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No.2120の一覧
[0] ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/01 23:36)
[1] Re:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/02 20:46)
[2] Re[2]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/03 20:01)
[3] Re[3]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2008/09/12 00:45)
[4] Re[4]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/06 21:15)
[5] Re[5]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/06 22:01)
[6] Re[6]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/23 01:53)
[7] Re[7]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/28 01:15)
[8] Re[8]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/09/03 20:47)
[9] Re[9]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/09/05 07:46)
[10] Re[10]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/09/17 09:44)
[11] Re[11]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/10/07 23:17)
[12] Re[12]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/10/29 10:31)
[13] Re[13]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/01/09 06:16)
[14] Re[14]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/03/02 06:09)
[15] Re[15]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/03/03 16:12)
[16] Re[16]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/03/08 01:23)
[17] Re[17]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/05/05 03:44)
[18] ワルキューレの午睡・第二部十節[ドジスン](2007/12/26 07:53)
[19] ワルキューレの午睡・第二部最終節1[ドジスン](2008/02/11 03:51)
[20] ワルキューレの午睡・第二部最終節2[ドジスン](2008/02/11 03:52)
[21] ワルキューレの午睡・第三部一節[ドジスン](2008/02/11 03:53)
[22] ワルキューレの午睡・第三部二節[ドジスン](2008/11/15 07:17)
[23] ワルキューレの午睡・第三部三節[ドジスン](2008/11/15 07:16)
[24] ワルキューレの午睡・第三部四節[ドジスン](2008/12/01 06:10)
[25] ワルキューレの午睡・第三部五節[ドジスン](2008/12/08 17:11)
[26] ワルキューレの午睡・第三部六節[ドジスン](2008/12/08 17:13)
[27] ワルキューレの午睡・第三部七節[ドジスン](2009/04/14 00:40)
[28] ワルキューレの午睡・第三部八節[ドジスン](2009/07/27 00:36)
[29] ワルキューレの午睡・第三部九節1[ドジスン](2009/09/21 01:05)
[30] ワルキューレの午睡・第三部九節2[ドジスン](2010/03/19 02:00)
[31] ワルキューレの午睡・登場人物表/あらすじ[ドジスン](2011/02/25 00:16)
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[2120] ワルキューレの午睡・第二部最終節1
Name: ドジスン◆bcd22b31 ID:a8580609 前を表示する / 次を表示する
Date: 2008/02/11 03:51




 月杜駅を出た始発列車が朝靄を泳いでいく。通勤時間にはかなり早いこともあり乗客の姿はない。揺れる車内で結城奈緒は思考に沈み、高村恭司は大荷物に頬杖をついている。二人は差し向かうシートの対角線にそれぞれ位置を取って、一切視線を合わせない。会話もない。敵意さえ彼女はかけらも見せていない。完全に自己に没頭している。
 示し合わせて同じ電車に同乗したわけではなかった。ただの偶然で、二人はまた互いの顔をつき合わせている。

 十数時間前、高村の居宅であるマンションのリビングにおいて、両者のあいだで最後に交わされたやり取りはごく簡素なものだった。

「遅くなってすまないが、勘弁してほしい。まず、結城の立場をわかりやすく説明する。俺たちにとって、という意味じゃない。もっと全体的な君の立場だ。前置きは九条さんからも受けたはずだな。かいつまめば、HiMEという能力の意味のことだ。それが導く厄介ごとについてだ。それらを踏まえた上で、今後、結城にはシアーズとして行動してもらうことになる」
「しあーず?」
「ああ、そっか。ええ、言い換えると、俺とご同輩になるというか、そんな感じだ。厳密には違うけどさ」
「はあ? ふざけんな。シスターとあんたらがぐるだっていうのはわかったよ。だけど、それはあたしには関係ないでしょ。虫唾が走る。かってに一緒くたにするな」

 反発は予想通りであり、いくらか道理を踏まえたものでもあった。高村が深優を制止した件も含めて、彼が奈緒について関わった出来事は本来奈緒には訪れないはずのものだった。この上何らかの制限が加えられるいわれはない。そういった主旨の発言を、続けて刺々しく吐き出した。
 高村はつとめて冷然と、告げた。

「気の毒だが、拒否権を使える段階は、もう過ぎてるんだ結城。脅迫? そう受け取ってもらってもいいけど、そうじゃない」
「意味わかんない」
「そうだな」と、高村は無責任に肯った。「まあ、本当に詳しい話は、明日するよ。俺はこれからすることもあるし、おまえも創立祭、楽しめるといいな」

 奈緒は渋面で髪をかきあげて、鼻を鳴らした。

「無断外泊直後にそんなノンキにしてられるかっつーの。それとも、融通利かせてくれるわけ。あのシスターが」
「残念だけど、九条さんはもう、学園には戻らないよ」高村は苦笑して首を振った。
「え? なんで」
「時間切れなんだよ」高村はいった。「それはなんにだってやってくるんだ。みんなそれを、少しでもどうにかしようとがんばってる。勝ったやつを、俺は見たことがないけど」

 奈緒は怪訝さを保ったままで、じっと高村の顔色を見透かしてくる。少女には達眼があり、洞察力は確かに鋭い。それは、見ずともよいものと向かい合い続けてきた証でもある。哀れだ、と思えば、それは奈緒を蔑むのと同意だと高村は感じた。だから彼はついぞなかったほど素直な心持ちで奈緒に面と向かう。

「……なに。キモいから直視しないでくれる?」

 面罵は、まともに受ければやはり少しは心に重い。相手を対等に見なすというのはこういうことだと、高村は肝に銘じた。

「別に義務が責任がとは言わない。おまえも、そんなのはまっぴらだろう。だから、もう、おまえは俺にはかかわらないでいい。俺も出来る限り距離を置く。明日、全部を話したら、おまえの処遇はもっと致命的なところまで一気に運ばれるだろう。だけど、そこから先は好きにしていい」
「さっきと言ってることがちがくない?」
「だから、もう少し経ったらだ」ごまかすように、高村は肩をすくめた。そそくさと席を立つと、そのまま自室に引きこもった。戸を閉めて居間の様子に耳を澄ませた。苛立ちを織り交ぜた吐息が無音の部屋に溶けて消えるころ、奈緒は一言もなくマンションを出て行った。

 彼は無言でベランダへ出た。
 街に背を向けた棟から明かりは見えない。媛星も位置の関係で視界には移らない。空調の庇護から抜けて浴びる夜の風は不穏な生ぬるさを孕んでいた。月に雲の端がかかっており、他の光も星彩きらきらしくとはいかなかった。

「そういえば今年の七夕も、天の川は見えなかったな」

 その後翌日のために整えておいた資材の最終確認を行うと、高村は久方ぶりに自室のベッドで眠りに就いた。

 ※

 そんなやり取りのあとで始発待ちをしていた奈緒と高村が駅で遭遇したときには、互いにもうどうしたものかと途方に暮れた。結局穏便に無視をしあうという形に落ち着いて、今ひとつ格好の決まらない二人は、学び舎へとひた走る列車にしばらく揺られ続けた。



 11.stigma



 七月初旬曇天、風華学園創立祭はつつがなく開催された。市中はおろか県外からも客を募るイベントは、僻地ながら県下有数の催しであった。規模に比して学園の文化祭としての側面はむしろ些少で、催事としての主眼は市全域の活性化と、地元名士たちの懇親会にある。県会議員や国会議員を少なからず輩出する土地柄、風華市では政商の結びつきが堅固であった。
 もっとも、学園に所属する大多数の生徒には大して関連のない話である。


 ※


 姉に手を引かれる鴇羽巧海は、小ぎれいな外観に蝟集する人々の多さにやや気後れしながら、素直に久方ぶりの祭りの空気に触れて胸を弾ませていた。そんな彼を見る鴇羽舞衣の表情も柔らかく和んでいる。同時に少しばかり緊張もしていた。弟の話では、きょうはかねてから巧海が世話になっている『師匠』なる青年と待ち合わせする手はずになっているのだ。
「っいっても、こりゃ聞いてた以上にすっごいねえ」巧海の額をハンカチでぬぐってやりながら、舞衣がぼやいた。「千絵たちとの合流もままならなそうだよ。携帯、電波通じるかな」
「大丈夫だと思うよ。いちおう、待ち合わせ場所みたいのは聞いてるし」
「水晶宮だっけ。うーん、なら大丈夫かなあ」
 連絡のための電話番号を巧海は知っているが、どうやら自分でつなぎを取りたいようで、直前までは舞衣にも教えないと意固地になっている。聞き分けが異常に良い巧海がこうした我意を通したがるのは珍しいことだ。舞衣も強くは言えなかった。
 ここのところ巧海の体調は良好で、直接的な陽射しのないことも安堵の一助となっている。それは吉事だが、しかし、やはり緊張する。弟づてに聞く『師匠』の印象は好青年そのもので、じゃっかん年上趣味のきらいがある舞衣は、数時間後にいまの自分を思い出して壁に頭を打ち付けたくなることも露知らず、何度も巧海に髪型はへんじゃないかクリーニングのタグを取り忘れたりはしてないかと確認を取ったりしつづけた。


 ※


 玖我なつきは平常ならば遅刻が確定している時間にのんびり起きると、シャワーを浴び、制服に着替え、ゆったりとマンションを出た。単車を暖機するあいだ自販機で購入した清涼飲料水を飲んでいると、携帯電話が藤乃静留からのメールの着信をしらせた。
 それなりに珍事である。静留は当然文章では標準語を用いるのだが、どうやら妙なこだわりがあるようで、それをあまり人に見せたがらない。メールをするくらいなら電話を、というのが彼女のレギュラーな判断である。肝心の文面は短く、たんに『登校したら生徒会室へ』とだけしたためられていた。それからなつきは大渋滞を起こしている道路を縫って登校し、裏山に愛車を隠し、人ごみに辟易しながら校舎へ入っていった。言いつけどおり生徒会室を訪れると、こぼれんばかりの笑みをたたえた静留が待ち受けていた。
「おはようさん、なつき。待っとりましたえ」
「ああ、おは、よう。……静留?」
 呼びかけには答えず、
「堪忍な」
 と彼女は言った。いさ理由は知らずとも、この台詞を聞いてなつきはとてつもない悪寒に襲われた。
 もう遅かった。
 ぽん、と歯切れのよい音を立てて静留が扇子を開き、口元を覆う。
 飾り扇子が歯を隠す。通りのよい声が生徒会室に響いた。
「確保」
 玖我なつきは、こうして手もなく捕獲された。


 ※


 アリッサ・シアーズは憤慨していた。理由はいくつかある。まずは本日予定されていたワルキューレへの宣戦が、深優・グリーアの破損により延期されたこと。そして、ここ数日張り切って練習していた聖歌隊での合唱コンクール参加が取りやめになったこと。伴奏者である真田紫子が不調により寝込んでしまい、なし崩しで幼年組の出場が取り消しにされたのである。
「なっとくいかないわ」
 礼拝堂の長椅子で足をぶらつかせるアリッサは、フラストレーションを堆積させ続ける。外見的には包帯とギプスで偽装された深優のほうがよほど重態であった。
 実際、安静を言い渡されてはいるが、一時は危篤状態に陥ったとは思えないほど、アリッサの体内は活力に満ち溢れていた。ジョセフ・グリーアの忠告は完全に頭から締めだして、かたわらの深優をよそにほくそえむ。こうなったら空いた時間を思い切り自由に過ごすべきだと、小さな拳を握って意思を固めた。
「お兄ちゃんを呼ぶわ! さっきいたよね、深優。呼んできて!」
「高村先生なら先約があるそうで、もう他所に行かれました」
「なんだとー!? どおしてえ!? もう、きのうの感じだとアリッサルート決定でしょ!?」
 深優が静かに堂の奥へ眼をやった。
「お父さま、またお嬢さまにローカルな日本語をお教えになられましたか」 
 その先に、なにやら上機嫌で、朝からワインをあけるジョセフがいるのである。


 ※


 美術教師の石上亘は、完成に近づく婦人画を前にひとつ頷くと、イーゼルに布を被せて席を立った。美術室の窓から設営の完了した会場を見下ろすと無表情にカーテンを閉め、準備室へ戻る。
 私物の少ない机上ではノートPCが立ち上げられていた。メーラーを起動すると、ある件についての回覧が符丁を交えて届けられていた。要約すると末端の構成員が数名出奔したという内容であり、彼らのプロフィールが細大漏らさず添付されている。発見次第当局へ通報する旨が厳命されているが、もちろん、彼らは一人として生き残っていない。とうに肉片に分解されて海に撒かれて魚の餌だ。
「気の毒なことをしたかな」
 他人事のように嘆じて、石上はウインドウを閉じた。
 同時に、戸外から声があがる。
「先生。尾久崎っすけど。そろそろ出展する絵並べないと時間がないとか」
「ああ。わかりました。ご苦労様です、いま行きますね」
 柔和に言葉を返して、彼は再び日常に埋没した。


 ※


 当然のように泊り込みで庶務に従事していた楯祐一は、限定的に解放された職員用の談話室で、八割がた燃え尽きていた。周囲には床となくベンチシートの上となく、累々と同じような屍が横たわっている。
 雑魚寝である。あるいは古戦場の現出だ。
 いずれにせよ、余力あるものは再び死地へと赴き、ないものはここでこうして冷蔵庫の乾電池のごとく再起動を待たれている。
 どれだけ精緻に企画しようとも、当日現場では必ずなんらかのトラブルに見舞われる。――とは会長と副会長が再三口を揃えて言い含めていた事案だが、まさにその通りであった。取り揃えていたはずの椅子や机が足らず、開会前から迷子が出て、来客より先に委員にけが人が出た。ついでに顧問の教師には連絡がつかなかった。
 二日前から姿を見せなくなった顧問に対しては、

「顧問がいないってどういう冗談だよ商店街との渉外どうすんだよ会長企業いってるしよー」
「なにしてんの高村?」
「なに、グリーアさんとドライブ行ったまんま帰ってこない?」
「はあ?」
「でも代理人に碧ちゃん指名してったよー」
「杉浦とかなんの役に立つんだよ」
「かわいいじゃん」
「趣味わりーなああいつ足くさそーじゃね?」
「いや、なにげに胸でかいよ」
「それをいったら珠洲城もかなりいい体してるよ」
「でぼちんはどうでもいいよ」
「ごめんおれひそかにファン」
「死ぬほどどうでもいい」
「ええ? ハルカちゃん超かわいいよ? 菊川だっけ? 一年の子とかもよく面倒みてんじゃん」
「女が言うカワイイは絶対に信用できねえ」
「全米ナンバーワンより信用できねえ」
「百万人が泣いたより信用できねえ」
「エロゲーの発売日よりは信用できる」
「でも実際女子には人気あるよねえ、執行部長」
「会長ほどじゃないけどなあ」
「それは比べる相手が悪い」
「でも藤乃先輩はなんかこう、違うよな。性的な意味で」
「やめろやめろ。あの人をこういう話で引き合いに出すとマジで夜道歩けなくなるぞ」
「なんか碧ちゃん見てると超ムラムラしてくるから近くにいられると困る」
「あのミニスカは眼に毒だなー」
「男子セクハラやめろ!」
「うるせえよ女主張するならせめて学校でパックとかするのやめろアホ。ダダかてめーは」
「ともかく高村だよ。なんでいないのあのひと」
「だから打ち上げのロケハン行ったまんま帰ってこないんだって」
「あいつ死ねマジ死ねつーかコロス」
「でもまた怪我して病院運ばれたのかも」

『……あー』

「おーい、図書館裏の倉庫で土砂崩れだって!机の!遭難者出た!」
「うっわーマジかよ。あそこ整理すんの?」
「えマジで? 今から?」
「あたしもう二日ねてないよ……」
「おれ三日。なんか楽しくなってきた」
「徹夜は五日くらいから幻覚見えるらしいよ」
「もう死にたい」
「いっそ殺せ」

 といった具合に怨嗟だかなんだかわからないものが男女問わず上がり続けたが、それも昨日深夜からはついに絶えた。怒りがなくなったわけではなく、誰もが感情の出力に疲れただけである。
 もとより、高村への不満も現状を楽しむための肴でしかない。それは楯も承知している。
 大掛かりな、それも大人の介入もある行事の司会進行などという役職は、基本的に子供の手に余る。見返りもせいぜい内申に色がつく程度であり、翻せば他の面で満足できるような物好きしか集まらないものだ。
 風華学園において生徒会執行部が慮外の権利を持つのは、風土の特殊性に根ざしている。独立不羈にして朋党比周、よくいえば昔かたぎの、悪くいえば閉鎖的な地方の名残を、共同体に採用しているのである。
 もっとも、若者に関してはその逆の向きもある。外界への憧れは強い。東京、とは言わないまでも、都市部へ出て行く住民は年々増えている。そのあたりは、そこかしこの田舎と同様であった。
 鴇羽舞衣へ向けられる、一部の人間の害意についてもその限りなのか、それは楯にはわからない。あちらにはあちらの言い分があるのだろう。正しくなくとも、理は立つのである。それを強いて追求しようとは思わない。舞衣はいずれ、独力でどうにかするだろう。そう信じさせる強さが、彼女にはある。
(後ろめたいのをごまかしてるだけだ)
 そうも思う。しかし、考えても詮無いことだ。
 楯と舞衣とは、他人である。恋人ではない。友人かどうかすら、怪しい。
 求められてもいない手を伸ばすのは、お節介というべきものだ。ありがたくとも、負担になる。どちらをよしとするかは個々人の資質と状況次第だ。
 楯祐一は後者だった。鴇羽舞衣も、恐らくそうなのだ。
 正当化を終えると、彼はかぶりを振る。仕切りなおすようにつぶやいた。

「さて、もう一仕事か」

 数十ダース単位で供与された近隣薬局の栄養ドリンクの封を切ると、カフェイン臭をただよわせる液体を一息であおる。いっそクソ不味ければ眠気も覚めようが、微妙に甘ったるく調整を施されたりしているあたり思い切りが悪いと楯は常々思っている。空き瓶を大口開けて寝こけた同級生の口にねじ込むと、よいしょとばかりに腰を上げ、据わった眼を扉へ向けた。

「あ、お兄ちゃんいたいた。やっほー、おっはー」

 睨まえたせいというわけでもないだろうが、期を一にして、扉の向こうから宗像詩帆が姿を見せる。奇抜な髪型も血圧の高い笑みも常どおり。楯はわが身をかんがみ、眉を集めた。

「うぜえ」
「いきなりそれ!?」詩帆がオーバーに仰け反った。「め、めげちゃうなあかなり。お兄ちゃん、今朝はまたご機嫌ナナメみたい。ちょっと昔っぽいよ」
「それは言うな……」痛いところを衝かれて、楯は険をほどいた。「んで、なんの用だよ。言っておくけどまだしばらく外には出られねーぞ、俺は」
「知ってるよぅ、それくらい」口を尖らせる詩帆だ。あまりに仕草が幼すぎる。こういうところがなければとは、楯も思わなくもない。「用があるのは、あたしじゃなくて、倉内先輩だってば」
「和也が?」

 肩をすくめる。詩帆の言葉どおり、戸口で気楽に笑うのはまさしく友人の倉内和也である。手を振る彼に生あくびを返して、楯は近ごろすっかり付き合いの悪くなった友人へ半眼を投じた。

「日暮といちゃいちゃもしねーでなんでこんな汗臭いとこ来てんだよ」
「いやそんなひがな一日いちゃいちゃしてるような言い方するなよ」
「してる、と言わないのは友の情けだ」
「言ってるし」自覚はあるようで、和也は目を線にすると鼻の頭をかいて誤魔化した。「まあそれはいいよ。楯、さすがに生徒会って言ってもずっと拘束されてるわけじゃないだろ。いつ空く?」
「あ? あー、昼前にはまあ、ひと段落つくけどよ。なんで」
「一緒に回ろうかと思って」
「勘弁しろよ」情景を思い浮かべるだけで、充分に辟易させられた。「恨まれるの俺だろ、それ。そういうのはいいから、素直に日暮と回れ」
「うん、あかねちゃんも一緒だけど、おまえも一緒にどうかなって」
「もっと勘弁しろよ! なんだそのサムい構図。俺どんだけ肩身狭い思いすりゃいいっつーんだ」
「じゃん!」と、詩帆が唐突に割り込んだ。指を立てて、高らかに、「そこであたしの出番なんです。いわゆる、ダブル・デートです! やっほー! ビバ青春!」
「和也、俺は生徒会の端くれとして校則違反を見逃すわけにはいかねえよ」真面目くさった顔で楯はいった。
「あはは……。ま、まあそれはともかくさ、何も俺たちだけでって話じゃないんだ。何なら鴇羽さんとかも誘ってさ。みんなで一緒に、にぎにぎしく創立祭を回りたいってこと」
「二人して完全スルーしたよおーい! 倉内先輩、話がちがうじゃないですかぁ!」

 クアド・テールとでも言うべき奇矯な髪を振り回して詩帆がししくする。何らかの密約を和也と交わしたと見て、楯は嘆息した。

「ともかく、デートとかはなしな。会ったら一応話しておくけど、鴇羽も予定とかあるだろうし、ダメなときは諦めろ。んで、なんでいきなりそんなこと言い出してんの」
「いや……それは、さ」

 瞬間、真剣な面差しを見せて、和也が口ごもる。あの二人に限って不仲はない、というのはもちろん外部からの視点にすぎない。

「なんだよ。ケンカか。なんでもいいからそういうのは謝っちまえ」
「あっ、お兄ちゃんそれ不誠実! 何が悪いのかもわかんないのに謝るなんて、むぐ」
「お前はちっと黙ってろ」詩帆の首を腕で固め、口を掌でふさぐ。
「けんかとかじゃないんだけどね」和也は言いにくそうに、とつとつと言葉を吐いた。「なんか最近、茜ちゃん元気ないんだよ。理由聞いても話してくれない。ってことは、たぶん、俺に問題があるのかなって気がしてさ」
「はあ、なるほど」

 カップルの痴話喧嘩ほどどうでもいいものはないが、言下に切って捨てるのも不義理がすぎる。楯はそれなりに親身に思考をめぐらせた。
 聞きかじりにすぎないが、日暮あかねは複雑な家庭環境にある。別の意味で、和也もまた一般的な立場から浮き出している。
 いわゆる道ならぬ恋、とまではいかないが、平成の御世に相応しからぬ身分違いの恋人たちなのだった。本人たちに齟齬がなくとも、不協和音の元は周囲にいくらでも転がっている。一般に外圧は絆を強め、かたくなにさせるが、子供が無視して流せるほど安穏としたしろものでもない。
 和也が気にしているのはそんなところだろう。なるほど深刻な懊悩であるらしい。しかし、
(なんだかな)
 と、楯は人知れず息をついた。平和なことだ、と思う。倨傲な感性であることは自覚している。比べるものでもないだろうが、和也とあかねを向こうに置いて、どちらが上等かというのならば、それは二人のほうなのだ。畢竟、楯は彼らをうらやんでいる。やっかんでもいる。
(やだやだ、みっともね)
 情けなさとあくびのせいで、涙が落ちた。と、和也が微妙な顔で楯を指差している。

「指、食われてるぞ……」

 嫌な予感と触感に、眼をおろす。

「んふー」

 かいなにすっぽり収まって、詩帆が口を大きくはだかっていた。覆いかぶさる楯の指を、容赦なくその口蓋におさめている。
 熱いぬめりが指先を這う。細かく固い感触が、関節の腹を食んでいる。
 生理的な悪寒に立つ鳥肌と、どうしようもなく性的な連想に、楯はそれとなく腰を引いた。悟られればことだ。詩帆は積極的だが、無暗である。性的な方面には、実は大して強くない。戯れつきも本能的な面が多々あって、今している行為も、たとえば和也が認識するほど大胆なものだとは自覚していない。逆に指摘すれば、ひどく狼狽してしばらく視線も合わせなくなるだろう。
 詩帆には両親がいない。祖父の男で一つで育てられた。ゆえに自意識に欠けたところがある。
 何しろ初潮のさいに真っ先に相談を受けたのも楯だった。今ではその話題に及んだ瞬間張り手を食らうくらいには成長しているが、そこまで見た相手を異性と認識するのは、思春期の少年には現実的に難しいものである。そういうところも、楯が真面目に好意を受け取れない理由のひとつであった。
 しかし今、詩帆は満足げに眼を細めていた。

「噛んじゃうぞー」
「おまえ、変態だよ……」

 わが身よりも憂えるのは、幼馴染の将来だ。ドリンクで補給した気力が早々に萎えるのを、楯は感じていた。


 ※


「いやはや、開会前だってのにすっごいねこの人ごみ。というか学生より明らかに外部の出展の方が多いしお金かかってるし、やっぱり、いくら土地があるからって学校の創立祭でこの規模は大げさすぎるんじゃないかねえ……」
「そうかな? あたしはいいと思うな、楽しくて」
「にしても、車だの重機の展示とか、どう考えてもちょっとおかしいよ。しかもなに、あのフランス料理屋台って」
「それより千絵ちゃんさあ、どこから回る? あたし的にはねえ、このコスメ無料体験ブースに惹かれるものがあるよ?」
「私はそういうのはいいかな……。たぶんそっち系が混みあうのは午後からだろうし、開会したらあおい行ってきたら? その間に私はミコトちゃんと食べ物回りをシメてこようかな」
「えーっ、ひとりじゃヤダよー一緒に行こうよぅ。ね、ね、ミコトちゃんもお化粧とか興味あるよね? 綺麗になりたくない?」
「わたしはそういうのはいい」
「だよねえ……ウン、そう言うってわかってた」
「はは、命嬢はまだまだ花より団子だからね。逆にそういうのに興味がありそうな子っていうと、ほら、あれは? キュートでロンリーウルフなルームメートの」
「奈緒ちゃん? 奈緒ちゃんはね、昨夜、っていうより今朝か、二日ぶりに帰ってきて、そのまま執行部から教会への直通コースへ行っちゃったよ。今日は一日奉仕活動だってさ」
「……勝手気ままにもほどがあるなあ。普通なら停学ものだと思うんだけど」
「あはは、悪い子じゃ、な……い? いや、うん、ワルいコではあるのかなぁ……あそうだ、奈緒ちゃんといえば高村先生だよ。なんかね、さっき教会のところでね、奈緒ちゃんの隣で、凄い勢いで頭下げ倒してたの、先生。いつの間にか仲良くなってたんだ、あの二人。なんか嬉しいよね。ひょっとしたら、外泊先も先生のところだったりして! きゃー千絵ちゃんのエッチ!」
「ちょっと、その感想も光景も想像しがたいところがあるけれど、まあ、高村先生だものねえ」
「うん、恭司だからな……」
「ミコトちゃんに遠い目をさせるとは……千絵ちゃん、高村先生ってスゴい人だったんだね」
「あの生傷の絶えなさが特筆に価することは確かだけどねえ。……あれ。今私、凄いことに気づいたかもしれない」
「え、なに?」
「うん、あのね。私さ、高村先生の素顔ぜんぜん思い出せない。包帯湿布絆創膏と、あと眼鏡ばっかりイメージに残ってる」
「……あー」
「しかも昨日見たときはその眼鏡もなかったから、なんか怪我で識別してた気がする」
「……ああー」
「おまえたち、恭司をなんだと思ってるんだ……」
「命ちゃんに言われたよ千絵ちゃん!?」
「あはは、面目ない。次会ったときは顔ちゃんと観察しとく。そういえば、舞衣はそろそろ来るのかな。弟さんとうまく合流できるといいんだけど。さ、そろそろ開会だ。私たちもいったんクラスへ戻ろう」


 ※


 特設ステージで風花真白のスピーチが行われる。いささか理不尽に大人びた整い方の造作が柔和にほころんで、壇上の大型ビジョンに映し出されていた。そつのない挨拶を尻目にして、一方高村恭司はあくせくと資材の搬入にいそしんでいる。かたわらには杉浦碧もいた。社会科準備室で高いびきをかいていたところを捕獲したのである。

「おかしい……。なんで重労働でくたくたになって寝てたっつーのに、あたし自分のクラスもほっといてばっくれた恭司くんの出し物の手伝いなんかしてるんだろ……」
「何言ってるんですか。聞きましたよ。食材ぶちまけるわ用意したコップ一ケース粉々にするわで追い出されたんでしょう」
「ドジは愛嬌じゃん! そりゃリンデンバウムのバイトもそれでちょっと、クビになったりはしたけど」
「ファミレスで皿割ってクビになるって漫画じゃないんだから」
「いや、お尻とおっぱい触ってきたちんぴらの肩を抜いただけ」
「いやだ、そんなウエイトレスはいやだ……」
「あたし悪くないもーん」

 日は射さずとも右肩上がりの熱気に辟易とした調子で、碧が自棄的な笑いを浮かべる。普段からあまり化粧気のない顔は、疲労と寝不足で水気が失せていた。

「そもそもこのスペース、一応碧先生も名義人ですからね」
「そうだけどさー。結局本番当日まで何やるか教えてくれなかったしさー」
「一昨日にいきなり誘った俺もけっこうあれですけど、即オーケーした先生もたいがいだから、まあバーターってことにしましょうよ」
「あーつーいー。ビールのみたぁいー。もう創立祭なんかどーでもいいー。帰ってねーるーのー」
「まあまあ。すぐ終わりますから。あとで一杯おごりますよ。あ、それこっちの下に置いてください」

 高村は適当に笑うと、段ボールから取り出した土偶を机辺に並べた。次いで待機していた運営委員に合図を送り、数人がかりで巨大な直方体をスペースに配置する。
 ゆうに他社の二倍はあろうかという不公平な敷地が、そのオブジェクトによってさらに威圧感を増していた。
 左右に陣取る企業の社員が、とても不安げな顔つきで手際よく組み立てられるセットを眺めている。そういう視線は問題にしない碧は、なんだか自分に似ている気がするフェルトの手人形をもてあそびながら、手渡された台本をうろんな瞳で見下ろしていた。呆れ混じりに自由配布の冊子を手に取りめくって、碧の眉がひそめられた。

「ん、ああ、媛伝説やるんだ? でもこれ知らない説話だね。鎌倉後期の白姫と奥崎氏と、あとは……宝永の富士噴火!? うわあ、ムーだねムー臭すげーねこれ。大好き。……だけど近世の宝永年間って珍しいなぁ。どっちかつーとこれ日文じゃ……つか、創作? 参考文献なに?」
「天河教授の遺稿を総ざらいして注釈つけてまとめただけです。文献の原典は見つからなかったんですよ」
「孫引きじゃだめじゃん。しかも未発表でしょ? あたしの論文の役に立たないじゃん!」
「アンタちょっとは心の声をひそめてください」

 それでいて憎めないのは、もはや資質なのだろう。恬然と胸を張る碧をいなして、高村は妥協案を提出した。

「きょう、ここでしばらくお留守番してくれたら、教授の遺稿もお貸ししますよ。それをうまく使えば、あとは碧先生次第なんじゃないですか」
「え、ほんとに?」慮外の提案だったようで、碧は眼を白黒させた。「ありがたいけど、それマズくない? いちおう、それを譲り受けたのは恭司くんなわけで……。少ないけど天河先生の生徒さん、まだ学会にいるよ?」
「いいですよべつに」高村は肩をそびやかす。「先生もああいう人だし、だいたい媛伝説は大学のほうとはあんまり関係ないですからね。それより、いいですか」
「ん。なにかね」
「聞かないんですね。おととい、結城と俺がいなくなったあとのこと」

 業を煮やして、というわけでもない。純然と不思議に感じて、高村は自ら話題を持ち出した。
 数拍、碧は押し黙る。視線を周囲の喧噪から切って、高村に定めると、双眸が笑みをかたどった。

「だって、今日はお祭じゃない。楽しい日でしょ。ハレの日に、そういうむつかしそうな話題は持ち出さないことにしてるんだ」
「そうですか」

 なんともいえず、高村は茶を濁した。碧の達観には、時おり感服させられてしまう。

「あ、でも、なつきちゃんはイロイロと恭司くんに聴きたいことがあるっていってたよ。言っておくけど一昨日のこともだいたい話したからね。覚悟しておいたほうがいい。代わりってワケじゃないけどさ、あたしはともかく、あの子にはちゃんとしてあげてね」
「ああ、それはちょうどいいです。俺も今日はあいつに用がある。というわけで、じゃあ行ってきます」

 碧がポカンと口を広げた。

「え、ちょ、あたしは!?」
「だから留守番でしょ」
「いや待って待って待って」

 わめく碧を背後に置いて、高村は揚々と歩を進める。時計を見ると、午前十時十五分を回ったところだった。真白のスピーチが終わる。会場のあちこちから拍手が巻き起こる。
 退場していく真白と姫野二三を、高村はなんとはなしに眺めた。距離は百メートル近く開いている。まさか気取ったわけでもないと思いたいが、かすかに肩を揺らした二三の横顔が、高村へ向かうような動きを見せた。我知らず体と意識を硬直させて、会釈する二三から目を逸らす。
 高村のクラスの実行委員から、携帯電話に連絡があったのはそのときだった。かねてからの打ち合わせどおり、それは玖我なつきの捕獲を知らせるものである。


 ※


「いやだ!」
「いやだじゃないよ」高村はため息をついた。「いいじゃないか別に、思い出づくりだと思えば」
「こんなの思い出になるか!」これ以上ないほど赤面して、なつきは生徒会室のカーテンにくるまっていた。「恥部にしかならないだろ常識的に考えて!」
「うるさいなあ。おまえ一切クラスのために働いてないんだから、多少サービスして客引きするくらいこころ良く引き受けろよ。度量が狭いぞ」
「静留、はやく着替えを持ってきてくれ!」
「困りましたなぁ」

 繊手を柱に顔を支えて、静留が呟く。婀娜な装いはみごとな和装である。綸子の付け下げは涼しげな鶸萌葱の地、広く間を取った若枝の飛び柄をわずかに浮かせて、金箔の乗った古典柄京袋帯で締めている。
 とどめに頭上でまとめた長髪に簪を後差し、威風堂々たるたたずまいであった。とても女子高生には見えない。
 惜しむらくは、藤乃静留は何を着ても様になるというだけで、別に和服を着こなしているわけではないということだ。洋風のプロポーションに着物を合わせるには、見えない箇所で様々な努力が要求される。しかしそんな想像を許さないのも藤乃静留の特性だった。『体育に出てるはずなのに体操着姿が思い出せない女子でもナンバーワン』の称号は伊達ではないのである。
 とりあえずなつきから目を切って、高村は静留の着物を誉めることにした。

「綺麗な付け下げだな、それ。藤乃なら友禅でも着られることはなさそうだけど、よくそう見事に着つけできるよ」
「おおきに。さすがにお茶会で友禅はあらしませんけど」
「持ってるのは否定しないのか……」
「実家やったらともかく、今は寮住まいやさかい、そう何着もあっても困るだけどす」
「も、もしかして行き着けの呉服屋さんとかあるのか」ドキドキしてくる高村だった。
「ええ、まあ」当たり前のように頷く静留だった。
「すまん、藤乃。写真撮っていいか。この感動をとどめおきたい」
「はあ」

 困惑する静留へ携帯電話のカメラを構えて、高村は激写した。

「すいません目線くださーい!」
「ええと、これでよろしおすか?」

 しゃなり、とポーズを決める静留である。

「なにやってるんだ馬鹿! 静留を変な目で見るな!」

 あわやシャッターを切るすんでで、カーテンから飛び出したなつきが視界を遮った。
 ボンネットが揺れる。ふんだんにあしらわれたフリルが飛ぶ。スカートが翻る。厚底のブーツが合板を甲高く打ち鳴らした。
 ゴスロリである。それも白。加えてややロリィタに比重がある。
 和服の京美人と並び立つ様は、アンバランスを通り越して奇妙に拮抗する様相だった。
 素で力の入った衣裳のチョイスが、ひかえめにいって、イタかった。
 着る者を選ぶことに関しては、和服をゆうにしのぐファッションである。スタイルと容姿には文句のつけようもないが、その上に『玖我なつき』の名前がつくと、これほどトンチキな組み合わせになるのであった。

「世の中ってふしぎだなー」

 高村はそのまま連写モードでなつきの姿をフィルムにおさめた。
 が、シャッターを切りながら、直視できずに眼は逸らした。なつきは固まっている。誉めねばなるまい、と彼は思った。それが教師の責務である。張り付く上唇を舌で押し上げ、会心の賞賛を教え子へと捧げた。

「……似合ってるぞ……」

 心がとてもこもっていなかった。

「うわぁああああ、おおああああァあああーッ!!」

 なつきが発狂した。
 グルグルパンチに走りかねない有様である。頭を抱え、膝は折れ、それでもなお倒れないのは精神の業ではない。たんに静留が支えているのであった。

「ほんまによく似合っとりますえ、なつき」
「やめて、もうやめて、アハハウフフ――」なつきはもうダメになっていた。
「じゃあ藤乃、ついでにそのままクラスまで牽引してやってくれ」丸投げしつつ、高村は背広の内ポケットからメモ用紙を取り出し、眺めた。「あとは……『ランダム物真似(含無機物)三十連発』と、『玖我なつきゲリラリサイタル(運動場大ステージで)』か。藤乃はどっちがいいと思う?」
「そうどすな、ならリサイタルで」
「じゃあそうしよう」

 ペンで丸印をつける。
 壊れかけのなつきが、よどんだ眼をメモに向けた。

「なんだ、それは……」
「『玖我さんにやらせたい罰ゲーム』、もといクラスから募った『玖我を許すためのいくつかの試練』だ。その中でもとりわけソフトなのを選んでおいた」
「もうどっから突っ込めばいいのかわからないが、これでソフトだと……?」
「ちなみに、他にはどんなのがありましたのん?」なつきの腕を取りながら、静留が訊ねた。
「ちょっと待ってくれ。こっちに書いてある。そうだな、面白そうなところでは、『公開赤ちゃんプレイ』、『一日ドクロちゃんになる』、『昔の日記を公開する』、『全部自作自演で収録したラジオ番組を毎日昼休みに流す』とかがある」

 なつきの顔が即座に青ざめた。

「わかった。もういい。これでいい。リサイタルでもなんでもやってやろうじゃないか、祭りの恥はかきすてだ」
「おお、そうこなくっちゃだ、玖我。見直したぞ」
「だがひとつだけ教えろ」なつきの眼光が鋭く高村を刺した。「そんなナメた要求をしてきた阿呆の名前だ」
「ああ」

 思案のあと、高村はあっさり答えた。

「俺と藤乃と結城と碧先生」
「クラスメートはどこへいったんだ!?」
「ワンフォアオール、オールフォアワンだ玖我」
「一人もいないだろ!?」
「ゼロフォアオール、オールフォアゼロとも言うな」
「それじゃだめだろ!」けほっ、と咳を払って、なつきは憔悴した呟きを漏らした。「複雑な気分だ。クラスの連中からどんな眼で見られてるのかと一瞬思ったじゃないか。ところでじゃあ、他のやつらには最初から何も言ってないのか」
「いやちゃんと今朝のホームルームで急遽募ったんだが、なんかみんな優しくてつまんなかったから没にした」
「そうか、要するにおまえが全ての元凶か……」

 なつきのクラスメートへの好感度が上がった。

「よかった。俺のクラスにイジメはなかったんだ」しみじみと高村が呟いた。
「教師から生徒へのイジメのほうが問題の気がするぞ……」

 なつきの担任への殺意と不信感が上がった。

「いじめじゃなくてだな、俺はただ玖我にクラスに溶け込んでもらおうと、言うのはただの嘘で、ほんとはただ面白そうだからやってみたかっただけだ」

 凝然となつきが高村を見やる。

「おまえ……とうとう取り繕わなくなってきたな……。今までは最低、学校の中で人目があるときは大人しくしてたくせに」
「オンオフだろ。ハレの日ってのはそういうものなんだよ。同じアホなら踊らないと損だって昔から言うじゃないか」
「楽しんだもの勝ち、いうことどすな」くすりと笑って、静留がなつきの耳元に口を寄せた。「あとでうちも見にいくさかい、あんじょうきばりやす。心配せんでも、いざとなったらうちがどうにかします」
「ぐ、うう、できれば今すぐどうにかしてくれ……」

 手を振って別棟の茶室に向かう後姿を見ながら、悔しげにうめくなつきだ。
 しかし深呼吸を重ね、胸を張ると、とたんに振る舞いが落ち着きを取り戻す。さすがに肝が据われば強い。涼やかな流し目が高村をとらえた。

「まあいい。こんな悪ふざけに乗るのも今日かぎりだ」ふん、と鼻を鳴らした。「そのかわり、おまえにも色々と聞きたいことがあるからな。もうはぐらかしの時期は終わったんだ。時間もあまり残っていない。そろそろ、はっきりさせてもらうぞ」
「そうだな」高村は頷いた。「気づけば、もう赴任から一ヶ月が過ぎたのか。確かに、いろいろなことがもう動き始めるんだな」

 感慨深く、吐息する。拍子抜けした顔でなつきが横顔をうかがってくるのを感じたが、高村は意識しなかった。
 それはそれとして、アドレスから九条むつみの名前を検出すると、今しがたとった写真を添付して、メールを送った。


 ※


 碧の担任するA組は喫茶店、高村の担任するB組は蚤の市と、どちらも高校生らしい、あまり手のかからない出し物で出展していた。B組の前では場違いなまでに着飾った玖我なつきがとてつもなく投げやりに客寄せを続けたが、A組の喫茶店が集客難に迫られた結果急遽コスプレ喫茶にシフトチェンジしたので、幸いその晴れ姿はあまり注目を浴びずに済んだ。
 とはなつきだけが思っていることだ。実際には翌週の掲示板で大判で写真が張り出され、数値上は全校生徒の二十パーセントにそのブロマイドが行き渡るはめになる。

 なつきの処刑をひとまず終えて、高村が自前のスペースに戻ると、肩で汗した碧がやけくそになって媛伝説の講義を一席ぶっていた。聞けば偶然立ち寄った風花真白が自由配布のパンフレットを一見するや吹き出して、即刻撤退を懇願したのだという。碧は当然のようにスルーしたが、十分後、入れ替わり立ち代わりで黒服がやってきて、どんどん資料を持って行こうとした。条件反射的に彼らを畳んでいるとますます攻勢が苛烈になってきたので、結局パンフレットの内容を大声で読み上げ続けることにしたらしい。

「それにしても、なんで真白ちゃんはあんなにびっくりしてたんだろーね」碧は思案顔で首を捻っていた。
「さあ」と高村もそれにならう。「ひょっとして、ご先祖様のことでも書いてあったんじゃないですか」
「まっさかー。あはは」
「ははは」
「はははじゃないよ……。どこで見つけてきたんだこんなの……」

 パンフレットを凝視してこめかみを押さえるのは、炎凪であった。途中から碧に捕まって一緒に店番をしていたらしい。

「そうやって滅入ってるってことは、その内容って実際にあったことなのか?」と高村は尋ねてみた。「正直、洒落本も出てないころにそんな内容の書き物が残ってたなんて信じられないんだが」
「実際あったというか、むしろ後半戦のハイライトというか」凪は困り顔だった。「まあ、肝心なところはぼかしてあるからいいけどさあ。……いやでも懐かしいなあ白姫。この子真白ちゃんにそっくりだったんだよ。可愛かったなあ」
「それは、当時の基準で言うとひょっとして超ブサイクだったんじゃないのか。虫愛ずる姫君みたいな感じで」
「容姿の話じゃないよ」と、凪は心外そうに顔を曇らせた。「性格がいい子だったのさ。お兄さん思いでね……カグツチ、あの子もよく懐いてた」
「というか、当然のように六百年前の娘の人物像を語るな」碧が呆れて口をはさむ。
「あ、ああ、そうだね、ごめん碧ちゃん。懐かしさのあまりキャラが崩れちゃったよ」枯れた目つきを空に流して、凪が眠たげに瞼を降ろした。「雨、降らないといいね」

 高村と碧も倣って、曇り空を仰いだ。

「ああ、そうだな」

 予感とともに高村が眼を戻すと、少年の姿は消えている。異常な事態にはとうに順応していたが、平凡からかけ離れるにつれ、遠のいた日々を儚む気持ちも湧いてくる。
 日常は消費されるべきである。尊崇されるべきではない。
 かみ締める喜び。それはあるだろう。だが常化されて、なお暴落しない価値はない。
 万人が今日を喜ぶ世界が来るとすれば、それは終末だ。高村はだからいまひとり、世界の終わりに漸近していた。
 現実感のないまま、いずれ世界は滅ぶのだろう。そう高村は信じている。思ったよりその日が近いことも、知っている。
 杉浦碧は知らないはずだ。だがなにがしかの予感を持っている。本能か、理性か、あるいは外的な啓示が巫女に下されたのか。いずれとも読みきれない。女は複雑だった。
 複雑なまま、会話の口火を切ってくる。

「ねえ、恭司くん」
「はい?」

 碧は形容しがたい表情を紗のように顔にかけて、指で唇をひと撫でした。

「いいよね、こういうの。普通に騒いで、普通に楽しくて、普通にめんどくさいの。あたし、こういうのも好きよ。冒険もいいけどさ」
「……そうですね。俺も、同じ気持ちですよ」そこでまた時計を見て、「あ、もう時間だ。待ち合わせがあるんで俺は行きます。じゃあ午後も留守番よろしくお願いしますね」

 碧ががくんと腰を落とした。

「ちょ、え、また!?」
「シーユーレイター」
「レイターじゃないよ! うおーい! うわあまた黒服が来た! ちょっとしつこいよあんたらー!」


 ※


 時計が回った。


 ※


 大所帯になりつつあった。水晶宮で鴇羽舞衣は『師匠』の真実を知った。以降葛藤にまみれた顔つきで談笑する実弟と隣のクラスの担任を眺めている。聞けば高村はとっくに巧海が舞衣の縁者であることには気づいていたらしい。「だって鴇羽なんて珍しい苗字だしなあ」とのことだった。
(恥ずかしい。なんだかわからないけどとにかく恥ずかしいわ!)
 気づいてたんならもっと早く言って欲しかったと思いつつも、弟が世話になったことは事実なので何もいえずに混乱する舞衣なのだった。描いていた優しいイメージの人物と、目前の高村恭司の印象が、まだ少しうまくかみ合っていない。昼食をともにするうちにその齟齬もほぐれかけたが、そこに新たなメンツが加わり事態が混迷を深めた。

「げえ鴇羽」
「やあ、舞衣さんじゃないですか。高村先生も」
「げえってなによ! あ、神崎センパイ、おつかれさまですっ」

 楯祐一と神埼黎人の二人である。ようやく激務から解放されたはいいが、中途半端な時間では空いた友人もおらず、顔をつき合わせて食事に向かう途中だったという。断る理由もなかったので、二人も席に加わった。
 巧海が「お久しぶりです」と楯に会釈する。そういえば、巧海と楯はフェリーで面識があったのだと舞衣は思い出した。しかし彼らに巧海と高村と、ついでに自分を合わせた関係を説明するのはかなり面倒だった。それとなく、目線で高村にフォローを依頼する。高村は任せておけとばかりに指を立てて、席も立った。
 三分後に戻ってきた。
 結城奈緒と美袋命、原田千絵と瀬能あおいも一緒だった。

「なんでその四人を……」なつきほど付き合いがよくない舞衣は、疲れた様子でため息をつくのだった。
「だって鴇羽、男女比が極端で気になったんだろう。違ったのか? こら、結城、逃げるなよ」奈緒の襟首をさりげなく押さえつつ高村がいった。
「ああ、そういう……いやもうなんでもいいわ」舞衣はなにかを諦めた。
「てめえ、ちょっ、昨日と言ってることが違うでしょうが!」奈緒が歯をむいて高村に食って掛かる。「なんなの!? つーかどうやって……せっかくのエモノをっ。離せっ、ぐえっ、あ、今は離さないでよ!」
「細かいことは気にするな」高村が笑っていなす。「そういえば携帯なくしたままだっただろう。ちょうどさっきショップの出張店舗を見つけたから、あそこで契約しようぜ」
「くっ、足もと見やがって……!」

 やりあう二人をよそに、千絵とあおいと命が隣のテーブルに腰を降ろした。

「なになに、舞衣、ハーレムじゃない?」
「そういうんじゃないのよ。マジでとほほよ」目元をぬぐう仕草でおどけてから、舞衣は巧海を初見の二人に紹介した。「あ、千絵、あおい、この子が不肖の弟です。ほら巧海、挨拶なさい」
「鴇羽巧海です」巧海がぺこりと頭をさげて、微笑んだ。「お姉ちゃんがお世話になっています」
「これはどうもご丁寧に」千絵が会釈を返す。「原田千絵です。こちらこそ、お姉さんにはよくしてもらってるよ」

 あおいが鼻血を吹いた。
 真正面の楯のオムライスを、滴が強襲した。

「うおわああああ!?」
「あ、ごべん楯くん、ちょっど、あまりの美少年度に、漏れちゃった」ハンカチで鼻面をおさえながら、あおいが巧海に握手を求めた。指には血がついていた。
「どうも」巧海はなんのためらいも見せずにハンドをシェークする。半生を病院で過ごす彼は、血を見慣れた小学生なのだった。
「くそ……大物だな」楯は未練がましく皿の上のオムライスを見つめると、切なげに嘆息して、携帯電話を取り出した。「……あ、もしもし、和也か? 西棟の純喫茶わかるか? そう、文化部ペースのところ。その華道部のところで今みんなとメシ食ってるから……あ、詩帆? なんでおまえそこにいるんだよ。いいよ来なくて……あっ、切りやがった」
「しかし喫茶店多いな。これで三つ目だ。鴇羽のところもそうだったよな。いかがわしい感じになってたけど、おまえはネコミミつけないのか」高村がチャーハンをレンゲですくって命に与える。
「あたしは調理係だもん。あんま玄人はだしな接客するとウケないんだって。わけわかんない」舞衣がぼやいた。「あ、別にコスプレはしたくないわよ」
「俺も見たくねえなあ」楯がいった。
「僕は見たいなあ」神崎がいった。
「票が割れたね」千絵がほくそ笑む。「巧海くんはどう? 舞衣のコスプレ姿、見たい?」
「はい、どうでもいいです!」元気な答えだった。
「……どうせ。いいよーだ、お姉ちゃんはかわいいかっこなんか似合いませんよーだ」

 舞衣が盛大にへこんだ。

「ブラコン?」「ブラコンだ……」千絵とあおいがくつわを並べた。
「奈緒もチャーハン食べないか。うまいぞ!」命がレンゲをひたすら不貞腐れる奈緒に寄せた。「ほら、アーン」
「いや、ちょっと、要らないって……。もう、はい、んぐ」

 俺のレンゲだが言わないでおこう、と高村は思った。
 と、そこに、

「あ、お兄ちゃんいたー! おーいっ」

 さらに三人の参入である。宗像詩帆、倉内和也、日暮あかねが入店して、純喫茶『HaNA』の店内はこの一団によって過半を占拠されるかたちとなった。
 総勢十二人である。飲食店でも普通にめんどくさがれる数だ。
 夏生地の紬をたすきがけ、前掛けの白が鮮やかな華道部員が、苦笑いで注文を取りに来た。

「あれ、雛菊さんじゃない」千絵が店員の名をいいあてた。「そっか、華道部員だったっけね。私はアイスミルク抹茶で」
「雛菊?」高村は聞き覚えのある名に眉をひそめる。「ああ、雛菊巴か。そういえば鴇羽と原田たちとは同じクラスだったな。そのアシンメトリィな髪型には見覚えがある。俺は半チャーハンおかわりで」
「かしこまりました」さらさらと雛菊巴がメモを取る。「他のお客様は?」
「ぼくは、えっと、」
「あ、ねえねえ巧海、あたし抹茶頼むからはんぶんこしようよ。ね」
「仲がよくてうらやましいですね。僕はアイスティを」
「ベタベタしすぎじゃねっすか? 俺は水でいいや」
「えー。これだけかわいい弟ならわたしだって可愛がっちゃうなぁ。……うーん、わたしはねー、じゃあこのファイナル抹茶で」
「なにがファイナルなんですか、それ。……あたしオレンジジュース」
「ラーメン」
「あ、俺たちはもう食べてきたからいいや。ね、あかねちゃん」
「う、うん、そうだね」
「ご注文を復唱します。原田さんがアイスミルク抹茶、鴇羽さんと弟さんが抹茶、神崎先輩がアイスティ、瀬能さんがファイナル抹茶、中等部のあなたがオレンジジュース、そちらの子がラーメン。以上でよろしいですか?」
「あの、俺の、水は」楯が手を挙げた。
「そのへんの水道でどうぞ。セルフです」優雅に腰を折って、雛菊巴がきびすを返した。

「……フン」

 ひとり沈黙を守っていた奈緒が、刹那にやりと悪い笑みを浮かべた。
 企む顔である。
 と見るや、嬌声をあげて高村の腕に体全体ですりよった。

「え~~~せんせぇ、ホントにおごってくれるんですか~~~~、わぁ、嬉しいなぁ。じゃあ店員さん、ここの払いは全部こっちのセンセイにお願いしまぁす。さすが、最年長っていうかぁ、年上ですもんねぇ? マジ気前いいー!」
「なんだいきなり。その喋り方ますます頭悪く見えるからやめたほうがいいぞ」
「マジすか!」楯が勢い込んだ。「じゃあやっぱ俺オムライスもう一杯で」
「お、お兄ちゃんが食べるならあたしも……」詩帆が便乗した。

 次々と後続が頻出した。みな、教師へのたかりに遠慮は一切なかった。高村は無意識に財布の重みを確かめて、奈緒に食って掛かる。

「ふざけるなおい。おまえ、俺から大金パチっておいて……。なんでおごらなきゃならないんだよ。おまえが払え」
「ええ~」奈緒がへらへらと笑った。「聞きましたぁ、みなさん。センセイってば、こんなこと言ってますけどぉ。ちょっと、せこくねえ? っていうか、貧乏くさいんですけどー。まじやばーい」

 文章化すれば多量の(笑)が咲き乱れるような語調であった。
 高村は切歯する。耐え時であった。男として、大人として、教師としての度量がいま、試されている。

「あとラーメン」命が四杯目のラーメンを当然のように先行入力しようとしていた。
「美袋ごめんそのへんで勘弁してくれ」

 泣きが入った。

「楽しそうじゃないか、ひとを地獄に送り込んでおいて……」

 そこに十三人目の登場である。
 玖我・ゴシックロリータ・なつきであった。『1-Bでフリマ開催中! きてネ☆』という知能が低そうな丸文字で頭の悪そうなあおり文句の書かれたプラカードを、ツルハシのごとく肩に担いでいる。
 色々な意味であまりな格好に、空間が凍りついた。

「やだ、玖我さんかわいい……!」

 あおいだけが食いつき、奈緒と舞衣が鼻水を出すほど吹き出したが、他の人間はおおむね引いていた。既知である和也とあかねだけは、反応に困った笑みで場を濁している。
 なつきはみごとに恥を掻き捨てていた。

「笑え笑え。笑ってくれれば気も紛れるさ」
「あははっははははっ」高村は言われたとおりにした。
「貴様は笑うな」

 肘鉄が鎖骨へ縦に落とされた。左右を巧海と奈緒に囲まれた配置である。回避は不可能だった。

「師匠……、この人の格好は、趣味なの?」
「違うぞ、巧海くん」痛みに顔をしかめながら、高村は首を振った。「生き様だ。あれぞライフだ」
「なるほど」
「ちょっと、巧海にヘンなこと教えないでくださいってば」舞衣が笑いすぎで泣きながら巧海をかばった。
「午後、どこ行こうか。せっかくだからみんなで動きませんか?」和也が取り成すように提案する。
「つっても、この大所帯で出店とかは、邪魔にしかなんねーぞ」楯がうなった。「詩帆、午後からやってるイベントって何があった?」
「プログラムによるとー、教会で聖歌隊の合唱、で、グラウンドで芸能人のトークショーのあとライブイベントだって。プロの人の前座で、うちの学校の軽音とか文化系の人たちが演奏するみたい」
「トークショウは別に興味ないかなあ」舞衣が巧海を見下ろした。「聖歌隊は聞いてみたい。ねえ先生、アリッサちゃんも歌うんでしょ?」
「いや、あれはシスター紫子が体調不良になったとかで、幼年部はなしに――」

 いい差したところで高村の電話が鳴った。着信先は深優・グリーアだった。昨日の今日なので、つい受信をためらうが、無視することもできない。おっかなびっくりしつつ、スピーカに耳を寄せた。

「はい」
「あ、お兄ちゃん?」予想に反して、耳朶を打ったのはアリッサ・シアーズの声であった。「あのね、今からね、アリッサたちうんどうじょうのほうのステージに行ってお歌うたうから! 深優、何時だっけ?――そう、二時くらい! ちゃんと見に来てね。聞きに来てね。ぜったいだよ。じゃあまたね!」

 切れた。
 よほど不可解な顔をしていたのか、周囲の視線が高村に集まっている。疑問を代弁するように、巧海が「どうしたの?」と質問した。

「さあ、どうしたんだろう」高村も答えあぐねた。「よく、わからないな。呼んでるんだから行ってみてもいいけど」

 改めて時刻を確認するが、まだ昼時は終わっていない。アリッサのいった刻限までは間がある。昼食を全員が終えるであろう時間を多めに見ても、多少暇を持て余してしまうだろう。

「あの、いいでしょうか」そこで神崎が控えめに発言した。「僕のクラスではお化け屋敷をやっているんですが、雑務にかまけて準備などは遥さんに一任するかたちになってしまいまして。ですからよければ一度顔を出しておきたいんです。よければみんなで一緒に行きませんか?」
「俺は構わないけど、ほかに意見はあるか?」高村が一同を見回した。「正直べつに固まって動く必要はないから、行きたいところがあるなら構わないと思う」
「いや、せっかくだから一緒に」と、倉内和也が率先していった。「あ、いいかな、あかねちゃん。なんか勝手に決めちゃったけど。もしほかにどっかあるなら……」
「え、いいよ、あたしはカズくんと、その」そこで言葉を切って、あかねが慌てて首を振る。それから気遣わしげな眼を、高村と、そして神崎に向けた。「なっ、なんでもないです」

 恋愛禁止、のフレーズが、今さらながら暗黙裡に浮かび上がった。

「べつに、僕は何も見てないよ」神崎は穏やかに微笑んだ。
「俺はもともとそんなのあんまり気にしてない」高村も同様だった。
「……」なつきひとりが、険しい眼であからさまな恋人ふたりを見ていた。それからため息交じりに、「お化け屋敷だって? くだらない。お言葉に甘えて、わたしは別行動を取らせてもらう……」
「怖いの?」

 と、余計な一言を発したのは奈緒であった。
 なつきは露骨に眉をひそめて、鼻で笑った。

「馬鹿な。子供じゃあるまいし。幽霊や妖怪の何が怖いんだ」
「そうですよね」と同意したのは、意外にも巧海である。「ぼく、けっこうよく見かけるけど、基本的に話しかけたりしなければ平気だもんね」
「あー」と、舞衣が苦笑いした。「そういえば昔から巧海はそっち系、強かったね」
「ぼくだけみたいに言わないでよ」巧海は口を尖らせた。「もともと、お姉ちゃんが言ってたんじゃないか。星が見えるとか見えないとか。ぼくはその影響を受けただけだと思うな」
「あ、あれ。そうだっけ、あはは……」ごまかし笑いで受ける舞衣だった。ぼそりと、「最近じゃ、そういうのばかにできないしなぁ」
「…………と、とにかく、興味がない。わたしはいかない」

 かたくなに言い切るなつきだ。奈緒はますます笑みを深めた。背もたれに肘を乗せて、嘲笑をなつきへ差し込んでいる。

「くらーい」
「このガキ……」なつきの瞳に怒りがよぎった。
「こわーい」
「こら、だめだよ奈緒ちゃん!」めっ、としかりつけるのはあおいである。鼻にティッシュが詰まっていた。「だれにだって苦手なものくらいあるんだから。ごめんね、玖我さん」
「……いやあのな」

 なんとも言えず、押し黙るなつきだ。静留しかり、悪意がない相手に弱いのである。対人経験の薄さというよりも、性格の問題であろうと思われた。
(犬系に弱いと見た)
 ヒモに引っかかりそうなタイプだなと、口には出せないことを考える高村である。これからなつきはどうするべきか、局地的な未来に思案が巡る。なんのかんのとついてこさせるのがパターンである。ならば、それを脱却してもいいかもしれない。
 高村は口を出しかけて――
 つぐんだ。

「……?」

 何かが視界をよぎった気がした。
 何かとはなにか? いてはならない何かだ。
 視線を無作為に散らした。喫茶店のブースを区切るのは薄い仕切りと部室に備わる硝子窓だ。
 閾下の違和感は、当然外に求められた。丁度可知差異とも呼ばれる、かすめた毛先のように曖昧で儚いシルエットの残像を、眼球が覚えている。すなわち、既知の存在との相違がブザーの正体である。
(……なんだ?)
 存在自体が不自然な形象。それを観測したのだとすれば、いよいよ怪しいのは高村の感覚だ。服薬していない状態でも、幻覚が現実を侵しはじめていることになる。
 彼は静かにかぶりを振った。疲れているのだろう。ならばそれは脳によるごく真っ当な処理でしかない。
 意識を戻すと、結局なつきもお化け屋敷に同道する方向で話がまとまりつつあった。高村は違和感の共有を求めて、メンバーの顔をそれとなくさらっていく。眉目なりにわずかとも動きが見えたのは二人だけだった。
 美袋命と、鴇羽巧海だ。後者はともかく、前者の鋭感は議論を待たない。高村は少女に何かを聞こうとしたが、止めた。杉浦碧の言葉が思い出されたからだ。
 瞬間が尊い。水面に、いまは無駄な波紋を描きたくない。凪いでいるから、美しい。
 間違った感性に、今日の高村は抗えなかった。深優・グリーアとの一件が尾を引いている。彼はほとんど子供のように浮かれている自分を発見した。

「おい」
「ん?」

 千絵とあおいと舞衣に座らされたなつきが、仏頂面で高村を見ていた。

「心配しなくとも、わたしのぶんは自分で払う」
「そうか」高村は的外れな心遣いに苦笑する。「心遣いいたみいるよ。跼天蹐地の心境だ」

 穏やかに中天が過ぎていった。


  ※


「だからな、おい、聞いているのか。わたしはべつに怖がったわけじゃない。あれは驚いただけだ。おい、こら、高村。ちゃんと聞け。というか、なんだあれ。あれのどこがお化け屋敷だ!? 入って即座に真っ暗になって後ろでは扉に施錠されて、やっと明かりがちょっと見えたと思ったらその先で赤ん坊の蝋人形を抱えてる女とか……、なんか方向性が違うだろ!? そのあともバスルームで死体を解体するシーンの再現とか、あれはお化け屋敷じゃなくてスプラッタ・ハウスっていうんだ。ちょっとびっくりしてもしょうがないだろ!? おい――」

 午後一時五十分になっても、ライブ会場である特設ステージ前の客数はまばらだった。ステージ下では放送委員と思しき生徒らがPAの最終チェックを行っている。
 交通の阻害にならないようポールと警備員で客席を区切っているのだが、欠けたパズルを思わせて、その内海はうら寂しい。その日招いているのはファンもそれなりにいるメジャーなアーティストであるらしいが、前座でさえ、学園の即席バンドには荷が重いのかもしれない。

「それがそうでもないんですよ」といったのは原田千絵だった。「うちは部活系には文武ともけっこう力入れてますからね、軽音部にもちゃんとした顧問もいるし、それに神戸あたりからも名の売れたバンドを呼んでいるらしいですし。ただ、まあ……」
「遥さんが、なんとも体育会系びいきでしてね」神崎があとを引き継ぐ。「実際前年度まで運動部の部費が多少減少傾向にあったので、結果的に文化部は減収されているということです。そして、それがまた軋轢を生み出していると」
「有力なところは百万単位だっていうもんなあ、風華の部費って。部ごとに会計と監査がいるんだろ?」高村は呆れてこぼした。「正直なところ、この学園のそういうところは評価できないな。金勘定は命と同じくらい大事だけど、他にすることが山ほどある時期なのにさ」
「あんたがいうことか」奈緒がぽつりと呟いたが、誰にも聞こえなかった。
「ちょ、先生、ひゃくまんってマジ?」頓狂な声をあげたのは舞衣だった。こちらは弟ともども、お化け屋敷も問題なく抜けている。「初耳なんですけど。どっからそんなお金が出てるのよ……」
「そりゃ、鴇羽とか結城とか美袋とか、そういえば日暮もだったな、おまえら一部の特待生以外からはがっぽり取ってるんだよ。私立の一貫だし、資金源はよくわからんしこの学園」
「市議やゼネコンや教育委とがっぷり組んでるからな」まだ少し顔色の悪いなつきが注釈した。「この学園で改装や大規模工事の発注が多いのは、まあ言わずもがなだろう。地元名士の子息も多く通っているから、票田の宝庫でもある。連中にとっては現在と未来、二重のお得意先というわけだ。真白は意外とそのへん鷹揚だし、静留もやり手だ。貰えるものは貰ってるぞ、あいつら」
「おお、ダークな話題」千絵が眼を輝かせた。
「あの、あんま副会長の前でそういう話は……」楯が疲弊した調子でいった。
「別に構わないよ」神崎は笑みを崩さない。「そんな事実は、一切ないからね」
「その迷いのない否定が怖いです……」詩帆が恐々としていた。その手はずっと楯の裾を握っている。

 その後入場整理でチケットが人数分に届かないことが判明したが、神埼が学生証を見せただけで、以下十名以上がフリーパスとなった。貴賓席が押さえられているらしい。権力の使いどころがわかっているやつだと、高村はどうでもいいところで感心していた。
 無人の舞台では、ドラムや、ストンプモデルのアンプが所在なさげに置かれている。彼らがその存在感を発揮するのは、歌い手を迎えた時である。コンサート前特有の、緊迫感を孕む空気に身じろぎしつつ、高村はちょこなんと座る巧海に声をかけた。

「巧海くんは、音楽とかよく聞くのか」
「いや、それが、実はあんまり」
「そっか。いや、俺もなんだ。こういうの詳しいのって誰だ? 鴇羽は?」

 水を向けると、舞衣は首を傾げて答えた。

「あたしも、まあ流行りのくらいは聴くし、バイト先でも有線聞いてるからけっこう覚えてはいると思うけど、詳しいってほどではないよ。基本ポップスだし。今日のはけっこうコアなんでしょ? たしか、ロックは玖我さんが詳しかったよね」
「そうなのか」と、高村。
「詳しいってほどじゃない。なんとなく……習慣として聴き続けているだけだ」なつきはつまらなげに髪を弄りながら答えた。
「ああ、じゃあもしかして、デュランって、バンドから肖ってるのか」
「その話は、あまりしたくない」静かな声音で、なつきはいった。「……ほら、トップバッターの出番のようだぞ。手と足が一緒に出そうなほど緊張しているみたいだが」

 先陣切って壇上にあがったのは、4ピースのガールズバンドであった。衣装から手作りで、ステージに臨む気概は充分に見受けられる。四人とも高村の知らない、高等部の生徒だった。遠目に見えても彼女らの動きは硬く、浮き足立ってぎこちない。妙な緊張感は客席にまで伝播して、他人事にも関わらず高村は軽く手に汗を握った。
 ヴォーカルの少女が、マイクを合わせる。楽隊を振り向いて、頷いてみせると、ハイハットが8ビートで走り出した。合わせる形でギターがリフレインを響かせる。ベースも危なげなく底を取っていた。
 水を打たれた会場に、息継ぎの音が大きく染みる。
 唄が始まった。
「あ、これ知ってる」と舞衣が誰にともなく呟いた。流行歌のカヴァー・アレンジであることは高村も知っている。肝心の演奏は、これが案外、上手かった。少なくとも、高村が引き合いに浮かべたような、大学で同好会が文化祭で演じるレベルはゆうに超えている。さらに技術の巧拙はともあれ、観衆を飲み込む熱があった。暑気を切り払うような音程は、野外に鋭く伸びていく。会場の外、学内を行き交う人々も、何事かと足を止めていた。
 音には、ある種の中毒性と常習性が存在する。とらわれた人間は、間断なく距離を詰めたがるものだ。
 もうひとつの効能は、環境を構築する力にある。たとえば、無音はたやすく個室を作る。音から切り離されれば、雑踏の中であろうと人は孤独を錯誤できる。その逆もまたしかりだ。他のすべてを駆逐するほど強い音は、一定のラインを超えると、人間を周囲から切り取ってしまう。切り取られた人間は、同じ境遇の人間と並列化される。
 結果世界がもうひとつ生まれる。熱狂が行き交い、乱舞する空間である。
 音楽や舞踏が、宗教的儀式と密接に関わるのはそのためである。拍子と和音は、個から垣根を取り払う。忘我を導き、神を呼ぶ。空と交わす、原初の信号。音楽とはそれなのだ。
 一曲めが終わると、いつの間にか観客の数が増えていた。ヴォーカルの少女によるMCで、メンバーの名前が紹介されていく。奮わなかったオーディエンスはすっかり温められて、いちいち合いの手を返していた。もはや完全に彼女らの舞台だ。前座の役目が暖機にあるとすれば、充分以上に担われている。
 続く二曲目で、これ以上はあるのかというほど客席は盛り上がった。後続のテンションなど考えないペースだ。奏者たちはもともと最高のパフォーマンスを目指すべきなのだから、それは正しい。
(それにしても、ちょっと、おかしくないか?)
 高村は戸惑いながら、聴衆を一望した。熱狂振りが極端すぎる。ライブとはこういうものだと言われれば納得するしかないが、いち学園の祭事でしかないこの場所で、誰もがその作法を心得ているとも思えない。あらゆる意味で雑多なのがこういった催しの常であるはずだ。望まれずとも、白けることもあるだろう。
(うまくいってるんだ。いいことなんだろうけど)
 釈然としない面持ちで、最後だという三曲めのアナウンスを待つ。そのとき――

『――ここで特別ゲストの紹介ですっ。初等部の、アリッサ・シアーズちゃん!』

 聞き捨てならない音声を、アンプが飛ばした。
 高村は「あ?」とだけ呟いた。

「……シアーズ、だと?」なつきが顔をしかめた。

 舞衣は「え、ほんとに?」と素直に顔を輝かせている。神崎は眉をひそめ、命は首をかしげ、奈緒はちらりと高村へ視線を移した。他の人間は、いつの間にか席を離れ、前方の群集へ飛び込んでいた。
 二百は下らない視線がつどう。矢のように一箇所に収斂していく。指向性が力さえ持った。
 それを、悠揚と受け止める少女がいる。幼い。そうはっきり言ってしまえるほどに、彼女は小さい。
 だが、壇上の覇者だった。ゆっくりと、一挙手一投足で、耳目を束ねていく。蒼い眼が客席を撫でていく。高村も、誰しも、固唾を呑んで視線を受け止めた。しわぶき一つ押し殺されて、最前の音素も残らず掃われる。
 熱気だけを残して。
 アリッサが、足音も立てずステージを歩む。眼下を睥睨する表情は支配者のそれだ。酷薄で、無邪気で、純粋で、美しい。年齢と無垢さはかかわりない。アリッサは、ただそのように振舞っている。
 確かに、天使が実在したのならば、そんな容貌であろうと理解させられる。不可触な空気を充溢させて、アリッサが、満足そうに笑った。ゆっくりと手を挙げる。舞台度胸の域を超えた存在感が、小さすぎる全身から発されている。
 質量ある存在感。距離を置いても眼を惹く立ち居。
 背後の大ビジョンに映る顔は、すでに陶酔している。
(あれは、だれだ?)
 昨日までのアリッサとは違う。明文化できないしこりを抱いたまま、高村も群れの一角と化している。
 アリッサが破顔した。すべての客が、解放されたように息を吐く。呼吸の機微さえ制されていると、どれだけの人間が気づいたのか。それをしたアリッサさえ、意識はしていないだろう。

『アリッサ、うたいます! 大バッハ、BWV244・ロック・アレンジ。あとアン・ディー・フロイデ!』

「歓喜の歌はどうにかわかるけど、……べーべーはお?」高村が唖然と鸚鵡返しにした。
「マタイ受難曲だ」なつきが律儀に解説した。「いくら編曲したって、屋外でロックバンドが演る曲目じゃないぞ……。というか、なんだ、この空気は……」

 呟きが終わるか否かのうちに、すべての音が押し流された。
 前奏に追随して、すでにアリッサの声が走っていた。風か、あるいは水に似た流動性の気配が、人垣を通り抜けていく。声であると判断するには物質的すぎる。不純物を押し流すように津波が寄せて、そのあとに、奔流が来た。七つに満たない少女の声ではなかった。それどころか、人間の声量をゆうに越えているように思われる。肌膚がふるえるほどの声がひとりの少女を因にするのだとすれば、高村の常識は覆るだろう。しかし思考は音程にせき止められ、和音に誘導され、声楽に剥離させられていた。
 圧倒的な早業だった。人智を完全に逸していた。ホールでもない場所で、安物のアンプを用いて、こんな魔法が実現される。聴衆はすでに埒を越え、学園全域に及んでいた。アリッサは編み上げるように音を連ねていく。発声しているのではなく、彼女という太虚から、なにか異質なものが流れ出しているようですらあった。
 声の大樹が急速に生育する。枝葉は瞬く間に校舎を蓋い、祭りの空気を塗り替えた。アリッサ・シアーズのうたはしかし、決してある一定の空間から先には響かない。誰もその異常な事態に気づかない。なすすべなく意識を歌に奪われて、同一化されてしまう。
 すべてがアリッサに対する一個となる。無我は音にたゆたい、翻弄されて、浮沈する。うたうアリッサにすらその制御は不可能だ。ただ、彼女はうたうだけの装置でしかない。
 入神――
 伴奏する少女たちさえその例に漏れていない。強引に領域へ連れ出されている。無形の一体感にひたる内、歌は物語を帯びた。息苦しさを人々は感じた。涙を流すものがいた。歌で泣く? と高村は思った。あるのかもしれない。そんな気分になったことは確かにある。
 だが、これはそれと同じなのか?
 疑うが、疑念もまた暈けて融けてゆく。視界が光に満ちている。打ちひしがれた重圧が、群集を朦朧とさせている。演奏が段落へ向かうことを〝歌〟は示していた。それは救いだ。だが誰もが離れがたくなっている。
 それでも、歌はいやおうなく終わる。物語とはそうしたものだ。簡略化され、暴力的に節をつけられたフレーズが終息すると、ステージに促々あがる影があった。
 風花真白である。いまだ茫乎とした心境で、高村はその様を眺めている。あちこちで、興奮した声が吐き出される。会話にも言葉にもなっていない。それは原始的な鳴き声に近い。しかし、交信に不都合はない。誰しもが、隣人と繋げられている。
 真白は、厳しい面持ちでアリッサへ向かう。なにかを口に出している。汗みずくのアリッサは、それを意にも介さない。全能者のような振る舞いで、年かさの少女を流し目している。
 多数の視線にまみれ、ふたりの少女が対峙する。精神的なメタファを想起させる絵図だった。車椅子にかけた真白が、さらに何かを言い募ろうとしたとき、アリッサが、笑った。
 いたずらをする笑みだ。高村だけが直観的に理解した。
 金髪の少女が、一転友好的に真白へ歩み寄る。戸惑ってそれを見やる真白の背後で、姫野二三がいつもどおり控えていた。あらゆる害意から主人を守る従僕が、かすかに肩を揺らす。彼女の視線が一瞬だけ真白から切れる。
 ずっと人目につかず忍んでいた、深優・グリーアがいた。二三の意識が数瞬、奪われた。アリッサにはそれで充分だった。
 アリッサが、真白のスカートをめくった。

『え――――?』

 マイクによって、呆然たる声がギャラリーに届けられた。さらに、真白が着ているのはワンピースで、ウエストのリボンをするりとほどくと、アリッサはさらにその服を押し上げた。抵抗する真白の手腕は、するりと避けられた。
 高村も抱えたことのある肢体が、車椅子から引き摺り下ろされる。地に這う真白は無駄に色めく姿勢で、痴態を披露している。
 大きい友達を主にして、聴衆がどっと沸く。不可侵の聖域であった美少女理事長の秘部(※下着)が、衆目にさらされる。名前の通りに白皙の、ふくらはぎから太腿、さらにほっそりとした腰部が露出して、臍部が見え隠れした。
 背後のビジョンは逐一その様子を追っている。放送部がいい仕事をしていた。
 オーディエンスは最高潮だった。
 無論、姫野二三は動いていた。
 だが、深優に制されている。
 怪獣大決戦であった。
 アリッサは止まらない。
 ついに、胸元まであらわになった。
 真白の悲鳴は声にならない。彼女を知るものなら誰もが信じられないほど、顔が赤く染まっている。

「ば――」なつきが面白い顔になった。
「ひゅぅ」奈緒が口笛を吹いた。
「脱いだ」命が客観的に発言した。
「ちょちょちょぉ!」舞衣が高村の袖を引いた。「どどどどーすんのあれぇ!?」
「あわわわわ」

 高村はおろおろしていた。

「使えないこの教師ー!!」

 舞衣が頭を抱える。その間にも舞台は次のシーンへと切り替わっていた。真白から離れたアリッサが、マイクを手に、アンプへ足をかけ、よく通り過ぎる声で絶叫した。

『このロリコンどもめ――――――っ!!!』

 世界中が同時に湧いたかのような歓声が応えた。
 そのまま歌に突入した。先ほどの緻密な檻とはまた違う、感情を叩きつけるようなよろこびの歌が、沸騰したボルテージをさらに昇華させる。二三によってそでに引かれていく真白を気の毒に思いながら、高村は再びアリッサにされるがままになった。
 熱の渦動が全てをさらっていく。過去の悲劇も未来の憂慮も押し流す。脳髄を痺れさせる甘い毒に、ほとんどの人間がおかされてしまう。例外はHiMEたちだ。舞衣はごく一般的に熱中し、なつきはやや引きずられ、命は取り残され、他者を拒絶する奈緒は気分が悪そうに顔をしかめている。高村は、彼女たちほど耐性がない。じきに取り込まれる予感があった。それを拒む理由もないように思われた。委ねてしまえば安堵に浸れた。泥濘は暖かだった。やがて、暖かい雨までもが降り出した。それは予想されたような、興ざめの空気を運びはしなかった。アリッサの歌が世界を震わせ雨を招いてみせたのだ。陳腐な神話の再生が眼前で行われている。巫女たる少女は変性意識の命ずるまま、恍惚と天上の滴に打たれ、至福を歌い上げている。騒がしいのは声、声、声だ。音が何もかも歌になる。言葉はほどけて意味を失いまた結び合わされて象られる。有為と無為が相互に反射して無分別になっていく。個我が、いよいよ、波線から線分へ分解されようとしている。歌が最高潮へ向かう。夢中へと手を引かれながら、高村は――

 現実へ引き戻される。

「立ち去るべき人、それは汝だ」




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