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No.2120の一覧
[0] ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/01 23:36)
[1] Re:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/02 20:46)
[2] Re[2]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/03 20:01)
[3] Re[3]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2008/09/12 00:45)
[4] Re[4]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/06 21:15)
[5] Re[5]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/06 22:01)
[6] Re[6]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/23 01:53)
[7] Re[7]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/28 01:15)
[8] Re[8]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/09/03 20:47)
[9] Re[9]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/09/05 07:46)
[10] Re[10]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/09/17 09:44)
[11] Re[11]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/10/07 23:17)
[12] Re[12]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/10/29 10:31)
[13] Re[13]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/01/09 06:16)
[14] Re[14]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/03/02 06:09)
[15] Re[15]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/03/03 16:12)
[16] Re[16]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/03/08 01:23)
[17] Re[17]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/05/05 03:44)
[18] ワルキューレの午睡・第二部十節[ドジスン](2007/12/26 07:53)
[19] ワルキューレの午睡・第二部最終節1[ドジスン](2008/02/11 03:51)
[20] ワルキューレの午睡・第二部最終節2[ドジスン](2008/02/11 03:52)
[21] ワルキューレの午睡・第三部一節[ドジスン](2008/02/11 03:53)
[22] ワルキューレの午睡・第三部二節[ドジスン](2008/11/15 07:17)
[23] ワルキューレの午睡・第三部三節[ドジスン](2008/11/15 07:16)
[24] ワルキューレの午睡・第三部四節[ドジスン](2008/12/01 06:10)
[25] ワルキューレの午睡・第三部五節[ドジスン](2008/12/08 17:11)
[26] ワルキューレの午睡・第三部六節[ドジスン](2008/12/08 17:13)
[27] ワルキューレの午睡・第三部七節[ドジスン](2009/04/14 00:40)
[28] ワルキューレの午睡・第三部八節[ドジスン](2009/07/27 00:36)
[29] ワルキューレの午睡・第三部九節1[ドジスン](2009/09/21 01:05)
[30] ワルキューレの午睡・第三部九節2[ドジスン](2010/03/19 02:00)
[31] ワルキューレの午睡・登場人物表/あらすじ[ドジスン](2011/02/25 00:16)
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[2120] Re[17]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)
Name: ドジスン◆bcd22b31 ID:a7634511 前を表示する / 次を表示する
Date: 2007/05/05 03:44


 ※



「あっは、海だー!」

 後部座席の窓枠にかじりついて、アリッサ・シアーズが歓声をあげた。ハンドルを握る高村は、リアウインドウ越しに少女の満悦を眺める。

「意外と早く着いて良かった」
「うんうん、良かった!」アリッサの声は弾みっぱなしだった。「あっ、もう泳いでる人もいるよ!」
「いちおう、海開きはしたからね」

 俺も期せずして昨日着衣水泳したことだし。胸中で付け加えつつ、急カーブに備えて車体を減速させる。良好とはいえない体調もさることながら、アリッサの隣で常に眼を光らせている深優のこともあって、高村の運転振りは教習所よりも安全を心がけたものになった。おかげで何度後続に煽られたことかわからない。
 身の回りの事情が変わるまで、高村にとっての免許証はほとんど身分証明のための紙切れ同然だった。それが本来の効力を発揮し始めたのは、行動力の限界を思い知ったせいである。都内ではどこに行くにも電車で足りる。だがある一点をのぞき大部分が線路に網羅された都市など日本には東京のほかにない。フィールドワークで理解していたつもりだったが、一歩首都圏を離れれば自動車の利便性は欠かすべからざるものであった。
 といって、自前の車を購うほどのめり込めないというのもまた本音である。必要経費どころか無駄遣いしても問題ないほどの蓄えは当座ある。しかし人生の大部分を過ごした実家を処分して以来、高村はどうしても耐久財を所有する気分にはなれなかった。

「それにしても、風華からこのあたりの道路はホント運転しやすいな。市政と土建屋の絆の深さをうかがわせる。珠洲城の実家はたいしたもんだ」
「それでいて、有事の際住民を操作しやすい設置でもあります」アリッサに『じゃましないで』と命じられ、瞑目し物言わぬ彫像と化していた深優が呟いた。「この土地のインフラストラクチャは、実に合理的な思想に基いて設計されている。意図の明確でない拡張工事のあとが少ないのも、基盤となる指向が明確に示されているためでしょう」
「起きたのか」
「もともと眠ってはおりません」答える声は心なしか不本意そうだ。「ドクター九条の処遇が決定したそうです」
「そうか」とだけ高村は答えた。

 深優が若干、待つような間を置いた。彼女の予想をわずかでも外したことに、高村は底の浅い満足を覚える。しかし、

「仔細をお聞きにならないのですね」と深優が口にしたことに、逆に喫驚した。
「あ、ああ。左遷だろう?」ウインドウを操作して、深優の姿を掠め見る。「尻馬に乗った俺がいうのもなんだけど、偉い人たちにとっては噴飯ものの展開だったろうから」
「そうではなく」深優の静謐な双眸が、鏡越しに高村を射抜いた。「九条博士の進退は、彼女預かりの身であるあなたご自身の進退にも少なからず関わることです。気にはならないのですか?」

 なるほど。まったくその通りだ。高村は己の迂闊さを呪った。

「俺は馬鹿だけど、ものを考えられないほどじゃない」無駄と知りつつ言い逃れを試みた。「たしかにきっかけは彼女だったけど、事実上いまの俺はグリーア神父の検体だから……」
「それは理由になっていません」案の定、深優は見透かした。「お父さまもご憂慮なさっておいででした。今後、先生の立場はますます微妙になると」

 高村は思わず苦笑した。九条むつみとは方向を異にしても、ジョセフ・グリーアも腹に一物も抱えた人物である。今回の件にしても、彼は全てを知っていて見逃した可能性さえあった。組織に忠誠を誓う身ならば後々響かないとも限らない瑕疵だ。
 そして高村は知っている。グリーアには、未だ高村恭司を手放せない理由がある――。
 
「深優はどうだった?」と高村は言った。
「なにがでしょう」
「深優も俺を心配したかな」時おり彼女に仕掛ける、戯れめいた種類の問いかけであった。深優の答えは一定している。『興味がありません』『関わりのない事案です』『質問の意図が不可解です』……。
「ええ」と彼女は頷いたのだった。
「うん?」
「今先生にいなくなられては、お嬢さまのご機嫌に悪影響を及ぼしますので」

 噴出しかけて、尋ねそうになる。それは意図的な諧謔なのか否か? いまだ晧々と照る陽射しに眼を細めながら、高村はひとり笑いを噛み殺すことを選んだ。どちらだとしても、言葉にしてしまえば不粋なことに変わりはない。
 深優は確かに成長していた。風華で過ごした短い時間の中でも、彼女は日進月歩だ。
 高村とはまるで違う。そんな尊さを、無聊を慰めるだけのからかいの種にはできない。

「おにいちゃん、なにニヤニヤしてるの?」一頻り海に向かってわめき終えたアリッサが、不思議そうに言った。
 高村は首を捻る。「よくわかるね。顔面がこんなに隠れてるのに」
「それは、わかるに決まってるわ!」意味もなく、少女は誇らしげだ。「ねえ。それイタイ? 痕とか残らないかな……」
「大丈夫だと思うよ」安易に請け合った。「骨も折られなかったし、手加減してもらったんだろうね。ま、痛いかどうかでいったらはなはだしく痛いけど」

 ついでにいえば微熱もある。

「ハナハダシ?」
「とても」深優が助けを差し伸べる。

 アリッサはきっと隣席を睨みつけた。

「深優にいわれなくてもわかるもん! 余計な口はさまないで!」
「申し訳ありません」平坦に答える深優は、気のせいか優しげな顔立ちをしていた。

 微笑ましいやり取りを、「珠洲城と菊川みたいだな」と高村は見守った。

「ともかく!」アリッサが背もたれを叩いた。「これに懲りたら、お兄ちゃんはフィアンセとして相応しい行動を心がけること。じゃなくちゃ、アリッサも守ってあげられないんだから。わかった?」
「えっ。なにその、フィアンセって」

 いろいろな意味で物騒な呼称だった。光源氏の称号は高村にはいささか以上に荷が重い。何より、アリッサは確かに育てば冗談みたいな美人に育つだろうが、いまの時点では可愛らしい子供に過ぎないのだ。

「え? なにって、誰かがいってたの。お兄ちゃんはフォーチュンテラーで、冥府の王子さまの逆相だって。――それはつまり、シアーズにとっての王子さまということではなくて?」
「なくてって、なんか突然大人びた物言いをするね」

 鼻白みながらも、高村はハンドルを切る。
 そのために気付けなかった――やにわにアリッサの表情が趣を変えたことにも、深優がやや緊張する素振りを見せたことにも。

「ともかく、フィアンセってのはやめてよ」
「どうしてぇ」
「世間の目が怖いから」
「はぁい」

 アリッサが頬を膨らませた。
 純真だが、利発な少女だ。そう呼ぶことの意味がわからないはずもない。身近な年長の男性である高村に対して、彼女が求めてやまない父性を見ていることも理解していた。
 
(そういえば、なんで彼女は俺にこんなに懐いてくれてるんだろう)

 高村が少女と初対面を果たしたのは、実を言えば九条むつみやジョセフ・グリーアとの出会いよりもずいぶん後になる。当時から人懐っこい子供だとは感じていたが、高村個人に対してアリッサがそこまで肩入れする理由が、彼には思い当たらなかった。せいぜい人並みに構った程度のはずである。
 父性を投影するのならば、単純に考えて、背格好で似つかわしいのは高村ではなく、どちらかといえばジョセフ・グリーアのはずだ。
(なら、なぜ?)
 ふとそんな疑問を思いついたのは、海岸前の駐車場が見えたときだった。ハンドルを握る手に力を込める。筋肉の動きに連動して、全身の傷が一斉に鈍く疼きだした。
 昨夕とは趣の違う海岸を目にして、高村は己の無謀をふたたび顧み、苦笑した。



 ※



 高村が激しい頭痛と眠気の中で意識がつかまえたのは、戦闘の気配だった。夢現定かならぬはざまで、彼が見つめるのは現在ではなく過去だった。腫れあがるまぶたの下で熱を持った眼球が、褪せぬ記憶の象に焦点を結ぶ。
 切り結ぶのは少女と怪物だった。
 高村は恐怖に体躯を張り詰めさせた。
(朔夜?)
 おぼろげだった感覚が急激に冴える。
(朔夜――深優)
 高村恭司の現実すべてが零れ落ちたその夜を、剣戟はどうしようもなく連想させる。
 肩が震えた。

『おにいちゃん――』

 咽喉を胃液が通り過ぎた。

『――どうして?』

(やめてくれ!)
 口中に酸味が満ちた。土と草と血に混じり、それは口腔のなかである渋味を形成する。
 それは屈辱の味だった。忘れがたく舌根に刻み付けられた焼印だった。
 高村の両手が地面を噛んだ。
 体は休息を求めており、それを拒む理由はないはずだった。にもかかわらず高村は、状況の理解につとめた。そのまま夢に浸ることをこそ、彼は恐れた。呼吸が加速して、鼓動を昂じさせた。めぐる血流が頭蓋の中身を駆け巡った。むろん、それは鳴り響く頭痛をさらに助長させた。
 姫野二三に叩きのめされてからのち、どうなったのか。咳き込みながら押し開いた瞳にまず映りこんだのは、神秘的に輝く金色の髪だった。羅紗みたいな手触りを思わせる滑らかさが、高村の目の前で揺れていた。そんな金髪の持ち主には、もちろん一人しか心当たりがなかった。
 アリッサ・シアーズ!
 高村は身を起こした。
 その少女があるのならば、絶対にいなくてはならない存在が、記憶の肖像と一致した。

「深優」
「……お兄ちゃん。起きたの? もう、深優がぐずぐずしてるからぁ」

 うなるような囁きに、アリッサが呼応した。その碧眼が退屈な色をともなって、目前で繰り広げられる闘争に注がれていた。高村が彼女にならうと、視線は奥行きを持って広がる森へと向いた。昨日きょうと、やや見飽きた感のある風景である。少女が呼ぶ深優・グリーアの姿はそこにはなく、ただ破壊の後と、断続的に響く炸裂音が、高村の不安を煽るだけだった。

「アリッサちゃん。いったいなにが」
「休んでたらいいよ。もうすぐ、終わるからね」爛漫とアリッサはいった。「大丈夫だよ。今日は一人だけど、お兄ちゃんを苛めた子たちもすぐにやっつけてあげるから」
「ひとり?」

 何が起こっているのか、わからない。
 肉体と精神を占領する苦痛にあかせて、魯鈍さを装うのは簡単だった。現実に頬かむりをするのが、たとえ実際には何らを解決には導かなくとも、彼にとってはもっとも優しい処方なのだ。
 だが、そうはいかなかった。
 いま、思い出してしまった。
 状況はわかりきっていた。結城奈緒。もしくは杉浦碧。彼女らのどちらかが、深優と交戦を始めているのだ。
 ――高村恭司の炉心に火が入る。
 軋む肉と筋を動員し、骨を支えに、心の命じるまま、彼は歩き出した。
 高村を苛む痛手はひどいものだった。裂傷と擦過傷ならば数え切れない。骨折と刺傷も一箇所では済まない。彼はにぶく、辛抱強い男だったが、それでも痛みが好きなわけでは当然なかった。荒事とも、成人の直前までは無縁に近い人生を送ってきた。恐らくはずっとそうなのだろうと、根拠もなく信じながら生きてきた。
 だが、そうはいかなかったのだ。
 だから、高村は抗う手段を講じた。
 そのためにこそ、生き恥を晒し続けた。

「お兄ちゃん? どーしたの? そっちは危ないよ」
「アリッサちゃん」全力で走り出そうと思うのに、アリッサは難なく高村に追いついた。足首にへばりつく焦燥を振り切るように、高村は胸をかきむしった。

 すると、硬く冷たい感触に指が触れた。
 先刻、風花真白を拉致するさいに黒服の一人からうばった、自動拳銃のありかがまさにそこだった。
 高村は無言のまま、懐から拳銃を抜いた。熟練には程遠いが、興味本位で撃ったことはあった。最低限の扱いならば心得ている。アリッサは、突然得物を抜いて黙り込んだ高村を、無垢な顔で見上げていた。
 高村は一度、森の奥へと目を投じた。そこにあったのは、焦りと恐れを表情に張り付かせた、結城奈緒の姿だった。エレメントを振るい深優の接近を阻む彼女には、どう贔屓目に見ても余裕がない。
 彼女が侍らせるチャイルドもまた、満身創痍だった。八本の足のいくつかはすでに欠けてしまっている。得物を突き刺す鋭い尾も、先端が折れていた。森を刻む奈緒の奮闘は敗北を遅らせるだけの行為にしか見えなかった。
 奈緒と、そして拳銃とを、高村は見比べた。
 彼自身寸前まで意識しなかったことだが、奈緒の姿を見た瞬間、思考には安堵が過ぎった。高村は戸惑いつつ、グリップに食い込む己の手の平を見つめた。自分がなぜ安心したのか理解しがたかった――そう思い込むのはやはり、容易だった。しかし真相は手を伸ばすまでもなく触れうる位置にあったのだ。彼が結城奈緒に当て込んだ役目は、この時点ですでに終わっている。それが高村を安んじさせた理由だった。これが杉浦碧ならば、ためらう理由はなかった。ほかのHiMEであっても、彼は迷わず動いたはずだった。だが、結城奈緒では? ここであからさまにシアーズに反旗を翻すデメリットと、彼女を助けて得るちっぽけな満足。はかりにかけるまでもない取引だった。奈緒は見捨てるべきだった。もともと、高村は彼女に好意的な感情を向けていなかったのだ。
 奈緒をかばう理由はない。
 取るべき行動は決まっていた。
 高村は叫んだ。

「くそくらえだ!」

 勢いのまま銃身をスライドさせ、二度、天に向けて発砲した。三発目は、森の中へ撃ち込んだ。これにはさすがに動きを止めて、深優の怜悧な瞳が、ようやく高村の姿を捉えた。
 かすれた咽喉で声を張り上げた。

「深優! 結城! 今すぐ戦うのを止めろ! いいか! 止めるんだ! さもないと、さもないと――」

 ちらりとかたわらで耳をふさぐ少女に眼をやった。深優の姿勢が目に見えて緊張した。俺がこの子を撃つぞと脅すとでも思ってるのか、深優? 高村は裂けた唇を吊り上げた。痛みは少しだけ、彼の背中を後押しした。

「さ、さもないと!?」アリッサが問い返した。
「うん、アリッサちゃんもふたりにいってくれ。さもないと」高村は自身のこめかみに銃口を突きつけた。発砲に熱されたバレルは、彼の頭髪を焦がした。「俺が死ぬ。脳みそ撒き散らして死ぬ」

 一切本気で言い切った。

「……」奈緒が黙っていた。
「――」深優も黙っていた。
「え、えー」アリッサが唸った。

 高村はかみ締めるように呟いた。

「頼むよ」

 アリッサが要求を飲み込み、事態を把握するまでの三秒間。
 高村ができたのは自嘲だけだった。

 それが、風華学園の裏山をめぐる一連の騒動の、いったんの幕引きである。



 ※



 アリッサの小さな体には無尽の活力が宿っていた。高村は怪我に救われた思いだ。もし本格的に泳ぐということにでもなっていれば、いいように遊び相手に仕立てられただろう。
 また金髪碧眼で日本語に堪能な少女は、浜の方々で人気者だった。老若男女が声を上げて笑う彼女に注目する。とりわけ物怖じしない若年層を捌くのは骨だった。
 深優の外見に惑わされた遊泳者が「お子さんですか?」と尋ねてこなかったのは、高村の満身創痍に遠慮しただけのことである。とはいえ見知らぬ人間が近づくたびに深優がユニットを励起させるのには高村も辟易して、うまくアリッサを言いくるめてひと気の少ない岩場へと誘導した。
 浪打の神秘に見飽きたアリッサは、いま、磯の生物の征服に忙しい。岩陰につくった水場に蟹を追い込む姿を視界に置きつつ、高村はようやく人心地つけた。

「元気だな。あの調子じゃよほど鬱憤が溜まってたのかもしれない。昨日の今日でどうしたものかと思ったけど、来てよかったかな」
「もちろんです」深優はいっときもアリッサから眼を離さない。「アリッサお嬢さまはお喜びです。その点に関しては先生にはお礼申し上げます」
「やめてくれ」高村は乾いた声で言った。「そんな言葉はもったいない。だいたい、自分でもどうかと思うくらい露骨なご機嫌取りで、本音じゃすこし自己嫌悪してるくらいなんだよ」
「ならば、なぜあのようなことを」

 深優の声に詰問の調子はない。命令系統が一時保留という判断を下した以上、従うというスタンスは彼女にとって自然だった。問題は使命感と敵愾心が旺盛なアリッサで、高村にしても彼女に制動をかけることができたのはできすぎた幸運だったと思っているほどだ。
 自分の命を盾に遣うという下策は、おそらくもう二度とできない。あのとき深優が即座に対応できなかったのは、それがあまりに馬鹿げた振る舞いで、彼女のルーティンにない行動だったからにすぎない。MIYUの学習能力は人智を越えている。要求を飲む可能性があるのがアリッサだけである以上、そこには必ず深優もいる。次に同じことをしようとすれば、指先がトリガーにかかる前に両手を切り落とされるだろう。必要とあれば瞬きの間にそうするだけのスペックを、目の前の少女は確実に持っているのだった。

「そうだな……なんでだろう」
「ご自分のことでしょう」
「自分のことでもわからないものはわからないだろう」
「先生の返答は理不尽極まりありません」
「悪いな」高村は素直に非を認めた。「だけど――とりあえず結城のことに関しては、とお互いのために限定しておこう。後悔はしてないよ。俺は俺の裁量の範囲内で、やれることをしただけだ」
「理解できません」と深優は言う。「昨日先生の択んだ行動は、散漫な偽善以下の時間稼ぎでしかありませんでした。彼女にとっては結局、遅いか早いかの問題です」
「人間に、遅いか早いかより重大な問題があるか?」
「ええ」深優の肯いに迷いはない。
「ところが、俺にはないんだ」高村もまた、間断なくいった。
「ワルキューレは純粋な定義での人間とは異なる存在です」
「そんなことはない」柔らかく、静かに首を振った。
「――そうかもしれません」一拍の間は紛れもなく逡巡を真似ている。懊悩する人工知能はジョセフ・グリーアの業だ。「それが、先生の死生観なのですね」
「一般論の範疇だよ」

 詭弁で煙に巻くというつもりもなく、高村は口をつぐんだ深優を見つめる。相変わらずアリッサを捉えたままの瞳には、言葉遊びを弄する男への不快感は見つけられない。
 深優に対しての高村の物腰には、ほかにない気安さがあることを自覚していた。九条むつみや玖我なつき、その他の縁ある人間に彼が対応を使い分けるのには、ある程度恣意的な面がある。半ば自動的でありつつも、装っているという意識がある。かといって、では深優に自然体で接しているかといえば否だった。彼女の顔に、その素となった少女の面影を見ずにはいられない。星をみれば空を見ずにいられない。強制的な感傷と、彼女といれば高村は必ず向き合った。
 それにも、とうに慣れたようにも思う。
 だがいつまでも気まずさはぬぐえない。
 なまじ見た目ばかりが似通っているから、かえって認識が混線しているのだ……。

「私の顔に、なにか?」

 記憶の映像と目の前の顔が、いつしか視界の中で重複していた。高村の意識を追って、深優の細い指先が自らの造作をなぞっている。盲人がそうするような無頓着な手つきである。無表情だが、人間らしいそれを再現する人工筋肉が、柔らかい膚の下で確かに起伏していた。高村の耳を、今にも懐かしい声がくすぐりそうだった。優花・グリーアにとって、同年代の少女と比べてくっきりした顔立ちはコンプレックスだった。彼女を『外人』と呼んで、とたんに泣かれたこともあった。まったく同じ容貌を持つこの少女は、しかしそうした様々の記憶を、共有してはいない。

「顔は人間にとって最大の記号だ」おもむくまま、高村は呟いていた。「だけど、君にとっては、そうじゃない」
「はい」深優は肯定した。彼女にとって顔面の起伏はただそれだけの情報でしかない。人物を特定するのならば、虹彩の波形だけを照合すれば足りる。例外はただ一人、アリッサ・シアーズのみだ。
「だからってわけじゃないけど、頼みがあるんだ」まぶたを閉じて、高村は嘆息するように言った。
「現在、私に先生からの依頼を遂行する義務はありません」
「聞くだけでいいよ」打ち身が熱をはらみ高村を苛む。浮かされたような台詞を吐いたのは、だからだった。「どうか、この先何があっても、俺にくったくなく笑いかけたりはしないでくれ」
「なぜ」
「子供は人間のお父さんだって、英語のことわざにあるだろう」肩をすぼめて、高村は気弱に微苦笑した。「それだよ」
「いつもながら」と深優は高村を横目で一瞥しながら、ぶっきらぼうに告げた。「先生のおっしゃることは理不尽で不可解ですね」
「まあ記憶のメモリーに一行メモしておいてくれればいいからさ」
「それは語意が重複しています――」と言いかけたところで、

「お兄ちゃん!」

 アリッサの呼び声と手招きがあった。

「どうかした?」
「うん、なんだかトゲっとしたのがいるよ! トゲトゲっとしたのが! きてみて触ってみてアリッサのかわりに!」
「いや、それはたぶん普通にウニだと思うけど……」

 岩の間を飛び越えながら、少女のいる浅瀬へ向かう。
 ひとりごちるような深優の言葉はかすかだ。

「確約はできかねます」

 波涛に散るくらいの音程だったから、高村はなにも聞かなかったことにした。



 ※



 今からなら六限は間に合う。そんな殊勝な心がけで登校した玖我なつきを待ち構えていたのは、とうに放課後を迎えた校舎に盈ちる、前夜祭の空気だった。何気なく1-Bの教室に足を踏み入れると、今日に限っては同窓の視線が彼女に痛痒を感じさせた。机や椅子が片付けられた空間では、男子と女子が顔をつき合わせてレイアウトの相談らしき打ち合わせを熱心にしている。なにか手伝うことはないか――なつきの喉元まで出かかった言葉は、結局声にならない。そもそも彼女は、自分のクラスの出し物さえよく知らなかった。かろうじて、喫茶店のようなものを開くのだと記憶の片隅にあるばかりだ。

「ふう」

 悩ましげにため息などをつきながら、なつきは優雅に踵を返し、その場を後にした。若干の後ろめたさがあったことは否定できない。歩む足も速くなった。
 廊下に戻り賑わいの中に自己を埋没させると、どうにか落ち着くことができた。
 私生活はともかく学内では明らかに超然とした藤乃静留との付き合いではあまりわからなかったことを、近ごろのなつきはとみに自覚する。HiMEでありながらごく真っ当な少女でしかない鴇羽舞衣や、またことあるごとに教師のような物言いをする高村恭司との接点が増えたせいに違いなかった。自分がいわゆる、人生で二度とない貴重な時期をいたずらに消費しているような、それは焦りである。かといって他に重視すべき目的がある事実は厳然として、動かしがたい。何よりも、なつきには今さら普通の女子高生のように振る舞う気も自信も希薄だった。
 とうに後戻りのきかない場所に、彼女はいる。
(らしくないじゃないか……)
 生徒会室に向きかけた足も鈍る。学園祭の準備だというなら、もっとも忙しないのは執行部の幹部のはずだった。いつもならあまり顧みない静留の迷惑を思い、なつきは目的をあてのない散策に切り替えた。
 まだ本番ではなくとも、祭りの空気は嫌いではない。眠りかけた感傷の虫がまたなつきの中で騒ぎ出した。幼い時分に父と母に連れられて縁日に出かけた。そんな当たり前の記憶がある。
 祭りの場でなければ欲しいとも思わないようなものをねだったこともあった。なつきはほぼ正確に当時の記憶を追想しながら、同時に思い出の内で笑う少女をほとんど第三者としてしか認識できない自分に気がついた。過去の肖像に対して覚える違和感とは種類を異にしている観念だった。そう感じてしまう理由は明らかだ。なぜならば母はもうおらず、優しく家族思いの父は幻想で、いま現在の玖我なつきはそれに気付いており、そしてかつての彼女はそんな現実を想像さえしなかった。
 なつきにとって、分析的な思考は歯止めの利かないひとり遊びに似ていた。精神的な自傷行為にも近い。外聞はどうあれ、痛みに没頭するという行為がそれなりに心地良いのは確かだった。
 だからこそ、埒も無い空想を彼女は振り切る。
 頭を振って、苛立ちまぎれに髪の先をもてあそんだ。
(疲れているな。自分で自分を哀れもうとするなんて!)
 聞き捨てならない噂話を耳に挟んだのは、それから間もなくの事だった。
 きのう、裏山で異常現象が起きた――。
 見知らぬ男子生徒が交わす会話を聞きとがめ、なつきはさりげなく耳をそばだてた。普通の人間を相手に締め上げて情報を聞き出すという手段はまず用いない。高村という例外があるにはあるが、それは相性の問題だとなつきは納得していた。
 なにより、無責任に話題を求める手合いというのはソースとしては信憑性が低い。学園内で起きたことならば、執行部か理事長である風花真白に探りを入れたほうがよほど話は早い。
 この日、なつきが訪れたのは後者の邸宅だった。豪奢な邸宅へと向かう道すがら、裏山の様子に気を配るが、目立った異変はやはり六月に舞衣が刻んだ火災の痕跡しか見えない。裏山と皆が呼びはしてもスケール自体は完全な山岳のそれであるから、地形が崩れる瞬間に居合わせでもしないかぎり変化を認めることは難しい。やはり、舞衣のチャイルドがもたらした被害が際立って大規模なのだった。
(あいつがその気でなくて助かった、か?)
 ひとりごちながら、風花邸の門扉を叩く。
 が、いつまで待っても返事はない。念のため裏口に回っても、施錠された扉は人の気配を伝えなかった。なつきは肩をすくめて嘆息すると、髪を払って山に正対する。
「調査の基本は足ということか?」
 呟き、チャイルドを呼ぶ場を探して茂みへ分け入った。




「あ、なつきちゃんだ」

 デュランの背から降りて人の気配を頼りに森を抜けると、土嚢をかついだ杉浦碧に出くわした。

「……何をしている?」
「何って、見てわからない?」

 問い返されて、なつきはまじまじと碧の格好を観察した。
 つなぎを腰で絞りタンクトップを露出した上半身には健康的な汗が光っている。作業用のヘルメットには『安全第一』と印字され、後頭部からはおさまりきらない頭髪が尻尾のように飛び出していた。
 加えて、下を見れば荒れた地面があり倒れた木々がある。やや離れたところには二トントラックが停車しており、荷台のコンテナに土嚢や転がされたつるはしの姿があった。

「なんというか、その、工事か?」
「うむ。普請である!」
「無意味に元気なのはいつものこととして、それにしてもなぜひとりで」
「ホントは恭司くんと奈緒ちゃんにも手伝ってもらいたいんだけどねえ」珍しくげんなりと、碧がため息をついた。「二人とも行方がわからないからしょうがなく。一応あたしにも責任の一端はあるってことで……あと、正しい給料のために」
「高村と……結城奈緒だと?」想像外の取り合わせだった。どう考えても相性のよい二人とは思えない。そこに碧が加わるとなればなおさらだ。「何かあったのか」
「話せば長くなるのよ」陰をにじませて碧は笑った。「あとあたしからも聞きたいんだけどさ、なつきちゃんって恭司くんと仲いいよね」
「よくない」
「いやそんな会話のワンクッションを一刀両断にせんでも」
「ないものは、ない。事実無根だ」なつきは言い捨てた。
「ふーん」碧は目を細める。「じゃあいいや。やっぱり聞かなかったことにして」
「それはないだろう」なつきは碧を側目し、ため息をついて見せた。「子供のようなことをいうな」
「べつに、嫌がらせってわけじゃないよ」

 足下に転がる小枝を拾い上げるとふたつに折って、碧は思案げに鼻を鳴らした。

「ただ、なにやら事情が込み合っていそうだから、なつきちゃんがどこまで知ってるかも知らんコトにゃ、あたしもなにをどこまで話していいか判断がつかないだけサ」
「義理立てか。意外と律儀だな」
「アハハ、人の事どんなふうに見てるのかなーこの子ってば」
「ともあれ」となつきは逸れかけた話題の方向を修正した。「おまえが詳しく話さなくたって、おおよその見当はついたさ。要するに、昨日またオーファンが出て、HiMEが戦っているところを一般人に見られて騒ぎになった、というところだろう? それなら、まあ事後処理は例によって一番地がやるさ」
「それなら話は簡単かもね」

 蒸れたのか、暑苦しげにヘルメットを脱いで、碧が首を鳴らした。社会科教師らしからぬ健康的な色をした肌の上を、鎖骨から肩へのラインをなぞるように汗が落ちていく。湿り気を帯びて濃緑を深めるタンクトップの繊維を見るとはなしに見ながら、なつきは眉をひそめた。

「おまえ、ブラジャーくらいつけろ。……簡単とはどういうことだ? つまり、それよりもややこしいことになっているというのはわかるが。そこに、高村と結城奈緒が絡んでいるというワケか」
「ん。どうなんだろね。――ああ、そんな怖い顔しないでよ。べつにもったいつけてるわけじゃない。あたしゃなつきちゃんみたいに事情通ってわけじゃないんだからさ、色々と状況を整理しようにも不透明な点が多すぎて困ってるんだ。そもそも、キミが舞衣ちゃんとかにも言ってる、その、一番地? アングラな組織なんだと思うんだけど、それってようするに、この学園のことでいいのかな」
「その件については、深入りしない方が――」
「保身が好奇心に先立つくらいなら」碧は悪戯っぽく笑い、なつきの言をさえぎった。「そもそもこんなガッコでキョーシなんてやってないわよ。そこはそれ、一応大人ってことで信用しちくり。だいたい、HiMEでもない恭司くんが深入りしてるんだしさ」
「ああ、なるほど」碧のそのせりふは、ほとんど彼女の情報を吐露したようなものだった。つまり、高村がようやく尻尾を出し始めたのだ。

 また、得心したなつき自身の素振りも、碧にいくつかの確信を与えていた。少なくとも高村と彼にまつわる不明瞭な事情の一部か、あるいはすべてに、なつきが通じているということだ。

「やっぱり、お二人さんは浅からぬ仲ってことだ。なおさら気になるね。ねえなつきちゃん、たぶんあなたにとってみたら抵抗のあることなんだろうけどさ、話せる範囲でいいからあたしの疑問に答えてくれない? それならあたしも知ってるかぎり、なつきちゃんの知りたいことに答える用意があるよ」
「やけにこだわるな」やや呆れて、なつきは碧を見返した。「はっきり言って、知ったところで厄介事が増えるだけだ。好奇心でとおまえはいうが、わたしがそれを話したことでこうむるデメリットについては無視か?」
「それは堪えてとしか言えないな」苦笑して、碧。「でも、いつまでも知らん振りも決め込んでらんないでしょ。パターン的にさ、こう、のんべんだらりとオーファン退治だけやってられるような気もあんましないんだよね。なら、攻めあるのみって思うのよ。これっておかしいかな? 理由としては足りない?」 
「それはわたしが判断することじゃない」

 しかし、おそらく、高村恭司にはそれに足る理由があるのだ――。
 浮かびかけた反駁を、なつきは労せず押し止めた。他言してよい類の話題ではない。にもかかわらず碧を試すようにねめたのは、何かしらなつきの中に碧の態度に対する反感が芽生えたせいだった。杉浦碧という人間が悪質な存在だとは、なつきも考えていない。ただし無条件に信頼するには、碧はいささか〝大人〟すぎる。ポーズとスタイルを使い分ける人間の手強さというのは、なつきも幾度か経験していた。
 だが、ここでただ沈黙を貫くのは、子供の頑迷さでしかない。なつきは高村に、というより彼の境遇に肩入れしかけている己に自重を命じた。碧も高村も、なつきが目的を達するための駒としてこそ、有用に使うべきだった。

「ふん、そもそもそうなると、いま話を聞くべきはおまえではなくあいつだ。手間が省けたじゃないか」
「でも、恭司くんは今いない。まあ、死んでるってことはさすがにないだろうけど……相当ぼこぼこにされてたからなぁ」
「ぼこぼこ? オーファンにか。相変わらず、身の程を知らないやつだな」

 それでは命がいくつあっても足りないと接ぎかけるが、かぶりを振る碧を前に、二の句を止めた。

「いや、あの姫野さんだっけ? 理事長にいっつもくっついてるメイドさん」
「……はあ?」どこか、蒲公英のような印象のあるエプロンドレスの女を正しく思い浮かべて、なつきは聞き違いを疑った。しかし碧はやはり、高村恭司は姫野二三に痛めつけられたのだと繰り返した。「なんだ。いったいなにがどうなったらそんなことになる」
「だから、話せば長いんだって言ったじゃん……」

 戸惑うなつきを前にした碧も、同じくらい困った調子で肩をすくめた。


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