「野良の使い魔でしょう。女性用下着を持って接近してきたため、屠殺しました」
「屠殺っておまえ、物騒だな」

 確かに、その小型のオーファンは既に息絶えているように見えた。ぎょろりとした眼は濁り、鋭利な牙の生えた口は半開きで、だらしなく舌を垂らしている。

「事件の真相見たりってところか。オーファンって、下着なんか盗むんだな」
「その種の思念が強ければ、発生することもあるでしょう」報告の役目を終えたと判断したのか、深優は腕のオーファンを打ち捨てた。濡れた音を立てて、死骸がアスファルトに接地する。遅れて、その上にブラジャーが落ちた。「それでは、私はこれで失礼いたします」
「あ、ああ。アリッサちゃんのお迎えか?」
「はい」と頷いて、深優は動きの少ない瞳を高村に向けた。「先生もご一緒しますか?」
「いや、せっかくのお誘いなのに残念だけど、もう少し仕事が手間取るみたいだ」

 高村が無念そうに首を振るのと、転がっていたオーファンが息を吹き返すのはほぼ同時だった。勢い良く矮躯を起こすと、ブラジャーを前脚にかけて飛び上がり、頭上の雨樋に乗り移る。
 反応できなかったはずはない。しかし深優は敏捷に離脱するオーファンを何もせず見送った。
 高村は、ため息混じりに呟いた。

「もしかして、わざとか」
「申し訳ありません。本体は別にあるようでしたので」
「いいよ。アリッサちゃんによろしくな」
「はい」首肯し、深優は去っていく。

 時刻が十八時に近づき、日暮れが間近に迫っていた。蝉時雨も失せている。遠目に捕り物がつつがなく終わったことを確認すると、高村は懐から携帯電話を取り出した。







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